湖の街Ⅱ
南ミラムールにあるクルシス神殿を訪れていた俺は、軽く肩を落としていた。
「結局、クルシス神殿で得られた情報はゼロか……」
「教会のミンさんに聞いた情報以上のものは出てきませんでしたね」
クルシス神殿を出た俺は、残念そうな顔のテオと一緒に溜息をつく。
「まあ、クルシス神殿は避けられている可能性もあるしな。あまり期待はしていなかったが」
「そうなんですか?」
「独占的に転職事業を行っているクルシス神殿が、野良の転職師を好意的に捉えるはずがない。……そう思えば、近寄りがたくなるだろう?」
俺自身、かつて転職を独占していた教会を強く警戒していたからな。そう補足すると、テオは感心したように俺を見る。
「なるほど……妙にリアルだと思ったら、経験談だったんですね」
「そういうことだ。……しかし、どうしたものかな。目につく端から住民の資質を視ていってもいいが、効率が悪すぎるよな」
「建物に閉じこもってたりしたら、見つけようがありませんしね」
そんな話をしていると、ふと教会の建物が目に入ってくる。この街での勢力図を表すように、クルシス神殿よりも大きな建物が俺たちの前にそびえ立っていた。
「そう言えば、よかったんですか? ご学友がいらっしゃるんですよね?」
教会を目にしたからか、テオはそんな話題を振ってくる。
「え? ああ、シュミットのことか。ご学友なんて表現をしてもらうほど仲が良かったわけじゃないからな……。俺もあいつもいい年齢だし、もういがみ合うことはないと思うが」
ふと、神々の遊戯を始めとした衝突の記憶が蘇る。一応、卒業時点では最低限の和解をしたつもりだが、その後まったく会う機会がなかったからな。今、奴がどうなっているのか見当もつかない。
「みこ――カナメさんがいがみ合うなんて、なんだか想像できません」
「自分で言うのもなんだが、俺はけっこう短気だぞ。あの時はクルネやラウルスさんを馬鹿にされたから、余計に腹が立ったというのもあるが」
そんな会話をしながら、教会の正門の前を横切る。すると「ちょっと!」と呼びかける声が聞こえてきた。見れば、ミンが正門から走ってくるところだった。
「ミン、どうしたんだ?」
尋ねると、ミンは息を調えながら口を開く。
「ちょうどよかった。さっき情報が入ったのよ。西ミラムールで、転職の話をしている数人組がいたらしくて」
「それはまた……タイミングがよすぎて気になるな」
「そうでもないわよ。聞いた話だと、二日に一回はどこかの街で見かけるらしいから」
罠ではないかと心配する俺に、ミンは気負うことなく答えた。それならば、と俺は傍らのテオに話しかける。
「西ミラムールか……どうせ他に手掛かりもないし、行ってみるか?」
「そうですね」
俺たちは頷き合う。右も左も分からない状況で、当てもない情報収集をするよりはマシだろう。
「お願いできる? 私たちも途中までは同行するつもりだけど……」
「ミュスカは目立ちすぎるからな。『名もなき神』が出てこない限り、離れた場所で待機してもらったほうがいいだろう」
そう提案すると、ミンはほっとしたように表情を緩めた。
「そう言ってもらえると助かるわ。とりあえず、西ミラムールまでは一緒に行きましょう? ミュスカにはフードを被って目立たないようにしてもらうから」
「分かった。俺たちはいつでも動けるから、準備ができ次第教えてくれ」
「ええ。そんなに待たせないから、このまま待っていてくれる?」
そう言い残して、ミンは風のような速さで教会へ駆け戻っていった。
◆◆◆
「あの集団か……想像と違うな」
「はい。実に堂々としていますね」
西ミラムールのとある酒場。転職の話題をひっきりなしに繰り返す集団がいるとの情報を得た俺たちは、ターゲットとなる四人組をこっそり監視していた。
彼らは男三人、女一人で構成されており、粗野な感じはしない。どこにでもいそうな風体の男女だった。
「――えっ!? じゃあ、その人は転職できたの!?」
「ああ。しかもそいつは槍使いだったんだ。そりゃもう喜んでよ、何度も礼を言ってたぜ」
「そうなんだ。よかったわね……!」
「本当に。さすが熟練の転職師ですね」
「数年のブランクが心配だって言ってたけどさ、絶対そんなことないよな!」
彼らは賑やかで陽気な声を上げているため、聞き耳を立てなくても会話の内容が入ってくる。一般的な会話にも聞こえるが、熟練の転職師などという単語自体が、俺にとっては怪しさの塊だった。
「テオ、どうした? もっと遠慮せず食べていいぞ。経費で落とすから」
「本当ですか? 後で『やっぱり無理だった』ってお金を請求しないでくださいよ?」
そんなカモフラージュの会話を交わしながら、しばらく様子を観察する。彼らは他の客を勧誘してまわることもなく、あくまで仲間内の会話に終始しているようだった。
そのため、その真偽を問い質されることもなく、似たような話が延々と続く。
「――やっぱり、あの方に付いてきてよかったよ。いろいろあったけど、俺の人生はここからだ」
「分かる! もういっちょ頑張ろうって気になるよな!」
だが、俺は彼らの会話に違和感を覚えて仕方がなかった。自分たちで会話を楽しむというよりは、周囲の人間を意識したやり取りに思えたからだ。
「――なあ、あいつらの話聞いたか?」
「辺境以外にも転職師がいるのか……?」
そして、その効果はそれなりに上がっているようで、チラチラと彼らを気にする客が生まれていた。控えめな情報の撒き方だが、手堅い方法だとも言える。
そうして、何度か同じような会話が繰り返された頃合いだった。ふと、彼ら四人の視線が店の入口へと向けられる。
「――?」
できるだけ自然な様子を装って、俺も入口のほうを見やる。そこにいたのは、フードで顔の大半を隠した女性だった。神秘的な雰囲気を漂わせた彼女は、彼らにかすかに頷いてみせると、無言で店の外へ出て行く。
「あ! お待ちください! 私たちもお供します!」
その様子を見た四人組が、我先にと彼女を追いかける。きちんと食事代を払っていったことに感心していると、向かいのテオが小声で話しかけてくる。
「今の女の人が……その、アレですよね? どうでしたか?」
それは具体的な言葉ではなかったが、彼が何を訊きたいかは明らかだった。
「『村人』だな。見た目はたしかに似せていたが、資質は誤魔化しようがない」
つまり、『アムリアが復活した』という最悪の可能性は消えたわけだ。だが、それですべてが解決したわけではない。
「とは言え、アムリアに似せようとしていたのは間違いない。その目的のほうが気になるな」
「そうですね……」
少し詰めの甘いやり方だが、それなりに効果を発揮していたのは事実だ。そうやって人々を欺いて、彼らは何を企んでいるのだろうか。
「追いますか?」
「そうだな。運が良ければ、先行した奴らが接触してくれるだろう」
俺は頷いて店内を見回した。やはり、彼らのやり取りが気になったのだろう。数人の客が彼らを追うように店を出ていたのだ。
そんな彼らを追うように、俺たちもまた会計を済ませて店を出た。そして、近くで草を齧っているキャロの傍へ近付く。
「キャロ、待たせたな。その草は美味しいのか?」
「キュゥ……?」
検討中だとでも言うように、キャロはその短い首を傾げた。どうやら珍しい味だったようだ。湖の近くだと、草の味が変わったりするのだろうか。
そんなキャロを肩に乗せると、俺はテオに先導されて町中を歩く。盗賊系の特殊職である妖盗だけあって、アムリアを騙る一味の追跡は実に容易だった。だが――。
「ええと……この事態は想定外だな」
俺は眼前の光景に目を瞬かせた。目的である偽アムリアの一行はたしかに目の前にいる。だが、問題はそちらではない。
「――お前ら、目障りなんだよ!」
「ったく、チラチラこっちを見やがって……!」
彼らは、十人ほどの集団に取り囲まれていたのだ。そして、偽アムリア一行を追いかけていったと思しき人々の姿はない。巻き込まれることを恐れたのだろう。
「ええと……どうしましょうか」
「ちょうどいい。彼らがどう対応するか見せてもらおう」
呆気に取られた様子で耳打ちしてくるテオに答えて、再び揉めている集団を観察する。すると、ちょっとした驚きの事実が判明した。
「固有職持ちがいるな……」
「どの人ですか?」
俺の呟きを受けて、テオの眼差しが鋭く細められた。その切り替えの早さに感心しながら、俺はとある人物を指差す。それは、偽アムリア一行を取り囲んでいる青年の一人だ。
彼は集団の中でもひときわ体格がよく、ラウルスさんを思わせる上背と厚みを備えていた。
「もしかすると、本当に転職師がいるのか……?」
そう考えたのは、その青年の固有職が海賊だったからだ。海賊の固有職持ちは意外と数が少ないため、これまでに転職させた人間はなんとなく覚えている。
まして、あれだけ印象的な青年を海賊に転職させたとなれば、覚えていないはずはない。
「カナメさん、不可視は必要ですか?」
「ああ、頼む。固有職持ちがいるなら、少し慎重に立ち回ろう」
俺が頷くと、テオはすぐに魔術を発動させた。次の瞬間には、テオとキャロの姿が見えなくなる。おそらく俺も姿が消えていることだろう。
「神子様。僕の位置は分かりますか?」
「問題ない。資質の光ならちゃんと見えている」
問いかけに小声で答える。テオやキャロは固有職の気配察知力で俺の位置を知ることができるし、俺は転職師としてテオの資質の光を見ることができる。
この方法であれば、お互いに透明でありながら、位置を把握することができるのだ。
俺の弟子にして彼の主たる護衛先であるファーニャが、テオと編み出した方法なのだが、それを聞いた時には感心したものだ。
「さて――」
肩にキャロの重みを感じたまま、俺は彼らに近付こうとする。と言っても、俺には気配を消すような技術はない。あまり接近することはためらわれた。
それに、こっちには妖盗がいる。不可視と気配隠しを併用したテオに気付ける人間はそういないのだから、彼に任せてもいいだろう。
そこで、俺は野次馬たちの最前線へ近付くことにした。当事者とは違う視点での情報が飛び交う可能性に期待したのだ。
「――あーあ、また湖の民か」
「最近、あいつらの素行の悪さが目立つな」
「あれじゃ、余計に北ミラムールは孤立するだろうに」
そんな会話が聞こえてきて、思わず俺の口角が上がる。期待通りの情報が得られそうだったからだ。よく喋りそうな人物の傍に陣取って、俺は密かに情報収集を続ける。
「もう勘弁ならねえ!」
だが、それも長くは続かなかった。偽アムリア一行を取り囲んでいた集団が、ついに動きはじめたのだ。彼らの目的は偽アムリアのようで、海賊の青年を中心として、数人が彼女の下へ殺到する。
「――っ!」
ところが、偽アムリアたちの動きもまた迅速だった。彼女たちは驚異的な速度で逃げ出したのだ。固有職持ちではなかったはずだが、魔道具や魔法衣を身に着けていたのだろうか。
どのみち、あの速度では海賊以外は追いつけないだろう。
「神子様、追いますか?」
と、俺の前方から声が聞こえてくる。透明化したままのテオだ。
「ああ。悪いが、俺も運んでもらえるか? 追いつけそうにない」
「承知しました」
言うなり、彼は俺を抱え上げる。さすが固有職持ちだけあって、俺程度の体重ではビクともしないようだった。
「この運ばれ方はアレだが……」
思わず呟いたのは、いわゆるお姫様抱っこで俺が運ばれていたからだ。恐らくファーニャの時の癖なのだろう。透明化しているからいいものの、もし衆人環視下であれば全力で拒否したいところだ。
「こっちですね」
俺を抱えたまま走っていたテオは、やがて路地裏へ入り込む。すると、まさに海賊が偽アムリアに手を伸ばしたところだった。と――。
「っ!?」
男の足下にナイフが突き刺さった。周囲に人影は見当たらないが、どこかにナイフを投げた人物が潜んでいることは間違いない。
「誰だ!?」
海賊の青年は鋭い視線で周りを見回す。とばっちりでこちらが見つかるのではないかと心配したが、その状況はすぐに終わりを迎えた。
「おい、今のうちに逃げるぞ!」
そんな声を皮切りに、偽アムリアの一行が逃げ出したからだ。あまり困惑していない様子からすると、救いの主に心当たりがあるのだろうか。
飛来するナイフがすべてかわされているのは、海賊の回避技能によるものか、それとも牽制が目的の投擲なのか。やがてナイフの攻撃が止んだ頃には、偽アムリア一行の行方はまったく分からなくなっていた。
「くそっ、出てこい!」
屋根の上に向かって海賊が吼えるが、相手がそれに答えることはなかった。大通りの喧騒が薄められて漂ってくるだけだ。
「テオ。ナイフを投げた奴の居場所は掴めたか?」
「はい」
「尾行できそうか?」
「大丈夫です。これ以上五人組を追うつもりはないのか、歩いてどこかへ向かうようですから。……あ、屋根を越えて大通りに出ましたね」
「それなら一緒に行こうか。海賊のほうは放っておこう」
大通りに出たということは、ただの通行人としてどこかへ向かうつもりなのだろう。テオはともかく、それなりの身体能力しかない俺には朗報だ。それに、他の人の気配に紛れて見つかりにくくなるという期待もあった。
そんなことを考えながら、テオの少し後ろを歩く。大通りへ出ると、三十メートルほど向こうに盗賊の固有職持ちがいた。背格好からすると女性だろうか。ともあれ、尾行する対象と考えて間違いないだろう。
「なるほど、盗賊でしたか。それなら納得です」
相手が盗賊であることを告げると、テオは納得した様子だった。
「神子様は、あの盗賊が黒幕に繋がっているとお考えですか?」
「少なくとも、囮の五人組よりは可能性が高いんじゃないかな」
テオの問いかけに答える。あくまで予想だが、あの盗賊は囮の五人組を監視していたのではないだろうか。もっと正確に言えば、囮に近付こうとする者を、だ。
「ただの護衛なら、姿を消す意味は薄いからな。……さて、このまま首謀者のところへ行ってくれるとありがたいんだが」
「その可能性はありそうですね。固有職持ちに絡まれたとなれば、報告しないわけにはいかないでしょうし」
「陸の上ならともかく、湖上で戦うことになれば海賊は脅威だからなぁ」
「ある意味では、この街に相応しい固有職持ちですね」
そんな会話をしながら、どれほど歩いただろうか。やがて、盗賊は少し大きめの建物に入ろうとして周囲を見回した。と――。
「気付かれた!」
テオの緊迫した声と同時に、透明化しているはずの俺たちを盗賊が見据えた。俺は反射的にキャロを地面に下ろして、彼女の迎撃に備える。
「僕が引き付けます! ――惑う世界」
テオが手早く魔法を発動させる。次の瞬間、周囲の空間がぐにゃりと歪み、周囲の建物がうねうねと動き始めた。
「!?」
突然の事態に盗賊が足を止める。あくまで見え方の問題であり、実際には何も改変されていないのだが、人間のような視覚重視の生物には効果的だ。
そうして相手を混乱させている間に、テオは次の術を完成させる。
「鏡分身」
その直後、テオの隣に彼とそっくりの人物が現れた。同時にテオが透明化の術を解いたことで、二人の人物が忽然と姿を現したことになる。
二人のテオはくるりと身を翻すと、こちらへ駆けてきた盗賊に背を向けて脱兎のごとく逃げ出した。
「待て――!」
そんな女盗賊の声が俺の耳元をかすめて、そして去っていく。とっさのことで、俺の存在には気付かなかったようだ。二人分の気配をごまかすために、テオは分身を作って逃げてくれたのだろう。
「……さて」
完全に盗賊の姿が見えなくなったところで、俺は目の前の建物を見上げた。先ほど盗賊が入ろうとしていた建物だ。
ここから中の様子を窺いたいところだが、塀の高さは三メートルほどあるため、普通に覗くことは難しそうだった。
「どうしたものかな」
「キュゥ」
俺がぼやけば、キャロが合いの手を入れてくれる。お互いに姿は見えないが、どんな顔をしているかは容易に想像できた。
そうして、いくつかの無茶な方策を練っていた時だった。ふと曲がり角から現れた人影に、俺は思わず声を上げた。……いや、上げようとした。
「ミュ――」
「解呪!」
さすがの反応速度と言うべきか。その人物によって透明化の魔法が解かれて、俺とキャロの姿が浮かび上がる。そして――。
「え? カナメ君……?」
「ちょっと、どうしてカナメ君がここにいるのよ」
狐につままれたような顔で目を瞬かせているのは、ミュスカとミンの二人組だった。
◆◆◆
ミュスカたちと出くわした俺は、これまでの経緯を語っていた。
「つまり、『聖女』アムリアの噂は偽物だったけど、その噂は意図的に流されていたものだった。今はその意図を探っている。そういう理解でいい?」
「ああ、それでいい」
「それで、この建物に黒幕が潜んでいるのかもしれないのね」
「不可視を解除してしまって、すみませんでした。魔力の歪みが見えたから怪しい魔法かと思って……」
「こっちこそ悪かったよ」
そんなやり取りをして、俺たちは三人と一匹で建物を眺める。塀は高いものの、ここから見える建造物は一般的な建築様式に見えた。物理的に乗り込むことはできなくもないが……。
そう悩んでいると、ミンが何かに気付いたように周囲を見回した。そして、ぽつりと呟く。
「――ここ、うちの建物じゃないかしら」
「どういうことだ?」
聞き返した俺に構うことなく、彼女は何らかの資料を鞄から取り出す。地図のように見えるそれを眺めていた彼女は、やがて力強く頷いた。
「間違いないわ。ここ、表向きは違うけど教会の施設の一つよ」
「それはまた、反応に困る情報だな……」
俺は思わずぼやく。教会の施設であれば、『聖女』ミュスカの威光でゴリ押しできる気もするが、同時に教会内部に黒幕がいるということになる。
それはミンも分かっているようで、複雑な表情を浮かべていた。
「教会の人間として正面から訪ねていくことはできるけど、相手にごまかす準備や逃走する余裕を与えることになるわね」
「そうだな、できればそれは避けたい」
俺は頷くと、少し無茶な提案をしてみる。
「けどまあ、いい方向に捉えよう。教会派の施設なら、俺が捕まっても助けてくれるよな?」
気持ちを切り替えてそう告げる。すると、ミンは疑わしそうな目で俺を見た。
「まず、何をするつもりか教えてくれる?」
「今思いついたのは、ミュスカに防御をかけてもらって、キャロに蹴り飛ばしてもらう方法かな。壁は越えられると思う」
そう答えると、ミンはぽかんとした表情を浮かべた。
「本気?」
「それなりには。……ああ、でも敷地に入れても、建物の中に入るにはもう一工夫いるな」
「カナメ君……もちろん手は尽くすけど、クルシス神殿の神殿長が教会派の施設に侵入したなんて、バレたら大問題よ。他の方法を考えてもらえる?」
「そうです。カナメ君だけ危険な目に遭わせるなんて、駄目です」
「そうか……」
どうやら俺の提案は却下されたようだった。だが、俺の代わりに彼女たちが侵入するのなら……いや駄目だな。いくら防御をかけてもらうとはいえ、彼女たちにキャロに蹴られて吹っ飛んでくれとは言えない。
「――それじゃ、テオ君が戻ってくるのを待ちましょう。不可視が使えるなら、私たちも一緒に潜入できるから」
「そうですね。もし、それまでにこの建物から人が出てきたら、わたしが話しかけて素性を確認します」
しばらく話し合った俺たちは、そんな結論に落ち着く。そうして三十分は待っただろうか。やがて、俺たちが待ち望んでいた人影が現れた。テオだ。
「テオ、お疲れさま。……生きてるのか?」
そう問いかけたのは、彼が肩にぐったりとした様子の女性を担いでいたからだ。おそらくさっきの女盗賊だろう。
「眠らせただけです。幸いなことに、盗賊になってから経験が浅かったようですね」
「へえ……さすがクルシス神殿の護衛ね。固有職持ちをあっさり負かしちゃうなんて」
ミンはそう言って、感心したようにテオを見つめる。
「テオは、クルネと対人戦の練習をするくらいだからな。上級職でもない限り、そう遅れは取らないさ」
もちろん自己能力強化は大前提だし、クルネから一本取れるわけでもないのだが、真面目に鍛錬に励む彼は、いつしかかなりの戦闘巧者になっていた。
「さて……テオのおかげで、簡単に話が進められそうだな」
言って、今も眠っている盗賊に目をやる。彼女が自白したと黒幕にカマをかければ、観念しないまでも、ボロくらいは出すかもしれない。
「なんだか、カナメ君のほうが悪人に見えてくるわね……」
そんなミンの呟きを無視して、俺はテオにこれからの流れを説明していた。説明を聞き終えた彼は、かすかな苦笑を浮かべる。
「クルネ様に知られたら、怒られてしまいそうですね」
そう言って、彼は俺たち全員に不可視を使った。そうして姿を消すと、今度は俺たちを一人ずつ担いで塀を飛び越えるという荒業をやってのける。
通常の人間ならまず無理な芸当だが、自己能力強化をかけた妖盗にとっては、さしたる問題はないようだった。
「鍵開けもできるんですね……」
「鍵穴に針を差し込めば、構造は大体理解できるらしい」
そんな会話をしながら、無人の廊下を進む。建物の中には意外なほど人がいなかった。いつも稼働している施設ではなく、必要な時にだけ使う施設なのかもしれない。
なお、魔力の歪みとやらが視えるミュスカは、透明になった俺たちの居場所が分かるようだった。そのため、ミンはミュスカの手を握ってはぐれないようにしているはずだった。
「――外から見た感じだと、灯りがついているのはこの部屋だけでした。人の気配がするのもここだけです」
しばらく歩いていると、そんなテオの声が聞こえてくる。転職師の視界で視ると、彼がとある扉の前で止まっていることが分かった。
「何があるか分からないから、透明なままで部屋に入ろう」
小声でそう打ち合わせると、テオが扉をキィ、と開いた。俺はテオに続いて、足音を立てないよう慎重に部屋の中へ入っていく。
やがて、部屋に入った俺が目にしたのは、教会の法服を着た男だった。彼は机で書き物をしているようで、こちらに背を向ける形で椅子に座っている。そして……。
「――遅かったな。トラブルでもあったか?」
男はくるりとこちらを振り返って……そして首を傾げる。扉が開いた割に、誰も入ってこないからだろう。
……だが。俺たちは首を傾げる程度ではいられなかった。振り返った男の顔を見て、俺は思わず声を上げた。
「お前は……シュミット!?」




