エピソード0-4 自警団
【森本 要】
村の外れに設けられた自警団の修練場は、二十人ほどの人間で埋まっていた。
「お前さんが、シュルト大森林に迷い込んでたって奴か?」
「カナメ・モリモトと申します。よろしくお願いします」
周囲から無数の視線が飛んでくる。その居心地の悪さに閉口しながら、俺は笑顔を作り続けた。
「俺はジェイド・ラトハイブ。自警団長をしてる。団長と呼んでくれればいい」
そう名乗った男性は三十歳過ぎだろうか。目立って体格がいいわけではないが、精悍な顔つきであり、いかにも歴戦の勇士といった印象だった。
その眼光は鋭く、俺は自警団への加入を義務付けたフォレノ村長の意図を察した。恐らく、この団長も俺を「見極める」試験官なのだろう。
「話は村長から聞いてる。……クルネを剣士に転職させたのはお前だな?」
「そうです」
肯定すると、周囲からどよめきが聞こえてくる。視線の圧力が減ったのは、その分をクルネが引き受けたからだろう。
「団長、本当なのか!? クルネちゃんが転職したって」
他の自警団員から疑問が出る。どうやら、クルネの転職を知っている団員ばかりではないらしい。
「ああ、クルネが転職したことは何日か前に確認した。……クルネ、悪いが何か見せてやってくれ。各団員の力量はみんなが知っておいたほうがいいからな」
「え? うん、分かった」
クルネは腰の剣を抜くと、空いている左手で近くの木を指差した。そして、剣を振り抜く。
「衝撃波!」
クルネの剣から放たれた風圧は、まっすぐ飛んで指定された木の枝を根元から砕く。そして、重力に引かれて落下中だった木の枝を、いつの間にか接近していたクルネがさらにバラバラに切り刻んだ。
衝撃波とは、クルネが転職した時に覚えた特技だ。間合いの外を剣圧で攻撃することができるため、非常に使い勝手がいいらしい。
「今の、特技だよな!? あれが噂に聞く衝撃波か!」
「クルネちゃんの動き見えたか!? ほんの一瞬であそこまで行っちまった……!」
団員が口々に騒ぎ立てる。クルネから固有職持ちは希少だと聞いていたものの、ここまで大きな反響があるとは思わず、俺は呆気にとられた。
「えっと……こんな感じかな」
少し照れた様子で戻ってきたクルネに、団員たちから拍手が飛ぶ。彼らのほとんどは好意的な笑顔を見せており、クルネの人気ぶりが窺えた。
「クルネちゃん、本当に剣士になったんだな!」
「ステータスプレート見せてくれよ!」
やがて彼らはクルネを取り囲み、口々に話しかける。その光景を見ているうち、俺の顔にも自然と笑顔が浮かんだ。
「クルネは元々人気があったからな。人懐っこい性格の上に、剣の修練も人一倍熱心だ」
いつの間にか隣に来ていた団長が、ボソッと教えてくれる。二人で自警団員の様子を眺めていると、いつしか会話はシュルト大森林での話になっていた。
「あいつがクルネちゃんを助けたって!?」
「『あいつ』じゃなくて、『カナメさん』よ。カナメさんがいなかったら、私は死んでいたもの。本当に感謝してるわ」
そんな声とともに再び視線が集まる。どうやら、俺の評価をしかねているようだった。
なんせ、俺は武術の心得なんてまったくない人間だ。元の世界の成人男性並みには筋力があるつもりだが、この辺境の男性はごつい人が多い。彼らから見れば、俺は非力に見えるだろう。
そんな人間がクルネを助けられるなんて、信じられなくて当然だ。
「どうやら、皆お前の実力を知りたがっているようだが……」
そして、それは団長も同じようだった。彼は俺に向かって、腰に吊るしていた長剣を鞘ごと差し出した。
「得物は剣でいいのか? 灰色熊を倒した手並みを見せてもらいたい」
「そうですか……では」
場に漂う真剣な空気を壊すようで気が引けるが、ここは正直に応じるべきだろう。そう判断すると、俺は足下のキャロを抱き上げる。
しん、と気まずい沈黙が修練場を覆った。
「……その兎はなんだ」
たっぶり一分は沈黙した後、団長は不機嫌な声色で問いかけてくる。馬鹿にされたと思ったのだろう。
「そうですね……相棒、でしょうか」
「キュウ!」
キャロが腕の中で元気に相槌を打つ。その様子がツボに入ったのか、団員の何名かが噴き出した。
「……」
だが、肝心の団長は無言のままだ。彼が怒り出す前にと、俺はキャロに話しかける。
「キャロ、あの石を砕いてもらってもいいか?」
俺が指差したのは、近くに転がっていた大きな石だ。一辺が七、八十センチ近くあるだろうか。下部は地面に埋まっていて見えないが、特に問題はないだろう。
石の前まで歩くと、抱えていたキャロを下ろす。すると、キャロは近くに生えていた草を齧り始めた。……あれ?
「えーと……キャロさん?」
「キュッ!」
思わず呼びかけると、キャロは草食みを中断して石の上に跳び乗った。……なんだか申し訳ないな。後で好きなだけ草を齧らせてあげよう。
そんなことを考えている間に、キャロは縦回転をしながら垂直に跳び上がり……。
「キュゥッ!」
そして、小さな足で踵落としを決めた。
「うおおっ!?」
耳をつんざく破壊音とともに砕けた石が飛び散り、近くにいた団員にぶつかる。幸い怪我をした人はいないようだが、彼らの目は一様にキャロに注がれていた。
「なんだありゃ……兎、だよな?」
「生身であのでかい石を蹴り砕くとか、人間でも無理だろ……」
ざわめきはなかなか収まらなかった。そんな中、団長が俺に声をかけてきた。
「なるほどな……灰色熊を倒したのはこの兎のほうか。未だに信じられねえが、こうして実際に見ちまうとな……」
団長の目もキャロに釘付けだ。だが、当のキャロは役目を終えたとばかりに、近くの草の匂いをふんふんと嗅いでいた。
その光景を眺めていると、団長が一歩こちらへ踏み出した。
「……で? お前のほうはどうなんだ?」
その目には、探るような色があった。が……。
「完全な素人です。剣を持ったこともありません」
「……は?」
反応は団長ではなく、他の団員から返ってきた。
「本当に剣を握ったことがないのか? それでどうやって生きてきた?」
「そう言われましても、モンスターの脅威とは無縁でしたからね……」
俺は肩をすくめた。生活環境の違いは相互理解の大きな壁だ。
「ってことは、こいつ自身は役立たずってことか」
と、嘲るような響きが耳に入ってきた。声の主を見れば、まだ二十歳はいっていないだろう青年だ。団員の幾人かが同意して笑い声を上げる。
「ジェスター、そんな言い方はないじゃない!」
すると、今度はクルネが声を上げる。その表情からすると、かなり本気で怒ってくれているようだ。
だが、ここで彼女に頼りきってしまうわけにはいかない。俺は手でクルネを制すると、にこやかに口を開いた。
「そうですね、私もそう思います。もちろん、こうして自警団の一員となる以上は、皆さんのお力になれるよう努力する所存ですが」
「……ふん」
無難な答えを返したつもりだが、ジェスターと呼ばれた青年は気に入らなかったらしい。彼は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
だが、彼の態度の悪さはあまりにも露骨だったし、俺という人間を見極めるための演技かもしれない。そう思うと、さっぱり怒りは湧いてこなかった。
「ジェスター、それくらいにしておけ」
「……はい」
団長が制すると、ジェスターはむすっと黙り込んだ。そっちへちらりと視線を向けると、団長は団員全員に聞こえるような大声を出した。
「今日の顔合わせは以上だ。修練を希望する者以外は解散してくれていい」
「はい!」
その言葉を契機に、修練場から人がいなくなっていく。……あ、もういいんだ。てっきり転職の力の話をするのかと思ったんだけどな。
宣伝にもなるかと期待してた部分もあるんだけど、興味がないのか、それとも現実味がないのか……。
そんなことを考えている間に、修練場はすっかりがらんとしていた。後に残ったのは五人ほどだろうか。
そして、その中にはさっきのジェスターの姿もあった。その姿を見つけた俺は身構えたが、彼の視線が俺に向くことはなかった。
「――まだ考えてないから」
「年に一度の祭りだぜ? 他のみんなも誘うからさ」
ジェスターの話し相手はクルネだった。さっきのやり取りで二人の仲が険悪になるんじゃないかと心配していたが、普通に話しているようで一安心だ。
「おーい、クルネ! カナメのトレーニングを考えるぞ!」
なんとなく二人を眺めていると、団長がクルネに声をかけた。不満げな表情を浮かべたジェスターに別れを告げて、クルネがこちらへ向かってくる。
「お待たせ、団長。カナメさんのトレーニングってどれくらいやるの?」
「最低でも、集合陣形に参加できる程度だな。……まずは基礎体力から鍛える必要があるだろうが」
団長は俺の身体をじっくり見た後、小さく溜息をつく。現代人の体力のしょぼさを正確に見抜いたのだろう。
「カナメさん、私も付き合うから頑張ろうね」
「ありがとうございます、クルネさん」
まさか、こんなところで身体を鍛える羽目になるとは思わなかったな。団長とクルネがスパルタじゃないことを祈ろう。
辺境での生活は、思っていたよりも体力勝負になりそうだった。
◆◆◆
「カナメ、お店の場所はもう決めたの?」
「ああ、昨日の物件で話を進めるつもりだ。間取りもよかったしな。ただ……本当にいいのか? こうして今の生活を援助するだけでも負担だろうに、店舗の初期費用まで……」
「だって、雑貨屋の支店として登録してるんでしょ? それならうちがお金を出してもおかしくないし、正規の転職費用に比べたら小さなものだって、お父さんも笑ってたわ」
「それならいいが……」
宿屋の一階にある食堂で、俺は訪ねてきたクルネと話をしていた。この村を訪れてから今日で五日目だが、未だ転職屋は開業できていない。
クルネや父親のクラウスさんに言わせれば、「慌てて店を開けるとろくなことがない」ということらしい。
だが、彼らに当面の生活費を負担してもらっている身としては、一刻も早く開業してお金を稼ぎたいところだ。
なお、言葉遣いの変更はクルネの要望によるものだ。「カナメさんのほうが年上だし、商人と話してるみたいで落ち着かないから、キャロちゃんの時みたいに喋ってほしい」ということらしい。
俺としては落ち着かないが、スポンサーの要望には従うのみだ。付き合いが長くなれば、多少は慣れるのだろうが……。
「クルネちゃん! 大変だ!」
そんなことを考えていると、勢いよく宿屋の扉が開かれた。扉を開けたのは四十歳くらいの男性だが、なんとなく見覚えがあった。たぶん自警団員だろう。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「剣は持ってるな!? ヤバいモンスターが村に向かってきてる!」
「モンスターが!?」
クルネは弾かれたように立ち上がると、俺を見る。
「カナメ、行ってくる」
「俺も行くよ。一応は自警団員だからな」
俺は急いで外へ出ると、キャロの姿を探した。気は乗らないが、ここで知らないフリをすることは、どう考えてもマイナスだ。
すぐ近くでうとうとしていたキャロを見つけると、俺はさっと抱き上げた。
「こっちだ!」
呼びに来た団員に先導されて、俺たちは村の外れへ向かう。そこには、すでに十人ほどの団員の姿があった。
「クルネ、狂乱猪だ!」
クルネの姿を認めるなり、団長は大声で叫んだ。
「狂乱猪が!? なんで!?」
「狩人がしくじったらしいが、詳しい話は後だ! 倒せるか!?」
まだそれなりの距離はあったが、二人は大声で会話を交わす。その直後に、シュルト大森林の木が一本、メキメキと音を立てて倒れた。
「あれだ!」
倒壊した木との距離は二百メートルほどだろうか。だが、重い地響きとともに、何かがこちらへ駆けて来る足音がはっきりと聞こえていた。
「団長、作戦は?」
「狂乱猪だからな……まともに突進を受けりゃ、家だってあっさり崩れる。救いは、勢いのある突進なだけに、急な方向転換は苦手だってことか」
それは作戦と言うよりは、狂乱猪と戦うクルネへの警告だった。突然の話のようだし、作戦を立てる暇もなかったのだろう。
「分かったわ。私が一人で行くから、みんなは援護をお願い」
頷くと、クルネは剣を抜き放った。太陽の光を受けて、剣身がきらりと輝く。
「クルネ。いくら転職したとは言え、狂乱猪は凶悪なモンスターだ。討伐しに行った固有職持ちが返り討ちにあった例もある」
団長の声色は気遣わしげなものだった。クルネはしばらく目を閉じると、静かに頷く。
「……うん、大丈夫。元々命がけだったんだし、他のみんなよりは私のほうが有利だもの」
「ブウォォォォォッ!」
と、森の茂みをかき分けて、一頭の巨大な獣が現われた。全長は三メートルほどだろうか。筋肉で盛り上がった体躯と、一際大きな存在感を放つ二本の牙。
形は猪に似ていたが、その恐ろしさは比べ物にならなかった。
「各自、散開しろ! 狙われてると思ったら、落ち着いて突進の軌道を読め!」
団長の号令とともに、十人ほどの自警団員がさっと散らばる。
それとほぼ同時に、狂乱猪が突進してきた。
「クルネを無視した!?」
驚いたことに、狂乱猪は俺たち全員を無視して、近くの家屋に突撃していた。その建物には見覚えがあり、転職屋の候補地の一つだったのだが……。
大きな激突音とともに建物が倒壊し、狂乱猪が瓦礫に埋もれた。第一候補ではなかったものの、もはや店舗として借りることは不可能だろう。
「お? ひょっとしてくたばったか?」
団員の誰かがそんな声を上げたが、ほとんどの人間は黙って潰れた家屋を見つめていた。すぐに崩れた木材が吹き飛ばされ、無傷の狂乱猪が姿を見せる。
「あのモンスター、どうして家に……?」
「そう言や、狂乱猪は異常に執念深いモンスターだったな。敵とみなしたものを、死ぬまで追いかけるとか聞いたが……」
俺の呟きに答えたのは、近くにいた団長だった。偶然というよりは、初心者の俺を気遣ってくれたのかもしれない。
「じゃあ、あの家に誰かがいると?」
狂乱猪は、瓦礫と化した小屋の廃材を、その巨大な牙で吹き飛ばす。その様子は、まるで誰かを探しているようだった。
「そうは見えないが……」
「団長!」
クルネがこちらへ駆け寄ってくる。彼女は油断なく狂乱猪を注視しながら、団長に話しかけた。
「あの狂乱猪、どうしたの?」
「今こいつとも話していたが、アレは執念深い性質だ。あの家に何かがあったのかもしれん」
「このままじゃ、村に被害が出るかも……」
クルネは思案顔だ。彼女を狙ってくるなら捌きようもあるが、村の中心部へ行かれては目も当てられない。
「やっぱり、私が標的になるしかないわね」
クルネはすぐさま剣を構えると、俺たちから少し離れて衝撃波を撃ち込んだ。
衝撃で周囲の瓦礫が吹き飛ぶ中、狂乱猪はその場に踏みとどまる。それでも無傷ではすまなかったようで、右目のすぐ上に傷ができていた。
「グウォォォォッ!」
ついにクルネを敵と認定したのか、狂乱猪はクルネ目がけてまっしぐらに突き進む。
その動きをよく読んだクルネは、突進をあっさり躱したものの、すれ違いざまに振るった剣は背中の剛毛に弾かれていた。
「剣士の攻撃が効かない……?」
青ざめた表情で団員が呟く。剣さえ当たれば倒せると思っていたのだろう。俺自身もどこか楽観的でいたが、これは見込みが甘かったかもしれない。場合によっては、キャロを投入するべきだろうか。
「クルネは回避で体勢が崩れていたし、狂乱猪の背は牙の次に頑丈だ。剣が当たっただけで勝てるほど、あのモンスターは甘くない」
団長は冷静に状況を分析していた。さすがだな、と感心しながらその様子を見ていると、ふいに団長と目が合う。
「どうかしたか」
「いえ……」
団長に感心していました、と言うわけにもいかず、俺はなんとか言葉を絞り出す。
「このままだと、他の家屋に被害が及ぶのも時間の問題だと焦っただけです」
「なら、どうする」
「え?」
予想外の返事に、俺は慌てて頭を回転させる。ひょっとして試されているのだろうか。
「単純な手ですが、一度突進するとなかなか止まれない狂乱猪の性質を利用して、罠に嵌めるのが妥当でしょうか」
「……俺もそれは考えた。だが、見ての通り、瓦礫に埋もれても無傷な怪物だ。普通の獣用の罠なんざ効かねえだろうよ。
進行方向にぶっとい杭でも用意できりゃいいんだろうが……さすがにそんな悠長なことはできないからな」
やっぱり、その程度のことは団長も考えていたようだ。
「となると……攻撃はクルネに任せて、狂乱猪の隙を作り出す方向で考えるべきでしょうね」
簡単なのは落とし穴だろうか。木の間にロープを張って……というのも考えたが、存在にも気付かれないまま引きちぎられる気しかしない。
よし、これで試してみよう。失敗しても損はしないし。
そう判断すると、俺たちは穴を掘ることにした。場所は破壊された家屋があった場所だ。一部は吹き飛ばされたものの、視界を遮るには充分すぎる瓦礫たち。
「よし、記憶通りだな……」
地下室への入口を見つけて、俺は一人呟いた。転職屋の候補地として下見に来た際、地下室を見せてもらった記憶があったのだ。
キャロに頼んで地下室の天井を破壊してもらえば、ごく短時間で落とし穴ができあがるはずだ。深さは大したことないが、狂乱猪が転びさえすればそれでいい。
出来上がった落とし穴の様子を確認して外に出ると、遠くからこちらを見ていたクルネと目が合った。その傍に団長がいることを考えると、この落とし穴のことは伝わっていると考えるべきだろう。
俺が大きく頷くと、クルネは小さく剣を掲げた。
「キャロ、ここから離れよう」
土木作業員として活躍したキャロを抱え上げると、俺は足早に退避した。その俺と入れ替わるように、クルネが落とし穴の設置場所へ走ってくる。
「ブウォォォァッ!」
もちろん狂乱猪も一緒だ。獰猛な唸り声を上げて追いかけて来る獣をちらりと確認すると、クルネは落とし穴の手前で跳躍した。
そして、クルネが落とし穴の向こう側に着地した直後、狂乱猪が落とし穴に嵌まるのが見えた。
「衝撃波!」
穴の縁に立ったクルネは、落とし穴に嵌まった狂乱猪に特技を見舞うと、剣を片手に穴の中へ身を躍らせる。
狂乱猪が力尽きたのは、それからしばらくしてのことだった。
◆◆◆
ルノール村の外れは、ちょっとした熱気に包まれていた。理由はもちろん、狂乱猪という凶悪なモンスターを倒すことに成功したためだ。
聞いた話では、二十年ほど前にも狂乱猪が村を襲ったことがあり、その時は村が半壊するほどの大きな被害を受けたのだと言う。
「カナメ、ありがとう! あの落とし穴を作ってくれたんでしょ?」
みんなの労いを受けていたクルネだったが、俺が近付くとぱっと笑みを浮かべた。
「俺は安全なところで、キャロに土木工事を頼んだだけだ」
「ううん、とても助かったわ。狂乱猪がひっくり返ったおかげで、柔らかいお腹の部分を攻撃できたから。後は簡単だったわ」
そう言いながらも、クルネの左腕には包帯が巻かれていた。狂乱猪が最後の力を振り絞って暴れた時に、牙に引っ掛けられたのだ。
だが、クルネは大して痛みを感じていないようだった。それは固有職のおかげなのかもしれないし、昂揚していて感覚がないだけかもしれない。
なんにせよ、適切な処置をしているなら、わざわざ思い出させる必要もないだろう。
と、クルネとお互いを讃え合っていると、ひょいと顔を出した人がいた。団長だ。フォレノ村長たちと話をしていたはずだが、戻って来たのだろう。
「クルネ、いい活躍だった。おかげで村の被害は最小限ですんだぜ。ただ、分かっていると思うが……」
「調子に乗らないように、でしょ? 未熟さを痛感してるところよ」
笑いながら、クルネは左腕の包帯をさする。団長も笑顔を返すと、今度は俺に顔を向けた。
「そして、お前もだ。……誰もが唸る奇策じゃないが、現実的な提案だった」
クルネに向けたような笑顔ではないが、団長の表情は心なしか緩んでいた。
「団長から話を聞いた時はびっくりしたわ。まさか、地下室を落とし穴に作り変えるなんて思わなかったわよ」
「たまたま地下室のある家屋で助かったよ。もしなかった場合、作業にもっと時間がかかってただろうし」
そんな話をしていた俺たちだったが、そこへ近付く人影があった。そちらへ視線をやると、フォレノ村長をはじめとして、三人の男性がこっちを見ている。
うち一人は老齢で、顔には皺が多く頭髪も真っ白だったが、その背筋はまっすぐ伸びており、小柄ながらも身体の頑健さを窺わせた。
そして、もう一人は若く、体格に恵まれた男性だったが、その表情には血の気がない。口を一文字に引き結んでいるが、今にも崩れ落ちそうな雰囲気だった。
彼らが俺たちの前まで来ると、賑やかだった団員たちも少し静かになる。その中で、カイと名乗った老齢の男性が口を開いた。
「自警団員の皆、迷惑をかけて本当に申し訳なかった。此度の狂乱猪の暴走は、ワシら狩人の責任じゃ」
そう言って頭を下げる。
「こやつは、森の中であの狂乱猪に遭遇してしまっての。狂乱猪を見つけた場合には、手出しをせずに立ち去るのが暗黙の了解なのじゃが……」
ああ、それは分かる。なんせ、相手は固有職持ちでもなければ倒せないモンスターだ。うかつに手を出して敵として認定されてしまえば、待っているのは自分の死だけだろう。
「……俺は何もしていないんです! ただ、遭遇した時から狂乱猪は気が立っていて……」
慌てた様子で青年は弁解する。なるほど、それで村へ逃げた青年を追いかけてきたのか。
「万が一にも狂乱猪に狙われるようなことがあれば、その者は村へ帰ってはならぬ。それが狩人の鉄則じゃ。村ごと壊滅する可能性があるからの」
つまり、村に被害を及ぼさないために、狙われた狩人が犠牲になるべきだという考え方だ。そのシビアさから、彼らの過酷な環境と矜持が伝わってくる。
「じゃが、慌てたこやつは、本能的に村へ逃げてしもうた。途中で事態に気付いたワシら狩人がいくつか罠を張ったのじゃが、時間稼ぎにしかならなんだ。……これが、狂乱猪を村へ呼び寄せてしもうた原因じゃ」
「……一つ訊きたいんだが、そいつはあの家にいたのか? 狂乱猪はまっすぐ小屋に突っ込んでいったが」
説明を終えたカイさんに団長が問いかける。たしかに、あの建物に人はいなかったが……。
「狂乱猪を欺くため、こやつが着用していた衣類をあの建物に放り込んだのじゃよ。においで追跡していたのじゃろうな」
「なるほどな……」
団長は納得したように呟いた。
「まあまあ、こうして大きな被害もなく決着を見たのだ。それで良しとしようじゃないか」
フォレノ村長がそう結ぶと、口々に賛同する声が上がる。なんと言っても、自警団は狩人じゃないからな。狩人の鉄則を破ったことについては、特に口出しする気もないのだろう。
「……皆の厚情に感謝する」
「本当にすみませんでした……!」
すると、狩人二人はほっとした様子で頭を下げた。彼らはフォレノ村長と一緒に村の中心部へ戻るつもりのようだった。
「それにしても、狂乱猪の棲息場所はもっと奥だったはずじゃが……」
「モンスターの気まぐれでしょうか?」
「ふむ……少し気になるの。……おお、そうじゃ。お主、後でエリンに礼を言っておくのじゃぞ。あやつの罠でだいぶ時間が稼げたからのぅ」
そんな会話をしながら去っていく三人を見送っていると、後ろから背中をつつかれた。振り返ると、クルネが笑顔を浮かべている。
「カナメ、いいニュースよ。あの狂乱猪の素材を売却したら、私たちにも報奨金が出るんだって」
「狂乱猪の素材……?」
いきなりそう言われてもピンと来ないが……。
「ほら、あの大きい牙とか、けっこう高く売れるらしいわよ。肉と毛皮はうちで消費しちゃうけど」
「ああ、アレ食べるのか……」
大きな猪だと思えば、意外と美味しいのかもしれないな。大きさ的にも、かなりの食べでがあるはずだ。
「でも料理するのが大変そうだから、私はお金でもらおうと思って。カナメもそれでいい?」
「もちろん。俺としては報奨金のほうがありがたい」
やっぱり所持金ゼロという状態は精神的にきついからな。そんなことを考えていると、団長が会話に入ってくる。
「報奨金どころか、本来ならクルネが素材の権利者なんだが……すまないな、一応自警団全体で倒した獲物、ってことになっちまう」
「ううん、みんなで一緒に戦ったじゃない。独り占めする気なんてないわよ」
クルネは清々しい表情で言い切った。
「そう言ってもらえると助かる。……カナメ、お前も功労者なのに悪いな」
意外なことに、団長は俺にも謝ってくれた。クルネに比べれば、ほとんど何もしてないけどね。
「素材をもらっても、どうせ換金ルートが分かりませんからね。むしろ助かりました」
それでも、そう労われるのは嬉しいものだ。見慣れてきた村を眺めながら、俺は小さく笑い声を上げた。




