事後処理Ⅱ
リカルドとクリストフ。二人の評議員を交えた会話は、途切れることなく続いていた。
「―――地竜の素材を?」
「ああ。竜玉や瞳は使ってしまったが、まだ物騒な魔力を放つ素材が転がっていたはずだ」
「なるほど。それを各村に据えておけば、モンスターは恐れて近寄ってこない可能性が高いね」
「強い魔力にさらされることへの懸念はあるから、長期間の使用は控えるべきだろうな。そのあたりはミルティに相談したほうがいい」
「後は、盗まれないように工夫がいるね。売れば一生遊んで暮らせるレベルだろうから」
彼らが訪ねてきてから半刻ほど経っただろうか。最初はどこかで止めるべきかと悩んだクルネだったが、よく考えればカナメの症状は筋肉痛だ。無理やり止めることもないと、途中からはのんびり構えていた。と――。
「おや? お客さんかな」
リカルドがそう告げた時には、すでにクルネが扉へ向かっていた。今度こそクルシス神殿の誰かだと思って扉を開けると、またもその予想は外れる。
「クルネちゃん、カナメ倒れたんやって?」
訪問者はコルネリオだった。いつもの愛嬌のある笑みを浮かべているが、その目は真剣なものだ。
「うん。でも大丈夫。筋肉痛だから」
何度もカナメに説明させるのは気の毒だと、クルネから症状を説明する。呆気に取られた様子のコルネリオは、やがて大きな笑い声を響かせた。
「クルシス神殿で、カナメが寝込んでるっちゅう話を聞いて来てみれば……」
笑いながら、コルネリオは手にしていた大きなバスケットを手渡してくれる。美味しそうな匂いがするから食べ物だろう。来客につられて忘れていたが、そう言えばこの家には食料がなかったわけで、それは非常にありがたい差し入れだった。
「ま、ミュスカちゃんやミルティちゃんを呼んでへん時点で、深刻やないとは思ってたけどな。むしろ、クルネちゃんとしっぽりやるための口実かと思ってたわ」
「な――」
唐突な言葉に言葉を失う。顔に熱が集まるのを自覚している間に、コルネリオはひょいっと寝室へ向かった。
「カナメ、調子はどないや? ……って、リカルドたちも来てたんか」
コルネリオを追いかけて寝室へ向かうと、何やら笑い合っている四人の姿が目に入った。それぞれが辺境を代表する人物のはずだが、こうして見ると悪ガキ四人が集まっているようで、なんだか微笑ましいものを感じる。
「コルネリオ君、差し入れありがとう。食料がなくて困ってたの」
そう言ってバスケットの中身を見せると、カナメの表情が輝いた。やはり空腹だったのだろう。
「今日のところは友情料金や。気にせんと食うてや」
「嬉しいが、友情料金の詳細を聞きたい」
「ん? まあ、時価っちゅうやつやな」
「絶対高いやつだろ!」
和気藹々と会話をしながら、カナメがサンドイッチに手を伸ばす。
「ほら、クルネも食べよう」
「うん。コルネリオ君、ありがとう。本当に助かったわ」
「なっはっはっ、需要のあるところに供給する。商売の基本やからな」
照れ隠しなのか、コルネリオはいつも以上に陽気に笑う。その言葉を聞いて、ふとクルネは首を傾げた。
「あれ? この家に食料がないことを知ってたの?」
「一昨日の夜、ここで酒盛りした時にな。ツマミを探したら何もあらへんかった」
コルネリオは肩をすくめる。その一方で、クルネは一昨日の記憶を掘り返していた。
「そう言えば……あの時、茂みに何人か隠れてたわね」
そして思い出す。害意は感じなかったし、あの時はそれどころではなかった。そのため放置していたのだが――。
「誓って覗いたりはしてへんで? ただ、命運を賭けた決戦やったし……」
「ああ。だから、カナメと飲み交わしておきたかったんだ」
コルネリオをフォローするようにリカルドが口を開く。どうやら彼も参加者だったらしい。となれば、おそらくクリストフも同様だろう。そんなことを考えていると、カナメがコルネリオへ呼びかける。
「コルネリオ、倒したモンスターの素材はどうだ? 高く売れそうか?」
その言葉を受けて、全員の表情が真剣なものへ変わる。今回の戦いで得られたモンスター素材は、自治都市ルノールの所有とする。カナメの『聖戦』によって一時的に転職した者たちが書いた契約書だ。
彼らには報酬が支払われるが、それはあくまであらかじめ定められた金銭によるものであり、得られた魔物素材はその支払いや破壊された施設の修理費用などに充てられる予定だった。
「売れるんは間違いないけど、売り方は考えるべきや。今回の出費を補填するために、ルノール評議会にはまとまった金がいる。だから魔物素材を急いで売りさばきたい。そんな事情は誰だって推測できる」
「なるほど。足下を見られるわけだね」
クリストフが頷くと、コルネリオはさらに言葉を続ける。
「それだけやあらへん。素材が大量に出回れば値崩れを起こすし、今後の相場や流通に悪影響も出るやろ」
「まとめて売りさばくのは悪手だろうな」
「幸い、もともとの固有職持ちも大半が『素材はルノールに寄付する』言うてくれてる。おかげで出荷量は調整できる」
「だが、それで今回の支出を賄えるかい? 以前の帝国との戦争と違って、今回は賠償金も取れない。……だろう?」
リカルドが視線を向けると、カナメは渋い顔で口を開いた。
「あの教団は金銭を貯め込んでいる様子がないらしい。統督教が威信にかけて追及するだろうが、こちらに回ってくるとしても微々たるものだろうな」
今回の戦いにおいて、統督教は大人数を無償で派遣してくれていたはずだ。それを考えると、これ以上の要求はしにくいのだろう。
「だけど、それならどうする? マデール商会やコルネ商会がルノール評議会に貸し付けることはできるだろうけど、それで賄える規模じゃないよ」
「生産職の固有職持ちと話をして、いざとなれば貸してくれる算段はつけた。ただ、それでも十全な金額とは言えないし、できれば最終手段にしたいところだね」
クリストフとリカルドが同時に小さく溜息をつく。もともと潤沢な資金などない評議会としては悩みどころだ。
「今考えてるんは前金方式やな。先に代金をもらって、ブツは定期的に納入していく。もちろん代金に色つける必要はあるやろうけど」
「なるほどな。俺は希少な魔物素材を購入する権利を販売するつもりだったが……そっちに応じる商会がいるなら、そのほうが話は早いな」
「お、それも面白そうやな。併せて検討するわ」
「あと、プロメト神殿長から聞いた話だが……『名もなき神』の恐怖から解放してくれた神子とやらに、結構な金額の寄付が集まり始めているらしい」
カナメがそう告げると、場の全員が笑い声をもらす。
「あはは、その『神子』とやらに感謝しないとね」
「動きが早すぎないかい? 昨日の今日だろう」
「どうせ統督教が根回ししてたんだろうな。とは言えこの際だ。貰えるものはありがたく貰っておくさ」
そうして、またあれこれと金策を考え始める。それぞれが多忙を極める彼らだったが、その様子はどこか楽しそうに見えた。
◆◆◆
「キャロちゃん! 会いたかったわ!」
ノクトフォール工房の主にして、クルシス神殿の特別顧問であるミレニアの第一声はそれだった。
「キュ?」
「はぁぁぁ……癒されるわ」
リビングの床で丸くなっていたキャロを抱き上げると、幸せそうな顔で頬をすり寄せる。この姿を見て、かつてクルシス本神殿で辣腕を振るった筆頭司祭だと分かる人間はごく少数だろう。
「それで、カナメ君は大丈夫? 筋肉痛って本当なの?」
「はい。もうだいぶ収まりました」
ミレニアの問いかけに、カナメは腕を軽く振って答える。そろそろ陽が落ち始める頃合いであり、彼は順調に回復しているようだった。
「それならよかったわ。筋肉痛は方便で、実は深刻な事態だったらどうしようかと思っていたのよ」
「まあ、普通は筋肉痛で寝込むとは思いませんよねぇ」
「あのマイセン君の水薬なんでしょう? それを考えればあり得る話よ。……それにしても、カナメ君が寝込む姿なんて初めて見たわ」
「今回はちゃんと統督教絡みの案件ですからね。堂々と寝込んでいられます」
「ふふ、たしかに政治的干渉への配慮はいらないわね」
そんな挨拶をして、二人はリビングの椅子に座った。両者とも真面目な顔をしているのだが、ミレニアは相変わらずキャロを抱っこしているため、どうにも緊張感に欠ける光景だ。
「代わりに会議に出てくれたんですよね? ありがとうございました」
「お礼には及ばないわ。これでもクルシス神殿の特別顧問だし、オーギュスト副神殿長は神殿に残っているべきだったから」
ミレニアは微笑みを浮かべる。二人が話題に出している会議とは、神殿や教会など、辺境の各宗派の代表が集まって行われたものだ。
議題はもちろん『名もなき神』討伐の後始末であり、本来ならカナメが参加するべきところを代わってもらった形だ。
「それで、どうでした?」
「問題なかったわ。共通の敵を倒すために連帯したことで、一時的であれ仲間意識が生まれたようね。統督教の会議とは思えない和やかさだったもの。……こっちは」
「やっぱり王都は揉めそうですか」
カナメがそう尋ねると、ミレニアは苦笑を浮かべた。
「さっきプロメト神殿長と念話機で情報交換をしたけれど、あっちは相変わらずのようね」
「本神殿や本教会が揃っていますからね。何も手を打たなければ、クルシス神殿だけが評判を上げるのは明らかですし」
「さすがにカナメ君が『名もなき神』を倒した事実は隠蔽できないから、統督教が一体となって対処した形に持っていきたいみたいよ」
「いいんじゃないですか? 終盤は何かと便宜を図ってもらいましたから」
カナメはあっさり頷いた。『名もなき神』との決戦直前に、人材や物資の援助を受けたことは事実だ。それが辺境の被害を抑えることに大きく役立ったことも間違いない。
「各神殿や教会から選出された人材が『名もなき神』と戦って、カナメ君が最後にとどめを刺したことにしたいそうよ」
「『名もなき神』と直接戦ったことにしたいと? それは欲張りましたね」
ミレニアの言葉にカナメは目を瞬かせた。そこまでの改変はさすがに予想外だったらしい。
「奴と直接戦ったラウルスさんやクルネたちは、絶望的な戦いに堪えてなんとか勝利を掴んでくれました。あの時誰が欠けていても『名もなき神』は倒せなかったでしょう。本当にギリギリの戦いでした」
そう告げるカナメの声には強い力がこもっていた。
「参戦者を水増ししたり、逆に隠蔽することは、あの戦いに命を賭けてくれたメンバーに失礼です。侮辱と言ってもいい」
そして、きっぱり言い切る。彼にしては珍しい反応だが、それだけ思いが強いのだろう。そのことが嬉しくて、クルネの口角がひとりでに上がる。
「カナメ君の気持ちは分かったわ。そこは譲れないとプロメト神殿長にも伝えておくわね」
「大丈夫なんですか?」
クルネは思わず口を挟んだ。カナメの気持ちは嬉しいが、クルシス神殿が厳しい立場に立たされるのではないだろうか。
「大丈夫よ。今回の一件は完全にクルシス神殿が優位だもの。勝ち過ぎないように調整する、というのが正直なところね」
「ただ、ラウルスさんとミルティには苦労をかけるかもしれないな。後で連絡しておくか」
「どういうこと?」
カナメの言葉にクルネは首を傾げた。あの二人に何があると言うのだろうか。
「宗教的な勧誘だな。実際に『名もなき神』と戦った人物が自宗派の信徒であれば、戦いに大きく貢献したと喧伝できる」
「クルネさんと『ルノールの聖女』は、クルシス神殿や王国教会との繋がりが深くて勧誘できない。となれば、残る二人を獲得したくなるじゃない?」
二人の説明を受けて、クルネはげんなりした表情を浮かべる。ラウルスもミルティもそういったことに興味はないから、たしかにいい迷惑だろう。
「えー……でも、今から信徒になっても時系列が逆じゃない?」
「その程度は誤差の範囲よ」
当然のように答えるミレニアに、クルネは苦笑を返すしかなかった。そうして心の中で二人に謝っていると、カナメが投げやりに口を開く。
「もう、いっそ各宗派の英雄が『名もなき神』への道を切り開いてくれた、とかでいいんじゃないですか?」
「適当ねぇ……でも、それくらいでいいかも」
ミレニアもまた、適当な様子で相槌を打つ。戦いの舞台となったこの地の人間としては、向こう側の争いにどうも身が入らないのかもしれない。
「まあ、後はプロメト神殿長に任せましょう? きっといつもの顔で乗り切ってくれるわ」
やがて、ミレニアはいいい笑顔で言い切った。上司に後事を丸投げして、彼女は腕の中の妖精兎を撫で続けるのだった。
◆◆◆
「キャロちゃん、また明日ね。……明日まで会えないなんて辛いわ」
「キュッ!」
「ええ、そうよね。また朝一番で会いに来るわ」
「キュ?」
何度もキャロとの別れを惜しみつつ、ミレニアが去っていく。その後ろ姿を見送ってから、二人と一匹は部屋へ戻った。
「もう夕方か……」
「神殿にいなくても、結局働き詰めだったね」
そう笑えば、カナメは申し訳なさそうに謝ってくる。
「すまなかった。まる一日看病させてしまったな」
「ううん。私にとっては護衛も看病も同じことだもん」
そんな会話をしながら、カナメは台所へ向かった。ゴソゴソと麻袋から取り出しているのはキャロの夕食だろう。そう言えば、あの台所には人間の食料はないのだった。
忙しくなってからはあまり料理をしていないが、それでも数日分の朝食くらいは常備していたはずだ。さっきは来客で聞けずじまいだったが、カナメはどうして――。
「……あ」
そんなことを考えていたクルネは、ふと気付いた。二日前からこの家に食料がない理由。そんなものは一つしかない。
「ねえ、カナメ? その……食料のことだけど」
自分の予想に胸が締め付けられる。それでも、クルネはカナメの目をまっすぐ見つめた。
「わざと食料を買わなかったのね? ……自分がいなくなるかもしれないから」
「……」
カナメは答えない。だが、能弁な彼が沈黙している。それ自体が答えだった。
「ごめんね、責めてるわけじゃないの。ただ、カナメの覚悟を理解しきれてなかったなって、そう思っただけ」
「……死ぬつもりはなかった。ただ、色々な可能性があったから」
カナメは神妙に告げる。生命の危険はもちろんだが、生き残ったとしてもクルシス神に侵食されて自我が消える可能性はあったのだ。実際に、危うく消えるところだったと昨日のカナメも言っていた。
「うん。分かってる」
それが分かっているからこそ、クルネも文句を言うつもりはなかった。ただ――。
「……ちょっと、寂しかっただけ」
堪えきれず、クルネは小さく呟いた。目の前のカナメが幻覚のように思えてきて、彼に触れようと手を伸ばす。
「――悪かった」
その時だった。クルネの手が届くより早く、カナメが彼女を抱きしめる。
「え!? あ、わっ――」
動揺したクルネから謎の音声がこぼれ出る。昨日も似た状況だったはずだが、さっぱり慣れた気がしない。
「約束する。もうそんなことはしない」
それでも。そんなカナメの言葉は、すんなり受け止めることができた。
「……うん」
クルネは素直に頷く。カナメのことだ。これからも激動の人生を歩むのだろうが、もうクルネを置いて行こうとは考えないはずだ。それだけで充分だった。
「クルネ。一つ聞きたいんだが……」
彼女がそんな思いで満たされていると、ふとカナメが口を開いた。抱きしめられているせいで、自分の後頭部から声が聞こえてくる。
「どうしたの?」
少し甘えるような声音で聞き返す。それだって気恥ずかしいが、これくらいは調子に乗ってもいいはずだ。そう自分に言い聞かせる。
「この香りって、一昨日の夜に――」
「わーーー!」
だが、そこまでだった。あの時、カナメに迫った記憶が。そして今、自分の首筋に顔を近付けられている感触が、クルネの羞恥心を限界まで刺激する。
「うわっ!?」
とっさに力をセーブしたものの、突き飛ばされたカナメが後ろへ数歩よろめく。
「ご、ごめん……大丈夫?」
そう謝れば、カナメもまた謝罪の言葉を口にする。
「悪かった。今のは俺が無遠慮だった」
「カナメが謝ることじゃないわ。ただ、その話題はその……もう少し覚悟ができてからというか……」
クルネがしどろもどろに弁明していると、ふとカナメが笑顔を浮かべる。それがなんだか悔しくて、クルネは軽く拗ねてみせた。
「もう、何よ」
「いや、『名もなき神』に勝ってよかったなって」
それだけを告げると、カナメはクルネに向かって手を差し出す。その仕草はまるでエスコートのように見えた。
「まだ先は長いんだし、のんびり行こう。……というわけで、夕食を食べに行かないか?」
「うん! 今日くらい贅沢してもいいよね」
突然の提案だったが、クルネは全力で賛成する。それはいつものやり取りだったが、どこかお互いに緊張しているように思えた。
「自分で言うのもなんだが、今日はどの店に行ってもサービスしてもらえる気がする」
「その代わり、ひっきりなしに挨拶されることは覚悟しなきゃね」
「……個室のある店を選ぼう」
それでも、今が幸せなことに変わりはない。そんな思いを噛み締めて、クルネは今晩訪れる料理店を選ぶのだった。
今回の外伝はここまでです。
ご覧くださってありがとうございました!