転職師Ⅰ
前話『船旅』と同時期(エピローグの1年くらい後)の話です。
【クルシス神殿侍祭】ファーニャ・ソールズ
自治都市ルノールの中心部にあるクルシス神殿。その内部にある『儀式の間』では、新しい転職師が誕生しようとしていた。
「わたし、転職師になれたんですか……?」
「ああ。ステータスプレートを見てみよう」
このクルシス神殿の長であり、転職の神子とも呼ばれているカナメに声をかけられて、ファーニャは懐のプレートを取り出した。
――転職師
たしかに、そう表示されていた。その事実に、ついファーニャの口角が上がる。
「これで、キャロちゃんとずっと一緒にいられますね!」
「そっちか……まあ、ファーニャらしいな」
ファーニャの言葉が予想外だったのか、カナメは苦笑を浮かべた。
――君には転職師の資質がある。クルシス神殿で働かないか?
目の前の人物に、そう勧誘されたのは一年ほど前だ。この辺境を発展させた立役者で、様々な英雄譚が現在進行形で作られている、生きた伝説。そう呼ばれていることは知っていた。
だが、ファーニャにとっての彼は、もっと重要な側面を持っていた。聖獣とも呼ばれる兎、キャロの飼い主だということだ。
かつて、王都でキャロに救われて以来、ファーニャはクルシス神殿の庭に日参していた。今でこそ「聖獣様」と呼ばれているキャロだが、その前からの知り合いであるファーニャは、今も「キャロちゃん」と呼んでいて、それは彼女の密かな誇りだった。
「転職師になって、クルシス神殿で正式に勤めるようになれば、仕事中もキャロちゃんと一緒にいられます!」
「まあ、そうだな。ともかく、晴れて転職師になったんだ。任命式はまた今度やるが、今この瞬間から、ファーニャはクルシス神殿の侍祭だ」
「分かりました!」
神官位にはあまり興味のないファーニャだが、転職師という貴重な人材が後ろ盾を持たないことの危険性は、カナメから聞いて分かっている。
十四歳の彼女が侍祭位を得ることは全国的にも珍しいだろうが、それを言うなら、目の前の人物は三十歳で神殿長の座に就いている。それに比べればまだあり得る話だろう。
「じゃあ、転職師の力を試してみるか。……誰かいるかな」
そして、ファーニャたちは儀式の間を出る。すると、ちょうど向こうから見知った顔が歩いてくるところだった。『剣姫』クルネ。辺境どころか大陸レベルで有名な剣匠だ。
「ちょうどいい。クルネの固有職資質を視てみよう」
「え? でも、どうやるんですか?」
「うーん……どう説明したものか」
意外なことに、カナメもよく分かっていないらしい。転職の神子と呼ばれる彼でも分からないことがあるのか、とファーニャは驚く。
「なんというか、今の俺には当たり前になっちゃってるからなぁ。ほら、ファーニャだって『歩き方を教えてくれ』と言われたら戸惑うだろ?」
「それは、たしかに……。じゃあ、神殿長は初めて資質を視た時はどうやったんですか?」
ファーニャの問いかけを受けて、カナメは思い出すように中空を見つめた。
「あの時は……そうだな、とにかく必死で相手を見ていたな」
「必死で、見る……」
その言葉に従って、クルネをじっと見る。
「……ファーニャちゃん、どうかしたの?」
だが、視界にはなんの変化もない。やがて、不思議そうなクルネが声をかけてきたことで、ファーニャは資質を視ることを諦めた。
「ファーニャが転職師になったから、まずクルネの資質を視てもらおうと思ってさ」
「そうなんだ! おめでとう、ファーニャちゃん」
「ありがとうございます……」
クルネは手を取って祝福してくれたが、ファーニャは素直に喜ぶ気になれなかった。その様子に気付いたのか、クルネは小首を傾げる。
「どうかしたの?」
「どうやって資質を視ればいいのか、俺も教え方が分からなくてさ。それで、とりあえずクルネを凝視してもらったんだ」
「そっか……最初って難しいもんね」
頷くと、クルネはファーニャから一歩離れた。そして、両手を広げてファーニャに笑いかける。
「私でよかったら、いくらでも見ていいよ」
「は、はい!」
その言葉に従って、もう一度クルネを見つめる。さらに、見つめる場所が悪いのかもしれないと、顔だけではなく、胸や手足の先、はては頭頂部など色々なところに視線を向けていく。
「……」
だが、やはり資質が視える兆しはなかった。クルネの全身を隈なく見つめても、綺麗な人だなぁ、という感想が出てくるだけで、それ以上の収穫はない。それでもめげずに見つめていると、クルネが身じろぎした。
「クルネ、ひょっとして照れてるのか?」
「べ、別にそんなことないわよ」
「ふーん……」
クルネの否定を受けて、カナメは彼女に視線を固定した。やがて耐えられなくなったのか、顔を赤くしたクルネが抗議する。
「ど、どうしてカナメまで私を見てるのよ!」
「弟子と同じ視線を共有しようと思ってさ」
「もっともらしく言ってもダメだからね」
そんなやり取りが続けられて、ファーニャは困惑した表情を浮かべる。二人が仲睦まじいことは結構だし、十四歳の少女であるファーニャには、彼らの関係に対する憧れのようなものもあるのだが……こういう場合、自分はどうすればいいのだろうか。
そんなことを考えていると、ふとカナメと目が合った。彼はゴホンと咳ばらいをすると、わざとらしいくらい真面目な顔を作った。
「一度、仕切り直そうか。クルネ、協力してくれてありがとう。また頼む」
クルネはその言葉に頷くと、ファーニャに向き直る。
「ファーニャちゃん。いつでも協力するから、遠慮せず言ってね。……それじゃ、カナメ。見回りに行ってくるね」
「ああ、よろしくな」
去っていくクルネの後ろ姿を見ながら、ファーニャはこっそり溜息をついた。意外と転職は難しいものらしい。転職師の固有職を得れば、後は簡単だと考えていた自分が浅はかだったのだろう。
「資質をどうやって視るか、か……そうだな、ちょっと部屋に寄ろう」
言われるままに、ファーニャはカナメに続く。やがて着いたのは、彼の居室でもある神殿長室だった。
「座っていてくれ」
勧められたとおりに、神殿長室のソファーに腰を掛ける。高級そうな柔らかいソファーはよく沈みこみ、不慣れなファーニャは危うくバランスを崩すところだった。
「待たせたな」
そう言って向かいに座ったカナメは、ペンと数枚の紙を持ってきていた。そして、彼は一枚目の紙に大きく四角を描く。
「これが、この世界だと思ってくれ」
「……はい」
意図がさっぱり分からないファーニャは、目を瞬かせながら頷く。すると、カナメは二枚目の紙にも四角を描いた。
「そして、こっちが固有職の次元だ」
「固有職の……次元?」
聞き慣れない言葉にファーニャが目は白黒させる。
「そうだな……固有職の世界、と言ったほうが分かりやすいか?」
「そんな所があるんですか!?」
思わず声を上げる。一体どんな場所なのか想像もつかないが、興味を持たずにはいられなかった。
「そうだな、あるぞ」
そして、カナメは二枚の紙を両手に持った。一枚目を手前に、二枚目を奥にして重ねる。
「固有職の世界と、この世界は重なっている。同じ形だと思っていい。ただ、普段はこの世界しか見えていないんだ。だが――」
そして、カナメは二枚目の紙を前に出す。
「俺たち転職師は、固有職の世界を視ることができる。さらに言えば……」
そして、カナメは三枚目の紙をくるくると丸めて筒状にした。そして、一枚目と二枚目の紙を繋げるように、間に挟む。
「転職とは、こうして固有職の世界と俺たちの世界を繋げることだ。もちろん資質を持った人間を通じて、という形にはなるけどな。……ついでに言うと、神の次元も似たようなものだ」
そう言って四枚目の紙に三角を描くと、カナメは一枚目、二枚目の紙のさらに奥に重ねる。その時点で、ファーニャの思考回路は焼き切れそうだった。
「神殿長ぅ……衝撃的すぎて、ちょっと時間が欲しいです……」
「え? ……ああ、たしかに一息に喋りすぎたな。悪かった」
「いえ……」
問題は情報量ではなく、その質のほうなのだが……この人はそれを自覚しているのだろうか。神様の世界と言えば、遥か空の彼方……天上世界にあるとファーニャは教わってきた。だが、カナメの説明は、そんな宗教観を覆しかねないものだ。
しかし、神子と呼ばれ、神殿長という要職についている人間が適当なことを言うだろうか。そんなことを考えている間に、どんどん時間が過ぎていく。
やがて、ファーニャはソファーから軽く身を起こした。
「分かりました。……世界はそういうものだって、そう信じることにします」
理解できたわけではない。世界が重なっているという説明自体、今でもピンと来ないのは事実だ。だから、ファーニャは信じることにした。目を閉じて、自分に言い聞かせる。
――この世界に重なるようにして、もう一つの世界がある。それを……。
「視る!」
ファーニャは勢いよく目を開いた。すると――。
「うぇっ!?」
ファーニャは思わず悲鳴を上げた。カナメの姿が眩しかったからだ。物理的に眩しいわけではないが、圧力のようなものを感じて、思わず目を逸らしてしまう。
「ファーニャ、どうした?」
「神殿長が、おかしな光で輝いてます……」
「おかしな光……?」
カナメは一瞬考え込んだようだが、すぐに嬉しそうな笑顔を見せた。
「それが資質の光だよ」
「え……?」
眩しいカナメから視線を逸らしていたファーニャは、その一言で再び彼に視線を合わせた。これが固有職資質だというのか。
だが、とファーニャは首を傾げた。資質の光は、軽く見ただけでも数十種類はある。そして何より――。
「あの……神殿長自身が光ってるのは、転職師だからですか?」
「いや……そういう体質なんだ」
「体質……」
たしかに、自分の身体を見ても光ってはいない。転職師らしき光の塊が中心にあることは分かるが、それだけだ。
ということは、本当に体質なのだろう。全身が固有職資質らしき光で輝いている意味は分からないが……よく考えれば、目の前の人物は神子と呼ばれているのだ。それくらいは当たり前なのかもしれない。
この件について、ファーニャはこれ以上追及することをやめた。
「よし、じゃあ今度こそ、他の人の資質を視てもらおうか」
「は、はい!」
部屋を出てきょろきょろと周りを見回していたカナメは、やがて大きめの声を出す。
「シュレッド侍祭! 悪いけど、ちょっとこっちに来てくれないか?」
「はい、神殿長!」
まだ遠いが、元気な声が聞こえてくる。カナメが見つけたのはシュレッド侍祭のようだった。この神殿で一番賑やかな侍祭であり、年齢もまだ若いため、正式な神官の中では一番気楽な相手と言える。
近付いてくるシュレッドを、ファーニャはじっと見つめた。
「えっと……ファーニャちゃん、そんなに睨んでどうしたの? 俺、何か怒られるようなことした?」
凝視していたシュレッドの顔が突然近付いてきて、ファーニャは驚きのあまりのけ反った。
「悪いな、シュレッド。ファーニャが資質を視る実験台にしようと思って」
「え? じゃあ、ついに転職師になったんですか? ファーニャちゃん、おめでとうな!」
「ありがとうございます。……でも、上手くいかないんですよぅ」
そう告げたのは、シュレッドの資質の光が視えなかったためだ。隣のカナメの資質ははっきり見えるのだが……。そう告げると、カナメはしばらく悩んだ後で、ばつの悪そうな表情を浮かべた。
「あー……しまった」
そして、彼はシュレッドに向き直る。
「シュレッド侍祭、悪かったな。ちょっと思い違いがあった。また頼むよ」
「はい! 俺でよければいつでも協力しますよ!」
それでは、とシュレッドは去っていく。その後ろ姿を見ながら、ファーニャは小さく溜息をついた。何が駄目だったのだろう。そう考えていると、カナメが隣で苦笑を浮かべていた。
「たぶん、次は大丈夫だ。……ほら」
次にカナメが示したのはエンハンス助祭だった。転職の神子や辺境を題材とする詩歌の製作や、並外れた歌の技量で『歌う神官』として有名になりつつある彼を、ファーニャはじっと見つめる。
「――あ」
ファーニャは思わず声を上げた。エンハンスの身体の中心に、燦然と輝く固有職資質があったのだ。
「ありました! 神殿長、ありましたよ!」
喜びで飛び上がっていたファーニャだが、やがてふと疑問が浮かぶ。
「どうして、シュレッド侍祭の時は視えなかったんですか?」
「俺のミスだ。よく考えたら、シュレッドに開花した固有職資質はなかった」
「開花した固有職資質……?」
ファーニャが繰り返すと、カナメは苦笑を浮かべて頷いた。
「固有職資質は、転職可能なレベルになるまで俺にも視えなかったんだが……ある日突然、開花前の固有職資質が視えるようになってさ」
「えーと……」
ファーニャが首を捻っていると、カナメはより噛み砕いた説明をしてくれた。
「つまり、今はまだ転職できないけど、将来的に転職できそうな人が分かるようになったんだ」
その説明で、ようやくファーニャは理解に至った。
「じゃあ、シュレッド侍祭の固有職資質は、転職できるほど成長してなかった、ということですか?」
「そういうことだ。俺からすると、光の強弱はあっても両方とも資質の光だから、ファーニャにも視える気がしてた。……気落ちさせてすまなかった」
「いえ……あれ? じゃあ、エンハンス助祭は転職できるんじゃ――」
「そうだな。本人が希望していないだけで、いつでも吟遊詩人に転職可能だ」
「あれが吟遊詩人の固有職資質……」
エンハンスが姿を消した方向に視線をやって、ファーニャは感心したように声を上げた。固有職持ちが増えてきたとは言え、まだその絶対数は少ない。彼が転職可能だということは、それだけで凄いことのように思えた。
「まあ、エンハンス助祭は芸術家肌だからな……色々こだわりがあるんだろう」
話を切り上げたカナメは、再び神殿の中を歩いていく。
「神殿長、今度は誰に会いに行くんですか?」
尋ねると、カナメは少し楽しそうに笑った。
「もう一度、クルネに実験台になってもらおう。――今度は、転職の実践だ」
◆◆◆
煌煌と輝く五つの資質。神殿長室でクルネの固有職資質を視たファーニャは、驚きで固まっていた。手前に視える資質の光は存在感が強く、残る四つの資質はその陰に隠れているような印象だ。
「ファーニャちゃん、どうしたの?」
そんなファーニャを不思議に思ったのか、クルネが心配そうに声をかけてくる。
「その……資質が五個もあって驚いてました」
「あれ? カナメはもっとたくさん固有職資質があるんじゃなかった?」
「神殿長は……あそこまで行くと、現実味がないというか……」
固有職資質を視るための視界に切り替えたファーニャは、光の圧力とでもいうようなものを放つカナメをちらりと視た。
「ひどい言われようだ……」
カナメはおどけた顔で肩をすくめる。その後で、少しだけ真面目な表情を浮かべた。
「まずは……あ、そうか」
何に気付いたのか、カナメははっとした顔でファーニャを見る。
「まず、俺が剣士に転職させる」
「カナメがするの? ……あ、お手本?」
クルネが問いかけると、カナメは軽く頷いた。
「それもあるが……剣匠は上級職だからな。ファーニャにはまだ難しいだろう」
「あ、そっか」
その言葉はファーニャにも納得できるものだった。上級職の転職は負担が大きく、熟練の転職師でなければ難しいということは、ファーニャも座学で学んでいた。
「ファーニャ。転職させる方法は、資質の光に見えない手を伸ばして、その光を全身に広げていくような感じだ。――こうやって」
「あ……!」
その瞬間、存在感が薄かった別の光がクルネを覆っていく。詳しいことは分からないが、彼女が転職したということは間違いなかった。
「剣士の固有職、なんだか久しぶりね」
「まあ、わざわざ剣士に戻す必要もなかったからなぁ」
驚くファーニャをよそに、二人はのんびり言葉を交わしていた。だが、やがてカナメの視線がファーニャを捉える。
「さて……ファーニャ、やってみようか。それとも、もう一度やってみせようか?」
「いえ、大丈夫です! やります!」
ファーニャは思わず姿勢を正した。資質を視るのも面白かったが、やはり転職師の最大の仕事は転職だ。さらに、実験相手を務めてくれるのは大陸中に名を轟かせている『剣姫』となれば、緊張しないはずがなかった。
「緊張しなくてもいい。クルネは転職に慣れてるからな。転職した回数で言えば、この世界で一番多いはずだ」
「はい……!」
「ファーニャちゃん、大丈夫だからね。転職に失敗しても、固有職が変わらないだけで、私には何の不利益もないから」
ファーニャを安心させるように微笑むと、クルネは両手を軽く広げた。資質の光を初めて視ようとした時と同じポーズだ。
「それじゃあ……よろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げると、ファーニャはクルネの資質を視た。二人の言葉通りであれば、現在宿している固有職は剣士のはずだ。
そして、その陰に隠れるようにして、他の四つの資質が視える。その中でも、一際大きくて密度の濃い光が剣匠の資質なのだろう。この資質にはまだ手を出せない。
ならば、とファーニャは別の資質に意識を向けた。他の資質と少し異なった印象を受けたからだ。この光だけ、刃物のような鋭いイメージが伝わってこない。代わりに、静かで張り詰めたような雰囲気が伝わってきた。
この資質にしよう。ファーニャはそう決めると、カナメの言葉通りに資質の光を見つめる。見えない手を伸ばして、その光を彼女の全身に広げようと――。
「むー……」
数十度目の挑戦の後、ファーニャは声を漏らした。どうにも上手くいかないのだ。光を広げると言うが、そもそも光に手が届いた気がしない。自分がただ力んでいるだけで、見当違いの努力をしているのではないかという疑念が湧いてくる。
「神殿長ぅ……何がいけないんでしょう……」
「うーん……」
今度はカナメも困った様子だった。資質を視ることと同じく、他人に説明することが難しいのだろう。
それでも、色々な方法でアドバイスをくれたカナメだったが、結局、転職が成功することはなかった。
「今日はこれくらいにしておこう。……すまないな」
「そんなことないです! 転職師になれただけでも嬉しいですから」
それは嘘ではない。少なくとも資質を視ることはできるようになったのだ。転職させることができなかったという悔しさはあるが、資質も視られなかった昨日までとは大違いだ。
「今度、転職の仕方を大先輩に聞いてくるよ」
「え……?」
大先輩。その単語にファーニャは首を傾げた。一、二年前に『転職の聖女』が行方不明となった今、この世界にいる転職師はカナメ一人のはずだ。
「あ、ルーシャさんに聞きに行くの?」
「ああ。何人もの転職師を育てあげたらしいからな。ノウハウを教えてもらおう」
だが、クルネにも心当たりがあるらしい。二人の言葉に目を丸くしていると、ふとカナメの視線がこちらを向いた。
「そうか、ファーニャは知らないか。……まあ、一部は機密情報に当たるからな」
「え……」
その言葉に顔が引きつるが、カナメは気にした様子もなく言葉を続けた。
「遺跡都市のことは知ってるよな? あそこに千年前の転職師がいるんだ。幽霊みたいなものだけど、いい人だよ」
「ええっ!?」
想像外の説明に仰天する。辺境の一大産業を担う遺跡都市のことは知っているが、そこに転職師がいることも、ましてその人物が幽霊であることも初耳だ。
「まあ、詳しくはジュネにでも聞いてくれ。ともかく今日は解散しよう。お疲れさま」
「はい! ありがとうございました!」
カナメとクルネに見送られて、ファーニャは神殿長室から退出する。転職師になった高揚と、転職させられなかったという失意。相反する感情がせめぎ合う中、彼女は廊下を歩き始めた。
「どうしようかな……あ、そうだ」
彼女が向かったのは、クルシス神の神像が設置されている祈りの間だった。なぜそこを目指したかと言うと、神殿の中で最も人が多く集まる場所だからだ。
彼らの邪魔にならないように、目立たない場所から人々を観察する。もちろん、目的は固有職資質の確認だ。
「あった……!」
一人だけではあるが、資質を持っている人間を見つけて、ファーニャは思わず声を上げた。はっと口元を押さえるが、幸いなことに誰も気付いた様子はない。それを幸いと、祈りの間から抜け出す。
そして次に向かったのは、神殿の庭が見通せる廊下だった。なぜなら――。
「聖獣様……今日も神々しい」
「僭越ながら、お傍に寄ってよろしいでしょうか……!?」
クルシス神殿の聖獣でもあるキャロを囲む人々が大勢いたからだ。一年前までは、ファーニャもあの輪の中にいたのだ。そう考えると寂しいものもあるが、どのみち、仕事に就けば神殿の庭でくつろぐことはできなくなる。
それに比べれば、仕事中に一緒に昼寝することこそできないが、いつでもキャロの姿が見られるクルシス神殿への就職はありがたい話だった。
「……え?」
そして、ファーニャは驚愕の事実を知った。寝転んでいた人々の固有職資質を確認していたところ、ふとキャロの姿が目に止まったのだ。小さなモフモフの身体を丸めて寝入っている様は、いつも通りの穏やかな日向ぼっこモードだ。だが――。
「あれって……固有職?」
呆然と呟く。キャロの驚異的な戦闘力は有名であり、ファーニャも昔助けられたことがある。まさか、その力の由来が固有職持ちだったとは思わなかったのだ。
「それに、上級職なんじゃ……」
そう判断できたのは、キャロの中に資質が二つあったからだ。そして、うち一つは相対的に光の密度が低い。クルネの資質を思い出すと、そう判断するのが正しいように思えた。
神殿長に聞いてみよう。しばらくの驚愕の後、ファーニャはそう結論付けた。それからも、神殿の中を無駄にさまよっては、すれ違う人々の固有職資質を観察する。
「――ファーニャ君」
「は、はい!」
そんな中、背後からかけられた声に飛び上がる。その厳粛な声は振り向かずとも分かる。このクルシス神殿で一番怖い人物。オーギュスト副神殿長だ。
「先ほどから、神殿の至る所で見かけるが……何か探し物かね?」
「いえ! そんなことはありません!」
反射的にそう答えてから、ファーニャは後悔する。固有職資質を視るためにフラフラしていましたと答えるよりは、探し物をしていたほうがマシだったのではないだろうか。
……まあ、探し物だと答えたところで、管理がなっていないと叱られることに違いはないだろうが。
「それでは、何をしていたのかね?」
「えっと、それは……」
思わず顔が引きつる。神殿長に命じられて観察していたことにしようか。でも、本人に確認されて嘘だとバレれば、もっとひどいことになるだろう。ファーニャの頭の中でそんな損得勘定が行われる。
「――あれ? ファーニャ?」
と、そこへ割り込んできたのは、先輩神官の声だった。商業都市セイヴェルンから修業に来ている女性神官は、目を丸くしてファーニャを見つめている。
「ジュネ司祭、突然話に割り込むのは感心せんな」
「すみません。あまりに驚いたものですから。……ファーニャちゃん、あなた転職師に転職したわね?」
「え!?」
「なんと……!?」
ジュネの言葉に、二人が目を見開いた。ただ、オーギュストの驚きは転職したことにあるのだろうが、ファーニャは別だ。
「あの……どうして分かったんですか?」
「やっぱりそうだったのね。……私の一族は、そういうのがうっすら視えるのよ。固有職じゃなくて神気……転職に必要な力が、だけど」
さらりと驚愕の事実を口にしたジュネは、そのままオーギュストに向き直った。
「副神殿長はご存知だったんですか?」
「……いや。それが真実であれば、こちらにも準備がある。カナメ神殿長に確認せねばならんな」
「神子さ――神殿長なら、さっき向こうを歩いていましたよ」
「そうか……私は神殿長と話をしてくる」
言って、オーギュストはジュネが指差したほうへ歩いていく。その姿が見えなくなった辺りで、ファーニャはほぅっ、と息を吐いた。
「助かったぁ……ジュネさん、ありがとうございます」
「ふふっ、お礼はいいわよ。それより、早く移動しないと副神殿長が戻ってくるかもしれないわよ」
「えっ!」
その言葉に押されるように、ファーニャは廊下を歩き出す。もちろん、副神殿長が向かった先と逆方向だ。そして、ふと気付く。
「ジュネ司祭……ひょっとして助けてくれたんですか?」
「副神殿長のお小言は長いからね」
ジュネは茶目っ気たっぷりの口調で笑いかけた。
「ねえねえ、それで、転職師になるってどんな感じ?」
「それが……資質の光は視えるんですけど、転職は上手くいかなくて……」
「そうなんだ……難しいものなのねぇ」
ジュネは興味深そうに話を聞いてくれる。そして一通り話し終えたところで、ふとファーニャはジュネの資質を覗いてみようと視界を切り替える。
その時だった。
「あ、れ――?」
突然、ファーニャの視界が暗くなった。意識がかすみ、身体の感覚がなくなっていく。
「ちょっと、ファーニャちゃん!?」
慌てたジュネの声がかすかに聞こえたのを最後に、ファーニャは意識を手放した。
◆◆◆
「う……」
ふと目を覚ましたファーニャは、自分がベッドのようなものに寝かされていることに気付いた。どうして自分はここにいるのか。たしか、ジュネと話していて――。
「ファーニャ! 気がついたの!?」
「あれ……マリエラ?」
だが、自分を見下ろしているのはジュネではなく、クルシス神殿の職員にして、ファーニャの友人でもあるマリエラだった。歳の近い友人が傍にいることにほっとしつつつも、彼女の頭の中は疑問だらけだった。
「セレーネさんを呼んでくるから、待っててね!」
賑やかな友人は、そう告げるとバタバタと部屋を去っていく。オーギュスト副神殿長と出くわしたら怒られそうだな、と思いながら、ファーニャは部屋を見回した。
「……え?」
そして、他にも部屋に人がいたことに気付いた。
「マリエラは相変わらず賑やかだなー」
そう感想をもらした人物もまた、どちらかと言えば賑やかな部類に入るだろう。自治都市ルノールの警備隊長にして、防衛者の固有職持ちでもあるジークフリートだ。
「あまりお役に立ちませんでしたけど……ご無事でよかったです」
そして、もう一人。ウェーブのかかった金髪を揺らして、ほっとしたように微笑む女性の正体に気付き、ファーニャは目を点にした。
「せ、聖女様っ!?」
ファーニャの師であるカナメやクルネと同じく、辺境にこの人ありと知られる有名人。大陸に数人しかいない上級職持ちであり、『ルノールの聖女』とも呼ばれる癒聖ミュスカだ。別宗派の重要人物であるため、クルシス神殿を訪れたことはほとんどないはずだが……。
「や、ミュスカちゃんの活力付与が効いたんじゃないか? さすがは癒聖だよな」
「そんな……ジークフリートさんが、先にたくさん治癒魔法を試してくださっていたから、だと思います」
そんな会話を聞くファーニャは、混乱したままだった。ジークフリートにしてもミュスカにしても、辺境を支える中心人物であり、なぜ彼らがこの部屋で自分のことを気にかけてくれているのか。
「――ファーニャ、目が覚めたのね。よかったわ」
「セレーネさん!」
自分の指導役でもある先輩神官の姿を見て、ファーニャは思わず声を上げた。その妖艶な容姿と物腰は神官として異質であり、さらに元貴族令嬢だという噂もあるのだが……まだ、そのあたりを尋ねることはできていない。
そのセレーネは、真面目な表情でベッド際に立つと、手でファーニャの頭に触れた。
「調子はどう? 頭の中で別の人が喋っているような感覚はない?」
「え? ……ない、と思います」
自分の中に意識を向けてから、ファーニャはゆっくり首を横に振った。すると、セレーネは次に自分を連れてきたマリエラのほうを見る。
「マリエラ。ファーニャが眠っている間に、変なことを喋ったりはしていなかったのね?」
「はい! ずっとぐーぐー寝てました!」
「マリエラちゃん……その言い方はなんだか……」
恥ずかしさに頬が熱くなる。十四歳の少女として、友人の表現に抗議したい気持ちが湧くが、今がその時でないことは分かった。
「それならよかったわ……まあ、カナメ君みたいにクルシス神が憑依する可能性は、ほぼゼロだと思っていたけど」
「クルシス神が……憑依?」
耳慣れない言葉に目を瞬かせる。だが、ファーニャの声は聞こえなかったようで、セレーネはミュスカのほうを向いていた。
「ミュスカ、わざわざこの神殿まで来てくれてありがとう。まさか、カナメ君がミュスカを頼るとは思わなかったわ」
「いえ……カナメ君にとって、ファーニャちゃんは初めてのお弟子さんですから……気持ちは分かります」
「このお礼は、また一緒に出掛けた時にでも……ううん、違うわね。カナメ君からお礼をさせなきゃ」
「いえ、本当に、大丈夫ですから……」
ミュスカは手をぶんぶんと振ってセレーネの提案を固辞する。そのやり取りはとても楽しそうで、先輩と『ルノールの聖女』が学友だったということをファーニャに思い出させた。
「ジークフリートもありがとう。突然呼び出されたんでしょう? カナメ君に特別手当を請求してやればいいわ」
「べ、別にいいよ。カナメ兄ちゃんには世話になってるし」
そんなやり取りの後、ミュスカとジークフリートは部屋から出て行った。そうそうたる面子が部屋からいなくなったことで、ファーニャはようやく息を吐いた。
「あら、どうしたの?」
「その……すごい人たちが同じ部屋にいたから、緊張しました」
「わたしも!」
ファーニャの言葉に、まだ部屋に残っていたマリエラが同意の声を上げる。だが、彼女たちの言葉にセレーネは苦笑を浮かべた。
「一般的には、カナメ君とクルネもその分類に入るのよ?」
「そうなんですよねぇ……」
カナメやクルネに対しても、最初はかなり緊張していたはずだが、もはやその時の気持ちは思い出せない。二人とも偉ぶらない性格だからだろう。今では、最も緊張する相手はオーギュスト副神殿長のほうだ。
と、そこまで考えてから、ファーニャはふと疑問を抱いた。
「あの、神殿長はどこかへお出かけですか?」
さっきまでの会話から察するに、カナメは自分のためにあれこれ手配してくれたらしい。そんな彼がこの場にいないことは不思議だった。
「カナメ君なら、ミュスカ達を手配してすぐに、巨大怪鳥で遺跡都市へ行ったわ」
「遺跡都市へ?」
「ファーニャにルーシャさんの話をしたことはあったかしら? 千年ほど前に生きていた転職師なのだけど」
「さっき……いえ、倒れる前に神殿長から聞きました」
「そう、それなら話は早いわね。ルーシャさんなら原因が分かるかもって、クルネと一緒に巨大怪鳥で飛んで行ったわ」
「えー……」
あまりの行動力に、ファーニャは唖然としていた。別宗派で、超がつくほどの有名人でもある癒聖を連れてきただけでなく、巨大怪鳥で遺跡都市へ赴くなど、にわかには信じられない話だった。
「噂をすれば……戻ってきたかしらね」
「え?」
訊き返す間もなく、複数の足音が聞こえる。走っているわけではないが、かなりの早歩きのようだ。やがて、部屋の扉がバン、と開かれた。
「ファーニャ、気が付いたか」
「は、はい! もう大丈夫です。ありがとうございました」
自分のために走り回ってくれたらしいカナメに対して、ファーニャは素直にお礼を言う。
「そうか、よかった。ルーシャさんの話を聞いて、たぶん大丈夫だとは思っていたが……これでミルティは呼ばずにすむな」
「も、もう大丈夫です!」
ファーニャは慌てて首を横に振った。すでに大物二人と面会した身だ。さらに『辺境の魔女』と呼ばれる大陸最高峰の魔術師までやってきたら、ファーニャの精神力がもたないのは間違いない。
「神殿長、わたしが倒れた理由はなんだったんですか?」
そして話をそらす。幸いなことに、カナメはその話に乗ってきたようだった。
「簡単に言えば、固有職資質の見すぎ、ということらしい」
「資質の見すぎ……?」
「ほら、魔術師は魔力を消費して魔法を使うだろ? そして、魔力がなくなれば魔法を使えなくなるし、無理に魔法を使うと倒れてしまう。転職師もそれと同じらしい」
「へえ……」
その説明に納得する。倒れる直前にジュネの固有職資質を視ようとした記憶がある。それが限界だったのだろう。
「まあ、そのあたりの詳しい話については、また今度だ。今日はもういいから、帰って休んでくれ」
「え? いいんですか?」
「神気を回復させるには休むしかないからな。消耗したことは事実だろうし」
「わ、分かりました」
「ただし、帰り道で固有職資質を視たりしないこと。いいな?」
「っ! は、はい!」
図星を突かれたファーニャは、不自然なほど強く返事をする。カナメもそれには気付いたのだろうが、特に何も言わなかった。そして、その代わりに、今後の予定を口にする。
「ファーニャ。今度、遺跡都市に行くことにした。ルーシャさんには了解をもらったから、二人で転職のことを教わろう」
「はい――えぇっ!?」」
突然の展開に驚く。今日まで存在すら知らなかった転職師の幽霊に、実際に会いに行くというのだ。
「大丈夫だ。あの人にとって、クルシス神殿の転職師はみんな後輩みたいなものだから、ファーニャには優しいと思う」
「はい……」
そう言われても落ち着かないのは事実だ。平然としている師を見て、伝説級の存在とわたり合ったという英雄譚は本当なんだな、と複雑な気持ちで実感するファーニャだった。




