エピソード0-8 祭り
【剣士 クルネ・ロゼスタール】
――変な人。
それが、カナメの第一印象だった。
クルネは自分のベッドに寝転ぶと、天井を見上げて物思いに耽っていた。
シュルト大森林に入り、モンスターの餌食になった辺境民は数知れない。その仲間入りをするところだった自分を助けてくれた人物は、端的に言って変わり者だった。
別大陸から来たことを窺わせる黒目黒髪。驚異的な戦闘力を誇る相棒がいながら、あくまで驕らない態度。そして何より、クルネを剣士に転職させた能力。
すべてが、クルネにとって目新しかった。
「けど、美人局はないわよね……」
出会った時の一幕を思い出す。人の命を救っておいて、救った相手を美人局じゃないかと疑うような人間は、この大陸中を探してもそうはいないだろう。
気分を害したわけではないし、むしろ、よくそこまで気が回るものだと感心したくらいだが、嬉しいわけでもない。
それに、カナメが得体の知れない青年だったことは事実だ。年齢もそう変わらないはずだが、随分と大人びているし、丁寧な物腰はやり手の商人を連想させて、どこか警戒心を呼び起こす。
それでも、クルネは彼に興味があった。辺境という閉ざされた世界で生きる身にとって、カナメほどイレギュラーな存在に出会うことはもうないだろう。
なら、もう少し関わってみたい。そんな思いがクルネを動かしていた。
そうして彼と関わるうち、カナメが想像以上に優秀だということも分かった。村長の家にある法律書をまともに読み解いたのは、クルネが知る限り、王都へ留学した幼馴染だけだ。
さらに、辺境では切れ者だと言われている村長を相手に、優位に事を運んだ口の上手さ。つい彼らの話に乱入してしまったが、そうでなくてもカナメは村長の許可を取り付けたはずだ。
そんなカナメを、クルネはこっそり尊敬していた。そのせいか、カナメがルノール村の住民となり、転職屋を開くと知った時は素直に嬉しかった。
自警団員との顔合わせでジェスターがカナメを馬鹿にした時、思わず大声を上げてしまったのも、心情的にカナメに肩入れしていたからなのだろう。
当初は馬鹿にされ、また警戒されていたカナメだが、狂乱猪や双頭蛇の戦いで見せた機転や覚悟のおかげで、自警団員の態度は少しずつ軟化していた。
得体の知れなさを警戒する村人はいても、彼を馬鹿にする人は少数派になっていたのだ。最初はカナメを敵視していたジェスターですら、最近は大人しくしていた。
「そう言えば、お祭りどうしようかな……」
そのジェスターをはじめとして、数人の男性から誘いを受けていたことを思い出して、クルネは少し憂鬱になった。
祭り自体は年に数回あるが、そのほとんどは任意の酒宴に近い。そんな中で、今回の祭りだけは村を挙げてのお祭りであり、若者にとっては年に一度の大イベントだ。クルネも毎年楽しみにしている。
「でも、ピンと来ないのよね……」
ジェスターたちと祭りに参加すること自体は構わないのだが、問題は村の慣習だ。クルネはもう十七歳であり、辺境では立派に結婚適齢期だ。
そして、そんな適齢期の人間にとって、今度の祭りは別の意味を持つ。
なぜなら、年頃の男女が二人でこの祭りに参加した場合、結婚間近と捉えられる傾向が強いからだ。昔はこの祭りが婚姻の儀式を兼ねていたため、そんな慣習が残ったのだろう。
さすがに時代が移り、今では絶対的な慣習ではないが、それでも伝統は根付いている。「あの二人が一緒に祭りを楽しんでいた」となれば、周囲がなんとなく堀を埋めてくるのは珍しい話ではなかった。
純粋にお祭りが好きなクルネとしては、そういった要素を持ち込まれたくないのだが、こればかりはどうしようもない。
一人で祭りを見るのは味気ないが、女友達の多くはそういったことを視野に入れて動いているため、声をかけづらかった。
「……あ、そうだ」
そんなクルネの脳裏を、先程まで思い出していた人物の顔がよぎった。
彼なら村の慣習とは無縁だし、実質的に天涯孤独である以上、お節介なご近所さんが外堀を埋めることもない。
それに、彼はそのうち辺境を出て行くつもりなのだから、後に引きずることもないはずだ。
「明日、聞いてみようかな」
自分の思考が都合よく飛躍していることに、クルネは気付いていなかった。
―――――――――――――
【転職屋店主 カナメ・モリモト】
「祭り?」
「うん、お祭り。そんなに華やかなものじゃないけど、村のみんなが楽しみにしてるわ」
「そう言えば、祭りがどうこう、って話を何度か耳にしたな」
クルネの突然の提案を受けて、俺は記憶を探った。あれはたしか……。
「けど、ジェスターに誘われてなかったか?」
「えっ!? ど、どうして知ってるの?」
すると、クルネは不思議なくらい狼狽えていた。
「狂乱猪と戦った時に、そんな話が聞こえたような……」
あ、しまった。これって盗み聞きしたようなものだよな。だが幸いなことに、クルネが憤慨している様子はなかった。
「それが、ジェスターは予定が合わなくて……」
いつもは目を見て話すクルネが、なぜか視線をそらして答える。これは喧嘩でもしたかな。
けどまあ、祭りは参加者の一体感や結束を強める効果が見込めるし、参加することで俺の微妙な立場が改善されるかもしれない。
一人ならともかく、クルネがいればそれなりに村に溶け込むこともできるだろう。
「じゃあ、一緒に行こう。色々教えてくれると嬉しい」
「うん! 任せて!」
俺が返事をすると、クルネは笑顔で頷いた。
◆◆◆
「結局、今日もお客さん来なかったね……」
「まあ、今日は早めに切り上げたしな……気持ちを切り替えて祭りに行こう」
俺がこの村に来てから一か月弱。今日も転職屋は開店休業だった。いつもなら脳内で反省会の一つもするところだが、今日に限っては後回しだ。
自宅兼店舗の建物に鍵をかけると、俺はクルネに向き直る。
「祭りは中心部だったよな?」
「うん、集会場が本部で、その周辺がお祭り会場よ」
クルネは楽しそうに村の中央を指差す。まだ夕方と言うには早い時間だが、すでに太鼓の音が聞こえている。
「カナメ、あんまり期待しないでね? 私は好きだけど、カナメの故郷に比べたら小さなお祭りだと思うから」
クルネは心配そうな表情を浮かべたまま、弁解するように説明する。故郷の人口を尋ねられた俺は、咄嗟に市の人口を口にしてしまったのだが……それがクルネを遠慮させているようだった。
この国で六桁単位の人口を誇る街は、王都と他に数か所しかないらしい。
「規模がすべてじゃないさ」
見えてきた祭り用の櫓を眺めながら、俺はしみじみと呟く。五メートルほどの高さの舞台の上では、太鼓をはじめとした楽器が賑やかな曲を奏でていた。
「あ、もうお酒飲んでる」
クルネの視線の先には、日差しを避けるための簡易テントと、その下で酒盛りをしている人たちの姿があった。
中には、すでに顔が真っ赤になっている人もいる。非常に賑やかな一角だった。
「みんな、もうできあがってるのね」
「おう、クルネちゃんじゃねえか!」
さすがはクルネ、なんのためらいもなく彼らの輪に入ると、酒杯を手にしていたおっちゃんたちが楽しそうに声をかけてくる。
だが、彼女の隣に俺がいることに気付いた途端、彼らはぎょっとした表情で固まった。徐々に打ち解けてきたと思ってたんだけど、さすがに祭りは早かったかな。
そんな思いを隠して笑顔を浮かべていると、おっちゃんの一人がクルネに声をかけた。
「クルネちゃん、そっちの兄ちゃんと……」
「カ、カナメのこと? ほら、ルノール村に来たばっかりだから、こうして案内してるの」
まるで弁解するように、クルネは慌てて事情を説明する。その言葉を聞いて、おっちゃんたちは納得したようだった。
「クルネちゃんは偉いなぁ……息子の嫁に欲しいくらいだよ」
「何言ってるのよ、息子さんはもう結婚してるじゃない」
「違いねえな!」
どっと笑い声が上がる。酒席特有のテンションが、彼らの沸点を低くしているようだった。そんな彼らに挨拶をして場を離れると、今度は大きな動物を丸焼きにしているところに遭遇した。
「豪快だな……」
「中まで火を通すのが難しくて、いつも外側が焦げちゃうのよね」
クルネは楽しそうに説明してくれる。俺たちの視線に気付いたのか、丸焼きを担当している人たちが手を振ってくる。
またもや、隣の俺を見て驚いているが……これはもう、仕方ないことだと思って諦めよう。余所者が一カ月やそこらでコミュニティに溶け込めるはずがないのだ。
「カナメ、ちょっと行ってくるね。あそこは女の人しか近寄っちゃいけないから」
「ああ、俺のことは気にしないでくれ。せっかくの祭りなんだし」
「ありがとう。ごめん、すぐ戻るからね」
そう言ってクルネは彼らの下へ向かう。その姿を見送っていた俺は、ふと後ろに気配を感じて振り返った。
「やあ、カナメ君」
「ボーザムさん、こんにちは」
そこにいたのは、今も食事なんかでお世話になっている宿屋のボーザムさんだった。少し顔が赤くなっているあたり、すでにアルコールが入っているのだろう。
「こうやって見ると、カナメ君も立派な村の一員だな。自警団員としても活躍しているし、頼もしい限りだ」
そう言ってバシバシ俺の肩を叩いてくる。
「ありがとうございます」
肩は痛いが、そう言われるのは嬉しいものだ。さっきから皆にぎょっとされていたから、余計にそう感じるのかもしれない。
「あなた、そんなに叩くとカナメ君が痛がるわよ」
と、いつの間に近くに来たのか、肩を叩くボーザムさんを、奥さんのマルチアさんが止めてくれる。
「カナメ君、ごめんなさいね。この人、お酒が入るといつもこうなのよ」
「いえ、迷惑なことなんて何も……」
「それならよかったわ。カナメ君だって村の一員なんだから、お祭りを楽しんでね」
そう言って、二人は去っていった。ボーザムさんが飲酒フロアへ行こうとするのを、マルチアさんがしっかりガードしている。
その様子に微笑ましいものを感じていると、また別の人影が近づいてきた。あの恰幅のいい体形は、村長のフォレノさんだろう。
「おお、カナメ君か。君も祭りに参加するのだね」
「ええ、そのつもりです。……やめておいたほうが良かったですか?」
そう尋ねると、フォレノさんはきょとんとした表情を浮かべた。
「何を言っているんだね、むしろ嬉しいよ。若者が楽しんでこそ祭りだ」
「うむ、フォレノ村長の言う通りじゃ」
「あんたの話は聞いてるよぅ。自警団で活躍してるんだって? 嬉しいねぇ……」
フォレノさんに同行していた年配の夫婦が、温かい目で俺を見た。
こうやって見ると、自警団に入ったのは結果としてよかったのだろう。身体を張って村のために戦ったことで、彼らの心証が良くなっていたようだ。
それからも幾人かの村人とすれ違ったが、俺の姿を見て驚いたり、迷惑げな視線を向けてくる人はいなかった。
◆◆◆
「カナメ、お待たせ!」
なんとはなしに周囲を眺めていると、小走りでクルネが駆け寄ってきた。
「どうだった? 美味しかったか?」
大きな丸焼きを遠目に尋ねると、クルネはきょとんとした様子で目を瞬かせた。
「食べてないわよ。まだ焼き上がってないし、そもそもフォレノさんが挨拶するまでは食べちゃ駄目だもの」
「ああ、なるほど」
言われてみれば、祭りの供物って感じだもんな。つまみ食いすると厳罰が待っていそうだ。
祭りと言えば宗教が絡んでることも多いし、迂闊に決まりを破ると危険だな。
そう考えていると、ふと疑問が浮かぶ。
「そう言えば、この辺りってどんな神様を祀っているんだ?」
前に「教会が~」という言葉を聞いた気がするが、この村でそれらしき建物や人を見た記憶がない。
そう尋ねると、クルネはきょとんとした表情を浮かべた。
「うーん……特にないかな」
あ、そうなのか。なんだか意外だな。モンスターと隣り合わせの過酷な環境だと、宗教の勢力が伸びるものだと思い込んでいた。
「じゃあ、今日の祭りは誰かに感謝の気持ちを捧げるとか、そういうものじゃないのか」
「え? 今日の祭りは、辺境の地を切り開いたご先祖様に感謝するものだよ? ご先祖様に恥じない一年を送ります、って村長が宣誓するもの」
「ああ……」
なるほど、辺境の開拓者がその位置にいるのか。クルネの反応からすると、宗教というよりは生き方の規範っぽいな。
そんな話をしながら歩いていると、敷物を広げている人たちが目に入った。
「あれは露店かな?」
「うん、みんなが今までに作った品物を並べるの。と言っても、あくまで趣味で作ったものよ」
なるほどなぁ。たしかに、敷物も年期が入っているし、並べられた作品もどこかしら歪だ。
だが、みんな穏やかに談笑しているところを見ると、売ることが目的ではないのかもしれない。
「寄るか?」
そう確認すると、クルネはかぶりを振った。
「ううん、大丈夫。だいたい見たことがあるし、行くと何かしらプレゼントされちゃうから」
クルネは笑う。それが遠慮しているからなのか、それとも持て余すからなのかは聞かないでおこう。
「友達が言ってたけど、王都のお祭りは凄くて、露店のスペースもとっても広いんだって」
「まあ、王都なんだからな。人口の多さはそれだけでエネルギーになるし」
「そうよね……この村でも、大きなお祭りができたらいいのに」
そんな余裕がないのは分かってるけどね、とクルネは付け加える。たしかにルノール村は人口も少ないし、外部の人間が立ち寄ることもない。これ以上大きな祭りをしても赤字がかさむだけかもしれないな。
「あっちにも人だかりがあるな」
会話をしながら歩いていると、また別の人の集団に出くわした。幅広い年齢層が混在しているものの、中でも十代、二十代と言った若者が多くみられる。
なんだろうと目を凝らしてみれば、踊りの輪ができているようだった。祭りの太鼓に合わせて、ある者は器用に、ある者はぎこちなく踊っている。
輪は二重になっているようで、外側の輪は一人で、内側のほうはペアで踊る習わしのようだ。夕陽に照らされた彼らは、夕焼けの一部であるかのように茜色に輝いていた。
「ここは踊りの広場よ。体力がある人は夜までずっと踊ってるわ。夜は火を焚いて明かりにするんだけど、それも素敵なの」
なんでも、この日のために密かに踊りを練習している村人は多いらしい。
活発そうなクルネのことだ。こういった催しも好きなのだろう。そう思った俺は、彼らのほうを手で示す。
「俺のことなら気にしないでいいから、行ってくるか?」
「え? う、ううん、その、私は苦手だから」
「そうか? クルネは踊るのが上手そうだけどな」
もともと運動神経はよさそうだし、それに加えて今は剣士の力もある。苦手だとは思えないが、リズム感が今一つだったりするんだろうか。
ともかく、苦手だと言う彼女を無理やり踊りの輪に放り込むわけにはいかない。そこで遠巻きに踊りを眺めていると、やがて輪の中に見覚えのある姿が見えた。
「あ、ジェスターだ」
「ええっ!?」
クルネの声が聞こえでもしたのか、ジェスターははっとこちらを見た。すると、こちらを凝視する表情がみるみる青ざめていく。
「カナメ、行こっ!」
だが、その様子を最後まで見ることはできなかった。クルネが俺の服の裾を引っ張ったのだ。抵抗する理由もない俺は、素直に彼女に引かれるまま歩き去る。
やがて辿り着いたのは、祭りの本部になっている集会場だった。
「あれ……集会場?」
集会場へ辿り着いたことが予想外だったのか、クルネは驚きの声を上げた。慌てていたようだし、行き先を決めずに歩いていたのだろうか。
すると、ちょうど集会場の扉が開かれて、フォレノさんが何人かと連れ立って出てきた。村長はやっぱり忙しそうだな。
「あれ? 知らない人ね……」
それを見ていたクルネは首を傾げる。彼女が知らないということは、村の外の人だろうか。
そんなことを考えていると、そのうちの一人が俺たちを見て嬉しそうに手を上げた。
「あれは……クルネを呼んでる……のか?」
「カナメかもしれないわよ」
顔を見合わせた俺たちは、疑問符を顔に浮かべたまま彼らに近づく。すると、彼らはいっそうぶんぶんと手を振ってくる。少なくとも俺たちのどちらかに用事があるのは間違いなさそうだ。
「クルネちゃん、カナメ君、ちょうどいいところへ来てくれた」
会話ができる距離まで近付くと、フォレノさんが口を開いた。そして、隣にいる五十歳くらいの男性に視線を向ける。
「おお、あなたがクルネさんですか。……始めまして、私はマラッカ村で村長をしているムラファと言います。
クルネさんのおかげで、窮地に陥っていた村が救われました。本当にありがとうございます」
そう言うと、自分の娘、下手をすれば孫に近い年齢のクルネに丁寧に頭を下げる。顔に覚えがないと思ったら、村長は辺境北部で勇名が轟いている人に固有職持ち討伐を依頼しに行って不在だったらしい。
ムラファ村長はクルネに丁寧に礼を述べた後、くるりと俺のほうを振り向いた。
「リンデンから聞いた話では、あなたがクルネさんを転職させたとか。つまり、あなたも村の恩人です。本当にありがとうございます」
「いえ、危険を冒したのはクルネだけですから……」
「あなたもあの固有職持ちの前に立ちはだかって、リンデンの不始末をフォローしてくれたと娘から聞きました」
おお、意外と詳しいな。ひょっとして、娘さんってパトラさんだったりするのかな。
「聞けば、転職屋なるものを開業しているとか。……実は、クルネさんの戦いぶりを見て、自分も転職したいと言い出す者が増えていましてね」
「え?」
驚きの声を上げたのは、俺ではなくクルネのほうだった。
「もし差し支えなければ、うちの村の者をお連れしても構いませんか? 突然押しかけては失礼だろうと思い、まずは私だけがこうして来たのです」
「ええ、もちろんです。転職屋は皆さんを歓迎します」
俺はとっさに笑顔を作った。その言葉を聞いて、ムラファ村長は穏やかに頷く。
「固有職持ちになれば、人生が一変しますからね。未だ半信半疑の者も多くいますが、若者を中心に希望者が出ているようです」
他の村にも噂が流れているそうで、それは非常にありがたいことだった。やっぱり口コミは大切だ。
クルネが固有職持ちを倒したことで、胡散臭さの塊である転職屋に信用と実績が生まれたのだろう。
こんなことなら、最初からクルネに宣伝部隊になってもらうべきだったかな。彼女なら腕前も容姿も申し分ないし、いい宣伝になったはずだ。
やがて、何度も礼を口にするムラファ村長に別れを告げると、俺たちはどこへともなく歩き出す。いつの間にか、茜空は夜空へと移り変わっていた。
「……カナメ、口元が笑ってるわよ」
祭りの中心を外れて辺りが静かになってきた頃、クルネが俺の顔を覗き込んできた。
「チャンス到来、だからな。一人でも転職の契約を結ぶことができれば、当面の生活費は心配いらなくなる」
なんせ、一人の転職で一年分の生活費が稼げる計算だ。時給換算すると、物凄いことになるはずだった。
「そうなれば、クルネや親父さんに迷惑をかけることもなくなるしな」
今の生計はロゼスタール家に依存しているのが実情だからな。できるだけ早く独り立ちしたいというのが正直なところだ。
そう告げると、クルネは複雑な表情を浮かべた。だが、クルネは頭を振ると笑顔を見せる。
「ねえ、カナメ。もし転職屋のお客さんが、転職してから『代金は払わない!』って言い出したらどうするの?」
「そこは……運勝負だな」
突然の質問に驚きながらも、俺は正直なところを答えた。キャロという心強い存在はいるが、ずっと店内にいてもらうのはキャロ的にもお客さん的にも今一つだろう。
それに、キャロには持久力がないため、人間の固有職持ち相手にどこまで戦えるかには不安もあった。
そう答えると、クルネはこちらへ一歩踏み出した。緊張でもしているのか、少し表情が硬い。
「じゃ、じゃあ、私を雇わない? 雑貨屋の娘だからお客さんの相手もできるし、いざと言う時はカナメの代わりに戦うこともできるわ」
「え?」
申し出の内容に俺は目を見開いた。
「それは嬉しいが……固有職持ちの給料って物凄く高いんだろ?」
「それは……ほら、カナメが私を剣士に転職させてくれた代金の代わり、ってことで」
「とは言っても、人を拘束しておいてタダ働きさせるのはなぁ……」
まるで悪徳企業のようで気が引けるな。俺が悩んでいると、クルネはさらに身を乗り出した。
「それなら、普通の店員として払える分のお給料でどう?」
「そうだな……転職屋に客が来る頻度によるが……」
もし一年に一人とかだと、俺の生活費を捻出するのがやっとだからな。だが、クルネは笑う。
「それなら、お客さんがどれだけ来るかの見通しが立つまでは、私が勝手に転職屋にいることにするわ。
うちの雑貨屋の支店なんだから、別に問題ないでしょ?」
「そうだが……本当にいいのか?」
「嫌だったら、こんなこと言い出さないわよ」
俺が視線を向けると、クルネはぷいと顔を背けた。微笑ましい反応で頬が緩むのを堪えながら、俺は口を開く。
「……分かった。それじゃ、ありがたく雇用させてもらう。よろしくな、クルネ」
それがクルネの気まぐれだとしても、ありがたい提案であることは事実だ。それなら、しばらくの間は甘えてもいいだろう。
「うん! よろしくね、カナメ」
クルネは花が咲いたような笑みを浮かべる。彼女に笑顔を返すと、俺は転職屋の建物がある方角に視線を向けた。
――どんな人が転職屋を訪れるのだろうか。そして、俺はどんな運命を辿るのだろう。
大きな不安と幾ばくかの高揚を抱えて、俺は星が瞬く夜空を見上げた。




