帰還
【クルシス神殿侍祭 カナメ・モリモト】
「クルシス神に歌を奉納したいのですが……」
「一般参拝の後に、専用の時間を設けております。ご足労頂いたところ恐縮ですが、暮れ五つの鐘が鳴る頃に再度お越し願えますか?」
「一緒に来た子供がいなくなってしまったんです……!」
「それは心配ですね……お子様の特徴を教えてもらえますか?」
プロメト神殿長に転職能力の話をしてから一か月。今日も今日とて神殿の受付業務をこなしていた俺は、まっすぐこちらへ歩いてくる女性に気付いた。
その様子には一切の迷いがなく、まるでこの神殿に慣れ親しんでいるかのような印象を受ける。やがて彼女は受付の前まで来ると、隣のマイアさんを見て微笑んだ。
「マイアちゃん、お久しぶり」
……ん?
「ミレニア司祭! お帰りなさい!」
マイアさんが嬉しそうな声を上げた。司祭という単語に反応してしまった俺は、つい彼女へ視線を向ける。
年齢は三十代前半といったところだろうか。黒髪を綺麗に結い上げており、知的な美人といった印象だった。この世界では珍しく眼鏡をかけているのだが、それが理知的な顔立ちをいっそう引き立てていた。
観察している視線に気付いたのか、彼女は俺の方を向いて口を開いた。
「あら、新人さんかしら?」
その問いかけに答えようとした俺だったが、マイアさんが口を開く方が早かった。
「そうですよ、二か月くらい前に入ってきた期待のホープ、カナメ侍祭です」
「……期待のホープかどうかはともかくとして、このたび侍祭位を授かりましたカナメ・モリモトと申します。よろしくお願いします」
マイアさんの台詞の後に続けるようにして、俺は軽く自己紹介をした。その様子を見て、ミレニア司祭は楽しそうに笑った。
「息も合っているみたいでよかったわ。……私はクルシス神殿上級司祭ミレニア・ノクトフォールです。訳あってしばらく神殿から離れていたのだけれど、今日明日にでも復帰する予定よ。よろしくお願いね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
神殿長はいらっしゃるかしら?とマイアさんに聞くミレニア司祭を見ながら、俺は心の中で色々なことに驚いていた。
まず、あの若さで上級司祭であるという点だ。クルシス神殿は他の神殿よりも平均年齢が若い傾向にあるが、それでも上級司祭ともなれば五十歳前後の神官が多い。あのベルゼット元副神殿長は四十歳くらいだったはずだが、あれは特殊な例だろう。となると、よほど優秀なのか、それとも家柄がいいのか……。
次に、しばらく留守にしていたという発言だ。たしか、以前にプロメト神殿長が筆頭司祭候補を国外から呼び戻している、と言っていた気がするが、まさか彼女のことじゃないだろうな。筆頭司祭といえば神殿長、副神殿長の次にくるナンバースリーであり、実務面ではトップに近い。年齢が全てではないけれど、さすがに三十そこそこの人間には重責すぎる気がするなぁ。
そして最後に、彼女の固有職資質だ。初めて見る固有職ではっきり分からないけど、あの感じ、誰かに似てる気がするんだよなぁ。俺はそんなことを考えながら、隣のマイアさんにミレニア司祭のことを尋ねる。
「マイアさん、ミレニア司祭って何さ……いえ、いつからこの神殿にいらっしゃるんですか?」
俺の言葉を聞いて、マイアさんが苦笑を浮かべた。
「カナメ君、女性の年齢を直接的に尋ねない姿勢は好感が持てるけど、どうせなら本音までちゃんと隠し通すのよ?」
あ、バレバレだったか。あまりにも気になって、つい本音が出てしまった。ばつの悪そうな表情を浮かべていると、マイアさんがこそっと耳打ちしてくれる。
「カナメ君がミレニア司祭を何歳だと思ってるのか分からないけど、たぶんそれに十歳は足したほうがいいわよ」
え? ということは、俺の予測が三十代前半だったから……彼女はよんじゅ――。
と、思わず声に出しそうになる俺をマイアさんが小さな、だがはっきりした声で押し留めた。
「声に出さないの! ……分かってると思うけど、私が教えたなんて言わないでよ?」
その言葉に、俺は黙って頷いた。まあ、元の世界にも稀にそういう人がいたけどさ。そこまで化粧品が発達しているように見えないこの世界で、あれだけ若く見えるって凄いなぁ。
俺はそんな感想を胸に抱きながら、午前の業務をこなしていくのだった。
◆◆◆
それは、昼休憩も後半に入ろうかという頃だった。食事を終え、さてどうしようかと考えていると、入り口から賑やかな声が聞こえてくる。誰かが休憩にきたのだろう。そう思った俺は、なんとはなしに入り口に目をやった。
「む……」
そして、誰にも聞こえないよう、こっそりと呟く。なぜなら食堂へ入ってきた三人組は、ベルゼット元副神殿長に心酔していた、いわゆるシンパだったのだ。彼らは食堂にいる俺の姿を目にすると僅かに顔をしかめた。
もちろん、彼らも馬鹿ではない。俺がベルゼット元副神殿長を冤罪で陥れることができるとは思っていないだろう。彼のシンパだからこそ、そんな考えを肯定することはできないはずだ。だが、感情の方はそうはいかないようだった。
彼らはまだ若く、侍祭や助祭クラスしかいないものの、俺からすれば職場の先輩だ。あからさまな嫌がらせはしてこないが、どうにも雰囲気が悪くなるのは事実だった。
と、そんな時だった。食堂の入り口に新たな人影が現れる。その人物は、黒髪を結い上げた、いかにも仕事のできそうな――って、ミレニア司祭じゃないか。二時間ほど前にその姿を見たばかりだし、さすがに見間違えたりはしない。一人で現れたことを考えると、神殿長との話は終わったのだろうか。
周りにいる他の神官や職員たちも、みんな彼女に注目しているようだ。ひょっとして有名人なのかな。まあ、見た目と実年齢のギャップだけでも、充分有名になる気はするけどさ。
なんとなく興味を持った俺は、そのままミレニア司祭を観察する。すると、不意に俺とミレニア司祭の目が合った。彼女は俺の顔を見ると、なぜかこちらへ歩いてきた。
……どうしたんだろう。「人の顔をじろじろ見ないでちょうだい」とか怒られるんだろうか。
俺がそんなネガティブ思考を展開している間に、ミレニア司祭が目の前までやってくる。これは立ったほうがいいのかな? そう逡巡していると、彼女は突然俺の肩を掴んだ。
「カナメ君、よくやってくれたわ!」
「……はい?」
俺は突然のことについていけず、間の抜けた声を上げた。あ、ひょっとして、プロメト神殿長から転職能力の話でも聞いたんだろうか。そう予測した俺だったが、彼女の口から出た言葉は予想外のものだった。
彼女は、周囲に聞こえないよう声を小さくして囁く。
「詳しくは聞いていないけれど、あのベルゼット副神殿長が捕まった原因って、貴方なんですって?」
ミレニア司祭はそう言うと、俺の返事を待たずに言葉を続けた。
「やっぱりあの人は、ろくでもないことを考えていたのね。統督教の最高幹部通達に逆らってお金稼ぎをしていたなんて……。この間の法律改正で、例の麻薬は違法薬物の指定を受けていたし、もしあのまま彼が例の薬物を売り捌いていたらと思うとぞっとするわ」
彼女は溜息をつきながらそう呟く。その声は、かろうじて俺だけが聞き取れるようなものだった。内容的に周りに聞かせるつもりはなかったのだろう。けど、なんでそれを俺に聞かせるのか……
と、そこまで考えて俺は一つの話を思い出した。そういえば、ベルゼット元副神殿長と折り合いが悪くて、修行の旅に出た司祭がいるって聞いたことがあるな。もしそれが彼女なら、彼を追い出した俺は同志、とかそういうことなんだろうか。けど、そんな話は切り出しにくいなぁ。
「ちょっと失礼するわね」
俺が考えこんでいると、突然ミレニア司祭が口を開いた。彼女はかけていた眼鏡を外すと、取り出したハンカチでレンズを拭きはじめる。それを見た俺は、おや、と思った。
「その眼鏡のフレーム、綺麗なデザインですね」
それはお世辞でもなんでもない、心からの感想だった。この世界ではあまり眼鏡を見かけない。そして、そんな中で俺が目にしたことのある眼鏡は、どこか野暮ったいものばかりだった。数が少ないせいで、あまりそういった面での差別化はされていないのかもしれない。
だが、ミレニア司祭が使用してる眼鏡のフレームは細い流線型であり、よく見れば飾りも彫ってあるお洒落なものだった。だから、俺は見たままの感想を正直に伝えただけだったのだが――
「本当!? 本当にそう思う!?」
ミレニア司祭が全力で食いついてきた。なんだろう、眼鏡マニアなんだろうか。彼女は満面の笑みを浮かべて、俺に眼鏡を見せてくれた。
「綺麗な流線型のラインもそうですし、この飾り彫りも素敵ですよね。このせか――王都で見る眼鏡って、個人的には少し無骨な印象があるんですけど、これはお洒落だと思います」
そう答えると、ミレニア司祭の顔に笑みが広がった。なんだかキラキラした眼差しでこっちを見ている。
「でしょう!? この眼鏡は自信作なのよ! ……こほん、そう言ってもらえて嬉しいわ」
勢いこんで話していたミレニア司祭は、自分がヒートアップしていることに気付いたのか、軽く咳払いをすると元の落ち着いた物言いに戻った。だが、俺からすればそこは問題じゃなかった。
「眼鏡をご自分で作られたんですか?」
眼鏡を作るとか、器用ですねで片づけられるレベルじゃないと思うぞ。この人は何者なんだ。そんな俺の疑問に、彼女は穏やかに答えてくれる。
「眼鏡を作ったと言っても、レンズは専門の職人に頼んで作ってもらったものよ。私が作ったのはこのフレームの方だけ」
「それでも充分すごいと思いますが……」
そもそも、眼鏡のフレームを自作しようという発想が出てこない。いざ作るにしても、レンズを上手く嵌めこめるような形に仕上げるのって難しそうだよなぁ。
「ありがとう、そう褒めてもらえると、修行の旅に出た甲斐があったというものね」
「……え?」
ちょっと待て、今、何かおかしな発言がなかったか? 修行って……あれ? 予想外の言葉に驚いた俺は、素直に疑問を口にすることにした。
「つかぬことをお伺いしますが、ミレニア司祭はどのような修行をなさっていたのですか?」
「もちろん、細工物の修行よ? この趣味を持って以来、ずっと修行に出てみたかったのよねぇ」
この国はあまり彫金技術が進んでいないから国外へ出ていたの、と司祭はつけ加える。……なんだろう、聞いてた話と違うような。
「あまりベルゼッ――あの人と合わないな、と思っていたところに、昔から申請し続けていた長期休暇の許可が下りたから、喜び勇んで修行の旅に出ちゃったのよね。……プロメト神殿長には渋い顔をされちゃったけれど」
そう語っていたミレニア司祭は、俺が驚いた表情を浮かべていることに気がついたのだろう。不思議そうな顔で俺を見つめる。
「カナメ君、どうしたの?」
「いえ、いろいろと情報が錯綜していたものですから……」
「情報?」
「その、ミレニア司祭があまり元副神殿長と折り合いが良くないために出て行ったという噂がありまして……」
俺がそう言うと、彼女は納得した様子だった。
「ああ、あの人と喧嘩して出て行ったと思っていたの? さすがにそんなことで神殿を飛び出したりしないわよ」
その割には趣味全開で神殿を飛び出してるように思うんだが……。けど、俺の中にミレニア司祭を否定する気持ちは全くなかった。むしろ、彼女のように趣味を充実させる生き方には憧れるくらいだ。この世界ではどうか分からないけど、元の世界ではそういう人も多かったしなぁ。
「ま、タイミング的にそう捉えた人はいるでしょうね。けれど、せっかくの機会ですもの。技芸を司るクルシス神にお仕えしている身としては、趣味とはいえ、自らの技術を高める努力を怠るつもりはないわ」
おお、なんて見事な公私混同……ということもないか。教えをその身で実践している訳だもんな。さすがに趣味の領域で実践するのは予想外だっただけど、これはこれでありな気がするな。
そんなことを考えていると、神殿内に鐘の音が響き渡った。どうやら、そろそろ昼休憩も終わりのようだ。食堂内の人の動きが急に慌ただしくなる。
「ごめんなさい、カナメ君の休憩時間を奪っちゃったわね」
その鐘の音を聞いて、ミレニア司祭が申し訳なさそうな表情を浮かべた。その様子だけを見ると、とても四十代には見えない。……と、ダメだ。そんな失礼なことは考えるまい。
「いえ、貴重なお話をお伺いできましたし、とても楽しかったです」
「お世辞でもそう言ってくれると嬉しいわ。これからもよろしくね、カナメ君」
ミレニア司祭はそう言うと席を立った。今日明日にでも復帰すると言っていたし、いろいろと準備があるんだろうな。俺は去っていく彼女を見送った。
さて、俺もそろそろ受付へ戻ろうか。そう思って立ち上がった俺は、自分へ向けられた視線に気付いた。そちらへ目をやると、視線の主は相変わらずの、ベルゼット元副神殿長のシンパ三人組だった。
だけど、今までよりも幾分刺々しさが減っているような気がするのはなぜだろう。それに、なんだか困惑したような雰囲気が感じられる。そのことに俺は首を捻ると、やがて一つの結論に至った。
……ああ、ひょっとして、俺がミレニア司祭の庇護下にあるとでも思ったのかな。しばらく神殿を留守にしていたとはいえ、四十過ぎで上級司祭の地位を得ている以上、何かしらの面で有能であることは間違いない。加えて、下手をすれば彼女は筆頭司祭になるかもしれない人物だ。クルシス神殿の幹部クラスと言える。
そんな人物が、疎ましく思っている俺と親しく話しているとなれば、ベルゼット元副神殿長という後ろ盾を失った彼らとしては、あまり楽しくない話だろう。
実際には彼女の派閥に入ったつもりなんてないんだけどね。そもそも、このクルシス神殿でどこまで内部派閥がやり合っているのか、未だによく分かっていないのが実情だ。セレーネあたりに聞いてみてもいいかもしれないな。
同僚にして同期生でもある彼女の情報網に期待しつつ、俺は持ち場へと向かった。
◆◆◆
それは、本日三度目の遭遇だった。
「悪いわね、一人じゃ荷物を運びきれなくて」
「それは構いませんが……」
見た目の割には大した重さのない木箱を抱えて、俺はミレニア司祭の隣を歩いていた。受付に突然顔を出した司祭が、「荷物を運ぶのを手伝ってほしい」と受付にやってきたのだ。なんだか今日は、彼女とやたら縁があるな。
受付は手が空いていたし、彼女は大きな木箱を抱えていたため、俺は特に何も考えずに協力を申し出たのだが、その木箱の意外な軽さを知って、俺は精神を緊張させた。
「この部屋へ運んでくれる? 中身を出すのも手伝ってくれると嬉しいのだけれど」
その言葉は、誰かが俺たちの様子を注視している可能性に備えたものだろう。俺は黙って頷くと、彼女の指示通り部屋へと入った。その部屋が筆頭司祭の執務室であることについて、俺が意外感を覚えることはなかった。
「カナメ君、あまり驚かないのね」
執務室に入ったミレニア司祭は面白そうに口を開いた。
「筆頭司祭のことでしたら、何となくそんな気はしていました」
俺がそう答えると、彼女はその瞳に興味深そうな色を浮かべた。お手製の眼鏡をくいっとやる様が、実に似合っている。
「……ところで、この荷物はどこに下ろしましょうか?」
そんな彼女の注意を逸らすように、俺は手に持った木箱を少し掲げてみせた。軽いし持ち続けていてもいいんだけど、かさばって邪魔ではあるんだよね。
「ありがとう、その隅へ置いてくれるかしら」
俺は、司祭の指示通りに部屋の隅へ木箱を置いた。そして振り返ると、じっと彼女の言葉を待つ。妙な沈黙が部屋を満たした。
「……別の用件があるのはバレていたみたいね」
沈黙を破って司祭が口を開いた。
「あんな、露骨に軽い木箱を持たされれば、誰だって気付くと思いますよ」
荷物が重いから手伝ってと言っておきながら、いざその荷物を持ってみればやたらと軽い。その時点で秘密の用件があるんじゃないかと勘繰るのは当然だろう。軽い木箱を、重そうなフリをして抱えるのにはちょっと演技力が必要だった。
その回答に、ミレニア司祭は満足そうな笑みを浮かべた。そして俺の肩に手を置く。
「プロメト神殿長から例のお話を聞きました。……あなたがそうだと知った時には驚いたわ」
やっぱりか。それが俺の感想だった。彼女がわざわざ俺と内密に話をする必要なんて、このこと以外にはないからな。
俺が沈黙しているのを見ると、彼女は言葉を続ける。
「あなたの能力は、この国……いえ、この大陸に衝撃をもたらすでしょう。その能力を神殿が取り扱うとなれば、事は政治的なレベルに発展しかねません」
「……はい」
ミレニア司祭の言葉に、俺は静かに頷いた。それは何度も考えたことだ。そんな俺の考えが分かったのか、彼女は苦笑しながら口を開いた。
「……ということを一応警告しておこうと思ったのだけれど、余計な心配だったみたいね。……言い方は悪いけど、カナメ君が能力馬鹿な人じゃなくてよかったわ」
「恐縮です」
そう答えた俺にも苦笑が浮かぶ。いったいどんな人物像を描いていたんだろうか。
「私とプロメト神殿長は、近々行われる七大神殿の神殿長会議に出席します。そこで神殿派としての合意を取り付けるつもりよ」
と、ミレニア司祭の雰囲気が今までより真面目なものに変わった。彼女は俺の目をまっすぐ見ると、確認するような口調で俺に質問してくる。
「神殿長会議で議題に上れば、もう後戻りはできないわ。……いいのね?」
「構いません。……神殿長会議が上手くいくことを祈っています」
俺の言葉に、彼女は黙って頷いた。そして彼女は、俺の転職能力について様々な質問を投げかけてきた。興味本位ではなく、他の神殿から質問に答えるための情報収集なのだろう。その目には真剣な光が灯っていた。全ての質問が終わった時には、けっこうな時間が経っていた。
こうなればもう、ここから先は俺にできることはないだろう。後は神殿長とミレニア司祭に任せるだけだ。俺は二人の健闘を祈るのだった。
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【クルシス神殿筆頭司祭 ミレニア・ノクトフォール】
クローディア王国の王都には、神殿派の筆頭とされるダール神殿の本殿が存在する。白を基調として造られた神殿は、荘厳でありながらも決して華美ではない。その様は、光神にして秩序を司るダール神に相応しいものだった。
「相変わらず荘厳ですわね」
クルシス神殿の筆頭司祭となったミレニアは、隣を歩くプロメト神殿長に話しかけた。彼女がダール神殿に足を踏み入れるのは数年ぶりだが、その頃の記憶とほとんど変わっていないようだった。
「我らが神殿はもう少し庶民的だからな」
それは、プロメト神殿長にしては珍しい冗談だったのだろうか。ミレニアは笑うべきかどうか悩んだ末、曖昧な微笑みを浮かべておくことにした。
とりあえず、ダール神殿の受付に来訪を伝えよう。そう考えたミレニアだったが、どうやらその必要はないようだった。受付へ向かおうとしたミレニアの下へ、一人の神官が近づいてくる。
「プロメト神殿長とミレニア筆頭司祭とお見受けします。ようこそお出でくださいました。ご案内致します」
神官はそう言うと、二人を先導して歩き始める。神殿長会議の会場まで案内してくれるのだろう。光神の神殿らしく、建物の内部は非常に明るかった。装飾こそ派手ではないものの、目立たないようさりげなく設置している光の魔道具の数々はそこそこ値が張るはずだ。これも必要経費かしらね、とミレニアは心の中で呟いた。
「こちらが神殿長会議の会場です」
そんなことを考えている間に、目的地へ到着していたようだった。ミレニアは案内してくれた神官に礼を言うと、プロメト神殿長に続いて入室する。
入室した瞬間、いくつもの視線が二人に向けられる。火神ガレオン、大地神グラシオス、闇神ノマド。この三つの神殿の代表はすでに到着していたようだった。
神殿長会議というだけあって、神殿長の参加が前提の会議ではあるが、なにもその七人だけが集まる訳ではない。ミレニアもそうだが、大抵はもう一人神殿の幹部クラスを連れて来ることが多かった。
通常は神殿長の留守を副神殿長が預り、筆頭司祭か上級司祭が共に参加することが多い。クルシス神殿に関してはその副神殿長が空席となっているが、幸いにも今年の神殿長会議はダール神殿で開催される。クルシス神殿とダール神殿は共に王都に本殿がある関係で、日帰りで参加することが可能だった。それならば、二人が同時に神殿を空けたところで問題はないだろう。
三神殿、都合六人分の視線を浴びながら、ミレニアはプロメト神殿長に続いて用意された席へと向かう。特に、今回新たに筆頭司祭となったミレニアに対しては、好奇の視線が寄せられていた。
だが、前を歩くプロメト神殿長はもちろんのこと、ミレニアもこの程度の視線で動揺するような初心さはない。こういった場面では、彼女の若く見える外見がマイナスに作用することは承知しているが、それで卑屈になる必要もないだろう。ミレニアは実に堂々とした態度で席に着いた。その態度に、視線の主の幾人かが納得した表情を浮かべる。
彼女たちが到着してからそう時を待たずに、残る三神殿の神殿長が随員を連れて会議室へ姿を現した。水神フェリネ、風神エネロープ、光神ダールの順で現れた彼らは、すでに席についている面々に軽く会釈をすると、自らの席に腰掛けた。
もし神殿派に対して人的被害を与えたいのであれば、今この瞬間を狙うのが一番だろう。ミレニアがそう考えてしまうくらいには、神殿派の大物が集結していた。彼らの多くは無駄口を叩くこともなく、ただ静かに座して、会議が始まる時を待っていた。
そんな中で、開催地たるダール神殿長が口を開いた。もう齢は七十を越えるはずだが、未だその動きに衰えはない。そしてその声もまた、七大神殿の代表とされるダール神殿の長として相応しい、深みのある声だった。
「さて、全員が揃ったようですので、今年の神殿長会議を始めるとしましょうかな」
少しくだけた開会の言葉だったが、それに対して不満を口にする者はいない。彼は神殿派の長老であり、その権勢も非常に強い。わざわざそんなところでちょっかいを掛けたがる者など、この会議室には存在しない。
「さて、本日の主だった議題じゃが……」
ここ最近の大きな事件や世情等に対して、神殿派としてはどう考え、どう対応するか。共同で対処すべき事案はないか。そんなことを協議するのが、神殿長会議の主な目的だった。
ダール神殿長は書類に書いている議題を一通り読み上げると、意味ありげな視線でこちらを見てから、口を開いた。
「……議題は以上じゃが、各神殿で他に会議にかけるべき事項がある場合には、最後に時間を設けるゆえ、そこで提議をお願いする」
会議は始まったばかりだった。
◆◆◆
神殿長会議が始まって何時間が経過しただろうか。会議はすでに当初の議題についての協議を終え、各神殿が懸案事項等を協議する時間となっていた。
「……という訳で、メルハイム帝国の動きがどうも妙だ。ガレオン神殿に訪れる来殿者を見ても、兵士や騎士の割合が明らかに増加しており、非常にきな臭い。そこで真相を究明するために同胞の協力を仰ぎたい」
現在、口を開いているのは、精力的、という言葉がよく似合うガレオン神殿長だった。もう五十はとっくに越えているはずだが、その動きに年齢の衰えは感じられなかった。
彼の言うメルハイム帝国とは、このダール神殿やクルシス神殿があるクローディア王国の隣国だが、最近不穏な動きを見せているという。だが、その事実に危機感を持っているのは、ガレオン神殿だけのようだった。
「ガレオン神殿はメルハイム帝国に本殿を置いているのですから、もう少し踏み込んだ調査をなさってはいかがですか? ガレオン神殿よりかの帝国に詳しい神殿などありませんもの」
そこへ言葉を投げかけたのは、水神フェリネの神殿長だった。彼女は『フェリネの巫女』として有名な存在であり、もう六十に手が届きそうな年齢ながらも、彼女の名を高めた特技「水質操作」は未だ健在だ。
彼女は穏やかな微笑みを浮かべているが、その内容はガレオン神殿に対する皮肉に聞こえなくもない。
「我々は貴族に取り入るような権謀術数は苦手でな。ぜひ御指南願いたいものだ」
対して、ガレオン神殿長も遠回しにフェリネ神殿の体質を指摘する。ガレオン神殿とて帝国政府とのパイプがないわけではないが、各国の貴族に対して人気があるフェリネ神殿ほどではない。そこを皮肉ったものだろう。
「どのような身分の方であっても、神を敬う心こそが大切なのではありませんか?」
相変わらず穏やかに、フェリネ神殿長が反論する。それを受けて再度言い返そうとするガレオン神殿長だったが、彼が口を開くより前に、別の声が響いた。
「どうやら今の段階では、具体的な対応についての協議は難しいようじゃな。各神殿は詳しい情報が入り次第、他の神殿に情報提供をしてもらいたい」
このままではただの皮肉の応酬になると判断したのだろう、ダール神殿長が話をまとめにかかる。まとめたと言うよりは棚上げしたようなものだが、あのまま話が進むよりは建設的だろう。
そんなことを考えながら、ミレニアはこっそりため息をついた。先刻から、ちょくちょくこのような状況が発生しているのだ。神殿派全体の問題はともかく、特定の神殿を利したり、逆に負担を強いる案件は荒れることが多いようだった。
先ほどのガレオン神殿の話にしても、本殿がかの国に存在する彼らはともかく、他の神殿からすると対岸の火事……いや対岸の火の用心程度の認識でしかない。
そんな案件のために、自神殿が人やモノ、資金を融通する羽目になることは避けたい。そういった思惑が、この話だけではなく至るところで見受けられるのだった。
「さて、他に提起する議題を持っている神殿はあるかの?」
一区切りついたと判断したのか、ダール神殿長がそれぞれの神殿長に視線を送る。
――そろそろかしら?
ミレニアがそう思うのと、プロメト神殿長が口を開いたのはほぼ同時だった。
「……よろしいかな。クルシス神殿からも、一つ提議することがありまして……」
プロメト神殿長の、大きくはないがはっきりした声が会議室を満たした。他の神殿長たちが、一斉に彼の方を見る。その視線を受けて、プロメト神殿長は静かに立ち上がった。
神殿派としての協議はあらかた終えたものの、クルシス神殿にとっての神殿長会議はこれから始まろうとしていた。