船旅Ⅲ
船旅も折り返し点を過ぎようかという、とある日の夜更け。ふと目を覚ました俺は、船室の窓から外を覗きこんでいた。
「カナメ、どうしたの?」
起こしてしまったようで、クルネが横から覗き込んでくる。さすがロイヤルスイートだけあって、船室の窓も非常に大きく、二人同時に窓の外を眺めるくらいは訳なくできる。
「さっき、身体に圧力がかかった気がしてさ。進路が変わった気がするが……海流の関係か?」
「もしくは、補給ね」
クルネが言った通り、この航海では、何度か近くの島に立ち寄っている。補給目的でもあるし、船上生活の特別感を思い出させるためでもあるのだろう。
人が住んでいる島ばかりではないが、船による貿易が始まった時から、コルネリオが少しずつ補給拠点を開拓しているらしい。
「けど、昨日も島に立ち寄ったばかりだろ? コルネリオにしてはバランスが悪いような……」
「うーん……こう暗いと、さっぱり分からないわね」
しばらく窓の外を覗いていたクルネが、諦めたように視線を外した。剣匠の固有職補正で見えないのであれば、俺に見えるはずもない。
「だよなぁ……まあいいか。そのうち分かるだろ」
こんなことで、いちいちスタッフに問い合わせるのも申し訳ないしな。
「そうよね。寝よっか……ふわぁ」
小さく欠伸するクルネとともに、窓から離れてベッドへ向かう。
その判断が間違っていたと知ったのは、翌朝のことだった。
◆◆◆
「なんだ……?」
目を覚ましたのは、早朝のことだった。なぜ目が覚めたのかも分からないまま、俺は上半身を起こす。
「ん……」
眠っていたクルネが身じろぎする。俺の腕に額をくっつけるようにして寝ていたようで、起き上がった俺につられて目を覚ます。
「カナメ、どうしたの……?」
寝起きでぼんやりしているクルネだったが、やがてその目が鋭く細められた。
「変な気配ね。なんだか騒然としてる」
言うなり、クルネは繋がっている隣の部屋へ向かった。着替えに行ったのだろう。その間にと、俺も服を着替えて、まだ眠っているキャロを抱きかかえる。このあたりは、様々なトラブルに遭遇した俺たちならではの呼吸だ。
キャロを抱えていると緊張感が薄れるな。そんなことを考えていると、クルネが隣の部屋から出てくる。
「お待たせ! カナメ、どうする? 甲板に出る? それともスタッフさんに話を聞いてみる?」
「そうだな……とりあえず甲板に出てみよう。その途中で誰かを見かけたら、尋ねてみればいい」
方針を決めると、船室の扉を開ける。俺たちの部屋付きのスタッフが控えていることも多いのだが、今日は誰もいなかった。そのことが、余計に疑念を抱かせる。
「誰もいないね……」
「まあ、早朝だしな」
そんな会話をしているうちに、俺たちは甲板へと辿り着く。すると、そこにはいつも通り船員が配置されていた。
「……あれ? 船員さん、普通にいるよ?」
「本当だな……」
考え過ぎだったか。そんなことを考えていた俺だったが、ふと二つの事実に気付く。うち一つは、目の前に島が広がっているということ。船はまっすぐその島を目指しているようだった。そして、もう一つは――。
この場所に魔力が漂っているということだ。
「――お前ら、何しとるんや!? あの島に突っ込むつもりか!?」
と、船室との連絡部からコルネリオが飛び出してきた。そのまま舵輪を操作している船員に近寄るが、相手が反応する気配はない。船のオーナーが血相を変えて飛び出してきたことを考えると、それは異常と言えた。
「歌が……」
そして、船員は虚ろな視線のまま、ぽつりと呟く。
「そう言えば、何か聞こえる気がするな……」
耳に意識を集中した俺は、かすかな歌声のようなものが聞こえることに気付いた。クルネとコルネリオも気付いたようで、きょろきょろと辺りを見回している。
「こいつらの反応……ひょっとして海魔女か?」
やがて、コルネリオは島を見つめて言葉をもらした。海魔女と言えば、海の岩場なんかに棲息していて、歌で人を誘き寄せるという――。
その話を思い出した瞬間、俺は唯一所持している特技、魔力変換を発動させた。周囲から魔力を吸収する特技が効果を発揮し、甲板上の魔力を薄れさせていく。
「あれ? オーナーどうしたんすか?」
そして、その効果はあったらしい。舵輪を握っていた船員を含め、甲板上の船員たちに変化があった。
「どうしたもこうしたもあらへん! 前を見てみい!」
「え? ――うわわわわっ!? 島ぁっ!?」
船員が慌てて舵を切る。だが、巨大な帆船がすぐに曲がれるわけもなく、俺たちは着実に島へと近付いていた。
「この辺りの浅瀬は座礁しやすいのに、なんだってんだ……!」
「錨を下ろせぇぇ!」
そんな一幕を経て、なんとか船は動きを止める。だが、そろそろ限界を迎えそうなものがあった。俺だ。
「きつい……」
「きゃっ、カナメ?」
魔力を吸収し続けた俺は、行き場のない魔力で吐きそうになっていた。体質上、神気ならいくらあっても問題ない俺だが、魔力は別だ。相変わらず魔力を使う方法がないため、いつかは限界がくるのだ。
もう大丈夫かと、魔力変換を中止する。すると――。
「こら! なんで錨を上げようとしとるんや!」
甲板の船員たちが、再び島へ向かおうと船を動かしはじめる。やはり、魔力と異常行動には関連があったらしい。力尽くで彼らを止めるべきだろうか。そう悩んでいた時だった。
「――あれ? 歌声が大きくなってない?」
クルネが声を上げる。彼女が言う通り、たしかに歌が聞こえてくる。だが、それはさっきの幽玄のような歌声ではない。美しくも力強い、生命力に満ちた声だった。
「ティアシェさん……!」
甲板に姿を現したのは、吟遊詩人の固有職持ちであるティアシェだった。同時に、甲板の船員たちが我に返っていく。
吟遊詩人は歌に魔力を込めることで、呪歌としての効果を持たせることができる固有職だ。効果や速度は魔法に劣るものの、その効果範囲は非常に広い。
「おはようございます、皆さん」
やがて一曲終えたティアシェは、芝居がかった仕草で一礼する。それは彼女が吟遊詩人として磨いてきた所作だ。
「魔法抵抗力を高める呪歌を歌いました。しばらくは大丈夫でしょう」
「ティアシェさんは、何が起きているか見当がついているんですか?」
尋ねると、ティアシェは首を横に振った。
「全貌は分かりません。ですが、呪歌に類するものの魔力が一帯を覆っていることは分かります」
「コルネリオ。さっき、海魔女がどうとか言ってたよな?」
話を振ると、コルネリオは真面目な顔で頷いた。
「まあ、船乗りの間ではメジャーな話やからな。実際、昔はこの海域にもおったらしいで。……ただ、航路の調査でも貨物船の行き来でも問題なかったから、過去の話やと思うてたわ」
「だとしたら、どうして今になって現れたのかな」
「さあな……」
俺たちが首を捻っていると、ティアシェが口を開いた。
「あの、一つお伺いしたいのですが……皆さんは、どうして呪歌の影響を受けなかったのですか?」
「クルネは戦士職とは言え上級職ですから、魔法抵抗力も高いはずです。私は……体質でしょうね」
あまり戦闘に役立つことはないが、俺の身体の一部は神気とやらで構成されている。神気が神々を構成するエネルギー体であることを考えると、多少の魔法抵抗力は俺にだって備わっているのだろう。
「じゃあ、コルネリオ君は?」
「俺はこれやろな」
そう言って、コルネリオは首にかけている鎖をつまみ上げた。
「魔法障壁を展開できる魔道具やけど、展開せえへんでも弱い魔法は弾きよるんや。さすがミレニア司祭やで」
「ミレニア司祭に作ってもらったの? いいなー……」
クルネが羨ましそうに呟く。ミレニア司祭が作る魔道具はセンスがいい上に機能的であり、特に装飾品は入手が難しいからだ。
「カナメ、クルネちゃんが結婚指輪をご所望やで」
「考えておく」
実は、ミレニア司祭にはこっそり発注済みなのだが、それをここで言うつもりはない。話題を変えようと、俺は話を本題に戻した。
「それで、どうする? このまま島を離脱するか?」
コルネリオにすれば、航路の安全に関わる一大事だ。調査をしておきたい気持ちもあるだろう。だが、この船は貨物船ではなく旅客船だ。船がモンスターに誘き寄せられたことを乗客に知られれば、今後の運航に支障を来たすだろう。
「そうしたいけど……そうもいかんやろな」
言って、コルネリオは沖合を指差す。いつの間に現れたのか、そこには十人ほどが乗れる手漕ぎの船が二艘浮いていた。俺たちの離脱を牽制するため、と考えていいだろう。
「もう少し近付いてくれたら、ここから斬ることもできるけど……」
「マジか……さすがやで」
クルネの人間離れした発言に、コルネリオが呆れた様子で呟いた。そして、すぐに渋い表情を見せる。
「けど、万が一あの船がただの現地人で、こっちに敵意がなかったらヤバいな……下手に恨まれて、今後の航海を邪魔されるんも辛い」
「近づいてくるのを待つか? ただ、会話ができるほど近付くと、攻撃を仕掛けられても対応できないからな……」
「私が小舟で行ってこようか?」
「いくらクルネでも、足場の悪い小舟で戦うのは難しくないか? 小舟を操るのだって簡単じゃないだろう」
かといって、ただの船員を連れて行くわけにもいかない。相手が敵だった場合、命を落とす可能性が高いからだ。
そこまで考えた俺は、ふと甲板に目を向けた。有望株がいたことを思い出したからだ。そして、コルネリオにニヤリと笑いかける。
「コルネリオ。転職の代金は、船のオーナー持ちということでいいか?」
「――構わへん。それで、誰のことや?」
それは唐突な質問だったが、コルネリオは即座に理解したようだった。彼の言葉を受けて、俺は一人の船員を指差した。年齢は二十台半ばといったところだろうか。せわしなく働いていた彼を、コルネリオが呼び止める。
「フェルナンデス! ちょっとこっち来てくれるか?」
「オーナー、どうしたんですかい?」
俺たちの下へやって来たのは、浅黒い肌が印象的な男性だった。興味深そうに俺やクルネ、ティアシェを眺めると、再びコルネリオに視線を戻す。
「再契約の提案や。もし条件を飲めるんやったら、給金は今の十倍出す」
「……は? いきなりなんです? オーナー、正気ですか?」
フェルナンデスと呼ばれた船員は、コルネリオの提案に目を丸くしていた。だが、コルネリオは構わず言葉を続ける。
「条件は二つ。一つは、コルネ商会の商船部門の警備副隊長として、向こう十年は船の護衛任務につくこと。もう一つは……」
「――転職して、海賊の固有職持ちになること、です」
コルネリオの合図を受けて、俺は一歩進み出た。
「神子様まで……ってことは、これはマジですかい?」
「俺は大真面目やで。転職したフェルナンデスの初仕事は、あの船の目的を探ることや。……そうそう、転職代金はこっちで持つ」
「オーナー、そんなに気前がいい人でしたっけ?」
コルネリオの言葉を受けて、フェルナンデスはピュゥ、と口笛を吹く。
「分かりました。その条件でオーケーです。……ただ、こっちからも一つ条件があります。俺は船を動かすのが好きなんでね。緊急時以外は、これまでみたいに船乗りとして仕事がしたい」
「ああ、もちろん構へん。というか大歓迎や」
「……それでは、転職しましょうか」
二人の話がついたと見て声をかける。多少なりとも儀式らしいことをするべきか悩むが、ここには雰囲気を出せるアイテムがないからな。祝詞をそれっぽく読み上げるだけで勘弁してもらおう。
そして、俺はフェルナンデスを転職させた。
◆◆◆
「大丈夫かな……」
「あいつは頭も回るし、そう下手は打たへんやろ」
クルネとコルネリオの会話を聞きながら、俺は海面を眺めていた。厳密に言えば、海賊の固有職を得たフェルナンデスが、こっそり二艘の船に近付くのを見守っていたのだ。
当初はクルネと一緒に小舟で乗り込む予定だったのだが、「乗客にそんなことはさせられないし、今の自分ならこっそり接近できる」と単独行を希望したのだ。
「カナメ、海賊の固有職ってどんな感じなんや?」
さすがに心配なのか、フェルナンデスから視線を外さないまま、コルネリオが問いかけてくる。
「水上や水中の戦闘に特化した固有職だな。盗賊ほどじゃないが、他の戦士職よりは敏捷性が高いことと……肺活量がすごい」
その特性は、船上戦闘が多いことや、泳ぐ機会が多々あることに起因するのだろう。なお、俺が知っている特技は『剛水撃』という、手元の水を撃ち出すものだったのに対して、フェルナンデスに発現した特技は『潜水』というもので、水中での機動力を上げ、呼吸の頻度を減らすものだった。
そのため、もともと泳ぎの達者なフェルナンデスは、ほとんど息継ぎすることなく、海中から二艘の小舟へ近付いていたのだ。
「さっぱり息継ぎせえへんな……さすが固有職持ちやで」
「上級職の『海騎士』は周囲の水に溶け込んだ酸素を吸収するから、水中で呼吸ができるぞ」
「もはや魚類やな……」
そんな会話をしている間に、フェルナンデスは船に辿り着きそうになっていた。遠眼鏡越しに姿を追っていると、ふとその姿が消える。より深く海中に潜ったのだ。
「どうしたのかな」
「向こう側に回り込むつもりちゃうか? もしあの船に注目しとる乗客がおっても、向こう側から接触したら詳細は分からへん」
肉眼でも姿を追えるクルネが不思議そうに呟くと、コルネリオが満足そうに頷いていた。
「あ! 相手が剣を抜いたわ!」
「なんやて!? やっぱ悪意があったか……」
コルネリオが渋い表情を浮かべる。その直後、二艘の船に異変があった。船底に穴でも開けられたのか、まず一艘が沈んでいき、次いでもう一艘が転覆したのだ。
「なるほど……あれなら多人数を相手取る必要もないし、この船の乗客が見ていても勝手に沈んだように見えるか」
コルネリオが「頭が回る」と評していたのは贔屓目ではなかったらしい。そんなことを考えながら見物していると、転覆した船に乗っていた襲撃者たちがこっちへ泳いでくるのが見えた。
「ちっ、この船に乗り込むつもりか?」
コルネリオが舌打ちする。十数人がこの船に取りつけば、たしかに面倒な事態になるだろう。もちろんクルネがいる以上負けることはないが、騒ぎを乗客に知られた時点でコルネ商会としては大ダメージだ。
「いや、そう上手くいはいかないようだぞ」
俺がそう口を開いたのは、襲撃者たちを先導するように泳いでいた人物が突然海中に沈んだからだ。それがフェルナンデスの仕業であることは間違いなかった。
「お、てんでバラバラに逃げ始めたぞ」
海面から顔を出したフェルナンデスが何かを告げたのだろう。奴らはてんでバラバラに逃げ始めた。そして――。
「今のは牽制だけど……次は当てるから」
それでもこの船目がけて泳いできた数人の前方に、凄まじい水飛沫が上がった。クルネの衝撃波だ。それを見てさすがに観念したらしく、襲撃者は方向転換して別の方向へ泳ぎ去っていった。
「――ご苦労さんやったな。海賊の力はどないや?」
やがて、甲板へ戻ってきたフェルナンデスにコルネリオが声をかける。すると、フェルナンデスは興奮した子供のように目を輝かせていた。
「すげえ力ですよ! イメージ通り……いや、イメージしていた以上に水中を自在に動けるし、身体のキレも呼吸も比べもんになりませんね!」
そう答えると、フェルナンデスは俺の手を掴んでぶんぶんと振った。感謝の気持ちなのだろう。……腕と肩は痛いが。
「神子様、海賊の固有職をありがとな!」
「私はあなたの中にあった資質を引き出しただけですよ」
俺がいつも通りの答えを返すと、コルネリオが話に割って入ってきた。
「フェルナンデス、悪いけど先に報告頼むわ。あいつらは悪意を持ってたんやな?」
「そうっすね。そして、いくつか嬉しくない情報があります。まず、あいつらは海賊団の一味のようです。そして、おそらく複数の海魔女を従えていますね。『海魔女のやつら、いい加減な仕事をしやがって』とか言ってましたから」
「やっぱりか……」
「なので、この島から離脱するのはちょっとした賭けですね。海魔女は何体もいるけど、こっちはあの歌姫さんだけ。海魔女の海域を抜けるまで、あの人がもてばいいんですが」
「もし途中でティアシェの魔力が尽きたら、またこの島へ逆戻りか……」
俺たちは深刻な顔で方策を話し合う。と言っても、こっちにはクルネもいればキャロもいるため、命の心配まではしていない。
さらに言えば、『名もなき神』との戦いでも使った、開花前の資質持ちを無理やり転職させる力技『聖戦』という奥の手もある。この船の人間をすべて動員すれば、最低でも十人や二十人は固有職持ちを揃えられることだろう。
そう説明したのだが、コルネリオは厳しい顔だった。
「いや、そういうわけにはいかへん。『聖戦』って、クルシス神が侵食してきて、ごっつい体調が悪くなるやつやろ?」
「まあ、そうだが……」
アレをやると、最低でも数日は意識と身体の間に乖離があるからな。とは言え、コルネリオにとっては有益な申し出だったはずだ。意外な回答に驚いていると、コルネリオは真面目な顔で告げる。
「そんなことしたら、二人の旅行が台無しやからな。それに――」
そして、彼は俺の肩をぽんと叩いた。
「……一緒に歳くって、仲良うじーさんになるって約束したからな」
クルシス神じゃ、年もくわへんし仲良くもなられへん。そう付け加えると、コルネリオは海へ視線を逸らした。それは照れ隠しだったのかもしれないが、その表情がふと怪訝なものへ変わる。
「――ん? なんや、あれ」
その言葉を受けて、俺は遠眼鏡を目に当てる。だが、やはり肉眼で確認できるクルネのほうが発見は早かった。
「ええと、人間が二人? ううん、違うわね……え?」
そして、クルネは戸惑ったように言葉を続けた。
「――ひょっとして、あれが海魔女?」




