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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
外伝・後日譚
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船旅Ⅴ

 空を茜色に染めた夕日が、海面をも染め上げていく。悠然と広がる茜空と、絶え間なく夕日を反射する海面のコントラストは、まさに絶景と言えた。


「素敵ね……」


 上部の甲板に設けられた特別デッキで、俺たちは沈みゆく太陽を眺めていた。と言っても、俺とクルネだけではない。一等船室以上の乗客のほとんどが、このデッキに集合している。なぜなら、今日はここで夕食を取ることになっていたからだ。


 ふとデッキ内に目をやれば、手慣れた動きでスタッフたちが準備を整えている。その動きに感心していると、こちらに向かって来る人影に気付いた。


「あ、ティアシェさん」


 クルネも気付いたようで、俺より先に声をかける。すると、彼女は穏やかに微笑んだ。


「神子様、クルネさん、こんにちは」


 挨拶を返すと、ティアシェはきょろきょろと辺りを見回した。


「キャロはあっちですよ」


 察してデッキの一角を指し示す。栄えある『お昼寝場所』としてキャロに認定された小さな芝生の上では、モフモフの妖精兎フェアリーラビットが丸まって眠っていた。その周囲には、やはり座り込んでまったりしている紳士淑女たちがいる。


「聖獣様は、どこでも人気ですね」


 同じく、クルシス神殿の庭でキャロとまったりするのが日課のティアシェは、おかしそうに笑い声を上げた。


「……お二人とも、なんだかお久しぶりですね」


 そして、改まって俺たちに向き直る。


「そう言えば、そんな気がしますね。あの朝以来でしょうか」


 彼女は歌姫として乗船しており、その歌を聴く機会はたくさんあったのだが、それ以外の場面ではあまり顔を見ていない。船内の色々な場所で歌っていたようだし、喉のコンディションを整える必要もあったからだろう。


「あの朝と言えば……お二人とも、聞きましたよ? またご活躍なさったんですね」


「今回は、ほとんどコルネリオが頑張りましたからね。クルネは海賊たちを叩きのめしましたが、私に至っては何もしていません」


 俺たちが海魔女セイレーンと共存する島を離れてから、もう数日が経つ。幸いなことに、海賊たちに誘導され、襲撃されかけていたと気付いた人間はいないようだった。時間が早朝だったこともいい方向に働いたのだろう。


 とは言え、呪歌を使って海魔女セイレーンに対抗してくれたティアシェは別だ。島であったことについても、コルネリオから一部始終を聞いたらしい。


「歌を生業とする身としては、生まれつきの歌い手である海魔女セイレーンのことは気になります。彼女たちと切磋琢磨することができれば、得難い経験になるでしょうね」


 そう言って微笑む。コルネリオが提案した観光事業計画は、あの島で一応の賛成を得たようだった。というよりも、海賊たちを全滅させた以上、他にすがるものがないのだ。

 独断専行した村長やクラフを責める声もあったようだが、それ以上に海賊に嫌気がさしていた島民が多く、代替案があるのならと、そう問題にはならなかった。


 さらに、もとから俺たちに協力的な海魔女セイレーンであるフィロッテが一役買ってくれて、『竜の翼』号が座礁しやすい地域を抜けるまで先導してくれたのだが、コルネリオはそれを巧みに利用して、乗客たちの興味を大いにかき立てたようだった。


「ティアシェさん、今日は歌うんですか?」


 あの島の話が一段落したところで、クルネが問いかける。


「もちろんです。この景色に恥じない歌を提供しなければなりませんね」


 そう言いながらも、彼女に気負った様子は見られない。さすがは辺境一の歌姫といったところだ。


「どんな歌を歌う予定ですか?」


「そうですね、要望にもよりますが……今乗船されている方は、大半が辺境にお住まいですから、やはり辺境の変遷を綴った歌は外せませんね」


 そう答えてから、彼女は珍しく悪戯っぽい視線を俺へ向ける。


「となれば、神子様の英雄譚も欠かせません」


「そんなことはないと思いますが……ほら、ラウルスさんとか、クルネとか、アデリーナとか、たくさんいますよ」


「カナメ、さらっと私を生贄にしたわね」


「一番目の候補に出さなかった俺の誠意を汲んでほしい」


「一番目も二番目も変わらないわよ」


 クルネの抗議を受けて、俺は大袈裟に肩をすくめた。


「分かった。それじゃ、『剣姫』の英雄譚は諦めよう。その代わり『聖女と怪盗』をリクエストしようかな」


「一緒じゃない!」


 そんなやり取りをしていると、ティアシェが不思議そうに首を傾げる。


「あの……『聖女と怪盗』は、クルネさんと何か関係があるのですか?」


「……あ」


 クルネがしまった、という表情で固まる。


「えーと……その、単に落ち着かない歌というかなんというか……」


 彼女はなんとかごまかそうとするが、歌を生業とするティアシェが引き下がるはずもない。神秘的な笑顔と穏やかな物腰で、どうやったらこんな力強さが出せるのかと、俺は密かに感心していた。


「ティアシェさん、真実は製作者の意図ほどロマンチックではありませんよ?」


「それでも、知りたいのです」


 最終的には、俺からあの歌の真実を伝えることで決着する。真実を語ると、ティアシェは目を丸くして驚いていた。


「まさか、怪盗の正体がクルネさんだったなんて……しかも、お相手の『聖女』はミュスカさん……? 辺境を代表する『剣姫』と『ルノールの聖女』が、お二人とも王都にいた時の話だったなんて、想像を遥かに超える真実でした」


 ティアシェは満足そうに息を吐いた。てっきり歌のイメージを壊してしまったと思ったのだが……。そう尋ねると、彼女は笑顔のまま首を横に振った。


「今のお話も素敵なものでしたよ? 怪盗も聖女も、瀕死の神子様を助けるために全力を尽くしたということですね」


「え、そういう解釈になるのか……?」


「はい」


 俺のぼやきにティアシェは笑顔で頷いた。


「ご安心ください。歌のモデルがクルネさんとミュスカさんで、本当の目的は神子様だったなんて、そんなことを広めるつもりはありませんから」


 そう言いながらも彼女は嬉しそうだった。自身でも歌を作っているし、エンハンス助祭に新しい詩ができていないかしょっちゅう聞きに来ているから、物語を集めるのが好きなのかもしれない。


 そんなやり取りをしていると、ふとよく通る声がデッキに響いた。


「――皆様、お待たせいたしました。お食事の準備が整っております」


 その声に促されて、思い思いの場所で景色を眺めていた乗客たちが動き出す。見事に整えられた席に着くと、食事とともにティアシェの歌が始まった。


 透き通った歌声が海に響き、拡散していく。沈みかけた夕日を舞台にして、いくつもの歌が彼女の口から奏でられる光景は、生涯忘れることはないだろう。そう思わせるものだった。


 なお、ティアシェのレパートリーは多岐にわたるが、やはり辺境にまつわる歌が中心となっていた。ということは、つまり――。


「平常心、平常心……」


「みんながこっちを見てるね……」


「選曲はコルネリオの指示らしいからな……そのうち、あいつの歌が作られたら仕返ししてやる」


「コルネリオ君だったら、喜ぶだけだと思うけど……」


 自分たちの登場する歌が奏でられるたびに、俺たちは必死で平常心を呼び起こしていたのだった。




 ◆◆◆




 ティアシェの歌を聴きながら夕食を終えた俺たちは、その後も甲板に残っていた。それは余韻を楽しみたかったからでもあるし、一等船室以上の乗客がこぞって社交性を発揮したからでもある。


 特に俺とクルネは、ティアシェの歌できっかけが掴めたのか、色々な人と言葉を交わすことになっていた。彼らいわく、「恐れ多くて、きっかけなしには話しかけられなかった」らしい。どこの王侯貴族だ。


 それでもだんだんと人が減っていき、デッキに残っているのは二十人もいないだろう。すっかり日も落ちたため、『竜の翼』号の照明だけが夜の海の光源だった。


 だが、そんな落ち着いた空間をかき消すように、賑やかな男が姿を現した。両側に一人ずつ女性を連れている。たしか、片方は笑い上戸で、もう片方は大人しい性格だったはずだ。


「よぉ、カナメ! 今日の歌はどないやった? ベストチョイスやったやろ?」


「恥ずかしくて倒れるかと思ったぞ」


「私も……」


 そう抗議するが、コルネリオはどこ吹く風だった。


「賓客の英雄譚サーガがあんのに、歌わんわけにはいかへんで。そこはもう、礼儀の世界やな」


 コルネリオの言いたいことも分からないではない。まして、この船にいるのは俺たちだけじゃないからな。他の乗客に、コルネリオが常識知らずだと侮られるのは、俺も望むところではない。


「というか、カナメがおってもおらんでも、神子の英雄譚は外せへんからな。最低でも、あと五年は流行は収まらんやろ」


 そう言ってから、コルネリオはにんまりと笑った。


「どうせやったら、この船も英雄譚サーガに登場させるのはどないや? そしたら利用客が激増してボロ儲けや」


海魔女セイレーンの一件でも歌にするのか? あれはコルネリオが主役だろう」


「別に俺は伝説になりたいわけやないからな。それより、どないや? 『あの英雄譚サーガ転職ジョブチェンジの神子と剣姫が宿泊したロイヤルスイート』とか、どんだけ値段釣り上げてもいけるんちゃうか?」


「それ、別に英雄譚サーガがなくても成立するんじゃ……」


 クルネがぼやくと、コルネリオは目を光らせる。


「ほんまやで! ありがとうな、クルネちゃん。公認してもらえるとは思わんかった」


「え? 別に公認したとかじゃ……」


「――っと、あんまり二人の時間を邪魔したらあかんな。今日はこれくらいにしとくわ。ほな!」


 そして、現れた時と同様に賑やかに去っていく。だが――。


「あれ? 貴女は行かなくていいんですか?」


 そう声をかけたのは、コルネリオの傍らにいた女性の一人が残っていたからだ。笑い上戸で、名前はイザベラ、だったか。


「あの人の代わりに、お礼しとこうと思って」


「お礼?」


 俺は目を瞬かせた。『あの人』はコルネリオのことだろうが、お礼とはなんのことだろうか。


「あの人は根っからの商人やから、どうしても損得勘定をしてまうけど……神子様が相手やと、すごく気楽そうで。今回の神子様の部屋の手配でも、細かいところまで指示を出してた」


「気楽……?」


 話がどこに向かうのか分からず、俺は首を傾げる。


「神子様ってものすごい影響力を持ってるやん? せやから、多少友情を優先したって、『先行投資や』の一言で片付けられる」


「あー……」


 なんとなく、彼女が言いたいことが分かってきた。例えば、俺たちが今宿泊しているロイヤルスイートだ。いくら賓客ゲストとは言え、相場よりかなり安い値段設定がされていることには気付いていた。


 クルネとキャロという最強クラスの護衛がつくことを見越した金額設定かとも思っていたのだが、ひょっとすると、コルネリオの友情価格だったのかもしれない。思い起こせば、似たようなことはこの数年間で幾らでも思い当たる。


「あれでも人情に篤いから、下手に自制したり、変なところで板挟みになったりするけど……神子様はそういうのを超越できる貴重な『友人』やから、色々と救いになってるんやで」


 意外な告白の後で、彼女はにこりと笑う。


「本当にありがとうな。あいつは絶対に言えへんから、せめてウチから言うとこうと思って。お節介でごめんなぁ」


「いえ、わざわざありがとうございます。私にそんなメリットがあったとは、まったく気付きませんでした」


「神子様は謙虚やなぁ……それでいて卑屈でもないし、たしかにええ男やと思うわ」


「……?」


 唐突な言葉の意味を計りかねていると、ふとイザベラの顔が近付いた。そして、俺が困惑している間に耳元で囁く。


「せやから、マリアには気を付けてな。神子様は、コルネリオ以上の社会的ステータスを持ってるレアキャラや。あの子の好みど真ん中のはずやで」


「え? それはどういう――」


 訊き返すが、イザベラは笑顔で手を振ると、振り返ることなく去っていった。呆気にとられてその後ろ姿を見送っていると、クルネが拗ねたようにこちらを見つめていることに気付いた。


「……カナメって、モテるよね」


「今のはモテるうちに入らないだろう。要約すると『コルネリオをよろしくね』だぞ?」


「じゃあ……その、最後の話はなんだったの?」


 クルネが少し口ごもったのは、束縛するようで嫌だと思ったのだろうか。だが、俺からすれば隠すようなことでもない。


「ただの警告だったよ」


「警告?」


 その単語を捉えた瞬間に、クルネの雰囲気が少し変わる。軽い戦闘モードに入ったのだ。さらに、相手にとっては運の悪いことに、そのタイミングで俺たちに近付く人影があった。


「――!」


 クルネは反射的にそちらを振り返ると、剣の柄を握りしめた。だが――。


「……あれ?」


 そこに立っていたのは、どう見ても荒事とは無縁の女性だった。突然戦闘態勢に入ったクルネを見て、驚きのあまり固まっている。


「あ、ごめんなさい。反射的に動いちゃって……」


 クルネがばつが悪そうに謝ると、女性はようやく我に返ったようだった。彼女は、やがてクルネに詰め寄る。


「あの、素敵でした……!」


「……え?」


 今度は俺たちが固まる番だった。予想外のリアクションに戸惑っていると、興奮した様子の女性はさらにずいっとクルネに接近する。


「さっきのクルネ様……戦の女神かと思うくらい凛々しくて、美しくて、もう最高でした!」


「えっと……ありがとうございます」


「そんな、私なんかに敬語を使わないでください! 呼び捨てで充分ですから!」


 なんだか思い込みの激しそうな人だな。セイヴェルンにはちょくちょくいたが、辺境ではあんまりいないタイプだ。

 これは長引きそうだと判断した俺は、少しの間別行動を取ることに決めた。なぜなら、昼寝中のキャロを芝生の上に置きっぱなしにしていたことを思い出したからだ。


「夜風は冷えるからな……」


 キャロのことだ。自分で船室へ帰った可能性も高いが、まだ甲板にいて風邪でも引いたら大変だ。そう思ってデッキの角へ移動した俺だったが、そこには誰もいなかった。自分で起きて帰ったのだろう。


「――神子様。僭越ながら、聖獣様は風が冷たくなる前に船室の専用ベッドへお連れしました。ご報告が遅れて申し訳ありません」


 そんな俺の様子に気付いたスタッフが、丁寧に頭を下げる。


「いえいえ、感謝の気持ちこそあれ、責めるつもりはありません。気遣ってくれてありがとうございます」


「滅相もございません。そして、もう一つ謝罪することがございます」


「えーと……なんでしょう」


 俺は首を傾げた、この丁寧でしっかりしたスタッフが、謝罪するほどのミスをするとは思えないんだが……。


「……恐れ多くも、眠る聖獣様をこの手で抱えて、お部屋までお連れしました。誠にしあわ――ゴホン、誠に申し訳ありません」


 そっちかよ! そんなツッコミを心の中に封印して、俺は笑顔を浮かべた。


「キャロが嫌がらなかったということは、この船旅の間に、貴方を信頼できると判断したのでしょう。謝ることはありませんよ」


 そう言えば、干し草を持って来てくれたのもこの人だったな。そんな記憶が蘇る。


「おお……!」


 そしてスタッフはと言えば、何やら感動しているようだった。まあ、幸せそうでよかった。そんなことを思いながら、俺はクルネの姿を探す。ここからだと物陰でよく見えないが、まだ話は続いているようだった。


 とりあえず合流して、上手く話を切り上げるきっかけでも作ろうか。そう考えていると、後ろから声をかけられた。


「――神子様、こんばんは」


「おや、マリアさんでしたか」


 そこに立っていたのは、コルネリオの交際相手の一人、マリアだった。今日の晩餐会に参加していたのか、華やかな服装に身を包んでいる。


「夜風が気持ちいいですね」


「ええ、そうですね」


 どうしても身構えてしまうのは、イザベラの言葉が脳裏をよぎったからだ。とは言え、そんな内心を表に出すつもりはない。


「今日の歌姫さんの曲、素敵でしたね。特に神子様のお歌の時は、皆さんが神子様を見つめていました」


「歌には脚色がつきものですからね。当事者としては面映ゆいばかりです」


「以前にもそう仰っていましたけど、たとえ話半分だとしても、やっぱり神子様は素晴らしい功績を残していらっしゃると思います」


 そんな話をきっかけに話が進む。やはり話術が巧みで、なかなか会話を切ることができない。またクルネが不安に思う前にと、俺は無理やり話を打ち切ることにした。


「――すみません、婚約者をあまり放っておくわけにもいきませんから」


 婚約者、というところを強調して話を打ち切る。ここまで言えば色々伝わるだろう。そう思っていたのだが……彼女の雰囲気が、ふっと変わった。柔らかな笑顔はそのままに、その表情に深みが加わる。


「クルネさんなら、まだお話が終わらないと思います。あの子、『剣姫』の大ファンですから」


「え……?」


 思わぬ言葉に訊き返すと、彼女はクルネたちがいるはずの物陰に視線を送った。


「ずっとクルネさんに話しかけたかったのに、最初の一歩が踏み出せないって、毎日しょんぼりしていたんですよ。だから、ちょっと背中を押してあげたんです」


「なるほど……」


 それ自体は悪いことではない。むしろ善行の類だろう。しかし、このタイミングということは……。そう考える間にも、彼女は言葉を続ける。


「神子様は、クルネさんとずっと一緒に行動していますから……神子様だけとお話できる機会が欲しかったんです」


 もはや、マリアは言葉を飾るつもりはないようだった。彼女は穏やかに微笑む。


「コルネリオ君が言っていました。神子様のことは、海千山千の商人だと思えって。騙そうとしても見抜かれるって。……クルネさんのことも観察していましたけれど、正直で素直な方ですよね」


「まあ、それは彼女の美徳ですから」


 俺はためらいなく頷いた、時には危なっかしく見えることもあるが、そこは俺が支えればいいだけの話だ。そんなことを考えている間にも、マリアの言葉は続く。


「だから、私も本音でお話します。……神子様、私を第二夫人に立候補させてくれませんか?」


「は……?」


 それは思いも寄らぬ提案であり、危うく声が裏返りそうになる。


「自分で言うのもなんですけど、悪くない容姿だと思いますし、話術には自信があります。没落したとは言え貴族出身ですから、教養や社交術も身に付けています。クルネさんとは別の方面で、神子様のお役に立つことができると思いますわ」


 彼女はセールストークを展開する。その目はまっすぐ俺を見つめており、言葉に偽りがあるとも思えなかった。


「えーと……そもそも、貴女はコルネリオの恋人ですよね?」


「はい。……でも、こうして神子様とお話しをして気付いたんです。神子様こそ、私の理想の相手だって」


 だからこちらへ乗り換えたいと、そういうことだろうか。ある意味では潔くて感心するな。


「たしかに貴女は魅力的な女性です。だからこそ、わざわざ第二夫人を狙う必要はないと思いますが……」


「第一夫人の座を得るために妥協するくらいなら、私は理想の相手の第二夫人を選びます」


 そう言い切ると、マリアは今まで見せたことのない妖艶な表情を浮かべた。そして、ぐっと身体を近付ける。


「そのためにも……試してみます?」


 何を、とは言わなかったが、彼女の真意は明らかだった。さすがに焦った俺は一歩下がる。こんなところをクルネに……いや誰かに見られるとまずい。だが――。


「カナメ? 何してるの?」


 まさに最悪のタイミングでクルネが姿を現した。『剣姫』の大ファンからようやく解放してもらったのだろう。


「……相談を受けてたんだ。コルネリオには相手がたくさんいるから」


 さすがにマリアが第二夫人に立候補してきた、なんて言えないからな。


「だから、カナメに乗り換えるの?」


「!」


 核心をついた言葉に、思わず言葉を失う。ちらりとマリアの様子を観察すると、彼女は柔らかな笑顔のままクルネを見つめていた。


「いけませんか? もちろん、第一夫人の座を狙うつもりはありませんし、顔を合わせたくないというのであれば、最大限努力します」


 と、突然マリアが口を開いた。俺が止める間もなく、開き直った彼女は言葉を続ける。


「先ほど神子様にもお伝えしましたが、私は貴族出身ですから、教養や社交術には自信があります。クルネさんと役割を分担して、神子様を支えていくことができます」


「……」


 しれっと答えるマリアに驚いたのか、クルネは黙って彼女を見つめる。その隙にと、俺はようやく口を開いた。


「マリア。悪いが、俺はクルネ以外を妻に迎える気はない。複数の人間を愛せるような器用な男じゃないし、俺にはクルネがいればそれでいい」


「――愛情を頂けなくても構いません。振り向いてもらえるよう努力するだけです」


「それは俺が嫌だ」


 マリアの貴族らしい発言を拒絶して、俺はクルネの傍に立つ。


「俺は貴族じゃないからな。君にも事情があるんだろうが……他を当たってくれ」


「……そうですか」


 最後通牒を突き付けられたマリアは、俯いたまま大きな溜息をついた。そして、見慣れた柔らかな笑みを浮かべる。


「残念です。有名人なんて我が強い方ばっかりですから、きっと入り込む隙間があると思ったんですけどね……」


 そして、彼女は大袈裟に首を横に振ってみせた。


「お二人にはお手上げですよ。……はぁ、馬鹿らしい。お幸せに」


 マリアはスタスタと俺たちの横を通り過ぎると、船室へと繋がる入口へ向かっていく。それはあまりに鮮やかな去り際だった。お幸せに、の部分が本気に聞こえたのは、俺の気のせいだったのだろうか。


「なんだったんだ……」


 その姿を見送りながら呆然と呟く。そして、俺はふとあることに気付いた。さっきからずっと、クルネが喋っていないのだ。その事実を認識した途端、背中を冷や汗が伝う。


「えーと……クルネ?」


 問いかけると同時に、彼女の顔を覗き込む。だが――。


「どうしたの?」


「……あれ?」


 意外にも、クルネの反応は普通だった。てっきり怒りが頂点に達して黙っているのだと思っていたが……。そう説明すると、クルネは小さく笑い声を上げた。


剣匠ソードマスターの身体能力を甘く見ないでほしいわね。カナメが口説かれてるところから聞こえてたもん」


 言って、クルネは自分の耳を指す。


「カナメがやんわり断って、マリアさんがぐいぐい押してたでしょ? 別に、それくらいで怒ったりしないわよ」


「そ、そうか……」


 剣匠ソードマスターの身体能力は、いい感じに仕事をしてくれたようだ。やり取りが聞こえてなかったら、かなり不安になっただろうからな。


「……まあ、()()以上はまずいと思って、つい出て行っちゃったけど」


「本当に助かったよ」


 そんな話をしながら、俺たちは甲板の船縁に立つ。船の照明が照らした海面は、穏やかに揺れていた。


「――カナメ?」


「どうした?」


 呼ばれて隣を見ると、クルネは何かを期待するような目で俺を見上げていた。


「ねえ、もう一回言ってよ。ほら、俺はクルネ以外を妻に――っていうところ」


「改めて言うのは、かなり恥ずかしいんだが……」


「……そっか」


 俺が拒否すると、クルネはしゅんとした様子で海に視線を落とした。


「……クルネ」


 そして、そんな顔を見ては覚悟を決めざるを得ない。


「――俺はクルネ以外を妻にする気はない。複数の人間を愛せるほど器用じゃないし、クルネがいればそれでいい」


 クルネの目を見て、一息に言い切る。少し言葉が違うかもしれないが、ニュアンスが一緒なら構わないだろう。


「もう、不意打ちは卑怯よ……」


 そして、リクエストしたクルネはと言えば、顔を耳まで赤く染めていた。それでも視線を逸らさないのは彼女の意地だろうか。それならばと、俺はクルネの腰に手を回して引き寄せた。もともと近かった二人の距離は、ついにゼロになる。


「きゃっ!? ちょ、ちょっと?」


 突然の行為に、クルネが焦った声を上げた。だが、彼女が離れようとする様子はない。それどころか、彼女は頭を傾けて俺に体重を預けてくる。クルネと接触している部分から、彼女の熱がゆっくりと伝わってきた。


「……クルネとここまで来ることができて、本当によかった」


 ぽつりと呟いた言葉は、船旅だけを指したものではない。そのことはクルネにも伝わったようで、甘えるように額をこすりつけてくる。


「うん……そうだね」


 かすかに聞こえる歌声を聴きながら、俺たちはずっとお互いの体温を感じていた。



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