湖の街Ⅳ
「何をしていると申されましても、こうして案内をしているだけですが」
この場所を『聖地』と呼んだ、七十人ほどの集団。殺気立った彼らと比べて、アウルさんは平静を保っているように見えた。
「白々しいね。……アウル。次はないと言ったはずだよ」
そんな彼らを割って、後ろから年配の女性が現れた。その雰囲気からすると長老格なのだろうが、背筋は伸びているし、眼光も鋭い。一筋縄ではいかない人物のように思えた。
「もちろん覚えていますとも。ですが、あの時禁じられたのはこの場所を荒らすこと。ただの案内まで禁じられた覚えはありませんな」
「聖地によそ者が存在している時点で、荒らされたも同然さ」
「それは言いがかりでは? そもそもここは共有地です。貴女がたが占有する根拠はありません」
「根拠だって? アンタらよそ者が住みつくずっと前から、ここはアタシたちの聖地だよ」
二人の論戦は続く。どうやら彼らは顔見知りであり、すでに衝突した経緯があるようだった。
「では、それを証だてる書面でもお持ちですか?」
「書面、書面……アンタたちはいつもそうだ。そうやって人のものをかすめ取ろうとする。澄ました顔をしてる分、コソ泥より性質が悪いさね」
彼女は吐き捨てるように告げて、後ろへちらりと一瞥をくれる。すると、集団の中から体格のいい十人ほどが進み出てきた。その雰囲気からして、俺たちを捕らえるつもりなのだろう。
聖地――特に土地神派のそれには、みだりに足を踏み入れてはならない。彼らにとっては、御神体を足蹴にされているようなものだから。怒りの形相を浮かべた彼らを見ているうちに、神学校で教わった知識をふと思い出す。
「……湖の民は、統督教の神官に手を出すのですか? 我々を害するようなことがあれば、それは統督教全体への宣戦布告ということになりますな」
「バレたらの話だろ?」
「我々がこの遺跡へ赴くことは、商会にも伝えています。もし何かあれば、まず貴女がたを疑うことになるでしょうな」
「それで脅したつもりかい?」
冷たい怒りを秘めた瞳で、彼女はアウルさんを睨みつけた。そして、その視線はシュミットへと移される。
「シュミット。アンタは教会の中ではマシな部類だと思ってたけど……見損なったよ」
「待て、俺は――」
「弁解の言葉なんざ聞きたくないね。アンタはアタシたちに無断で、しかも聖地を売り物にしようと企む不届き者と一緒に、ここへ潜り込んだんだからね」
「だから、俺の話を――」
なおも何かを訴えようとするシュミットだったが、長老らしき女性がそちらへ視線を向けることはなかった。そして、その代わりとでもいうように俺に視線を向ける。
「……で? アンタは誰だい?」
「俺の友人だ。そいつは俺の都合に巻き込まれただけで、意図してこの場所を訪れたわけじゃない」
俺より先にシュミットが口を開いた。俺を庇うかのような発言に驚くが、こっちの立場を気遣ったのだろうか。それとも、巻き込んだことに責任を感じているのか。
「だから、俺たちはともかく、そいつは――」
「黙ってな。アンタにゃ聞いてないよ」
だが、彼女はぴしゃりと言い放って、再び俺に視線を向ける。
「私はクルシス神殿の神官です。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
俺の答えをどう受け取ったのか、彼女は疑り深い眼差しを向けてくる。ちなみに、テオはいつの間にか透明化しており、彼らには気付かれていないようだった。
「嘘だね。クルシス神殿にアンタみたいな男がいた記憶はない」
「そうでしょうね。つい数日前に来たばかりですから」
営業スマイルで答えながら、透明化しているテオを手で制する。この場に固有職持ちがいないことは確認済みだ。となれば、反感を買う対抗手段は奥の手にするべきだろう。
「……まあ、そこを詰めても仕方ないか。問題はどうしてここにいるかだよ」
「シュミット司教補佐からも説明がありましたが、私は彼の友人でして。その縁で誘われたのです」
クルシス神殿の重鎮だということを悟られないように、だいぶぼかして説明する。そんな俺を彼女は探るように見つめてきた。
「この場所を聖地と知らず、足を踏み入れてしまったことをお詫び申し上げます。できることなら、話し合いを提案したいのですが」
「話し合うことなんてないね。アンタだって、クルシス神の神像を踏みにじられたら許せないはずさ」
「そんなことがあれば、たしかに憤りを感じることでしょうね。ただ、行き過ぎた量刑は禍根を残します」
「聖地を踏みにじった奴らに、行き過ぎた量刑なんてないさ。殺されても文句は言えない」
「お腹立ちはごもっともですが、ここは王国内です。王国法に則った扱いを求めるのは間違ったことでしょうか?」
俺と彼女の間で、そんなやり取りが何度も続く。やがて、彼女は少し疲れたように息を吐いた。
「アンタはなんというか……丁寧すぎて胡散臭いね。商人かい?」
「いえ? 神官だと申し上げましたが……」
「ま、どっちでもいいさ。アンタはどこか得体が知れない感じがする。早く聖地から出て行ってほしいところだ」
彼女はそう前置くと、アウルさんへ険しい視線を向けた。
「そうさね……そこのアウルを置いていくなら、アンタとシュミット司教補佐は見逃してやるよ」
意外な譲歩に目を見開く。だが、俺たちを半ば騙すような形で連れてきたのは彼であり、納得のいく提案でもあった。
「……なるほど。ですが、この島へ乗りつけた船はアウルさんの所有です。彼がいなければ漕ぎ手も動かないでしょう」
「ああ、心配ないよ。アンタたちはアタシたちが送り届けてやる。運悪く沈んじまった商会の船から、たまたま生存者を助け出すだけだ」
「そういう筋書きですか」
「どうせ口外できないだろう? 聖職者ともあろう者が、仲間を生贄にして、自分だけは命を助けてもらったなんてさ」
その言葉に沈黙する。正直に言って、俺はアウルという商人を怪しんでいた。俺やシュミットといった統督教の人間を利用して、聖地の観光地化を一気に進めようとしているのではないかと、そう疑っていたのだ。
もちろん彼を見殺しにするのは寝覚めが悪いが、彼の思惑に踊らされるのも本意ではない。
と、その沈黙を提案に乗り気だと解釈したのか、長老格の女性は俺にニヤリと笑いかける。
「心は決まったかい? それじゃ――」
その時だった。
「長老、ちょっと待て! そいつ、アムリア様を騙っている奴らの黒幕だ!」
「っ!?」
告発の声が遺跡に響き渡る。その言葉に湖の民が一斉にざわめき始めた。だが、それはこちらも同じことだ。いったいどこでバレたのだろうか。そして、何よりも――。
「アムリア『様』だと……?」
「俺にもそう聞こえた」
シュミットの呟きを肯定する。やはり彼らが『名もなき神』の残党だったのか。俺たちがそう疑う一方で、彼らもまた怪訝な視線を向けてくる。そして、彼らを代表するように長老格の女性が口を開いた。
「今の話は本当かい?」
「それは……」
シュミットが口ごもると、彼女の目がスッと細められる。
「やれやれ。初犯は逃がしてやるつもりでいたけど……そうなれば話は別だ」
「ちょっと待ってください。貴方がたは、なぜアムリアを知って――」
そう問いかけるが、もはや彼女は聞く耳を持っていないようだった。
「やっぱり、アンタらは拘束させてもらうよ。生きて帰れるかどうかは……湖の裁きしだいかねぇ」
彼女の言葉と同時に、再び俺たちを捕らえようと集団が動き始めた。さすがにここが限界だろうと、俺は一歩後ろへ飛び退る。
「――テオ!」
そう叫べば、透明化しているテオが人々と俺の間に入り込んだ。何もない空間に突き飛ばされて、先頭集団の数人が地面に転がる。その様子を見て、彼らの間に動揺が広がった。
「なんだ!?」
「気を付けろ! 何かがいるぞ!」
俺を取り囲もうとした男たちが警戒の声を上げる。そして――。
「キュ!」
キャロの軽い鳴き声と共に、シュミットのほうへ向かった男三人がまとめて吹き飛ばされる。体長三十センチの兎に蹴り飛ばされたことが信じられないのか、場がしん、と凍り付いた。
「お前……俺を守ったのか……?」
そんな中で、キャロの実力を知っているシュミットだけは別の驚きに捕らわれているようだった。
「キュッ」
シュミットの足の上に、キャロはぽてっと右の前脚を置いた。気にするなと言わんばかりの様子に、思わず俺の頬が緩む。
「こいつら、手強いぞ……!」
その一方で、湖の民からは強い焦りが感じられた。そして――。
「ちっ、ゼザ抜きじゃ厳しいね。いったん引くよ!」
戦況の圧倒的不利を悟ったのだろう。長老が指示を出すと、彼らはさっと引いて地上への階段を駆け上がっていく。ゼザというのは、あの海賊の固有職持ちのことだろうか。
その引き際のよさに感心していた俺は、ふと疑問を抱いた。ここが彼らの聖地であることは疑いない。戦況が不利だったとはいえ、あまりにあっさり引き上げたような――。
「しまった!」
俺は慌てて地上へ繋がる階段へ向かった、その隣を、透明化を解除したテオが並走する。
「神子様、どうしました?」
「テオ、先に行け。もし俺が相手の立場なら、乗ってきた船を壊してこの島に閉じ込める」
「なっ!?」
驚きの声を残して、テオの姿がかき消える。全力で湖上船へ向かったのだろう。だが……。
「間に、合わなかった、か……」
ようやく追いついた俺は、息を切らせながら呟く。眼前に広がっていたのは、修理不能なレベルで破壊された船体と、縛り上げられた漕ぎ手たちだった。
◆◆◆
「なるほど……海賊の固有職持ちが相手では、抵抗も難しいか」
「はい……申し訳ありません」
アウルさんと従業員の会話に耳を傾けながら、残骸となった湖上船を眺める。俺が予想したとおり、湖の民は俺たちの船を破壊した上で去っていったようだった。
この湖は非常に広く、直径は二十キロを超えているだろう。素人が泳いで渡れる距離ではない。そんな現状を認識しながら、小声でシュミットに話しかける。
「まさか、閉じ込められるとはなぁ」
「湖の民がこうも短慮な行動に出るのは予想外だ。……それだけ追い詰められているということか」
「追い詰められているというのは、あの古代遺跡を巡った争いのことか?」
「そうだ。場所は不明だったが、聖地とやらを巡って揉めていることは把握していた」
「湖の民のほうが劣勢だったのか」
「湖の民以外の住民にとっては、観光の目玉にしたほうが儲かるからな。まして、今は自治都市化の機運が高まっている。そのために必須だと言えば、多くの住民は賛同するだろう」
「なるほどな……」
俺はアウルさんをちらりと見る。彼は従業員と話すのに忙しい様子だった。
「神子様、この島から脱出する方法にお心当たりはありますか?」
そんな話をしていると、テオが困った顔で問いかけてくる。だが、俺は首を横に振るしかなかった。
「いや……ぱっと思いつかないな」
「アウルさんは、消息を絶った自分のために救助船が来ると確信しているようですが……」
「わざわざ船を破壊するような奴らが、救助船を近付けるとは思えないな。まして、相手には海賊の固有職持ちがいる。水中での立ち回りはお手の物だろう」
せめて俺の前に顔を出してくれれば、村人に転職させてやることもできるのだが……今のところ、それらしき人影は見当たらなかった。
「クルネが心配だし、早く帰りたいんだけどな……」
湖水が広がる光景を前にして、ぼそりと呟く。時空魔導師に自己転職して空間転移を使う方法も考えたのだが、俺の技術では遠くへの空間転移は精度が下がる。湖の上に転移して、そのまま溺死する可能性は否定できなかった。
「それに、救助船が次々沈められると大問題だからな。今は死者が出ていないからマシだが、これ以上は湖の民の立場が決定的に悪くなる」
シュミットは眉根を寄せる。この街を管区にしている身からすると、その諍いは頭を悩ませるものだろう。辺境でも似たようなことが起きるため、その気持ちはよく分かった。
「面倒なことになったな……」
いつの間にか夕陽を映している湖面を見ながら、俺は一人呟いた。
◆◆◆
「結局、一夜を過ごしてしまったな」
「フン。おかげで身体がガタガタだ」
島に閉じ込められた翌朝。シュミットと顔を合わせた俺は、同時に大きく欠伸をした。今いるのは、湖の民が聖地と呼んでいる古代遺跡の中だ。
防衛機能を懸念して建物の中には入っていないが、湖底で空気を維持している技術は、同時に過ごしやすい適温を提供してくれていたのだ。
「キュッ」
「聖獣様は元気いっぱいですね」
「怪力兎にとっては、屋外のほうが居心地がいいんだろう」
そんな話をしながら、俺たちは地上へ出る。アウルさんたちも古代遺跡で夜を明かすことにしたようだが、特に話はしていない。それは向こうの負い目かもしれないし、純粋に面倒なのかもしれない。
俺たちも積極的に話をしたいわけではなかったので、自然と二組は別行動になっていた。
「うん、いい朝だ。……腹が減ってなければもっといい朝なんだが」
「食べられる果実でもあればいいんですが」
「もしくは魚とか。テオ、ひょっとして捕まえられないか?」
「できるとは思いますけど、水中で海賊の固有職持ちに襲われたら、さすがに負けますよ?」
「俺の視界の範囲で戦ってくれるなら、なんとかするさ」
朝の海を見て、そんな話をしていた時だった。最も目がいいテオが、湖の一点を見つめて口を開く。
「あれ? 何かが近付いてきますね。……人かな。泳いでいるように見えます」
「本当か!?」
俺はテオの視線を追いかける。だが、固有職を持っていない俺の目では何も捉えられないようだった。
そうしてどれほど待っただろうか。相手はおそらく海賊だろうから、適度に近付いたところで固有職を剥奪してやろう。そう考えていた俺は、ちょっとした驚愕に捉われた。
「『村人』かよ!」
そう。こちらへ向かって泳いできているのは、どう見てもただの『村人』だった。つまり、自力で普通に泳いでいるのだ。
「なんだと……? ここから岸まで、少なくとも十キロはあるはずだぞ」
「遠泳の得意な人ならあり得る……のでしょうか」
「たまに湖面から突き出ている岩なんかで休めば可能……なのか……?」
唖然とする俺たちに見守られながら、人影は少しずつこちらへ近付いてくる。近くに他の島がない以上、目的地はここだと見て間違いないだろう。
そして、その人影がついに上陸する。年齢は二十歳前後だろうか。出迎えるように待っていた俺たち……特にシュミットを見て、彼はほっとした様子を見せた。
「よかった、無事だったんですね」
「ラッセルか!? お前、まさか泳いできたのか?」
「はい。シュミットさんたちを島に置き去りにしたという話を聞いて、これはまずいと思ったんです」
どうやら二人は知り合いのようだった。おそらく湖の民なのだろう。彼らが総勢で何人いるのか分からないが、一枚岩でないことは朗報だった。
シュミットがざっと経緯を説明すると、ラッセルという若者は渋い表情を浮かべる。
「それは……みんなが怒るのも無理ないですね。特にアウルという商人は二度目ですし、聖地を僕らから取り上げようとしている勢力の筆頭でしょう?」
「俺も迂闊だった。落としどころを探るつもりが、片棒を担がされるとはな」
シュミットは自嘲気味に息を吐く。そんな彼に向かって、ラッセルは真剣な顔で問いかけた。
「ところで……アムリアさんの偽物は、シュミットさんの差し金だったって本当ですか?」
「……本当だ」
もはや隠す意味もないと考えたのか、シュミットは素直に認めた。そして、彼もまたラッセルに問い返す。
「俺からも聞きたい。前にアムリアのことを尋ねた時は、噂を聞いたことがある程度と言っていたな? あれは嘘だったのか」
「それは……長老からきつく厳命されていたからです。アムリア様のことを嗅ぎまわっている連中がいるから、聞かれても知らないフリをしろと。すみませんでした」
ラッセルは気まずそうに答える。なるほど、先手を打たれていたわけだ。
「……謝る必要はない。他宗派の俺のために、自分の立場を危うくすることはない」
「でも、シュミットさんは他宗派の僕らを邪険にせず、公平に接してくれるじゃないですか」
「俺の立場を危うくしない程度にな」
どうやら、意外とシュミットは慕われているようだった。あのシュミットが他宗派に慕われているなんて、神学校時代の俺に言っても絶対に信じないだろう。
「ラッセルさん。『聖女』アムリアの話を詳しくお伺いしても?」
俺が話を本題に戻すと、ラッセルははっとした様子でこちらへ向き直った。
「アムリアさんがこの街へ来たのは、十五年ほど前のことです。当時の僕は五歳だったので、直接的な記憶はありませんが……」
観念したのか、彼は素直に語り始める。
「その時に、従兄のゼザをこっそり海賊に転職させてくれたそうです。ちょうどその頃も、ミリアム湖の水運事業を巡って諍いがあったらしくて――」
「諍いですか?」
「はい。湖の民が湖の水運事業を独占するのはおかしいという商人たちと揉めていました。中には湖上で露骨な妨害行為をしてくる奴もいて、一時は湖のほぼ全域から締め出されそうだったんです」
「なるほど……そこで海賊か」
そこからの流れは予想がつく。水中戦闘に優れた海賊は、この湖で鬼神のごとき活躍を見せたことだろう。
「はい。海賊の固有職を手に入れたゼザ従兄さんの活躍で、なんとか北半分の水運事業は奪い返すことができたんです。だから……」
「『聖女』アムリアには恩義がある、ということですね」
言いにくそうなラッセルに代わって話を結ぶ。湖の民にとって、それは劇的な逆転劇だったのだろう。そして、その感謝が転職師のアムリアに向かったわけだ。
それは、考えようによっては俺と辺境の関係に似ていて……だからこそ、やるせない気持ちになる。
「なるほどな。だから『名もなき神』に肩入れしたというわけか」
その一方で、シュミットは納得した様子だった。ようやく話が繋がってきたからだろう。そんなシュミットの言葉を受けて、ラッセルは思い出したように口を開く。
「『名もなき神』って、五年くらい前に大陸中で暴れたアレですよね? 幸い、ミラムールは大した被害もありませんでしたけど……」
そして、彼は不思議そうに首を傾げた。
「――それって、アムリアさんと何か関係があるんですか?」
◆◆◆
「この島から脱出しようと思う」
湖の民ラッセルから一部始終を聞いた俺は、シュミットたちに向かって断言した。
「具体案はあるんだろうな?」
「ああ。ラッセルが来てくれたことで、一気に状況が変わった」
「僕ですか?」
思わぬ指名にラッセルが驚く。俺は頷いて見せると、もう一度彼の固有職資質を確認する。超長距離の遠泳をやってのけるだけあって、彼にも資質が備わっていたのだ。
「ラッセル。よかったら海ぞ――」
「ちょっと待て!」
だが。俺の転職の提案は、シュミットによって中断させられた。
「いきなりどうした?」
そう問いかけても返事はない。その代わりにとでも言うように、シュミットは俺の腕を掴んで、少し離れた場所へと連れていく。その力の強さに真剣なものを感じた俺は、黙ってそれに続いた。
ラッセルたちからだいぶ離れたところで足を止めると、シュミットはようやく口を開く。
「カナメ。お前は今、ラッセルを転職させようとしたな」
「ああ。何か問題があるか?」
そう問いかけると、シュミットは真面目な顔で頷いた。
「湖の民は転機を迎えている。これまではゼザという海賊の力で押し切ってきたが、そのやり方は限界に来ている」
「……それで?」
話の先が見えず、俺は続きを促す。
「アムリアがゼザを海賊に転職させたことは、間違いだとは思わん。だが……今、二人目の固有職持ちを得れば、湖の民は再びその力に頼り切るだろう」
「……」
「それでも、湖の民が考え抜いた末にお前の神殿を訪れるならいい。だが……一度目はアムリア。二度目はカナメ。そんなぽっと現れる奇跡にすがるようになっては先がない」
「つまり……湖の民の今後のために、お手軽な解決方法を提示するべきではないと?」
「そうだ。多くの人々にとって、転職は奇跡に等しい。だが、奇跡に依存してしまえば、待っているのは堕落だ」
そう告げるシュミットは、れっきとした聖職者の顔をしていた。そのことが感慨深くて、俺は思わずその肩に手を置く。
「シュミット。お前……本当に成長したんだな。なんだか嬉しいぞ」
「あァ!? 何を偉そうに言ってやがる! お前に認められてもこれっぽっちも嬉しくないわ!」
シリアスな空気はどこへやら、いつものシュミットが顔を出した。そのことに不思議な安堵を覚えつつ、俺はにっこりと微笑んだ。
「よし分かった。ラッセルの転職はいったん置いておこう。その代わり……シュミット。お前に頑張ってもらうぞ」




