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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
外伝・後日譚
150/176

エピソード0-6 開業

【森本 要】




「クルネ、深刻な問題が二つある」


 双頭蛇ダブルヘッドに関する後始末を終えた俺とクルネは、並んで村の中を歩いていた。

 俺が深刻な顔をしていたのか、クルネが心配そうな表情を見せる。


「どうしたの? ジェスターのこと?」


「いや、それはどうでもい――それも気にはなるけど、別の話だ。……まず一つ目だが、キャロがいなくなった」


「そう……なんだ」


 クルネは寂しそうに呟く。俺ほどではないにせよ、二番目にキャロと付き合いが長いのは彼女だ。同じ気持ちを共有する人間がいることで、少しだけ心が温かくなる。


「いつ頃いなくなったの?」


「今朝、起きたらいなくなってた。さっき説明した通り、ジェスターが怪しいと思ってたんだが……あの様子じゃな」


 ジェスターがいつ目を覚ますか分からないが、しばらくは無理だろう。そう考えた時、俺はもう一人の重要人物を思い出した。


「一人、キャロの行方を知っていそうな奴がいるんだが……」


 今朝、声をかけてきた青年の特徴を説明する。理由は分からないが、彼が関係者であることはほぼ確実だった。


「うーん……ラッツかな。ジェスターとよく一緒にいるし」


 心当りがあるらしく、クルネは村のとある方角を指差す。そのラッツとかいう青年の家があるのだろう。クルネの先導に従って、俺は進行方向を変えた。




 ◆◆◆




「すみませんでした! まさか、こんな大変なことになるなんて……!」


 俺の顔を見るなり、ラッツは勢いよく謝罪してきた。ふてぶてしく開き直られることも想定していたため、俺のほうが呆気に取られたくらいだ。


「ええと……その謝罪は、ジェスターさんと共謀していたことについての謝罪ですか?」


 俺は念を押した。彼の報せは本当のことで、俺がキャロを探しに行って双頭蛇ダブルヘッドに遭遇したことを謝っているだけだとすれば、見当違いになってしまう。


「は、はい……」


 だが、その懸念は杞憂だったようだ。ラッツはうなだれたまま、素直に頷いた。


「それで、キャロはどこですか?」


「キャロ……?」


「私と一緒にいた兎です」


「ああ、あの子ならオーヴァルと一緒にいるはずです」


 また新しい名前が出てきたな。たぶんジェスターと親しい人間なのだろう。


「案内してもらえますね?」


「はい……すぐ近くですから」


 彼は大人しく頷くと、しょんぼりとした様子で歩き出した。その少し後ろを、俺とクルネが付いていく。


「でも、あのキャロちゃんが攫われるなんて……未だに信じられないわ」


「まったくだ。力づくで連れていけるのは、それこそクルネくらいだろうからな」


「もう、私がそんなことする訳ないじゃない」


「あくまで可不可の問題だって」


 そんな会話をしているうちに、ラッツはとある大きな建物で立ち止まった。屋根には穴も開いており、人が住んでいるとは思えない造りだ。倉庫か何かだろうか。


「この辺りは変な場所で、生えてくる植物が他と違うのよ。普通の種を撒いても、シュルト大森林にあるような変な植物が育つことが多いから、こうして隔離してるんだけど……」


 俺が首を傾げていると、クルネが説明してくれる。なんだか怖いな。


「人が変になっちゃったことはないから、大丈夫よ。一回、種を飛ばして人を攻撃する植物が生えてきちゃったけど……」


 あの時は団長が倒してくれたのよね、と懐かしそうに呟く。


「……それって、オーヴァルさんとやらは大丈夫なんですか?」


 まさかとは思うが、建物の中で死んでたりしないだろうな。


「大丈夫です。僕らはよくこの中で遊んでいましたから。攻撃してくるような植物はいません」


「そんなことしてたんだ……」


「いわゆる秘密基地か……気持ちは分かる」


 クルネは驚いているが、俺は納得がいった。大人は入ろうとしない、いわくありげな建物。これを放置する手はないよなぁ。すると、クルネは意外そうな表情で俺を見た。


「カナメって、そういうのには興味がない人だと思ってた」


「俺をなんだと思ってるんだ……」


 そんなやり取りをしているうちに、ラッツは建物の扉に手をかける。錆び付いた蝶番が軋む音とともに、建物の内部が露わになった。


目に入ったのは、一面に広がる雑多な緑と、こちらに背を向けている白い小動物の姿だ。その後ろ姿を見た瞬間、俺とクルネが声を上げる。


「キャロ!」


「キャロちゃん!」


「……キュ?」


 俺とクルネが駆け寄ると、キャロは不思議そうに俺たちを交互に見比べた。どうしたの?と言わんばかりのきょとんとした雰囲気に、俺とクルネは顔を見合わせる。


「キュゥッ!」


 キャロは再び俺たちに背を向けて、地面の草を噛みちぎった。そして、咥えた草を一本ずつ、俺とクルネの足の上にちょこんと乗せてくれる。


「えーと……」


「……ひょっとして、くれるの?」


 行動の意味が分からず戸惑っていると、しゃがみ込んだクルネがキャロに話しかけた。


「キュッ! キュッ!」


 正解だと言わんばかりに、キャロがぴょんぴょこ跳ねる。……なんだろう、この雰囲気。少なくとも、攫われた人質を助けに来た空気じゃない。


「やあ、ラッツ。それにクルネと……見たことのない人。みんなでどうしたんだい?」


 そこへ声をかけてきたのは、十七、八歳ほどに見える青年だった。彼がオーヴァルなのだろう。その様子は呑気そのもので、ラッツのように萎縮した様子はない。


「どうしたって……キャロちゃんが攫われたから、助けに……来たのかな?」


 その空気につられたのか、クルネの語尾も疑問形だ。そこで、俺は一歩前へ進み出た。


「貴方はここで何をしていたのですか? ……失礼、この兎は私の連れでして、探していたのですよ」


「え? ……なるほど、君がこの兎の飼い主か」


 オーヴァルは辺りを指差す。


「何をしていたって、この兎がここの草を齧るのを見ていたんだ。兎がここの草を好むかどうかに興味があってね」


「あれ? ジェスターにこの子を建物から出さないよう言われてなかった?」


 その答えを聞いて、ラッツは焦ったように口を挟んだ。自分だけが共犯になると思ったのだろう。


「そう言えば……そんな気もする。けどまあ、結果は一緒だったよ。ここの草が気に入ったみたいで、ずっと色んな草を齧っては昼寝していたから」


「なんだそりゃ……」


「ねえねえ、どうやってキャロちゃんをここに連れてきたの?」


 俺が呆然としている間に、クルネが疑問を口にする。たしかに重大な問題だな。ただ、答えはもう分かったような気がするが……。


「今朝、散歩をしていたんだが、こんな草が俺の身体に付いていてね」


 そう言うと、彼はポケットから少ししおれた草を取り出した。


「刺激的な香りのする草だが、この兎がとても気に入ったようだ。この建物に色々な草があると言ったら付いてきたんだ」


 ……やっぱりか。そう言えば、俺はキャロの食糧事情にあまり配慮してなかったなぁ。今後は気を付けよう。


 そんな反省をしていると、ラッツが横から口を出してきた。


「その場に僕とジェスターもいたんだ。そうしたら、ジェスターが『頼みがある』って言うから……」


 なるほど、キャロを誘拐したわけじゃなくて、この状況を有効に活用したわけか。なかなか機転が利くな。


「でも、ジェスターはどうしてカナメを森へ呼び出したの? 余所者だから? 森で何をするつもりだったの?」


「それは……」


 クルネが尋ねると、ラッツは言いにくそうに視線を逸らした。その様子を見た俺は、答えてくれそうな相手に矛先を向ける。


「オーヴァルさんはご存知ありませんか? たしかに私は新参者ですが、ジェスターさんに森へ呼び出される理由が分かりません。

 何か彼に失礼なことをしたのなら、誠実に対応するつもりです」


 心当りはないが、知らないうちにこの村のルールを破って彼を不快にさせた可能性はある。すると、オーヴァルはあくびをしながら口を開いた。


「そんなの、クルネが君と仲良くしてるからだろう。今度のお祭りに誘ったのに、君のせいで断られたって言ってたし」


「はぁ……」


 俺は思わず半眼になった。それはつまり……そういうことか。


「ジェスター、どうしてそこまで……」


 だが、クルネには理解できなかったようだ。クルネの容姿と性格なら、この手の話はいくらでもありそうだが……この様子だと、ジェスターの気持ちに気付いてないな。

 見れば、ラッツとオーヴァルも苦笑気味だ。ひょっとすると、こいつらも苦労しているのかもしれない。


「ところで、質問の続きですが、ジェスターさんは森で何をするおつもりだったんですか?」


 なんせ、偽物のキャロの足跡まで用意していたくらいだ。目的があったのは間違いないだろう。


「あなたを森に誘い込んで、モンスターを装って脅かすつもりだったんです」


 観念したのか、ラッツは自ら話しはじめた。隣でオーヴァルが興味深そうに聞いているあたり、彼はあまり計画を知らなかったのかもしれない。


「そこであなたが醜態を晒せば、村中の笑い種にできますから」


 キャロが俺の傍にいる限り、その計画が失敗するのは明らかだからな。キャロが付いてきたのは、千載一遇のチャンスだったのだろう。


「最終的には、ジェスターがそのモンスターを倒したフリをしてあなたに恩を着せて、クルネと距離を置くよう脅すつもりだったようです」


「もし来なければ、ペットを助けに森へ入ることもできない腰抜けだと馬鹿にできるしな」


「オーヴァル、ちょっと黙っててくれないか……」


 疲れた表情でラッツは友人の言葉を制した。他の二人は個性的な人物のようだし、彼はけっこう苦労人なのかもしれない。


「これで、僕が知っていることは全部です。本当にすみませんでした」


 もう一度ラッツは深々と頭を下げる。それを見て、隣のオーヴァルも小さく頭を下げた。彼らを前にして、俺はしばらく考え込む。


「貴方がたに恨みはありませんから、どうこう言うつもりはありませんが……そうだ、一つだけいいですか?」


 そう告げると、彼らは緊張した面持ちで俺を見つめた。


「――ここでキャロが気に入った草を、定期的に頂戴したいのですが」




 ◆◆◆




「……カナメか」


「団長、お疲れ様です。ジェスターさんのお加減はいかがですか?」


 ラッツたちに真相を告白させた直後、俺は自警団の訓練場を再び訪れていた。訓練場の小屋で寝かされているジェスターが、そろそろ起きたのではないかと思ったのだ。


 そして、俺の予想は当たったらしい。


「ああ、さっき目を覚ましたところだ。まだ混乱しているようだから、あまり刺激を与えるな。と、言いたいところだが……」


 団長は考え込む素振りを見せた。双頭蛇ダブルヘッドとの戦いの現場にジェスターがいた理由については、俺も多くを話していない。

 だが、団長はだいたいのところを悟っているように思えた。


 スッと位置をずらして、団長は奥へ繋がる扉への道を開けてくれる。それに目礼を返すと、俺は扉のノブに手をかけた。


「……失礼します」


「お前……!」


 部屋に入るなり、怒りとも悲鳴ともとれる声が上がる。声の主はもちろんジェスターだ。俺は営業用の笑顔を浮かべると、ベッドの脇にある椅子に座る。傍から見る分には、完全な見舞客だ。


 だが、用件が別にあることは言うまでもない。ベッドに腰かけているジェスターの顔は、どう見ても引きつっていた。


「お身体の具合はいかがですか?」


「……なんの用だ」


 敵意を隠そうともしないジェスターの態度だが、不思議と腹は立たない。精神的に優位に立っているからだろう。


「ラッツさんたちから話は聞きました。私を森の散策に連れて行ってくださるおつもりだったのですね」


「あいつら……!」


 ジェスターが奥歯を噛み締める。だが、ここで怒鳴り出さないだけの分別はあるようだった。


「できれば、もう少し友好的なお付き合いをお願いしたいものです」


 それは俺の本音だったのだが、ジェスターにはそうは聞こえなかったらしい。彼は俺を憎々しげに睨みつける。


「ふん。それは脅しか? 次はあの兎をけしかけて俺を殺すと、そう言いたいんだな?」


 おお、そう来たか。言外に「自分では何もできないクズが」という含みを持たせてくるあたり、意外とセンスがあるな。

 だが、このまま舐められているのも問題があるし、一刺ししておくか。


「まさか。キャロをけしかけるまでもありませんよ。私だけで充分です」


「嘘をつけ。お前自身が弱いことはあの顔合わせで分かってる」


「では、あなたを双頭蛇ダブルヘッドから助けたのは誰なんでしょうね?」


 そう指摘すると、ジェスターは少し動揺した。


「それは……きっとクルネが……頭が斬り飛ばされていたし――」


「それはもう片方の頭ですね。貴方を呑み込もうとしていたのは、氷柱で串刺しになっていたほうです」


ジェスターの顔色が変わる。俺が言いたいことが分かったのだろう。彼自身、あのタイミングでクルネが間に合ったとは思っていないようだった。


「馬鹿な……! お前はただの貧弱な……」


「私が貧弱なのは否定しませんが、現実を見ることをお勧めします」


 その言葉に、ジェスターの顔色がどんどん悪くなっていく。自分の想像をかき消すように頭を振ると、キッと俺を見た。


「お前が魔術師マジシャンだと……固有職ジョブ持ちなんてあり得ない! なら、どうして今までその力を見せなかったんだ!」


「だって、面倒じゃありませんか。私に魔法が使えたとして、その結果どうなります? 森の危険なモンスターを片っ端から討伐させられるでしょう?

 貴方が仰る通り、私は貧弱ですからね。キャロがいるとは言え、そんな危険事はごめんです」


 俺の答えが予想外だったのか、ジェスターは口をパクパクさせていた。そこへ、俺は言葉を追加する。


「ああ、魔法のことはくれぐれも秘密でお願いしますね。もし他の皆さんにバラすようなことがあれば……」


「……俺を氷漬けにして殺す気か」


 青ざめた様子ながらも、ジェスターは俺を睨みつける。それは辺境民の矜持だろうか。


「まさか」


 俺は首を横に振ると、にっこり微笑む。


「ジェスターさんがクルネのことを想うあまり、私に危害を加えようとしていたことを村中にバラします」


「な……っ!?」


 ジェスターの目が見開かれる。……まあ、公開処刑みたいなものだよな。異性への好意を暴露された上に、そのために行った非人道的な行為まで明るみに出るわけで。


 もちろん実際にやるつもりはないが、脅しに使う分には心も痛まない。なんだかんだ言って、俺もまだ怒りが収まってないのは事実だからな。


「現状では、一部始終を知っているのはラッツさんとオーヴァルさんだけです。クルネも概ね知ってはいますが、あなたの好意には気付いていないようですね」


「畜生……なんて奴だ……」


「私からすれば、人を陥れて危険な森へ行かせるほうがひどい話だと思いますが」


「……っ」


 今の言葉に反応するあたり、ジェスターは根っからの悪人ではないのだろう。結果的に死にかけたとは言え、本来は俺を脅すだけのつもりだったようだし。


 無言で様子を窺っていると、やがてジェスターはベッドに倒れ込んだ。そして、呻くように呟く。


「もういい……俺の負けだ。バラすなりなんなり、好きにしてくれ」


 どうやら、本当に戦意を失ったようだった。俺はそれを幸いと口を開く。


「先程も申し上げましたよね? 『もう少し友好的なお付き合いをお願いしたい』と。貴方が変な気を起こさない限り、この一件が明るみに出ることはありませんよ」


 そもそも、脅しのネタは握り続けていることに価値があるわけで、公開したところでメリットは少ない。

 それに、ジェスターは重く捉えているが、実際には大した内容ではない。双頭蛇ダブルヘッドが現われたのはあくまで偶然で、彼の罪は俺を騙して森へ行かせたことだけだ。


 そういう意味でも、この交換条件くらいが妥当だろう。ここで調子に乗ると逆恨みされる可能性があるからな。


「へ……?」


 俺の言葉を聞いて、ジェスターは拍子抜けしたようだった。ぽかん、と口を開けている。混乱しているようだが、その表情からすると提案を飲む気だろう。


 友好的に振る舞っているだけで、後ろ指を刺されかねない所業を闇に葬ることができるのだ。悪い取引ではないはずだった。


「今更こう言うのもなんですが、私は皆さんと敵対するつもりはありません。ただ、上手くやっていきたいだけです」


「お前……本当に訳が分からねえ」


 ジェスターは毒気を抜かれたように呟くと、大きな溜息をついたのだった。




 ◆◆◆




「クルネ、一つ聞いてほしいことがあるんだが……」


 食堂にもなっている宿屋の一階で、俺はクルネに相談事を切り出した。


「どうしたの?」


 小首を傾げるクルネに、俺は心に重くのしかかっていた現実を明かす。


「実は、転職ジョブチェンジ能力を失った」


「へえ、そうなん……えぇぇぇっっ!?」


 驚きのあまりか、クルネの声が裏返った。あまりの声量に、女将のマルチアさんが様子を見に来たくらいだ。なんでもないと身振りで伝えると、彼女は不思議そうに去っていく。


「本当なの? 転職ジョブチェンジ能力がなくなったって、どういう感覚なの?」


「今までは、集中すればその人の固有職ジョブ資質が光として視えていたんだが、今はどれだけ目を凝らしても何も視えない」


 一縷の望みをかけてクルネに焦点を合わせてみるが、今までは視えていた剣士ソードマンの光がまったく視えない。まさか、回数制限があったのだろうか。


「いつから視えないの?」


「あの蛇と戦った時だ。最後に能力を使ったのは、俺を転職ジョブチェンジさせた時で……」


「ちょっと待って! カナメ、自分を転職ジョブチェンジさせたってどういう――あ! ひょっとして、双頭蛇ダブルヘッドを貫いてた大きな氷柱はカナメが作ったの!?」


 クルネは勢いよく俺に詰め寄ってくる。


「少なくとも、あの氷柱を生み出したのは俺だ。……なんだが、すぐに魔法が使えなくなって困っていたんだ」


「じゃあ、魔術師マジシャン固有職ジョブかな? ミルティが聞いたら羨ましがりそうね……」


「けど、今はそんな力は跡形もないからな」


「あ、そうだったよね……」


 正直に言えば、俺は気落ちしていた。この右も左も分からない異世界で、唯一俺が生計を立てられそうな能力を失ってしまったのだ。

 せめて、あの氷柱の魔法だけでも使用できればよかったのだが、ないものねだりをしても悔しくなるだけだ。もう一度、生計を立てる術を模索する必要があった。


 そんな焦燥が表に出ていたのだろう、クルネは心配そうに俺を見つめていた。


「今日は色々あったから、いくらカナメでもいい知恵が浮かばないと思うわ。早めに夕食を出してもらって、今日はゆっくり寝よ?」


「そうだな……」


 このままベッドに入っても鬱々として眠れない気がするが、せっかくのクルネの気遣いだ。素直に受け取っておこう。


「じゃ、マルチアさんにお願いしてくるね!」


 そう言い残すと、クルネはマルチアさんを探しに行った。その後ろ姿を見送ると、俺は天井に向かって溜息をついた。




 ◆◆◆




「……あ。治った」


 翌朝。悲観的なことばかり考えてなかなか眠れなかった俺だったが、目下の問題はあっさり解決していた。


 どうせ無理だろうと、なんとなく自分の固有職ジョブ資質を視てみたら、また多くの光が視えたのだ。

 と言うことは、一日に一回の回数制限があるのだろうか。だが、俺はこの世界に来た初日にキャロとクルネを転職ジョブチェンジさせているため、どうにも理屈が合わない。


 となると、俺が自分を転職ジョブチェンジさせたことが原因なのだろうか。可能性はあるが、さすがに実証する気にはなれなかった。


「カナメ君、どうしたの? なんだか嬉しそうね」


 朝食を食べるために宿の一階に降りた俺は、女将のマルチアさんに声をかけられた。その手には、朝食用であろうパンが握られている。


「いえ、心配事が一つ片付いたものですから……」


「そう? それはよかったわ。昨日の晩はなんだか様子がおかしかったから、主人と心配してたのよ」


「心配してくださっていたんですね、ありがとうございます」


 二人して心配してくれていたという事実に、俺の心が温かくなる。この宿屋にも長いことお世話になってるなぁ。


 そんなことを考えながら朝食を食べ終わると、ちょうどクルネがやって来た。


「能力が戻ったの!? よかった……!」


 能力の復活を伝えたところ、クルネは自分のことのように喜んでくれた。なんていい子だ。


「ということで、転職ジョブチェンジ屋の開業準備は継続だ」


 そう言っている間にも、安堵感からか自然と口の端が上がる。


「もう建物の契約は交わしたから、今日からは店としての体裁を整えようと思ってる」


「うん、任せて!」


「……本当にいいのか? クルネには充分助けてもらってるし、無理に付き合ってくれなくてもいいぞ」


 それは意地というよりは本音だった。彼女が手伝ってくれるのはありがたいが、ロゼスタール家にはもう充分すぎるほど世話になっている。これ以上頼るのはためらわれた。


転職ジョブチェンジ屋はうちの支店でもあるのよ? 準備を手伝ってあげなさいって、お父さんも言ってたし」


「そうか……ありがとう、クルネ。じゃあ、今日もよろしくな」


「もちろんよ」


 俺たちは転職ジョブチェンジ屋のオープン予定地へ向かうのだった。




 ◆◆◆




「うわぁ、だいぶ埃が溜まってるわね」


「まあ、人が住んでないとこうなるよなぁ……」


「キュゥ……」


 転職ジョブチェンジ屋となる予定の建物の扉を開けた俺たちは、ほぼ同時に咳き込んでいた。


「まず窓を開けよう。扉は開けっ放しにしてきたっけ?」


「うん、開けたままにしてきたわ。裏口も開け放してくる」


 クルネはそう言い残すと、さっと場からいなくなった。固有職ジョブの力と言うよりは、雑貨屋の娘として身についたスキルなのだろう。


「せっかくの毛並みが埃まみれになるし、キャロはまだ手伝わなくていいからな。近くの草を味見していてくれ」


「キュ!」


 俺がそう提案すると、キャロは元気に鳴いた。


昨日の双頭蛇ダブルヘッドの一件で何かを察したのか、今日のキャロはあまり俺から離れようとしなかった。

 俺は嬉しいしありがたいが、キャロに負担を強いているようで、なんだか申しわけないくらいだ。


 キャロが外に出たのを確認すると、俺は窓を開けて回った。普通の家よりも少し広いが、転職ジョブチェンジ屋としてのスペースと俺の住居としてのスペースが必要な身としては、非常にありがたい物件だ。


 雑貨屋から借りてきた清掃道具を構えると、俺とクルネは清掃業者として家じゅうを隈なく掃除した。




 ◆◆◆




「カナメ、ここが待合室だよね? 向こうの部屋にあったソファーを持ってこようか?」


「ありがとう、助かる」


「この横に長い机は奥の部屋?」


「ああ、お客さんと一対一で向かい合うための机だからな」


「ベッドも運んじゃおうか?」


「水回り以外は全部二階だから、そっちへ頼めるか?」


 クルネと二人がかりで掃除すること実に三日。借り受けた廃屋は、ようやく人の住める環境に仕上がった。


 住居と転職ジョブチェンジ屋の店舗を兼ねる予定のため、それなりの大物家具を運ぶ必要もあったのだが、そのあたりはクルネがあっさり運んでくれた。


 なけなしのプライドが「女の子に力仕事を全部任せるのは……」と囁いていたが、腕力の格差は絶対的な事実だ。素直に適材適所でいくことにした。


「これで、ひとまず格好はついたな……」


 すっかり綺麗になった室内を見渡して、俺はしみじみと呟いた。


「今日からここに住むの?」


「そのつもりだ。慣れるまでは、食事はボーザムさんの所で世話になるけどな」


 俺は台所の方角に視線を向けた。この家にも台所はあるのだが、当然ながらガスレンジなんてものはない。かまどが一つ置かれているだけだ。


 料理はそれなりにできるつもりだが、火の起こし方や、薪による火加減の調整なんて技能の持ち合わせはない。火事を起こしたら大事だしな。


 とりあえずは、居酒屋や食事場を兼ねているボーザムさんの宿屋にお世話になって、火や食材の基礎知識を学ぶべきだろう。


「じゃあ、お店もオープンできそうね」


「そうだな、その気になれば今すぐ開業できるぞ」


 なんせ、転職ジョブチェンジ自体にはなんの設備も必要ないからなぁ。事務所の一つもないと胡散臭さが倍増するし、俺の本拠地が必要だったということもあるが、基本的には身一つでできる商売だ。


「……よし、とりあえず今日から開業するか」


 どうせ店員は俺一人だ。いつ開業しようが人件費もかからないし。……あ、キャロは店員に数えたほうがいいんだろうか。今度聞いてみよう。


「――いらっしゃいませ、転職ジョブチェンジ屋へようこそ」


 前の仕事を思い出して、なんとなく口上を述べる。すると、クルネは楽しそうに笑い声を上げた。


「すごく自然な挨拶ね。まるで昔から転職ジョブチェンジ屋さんをやってるみたい」


 どうやら、元の世界で獲得した接客スキルはこっちでも有効のようだ。そのことにほっとすると、俺は再び室内を見渡す。


「まさか自分の店を持つなんてな……」


 元の世界の同僚には、自分の店を持つのが目標って奴もいたが、俺に独立願望はなかったからな。人生何がどうなるか分からないものだ。




 この日、ルノール村に転職ジョブチェンジ屋が誕生した。


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