クルシス神殿
【ノルヴィス神学校生 カナメ・モリモト】
「こちらが祈祷の間です。大掛かりな儀式をする時や、揃ってクルシス神に祈りを捧げる時に使用します」
神殿の案内人、テイラーさんの声が響いた。俺はその声を聞きながら、かなりの広さを誇る空間を眺める。神殿受付から控室まで、すでに色々な施設を案内してもらったが、さすがは本神殿の施設というべきか、それらとは比較にならないくらい広かった。最低でも千人は収容できそうな規模だ。
祭壇らしきものを中心として半円状に広がっているその様子は、なんだか音楽ホールのように見えた。
「広いのねぇ」
感心しているというよりは、面白がっているようなセレーネの声が聞こえてくる。俺は彼女に相槌を打つと、テイラーさんに向かって口を開いた。
「大がかりな儀式とはどんなものでしょうか?」
「一番多いものは、特技の習得や技術の成長を祈念するものですね。月に一度、希望者全員がこの祈祷の間に集まって、自ら祈りを捧げるわけです。これが結構な人数でして、この祈祷の間が一番賑やかになる時ですね」
言われて、俺はその様子を想像してみた。ラウルスさんみたいないかつい戦士や、ガライオス先生のような筋肉戦車がこの空間にひしめき合い、ところ狭しと祈りを捧げる。……ダメだ。それはホラーだ。俺は軽く頭を振って、その想像を振り払った。
「なるほど、そうなんですか。傾向としては、やはり戦いを生業としている方や、職人さんが多いのでしょうか?」
「ええ、そういった方が多いですね。あとは吟遊詩人や踊り子のような、芸能を極める職業に就いている方も多くいらっしゃいます。……ああ、変わったところでは妊婦さんもいらっしゃいますね」
テイラーさんの補足は、少し意外なものだった。
「妊婦さん……ですか?」
「生まれてくるお子さんが特別な固有職を授かるよう、祈念していく方も多いのですよ。
クルシス神は、固有職のような先天的な才能ではなく、その後の努力を以て自らを高める部分に重きを置いておられますので、少し方向性が異なるのですが、それでも他の神殿よりは性質が近いということで、自然と参拝者が現れるようになったようです」
そうテイラーさんが説明してくれる。まあ、せっかく参拝客が来てくれるんだから、わざわざ追い返す必要はないか。けっこうちゃっかりしてるんだなぁ。
……それにしても、これはどう捉えればいいんだろうな。俺自身、クルシス神が一番この転職能力の性質に近いと思ってここに来たわけなんだけど、今のテイラーさんの話からすると、なんだか転職能力はクルシス神的には管轄外みたいだな。
まあ、クルシス神的には管轄外でも、クルシス神殿的には包括しちゃってるみたいだから、その辺をついていくしかないか。俺はそう結論付けた。そんな俺の顔を見ながら、テイラーさんは口を開く。
「さて、これで本神殿の主要な施設はあらかたご案内したかと思います。もしお二人が差し支えなければ、この後、当神殿の副神殿長から教義や当神殿に帰属した場合の流れをご説明させていただきたいのですが、いかがでしょうか」
その言葉に俺は驚いた。クルシス神殿と言えば七大神殿の一つだ。そんな大組織のナンバーツーが、わざわざ神学校生のために時間を割いてくれるというのは、なかなかに衝撃的だった。だが、俺にとっては非常にありがたい。
「ぜひお願いします」
俺がそう答えると、テイラーさんは明らかにほっとした様子だった。あれかな、ここで断られたら彼の成績が下がるとか、そんなのがあるんだろうか。もしそうだったら嫌だな。
そんなことを考えながら隣を見ると、セレーネが承諾の返事をするところだった。
……うーん。正直に言えば、俺一人の方がきわどい質問もできるんだけどな。とはいえ、そんな理由でセレーネを邪険にするわけにもいかない。
テイラーさんに連れられて、俺たちは先程とは別の応接室に通された。前の応接室よりも狭いが、その分質のいい造りであることが窺える。
「それでは副神殿長を呼んできますので、少々お待ちくださいね」
そう言ってテイラーさんが姿を消すと、応接室に沈黙が流れた。そして、その静かな部屋で俺が初めにした事は、部屋の絨毯が動いたりしていないかどうかの確認だった。
「――ふふっ」
と、隣に座っているセレーネの方から笑い声が聞こえた。俺が彼女の方を見やると、セレーネがおかしそうに口許を抑えている。
「ごめんなさい、私もまず絨毯を確認してしまったものだから、ちょっとおかしくて」
俺が咎めていると思ったのか、セレーネはそう弁解してきた。その後もなかなか笑いが引かないのか、くすくすと笑い声がもれている。
「……さすがに、二度も綺麗な女の子が出て来る事はないかしらね」
「あんな心臓に悪い登場シーンは遠慮してほしいところだな」
俺がそう答えると、セレーネはからかうような色を瞳に浮かべて口を開いた。
「ひょっとしたら、今度は青い髪の女の子が現れるかもしれないわよ? あの子も美人だったものね」
美人かどうかはこの際関係ないような気がするが、どうやらセレーネの中では譲れない部分であるようだった。
パレードの日にクルネやミルティと一緒にいるのを見られて以来、どうもクラスメイトに色眼鏡をかけられている気がして仕方がないな。
「そういえば、カナメ君と彼女たちはどういう関係なのかしら? ……あ、答えたくなければ黙秘してくれてもいいわよ」
ふと気になったので聞いてみただけよ、という体を装ってセレーネがつっこんだ質問をしてきた。その割に興味津々な様子を隠そうともしていないのだが、それも彼女らしいといえば彼女らしかった。
コルネリオがセレーネの事を「人の恋は大好きなのに自分の事には興味がない」と嘆いていた事をふと思い出す。
「黙秘したら『人には言えない関係なのね』とか言うんだろ」
そんな俺の言葉に、セレーネは曖昧な笑みを浮かべた。
「そんなことないわよ。ただ、想像がふくらむだけ」
「一緒じゃないか……。俺たち三人はみんな辺境出身だからな。その縁でちょくちょく会ってるんだよ」
俺の言葉は意外だったらしく、セレーネは少し驚いた表情だった。彼女はしばらく何かを考え込んだ後で口を開いた。
「……辺境って、彼女たちみたいな美人さんばっかりなの?」
「いや、たまたま辺境のトップレベル二人が王都に来ただけだ」
半年ほどとはいえ、辺境で暮らしていた俺は即座に断言した。ルノール村の住人だけでも二百人、うち半数が女性だとして百人くらいは辺境の女性を見ているが、どう考えてもあの二人の容姿が際立っている。
「それなら、まだ勝負にはなりそうね」
「勝負ってなんだ……」
俺たちがそんな会話をしていると、扉をノックする音が耳に入った。俺は反射的に立ち上がる。
「お待たせしました」
そう言って入室してきたのは、もはや見慣れた感のあるテイラーさんと、そして五十歳くらいの男性だった。やや薄くなっている灰色の髪をオールバックにしており、その瞳は叡智を感じさせる。
ただ、今までに目にしたことのある神殿長や大司教クラスと比べると、活力がやや欠けているかな、というのが俺の第一印象だった。
その男性は俺たちに腰掛けるよう促すと、自己紹介を始めた。
「よくクルシス神殿へお出でくださった。私はこのクルシス神殿の神殿長、プロメト・スコラディと申す」
……あれ、聞き間違いかな? このおじさん神殿長って名乗らなかった? たしか副神殿長が来るんじゃなかったっけ?
予期せぬ最高責任者との邂逅に俺が驚いていると、神殿長の隣に控えていたテイラーさんがその理由を説明してくれる。
「本来は副神殿長がお話をさせて頂く予定でしたが、プロメト神殿長がぜひお話したいという事でしたので、勝手ながら変更させていただきました」
「突然の変更で申し訳ない。神学校の特待生が当神殿を訪問することは珍しいため、直接お会いしてみたいと思いまして」
テイラーさんの言葉に合わせて、プロメト神殿長が軽く謝罪する。光栄です、と答えながらも、俺は頭の中で別の事を考えていた。
なにせこの神殿長、そう言う割には俺たちに興味を持っているように見えないんだよねぇ。どちらかというと、ここの副神殿長に急用が入って、その穴埋めに駆り出されたと言われた方がまだ納得できる気がする。
とはいえ、そういう事態の穴埋めに上の役職の人間を連れて来るなんてもっとあり得ない気がするけどさ。と、そんな事を考えている間にも、プロメト神殿長が口を開く。
「神学校の特待生ともなれば、クルシス神についてもご存知でしょうから、今回はこのクルシス神殿という組織に重点を置いてご説明しましょうかな」
そう前置きして、プロメト神殿長とテイラーさんが説明を始める。
「クルシス神殿は七大神の一柱を祀る組織であり、世界各国に複数の神殿および多くの信徒が存在しています。本神殿は、今お二人がいらっしゃるこの神殿ですな。
この本神殿にてクルシス神にお仕えしている、叙階を受けた神官は現在で四十九名います。叙階を受けていないものがもう五十名ほどおりまして、合わせて百名ほどの人間がこの神殿にいるわけです」
百人か。本神殿の規模として考えると、今までに見学した他の七大神殿よりは少ないな。それに、叙階を受けていない人間の比率が明らかに高い。余所では総数の一割にも満たなかったはずだ。
「位階については神殿派共通の位階制度を採用しています。例えば当神殿の内訳を申しますと、神殿長が一名、副神殿長が一名、筆頭司祭が一名、上級司祭が七名に司祭が十名、助祭が十二名と侍祭が十八名います。ただし、現在は筆頭司祭席が空席ですね。」
そこへ、テイラーさんが補足情報を追加してくれる。よくそんなにすらすらと口から出てくるなぁ、と俺はこっそり感心した。
「神官の一日のスケジュールは人によって様々ですが、基本的に朝の祈りは共通です。その後は、それぞれの職務担当によって神殿の運営や来殿者への対応などを行うことになります。
また、複数の時間帯にクルシス神の教えについて理解を深める会合が持たれていますので、そこで自己研鑽に励んでもらうことが可能です」
なんだか、神殿と言っても普通の会社員と大差なさそうだな。その後も細かいところを色々説明してくれたのだが、俺のその失礼なイメージが変わることはなかった。まあ、俺にとってはむしろありがたい話だけどね。
「……駆け足になってしまいましたが、当神殿についての説明は以上です。何かご質問はありますか? もしあれば遠慮せずおっしゃってくださいね」
テイラーさんはそう言うと、俺たちの様子を窺った。……なんだか就職活動の説明会みたいな空気だな。やっぱり、ここでキラリと輝く質問をして、好印象を相手に与えておく必要があるんだろうか。
けど、この世界の神殿と神学校生の関係性って、どっちかと言うと売り手優位の労働市場っぽいんだよなぁ。やっぱりここは、素直に情報収集に励もうかな。
俺はそう判断すると、口を開いた。
「丁寧なご説明をして頂きまして、誠にありがとうございました。その上で、三点ほどお伺いしたい事がございます」
「ええ、どうぞ」
テイラーさんに促されるまま、俺は口を開く。
「まず一つ目は、こちらの神殿における叙階を受けた方とそれ以外の方の比率についてです。他の神殿と比べて、かなり非受階者の割合が多いように思えるのですが、その理由はどのようなところにあるのでしょうか」
その質問に対して答えてくれたのは、プロメト神殿長だった。
「代表的な理由としては、来殿者数の多さが挙げられるでしょうな。受付やロビーをご覧になられたのであればお気付きでしょうが、当神殿には信徒以外にも様々な方が、ご自身の成長を祈念して祈りを捧げていかれます。おそらく、来殿者数に占める非信徒の割合は他の神殿の比ではないでしょう。
そのため、位階を授かった人間だけでは対応しきれないものですから、一般の方々を多く雇用しているのです」
それに、と神殿長は続けた。
「神学校生のお二人ならご存知のことでしょうが、このクルシス神殿は神学校生にはあまり人気がありません。信徒以外の来殿者と接する機会が多い事や、司る属性が存在しないことに違和感を感じるのでしょう。教義に目立った特徴がない、という声を聞いた事もありますな。
その事もあって、他の七大神の神殿に比べるといささか神官のなり手が少ないのですよ。もちろん神学校生だけが叙階を受けるわけではありませんが、その感じ方は神学校生でなくても共通のようですな」
なるほど、受付の人があんなに驚いていたのにはちゃんと理由があったんだな。俺みたいに他宗派の人間も来るから丁度いい、なんてことを考える人間は希少だったようだ。神学校生に人気がないってのは初耳だけど、まあ、俺たち特待生はけっこう浮いてるからなぁ……。
自分の中で折り合いをつけると、俺は次の質問を口にした。
「不躾な質問で恐縮ですが、こちらの神殿の収益構造をお伺いしてもよろしいでしょうか。もちろん、差し支えのない範囲内で結構です」
その質問を聞いて、神殿長の目がわずかに細められた。あれ、何かまずいことを言ったのだろうか。さすがに神殿長クラスの人間なら、お金の重要性を理解していないなんて事はないと思うんだけどな。
「当神殿の場合、収益の中で一番多くを占めているのはお布施ですな。先程も申し上げた通り、ここには宗派を問わず色々な方がいらっしゃいます。
冠婚葬祭に伴うお布施も少なくはありませんが、やはり特技や技術の成長を願って行う祈祷が一番の収益源でしょう。祈祷の成果が表れた方は、追加で寄付金をくださることも多いですしね。
特に芸能関係の職に就いている方は、成功を収めると莫大な寄付金をくださる傾向にあります」
そういえば、神学校の経営学の授業でそんな話を聞いたな。この国にも当然税金はあって、芸能の職に就く人間はけっこうな額を徴収される傾向にあるらしいんだけど、宗教に寄付した分のお金については、税額計算の対象外になるそうだ。
この国は歪な累進課税制度を採用しており、場合によってはお金を稼いだ方が損をするという、ある意味無茶苦茶な構造になっているのだが、こういう時の調整に寄付金は役に立つわけだ。
しかも、技芸の精進を誓った神殿に、その加護を感謝して多額の寄付をするとなると、民衆のウケも非常にいい。まさに一石二鳥なのだ。
最近も有名な吟遊詩人と踊り子のコンビがかなりの額を寄付したらしく、経営学のジョセフィーヌ先生がなぜか感極まっていたのを覚えている。
「逆に、信徒からの定期的な献金については、他の神殿と比べても少ない傾向にあります。クルシス神だけを信仰している信徒はそこまで多くありませんからね。他の宗派と合わせて信仰されることが多い分、献金額が少なくなるのは当然だと言えます」
プロメト神殿長の言葉に、悔しそうな様子は見られなかった。信徒の獲得に熱意を持つトップだったら面倒だったけど、そのあたりは大丈夫そうだな。俺は心の中で胸をなで下ろした。
説明に対して感謝の言葉を述べると、俺はいよいよ本命の質問をすることにした。……少し緊張するな。
「最後の質問なのですが、新しい神殿を開くようなご予定はおありでしょうか」
「新しい神殿……ですか」
プロメト神殿長もテイラーさんも、俺の質問の真意を測りかねているようだった。もちろん、俺が一番聞きたいことは「クルシス神の名を借りて転職の神殿を開いてもいいか」という事に尽きるんだけど、さすがにそれを口にするのははばかられたのだ。
「現時点では予定がありませんね。主要な街には既に分殿を建立済みですし、新しく神殿を立てるほど、資金や人員に余剰分があるわけでもありません。今ある神殿を通じて、人々の生活を支えていく事が大切だと考えています」
プロメト神殿長の回答は当たり障りのないものだった。だが、それでは俺が知りたい事がさっぱり分からない。
「そうでしたか、それは失礼しました。……実は、私は辺境の出身なのですが、あの地域には一切神殿や教会が存在しないものですから、いつか故郷に神殿が建つ日は来るのだろうかと思いまして……」
訝しげな表情を浮かべていた二人だったが、俺の説明を聞いて納得してくれたのか、その顔が好意的な表情へと変わる。よかった。俺は辺境と縁が結ばれていることに感謝した。
「なるほど、辺境のご出身とあれば、気になるのも無理からぬことでしょう。……私たちもかの地への分殿建立を考えたことはあるのですが、信徒獲得の可能性や独立採算が可能かどうか等を考えると、あまり前向きな結論は出ませんでした」
「そうですか……」
俺はその言葉を聞いて、落ち込んだような表情を浮かべた。そして、できるだけ健気な感じを装って言葉を続ける。
「それでは、もし辺境に神殿を開きたい場合には、信徒を獲得できる可能性がある事と、独立採算が可能であるという条件が必要なのですね」
俺は条件を意図的に絞りながら確認する。
「私たちも霞を食べて生きていくわけにはいきませんからね。……まあ、正直なところを申し上げると、独立採算さえ可能であれば、多少信徒獲得が困難でも神殿を開くことができない訳ではありません」
どうやら、故郷たる辺境に神殿を建立したいという熱い思い(?)は、神殿長の心を多少揺さぶったようだった。俺にとっての問題は独立採算ではなく信徒の獲得だったからな。そこを大目に見てくれるというのであれば、新たな神殿の建立に向けて、大きく前進したといえる。
「よく分かりました。身の程を弁えない質問にまで快く答えてくださって、本当にありがとうございました」
俺がそう言って深く頭を下げると、二人も軽く会釈を返してくれた。そして、テイラーさんがセレーネに向かって話しかける。
「あなたも、何かご質問があれば遠慮しないでくださいね」
「ありがとうございます。とても分かりやすいご説明でしたので、特に疑問に思ったことはありません」
彼女の返事を聞くと、テイラーさんは頷く。
「分かりました。ご不明な点等がありましたら、いつでも聞きに来てくださいね。……それでは、関係者専用フロアを抜けるまでご案内しましょう」
俺たちはプロメト神殿長にお礼を言うと、テイラーさんの先導を受けて神殿の内部を進んだ。やがて見覚えのある場所まで出てくると、テイラーさんはこちらを見て微笑んだ。
「ここは最初にご案内したロビーですね。ここまで来れば道に迷う事もないでしょうし、私はここで失礼させていただきますね」
そう言うと、テイラーさんは相変わらずにこやかな笑みを浮かべたまま、去って行ったのだった。
「……カナメ君って、そんなこと考えてたのね」
テイラーさんが去った後、俺と目があったセレーネの、開口一番の台詞はそれだった。そんなこと、というのは辺境に神殿を開くという話だろう。別に辺境じゃなきゃダメな訳じゃないんだけど、あの場で悪印象を与えずに話を聞き出すにはそれがベストだと思ったんだよね。
「話を聞くための方便だよ」
なので、周りに神殿関係者がいない事を確認すると、俺は正直なところを口にした。
「それにしては具体的で熱の入った態度だったわよ? 神殿長さんも少し感動してたじゃない」
あ、セレーネにもそう見えたのか。となると、『俺』イコール『辺境に神殿を開きたい人』で覚えられちゃってるかもしれないな。
「まあ、それならそれで悪い話じゃないからな」
そう言って俺は軽く笑った。すると、そんな俺の顔を見てセレーネが軽く驚いたような表情を浮かべる。どうかしたんだろうか。
「……カナメ君って、そういう顔もするのね。ちょっと意外だったわ」
あれ、そんなに変な顔してたかな。計画がうまく運びそうだと思って、ついニヤリと笑ってしまった気はするけど、それのことだろうか。
そんな事を考えていると、ふとセレーネが顔を近づけてきた。彼女の蠱惑的な瞳や、形のいい唇が突然アップになり、俺は思わず身体を引いてしまう。
だが、そんな俺の反応を気にした様子もなく、セレーネはしばらく何かを確認するように俺を見つめると、やがてゆっくりと息を吐きだした。
「さっきの顔はちょっと素敵だったけれど……やっぱりカナメ君じゃ違うのよねぇ」
頬に手を当てながら、セレーネは困ったように呟いた。……なんだろう。彼女の考えている事はよく分からないが、少なくとも残念な評価を頂いたことだけは分かる。
「何か知らないが、悪かったな」
「あら、褒め言葉よ? ……私が選んだ男は、あてのない夢追い人みたいな人ばかり。カナメ君みたいな現実主義者の方がいいに決まってるわ」
俺は別に現実主義者ってわけじゃないと思うけどな。そう言おうとした俺だったが、セレーネの瞳に翳りが見えた気がして、なんとなく口を閉ざした。俺たちの間に変な沈黙が下りる。
と、その沈黙を破ったのは、俺でもなければセレーネでもない、見知らぬ第三者の声だった。
「……おお? いい女がいるじゃねえか」
人を恫喝することに慣れていそうな、野太く荒々しい声を聞いて、俺は内心で顔をしかめた。ありがちな展開を予想して声の主に視線をやれば、そこにはやはり、見るからにガラの悪い男が二人ほど立っている。
彼らの目がセレーネに向いているのは、どう見ても明らかだった。
「あら、ありがとうございます」
だが、当のセレーネは慣れたもので、軽い微笑みを浮かべると、そのまま彼らを軽く迂回して神殿の玄関へ帰ろうとする。……やっぱり、こういう事には慣れてるんだろうなぁ。そんな感想を抱きながら、俺はセレーネの後を追う。
だが、彼らはあまり物分かりがよくないようだった。
「おい姉ちゃん、そりゃちょっと冷たいんじゃねえのか?」
男たちはドタドタと走ってきてセレーネの行く先を塞ぐ。彼女はさらに彼らを迂回しようと身体の向きを変えたが、これまた男が行く手を阻もうとする。……小学生か。そんな感想を抱きながら、俺はセレーネに近づく……事はせず、素直に近くの受付へと走った。
外で待ってくれているキャロを連れてきて一蹴、というのも考えたのだが、ここはギャラリーが多すぎる。ならば、ここは施設管理者に頑張ってもらうのが一番平和な解決策だろう。権力万歳。
「すみません、連れがガラの悪い男たちに絡まれてしまいまして、助けてもらえませんか?」
俺は早足で受付までたどり着くと、一息にそう言った。
「え!? ちょ、ちょっとお待ちくださいね!?」
……あ、これはダメかもしれない。受付嬢が取り乱す様子を見て、俺は彼らに頼ることを諦めた。うーん、一番簡単な解決策だと思ったんだけどなー。俺がセレーネの方を見ると、彼女がちらっとこちらを見たのが分かった。……あれかな、逃げやがってとか思われてたりするのかな。
こうなれば仕方ない、外まで連れ出してキャロに蹴り飛ばしてもらおう。そう判断して彼女の方へ踏み出した直後だった。受付嬢の声が後ろから聞こえた。
「あ! 副神殿長!」
その声には安堵の響きがあった。振り返ってもそれらしき人影は見当たらないが、どうやらこの騒ぎを鎮めてくれそうな人が現れたようだ。とりあえず、俺はセレーネに万が一の事がないようにと、彼女のもとへ急ぐ。
そしてセレーネまであと数歩、といった距離まで来た時、彼女と男たちの間に人影が滑り込んでくるのが見えた。……おや? あれは――。
「お前たち、この神殿の中で揉め事を起こしてくれるな」
俺がセレーネの隣に並んだのとほぼ同時に、入り込んできた人影が口を開いた。現れた男は四十代前半だろうか。どことなく狼めいた容貌の男性だった。身に纏っている法服から察するに、神殿関係者なのは間違いなさそうだ。
「わ、分かった、悪かったよ」
その静かな迫力に押されたのか、男二人は意外なほどあっさりと非を認めた。俺は彼らがきまり悪そうに立ち去るのを見届けると、助けてくれた男に向き直った。
「ありがとうございました、おかげで助かりました」
口を開いたのはセレーネだった。まあ、俺がお礼を言っても仕方ないもんな。男は軽く首を横に振ると、口を開いた。
「当然の事をしただけだよ。ここはああいった荒くれ者も多い、気をつけなさい」
男は穏やかな声でそう言うと、踵を返して去っていく。その横手から「副神殿長!」とさっきの受付嬢が呼びかけるのが聞こえてきた。
「……カナメ君、帰りましょ?」
その後ろ姿を見ていると、隣のセレーネから声をかけられた。ひょっとしてすぐ助けに行かなかったことを怒っているのかな、とも思ったが、幸いな事に彼女からそんな雰囲気は感じられなかった。俺は玄関へ向かって歩きながら口を開く。
「さっと助けに行けなくて悪かったな」
だが、表情からは読み取れなくても、心の中で怒っているのが女だ……かどうかは知らないが、ここは先に謝っておいた方がいい気がする。何となくそう思って、俺は謝罪の言葉を口にした。
「カナメ君が受付の人に応援を頼んだのは見えていたもの。謝る事なんてないわ」
「……よかった、てっきり怒られると思ってた」
「そんなに料簡の狭い女のつもりはないわよ?」
そんな会話をしながら歩いていると、俺たちはクルシス神殿の門へと差しかかっていた。最後に予想外の事件はあったが、総合的に見るとなかなか実りのある訪問だったな。そんな思いを胸に、俺は振り返ってクルシス神殿の全容を眺める。
やはり七大神の一柱を祀る本神殿だけあって、門から見える神殿の威容はなかなかのものがあった。まあ、宗教――いや宗派だったか――施設の見た目は重要だし、ある意味では当たり前の話なんだけど、それでもやっぱり大きな神殿を見ると感動するなぁ。
次に訪れるのがいつかは分からないが、またこの門をくぐるんだろうなぁ。そんな感慨に浸りながら、俺は再び神殿に背を向けるのだった。