届出
【ノルヴィス神学校生 カナメ・モリモト】
ベルゼット副神殿長を捕まえた翌朝。俺は、宿屋の食堂でなんとはなしに時間を潰していた。なぜなら、クルネ達のパーティーが泊まっている部屋で、彼らとその依頼主が今後の方針について協議しているからだった。
俺も当事者と言えなくもないのだが、それはあくまで俺やパーティー側の事情だ。依頼主からしてみれば、部外者と接触を持つような事はしたくないだろう。
そんなことを考えながら、俺がコーヒーをちびちび飲んでいると、二階へ続く階段からクルネが顔を出した。
「カナメ、もういいわよ」
俺はその言葉に驚いた。来た時もそうだったのだが、俺は依頼主とやらが帰るところを目にした記憶がなかったのだ。依頼主は気配を消す魔道具を持っているとノクトが言っていたが、どうやら本当だったらしい。
俺はすぐ立ち上がると、クルネが顔を覗かせていた階段を上がり、彼らの部屋へと入る。
「どうなりましたか?」
俺は部屋に入るなり、リーダーのアルミードと、参謀役のマイセンに向かって問いかけた。俺は本来なら部外者だが、事ここに至っては、さすがにそんなことを指摘する人間はいなかった。
というか、どうも彼らは俺に重傷を負わせたことを気にしている様子で、俺に対して少し遠慮している印象すらあったのだ。
「証拠書類一式については、僕らの判断で統督教のいずれかの宗派に届け出る。ベルゼットは、君に対する殺人未遂を理由に、衛兵に預けることになった」
そう答えたのはアルミードだった。個人的には俺を嫌っているんだろうけど、こういう時はリーダーとして一応喋ってくれるんだよね。これはリーダーとしてのプライドなんだろうか。
「そうしてベルゼットが収監されている間に、あの合法麻薬に関する統督教の制裁が決定され、彼は晴れて社会的身分を失うという筋書きですね」
マイセンがアルミードの説明に補足を入れる。なるほど、そういう流れか。ということは、俺はそろそろベルゼットに魔法剣士の固有職を戻しておかないとまずそうだな。
俺はそれを忘れないよう頭に叩き込むと、続いてもう一つ重要な質問を口にした。
「ところで、どちらの宗派組織に届け出るご予定ですか?」
そう言いながら、俺は視線をグラムに向けた。なぜなら、彼はこのパーティーで唯一の聖職者の位階持ちだ。彼の意見が重要視される可能性は高かった。
クルネから聞いたところによると、グラムは伝承派に属しているらしい。そして、彼の師匠たるガライオス先生はれっきとした教会派だ。ということは、届け出先はその二派のどちらかになる可能性が高い。
個人的には、ベルゼットの行いを教会派に届け出るのだけは勘弁してほしかった。ただでさえ最大勢力を誇る教会派が、神殿派を大々的に攻撃する大義名分を得てしまうのだ。それは非常にまずい。
教会派の中には他宗派を排除して、オルファス教を再興しようと目論んでいる有力派閥もあると聞く。そんなところへ副神殿長の不祥事の証拠を持っていけば、大喜びで政治的な利用方法を考えるのは間違いなかった。
「……それについては、カナメの意見も、参考にしたい」
だから、グラムがそう言ってくれたことは非常にありがたかった。
「よろしいのですか?」
「……今回の事件は、統督教内の力関係を、大きく崩す可能性がある」
だから、他の人間の意見も聞きたいということだろうか。なんにせよ、これはまたとない機会だった。俺は言葉を選びながら口を開く。
「……私としては、ダール神殿に届け出る事が最良だと思います。グラムさんが仰った通り、これは統督教内のパワーバランスを大きく崩しかねない話です。
神殿派の幹部クラスが統督教通達に逆らって私財を蓄えていたとあれば、クルシス神殿はもちろんのこと、神殿派そのものも大きなダメージを受けるでしょう。
そうなると、今まで神殿派が伝承派、土地神派と手を組んで教会派の独占支配を阻んでいた図式が崩れ去り、教会派が一派で統督教の意思決定を行うことにも繋がりかねません。
教会派の中には、他宗派を排除しオルファス教の再興を目論む有力派閥もあります。もし彼らが台頭するようなことがあれば、千年前の終末戦争が再び起きる可能性も考えなければならないでしょう」
俺はそこまで言うと、一度言葉を切って周囲を見渡した。今のところ、異論のありそうな人間がいないことを確認すると、そのまま話を続ける。
「それならば、同じ神殿派の代表格であり、秩序を司るダール神殿に証拠資料を提出した方が好ましいと思われます。
彼らなら厳格に裁いてくれますし、神殿派内で調査も処分も終えているとなれば、他宗派もあまり突っ込んだ事は言えないでしょう。それが、統督教のパワーバランスを崩さない一番の方策だと考えます」
本当はクルシス神殿に引き渡してもらって、神殿が「自分たちで身内の不正を暴いたよ!」と発表するのが一番ダメージが少ない解決策なんだけど、さすがにそれは通らないだろう。
彼らからすれば、クルシス神殿は敵の根城というイメージしかないだろうからなぁ。そんな正当性のない提案をして、せっかく与えられた俺の発言力を弱める訳にはいかなかった。
「と、私の見解としては以上です。ただし、皆さんもご存知の通り、私は神学校卒業後、クルシス神殿に勤めようと考えています。この見解に偏りがある可能性は否定しません」
そう言うと、俺はみんなを見回した。特に不満そうな顔は見当たらないことに、俺はほっと胸をなで下ろすと、神妙な顔で彼らの言葉を待つ。すると、マイセンが口を開いた。
「元々、私たちにはここへ不正資料を持ち込みたい、というような宗派があるわけではありません。今回の一件に協力してくれた貴方がそう言うのであれば、特に反対するつもりはないのですが……」
マイセンはそこで言葉を切る。すると、それを引き継ぐようにアルミードが口を開いた。
「ダール神殿は信用できるのか?」
彼の言い分はもっともだった。同じ神殿派のダール神殿が、クルシス神殿のために、ひいては神殿派の勢力維持の為に彼らが提出した証拠を握りつぶす可能性を考えないわけにはいかないだろう。
「私自身がダール神殿を訪れた時の感触でいえば、そういった不正を嫌う神官が多いようには見えましたね」
俺は、少し前にダール神殿を見学に訪れた時のことを思い出す。さすがは秩序を貴ぶ神の神殿だけあって、良くも悪くも真面目そうな神官が多いな、というのが正直な感想だった。同級生の真面目なフレディすら、あの中では若干浮くんじゃないかと心配になったくらいだ。
だが、それはあくまで俺の感想であり、根拠としてはあまりにも弱い。そこで俺は言葉を足した。
「それに、心配ならば資料の控えを用意しておけばいいのではありませんか? こちらが控えを残しているという事をダール神殿にちらつかせておけば、迂闊に握りつぶすようなことはできないでしょう。
しかも、皆さんは岩蜥蜴討伐の件で教会にもパイプをお持ちです。そのあたりも仄めかしておけば、より効果的かと」
「ふむ……」
俺の提案に対して、初めに口を開いたのはマイセンだった。
「悪くない提案だと思います。ですが……」
「おいおい、資料の大半は魔法球だぜ? 控えを作ろうにも、あんな高価なモン、そう何個も用意できるわけねえって」
マイセンの言葉に被せるようにして、ノクトが言葉を重ねてきた。彼の言葉に、周囲のみんなが頷く。
「……それについては、心当たりがあります。数日待って頂けませんか? ベルゼットの収監はともかく、資料の届出は今日でなくても構いませんよね?」
「まあ、ベルゼットさえ牢に入れてしまえば、あとは数日以内の行動で充分だとは思いますが……。それでは、カナメさんが控え用の魔法球を調達してくるという事でよろしいですね?」
マイセンの言葉に俺は頷いた。これで話がまとまったな、と安堵する俺に、今度はアルミードが話しかけてきた。
「もし魔法球を調達することができたとしても、中の記録を複製するには魔術師の協力が必要なはずだ。そっちについても手配できるのか?」
「ええ、大丈夫だと思います」
そっちに関しては大丈夫だろう。最悪、俺が自己転職する手もあるし。……あ、でもどういう操作をすればいいのか分からないぞ。やっぱり本職に頼んだほうがいいかなぁ。
そんな事を考えていると、マイセンがぽん、と自分の膝を叩いた。
「分かりました、それでは数日待ちましょう。できるだけ早く連絡をくださいね。……それと、私たちはこれから衛兵の詰所にベルゼットを連れて行きますが、貴方はどうしますか?」
「衛兵詰所の手前まで、ご一緒させてもらってよろしいでしょうか? そこでお別れして神学校へ行こうと思います」
そして、別れ際にでも、ベルゼットに魔法剣士の固有職を戻しておこう。俺はそんなことを考えながら、外へ出る準備をするのだった。
◆◆◆
俺が神学校へ着いたのは、もう昼休みも終わろうかという頃合いだった。特待生の教室の扉をガラッと開くと、中にいる人間の視線が俺に集まる。
「おお、カナメ無事やったんか。無断欠席やわ寮に帰ってきた形跡はないわで、さすがに心配してたとこやで」
最初に声をかけてきたのは、やはりコルネリオだった。俺の返事に、みんなが注目しているのが分かった。
「いや、ちょっとサボっただけというか何というか……。そんな大事になってるとは思わなかったよ」
俺の返事を聞いて、クラスメイトはそれ以上の興味を失ったらしい。視線が離れていくことに俺はほっとした。
「……あの、カナメ君」
そんな中、一人だけ俺に近づいてくる影があった。ミュスカだ。彼女は、他のクラスメイトには聞こえないような小さな声で聞いてくる。
「……ひょっとして、今日遅かったのは、その……私の治癒魔法があまり効かなかったからですか……?」
彼女はすごく心配そうな表情だった。そうか、ミュスカ視点で考えると、今日俺が登校しなかった理由は、治癒魔法が効かなくて寝込んでいるせいだ、とも考えられるのか。ちょっと悪い事をしたな。
「そんなことないって。ちょっと後始末が大変でさ」
そう言うと、ミュスカは納得したようだった。彼女の表情が少し和らぐ。
「……もう、昨晩みたいな危ない事はしないでくださいね……?」
そう言うと、ミュスカは自分の席へ戻って行った。その後ろ姿を何とはなしに眺めていると、今度はフレディから声がかけられた。
「カナメ君、マーカス先生が君の捜索願を出すか悩んでいたようだから、早めに先生に会いに行った方がいいよ」
「え!? 本当か?」
唐突な話に俺は驚いた。そんな事になってるとは、いくら何でも心配しすぎじゃないだろうか。この王都で、そうそう命の危険なんてあるわけが……うん、あったな。俺は少し遠い目になった。
早いところマーカス先生を見つけないとな。そう思った俺は教室から廊下へ出た。あの先生って昼休みはどこにいるんだろう……? 情報通のセレーネあたりに聞いてみた方が早いだろうか。そんな事を考えていた俺は、後ろから声をかけられた。
「カナメ君? ……どうやら無事だったようですね」
振り向けば、そこには当人たるマーカス先生が立っていた。
◆◆◆
「――なるほど、無断欠席および寮の無断外泊の事情については理解しました」
神学校には、一対一の面談にしか使えないような、狭い部屋がいくつかある。こんな部屋が学校に必要だとはあまり思えないのだが、それなりに用途があるのだろう。
俺とマーカス先生はそんな部屋の一室にいた。俺が「内密の話がある」と言ったのが原因ではあるのだが、なんだかこの部屋が取り調べ室のように感じられて、俺は落ち着かない気分だった。
「とりあえず、君が無事でよかったです」
俺はマーカス先生に対して、そこそこ正直に事情を話していた。ベルゼット副神殿長の名前こそ口にしていないものの、俺に深手を負わせた犯人がとある有力組織の幹部であり、事が公になるまでの間は名を伏せておきたい旨を説明すると、マーカス先生はあっさり了承してくれた。
「先生。……自分で言うのもなんですが、私を疑わないのですか?」
普通に考えれば、ただの与太話と思われても仕方のない内容だと思うんだけどなぁ。
「もしカナメ君が私を騙そうとするのなら、もっと上手な嘘をつく気がするんですよ」
先生はにこやかにそう答えた。どうやら、俺は買い被られているようだった。だが理由がなんであれ、先生を説得する手間が省けたのはありがたい。俺はそれ以上、その件について触れないことにした。
……そしてもう一つ、マーカス先生に用事があった俺は口を開く。
「ところで先生、一つお伺いしたのですが」
「なんでしょう?」
もう話は終わったと思っていたのか、マーカス先生は少し意外そうな様子を見せたが、俺は気にせず言葉を続ける。
「実は先日、クルシス神殿を訪問する機会があったのですが、そこで、とある神官様が『クルシス神は不当な扱いを受けている』とこぼしているのを、偶然耳にしてしまったのです。
私はクルシス神殿に所属することを真剣に考えていますから、どうしてもその言葉が気になってしまいまして……」
それはもちろん、ベルゼット副神殿長が呟いた言葉だ。彼の言葉が、どうにも俺の中で引っ掛かっていたのだった。
「……そうですか」
マーカス先生は、抑揚のない声で相槌を打った。だが、言葉の途中で、先生が一瞬怖い表情を見せたのは気のせいではないだろう。俺は先生の表情に注視し続ける。気まずい沈黙が部屋を満たした。
「……失礼、少し考え込んでしまいました。その神官が一体何を不満に思っているのかを想像してみたのですが、よく分かりませんね」
そう言ってマーカス先生は肩をすくめた。その様子から、これ以上この話題に触れたくないのは明らかだった。どうやら、また変な当たりを引いてしまったみたいだな。
まあ、ベルゼット副神殿長の言葉が、ただの被害妄想ではない可能性が高いと分かっただけでも、ここはよしとするべきかな。
「そうですか。ひょっとすると、卒業論文のいいネタになるかと思ったのですが……」
俺は、意図的に残念そうな表情を浮かべた。マーカス先生の表情が、なんともいえない複雑なものに変わる。
「カナメ君は面白いテーマをよく思い付きますね」
先生の表情に浮かんでいるものは苦笑だろうか。だが、その目に逡巡の色が浮かんでいるように見えるのは気のせいだろうか?
「……ですが、今はやめておきなさい」
「……先生?」
突然、マーカス先生の声が真剣なものに切り替わる。その様子に驚いた俺はつい声を上げてしまった。
「カナメ君。卒業論文は、正式な文書として神学校の図書館で保管され、そして広く閲覧され得るものです。どんな人が見るかは分かりません」
マーカス先生の言葉に俺は頷いた。それくらいは、言われるまでもなく知っている。
「君が何に興味を持つかは自由ですが、卒業論文として発表する事になれば話は別です。もし迂闊なことを書けば……」
なんだろう、消費者団体からクレームでもくるんだろうか。そんな事をのほほんと考えていた俺だったが、ふとマーカス先生の真剣な表情に気付いた。それは、いつものマーカス先生ではあり得ないものだった。
その表情を見ているうち、ふと嫌な想像が脳裏をよぎる。
「……それは、身に危険が及びかねないという事ですか?」
俺は、あえて物騒な単語を使った。普通に考えて、卒業論文の内容によって著者が生命を脅かされる事はない。だが、マーカス先生の表情にはそう言わせるだけの何かがあった。
俺の言葉に対して、マーカス先生は肯定も否定もしなかった。ただ真面目な顔で俺を見るだけだ。そこで、俺はもう一歩進む事にした。
「マーカス先生。率直に申し上げます。私は、先生がこの世界に関する何らかの隠された真実をご存知だと考えています」
俺はそう言うと先生の反応を窺う。表情に変化は見られなかったが、その瞳には強い力があった。それを確認すると、俺は言葉を続ける。
「ですが、それが何かと問うつもりはありません。聞いて答えられるような話であれば、元々先生が隠す必要もないでしょう。
とはいえ、私は既に、先生が危険だと判断する論題を二つ提案しているはず。卒業論文だけの話ではなく、今後の人生で同じ轍を踏まないためにも、せめて『それ』が存在する方向についてだけでもご教示願いたい、というのは図々しい頼み事でしょうか?」
「……」
マーカス先生はじっと俺を見つめた。そこに、普段の穏やかな眼差しの面影はどこにもない。そこにあるのは、彼が大地神の元副神殿長だという噂に違わぬ強い視線の力だった。
どれくらい視線が注がれていたのだろうか。ふいに、マーカス先生の雰囲気が柔らかいものに変わった。その事実に俺はほっとする。
「……昔のことを調べるのは大変ですからね。現代を念頭に置いた卒業論文を作る方が、確実だと思いますよ」
マーカス先生から告げられたのはそんな言葉だった。言葉通り解釈することもできるが、幾らなんでもそれだけという事はないだろう。
「分かりました。アドバイスをくださって、ありがとうございます」
俺はそう言うと、立ち上がって深く頭を下げた。機密性やその内容については窺い知る由もないが、それでもマーカス先生が俺のために心を砕いてくれたことは分かったからだ。下げていた頭を元に戻すと、穏やかな表情に戻ったマーカス先生が、薄い笑みを浮かべているのが見えた。
卒業論文は適当なものでお茶を濁すことにしよう。そんなことを考えながら、俺は部屋を後にしたのだった。
◆◆◆
「研究所の魔法球を借りたい?」
俺の言葉を聞いたミルティは、少し驚いたようだった。もはやお決まりとなっている喫茶店で、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「ミュスカの件で研究所に入れてもらった時、魔法球がごろごろ転がってるのを見た気がするんだが……見間違いだったか?」
「ううん、そんな事はないけど……」
ミルティは俺の言葉を肯定しながらも、何か考えこんでいる様子だった。
「私の権限じゃ、持ち出せるのはせいぜい一つだけよ。あれは高級品だもの」
あれ、そうだったのか。しまったな、最低でも四つ、できれば六つは欲しいところなんだが……。俺がそう伝えると、ミルティは再び不思議そうな表情を浮かべた。
「カナメさん、そんなにたくさんの魔法球を何に使うつもりなの?」
「いや、それが――」
俺は正直に事の顛末を話した。話を聞き終わったミルティは、驚きを通り越して少し呆れた顔をしていた。
「冒険者のクーちゃんはともかく、神学校生のカナメさんが関わる事件じゃないと思うのだけど……」
うん、それには俺も賛成だ。だが、おかげでクルシス神殿の権力低下をある程度防ぐことができそうなのだから、悪い話ではなかった。そのためにも、データ複製用の魔法球を手に入れなきゃな。
「究極的には俺の利益になる事柄だからな。そのためにも、なんとか魔法球を借り受けたい」
そう説明すると、ミルティは頬に手を当てて考え込んだ。
「そうね……。シャルアに頼んでも二つしか確保できないし、それだって、彼女が実験用に魔法球を使う予定があるなら厳しいわね……」
シャルアというのは、ミルティと同居している魔法研究所の研究生だ。もし彼女が協力してくれたとしても二個か。……うーん、困ったな。ちょっと安請け合いし過ぎたかもしれない。
「……あ」
俺がそんな事を考えていると、ミルティが不意に声を上げる。どうやら、その顔は何かを思いついたようだった。俺は期待を込めて彼女の言葉を待った。
「カナメさん、この魔法研究所で一番優遇されるのはどんな人か覚えてる?」
「え?」
ミルティの質問の意図が分からず、俺は思わず聞き返した。そしてそこから数秒後、俺はようやく彼女が言いたいことに気が付く。
「……魔法職の固有職持ちか」
そういえば、この前ミュスカを連れてきた時も大騒ぎだったっけ。俺はその時の事を思い出すと苦笑を浮かべた。
「彼らが借り受けたいと言えば、魔法球の五、六個くらいすぐ貸し出してくれるわ」
なるほど。なんだか世知辛いものを感じるけど、それだけに分かりやすい話だな。ただ、魔法職の人間か……。ミルティにはまだ魔術師に転職した事を隠してもらってるし、ミュスカはもはや『聖女』だ。
ミュスカに頼めば魔法球を借りてきてくれる気はするが、彼女の立場的にそれはまずいだろう。しかも、その動きを教会の人間に把握されでもすると、非常にややこしい話になる。
他にものを頼める魔法職の知り合いといえば、辺境にいるアデリーナやジークフリードくらいなものだが、さすがに王都まで来てもらうわけにはいかない。……あれ、意外と詰んでる?
「カナメさん、心当たりはありそう?」
「……残念ながら」
ミルティの問いかけに、俺は肩をすくめて答えた。すると、彼女は少し躊躇った様子で口を開いた。
「実は、一人だけ心当たりがあるのだけれど……」
「本当か!?」
「カナメさんも知ってる人よ」
その言葉を聞いて、俺は目を瞬かせた。他に魔法職の知り合いなんていない気がするんだけどな。俺のそんな様子を見て、ミルティは少し苦笑いを浮かべた。
「フェネラル・サーズマンという名前を覚えてる? カナメさんにとってみれば、もう過去の人かもしれないけれど……」
誰だそれ。それが俺の正直な感想だった。とはいえ、フェネラルって名前にはどこか引っ掛かりが……あ。
「あの助平ジジイか!」
「ちょっとカナメさん、そんなに大きな声で言わないでよ……」
ついつい声が大きくなってしまった俺を、ミルティが恥ずかしそうに咎める。気が付けば、近くのテーブルに座っているお客の視線がいくつかこちらを向いていた。……反省。
「……確かにあの爺さんなら適役か。けど、あいつが俺たちに協力してくれるか?」
「実はフェネラル先生、あの一件があってから、私に対して妙に友好的なのよね。王国の密命を受けている、っていうカナメさんの嘘を信じ込んでいるんじゃないかしら。『何か、ワシが手伝ってやろうか?』みたいな事をちょくちょく口にするもの」
「マジか……」
俺は、ミルティの言葉を聞いて思わず半眼になった。そこまで信じ込まれると、さすがに罪悪感があるなぁ。……けど、それなら一度試してみるのも悪くはないかもしれない。
「ミルティ、気が進まないかもしれないが、一緒にあの爺さんと会ってくれないか?」
「……今度、夕食をご馳走してくれる?」
嫌がると思っていたのだが、ミルティは意外とあっさり話に乗ってくれた。ひょっとすると、気を遣ってくれたのかもしれないな。
「好きな店を選んでくれ」
「ふふっ、ありがとう。……じゃあ、今日にでも連絡を取ってみるわね」
「よろしく頼む」
そう言うと、俺はフェネラル大先生との会話をシミュレートし始めるのだった。
◆◆◆
「変な場所を指定してきたなぁ……」
「私たち『密命を受けている人間』に配慮してくれたんじゃないかしら?」
俺とミルティは、自称稀代の大魔術師、フェネラル・サーズマン大先生と話をするため、とある町外れにやって来ていた。
といっても、まったく知らない場所ではない。昔、俺とミルティがフェネラルの爺さんとやり合った場所がここだからだ。人気がないという意味では確かに悪くないが、別に普通の喫茶店や施設で会ってもよかった気がする。
まあ、今回こっちはお願いする側だ。相手の指定するポイントにケチをつけるつもりはなかった。
と、そんな会話をしていると、なんとなく見知った人影が現れた。正直、俺はあまりフェネラルの顔を覚えていないのだが、ミルティの反応からして、奴がフェネラルで間違いないだろう。
フェネラルは、俺たちの十メートルほど前までゆっくり歩いてくると、そこで立ち止まった。
「……ん?」
俺は首を傾げた。普通に考えて、会話をするのに十メートルを距離をとる人間なんていないだろう。この距離ではまるで――
「「風裂球!」」
俺がその事に思い至った瞬間、二人の声が重なった。もちろん、ミルティとフェネラルだ。両者から放たれた鎌鼬の塊は、両者の中間で激突するとそのまま相殺された。無力化された風が、俺たちの間を通り抜ける。
――なんのつもりだ、そう怒鳴ろうとした俺だったが、再びフェネラルを中心として魔力が動いているのを感じ取った。そこで、俺は即座に力を行使する。
「なんじゃと!?」
信じられない、という表情でフェネラルが自分の両手を見つめていた。それはそうだろう。今まで当たり前だった魔力感覚が消失しているのだ。普通の人間でいえば、突然歩き方が分からなくなった、ぐらいにあり得ない話だろう。『村人』になったフェネラルは、明らかに動揺していた。
俺は実験も兼ねて、再びフェネラルを魔術師に転職させた。魔力感覚が戻ってきたことに気が付いたのか、フェネラルがこちらを向いた。
――えい。
再び魔法を行使しようとする気配を感じて、俺は再度フェネラルを『村人』へ転職させた。魔力感覚の消失により、またもや途中まで構築されていた魔法がキャンセルされる。……あれ? この能力を使えば、魔法職の攻撃って大体キャンセルできるんじゃないの?
魔法をキャンセルした瞬間に元の固有職に戻すようにすれば、まさか自分が『村人』に転職させられていたなんて気付かないだろう。
そのことに思い至った俺は、その後もフェネラルが魔法を使おうとするたびに、『村人』にして魔術師に戻して、という作業を延々と繰り返す。……なんだろう、最初は実験目的だったんだけど、段々楽しくなってきたな。
「フェネラル先生、一体どうされたのですか? 突然私たちに攻撃魔法を放つなんて……」
そこに割って入ったのはミルティだった。彼女は俺がフェネラルの魔法を妨害していることに気付いたようで、フェネラルに話しかけるだけの余裕が生まれていた。
「くっくっくっ、さすがは王国の密命を受けている若人たちよ」
そう答えるフェネラルの顔には、意外なことに悪意も敵意も見られなかった。
「どういうことでしょうか?」
俺はつい口を開く。フェネラルは俺を興味深そうに見ると、理由を説明し始めた。
「いやなに、二人が王国の密命を受けている事は知っておる。じゃが、この場に現れた君たちが本物かどうかの確認をする必要があると思っての」
あっけらかんとフェネラルは言い切った。しかし、それでいきなり攻撃魔法をぶっ放すとは、やっぱり先天的な固有職持ちは危ない人間が多いな。
「今の対応は見事であった。まさか、ワシの魔法を発動前に妨害するとはな。魔法をぶつけて相殺するのではなく、魔法そのものを消失させるとは、一体どのような技を使ったのじゃ?」
どうやら、フェネラルは意外と冷静に今の一幕を検証していたようだった。まあ、あれだけ何回もやればそりゃ気付くか。俺は笑顔を貼り付けて口を開く。
「フェネラル先生にお褒め頂けるとは光栄です。ですが、私たちも王国の密命を受けている身。先生もご存知の通り、この業界ではこういった切り札の有無が生死の分かれ目となります故、詳細の説明については何卒ご容赦ください」
俺がそう言うと、フェネラルは嬉しそうな表情を浮かべた。特殊な業界にも自分は通じているぞ、という全能感か何かに浸っているのだろうか。
「うむ、それくらいの事はワシにも分かっておる。少し気になっただけじゃよ」
「ありがとうございます、フェネラル先生の寛大な御心に感謝します」
俺は深々と頭を下げた。そして、ところで――と本題を切り出す。
「先生の貴重なお時間を損ねる訳には参りませんし、早速ですが用件をお話しさせて頂きます」
俺の言葉にフェネラルが鷹揚に頷いた。揉み手せんばかりの勢いで、俺はフェネラルに迫る。
「実はですね、今関わっている案件で、どうしても魔法球が五、六個必要なのですが、残念ながら私どもではそのような高価な品は手に入れられません」
「ふむ、魔法球か……。ワシほど魔法が使えると、あまり必要性を感じぬ代物じゃからな。あったかどうか」
「おお、もちろんフェネラル先生の持ち物をお借りしようなどという、そんな厚かましいお願いをするつもりはありません。
ただ、もし先生がご協力くださるのでしたら、フェネラル先生のお名前をお借りして、魔法研究所が所蔵している魔法球を借り上げる事ができないかと、そう考えていた次第です」
「ほう、魔法研究所か……」
そう呟くと、フェネラルはミルティに視線をやった。それなら彼女が調達すればいいのではないか、そう考えているのが分かる。隣のミルティが穏やかな笑顔を崩さないことに、俺は感謝した。
「表の顔とはいえ、彼女も魔法研究所で研究員をしている身です。まずは彼女経由で借りられないか試したのですが、貸し出しを許されるのは一人に一つまでだったのです。
ですが、フェネラル先生のご高名であれば、魔法研究所は喜んでたくさんの魔法球を貸し出してくれることでしょう」
俺の言葉を聞いて、フェネラルの顔が盛大にニヤけた。ついで、なぜか重々しく頷く。
「……なるほど、たしかにワシであれば、魔法研究所も喜んで魔道具を差し出すであろうな」
「先生のお力を考えれば当然の事です。ですので何卒、この国の平和を裏から支えるためにそのお力をお貸し願えませんでしょうか」
俺の言葉の「裏から」のあたりで、フェネラルがぴくりと反応した。……この爺さんあれか、そういうのが好きなのかな。「表にも裏にも通じてるワシ格好いい」みたいな感じだろうか。そう思った俺は、もうひと押しすることにした。
「今回の事案はあくまで『極秘任務』です。そのため、このような事がお願いできるのは、私たちの『裏の顔』をご存知のフェネラル先生だけなのです。……先生、この王国を『陰ながら支える』私たちに、どうかお力添えを頂けないでしょうか」
俺はそう言うと、フェネラルの反応を窺った。彼はしばらくニヤニヤ顔で沈黙したあと、大仰な仕草で頷いた。
「君たちのような若人だけに、この世界の闇と戦わせるのは心苦しいものがある。……よかろう、ワシも協力してやろうではないか」
フェネラルはそう言うと、この上ないほどふんぞり返った。そこへ、俺とミルティが賛辞の嵐を浴びせる。まるで救国の英雄にでもなったかのようなその態度に、俺は笑いを堪えるのが大変だった。
「それでは、細かい手続きは私たちが行いますので、ご足労をおかけして恐縮ですが、先生にも一度だけ魔法研究所へお越し頂きたく……」
「うむ、よかろう」
どうやらフェネラルは底抜けに上機嫌のようだった。こんなチャンスを逃すわけにはいかない。そう考えた俺たちは、そのまま魔法研究所へ向かい、そして魔法球の借り受けに成功したのだった。
◆◆◆
俺が魔法球を手に入れてから、およそ一か月後。ダール神殿長を代表として、統督教よりとある公式発表が行われた。
――クルシス神殿副神殿長ベルゼット・ノヴァーラクの副神殿長解任および追放
そのニュースは、しばらくの間市井を賑わせていたが、数日もしないうちに他の噂に呑みこまれていった。
だが、統督教内部の話でいえば、その影響は決して小さくなかった。俺がその事を実感するのは、もう少し先の話だった。