船旅Ⅱ
周囲に他の船影はなく、日の光を反射した海面が眩しく輝く。聞こえてくる音は波音と海鳥の鳴声ばかり。そんなのどかな晴天の空の下を、一隻の旅客船が進んでいた。
その帆を膨らませた風が、甲板にいた俺たちの髪をなびかせる。
「気持ちいい風だね」
穏やかな陽光に目を細めながら、クルネが笑顔を見せる。彼女の赤みの強い金髪が風で舞い上がり、キラキラと輝いていた。
「ああ、そうだな。……こんな時間は久しぶりだ」
『竜の翼』号が出港してから、今日で三日目になる。最初は慣れない船上生活に慌てることもあったが、三日目ともなればそれなりに順応できてくる。
そんなわけで、俺たちはのんびりと人気の少ない甲板から海を眺めていた。
甲板にも二種類あり、ここはより上部にある、一等船室以上の乗客しか入れないフロアだ。最初は乗客全員に開放している一般デッキへ行ったのだが、俺たちの顔を知っている人間が多く詰めかけて場が混乱したため、避難した形だった。
なお、キャロが気に入るような場所があるか心配していたのだが、少しだけ芝生が敷かれている空間があり、キャロは早くも日向ぼっこを開始していた。……後で撫でに行こう。
「王都で転職業務をやり始めてから、カナメはずっと忙しかったもんね」
「たしかになぁ……そう考えると、転職屋の頃はのんびり過ごしてたんだな」
「お客さんが一人来たら、お店を閉めちゃったりね」
クルネは懐かしそうに目を細める。六、七年前のことのはずだが、なんだか遥か昔の話に思えてくるな。そんな感慨とともに、当時のことを二人で振り返っていく。二人でいた時のこと。別行動をしていた時のこと。話のタネが尽きることはなかった。
「……そう言えば、こんな風に過去を振り返る機会ってなかったな」
ふと呟くと、クルネは苦笑を浮かべた。
「転職業務に加えて、神殿の運営や辺境の舵取りもしてるもんね。私がカナメだったら、とっくに倒れてるわ」
「無理をしてるつもりはないんだが……」
「少なくとも、クルシス神殿のみんなは心配してるわよ。あのオーギュスト副神殿長からも『今度の旅で神殿長を休ませてあげてほしい』って頼まれたし」
「そんなことが……」
オーギュスト副神殿長はクルシス神殿で一番厳しいと評判だが、意外と情の深い人物だ。とは言え、そんなことをクルネに頼んでいたのは予想外だな。
「神殿のみんなには、何かお土産を買って帰らないとな……まあ、セイヴェルンはうちと関係が深いから、あまり物珍しくはないだろうが」
「ジュネちゃんなんか故郷だしね……。あ、でも実家のクルシス神殿に手紙を預かってるのよね? じゃあ、返事がお土産代わりかな」
そんな話をしていると、ふとデッキが賑やかになった。船内へ繋がる扉が開かれ、複数の男女が姿を見せる。
「あ、コルネリオ君だ」
目のいいクルネが、先にその集団の正体に気付く。少し遅れて、俺も彼らの姿が識別できるようになった。
「ほとんど女性だな……コルネリオらしいが」
六人組という、この船ではかなりの大人数グループだが、その男女比は二対四だ。しかも、もう一人の男はコルネリオの秘書だから、実質的には一対四と言っていいだろう。
「交際相手を連れてくるとは言っていたが、まさか四人まとめてとは……恐ろしい奴」
もともと女好きな感のあったコルネリオだが、その心根は変わっていないようだった。仕事でかなり忙しいはずだが、よく四人も手を出せるものだ。
あいつも、そろそろ結婚を考えていると言っていたが……たぶん、一人だけということはないんだろうな。セイヴェルンの実家には第三夫人までいたらしいし。あえて同じ船に乗せたのは、その辺りの見極めをしたいのだろうか。
とは言え、そんな分析をクルネに語るのもはばかられる。そんな思いとともに彼らを眺めていると、こちらの視線に気付いたのか、コルネリオが俺たちのほうを振り向いた。そして、ぶんぶんと手を振ると、俺たちのほうへ近付いてくる。
「カナメたちもこっちに来とったんか! この船の乗り心地はどないや?」
「おかげさまで、快適だよ。もっと揺れると思ってた」
そう答えると、コルネリオは嬉しそうにニカッと笑顔を見せた。
「せやろ? そこらへんはかなり気い使うたからな。実は、ミルティちゃんとサフィーネも建造に一枚噛んどってな。そこら辺の船とは比べ物にならへんで」
「それは奮発したな……」
ルノール研究所長にして、賢者のミルティ。地術師のサフィーネ。二人の固有職は、固有職持ちが増えた今でも希少なものだ。その二人に依頼するとなれば、かなりの費用が発生するはずだが……コルネリオのことだ。上手くやったんだろうな。
「サービスのほうはどないや? なんと言ってもロイヤルスイートやからな。専門スタッフもおるし、どんな要望でも応じる気概があるで」
「どこの王族御用達かと思うレベルだよ。文句のつけようがない」
それはお世辞ではない。特に船室の中に入ってくるスタッフは洗練されていて、その物腰には何かと感心させられた。朝食を並べる手付きだけでも見事なものだ。
船室は常に綺麗に整えられているのに、掃除しているスタッフの姿を見たことは一度もないし、そんな物音一つ聞こえた試しはない。
そう伝えると、コルネリオの頬が分かりやすく緩んだ。それをごまかすように、コルネリオは口を開く。
「聞いた話やと、ほとんどスタッフを呼び出さへんらしいけど、遠慮せんでええで? ロイヤルスイートともなると、多少は無茶振りされるくらいのほうが勉強になるしな」
「まあ、俺もクルネも庶民だからなぁ……そもそも人を呼びつけて何かをしてもらう発想がない」
「そうよね。ついつい自分でやっちゃうもん」
俺たちがそう伝えると、コルネリオは大袈裟に天を仰いだ。
「『転職の神子』と『剣姫』っちゅう、辺境で最高クラスのVIPの発言とは思えへんな……」
「あ、でも無茶振りならしたぞ。キャロの寝床用に、干し草を用意してもらった」
「すぐ出してくれたから、びっくりしたわ」
俺がそう言えば、クルネも思い出したようで相槌を打つ。
「しかも、凄く質のいい干し草だったみたいで、キャロがご機嫌だったな」
そう伝えると、コルネリオは得意げに頷いた。
「キャロちゃんに満足してもらえてよかったわ。……まあ、ロイヤルスイートの客は事前に調査して、要望のありそうなモンは一通り揃えてるからな」
「そうなんだ。ねえねえ、他にはどんな物を用意してくれたの?」
クルネが尋ねると、コルネリオは悪戯っぽい表情で片目を瞑った。
「それは秘密や。底が知れると面白うないやろ?」
「気になるな……クルネのことを考えると、研ぎ石とか?」
「カナメ用にクルシス神の経典かもしれないわよ」
クルネの予想に、俺は小さく笑った。
「クルシス神殿長として、経典を人から借りるわけにはいかないだろ……」
「え? 経典を持ってきたの?」
「まさか。プライベートでそれは嫌だ……」
「――あははっ」
そんな会話をしていると、コルネリオの後ろから笑い声が聞こえてきた。視線をやれば、四人の女性のうちの一人が堪えきれず噴き出していた。
「ご、ごめんな……っ。神子様のイメージが噂と違い過ぎてて耐えられへん……あっははは!」
セイヴェルンの出身なのだろうか。コルネリオと同じ方言を使う彼女は、愉快そうにコルネリオをばんばん叩いていた。
「あかん、イザベラのツボに嵌まったわ。……カナメ、堪忍な」
そう言いながらも、コルネリオの顔は笑っていた。俺たちの間柄だし、そもそも怒ることでもない。そして、コルネリオは連れていた四人を振り返った。
「ついでに紹介しとくわ。もう察してるやろうけど、こっちが『転職の神子』でクルシス神殿長のカナメ。隣にいるんが『剣姫』のクルネちゃんや」
「わぁ……! 噂の神子様に会えるなんて感激です!」
「初めまして。高名なお二方にお会いできて光栄ですわ」
「えっと……こんにちは」
三者三様の言葉を向けられる。どうやら性格もバラバラのようで、コルネリオの守備の広さが窺えた。……おっと。本人たちを目の前にしてこんなことを考えるのは失礼か。
「あはははっ――」
なお、残る一名は未だに笑っていた。笑い上戸なのだろう。面食いなコルネリオらしく、全員が美人といっていい部類に入るが、彼女は顔よりも性格の印象のほうが強いな。
そんなことを考えていると、再びコルネリオが話しかけてくる。
「まだ先は長いし、今日は顔合わせだけにしとくわ。色んな催しを考えてるから、また喋る機会もあるやろ」
「ああ、またな」
そして、コルネリオたちは俺たちとは逆側の甲板へと向かう。いつの間にか丸テーブルと椅子が用意してあるところからすると、お茶でも飲むのだろうか。
「そうそう、忘れとったわ」
と、一度は離れていったコルネリオが、一人で戻ってくる。どうしたのかとクルネと顔を見合わせていると、コルネリオはニヤリと笑った。
「……二人の部屋はロイヤルスイートやからな」
「それは知っているが……」
言いたいことが分からず首を傾げていると、コルネリオはポン、と俺の肩を叩いた。
「――当然、ベッドメイクも完璧やで。どんだけ汚しても大丈夫や」
「おい!?」
「ちょっと――!?」
不意を突かれた俺は言葉に詰まった。直接言われたわけではないとはいえ、聞こえていたクルネも同様だ。そしてコルネリオはと言えば、手をヒラヒラと振って去っていく。
「……キュ?」
キャロが帰ってくるまで、俺たちは変な雰囲気で甲板に留まり続けた。
◆◆◆
旅客船の種類にもよるだろうが、この『竜の翼』号には、様々な娯楽施設があり、また頻繁に催しが開かれている。長期間船上生活をするとなれば、それらの娯楽は必須だからだ。
と言っても、向こうの世界で言うカジノのようなものはない。ダーツらしきものはまだ分かるが、小ぶりな球が配された丸い盤面は、ビリヤードのような使い方をするのだろうか。こっちの世界では娯楽とあまり縁がなかったせいで、さっぱり使い方が分からない。
ただ、俺にも分かることは、利用者はこれらの遊戯に熱中するというよりは、社交場のアイテムとして使っているということだ。もちろん人によるが、プレイしている時間より喋っている時間のほうが長い。
「これは……迂闊に顔を出すとややこしいかもな」
「相手によっては、政治不介入の原則を破ることになるから?」
俺の呟きを受けて、クルネがすぐ言葉を返す。だが、俺は首を横に振った。
「俺の精神力がもたない」
「あはは、神子様は人気者だもんね」
「『剣姫』の人気には劣るさ」
そう言って肩をすくめながら、軽く仕切られた奥の部屋へ進む。そこは机と椅子、そして茶器が置かれており、サロンのようなスペースであるようだった。手前の部屋よりも女性の比率が高い。
そんな観察をしていると、ふと一人の女性が近付いてきた。そして、彼女は思い切ったように口を開く。
「――あの! もしかして、『剣姫』のクルネさんではありませんか……!?」
「え? はい、そうですけど――」
突然話しかけてきた女性に、クルネは驚きながらも答えを返す。
「やっぱり! 私、クルネさんの大ファンなんです!」
女性は目を輝かせた。そんな彼女に対して、クルネは穏やかな笑顔で応対する。セイヴェルンで慣れているだけあって、最近はファンへの対応も慣れたものだ。
ただ、一つ予想外のことがあった。女性の知人たちなのだろう、数人がさらにクルネを取り囲んだ。
「本当だ……! まさか、このようなところでお会いできるとは」
「クルネさんが乗船されると、噂には聞いていたのですけど……まさか本当だったなんて」
ファンの包囲網が厚くなる前にと、俺は彼女を取り囲む輪の外へ退避した。あれよあれよという間に、クルネはサロンの一番奥へと連れていかれる。たぶん特等席なのだろう。彼女の健闘を祈りながら、俺は仕切りの手前側へ移動する。護衛でもあるクルネがいなくなったわけだが、さすがに命の危険はないだろう。
この部屋を利用できるのも一等船室以上の利用者だけらしく、乗船している人間の総数を考えると意外と空いている。だが、それはこの場にいる人間が裕福な者たちだということであり、彼らは人脈作りを重視する傾向にある。
「……キャロと一緒に日向ぼっこしてこようかな」
法服を着ていないおかげか、俺のことを転職の神子だと気付く人間は少ないようだった。それを幸いと、俺はそそくさと退室しようとして――。
「あ! 神子様、ですよね?」
見覚えのある女性に声をかけられた。ゆるくウェーブのかかった金髪が、端整な顔立ちを縁取っている。
「貴女は、コルネリオの……」
「覚えていてくださったんですね。マリア・ペングラムです」
彼女は嬉しそうに笑うと、一歩踏み出した。
「あの、よかったら少しお話ししませんか? コルネリオ君は他の女の子と甲板に出ていて、どうしようか悩んでいたんです」
「ええと……」
思わぬ提案に目を瞬かせる。俺もクルネの解放待ちだから、駄目なわけではないが……。
「『剣姫』さまも、まだ時間がかかりそうですし」
そのことも把握していたらしい。軽くサロンを覗き込むと、マリアは苦笑を浮かべた。
「有名な人は大変ですね。……あ、もちろん神子様も超がつくほど有名な方ですけれど」
「クルネと違って、私は法服がなければ気付かれない程度のものですよ。おかげで気が楽です」
クルネは外見だけでも人目を引くからな。服装を変えていても気付かれるだろう。
「そうですか? 神子様の黒目黒髪とか、とても珍しくて素敵だと思います」
そう答えてから、彼女はぶんぶんと手を振った。
「あ、もちろんお顔も格好いいですよ? なんというか、理知的で――」
「それはありがとうございます」
それからも彼女の賞賛は続く。ひょっとして、固有職資質でも視てほしいんだろうか。慣れたとはいえ、やっぱり不相応に持ち上げられるのは落ち着かないな。
「神子様の英雄譚、本当に色々なところで歌われていますよね。そんな凄い人が目の前にいるなんて、今でも信じられないです」
「英雄譚が真実すべてだとは限りませんからねぇ……」
「そうなんですか? 本当は違うところもあるんですか?」
彼女の話術は意外と巧みであり、途切れることなく会話が続く。そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。ふと、背中に視線を感じて振り向くと、そこにはようやく解放されたクルネの姿があった。
「クルネ、お疲れさま」
「もう、一人だけ上手く逃げるんだから……えっと」
クルネの視線がマリアのところで止まる。そして、何度か俺と彼女を見比べると口を開いた。
「あなたは、たしかコルネリオ君の――」
「マリアと申します。一人の時間をどうしようかと思っていたら、神子様をお見かけしたものですから……お二人の邪魔をするわけにもいきませんし、私はこれで失礼しますね。神子様、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
答えると、マリアは笑顔を見せてから身を翻した。まあ、四人に対してコルネリオは一人だからなぁ。俺たちと違って単独行動も多いだろうし、あれはあれで大変だな。
そんなことを考えながら後ろ姿を見送っていると、突然、俺の腕に衝撃が伝わってきた。見れば、クルネが腕をからめている。彼女らしからぬ積極性だが、ひょっとしてマリアに嫉妬したのだろうか。
「クルネ、どうしたんだ?」
「なんでもないわ。腕くらい組んだっていいでしょ?」
そう言いながらも、クルネの顔は真っ赤だ。恋人関係になってからそれなりの時間が経つが、彼女の照れ屋ぶりは健在だった。
「ああ、そうだな。じゃあ、このまま甲板に行こうか」
「っ……! の、望むところよ」
そうして、俺たちは腕を組んだまま甲板へ向かう。いつもなら、恥ずかしくなったクルネが腕を外しているところだ。だが、今日はその限りではないようで、滅多にないシチュエーションができあがったのだった。
……うん、船旅も悪くないな。




