聖女
【ノルヴィス神学校生 カナメ・モリモト】
「……カナメ君、心配しました……!」
ひそやかに石蜥蜴を倒した俺とシュミットが本陣へ戻ると、そこは針のむしろのようだった。
……といっても、モンスターに蹂躙されていたとか、そういう意味ではない。ただ純粋に、周りの視線が痛いのだ。
「わ、悪かったって」
その原因は分かりきっている。今回の討伐隊の中心人物であり、特に若い神官戦士たちに絶大な人気を誇るミュスカが涙目になっていたからだ。どうやら彼女は、俺が姿を消していた事に気付いていたようだった。
討伐隊で大人気になっている『聖女』に、涙目で「心配していた」と言われるとどうなるか。その答えが、この針のむしろ的な視線の嵐だった。なんだか色んな呪詛が込められている気がするのは気のせいだろうか。
「ひょっとして、カナメ君がモンスターに襲われたんじゃないかって……」
あ、正解。……とはいえ、わざわざ正直に申告する必要もないだろう。用を足しに外へ出たら、道に迷った挙句森の獣に襲われた。そんな筋書きにすることで、俺はシュミットと合意していた。
シュミットはむしろ石蜥蜴を倒した手柄を誇ろうとするんじゃないか、そう思っていただけに意外だったが、奴には奴なりの考えがあるのだろう。
そんなことを考えながら、俺はちらりと前線を窺った。人の不幸を祈るのは気が引けるが、俺がこんな状況に陥っている原因の一つは、負傷者が出ておらず本陣が手持無沙汰なことにあった。
俺たちが本陣へ戻ってきた時には、既に残りのモンスター数は二十体を切っていた。モンスターの数が減れば、それだけ一人当たりの負担は減り、より安全に戦えるようになる。
それ自体はいいことなのだが、その分、負傷者が現れて場の空気が変わるようなことも期待できなかった。
「ミュスカ、ありがとう。そんなに俺たちを心配してくれて。けど、この通り無事なんだし、それでいいじゃないか」
なので、俺はとりあえずシュミットも一緒に被弾させてみた。よしよし、これで視線の圧力は二分の一だ。そんなことを考えながら、俺はミュスカをなだめた。
「……むー」
納得はしていないのか、ミュスカは口を閉ざしたまま、キャロをぎゅっと抱きしめた。さすがに力が強かったのだろう、キャロがじたばたともがき出す。
「……あ、キャロちゃん、ごめんね……!」
その様子に気付いたミュスカは、慌ててキャロを解放した。すると、キャロが定位置たる俺の肩目がけてぴょん、と乗ってくる。
「あ……」
キャロに逃げられたことが悲しかったのか、ミュスカが寂しそうな表情を見せた。すると、またもや俺に強烈な視線が浴びせられる。……え、それも俺が悪いのか……? なんだこのアウェイ感。
そして結局、この空気は最後の石蜥蜴が討伐されるまで変わることはなかったのだった。
◆◆◆
「――さて、今日は皆さんに話しておくことがあります」
俺たち討伐隊が、無事王都へ帰還を果たした翌日。特待生クラスの担任たるマーカス先生は、討伐隊に参加していた俺たち三人をねぎらった後、いつもより些か真面目な表情で口を開いた。
「皆さんがこの神学校へ来てから、もう半年以上が経ちました。単位の取得状況にもよりますが、早い人はあと半年ほどで卒業することでしょう」
そう言うと、マーカス先生は俺たちの顔を見回した。
「ただし、特待生の皆さんが卒業するためには、卒業論文を提出する必要があります。短期卒業させるわけですからね。それなりに、何らかの成果を目に見える形で残す必要があるのですよ」
……うわぁ、ついに来たか。卒論のことは事前に聞いていたものの、教師の口から語られると一気に重みが増すなぁ。
「テーマは概ね自由ですが、それなりに神学校の卒業論文らしいものをお願いします。例えば『美味しい煮込み料理の作り方』なんかを論文として提出するのは遠慮してくださいね」
マーカス先生が遠い目をしながら、やたら具体的な例え話をしてくる。ひょっとしなくても、過去にそういう猛者がいたんだろうか。どんな人が書いたのか、ちょっと気になるな。
「……担当教師としてこう言ってしまうのはなんですが、皆さん、そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。
別に斬新な説や完璧な論文を求めているわけではありませんし、卒業論文が駄目で留年した、という話はあまり聞いた事がありませんから」
マーカス先生はにこやかな顔でそう言った。その言葉に、教室にいた数名が明らかにほっとした顔をする。
「……そしてもう一つ、重要なお話があります。もう所属宗派が決まっている皆さんには関係ありませんが、明日から宗派勧誘が可能になります。神学校に説明にくる宗派もありますし、皆さんが直接神殿を訪ねて行っても結構です。
皆さん、だいたいのアタリはつけている事と思いますが、実際に神殿の空気に触れて考えが変わった人も例年存在しますしね。様々な宗派を見学できる数少ない機会ですから、もし可能なら積極的に情報収集に励んでください。
なお、対象は最上級生と特待生のみですから、もしそれ以外の生徒に対して勧誘を行っている場面を見かけた場合には、即座に教員まで連絡してください」
そういえば、その問題もあったなぁ。むしろ、こっちの方が重要か。軽く各宗派の下調べくらいはしたし、それなりに目星をつけているところはあるんだけど、やっぱり現場を見ないと分からないもんなぁ。なんだか就職活動みたいで嫌だけど、背に腹は代えられないか。
一応、自分で新しい宗派を開くことも可能らしいけど、一から教義を作り出すなんて面倒な真似はごめんだった。そういうのはもっと頭のいい人間がやればいいのだ。そんなことを考えながら、俺は授業の準備を始めた。
◆◆◆
「なあカナメ、自分はどこに行く気や?」
午後の授業が終わった瞬間に、そう聞いてきたのはコルネリオだった。明日から宗派勧誘が始まるとあれば、そんな話題になるのも当然といえば当然だった。
「あら、私も聞きたいわ」
その俺たちの会話に突然入ってきたのはセレーネだった。……そうか、よく考えたら、この特待生クラスの中で、元々宗派が定まっていなかったのは俺たち三人だけだったな。フレディはダール神殿だし、後の四人はみんな教会派だ。
そういう意味では、立場を共有できるのはこの三人だけだった。
「どこと言われてもな……。それこそ、見てから決めるしかないと思ってるよ」
その言葉は半分嘘だった。気になっている宗派はそれなりにあるのだが、字面や人の説明だけで決めてしまうのは危険だろう。
「そう言っても、カナメ君は教会派を選ぶとは思えないし、かといって土地神派にも見えないわ。伝承派のお友達と一緒にいるのをたまに見かけるけれど、それ以上の関係には見えないし」
どうやら、意外とセレーネは情報通であるようだった。伝承派のお友達とはマリーベルとルコルの事を指しているのだろう。
「まあ、七大神殿のいくつかを見て回るつもりではあるよ」
よく考えてみれば、別に隠すようなことでもない。そう判断した俺は、素直に答えることにした。
神殿派とは、一つの神話体系に基づいた神々を奉ずる宗派であり、眷属神などを含めるとその数は数十では利かない。そして、その代表と目されているのが七大神であり、狭義の神殿派といえば、この七柱の神を奉ずる神殿の事を指しているくらいだった。
主神と言われることの多い光神ダールを始めとして、火神ガレオン・水神フェリネ・風神エネロープ・大地神グラシオス・闇神ノマド・技芸神クルシスの七柱を指して『七大神』と呼称するのだが、ただの属性対応というわけではなく、光神ダールなら秩序、水神フェリネなら慈愛といったように、教義にも特徴的な神格が反映されている。
もちろん、他の眷属神やそれを奉ずる神殿だって存在するのだが、なんせ俺の場合、その権力で自分の身の安全を確保してもらうことが目的だ。最低でも七大神レベルの組織力は必要だった。
「……まあ、特殊なコネでもないと、土地神派や伝承派に鞍替えなんてできへんしな。俺も神殿を中心に見て回るつもりやで」
俺の答えを聞いて、若干嬉しそうにコルネリオが口を開いた。……まあ、コルネリオのノリは教会派とは相性が悪そうだしな。神殿派でも、光神ダールあたりとは合わなさそうな気がする。
「あら、みんな同じなのね。私もそのつもりよ」
セレーネの言葉に俺は驚いた。この特待生クラスでは、彼女以外の女生徒が二人とも教会派なので、よく二人と話している彼女も教会派を選ぶのかと思っていたのだが、そういうわけでもないらしい。
「……まあ、今度のパレードでミュスカの晴れ姿を見たら気が変わるかもしれないけれど。ね、ミュスカ?」
そう言うと、セレーネは悪戯っぽくミュスカに笑いかけた。俺たちの会話を聞いていたのか、俺たちとミュスカの視線が合う。
「……その、わたしがパレードの主役になるなんて……」
ミュスカはそう言うと、緊張した面持ちで下を向いてしまった。
彼女たちが言うパレードとは、つい先日の岩蜥蜴討伐遠征の成功を祝して行われるものだった。
指揮官たるガライオス先生とミュスカが、バルナーク大司教に対して戦果を報告し、共に神の恩寵に感謝する、という筋書きだったはずだ。
もちろんパレードなので、その三人しかいないということはなく、あの討伐遠征に参加した人間の大多数は、そのパレードに参加する名誉を与えられていた。
パレードというと何だか俗っぽいイメージを抱いてしまうのだが、どうやらそんな印象を持っている人間は少数のようだった。モンスターの勢力に押され気味で、暗い雰囲気が漂っている今のご時世では、むしろこういった事は歓迎されるようだった。
「けど残念やったな、カナメとシュミットはパレード出られへんのやろ?」
「どちらかと言うとほっとしてるけどな」
「ふん、俺たちが参加していた事をアピールしても、喜ぶのは敵対勢力だけだ」
コルネリオの問いかけに対して、俺とシュミットはほぼ同時に答えた。
俺たちが討伐から戻ってきたのはつい昨日の事なのだが、観察力に優れるコルネリオは、俺とシュミットの間に何かがあった事を察したようだった。今までなら、俺とシュミットに同時に話しかける事なんてなかったからな。
ちなみに、シュミットが『普通のクラスメイト』を装った会話をするべく奮闘している姿はけっこう面白い。
「今度の休みは、ミュスカちゃんを見るためにも絶対パレードに行かんとな!」
「……あの、その……」
景気よく呼びかけたコルネリオだったが、当のミュスカは相変わらず緊張でガチガチのようだった。まあ、ついこの前までただの村娘だったのに、いつの間にかパレードの主役になって人々の前で大司教と話すというのだから、その気持ちはよく分かる。
さすがに今回は手助けのしようもないが、ガライオス先生もいるし、なんとかなるだろう。そんな事を思いながら、俺は帰る準備をするのだった。
◆◆◆
それはパレードというよりは、王都を挙げたお祭りのようだった。パレードの馬車が通る大通りは当然としても、それとあまり関係ないような場所まで賑やかだったことに、俺は少なからず驚いた。
「ねえカナメ! あの屋台美味しそう!」
そんな感想を抱いていた俺の袖を、クルネが賑やかに引っ張った。お祭りムードの影響を受けたのか、その顔はとても楽しそうだった。
彼女が「一緒にパレードを見にいかない?」と誘いに来たのは、つい一時間ほど前のことだ。入都した当初は寮の管理人に門前払いされたクルネだったが、その後登録申請をすることで、取次ぎくらいはしてくれるようになったのだった。
登録枠は寮生一人につき二人までと非常に少ないが、そもそも家族やら何やらがいない俺にとっては、何の問題もない。
「たしかにいい匂いがするな……!」
クルネの視線を追った俺は、その屋台から香ばしい匂いを嗅ぎ取った。すでに数件の屋台を巡っているのだが、そんなものは何の抑止力にもならない。
「あいよ! 熱いから気をつけてな!」
すぐさま屋台に駆けつけた俺たちは、何らかの香ばしいタレがかかった串焼きを受け取ると、熱々のうちに頬張った。甘辛くて香ばしいタレと、絶妙の火加減でジューシーに仕上げられた獣肉が合わさって、絶妙な味を作り上げていた。
「おいしい!」
「美味い……!」
俺たちはほぼ同時に口を開いた。辺境にいた頃のクルネは、そこまで味にこだわるタイプに見えなかったのだが、やはり辺境を出てカルチャーショックを受けたらしい。この前など、「私、辺境の食生活に戻れる自信がない……」と言ってたくらいだ。
香辛料の入手などの問題というよりは、料理に対する意識の問題の方が大きそうなので、あまり心配することはないと思うが、そう言ってもなかなかクルネは安心できないようだった。
そんなわけで、俺たちは美味しそうな屋台や店をさんざん巡るのだった。
◆◆◆
「……ん? 兄ちゃんは……」
そんな感じで、屋台巡りをしながらパレードの開始を待っていた俺に、ふと声をかけてきた人影があった。
「あ……!」
俺は思わず声を上げた。そこに立っていたのは、王都で検問を受ける際に雑談を交わしていた鍛冶屋のおっちゃんだったのだ。おっちゃんは、相変わらずのいかつい顔に陽気な表情を浮かべた。
「元気そうじゃねえか。その年齢で神学校へ行くなんて言ってたから、どれだけ思い詰めてたのかと心配してたが、その様子じゃ大丈夫そうだな」
そう言っておっちゃんはガハハと笑った。そういえばこのおっちゃん、俺の事を人生に絶望して神学校に救いを求めに来た若者、みたいに思いこんでたんだっけ。
「ご心配くださってありがとうございます。そちらこそ、王都での生活はいかがですか?」
おっちゃんに向かって、俺は近況を聞いてみた。たしか、おっちゃんはモンスターに村を追われて王都に避難してきたんだったよな。中心街にいるとあまり避難民っぽい人を見かけないのでピンと来ないが、一般的に避難民の生活って、あまり楽しいものじゃない気がするんだよね。
そんな俺の予想は当たっていたようだった。おっちゃんは渋い顔で口を開く。
「まあ、そこそこだな。今のところは食べ物と住居を提供してもらっているから、飢えたり凍えたりすることはないだろうよ。
……だが、いつまでそれが続くかどうかは分からねえ。かといって、この王都で仕事をするには、避難民って肩書が邪魔をする。まあ、俺たちがこの街の職を奪うわけにもいかねえし、仕方ないんだがな。腕が錆びつきそうで困るぜ」
「そうでしたか……」
「それに、今回の討伐遠征で俺たちの村はモンスターから解放された。となれば、王国としてはさっさと村へ戻ってほしいと思っているだろう。避難民への支援はかなりの負担だろうからな」
ん? あれ? ひょっとして、おっちゃんが逃げてきた村って……。
「メルーゼ村にお住まいだったんですか!?」
「おう。言ってなかったか?」
そういえば、村の名前はともかくとして、石蜥蜴に襲われたとか言ってた気がするな……。そうか、このおっちゃんはあのメルーゼ村に住んでいたのか。偶然だなぁ……いや、ある意味では必然とも言えるけど。
「じゃあ、村に帰れるんですね」
それは嬉しい事だろう、そう思って口にした言葉だったが、おっちゃんは予想外の反応を見せた。
「それがなぁ……。なあ兄ちゃん、もしだぜ。もし兄ちゃんの村がモンスターに襲われて、村人に犠牲を出しながら王都に避難してきた身だとしたら、その村に戻りたいと思うか?」
「それは……」
「それでも、俺や女房はあの村に愛着がある。あんな恐ろしい事件はもう二度と起こらないと信じて、また村へ戻ることもできる。だがな」
その先の言葉は予想できたが、俺は黙って最後まで聞いた。
「子供たちがな、怖がってるんだよ。上の子はもういい年齢だから構わないが、下の娘はかなり脅えちまってな。『村に帰りたくない』とすら言ってるんだ」
おっちゃんはかなり悩んでいるようだった。一度入都審査の時に会っただけの俺にここまで話してしまうくらいだ。だいぶ参っているのだろう。家庭を持つって大変だな。
「だからよ、今日くらいは祭りを楽しんで暗い気分を吹き飛ばそうと思ってな!」
そう言うと、おっちゃんは明るい声を出した。そしてにやりと笑う。
「兄ちゃんの事も少しは心配してたんだが、そんな別嬪さんを恋人にしてるくらいだ、もう大丈夫だろう」
言いながら、おっちゃんはクルネに視線をやった。
「え!? わ、私は……!」
突然話題にされたクルネが顔を真っ赤にして手を振るが、おっちゃんはいい顔で彼女の抗議をスルーしていた。
と、そんな時におっちゃんに向かって声がかけられた。
「あ! おとうさん! やっとみつけた!」
見れば、どことなく見覚えのある女の子が、こちらを見てぶんぶんと手を振っていた。おっちゃんの娘さんだ。よく見るとその後ろに奥さんと息子さんの姿も見えた。
「あれ……?」
そこで、俺はふと違和感を感じた。なんだこれ。もう一度やってみよう。
「カナメ、どうしたの?」
そんな俺の様子に気が付いたクルネが声をかけてくるが、俺は答えずにもう一度彼を見た。……うん、これは間違いない。
そう判断した俺は、おっちゃんと話をしている家族に話しかけた。
「こんにちは」
「ん? 兄ちゃんどうしたんだ? 恋人を構ってやらなくていいのか?」
「いえ、前回もお会いしているのに、自己紹介もしないのは失礼かと思いまして」
そんな俺の言葉に、おっちゃんはポンと手を打った。
「そういえばそうだな。……なんだか今更だが、俺はロンメル・ワイト。あっちが女房のリドラで、そっちが息子のフェイム。この子が娘のキャロルだ」
「カナメ・モリモトと申します。前回は名乗りもせずに失礼しました。」
そう言うと、俺はおっちゃんの息子たるフェイム君に視線を合わせた。入都審査の時と言い今回と言い、彼が喋ったところを見た記憶がないが、ひょっとしてだいぶ無口な子なのだろうか。
「初めまして、フェイムさん。ひょっとして、貴方も鍛冶職人なのですか?」
「……ああ」
さすがにピンポイントで話しかけられては、答えないわけにはいかなかったのだろう。フェイム君がぼそっ、と言葉を返してくれた。
「やはりそうでしたか。なんだか鍛冶職人の空気を感じたものですから、ついお伺いしてしまいました。不躾で申し訳ありません」
俺はそう謝りながらも、フェイム君の表情が僅かに緩むのを見逃さなかった。
「こらフェイム、カナメさんはあなたより年上の方よ? そんな態度じゃ失礼よ?」
そこへお母さんのリドラさんが入ってきて、フェイム君を軽く窘めた。それを見て、俺は慌ててリドラさんを止める。
「ありがとうございます、リドラさん。ですが大丈夫です。元々、私が無理やり話しかけたようなものですからね。失礼があったとすれば私の方です」
俺がそう言うと、フェイム君が何か驚いたような顔でこっちを見た。どうしてそこまで下手に出るのか不思議なのだろう。
だが、当然ながら俺には理由があった。そのために、わざわざ接客モードまで召喚して、家族の会話に割って入るなんて荒行をこなしたのだ。
「突然話しかけてすみませんでした。今日はこれくらいで失礼します。……あ、ちなみにロンメルさん達はどちらにお住まいなんですか?」
「王都の西の端っこに、俺たちメルーゼ村民用の仮設住居があってな。今はそこに住んでる。大したもてなしはできねえが、もし近くまで来るような事があったら寄って行ってくれ」
「ありがとうございます。もし近くを通りがかった際にはぜひお伺いさせてください。……それでは、今日はこれで失礼します」
よし、とりあえず住所は把握したぞ。もしおっちゃん達がメルーゼ村に帰るなら、それはそれで連絡はとれるだろうし。俺はそんなことを考えながら、彼らと別れたのだった。
◆◆◆
「クルネ、すまなかった。突然置いていって」
おっちゃん達と別れてクルネと合流した俺は、まず彼女に謝った。
「ううん、気にしてないよ。……それより珍しいね、カナメが積極的に話しかけにいくなんて」
さすがはクルネだった。付き合いが長いだけあって、俺の行動パターンをよく知っている。
「貴重な人材を見つけたからな」
俺の言葉を聞いて、一瞬首を傾げたクルネだったが、すぐにピンときたようだった。さすがは元転職屋の店員だ。辺りが人で賑わっていることもあり、それ以上の会話はしなかったが、たぶん伝わっているはずだ。
もっとも、何の固有職かまでは気付いていないだろうなぁ。……まあ、俺にも確証はないんだけどさ。
「……あ! カナメ、パレードが始まるみたい」
そんな事を考えていると、クルネが少し興奮した様子で口を開いた。もう少し近くでみよう、と人混みを縫って大通りに接近する。
俺たちが大通りについた直後、荘厳な音楽が流れ始めた。音のする方を見れば、音楽隊がパレードの先頭を歩いているのが目に入る。まさに、パレードが始まったところだった。
あまり派手にならないよう抑えながらも、人の心を浮き立たせるという、非常に高度な音楽演奏に先導されて、十台ほどの大きな馬車が大通りを進んでいく。馬車はパレード用のオープンタイプのものであり、そこにいる討伐遠征の功労者たちの姿がよく見えた。
一人だけ遠征時に見た事のない中年の男性が混ざっていたが、あの人が噂に聞く今回の討伐遠征の資金提供者なのだろう。そんなことを考えながら、俺はパレードを見物していた。
「すごいね……!」
クルネは目を輝かせながらパレードを眺めている。彼女は討伐遠征で岩蜥蜴の群れの過半数を屠った殊勲者であり、本来ならばガライオス先生やミュスカと同じ扱いを受けてもおかしくはない身だ。
だが、冒険者パーティーのおかげで討伐に成功した、などという噂が立ってしまっては、せっかくの教会主導イベントが台無しだ。そのため、彼女のパーティーは誰一人としてパレードには参加していなかった。
クルネは「冒険者はそういうものだよ」と笑っていたが、なんだか釈然としないよなぁ。……まあ、俺が教会の立場だったら同じ判断をするとは思うけどさ。
「ねえカナメ、あの子『聖女』様じゃない?」
「ほんとだ、ミュスカだな。……ちなみに、ミュスカは『聖女』じゃないけどな」
「え? そうなの?」
そんな話をしながら、俺は馬車を眺めた。ミュスカの乗った馬車が近づくと、歓声が一際大きくなる。本当にアイドル状態だな。討伐遠征の功労者が掛け値なしの美少女とくれば、その人気も分からないではないが、身近な人間であるだけに、どうにも違和感が拭えなかった。
そんなことを思いながらミュスカに視線を向けると、彼女は意外と気丈に振舞っていた。満面の笑みではないものの、はにかんだ笑みを浮かべたまま、見物人に向かって手を振る。若干顔が青白いような気もするが、見慣れた人間でなければ分からないレベルだろう。
ミュスカの衣装は、白を基調とした、法服とドレスを組み合わせたような不思議なデザインだった。そこに控えめにつけられた装飾品が、華やかさと荘厳さを同時に表現する。その姿は、まさに『聖女』のようだった。
……なるほどなぁ、最近ミュスカが授業後すぐに帰ってたのは、この衣装を用意するためでもあったんだろうな。
そんな事を考えながらミュスカを見ていると、じーっとこちらを見ているクルネの視線に気づいた。
「遠征の時から思ってたんだけど、カナメって、あの『聖女』様と仲がいいんだね」
「そりゃクラスメイトだからな」
「……そっか、そうだよね」
クルネから歯切れの悪い返事が返ってくる。そこで、俺がさらに口を開こうとした時だった。クルネのすぐ後ろに、俺は見知った顔を見つけた。
「あら、カナメさん?」
ほぼ同時にお互いを発見した二人だったが、口を開いたのはミルティの方が早かった。
「え? ミルティ?」
「クーちゃん、お久しぶり。討ば……じゃなかった、お仕事おつかれさまでした。無事でよかったわ」
そう言うと、ミルティは笑顔を見せた。それにしても、と彼女は言葉を続ける。
「まさか、あのミュスカちゃんがこんなに有名になっちゃうなんてね……」
「ミルティ、あの『聖女』様を知ってるの?」
ミルティの言葉を聞いて、クルネは驚いたようだった。
「だって、カナメさんに頼まれて、ミュスカちゃんが石化防護を習得するお手伝いをしていたもの」
「そうだったんだ……ありがとね、ミルティ」
なんだかよく分からないが、クルネがミルティに感謝していた。何かあったんだろうか。
「え? どうしてクーちゃんがお礼を言うの?」
「実を言うとね、戦っている時に魔眼を浴びてしまったの。でも、彼女の石化防護のおかげで無事にすんだのよ。だからミルティ、本当にありがとう」
今度は俺たちが驚く番だった。まさか、ミュスカの気紛らわし目的で習得させた石化防護が、クルネの危機を救うとは思ってもみなかった。ミルティにしたって、半分魔法理論の確認のつもりだったみたいだしな。
そんな事を考えていると、またもや俺たちに向かって声がかけられた。
「ん? なんやカナメ、こんなところにおったんかいな。」
「クルネ、こんな所にいたのか。僕たちが立役者となったパレードを一緒に見ようじゃないか!」
「ミルティ、やっと見つけたわよ!もう、同居人にあんまり心配をかけないでよね!」
……それも、複数の声がほぼ同時に。なぜだ。俺たちはそんなに目立ってたんだろうか? そんな事を考えている間にも、俺たちの周りが急に賑やかになった。
「カナメ……!自分というやつは、毎回毎回綺麗どころを……!」
「クルネ、僕たちもしばらくこの王都に残ることにしたよ。これで――」
「これは……出会いの予感かしら!?」
「……あまり気にするな。パーティーとして利益になると、思っただけだ」
「意外と君は知り合いが多いんだね」
「ちょっと、それ以上ここで口にしちゃダメでしょ!?」
「カナメ君って、けっこう悪どいのね……」
「なんだこりゃ……」
俺は思わず呟いた。周囲の人間が一斉に話し始めたおかげで、何が何だかさっぱり分からない。なんだか人目を引いてるし、こっそり逃げ出そうか。そう真剣に検討していた時だった。
「クローディア王国教会大司教、バルナーク・レムルガントである」
辺り一帯に、聞き覚えのある声が響き渡った。拡声魔道具を組み合わせて、かなり遠くまで音を届かせているのだろう。その特徴的なバリトンボイスが響くと、大通りはしん、と静かになった。
「此度は凶悪なモンスターの討伐、非常に大義だった。メルーゼ村を占拠したモンスターの数は百を超えていたと聞く。
その困難な戦いの中にあり、死者を出さず討伐を大成功に導いた諸君らには、いくら感謝しても感謝しきれぬ。これは、我らがオルファス神の御心に適う偉大なる功績となろう」
俺のいる場所からは見えないが、バルナーク大司教は、討伐隊メンバー、特にガライオス先生とミュスカに向かってありがたい言葉を口にしているようだった。
ちなみに、遠征の道すがら聞いた話では、ガライオス先生の「特別司教」という役職は、以前に行われた討伐遠征で活躍した先生のために、このパレードの場で授与された役職らしい。ということは――。
そんな俺の考えを裏付けるように、バルナーク大司教の言葉は続いた。
「その中でも、ミュスカ・デメール。貴公が治癒師として果たした役割は非常に大きい。此度の遠征は死者ゼロという快挙を成し遂げているが、それも貴公の癒しの力があってのことだ。
また、貴公は岩蜥蜴が石化の魔眼を使う事を知るや、その抵抗魔法をも習得してみせた。同胞の為に全力を尽くすその姿勢は、我々の規範となろう」
そこで、バルナーク大司教は一呼吸間を置いたようだった。だが、周囲の観衆は誰一人口を開かない。そんな中、バルナーク大司教の、今までよりも力強い声が再度大通りに響き渡った。
「よってその功績を讃え、クローディア王国教会はミュスカ・デメールを『聖女』として認定する事をここに宣言する!」
その瞬間、凄まじい歓声が上がった。爆発的に膨れ上がった歓声は、もはや大通りだけではなく、王都全体に響き渡っているのではないかという錯覚を抱かせる。
彼らの熱狂が収まるまでには、まだまだ時間がかかりそうだった。
これが、ミュスカが『聖女』として認定された瞬間だった。