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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
外伝・後日譚
164/176

聖騎士

聖騎士パラディン メルティナ・ノルトハイム】




 付近には棲息する魔物もおらず、それなりに生活に余裕のある村。その村長の家では、ちょっとしたパーティーが開かれていた。


「メルティナはもう九歳か……時が経つのは早いものだ」


「本当に……」


 パーティーの主催者でもある夫婦は、二人揃って今日の主役へ視線を向けた。同世代の友達や、挨拶に顔を出した村人と会話をしている彼らの娘。彼女が聖騎士パラディン固有職ジョブを授かっていたと知った時の、二人の驚きは甚大だった。


「しかし……教会も渋いことだ。聖騎士パラディンは教会のイメージにうってつけだろうに。あれしきの金銭を惜しむとはな」


「やっぱり、何度も打診をしてきている王国騎士団に乗り換える?」


「いや……騎士団には、すでに暗黒騎士ダークナイトがいるからな。せっかくの上級職の価値が下がってしまう」


「そうね。メルティナを高く評価してくれるところじゃないと」


 彼らは楽しそうに笑う。聖騎士パラディンであるメルティナの仕官先は、長年にわたって二人の話題の中心であり続けた。


 メルティナ自身が、約束された栄光の人生を歩むことは疑っていない。そして、その親である彼らにとっても、それは莫大な富を生み出すことと同義だ。なぜなら、聖騎士パラディンの任官ともなれば、親元への謝礼金も凄まじい額に上るからだ。


 待てば待つほど、提示された謝礼金の金額が上がることもあって、彼らは娘の任官先の決定をまだ渋っていた。


「さっき会った司教も、さっぱり期待外れだったからな。てっきり値上げの話だと思ったが……」


「というか、本当に司教様だったのかしら。なんだか胡散臭くなかった? メルティナを預けるのは不安だわ」


「たしかにな。あれはまるで――」


 そんな会話を交わしていた時だった。華やいでいた広いリビングを圧するように、バン、と勢いよく扉が開かれる。


「村長、大変です! モンスターの群れが近付いています!」


「なんだと……!?」


「そんなこと、今までなかったのに……」


 突然の凶報に会場がざわめく。長年にわたって、少しずつモンスターが勢力図を伸ばしていることは周知の事実だ。だが、この村はまだ大丈夫。彼らにはそんな共通認識があった。


「はは、心配する必要はないとも」


 しかし、村長に動揺はない。驚きこそしたものの、怯える必要はないからだ。なぜなら――。


「メルティナ。お前が力を見せる時が来たぞ」


 彼は娘に話しかける。その様子は実に誇らしげなものだった。


「そ、そうだった……メルティナちゃんがいるんだもんな」


「魔物の十匹や二十匹、余裕よね」


 緊迫した雰囲気が一気に緩む。この場には、上級職である聖騎士パラディンがいるのだ。固有職ジョブ持ちが多く集う王都を除けば、最も安全な土地だと言えるだろう。


「……はい、お父様」


 白金髪の少女は、落ち着いた様子で頷く。その手に本があることに気付いて、村長は苦笑を浮かべた。


「メルティナ、学問などせずともよいのだぞ。聖騎士パラディンのお前は、いるだけで価値があるのだからな」


「うふふ、メルティナは本当に優秀な子ねぇ」


 モンスターの群れが迫っているにもかかわらず、夫妻は普段通りのやり取りを交わしていた。それだけ心に余裕があるのだろう。


「以前に王国から賜った剣だ。使いなさい」


「はい」


 彼女は本を置くと、父親から剣を受け取る。九歳の少女には重すぎるはずのそれを、メルティナは苦もなく扱っていた。


「おお……」


「さすが聖騎士パラディンね……!」


 その様子に、会場から歓声が上がる。村はもう大丈夫だと、誰もが朗らかな笑みを浮かべた。


「……それでは、行ってまいります」


 彼らの信頼を一心に受けて、メルティナは会場を後にした。その背中に向けて、様々な激励の言葉が投げかけられる。そして――。




 彼女の手が震えていることに、気付いた者は誰もいなかった。




 ◆◆◆




 村の外へ出たメルティナの目に入ったのは、狼のような体躯を持つ魔物だった。ざっと三十匹といったところだろうか。


「あれが……」


 彼女は緊張した面持ちでモンスターを見つめる。聖騎士パラディン固有職ジョブを持って生まれたメルティナだが、親が過保護気味だったこともあって、実戦経験はほとんどない。


 会場で毅然と振る舞っていたのは、自分を信じている彼らを不安にさせないため。実際の彼女の胸中では、不安や恐怖が渦巻いていた。それは、九歳の少女であれば抱いて当然の感情だ。


「ウォォォォッ!」


 やがて、魔物はメルティナの姿を敵だと認識したらしい。リーダーらしき個体の咆哮に合わせて、群れがゆっくりとメルティナへ近付いてくる。


「っ!」


 メルティナは顔面を蒼白にしながらも、気丈に立ち続けた。それだけが支えだとでも言うように、右手の長剣を力の限り握りしめる。


「このタイプのモンスターと戦う時は……」


 そして、本で学んだ知識を必死で思い出そうとする。メルティナは村一番の読書家であり、学問に励む子供だった。それは、自身の肉体的な優位性を理解しているメルティナが、皆と同じ土壌に立ちたいと願ったゆえのものだ。


 だが、今にも襲い掛かってきそうな魔物の群れを相手にして、その知識をさっと引き出せるような余裕はなかった。


「グルゥゥゥ……!」


 間近に迫った魔物たちが、獰猛な唸り声を上げてメルティナの様子を窺う。その数は二十体を超えるが、そこまで危険度の高くないモンスターだ。まだ年若いとはいえ、上級職たる聖騎士パラディンの敵ではない。


「ぅ……」


 ――そのはずだった。


 メルティナの手は震え、剣はカタカタと揺れる。群れているとはいえ、相手の戦闘力など大したものではない。それは分かっている。

 だが……数十体の生物に、一斉に殺意を向けられるという事態は、彼女にとって未知のものだった。


 メルティナの村は比較的治安がよく、魔物の姿を見ることはほとんどない。固有職ジョブ持ちと対戦したこともあるが、彼らはメルティナの前評判を聞いており、敬意すら払って立ち会いに臨んでいた。そこに闘志はあれども、殺気はない。


「はぁっ、はぁっ……」


 向けられた殺意を前にして、心臓の鼓動が跳ね上がる。手足の震えを抑えようと力を入れても、震えはいっそう大きくなるばかりだった。


「グルゥゥゥゥ……」


 そんな彼女の様子に気付いたのか、群れを代表するように一体のモンスターが進み出る。その様子を、メルティナは絶望的な思いで見つめていた。そして――。


「ガウッッッッ!」


「いやっ……!」


 ついに、魔物がメルティナに飛びかかった。その殺意と迫力に、メルティナは思わずしゃがみ込んだ。両手で頭を庇うと、身体を小さく丸める。そこにいるのは聖騎士パラディンではなく、どこにでもいる村の少女だった。


 聖騎士パラディンといえども無敵ではない。無抵抗のままモンスターに襲われ続ければ、血も出るし骨も折れる。そして、いつかは命を落とす。それは間違いのない未来だ。


 ……だが。


「なんだこの村は……子供ガキを生贄にでもするつもりか?」


 衝撃もなければ痛みもない。その代わりとでも言うように、聞き覚えのない男の声が聞こえてきた。


「え……?」


 メルティナは恐る恐る顔を上げる。目の前にあったのは、見たことのない後ろ姿だった。少なくとも村人の誰かではない。服装からすると、教会の関係者に見えるが……。


 と、「ギャウン!」と魔物が悲鳴を上げる。男が手にした棒で魔物を撃退したのだ。その鮮やかな手並みからすると、棒術を修めているのだろうか。


「なんだか知らんが、時間は稼いでやる。お前は少しずつ下がれ」


 振り返らないまま、男は言葉を続ける。口調は荒っぽいが、その深みのある声は不思議とメルティナの心を落ち着かせた。


「駄目……です。私が、みんなを守らないと」


 そして、メルティナは気力を振り絞る。今も足は震えているし、頭の中は真っ白だ。剣だって、ちゃんと扱えるとは思えない。

 それでも、この人物だけに任せるわけにはいかなかった。一体や二体ならともかく、相手は数十体の群れだ。多少腕が立つ程度で対処できるレベルではない。


「守ると言っても、子供一人で――」


 男はちらりと振り返る。すると、その目が軽く見開かれた。


「お前は……聖騎士パラディン固有職ジョブ持ちか」


 男とメルティナの間に面識はない。それでも看破されたのは、彼女が剣を軽々と持ち上げていたからだろう。この村にいる固有職ジョブ持ちは聖騎士パラディンのメルティナしかいない。


「……っ」


 ――なら、お前に任せる。


 そんな言葉が続くことを予期して、メルティナは身を強張らせる。だが……。


「もう一度言うぞ。少しずつ下がれ」


「……え?」


 予想外の言葉に、メルティナは目を瞬かせた。いつまで経っても男が退く様子はなかった。すでに男の視線は前方のモンスター群に向けられており、後ろからその表情を見ることはできない。


 ――逃げる?


 初めて提示された選択肢に、メルティナは戸惑った。自分の責任を果たさず、ここで逃げてしまってもいいのか。そんな考えが、まるで一筋の光明のように思える。


 ……だが。固有職ジョブ持ちの自分が戦わずしてどうするのか。そんな内なる声もまた、彼女の素直な心情だった。そして――。


「二体か……」


 男がぼそりと呟く。その言葉につられて目をやれば、今度は二体の魔物が近付いていた。こちらを窺っていたかと思うと、二頭は同時に飛びかかってくる。それを迎え討つように、男は棒を構えて――。


「あっ……!」


 メルティナは目を見開いた。襲ってきた魔物は二体。うち一体は棒術で打ち据えられていたが、もう一体が男の腕に噛みついていたのだ。


 そして、固有職ジョブによって並外れた動体視力を与えられたメルティナには分かった。彼はメルティナを守るため、攻撃できなかったモンスターに対して、腕を突き出して進路を妨害したのだ。


「……悪くねえ連携だ」


 意外なことに、彼の出血は少ない。何かを衣服の下に着込んでいるのだろうか。だが、無傷ではないし、噛みつかれてしまった以上、それを振り払うのは困難を極めるだろう。


 それは男も分かっているようで、武器にしていた棒を手放すと、懐から何かを取り出す。背中越しでよく見えなかったが、おそらく短剣だろう。逆手に持ったそれを、男は噛みついている魔物の目に突き刺した。


「ギャウン!?」


 悲鳴とともにモンスターが距離を取る。だが、状況が好転したとは言えなかった。片目を潰された魔物は怒り狂っており、ゾッとするような唸り声を上げている。さらに、遠巻きにしていた群れもいつの間にか距離を詰めている。絶体絶命の状況だ。


「グウォォォッ!」


 そして、手負いの魔物が再び男に襲い掛かる。その迫力は凄まじく、今度こそ目の前の男性が喰い殺されてしまう。そう確信させるものだった。


「――っ!」


 ……だが。次の瞬間、襲いかかった魔物は血しぶきを上げて倒れ伏した。そして、その返り血を浴びたのは男ではない。メルティナだ。彼女の剣が閃き、一撃でモンスターを両断したのだ。


「お前……」


 男は彼女に視線を向ける。だが、メルティナに言葉を返す余裕はなかった。とっさに身体が動いたものの、今だって魔物は恐ろしいし、手足は震えている。真正面から浴びた返り血の臭いは、自分が相手の生命を奪ったという事実を突きつけてくる。


「わ、私が……戦います」


 想像以上の重圧に動揺しながらも、メルティナは言い切った。一体を倒すことができたのだ。それなら二体でも三体でも……数十体でも大丈夫。カタカタと震える手に、何度も何度も言い聞かせる。


「――大丈夫だ」


 震えの止まらない彼女の手を、男は自分の両手で包み込んだ。


「……え?」


 思わぬ行動に驚いて、メルティナは視線を上げた。野性味溢れる風貌の男だが、その雰囲気は決して粗野ではない。それどころか、深みのある眼差しはまるで賢者のように感じられる。それが、初めて正面から見た男の感想だった。


「命を奪うことに躊躇ためらいを覚えることは、決して間違いではない。その上で、事を為そうとする者こそを、俺は尊ぶ。だが……」


 男はメルティナの肩に手を置いた。触れられた箇所から、何かが自分の身体に流れ込んでくるような錯覚を覚える。


「――今は、お前の責任を俺が背負おう。……俺はクローヴィス教会の司教、バルナークだ。『聖騎士』メルティナ。お前の恐怖も罪悪感も、すべて俺に委ねろ」


「司教……さま……?」


 メルティナはぽつりと呟く。男の言葉を完全に理解したわけではない。だが……気が付けば、身体の震えは止まっていた。そして――。


「グウォォォッ!」


 同時に、唸り声を上げながら様子を窺っていた魔物たちが動き出す。二人が動かないことを好機と捉えたのだろう。群れ全体が、少しずつメルティナたちとの距離を詰めてくる。


「行きます!」


 彼女はキッとモンスターを睨みつけた。そして、次の瞬間には先頭にいた一匹を斬り伏せる。群れがその事実に気付くより早く、さらにもう一閃。


「――!?」


 一瞬で二体の仲間を失い、魔物たちに動揺が走る。だが、メルティナは止まらなかった。隙を見せた個体を斬り捨て、飛びかかってきた二体をまとめて返り討ちにする。背後から回り込もうとしていた魔物が悲鳴を上げたのは、バルナークと名乗った司教の仕業だ。


 その事実に、メルティナの頬が少しだけ緩む。上級職の自分が戦い始めたのだ。本来であれば、安全圏に避難していてもおかしくはない。それでもあの司教がこの場から離れないのは、メルティナの精神面を心配してのことだろう。


 メルティナが不甲斐ないからだと言えばそれまでだが、その気遣いは彼女の心に沁み込んでいった。


「――?」


 ちょうど十体目のモンスターを屠ったところで、メルティナは群れの空気が変わったことに気付いた。気付けば、積極的に彼女へ向かって来る個体はいなくなっている。


「逃げる気か……? 散り散りになるとまずいな」


 いつの間にか近くに来ていた司教がぼやく。その言葉の意味はメルティナにも分かった。バラバラに逃げたモンスターが、村を散発的に襲うことを懸念したのだろう。ならば――。


断罪ジャッジメント!」


 彼女は生まれつき習得していた特技スキルを繰り出した。手に持った剣を起点として長大な光剣が生み出され、残っていた魔物たちを一斉に薙ぎ払う。その威力は凄まじく、一撃でモンスターの群れは全滅していた。


「……」


 メルティナは無言でその様子を見つめる。いや、放心していたと言うべきだろうか。精神力を振り絞った反動か、彼女は微動だにせず立ち尽くしていた。


「――怪我はないか」


 バルナークに声をかけられたことで、メルティナははっと我に返った。


「は、はい!」


 弾かれたように返事をすると、バルナークの下へ駆け寄る。彼女の視線は彼の左腕に向けられていた。モンスターに噛みつかれていた箇所だ。


「あの、怪我は大丈夫ですか?」 


「心配するな。丈夫な服を着込んでいる」


 そう言って、バルナークは血のにじむ腕を振ってみせた。だが、メルティナはその腕にそっと触れる。


治癒ヒール


 そして、治癒魔法を行使する。淡い輝きがバルナークの腕を包み、傷を癒していく。


「私がはじめから断罪ジャッジメントを使っていれば……」


 治療を終えたメルティナの口から出てきたのは、そんな反省の言葉だった。負傷は治したが、バルナークに傷を負わせたこと、死地に立たせた事実が消えるわけではない。緊張の極致にあったとはいえ、少し冷静になれば気付くことのできた選択肢だ。


「気にするな。俺はこうして無事だ。それに、初陣で自分の力を十全に引き出せる者はいない」


「でも……」


 自分は聖騎士パラディンなのだ。たとえ十全の力を発揮できなくても、人に怪我を負わせない程度の能力はあったはずだ。

 そう答えようとしたメルティナだったが、バルナークの深みのある眼差しを前にすると、反論しようとする自分が子供じみて思えてくる。


「それより、村へ戻るぞ。この死骸を放置しておくと面倒事を呼ぶ」


 バルナークはモンスターの亡骸に視線を向ける。彼が気にしているのは、血の臭いにつられて新たな魔物が現れたり、病気の温床になったりすることだろう。メルティナはそう見当を付けた。


「はい。村のみんなにも手伝ってもらいます」


 メルティナは頷くと、くるりと後ろを振り向いて歩き出す。と――。


 バシャリ、と水溜まりを踏みつけたような音が上がる。何気なく音源に目をやったメルティナは、その身体を強張らせた。


「あ――」


 それは、彼女が屠ったモンスターから流れ出た血溜まりだった。複数の亡骸から溢れ出た血液が地面を染め上げている。そして、その光景を作り上げたのは自分なのだ。


「うっ……」


 我に返ったメルティナは顔を顰めた。むせかえるような血の匂いに気付いたからだ。その独特の臭気は、命を奪った彼女を責めているように思えた。


「――自分を責める必要はない。魔物を撃退したことで、お前は俺や村の人間を守った。それは誇れる事実だ」


 そんなメルティナの心情を見抜いたかのように、バルナークが口を開く。だが、彼女は首を横に振った。


「それでも、剣を振るったのは私です。その事実から眼を逸らすわけにはいきません」


「ふむ……?」


 メルティナの答えに、バルナークは軽く目を見開く。


「その責任感は見上げたものだが……すべてを一人で背負おうとするな。たとえ聖騎士パラディンであろうと、心は通常の人間と変わらん。限界を超えると、折れるぞ」


 彼はメルティナのことを真剣に案じているようだった。周囲から英雄視されている彼女にとって、その経験は初めてのものだ。なんと答えていいか分からず、メルティナは目を瞬かせる。


「メルティナ。お前の心の在り方は美しいが、それ故に危うい。せめて、本音で話せる人間を一人は作ることだ」


「……」


 その言葉に答えず、メルティナは無言でバルナークを見つめた。そして、彼女はぽつりと尋ねる。


「……教会には、あなたのような方がたくさんいらっしゃるのですか?」


 そんな唐突な問いかけを、バルナークは苦笑交じりで否定した。


「いや……どちらかと言えば、俺は変わり者のほうだ」


「そうですか……」


 メルティナは軽く肩を落とした。だが、何かに気付いたように顔を上げる。


「もしかして……司教様は、私をスカウトに来たのですか?」


 そして、素直に問いかける。両親がメルティナの仕官先について迷っており、頻繁に王国騎士団や教会、有力貴族などから打診を受けていることは知っている。


「ああ。まあ、あっさり断られたが」


 バルナークは肩をすくめた。だが、気落ちしているような様子は見られない。


「その……期待を裏切ってしまって、すみません。聖騎士パラディンの力を授かっていながら、モンスター相手に怯むなんて……」


 彼が気落ちしていない理由は、自分の不甲斐なさを目の当たりにして、教会には必要ないと判断したからだろう。そう考えたメルティナの声は、自分でも不思議なくらいに沈んでいた。


「卑下するな。それはお前の美点だとも言った」


 ちらりと視線をモンスターの死骸へ向けてから、バルナークは真剣な目で彼女を見つめた。


「ここ数百年にわたって、魔物は数を増やし、その勢力を伸ばしている。少しずつだが、人間が住める場所は減っているのが事実だ」


 そして、彼はメルティナの肩に手を置く。


「お前の力は、多くの人々を救うことができる。それを忘れるな」


「はい……!」


 メルティナは背筋を伸ばして答える。出会ってから一刻も経っていない間柄だが、バルナークの存在は彼女の中で大きなものになっていた。そして――。


「それは、どの組織に仕官しても同じことですか? ……私の仕官先の候補として、教会や王国騎士団、有力貴族などが挙がっています。時には、他国からも使者が来ます」


 そう切り出すと、メルティナは祈るように、そして挑むように言葉を続ける。


「その中で、最も人々を救うことができるのは、どの組織ですか?」


 緊張しながらも、メルティナは視線を逸らさない。その様子に軽く驚いた様子のバルナークは、やがて苦笑を浮かべた。


「……先に切り出されるとはな」


 彼はそう呟くと、九歳の少女を相手にしているとは思えない、真剣な声色で言葉を続けた。


「王国騎士団なら、他国や国内の有力貴族に。有力貴族なら他の貴族に対するアドバンテージとして、お前を雇用するだろう。だが、そこで求められる役割は、武力の象徴シンボルであることだ」


「……」


 その言葉が大袈裟だとは思わなかった。スカウトに来る使者たちの言葉の端々から、そういった空気を感じていたからだ。


「それが無意味だとは言わん。例えば、上級職の存在は軍事的な抑止力として大きな意味を持つ。無駄な戦いが減ることもあるだろう。魔物の討伐だけが人々を救う手段ではない」


 そう前置いた上で、彼は言葉を続ける。


「だが……現在の王国にとって、人々に深刻な被害をもたらしているのは人間ではない。魔物だ。王都の近くであれば、騎士団所属の固有職ジョブ持ちが魔物の討伐をすることもあるが、それは王都の治安維持の枠を超えるものではない。

 貴族に至っては、固有職ジョブ持ちの出動実績はほぼゼロだ。大枚をはたいた固有職ジョブ持ちを、知らん人間のために使う気はないらしい」


 バルナークは鼻を鳴らす。その瞳には、静かな憤りが見て取れた。


「教会とて、中には貴族と大差ない俗物もいる。だが……()()()()()()()()()


 そう宣言すると、彼は不敵な笑みを浮かべた。


「騎士団や貴族があてにならん以上、教会が動くしかない。そのために、まずは『聖女』の在り方を変える」


「聖女……ですか?」


 なんの脈絡もなく口に出された言葉に、メルティナは首を傾げる。だが、彼は深く頷いた。


「教会に所属する固有職ジョブ持ちには、治療や魔物の駆除といった、人々の救済に当たってもらう。そして、教会は彼女たちを『聖女』として認定する」


「……!」


「もちろん、固有職ジョブ持ちの雇用は安くないが、それがもたらす実益や、聖女が人々の精神的な拠り所となることの意義は大きい。反対する司教もいるだろうが、人々の大きな支持を得ることができれば、黙らせることもできる」


 大きな構想を語るバルナークを、メルティナは驚きの目で見つめていた。『聖女』は神聖な存在であり、滅多に認定されることはない。


「本来なら、男の固有職ジョブ持ちも『聖者』として認定したいところだが……そっちの称号は権力闘争と紐付いているからな」


 ならば、『聖女』を有効活用させてもらおう。そう告げるバルナークの言葉は、不遜とも罰当たりとも取れるものだ。だが、彼が『聖女』の称号を私的な目的で利用するとは、メルティナには思えなかった。


 そんな心の動きを読んだのだろうか。やがて、バルナークは真剣な表情でメルティナと向かい合った。そして、その右手を彼女へ差し出す。


「――メルティナ。俺と共に来い」


 これまでの多弁に比して、簡潔な言葉。だが、これまでに受けたどんな仕官の勧誘よりも、その言葉は彼女の胸に響いた。


「はい!」


 気が付いた時には、メルティナの口は勝手に動いていた。だが、後悔はない。バルナークは信用に値する人物だと、彼女は確信していた。


「……そうか」


 ふっとバルナークの表情が緩む。それは、今まで見せたことのない微笑みだった。


「そうと決まれば、お前の両親を再度説得する必要があるな」


「私が説得します」


 メルティナの家の方角へ視線を向けるバルナークに、彼女はきっぱりと宣言した。最近はお金の話ばかりするようになった両親だが、本来は金銭だけで価値を測る人間ではなかったはずだ。


 なんとしても両親を説得する。メルティナが決意を新たにしていると、バルナークはふと口を開いた。


「教会に所属したとしても、お前はお前だ。教会や俺に対して、盲目的であれとは思わん。もし、俺がお前や『聖女』の力を私物化していると判断した時は、いつでも俺を斬れ」


「……え?」


 思わぬ言葉に目を見開く。だが、その言葉が真意だと、バルナークの瞳が告げていた。


「上級職の力を扱うとなれば、その程度の覚悟は必要だろう」


「でも……!」


 自分がバルナークを斬るなどあり得ないし、できるとも思えない。本能がそう叫ぶ一方で、彼の言葉は理解できるものだと理性が告げる。メルティナが葛藤していると、彼は再び微笑んだ。


「深刻に考えずとも、道を踏み外すつもりはない。お前という存在が、道を照らすこともあるだろう。……行くぞ」


「はい!」


 彼女の返事を確認すると、バルナークは再び歩き出す。メルティナは早足で彼に追いつくと、静かにその隣に並んだ。そして……心の中でそっと呟く。




 ――私は……あなたに相応しい騎士になってみせます。




 ◆◆◆




「そんなことがあったんですね……初めて知りました」


 両手でティーカップをコトリと置くと、同僚の一人が感心したように口を開いた。自分と同じく上級職であり、癒聖セイクリッドヒーラー固有職ジョブを持つミュスカだ。


「あれ? ミュスカは聞くの初めてだっけ? ボクは百回以上聞いたけどね」


 すると、今度は別の方角から茶化すように声が上がる。古くから付き合いのある『聖女』メヌエットは、わざとらしく肩をすくめた。


「それで、お金持ちのアステリオス元枢機卿と手を組んで、聖女構想を実現したんだよね」


「懐かしいですね。バルナーク様に勧誘された日のことを思い出します」


 古参の『聖女』の一人である治癒師ヒーラーファメラは、ふわりと柔らかく笑う。そして、その視線を机の片隅で固まっている人物へ向けた。聖女たちの茶会に初めて参加することになった少女たちだ。


「ごめんなさい、昔話をされても困りますよね。別の話題に変えましょう」


「い、いえ! とても勉強になります!」


「私たち、知らないことばかりですから……」


 騎士ナイトの少女が弾かれたように立ち上がり、結界師バリアメイカーの少女は恐縮した様子で答える。


「あらあら、そんなに緊張しないでいいのよ? これじゃ私たちが小姑みたい」


 そう笑いながら、ファメラが新しい少女たちにお茶のお代わりを注いで回る。


「こうして『聖女』として認定されても、やっぱり皆さんは憧れの存在ですから。それに、私としてはもっと皆さんの思い出話を聞きたいです」


 そう言葉を返したのは、吟遊詩人バードの少女だ。吟遊詩人バード固有職ジョブ資質を授かる人間というのは、似たような性格を持つのだろうか。

 辺境で知り合った吟遊詩人バードの姿を思い浮かべながら、メルティナはふとそんなことを考える。


「もう一人の子も、今日の集まりに間に合えばよかったのにね。占い師(ディバイナー)だっけ?」


「うむ、そのはずだ」


 メルティナが頷くと、メヌエットは思案顔だった。吟遊詩人バード占い師(ディバイナー)。これまでと異なる人選は、『聖女』としての方向性の変化を示している。そのことに思い当たったのだろう。


「『聖女』が四人も増えるなんて……嬉しいですね」


 そんなメヌエットとは対照的に、ミュスカは嬉しそうに微笑んだ。彼女も変化に気付いているのだろうが、あまり気にした様子はない。同僚が増えたことを心から喜んでいるようだった。


「は、はい! 光栄です……!」


 だが、新しい『聖女』たちはピシリと背筋を伸ばした。『ルノールの聖女』の名はあまりに有名であり、今ではメルティナを凌いでいる。当の本人はこの通り穏やかな性格なのだが、それでも彼女たちにとってはビッグネームすぎるのだろう。


「まあ、すぐに一人減るんだけどね」


 そして、メヌエットは意味ありげにメルティナへ視線を向ける。長年の想いが実り、ついにバルナークと婚約したメルティナは、もうじき『聖女』から除籍される予定だった。


「メル。結婚したら、ちゃんと新しい額冠サークレットを買ってもらいなよ?」


「それはバルナーク様次第だ。私からねだる訳にはいかん」


 メルティナは額に嵌めている額冠サークレットに触れる。バルナークが贈ってくれた唯一の装飾品は、幾多の戦いを経てかなり傷んでいた。


「何言ってんのさ。遠慮なんかしちゃ駄目だって」


「そうですよ。その額冠サークレットが壊れるたびに、泣きそうな顔で修理に出していたじゃありませんか」


 メヌエットの言葉にファメラが頷く。その頃のメルティナを知る『聖女』は、もはや三人しかいない。そのことに思い当たったのか、彼女たちの表情が少し翳った。


「まだ実感はありませんけど……寂しくなりますね」


「もちろん、おめでたい話なんですけどね」


 少ししんみりした空気が流れる。そんな中で口を開いたのは、騎士ナイトの少女だった。


「あ、あの! それまでに、同じ戦士職の『聖女』としてご指導を頂けないでしょうか……!?」


 彼女は立ち上がると、真剣な顔でメルティナを見つめる。メルティナが引退すると、『聖女』の中で戦士職は彼女一人ということになってしまう。

 特殊な特技スキルを持っているはずだが、上級職であるメルティナの穴を完全に埋められるわけではない。それで焦っているのだろう。


「それは構わぬが――」


「まあまあ、そんなに焦らなくてもいいよ?」


 その会話へ割って入ったのはメヌエットだった。彼女はからかうような表情でメルティナに視線を送る。


「どうせ、メルはバルナーク大司教にくっついて回るんでしょ? どこかの神子と剣姫みたいに」


「当然だ。ようやく、公私ともにバルナーク様のお傍に控えられるようになったのだからな」


 メルティナは満足そうに胸を張る。


「あの、神子と剣姫って、転職ジョブチェンジの神子と『剣姫』クルネのことですか?」


 と、メヌエットの軽口に反応したのは、吟遊詩人バードの少女だった。


「そうだよ。キミたちも、あいつに転職ジョブチェンジさせてもらったんだよね?」


「はい、もちろんです!」


 そんなやり取りに、メルティナは時代の変遷を感じる。少し前までは、転職ジョブチェンジと言えば教会が独占する奇跡だったのだから。


「とても緊張したんですよ? 数々の英雄譚で歌われる、生きた伝説が目の前にいたなんて、今も信じられません」


「私もです! 『剣姫』は本当に隙がなかったです。どう斬りかかっても返り討ちに遭うイメージしかなくて」


 同僚に触発されたのか、今度は騎士ナイトの少女が手を挙げて発言する。言葉は少し物騒だが、彼女の目はキラキラと輝いていた。


「……みんな大丈夫? クルシス神殿に宗派替えしないでよ?」


 メヌエットが冗談めかすと、場に笑いが起きる。その様子に、メルティナもまた笑みをこぼした。


「次世代の『聖女』か……」


 そして、ぼそりと呟く。今後の『聖女』は、固有職ジョブ持ちというだけでは存在を示すことができない。そういう意味では、自分たちとは異なる苦労があるだろう。


 だが、それでも。教会にはバルナーク大司教をはじめとした、頼れる同胞がいる。そして、自分たち先輩の『聖女』もいるのだ。彼女たちだけを苦難に挑ませるつもりはない。


「まだまだ、気を抜く訳にはいかないな」


 談笑する同僚を眺めながら、メルティナは決意を新たにしていた。



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[良い点] 司教が1桁幼女を篭絡した事案があったと聞いて! [気になる点] メルティナ、性格めっちゃ変わったんだなw [一言] クルシスの神子たちに会いにいく話とか読みたい。
[一言]  とうとうメルティナの猛攻(笑)に陥落したのか、ロリk、バルナークさん(笑)
[一言] ほう、メルティナの過去話と新世代の聖女ですか。大司教との出会い、なるほど、そのような出会い方があってベッタリになったわけでしたか。 聖女関連はまだまだ知りたい関係性は多いですね、そもそもファ…
感想一覧
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