エピソード0-3 ルノール村
【森本 要】
「ここが私の住んでいるルノール村よ」
クルネの案内でルノール村に辿り着いたのは、夕暮れから夜に差し掛かる頃だった。
俺は物珍しさも手伝って、辺りをきょろきょろ見ながらクルネの後に続く。やがて、彼女が立ち止まったのは、何かの店らしき建物の前だった。
そう言えば、彼女の家は雑貨屋だったな。ということは……。
「……私の家よ。さっきも言ったけど、家は雑貨屋をやってるから一階はお店になってるわ」
俺の予想は当たった。彼女の招きに応じて、俺は建物へ足を踏み入れる。
ロープや松明といった実用的な道具から、何がいいのかさっぱり分からない怪しげなアクセサリーまで。店内には様々な雑貨が並べられていた。
そんな中を迷いなく進んでいくと、クルネは奥にいる中年男性に話しかけた。雑貨屋よりは武器屋が似合いそうな、体格のいい男性だ。おそらくクルネの父親なのだろう。
「お父さん、ただいま!」
「おかえり、クルネ。少し遅かったから、自警団に相談しようと思っていたところだ」
「ごめんね、ちょっと色々あって。……ねえねえ、そんなことより凄いニュースがあるの! お母さんは二階?」
「ああ、そのはずだよ」
父親の返事を聞くなり、クルネは店の奥へと姿を消した。二階へ繋がる階段があるのだろう。バタバタと階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
「……おや、お客さんかな? いらっしゃい」
ふいに親父さんと目があった。この村は村人全員が顔見知りだと言うし、俺が外部の人間であることはすぐに分かったのだろう。物珍しそうに俺を眺めている。
「お客さん、後ろの兎は……」
と思ったら、俺じゃなくてキャロを見ていたらしい。
そう、キャロは森を出ても俺の後ろをついてきたのだ。俺もクルネも不思議がっていたが、事実は事実だ。俺はキャロの同行を心から歓迎していた。
「あ、すみません、動物は入店禁止でしたか?」
「あ、いやいや、そういうことじゃない。ちょっと気になっただけだよ」
クルネの親父さんはそう言うと、キャロを見てニコニコしていた。いい人そうだな。そして、体格に似合わず小動物好きとみた。よく見ると、少しずつキャロににじり寄ってきている。
「お父さん! お母さんを連れてきたわ」
だが、親父さんの接近はそこまでだった。ちょっと残念そうな顔をした親父さんだったが、何事もなかったかのように後ろを振り向く。
そこにはクルネと、彼女によく似た四十歳前後の女性が立っていた。間違いなくクルネの母親だろう。顔立ちはよく似ているが、穏やかな雰囲気を纏っていた。
「クルネったら、どうしたのかしらね? 話したいことがあるって」
「さあな。だが、ここまで嬉しそうなクルネは久しぶりだ。大人の貫禄で受け止めようじゃないか」
仲のいい夫婦ぶりを見せつける二人に対して、クルネは懐から黒いものを取り出した。たしか、ステータスプレートとかいうやつだ。
「……これを見て」
言われるまま、二人はクルネのプレートに顔を近づける。そして、同時に息を呑んだ。
「剣士の固有職が……!?」
夫婦そろってプレートを凝視している。クルネの話では、固有職が後天的に変わることはないと言う。二人が驚くのも無理はない。
長い硬直の後、親父さんが口を開いた。
「転職するには莫大なお金が必要なはず。……クルネ、まさかとは思うが、人に言えない方法でお金を得たんじゃないだろうね」
「ち、違うわよ! そんな訳ないじゃない!」
親父さんの疑問に、クルネは顔を真っ赤にして怒る。そして、俺を手で指し示した。
「あの人が転職させてくれたの!」
「……は?」
顔に疑問符を浮かべた夫妻は、揃って俺に視線を向けた。彼らがなんらかの審判を下す前に、俺は慌てて口を開いた。
「初めまして、カナメ・モリモトと申します。転移魔法の事故に巻き込まれて森を彷徨っていたところをお嬢さんに助けられまして……」
クルネの両親からすれば、どう見ても俺は不審人物だからな。「娘を騙そうとしている詐欺師」なんてレッテルを貼られないためにも、できるだけ丁寧に対応する必要があった。
「この大陸の人じゃないんだって」
「と言うことは、別の大陸から飛ばされてきたのかい? それは大変だったね」
娘の言葉を心から信じたわけではないだろうが、それでも二人は気の毒そうな表情を浮かべてくれた。
「それじゃ、この子も別の大陸から来たのかい?」
親父さんの視線の先にいたのは、もちろんキャロだ。俺の時よりも沈痛な表情を浮かべている。
「いえ、この子と出会ったのはシュルト大森林ですから、元々こっちの生まれだと思います」
「そうか、それはよかった」
親父さんは朗らかに笑う。
「それに、信じられないと思うけど、キャロちゃんはとても強いのよ。キャロちゃんがいなかったら、私は今頃、灰色熊の餌になっていたわ」
クルネの言葉を聞いて、二人の笑顔が凍り付いた。
「……クルネ?」
「あ……」
クルネの顔が引きつる。灰色熊と遭遇して死にかけたことは秘密にしたいと言っていたのに、うっかり口を滑らせたようだ。彼女の視線が宙を泳ぐ。
「クルネ、詳しい話を聞かせてもらおうか」
穏やかな表情はそのままだが、親父さんの目はとても怖かった。
「あ、あははは……」
今日のロゼスタール家は、だいぶ荒れそうだった。
◆◆◆
クルネが両親に散々叱られてから一時間ほど後のこと。俺は、ロゼスタール家の夕食にお邪魔していた。
初対面の人間と食事をすることは辛いものがあるが、かと言って断る勇気もない。
右も左も分からない状況に放り出された身としては、繋がりを作っておいたほうがいいだろうという打算もあった。
なお、両親はクルネが転職したことを未だに信じられない様子だったが、いったんそれは棚上げすることにしたらしい。
「カナメ君、本当にすまなかったね。君にとっては不幸な事故だろうが、私たちにとっては幸運だったよ」
「本当に……。最近の森は危険だから、できるだけ近付かないように、ってあれだけ自分で言っていたのに……」
「いえ、助けられたのは私も同じですから。クルネさんと出会わなければ、今頃森で行き倒れていたはずです」
答えると、肉や野菜のごった煮らしき料理を口に運ぶ。温かい食事は、張り詰めていた俺の神経をゆっくりほぐしてくれた。
そんな俺を見て、クルネの父親であるクラウスさんと、母親のアルマさんは、気遣わしげな視線を向けてくる。
「それにしても、別の大陸ねえ……カナメさんを信じていないわけじゃないけれど、なかなかピンと来ないわね」
「別の大陸から来た人間なんて、今までの人生で見たことがないからね。……ここは陸の孤島のようなものだから、私たちが知らないだけかもしれないが」
「けれど、噂に聞いたこともないわね……」
彼ら夫婦は雑貨屋を営んでいる関係で、たまに村に来る行商人とやり取りをすることもあり、他の住人よりは辺境の外のことを知っているらしい。
だが、俺のようなケースは聞いたことがないと言う。ましてや、実際には彼らが思っているようなただの空間転移魔法ではなく、世界の壁を越えてきているのだ。帰還への道程は困難を極めそうだった。
「とは言っても、故郷に帰るつもりなんだろう? 別大陸への移動手段となると、船になるだろうが……」
「別大陸への定期便なんてあったかしら?」
「定期便はないだろうね。たまに別大陸を目指す船を出すことがあるようだが……安全な航路は確立されていないはずだ。
となると、やはり魔法実験をしていた人に頼むか、それと同じ力量を持つ魔導師を他に見つけるか……」
思案顔だったクラウスさんは、やがてにっこり笑ってみせた。
「ともかく、焦ってあれこれ考えても仕方がないさ。宿を手配するから、今日はそこで身体を休めて、ゆっくり考えてはどうかな」
「クルネ、カナメさんと一緒にボーザムさんの所へ行ってくれる?」
話がついたと判断したのか、アルマさんがクルネに話しかける。察するに、ボーザムさんは宿屋の人なのだろう。
「うん、もちろん。カナメさんもそれでいいよね?」
「ええ、宿屋がどこにあるかも分かりませんからね。とても助かります」
クルネの言葉に頷くと、今度はクラウスさんが口を開いた。
「なら、慌ただしくて申し訳ないが、食後すぐに向かったほうがいいだろうね。村の中は大丈夫だと思うが、完全に日が落ちると危険だ」
「分かりました、お気遣いありがとうございます」
俺は少し急いで食事を口に運ぶ。たしかに、あんなにモンスターが発生する森近くの村だ。そんなところを夜中に歩き回る度胸はない。
急いで食事を平らげた俺は、クルネの先導で宿屋へ向かった。
◆◆◆
「ボーザムさん! 一人宿泊をお願い!」
クルネに連れられて到着したのは、二つの家屋を無理やりくっつけたような、少し歪な建物だった。どうやら片方が住居で、もう片方が宿屋としての建物らしい。
彼女に続いて扉をくぐると、ちょうど奥から少し恰幅のいい中年男性が顔を出すところだった。
「おや、クルネちゃんじゃないか。クラウスと喧嘩して泊まりに来たのかい?」
「兄さんじゃあるまいし、そんな訳ないじゃない」
クルネは軽口を返すと、俺を彼女の前に立たせる。
「この人を泊めてもらえる? シュルト大森林で出会ったんだけど、この辺りの人じゃないの」
「へ? 珍しいね。……まあ、お代がもらえるなら構わないが」
「カナメ・モリモトと申します。突然申し訳ありません」
俺が自己紹介すると、ボーザムさんはきょとんとした表情を浮かべた。
「おお、ご丁寧にどうも。……なるほど、たしかにこの辺りの人間じゃなさそうだな。行商人だってそこまで丁寧に話さないよ」
そう言うと、彼は奥に向かって大声を上げた。
「マルチア、お客さんだ! 部屋の準備はできて……」
「――はいはい、分かってますよ。部屋の状態を確認していたところ。いつでも入ってもらえるわ」
すると、すぐに奥さんらしき女性が姿を現す。彼女は俺の姿を認めると、にこやかに笑った。
「いらっしゃい、いつでも部屋に上がってもらえるわよ? ……あら?」
マルチアさんの視線は、俺ではなく俺の足元に注がれていた。言うまでもなく、そこにはキャロがいる。
「すみません、この子も一緒に部屋に入れることはできますか?」
「ええ、いいわよ。掃除は大変でしょうけど、次のお客さんが来るのは一月以上先の話でしょうし」
「ありがとうございます」
俺は丁寧に頭を下げる。キャロの入室許可にほっとするとともに、俺は一つの疑問を抱いていた。
「次のお客さんが来るのって、一月以上先なんですか?」
「こんな辺鄙な村に来るのは、行商人かよっぽどの物好きくらいだからね。後は、他の村の人間がたまに泊まるくらいか」
答えはボーザムさんから帰ってきた。クルネから聞いて覚悟はしていたが、本当に辺鄙な地域のようだ。
「それで利益が出るんですか……?」
俺は思わず呟く。どう考えても赤字経営だと思うんだが……。すると、ボーザムさんは興味深そうな視線を俺に向けた。
「心配しなくても、ウチは宿屋だけやってる訳じゃないからな。畑なんかもあるし……と言うか、むしろそっちが本業だ」
なるほど、兼業だったのか。それなら頷ける。
「泊まる宿屋の経営状況を心配するとは、変わった兄さんだ。……いやいや、馬鹿にしてる訳じゃないよ。辺境では珍しい、というだけで」
「さあさあ、部屋に案内しますよ。クルネちゃん、案内ありがとうね」
ボーザムさんの言葉に被せるようにして、マルチアさんが俺を促す。俺が踏み出すと、クルネが口を開いた。
「カナメさん、今日は本当にありがとう。じゃあね!」
「こちらこそ、ありがとうございました。お気をつけて」
別れの挨拶を交わすが、クルネが背を向ける様子はない。見送ってくれるつもりのようだ。
俺はキャロを抱き上げると、素直にマルチアさんの後に続いた。
◆◆◆
「……しかし、困ったな」
割り当てられた宿屋の一室。荷物らしいものもないため、上着を脱いでベッドに身を投げ出すと、俺は天井を見上げた。
――これから、どうすればいいのか。
悩みはいくらでもあるが、特に重要な問題はお金だ。あのマクシミリアンとか言う爺さんにしても、他の同格の魔導師に頼るにしても、まずコンタクトを取るところから始めなければならない。
だが、この村は王国の端に位置しており、魔導師のいそうな王都まで行くにはかなりの移動費用がかかってしまう。
そして、当然ながら俺の所持金はゼロだ。ここの宿代はクルネの両親が負担してくれているが、それだって短期的な話だろうし、それ以上を求める図々しさは持ち合わせがない。
王都へ行く費用もそうだが、それ以前に、俺は生きていくためにお金を得る必要があった。異世界であろうがなんであろうが、どこでも変わらない世知辛さだ。
「生きる術……か」
なんとはなしに両手を見つめる。身についている職業技能と言えば、飲食店における調理・接客技能くらいだろうか。
とは言っても、俺は料理人というわけではない。うちの飲食チェーンは、効率化・均質化のために、料理が「作業」になりがちだったし、俺に卓越した料理の腕前があるとは思えない。
まして文化が異なるこの世界で、仕入れ経路や衛生問題を解決して、飲食店を繁盛させる自信はなかった。
「となると、やっぱりアレだよな……」
俺は今日の出来事を思い出す。原理が不明なため主軸にするのは気が進まないが、いい商売になる可能性は高い。
ただ、今の俺にはあまりにも情報が足りない。明日、もう一度クルネに会って、色々聞いてみよう。場合によっては、詳しい人を紹介してもらうべきかもしれない。
そう結論付けると、俺はベッドの上で目を閉じた。
◆◆◆
「転職屋?」
「ええ、何をするにも先立つものは必要ですからね。このままでは、元の大陸に帰るどころか、数日後には餓死します」
翌朝。早々に宿を訪ねてきたクルネに、俺は腹を割って相談していた。
「それで転職屋なんだ……」
考え込むようなクルネの様子に、俺はふと不安を覚える。能力の原理が不明なことを除けば、そう悪くない案だと思うのだが……。
「何か問題がありそうですか?」
何かこの世界のタブーに触れているのだろうか。尋ねると、クルネは慌てて手を振って否定する。
「違うの。転職って、教会で神秘的な儀式を受けるイメージがあったから、お店っぽく言われると変な感じがしただけで……」
「そうですか……では『秘教の館』みたいな名前にしましょうか」
「……転職屋でいいと思うわ」
クルネは苦笑を浮かべた。呆れられている気がするが、気にしないことにしよう。
「となれば、今度は需要の調査ですね。開業したけどお客さんがいない、では話になりませんし」
「需要の調査?」
「クルネさんの話では、固有職持ちは希少であり、その優れた能力を見込まれて、貴族に好待遇で迎えられたりするんですよね?」
「ええ、そうよ」
「と言うことは、その人の人生が劇的に変わるわけです。……つまり、転職代金については、それなりの金額設定にしても問題はない。教会が莫大な金額を要求しても需要があるくらいですし」
「それは……そうなるわね」
クルネは肯定しながらも、少し口ごもった。その理由に思い至って、俺は笑顔を作る。
「安心してください、クルネさんの転職は対象外です。まだ開業もしていないし、私が契約もせずに勝手に転職させただけですからね」
その言葉を聞いて、クルネは明らかにほっとした表情を浮かべていた。
「……まあ、どうにも上手く行かなくて切羽詰まった時には、助けて頂けると嬉しいですが」
「そうね、いざとなったら私の食事を半分ずつ……足りるかな」
真面目な顔で検討し始めたクルネに微笑ましいものを感じつつ、俺は次の質問に移った。
「となれば、お客さんを多く獲得する必要はないわけです。極端な話、一人を転職させれば、一年は生きていけるような金額設定にしてもいいわけで」
「一年だと……うーん、一万セレルくらい?」
クルネが唸りながら考えてくれる。この世界の物価は知らないが、雑貨屋の娘である彼女が言うからには、そうズレた数字ではないだろう。
「その金額、転職代金としては妥当だと思いますか?」
「転職できるなら、それでも破格の安さだと思うけど……そんなにお金を貯めてる人、辺境にはあんまりいないかも」
むう、そっちの問題があったか。これはローンみたいな支払い方式も検討したほうがいいな。
まあ、一人の転職で一年暮らしていけるだけのお金が得られるなら、その価値は充分あるはずだ。
「となれば、転職できる人が少なくても大丈夫か。……なら、店を構えるのもこの村が妥当かな」
俺は一人呟く。幸い、このルノール村は辺境のほぼ中心にあるらしい。人口が最も多い村で開業するべきかと思ったが、それなら地理的にどこからでもアクセスしやすいこの村でいいだろう。
そんなことを考えていると、クルネが不思議そうに首を傾げた。
「え? 転職って誰でもできるわけじゃないの?」
「そのようです。少なくとも、ボーザムさん夫婦には光が視えませんでした」
俺も驚いたのだが、どうやら転職できる人間は限られているらしい。朝から何人もの通行人を視ていたが、固有職の光が備わっていたのは一人だけだった。
「えーと……光ってなに?」
「ああ、転職できる人は、目を凝らすと体内に光があるんですよ」
その言葉を受けて、クルネは必死でキャロを見つめる。
「見えない……」
クルネは残念そうに肩を落とした。まあ、視えると俺が困るけどね。
「さて……この村で転職屋を営むとすれば、どんな手続きが必要なんですか?」
俺は話題を変えた。ある意味では一番面倒であろう部分だ。だが、クルネは小首を傾げる。
「手続きって?」
「ぱっと思い浮かぶのは開業届や営業許可申請ですが……」
「うーん……もう長い間、新しいお店を開いた人なんていないのよね。みんな、親から引き継いだお店を維持するので精一杯だし」
跡継ぎがいなくて、なくなっちゃったお店はあるけどね、とクルネは寂しそうに付け加えた。
「と言うことは、クルネさんも雑貨屋を引き継ぐんですか?」
「どうかな……うちには兄さんがいるから」
その言葉に俺は首を傾げた。昨晩の様子だと、他に家族が暮らしてる様子はなかったけどな。そんな俺の疑問を察したのか、クルネは言葉を追加する。
「兄さんは武者修行だって、行商人について辺境の外に行っちゃったの。たまに手紙は来るし、そのうち帰るとは書いてあったけど……」
クルネは懐かしむように空を見上げた。追憶を邪魔するわけにもいかず、俺はしばらく黙って彼女を眺める。
やがて、我に返ったクルネは、恥ずかしそうに口を開いた。
「ごめんね、気を使わせちゃったね。……お店の手続きの話だったよね。それじゃ、一緒にフォレノさんのとこに行かない?」
フォレノさんって誰だ。そう口にするより早く、クルネが情報を追加する。
「あ、フォレノさんはこの村の村長だよ。手続きの話を知ってるとしたら、フォレノさんしかいないと思う」
うわ、権力者か……。できればお近づきになりたくない人種だけど、避けて通るわけにはいかない。むしろ、最優先で話を通しておくべきだろう。
俺は重たくなる心を引きずって、フォレノ村長邸へと向かった。
◆◆◆
ルノール村の村長は意外と普通の人だった。恰幅のいい四十歳ほどの男性だが、村長という役職のせいか違和感はない。
「おや、クルネちゃん。どうしたんだい?」
「あのね、こっちのカナメさんが、ルノール村でお店を開きたいんだって」
「ふむ……?」
幾度目かの好奇の視線に晒されつつ、俺はクルネと一緒に経緯を説明した。やがて、彼は困ったように頬をかく。
「なるほど、二人が言いたいことは分かったよ。だが……」
その雰囲気から面倒な予感を感じ取った俺は、思わず身構えた。
「実は、私もよく知らなくてね。その辺りの法律なんかをまとめた本は、たしかに書庫にあるんだが……今まであの本を使うような事態はなかったからね」
そう言うと、気まずさをごまかすように笑い声を上げる。恐らく、大抵のことは慣習でなんとかなっていたのだろう。それは珍しくない話だ。
「ええと……もしよろしければ、その書庫に入らせて頂いても?」
「構わんが……持ち出しは厳禁だよ。それから、一人で入ることは許可できない」
まあ、俺は得体の知れない人間だからなぁ。けどまあ、クルネに協力してもらえばいいだろう。
「分かりました」
こうして、俺の書庫浸り生活が始まったのだった。
◆◆◆
「カナメさん、そっちはどう?」
「ようやく概要が掴めた気がします。やっぱり歴史背景は重要ですね」
「そうなんだ……こっちはさっぱり分からないわ。……ねえ、その本を見せてもらってもいい?」
「構いませんが……どうぞ」
「うわ……なにこれ。カナメさん、よくこんな回りくどい文書を理解できるわね」
俺が村長邸の書庫に入り浸るようになって、早くも三日目になっていた。俺が求めている条文はあらかた見つけたと思うのだが、一応全部目を通しておかなければ、どこで足元をすくわれるか分からない。
だが、それだけの甲斐はあって、この国の法体系はなんとなく理解できた。日本に比べるとかなり大雑把だが、今はそれがありがたい。
法文の中で目を引いたのは、固有職持ちがやけに優遇されていたことだろうか。正直、悪法の類に見えてしまうが……それは、俺がこの世界の人間じゃないからそう思うのだろうか。
ともかく、俺がやるべきことはたった二つだと言うことが分かった。
「住民登録と営業許可申請ですね」
法文を厳密に読むと、無体物を扱うという概念はないようで、営業許可申請が必要とは読めないのだが、念を入れたほうがいいだろう。
「……それだけ?」
「それだけです」
クルネは複雑な表情を浮かべていた。これだけ苦労した割にしょぼい収穫だと思ったのだろう。だが、手続きなんて少ないにこしたことはない。
「営業許可はともかく、問題は住民登録か……」
「別の大陸の出身だもんね……と言うか、ルノール村の住民になるの?」
クルネは目を丸くして驚いていた。だが、俺に選択肢はない。そもそも、俺はこの世界のどこにも居場所がないのだ。
今後どんな展開になるにせよ、素性の知れない人間がこの大陸で不利に扱われることは想像に難くなかった。
「少なくとも、ある程度資金を稼ぐまではこの村にいたいと思っています。……住民登録ができるかどうかは、フォレノさん次第ですね」
「え? そうなの?」
「この辺境の歴史は、開拓民と共にあったようですからね。そのため、入植者を積極的に受け入れる目的で、村長に大きな権限が与えられていたようです」
まあ、その法文は数百年前のものだけどね。だが、今に至るまで訂正されていない以上、有効だと判断するべきだろう。
「フォレノさんってそんなに凄い人だったんだ……」
クルネの呟きは、ちょっと失礼なものだった。……まあ、あっさり書庫の実情を明かしたくらいだし、フォレノさん自身も同感かもしれないが。
「ともかく、フォレノさんにお願いしてみましょうか」
分厚くて埃っぽい本をバタンと閉じると、俺は椅子から立ち上がった。
◆◆◆
書庫へやって来たフォレノさんと、俺は二人で向かい合っていた。クルネに席を外させたことからすると、あまり楽しい話ではないのだろう。
「まさか、あの本を解読するとは驚いたよ。住民登録か……言われてみれば、たしかに父から聞いたことがある」
そう切り出したフォレノさんは、やがて真面目な表情を浮かべた。
「どうやら、君は優秀な人物のようだ。……だが、だからこそ信用できない」
理由はどうあれ、最終的な結論は俺の予想通りだった。突然現れた余所者なんて、普通なら信用しないだろう。
「辺境の住人は回りくどいのが苦手でね。あの法律書を紐解こうとした人間など、もう十年近くいなかった」
あの本、凄い量の埃をかぶってたもんなぁ。それは頷ける。
「にもかかわらず、君はあの法律書を理解し、さらに住民登録を望んでいる。あの法律書を簡単に理解できるだけの教養がありながら、わざわざこの辺境に帰属したがるとは思えん」
「それは、先日も申し上げた通り、私が別の大陸から来たためです」
「悪いが、それを証明するものはない。たしかに君の黒目黒髪は珍しいが、この大陸にもまったくいないわけではない。
しかも、行き来はほぼ不可能と言われている別大陸から人間を召喚するなど、国を挙げての一大事業だ。そこまでして召喚した重要人物を、あっさり追放するとは考えにくい」
どうやら、フォレノさんは別大陸から来た、という設定をまったく信用していないようだった。……まあ、俺が彼の立場なら、同じことを考えるだろうなぁ。
「それなら、私はいったい何を目的として、この地に潜り込もうとしているのでしょうか」
「……こちらが聞きたいくらいだよ。さっきも言った通り、この土地の人間はよく言えば実直、悪く言えば単純だ。役職柄、多少はややこしいことを考えるが、ワシも辺境の人間だ。権謀術数など手に負えん」
「つまり、私がスパイや工作員だと?」
村長は答える代わりに肩をすくめた。さて、どうしたものだろうか。そう悩んでいると、書庫の扉が開かれた。
「フォレノさん、ひどい! カナメさんはそんな人じゃないもの!」
乱入者はクルネだった。
「クルネちゃん、聞こえていたのかい? 書庫の扉は厚いから、まず会話は聞こえないはずなんだが……」
フォレノさんは驚きながら立ち上がった。
「剣士の固有職のおかげで、なんとなく聞こえていたの。それより、カナメさんは悪い人じゃないわ。私を助けてくれたもの」
「それは聞いたが……それだって、わざとお膳立てされたものじゃないと言えるかい? クルネちゃんの窮地を救って、信用を得ようとしていた可能性もある」
「あの灰色熊を意のままに動かすなんて、それこそ魔獣使いにしかできないわ。
それに、あの日私が森へ入ることは、誰にも言ってなかったもの。私を計画に組み込むことはできないはず」
「そうかもしれないが……」
フォレノさんはクルネに同意する。お、ここで畳みかけるべきだろうか。
俺は接客用の笑顔を浮かべて口を開いた。
「フォレノ村長、失礼を承知で申し上げますが……書庫で調べたところでは、この地にはこれと言った産業はありませんし、地理的、軍事的なうまみもありませんよね? わざわざスパイや工作員を送り込む理由がないと思うのですが」
そう伝えると、フォレノさんは苦笑いを浮かべた。さすがに正直に言い過ぎただろうか。
「身も蓋もない話だが、それは事実だと認めよう。しかし、ワシが警戒しているのは、自分の想像が及ばない危険性についてだ」
「これまでの会話から判断するに、フォレノ村長は非常に思慮深い方とお見受けします。その村長の想像が及ばない危険性など、ほぼないと思いますが……」
「……さらっと人を持ち上げる辺り、君は商人に向いていそうだな」
むう、さすがに露骨だったか。ならばもうひと押しだ。
「それに、こう言ってはなんですが、もし私がなんらかの企みを持って辺境に潜入するなら、もっと説得力のある設定を用意します。
魔法実験の失敗などという馬鹿げた理由よりは、マシな設定がいくらでもありますから」
「ううむ……君は本当に口が回るな……」
俺の説明を聞いて、フォレノさんは複雑な表情で溜息をついた。ちょっとぐったりしているような気もする。
やがて、フォレノさんは疲れのにじんだ声で結論を口にした。
「……住民登録については、仮で受け付けておこう。今後の君の動向を見て、正式な住民登録を認めるかどうかを判断する」
「よろしいのですか?」
突然の展開に、俺は思わず目を瞬かせた。問いかけに、フォレノさんは重々しく頷く。
「それから、村への溶け込みを考慮して自警団には参加してもらいたい。クルネちゃんも団員だから、案内してもらうといい」
「フォレノさん、ありがとう!」
「フォレノ村長、ありがとうございます」
クルネの声に一拍遅れて、俺は丁寧に頭を下げた。
「……クルネさん、ありがとうございました。助かりました」
次いで、自然と浮かんだ笑顔のまま、俺はクルネに向き直った。
「わ、私は何もしてないわよ。……ちょっと盗み聞きしちゃったくらいで」
クルネは照れているようだった。彼女の性格的に、こう言ったやり取りは落ち着かないのだろう。
ともかく、俺は晴れて辺境の住民(仮)になったのだった。




