卒業
【ノルヴィス神学校生 カナメ・モリモト】
「それじゃカナメ、預かっていた魔法球を返すわね」
ベルゼット副神殿長に対する処分が発表された翌日。俺は、クルネたちのパーティーが泊まっている宿屋を訪れていた。理由はもちろん、証拠資料の複製として用意した魔法球を返してもらうためだ。
「ああ、たしかに受け取った」
俺は手渡された皮袋の中に、魔法球が六個入っていることを確認すると、クルネに頷きを返した。中に入っているデータはミルティに消去してもらって、早いところ魔法研究所に返してしまおう。
そんなことを考えていると、グラムが声をかけてきた。
「……ところでカナメ。あの時、『聖女』に治癒魔法をかけてもらった代金はどうした?」
「え?」
一瞬なんのことか分からなかった俺は、なんとも間の抜けた返事をしてしまった。ひょっとしてあれかな、代金を肩代わりしようとしてくれてるんだろうか。そう思っている間に、今度はノクトが口を開いた。
「あれだけの重傷を、しかも『聖女』に治してもらったんだぜ? さぞかしお布施も高かったんだろう?」
そう言うノクトの顔は実に楽しそうだった。たぶんこの人、いろんな情報を集めることが好きなんだろうな。その目は「幾ら払ったんだ?」と露骨に聞いていた。
「いえ、彼女は神学校の同級生でしたから、特にお金は払っていませんが……」
「なんだと!?」
俺の答えが意外だったのか、ノクトは目を丸くしていた。どうやら、クルネはその辺のことを仲間に話してなかったみたいだな。個人情報だと思って黙っていてくれたんだろうか?
「なんだ、知り合いだったのかよ。どうして『聖女』があんなに献身的に付き添ってくれるのかと思ったら、そういうことか」
ノクトは何か納得した様子だった。そして、俺を見てニヤリと笑う。
「さすが色男は違うな。『聖女』に無料で奉仕させるとは」
「ノクトさん、さすがにその表現はどうかと思いますよ……」
ノクトの言葉を流しきれず、俺は半眼でツッコミを入れた。だが、それを気にした様子もなくノクトは言葉を続ける。
「しかし、あの『聖女』ちゃんも大変だな。無料で魔法を使用させられるわ、変な噂話は立てられるわ……」
ノクトはそう言うと、クルネにからかい半分といった視線を向けた。
……ああ、あの噂話のことか。何のことか思い当たった俺は、ついノクトと同じような視線を彼女に向けてしまう。
「ノクトうるさい。……あと、カナメも」
すると、それまで黙っていたクルネが、少し拗ねたように口を開いた。その顔が赤くなっているのは気のせいではないだろう。
「いいじゃねえか。お前さんは今や、この街の女どもに大人気なんだぜ? ……まあ、誰もクルネが女だとは思っちゃいねえだろうがな」
そう言ってノクトは笑った。
そうなのだ。一か月前のあの時、クルネがミュスカを抱き上げて、王都を全力疾走しているところを目撃した人間がいたらしく、そこから妙な噂が流れ始めたのだ。
なんでも、「『聖女』に恋い焦がれるあまり、彼女を教会から拐った男が夜の王都を跳び回っていた」らしい。神学校でその噂を聞いた時には何のことかと思ったが、蓋を開けてみればなんということはない。クルネとミュスカのことだったのだ。
ミュスカは少し前のパレードで顔が売れていたからな。顔を知っている人間が彼女を見れば、本人とは思わないまでも『聖女』様っぽい人とは認識することだろう。そこへ、そんな彼女を抱いてあり得ない速度と跳躍力で疾走する人影。……空想好きにはたまらない展開だろう。
おかげで、クルネは「『聖女』を拐った情熱的な男」として、王都のロマンチストな女性たちに空前の大人気なのだ。ひょっとすると、大衆演劇の演目にされる日も近いかもしれない。
しかし、当のクルネは複雑な気分のようだった。まあ、性別レベルで改変されてるからなぁ……。さすがにかける言葉がない。だが、そんな中でもノクトは勇者だった。
「まあそう落ち込むなって。中には『男装の麗人が聖女を拐った』って説を全力で推してる奴もいるんだぜ? これなんか真実に近いんじゃねえか?」
「男じゃないし、男装もしてないわよ……」
どうやら、クルネは完全に拗ねてしまったようだった。ぷい、とそっぽを向く彼女を見て、さすがのノクトもやりすぎたと思ったらしい。彼女に謝ると、露骨に話題を変えた。
「と、ところでよ。クルシス神殿は大丈夫なのか? 今のところ、あの副神殿長のことがそんなに噂になってるわけじゃないようだが」
それはあまりにも分かりやすい話題転換だったが、ここでノクトを見捨てるのも忍びない。俺は彼の問いに答えることにした。
「一般市民に与える影響は、かなり小さいレベルにとどめることができたと思います。ですが、統督教内部でどうなったかは分かりませんね……」
俺の言葉に、ノクトが不必要なほど力強く頷く。その様子に思わず笑いながら、俺は言葉を続ける。
「まあ、近いうちにクルシス神殿を訪れるつもりでいますからね。その時に確認できればいいな、とは思っています」
内情をどこまで教えてくれるかは疑わしいが、俺はどのみちクルシス神殿へ行かなければならないのだ。なんせ、今の段階ではまだ神殿訪問をしただけだからな。正式にクルシス神殿に帰属したい旨の申し出をしておく必要があった。
「そうか、気をつけてな」
「ええ、ありがとうございます」
俺はそう言うと、今頃は大忙しであろうクルシス神殿の様子を思い浮かべた。たしか筆頭司祭もいないと言っていたが、プロメト神殿長は無事に業務を回すことができるんだろうか。
少し人生に疲れた感のある神殿長の顔を思い出しながら、俺は今後のことを考えるのだった。
◆◆◆
結局、俺がクルシス神殿を訪れたのは、例の公式発表があってから十日以上過ぎた頃だった。そこまで噂になっていないとはいえ、例の処分を発表した直後のクルシス神殿は大騒ぎだったことだろう。さすがに、そんなところへ顔を出すのは申し訳なかった。
受付で、卒業後はこの神殿に所属したい旨を伝えた俺は、いつぞやの応接室へ通されていた。まず部屋の絨毯を確認してしまうのはご愛嬌だ。
そうしてどれほど待っただろうか。応接室の扉がノックされた。
「やはり君でしたか。お久しぶりですね」
扉を開けて入ってきたのは、以前にこの神殿を案内してくれたテイラーさんだった。彼は、相変わらず人好きのする笑みを浮かべると、俺に話しかける。
「遅くなってすみません。……君も知っているでしょうが、今のクルシス神殿は少しばかり混乱しています。本神殿の副神殿長が解任・追放されるなんて、ここ数十年はなかった話ですからね。
しかも、うちには筆頭司祭がいません。プロメト神殿長が三人分の仕事をお一人でこなしているようなものなのですよ」
テイラーさんの言葉に、俺は黙って頷いた。やっぱり影響なしとはいかなかったか。プロメト神殿長、過労死したりしないだろうな。なんだか心配になってきたぞ。
「今では多少マシになりましたが、そんな事情のため、クルシス神殿の幹部級はほとんどが出払っています。
これは、貴方が信仰する神を定める重要な話ですし、本来であればせめて司祭級の人間が対応するべきところですが、いささか調整に時間がかかりそうなのです」
そう言うテイラーさん自身も、少し疲労がたまっているようだった。目の下が少し落ち窪んでいるように見える。
「お忙しい時にお伺いしてしまって、申し訳ありませんでした」
俺はそう言うと頭を下げた。一般来殿者が訪れることのできる範囲では、あまりバタバタしている気配はなかったんだけど、やっぱり内部は大変なんだなぁ。
マーカス先生に「そろそろ神殿に対して意思表示をしておかないと間に合いませんよ」と言われたこともあって来てみたんだけど、ちょっと早まったかな。
「私は、クルシス神にお仕えしたいという意思をお伝えできれば、それだけで充分です。もしよろしければ、テイラー助祭からその旨をご担当の方へお伝え願えませんか?」
俺の言葉を聞いたテイラーさんは少し戸惑った様子だった。そんなに重要イベントなんだろうか、これ。別にカットしてくれていいんだけどなぁ。
俺がそんな罰当たりなことを考えていると、応接室の扉がノックされた。
「……失礼する」
「神殿長!?」
テイラーさんが扉を開けると、そこに立っていたのはプロメト神殿長だった。今、この神殿で一番忙しい人じゃないか。いったいどうしたんだろうか。
「テイラー助祭、話は聞いたよ。後は私が引き継ごう」
え? どうしてそうなるんだ? 俺の目が点になった。
「ですが神殿長、ご予定の方は大丈夫なのですか?」
プロメト神殿長の言葉に驚いたのは俺だけではなかったようだ。テイラーさんが目を丸くしながら話している。神殿長はテイラーさんの肩をぽんと叩くと、口を開いた。
「それについては問題ない。それよりもテイラー君、受付を手伝いに行ってもらえないか。いささか混雑しているようだ」
「わ、分かりました。……それではカナメ君、僕は失礼するよ。また会おう」
テイラーさんはそう答えると、驚いた表情のまま部屋を出て行った。その扉が閉まるのを待って、プロメト神殿長は口を開く。
「さて、カナメ・モリモト君だったね」
「はい」
俺は正面からプロメト神殿長の顔を見た。やはり疲労困憊しているのだろう。ただでさえ細めの顔立ちが、げっそり痩せているように見える。だが、その瞳だけは以前よりも力を増しているように見えた。
「君の用件は聞かせてもらったよ。共にクルシス神に仕えたいという君の意思を嬉しく思う。私たちは君を歓迎する」
その言葉に、俺はほっとした。例えリップサービスだとしても、そう言われるのは嬉しいものだ。
だが、神殿長の言葉はそれだけでは終わらなかった。
「……さて、それとは全く別次元の話なのだが、一つ君に教えてもらいたいことがある。……率直に言わせてもらうが、ベルゼット副神殿長が重傷を負わせた男性というのは君のことだね?」
「……はい」
正直に言えば、俺は神殿長の言葉に驚いていた。神殿派の情報網を使って調べれば、俺の名前だって出てこないことはないだろうが、その被害者の名前を見ただけで、俺のことだとピンとくるものだろうか。
神殿長ともなれば、会う人の数も多いはず。たかだか神学校生の名前まで憶えているとは思えなかった。
「ベルゼット副神殿長――いや、もう副神殿長ではないが、収監された彼に会いに行った折に、君の存在を伝えられたのだよ」
「そうでしたか」
俺は神殿長の出方を見るため、最小限の言葉だけを口にした。プロメト神殿長はそんな俺の顔をしばらく見つめると、少し力のこもった声で問いかけてくる。
「君は最初から、ベルゼットが合法麻薬に手を出していることを知っていたのかね? このことが明るみに出ると、ベルゼットに懐いていた者たちは、君のことを敵視する可能性がある。君の安全を確保するためにも、本当のところを教えてくれないか」
どうやら神殿長は、俺が都合よくクルシス神殿に現れ、ベルゼットの捕縛に一役買ったことを疑っているようだった。他の宗派の回し者だと考えているのかもしれない。だとしたら、ちょっと面倒なことになるな。
「いいえ、全く知りませんでした。そもそもの経過を申し上げますと、私の知人に冒険者稼業をしている者がおりまして、彼女たちのパーティーに対して、ベルゼット元副神殿長の身辺調査が依頼されていたのです」
俺は少し突っ込んだ説明をした。クルネたちのパーティーと、どこまで話していいかというラインは決めてある。
さすがに相手がどこぞの宗派の建物に入っていっただとか、たくさん魔法球を用意できる実力者だとか、そんなことまで言う訳にはいかないが、それでもある程度の情報開示は必要だろう。
プロメト神殿長に口を開くつもりがないことを確認すると、俺は言葉を続けた。
「そして、私が知人に会うために、彼女が泊まっている宿屋を訪れていたところ、偶然にもベルゼット元副神殿長が襲撃をかけてきたのです」
それは嘘ではなかった。俺はベルゼットと向かい合うつもりなんて一ミリもなかったのだから。それに、と俺は続ける。
「プロメト神殿長が覚えておいでか分かりませんが、以前にも申し上げました通り、私の目標は辺境に神殿を建立することです。
……こう申し上げてはなんですが、ベルゼット元副神殿長は、クルシス神殿の発言力の向上に一役も二役も買っていたお方だったと記憶しております。そのため、辺境への神殿建立に際しては、是非ともお力添えを頂きたいと思っていたところですので、正直なところを申し上げれば、残念でなりません」
俺はそう言うと、心から残念そうな表情を浮かべた。特に最後の言葉は、本当にそう思えただけに、リアルな残念さが醸し出せたんじゃないだろうか。
プロメト神殿長はしばらく俺の顔を見続けていたかと思うと、ふいに視線を柔らかいものへと切り替えた。その分疲れた表情が前面に出てきた気もするが、そこは指摘するまい。
「そうか。たしかに、君が辺境に神殿を建立したいと言っていたのは覚えている」
そう言うと、神殿長は言葉を切った。俺は黙って言葉の続きを待つ。
「……だが、今回の一件によって、クルシス神殿という組織の弱体化は避けられないだろう。君が言った通りベルゼット元副神殿長の貢献は大きかった。それだけに失ったものも大きい。
場合によっては、辺境に神殿を建立するという君の目標にも支障が出かねない。それでも、君はこのクルシス神殿を選ぶというのかな?」
「――はい」
俺は迷わずそう答えた。やはり、他宗派の人間に対してもオープンな姿勢でいるクルシス神殿は、俺の目的からすればベストだった。
それに自分で言うのもなんだけど、俺の転職能力を前面に押し出せば、ベルゼット元副神殿長が抜けた穴もそこそこ埋められると思うんだよね。今の段階でそのことをバラすつもりはないけど、勤め出したら早い段階で提案したほうがよさそうだな。
そんなことを考えていると、しばらく無言だった神殿長が重々しく口を開いた。
「なるほど、了解した。……それでは、カナメ・モリモト君。改めて君を歓迎しよう。君が神学校を卒業し、我々の同胞となってくれることを私は嬉しく思う。我らの道行きにクルシス神の加護があらんことを」
そう言って、プロメト神殿長はクルシス神の聖印を切った。俺もそれに合わせて、ぎこちない様子で聖印を切る。……あれ? 神学校で教わったやつと微妙に違う気がするなぁ。神殿に勤めるようになれば、ちゃんとできるようになるんだろうか。信心ゼロなのは仕方ないから、せめて形くらいはしっかりできるようになっておきたいな。
俺はそんな微妙な決意を胸に秘めて神殿長に別れを告げると、クルシス神殿を後にしたのだった。
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【ノルヴィス神学校教諭 マーカス・アルテイン】
「早いものですね、もう卒業ですか」
まだ早朝の神学校の教員室で物思いにふけっていたマーカスは、同僚のセナの声で我に返った。彼女は相変わらず勘がいい。人が考えていることをズバズバ当ててくるな、そんなことを考えながら、マーカスは口を開いた。
「まったくですよ」
そう、本当にあっという間だった。今までに持ったクラスの中で一番人数の少ないクラスだったというのに、この一年で、あまりにも多くのことが起こりすぎた。それらの対応に追われるうち一年が過ぎてしまったというのが、マーカスの正直な感想だった。
振り返ってみれば、初日の神々の遊戯に始まり、モンスター討伐遠征に聖女認定、ねじくれたお家騒動や革新的な論文による神学会の紛糾、本神殿副神殿長追放への関与など、通常ではあり得ない事案ばかりが思い出される。
そして生徒たちは知らないだろうが、実はそういった事件があった場合、大抵はマーカスが何かしらの後処理をしているのだ。それが嫌だとは思わないが、こうも生徒の後処理に奔走し続けるのは初めての経験だった。
だがやはり、その中でも気掛かりなのはカナメのことだ。彼は禁忌に近づきつつある上に、よりによってクルシス神に仕える道を選んでしまった。それは、考えようによっては好ましくない組み合わせだった。
もちろん、それはあくまで一方的な見解だ。彼が下した結論に、自分のエゴを押し付ける訳にはいかなかった。それに、例え困難に見舞われたとしても、彼ならば何とかなるのではないか。そう考えてしまうくらいには、マーカスはカナメを評価していた。
「……万が一の時には、せめて私に相談してほしいものですね」
マーカスの呟きを聞いたセナが不思議そうな顔をする。それに構わず、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口すすると、マーカスは教員室の天井を見上げるのだった。
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【ノルヴィス神学校生 カナメ・モリモト】
「――君たちの今後の活躍に期待しておる」
神学校の卒業式は、意外とあっさりしたものだった。入学式のように四大派閥の代表が列席するわけでもなく、ミゲル学校長からお祝いの言葉や激励をもらうと、厳かに式は終了した。
どちらかというと、卒業式の方が偉い人が来そうなイメージがあるんだけど、そのあたりにも統督教ならではの理由があるんだろうか。
ひょっとすると、もう進路の決まった神学校生が相手では勧誘のうまみがないとか、そういう現実的な理由で列席していないのかもしれないけどね。そんなことを考えながら、俺は一年ほどお世話になった教室へ足を向けた。
「この廊下を歩くのも今日で最後だね」
後ろから声をかけてきたのはフレディだった。その言葉からすると、けっこうしんみりしているのかもしれない。
フレディは予想通り、光神ダールに仕える道を選んだ。それは、誰もが納得する選択だった。ただ、俺の個人的な感想では、フレディは一般的なダール神の神官とはどこか毛色が異なっている気がするんだよねぇ。それがフレディの今後にどう影響するのか分からないけど、彼にとっていい方に発現するといいな。
そんなことを考えながらフレディと歩いていると、俺たちはやがて、前を歩いていたエディを追い越した。今度は何を考えているのか、自分の爪先のあたりに視線を固定したまま、エディは機械的に歩いていた。
「エディ、危ないぞ」
「……む? ああ、君たちか」
フレディがそう声をかけると、エディはようやく俺たちの存在に気がついたようだった。彼は相変わらず、自分の研究一筋だ。数か月前にセンセーショナルな論文を発表したことにより、神学会で大論争が巻き起こったらしいが、エディはどこ吹く風だった。
そのせいか、他の宗派から宗派替えの勧誘も受けていたようだが、その際に「一番質のいい資料を用意できるのは教会だ」という、身も蓋も、ついでに信仰心もない台詞を言い放ったのは有名な話になっていた。
そんなエディも合わせ、俺たち三人はじきに教室に着いた。俺はためらいなく扉を開く。
「おお、遅かったやないか」
そこにいたのは、卒業式では姿を見なかった男、コルネリオだった。彼だけが卒業式にいなかった理由は、至ってシンプルなものだ。
「コルネリオ君。遅かったと君は言うが、留年して最初から卒業式にいなかった君に比べれば、誰だって遅くなるというものだ」
……あ。エディ、容赦ないな。まあエディにとっては、気分を害したとかそういうのじゃなくて、単にいつも通り返事してるだけなんだろうけど、ちょっとだけコルネリオがかわいそうになったぞ。
そう、コルネリオはばっちり留年したのだった。なんでも単位が足りなかったらしい。コルネリオはこの王都で小さな商いに手を出したらしく、俺たち特待生仲間はそれが留年の原因だと確信している。
けどまあ、本人の人生だし、あたたかく見守ろう。……ただし金は貸さない範囲で。それが俺たちの結論だった。
そんな話でワイワイやっていると、教室の扉が開く音がした。そちらへ視線をやると、ミュスカ、セレーネ、ミンの三人が仲良く戻ってきたところだった。そして、一拍遅れてシュミットが扉から入ってくる。
入ってきたメンバーのうち、セレーネを除く三人は教会派に所属することになっていた。まあ、ミンとシュミットは元から教会派に傾倒していたから何の不思議もないし、ミュスカは信仰以前に、もはや宗派替えができるような立場じゃないもんな。
『聖女』が別の宗派に鞍替えするなんてことになったら大事件だ。下手をすれば、命の危険だってある気がする。
「そしたらみんな、注目してや!」
そんなことを考えていた俺は、コルネリオの声で現実に引き戻された。特待生全員の視線が彼に集中する。
「前々から言うてた通り、今日はみんなの卒業記念にパーッとやろうやないか! 場所はもう押さえとる。暮れ六つの鐘までに『金の鍋亭』に集合や。もし場所が分からへんかったら俺が案内するわ」
コルネリオはそう言うと、俺たちを見回した。特に反対意見がないことを確認すると、楽しそうに笑う。
「やっぱりこういうイベントは外せへんな!」
唯一の留年生が卒業イベントを仕切るというのも何だかシュールだが、本人が楽しいならそれが一番だろう。結局、俺たちはぞろぞろと連れ立って『金の鍋亭』に向かうことになったのだった。
◆◆◆
「ほな、みんなの卒業と俺の留年を祝して!」
「乾杯!」
コルネリオの微妙な呼びかけに唱和して、みんなのグラスが掲げられた。ちなみに、ほとんどのグラスには本物の酒が入っている。聖職者の集団がいいのか、と思わなくもないのだが、聞けば酒の類を禁止している宗派はそう多くないようだった。
教会派の一部や伝承派のいくつかの宗派を除けば、飲酒自体を咎めるところは少ないらしい。神殿派に至っては、酒を司る神が眷属神にいるくらいであり、そこの神官は酒に強いことが絶対条件だという。
その流れからか、酒に厳しい戒律を持つ神殿派は非常に稀だった。
もちろん痛飲するのは問題外だが、要は世間から白眼視されなければいいわけだ。念のために、今日は『金の鍋亭』の個室をとっているし、適度に飲む分には問題ないだろう。ミュスカとミンの二人はアルコールには手を出していないが、幸いなことに他者の飲酒を咎めるつもりはないようだった。
「カナメ君、この一年間本当にお世話になった。ありがとう」
酒肴として出された燻製に舌鼓を打っていると、向かいに座っているフレディが声をかけてきた。そんな照れくさい台詞をためらいもなく口にするとは、ひょっとしてもう酔っ払ってるんだろうか。……と思ったけど、よく考えたらフレディは元々そういうやつだったか。
「それは俺の台詞だよ。本当に感謝してる。……まあ、フレディも俺も神殿派なんだから、また会う機会はあるよな」
「そうだね、統督教レベルでの会議はともかく、神殿派の会議や祭事、打ち合わせなんかで会う機会はあるかもしれないね。……そうだ、どうせなら、数十年後に神殿長会議で会うというのはどうだい?」
あれ? フレディ、本当に酔っ払ってるのかな。彼の言葉に、俺は少しだけ驚いた。フレディって、神殿内での出世がどうとか、そういった話題を意図的に避けてるような印象を受けてたんだけどな。その言葉が本気なのか、それとも酒の勢いなのか判断がつきかねた俺は、曖昧な答えを返した。
「それまでの数十年、俺に会わずに過ごすつもりなのか? それはちょっと冷たいだろ」
「あはは、それはそうだね」
俺の答えを聞いたフレディは陽気に笑った。うん、やっぱり少し酔ってるな。俺が密かにそんな診断を下していると、隣に座っていたミュスカから声をかけられた。
「カナメ君……違う宗派になったら、もう会えないんですか……?」
俺とフレディの会話が聞こえていたのだろうか、ミュスカはなんだか寂しそうな顔をしていた。それを見た俺は、慌てて首を横に振る。
「そんなことないさ。別に神殿から一歩も出ない生活をするわけじゃないし、普通の勤め人と同じようなものだと思うぞ」
「……そう、ですか……」
俺の言葉を聞いたミュスカは何か考え込んでいるようだった。しまったな、つい「普通の勤め人と同じ」なんて言っちゃったけど、さすがに不信心すぎたかな。
「それに、卒業するっていっても、みんなしばらくの間は王都にいるわけだしな。会おうと思えばいつでも会えるさ」
そうなのだ。当初は卒業イコール今生の別れ、みたいなイメージでいたんだけど、聞けばみんな当分の間は王都に留まるらしい。なんせ神学校卒とはいえ、俺たちは神殿や教会に入りたての新米だ。そんなひよっこの面倒を見る余裕など、大きい宗派施設にしかあるはずがなかった。
この場合、教会派は王都にある本教会に集められるし、神殿派はそれぞれの本神殿に集められる。そしてたまたま、俺たち神殿派の三人は、ダール神殿とクルシス神殿という、王都に本神殿があるところを選んだため、結果的に全員が王都に残ることになったのだった。……あと、留年したコルネリオも当然王都だしな。
「大丈夫よミュスカ、いくら『聖女』だからって、一切の自由が与えられない訳じゃないでしょう? ほら、転職の『聖女』様なんかは、けっこう自由に歩き回っているって聞いたわよ?」
何やら落ち込んだ様子のミュスカに対して、いつの間にか会話に参加してきたセレーネが励ましの言葉を送る。……そうなのか、転職の『聖女』って意外と暇なんだな。
「……そう、ですか……?」
セレーネの言葉に、ミュスカが少し顔を上げた。
「『聖騎士』様なんかはハードワークだって聞くけど、私の情報網によると、彼女は好きで仕事を詰め込んでいるみたいよ。特殊な事例じゃないかしら。……だから大丈夫よミュスカ、デートの時間くらいはもらえるわ」
「ひゃ……!?」
おい、なんかミュスカから変な声が出たぞ。彼女にそんな声を出させた犯人は、俺を見ると悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「私もカナメ君と同じクルシス神殿に勤めるんだし、任せてちょうだい」
……そう。なぜかセレーネは、俺と同じくクルシス神殿に所属することを選んだのだった。彼女は「同級生がいるから」なんて安易な理由で所属先を決める人間ではないし、その判断理由が気になって仕方がないのは事実だった。
以前に、コルネリオがストレートに理由を尋ねたことがあったのだが、その時の彼女の答えは「不祥事を起こした神殿へ行ったら、面白い顔をしそうな人たちがいるのよ」というよく分からないものだった。まあ、さすがにそれだけが全てじゃないだろうが……
俺だってクルシス神殿を選んだ本当の理由を誰にも話していないし、別に人の事情を詮索しようとは思わないからいいんだけどね。
「ちょっとあなた達、何を内緒話してるのよ?」
「うぉ!?」
後ろから声をかけられるという予想外の展開に、俺は思わず声を上げてしまった。振り向けば、少し遠くに座っていたはずのミンがグラスを持ってこっちへ出張してきていた。
「なんだか気になるから、つい来ちゃったじゃない」
来ちゃったじゃない、ときたか。このフットワークの軽さ、間違いなくミンは酔ってるな。真面目で神経質気味な彼女がこんなにノリノリになるはずがない。……というか、酒は飲まないって言ってなかったっけ?
俺がそんなことを考えている間に、ミンはミュスカの椅子の背にもたれかかった。
「ねえミュスカ~?」
そして、その姿勢のままでミュスカに話しかける。
「……あれ?」
だが、返事はない。どうしたのかとミュスカの方に視線を向けると――。
「……すぅ……」
ミュスカはいつの間にか眠っていた。よく見ると、彼女の近くに俺のグラスが置いてある。……ひょっとして、間違えて飲んでしまったんだろうか。
「あら、ミュスカはお酒が入ると寝ちゃうタイプなのね」
セレーネも同じことを考えたのか、そんなことを呟く。そして意味ありげな瞳で俺を見る。
「カナメ君、ちゃんと覚えておくのよ?」
「セレーネ、俺たちは一応聖職者なんだが、その辺は分かってるか……?」
俺がそう言うと、セレーネは微笑みと共に口を開いた。
「あら、仕事とのケジメはつけるわよ」
そういう問題なのか……? それに、思いっきりセレーネの本音が聞こえたな。予想はしてたけど、やっぱり彼女は職業宗教家の方だったか。あんまり信心深くは見えないもんなぁ。俺としてはありがたいけど、そうなると余計に彼女がクルシス神殿を選んだ理由が気になるな。
そんなことを考えながら、俺はミュスカが起きた時のために、水差しをもらおうと個室の扉を開けて廊下へ出た。通りがかった店員をつかまえて水差しをもらうと、そのまま部屋へ戻ろうとする。
と、廊下の角を曲がった瞬間。俺の目の前にはシュミットが立っていた。突然のことに、俺は一瞬固まった。
「……カナメ。一つ確認させろ」
その硬直を破ったのはシュミットの方だった。その様子からすると、どうやら最初から俺と話をするつもりだったようだ。奴はいつになく真面目な顔をしていた。
「なんだ?」
「例の約束の有効期限はいつまでだ」
なんのことだ。そう言おうとした俺は、何とか寸前で踏みとどまった。……そうか、言われてみれば一つの区切りなんだよな。
「それはお互いに普通の同級生の『フリをする』という話のことだな?」
「当たり前だ」
シュミットの返答を確認した俺は、すぐに答えを返した。
「端的に言えば、『死ぬまで』だ」
だが、俺の答えを聞いても、シュミットに驚いた様子はなかった。俺は言葉を続ける。
「……神学校を卒業した以上、今後俺たちが接触する機会はほとんどない。だが、俺たちがいがみ合っているのがバレた場合、宗派間の和を貴ぶ統督教幹部が、俺たちをどう評価するかは目に見えている」
「ふん……そう言うだろうと思っていた」
シュミットから返ってきたのは、肯定的な返事だった。どうやら、これ以上語る必要はなさそうだな。俺たちは同時に溜息をつくと、同級生のいる個室へと戻った。すると、
「なんや自分ら、仲良う帰ってきて」
「ちょっと、二人ともどこ行ってたのよ」
「お酒は……思考を……鈍ら…………ぐう」
「最後はみんなで仲良くやろうよ」
「すぅ……すぅ……」
「本当に無防備ねぇ……チャンスは今よ?」
部屋へ戻った俺とシュミットを、みんなが出迎えてくれる。その光景を見た俺は、思わず顔が弛んだ。
……もうこの面子も見納めかと思うと、多少寂しい気がするなぁ。もう少しだけ、こんな感じでみんなとワイワイやっていたいな。
そんなことを思いながら、俺は椅子に座り直したのだった。