特別顧問・下
【クルシス神殿特別顧問 ミレニア・ノクトフォール】
クローディア王国の王都にあるクルシス本神殿。久しぶりに訪れた神殿を、ミレニアは懐かしさとともに眺めていた。
「あんまり変わっちゃいねえが、懐かしむ分には問題ねえだろ?」
「そうね、貴方も含めてあまり変わっていないわね」
同意すると、ミレニアは小さく笑い声を上げた。
「一児の父親とは思えないほどにね。……そう言えば、バルナーク大司教と父親談義をしているんですって?」
「げ、誰に聞いた……って一つしかねえか。おおかた『ルノールの聖女』経由で聞いたんだろ? ま、隠すことじゃねえけどよ」
顔の傷が特徴的な大男は、ミレニアの記憶通りに豪快に笑った。唯一変わったのは、背負っている巨大な戦棍のサイズだろうか。
クルシス本神殿が誇る最高戦力。重戦士にして、警備部門統括でもあるアルバートは、今もなお上級司祭に留まっていた。
他の街のクルシス神殿の神殿長に推薦されたこともあるが、本人にその気がなく、「これ以上偉くなっちまったら肩がこる」と断っていると聞く。
本神殿の防衛戦力としては、これ以上なく適任でもあるため、プロメト神殿長や副神殿長も無理やり別の神殿へ異動させるつもりはないようだった。
「最近は、貴方を見物に訪れる来殿者もいると聞いたわよ?」
「まるで珍獣の気分だぜ。中には戦棍を触らせてくれ、って言う人間もいる始末だ」
「まるで縁起物のようね……」
二人は笑い声を上げる。久しぶりの再会とは言え、長年一緒に仕事をしていた仲だ。変に気を使わなくても会話が途切れることはなかった。
クルシス神殿のエントランスに足を踏み入れたミレニアは、受付担当の神官たちに視線をやった。だが、いずれも年若い神官や職員であり、ミレニアの知己と呼べる者は見当たらない。
「そう言えば、マイアちゃんが手紙をくれたわね……」
長年、クルシス神殿の受付業務を担っていたマイアも結婚し、退職したと言う。子供が大きくなれば復帰したいと手紙に書いてあったが、それはいつのことになるのだろうか。
「……そうか、ミレニア司祭を知ってる奴は、あの中にはいねえか」
受付の神官たちが、ちらちらとこちらを見ていることに気付いたアルバートは、うっすら苦笑を浮かべた。
ミレニアはクルシス神殿の法服を身にまとい、アルバート上級司祭と肩を並べて歩いているのだ。クルシス神官であることを疑う者はいないだろうが、それだけに好奇心が湧くのだろう。
「お前ら、ちっとは見てないフリをしろよな。ミレニア司祭が気を悪くしてたぜ」
「ちょっと、人をダシにしないでくれるかしら?」
アルバートの冗談か本気か分からない発言に、受付の神官たちが言葉に詰まる。だが、すぐに一人の神官が口を開いた。
「ミレニア司祭って……まさか、あのミレニア司祭ですか?」
「おう、そうだ。元筆頭司祭にして、細工師のミレニア司祭だ」
「お、お会いできて光栄です……!」
アルバートの言葉を受けて、神官たちが熱気に包まれる。半ば引退している自分の名前がこうも売れているとは思わず、ミレニアは戸惑いを覚えた。
「アルバート司祭が美人と談笑しながら入ってくるから、浮気かと思いましたよ」
そう軽口を叩いたのは、いかにもアルバートと気の合いそうな青年だった。元々、クルシス神殿にはクセのある神官が多い傾向にある。彼もその一人なのだろう。
「んなわけあるか」
「ですよね、もし奥さんにバレたら火炎球が飛んできそうですし」
「否定できねえぜ……おっと」
ミレニアが彼らのやり取りを眺めていると、ふとアルバートは姿勢を正した。その視線の先にいる人物を認識したミレニアも、自然と背筋が伸びる。
「ミレニア司祭、久しぶりだね。無理に呼び出してすまなかった」
柔らかな物腰と、それでいて芯の強さを感じさせる眼差し。年齢は五十を過ぎていただろうか。クルシス本神殿で副神殿長を務めるゲオルグ・フォルティスは、滑らかな手つきで聖印を切った。
「ゲオルグ副神殿長、ご無沙汰しておりました」
「副神殿長、ミレニア司祭を迎えに来たんですかい?」
ミレニアが挨拶を返すと、アルバートが口を挟んだ。その言葉を受けて、ゲオルグは首を小さく横に振った。
「それが、急な来客が入ってしまってね。ミレニア司祭、申し訳ないが先に神殿長室で待っていてもらえるかな」
「ええ、もちろんですわ」
「よろしく頼むよ」
そう言い残すと、ゲオルグは応接室のほうへ歩き去る。その後ろ姿に背を向けて、ミレニアは神殿長室へと向かった。
◆◆◆
「引退、ですか……」
「私も高齢と言って差し支えない年齢だからな。諸事情があったとは言え、いささかこの部屋に居座り過ぎたという自覚はある」
プロメト神殿長の言葉は、ミレニアも予想していたものだった。ダール神殿のシグレスタス神殿長が亡くなり、プロメトが神殿派の長老格となってから五年以上が経つ。
神殿派内部のみならず、統督教全体としても重要なポジションに位置しているクルシス神殿でなければ、彼はもっと早く引退していただろう。
「だが、気掛かりな案件はあらかた片付けた。ゲオルグ副神殿長は優秀な人物だ。後は彼に任せるつもりだ。それに……」
プロメトはかすかに笑みを浮かべた。
「カナメ司祭のおかげで、本神殿長の引き継ぎは楽になったからな」
「そうですわね……」
統督教の禁忌とされてきた、千年前の真実。部分的とは言え、カナメがそれを開示したことは、統督教に大きな影響を与えていた。
今でこそ彼の行動を支持する統督教関係者は多いが、当初は他宗派から散々非難されたはずだ。そして、その糾弾を一手に引き受けていたのはプロメト神殿長だった。
「……ミレニア司祭はどこまで聞いている?」
「カナメ君から、すべてを聞きましたわ」
プロメト神殿長の探るような視線を受け流すと、ミレニアはあっさり答える。その質問が千年前の真実であることは明白だ。
そして、人々には未だ明かしていない部分も含めて、ミレニアはそのすべてをカナメから聞いていた。
もしカナメがいなければ、自分は今頃何をしていたのだろうか。このクルシス本神殿の神殿長になっていたのか。いや、その前にベルゼット元副神殿長が神殿長に昇格していた可能性が高いだろうか。
「……そのソファーだよ。カナメ司祭が、転職師だと私に明かしたのは。
能力の証明のために魔法で氷を生み出したことも、その氷塊を重そうに部屋から運び出していたことも覚えている」
プロメト神殿長は、懐かしむように神殿長室を見回した。
「思えば、ベルゼット元副神殿長の一件は、ほんの序章に過ぎなかったのだな。カナメ司祭が転職師であることを明かし、クルシス神殿が昔のように転職業務を再開し……」
「本当に、色々ありましたわね」
ミレニアはしみじみと頷く。カナメがクルシス神殿へ入ってきた時は不在にしていたが、その後、筆頭司祭として現場の指揮を執っていたミレニアとしても、怒涛の数年間であったことは間違いない。
「結局、カナメ司祭はどういった存在なのだろうな……転職能力のことを明かされた時には、クルシス神の御使いかと真剣に考えたものだよ」
千年の昔、クルシス神殿が転職業務を行っていたことを知っているのは、本神殿の神殿長や教会の大司教レベルのみだ。他宗派に相談するわけにもいかず、誰とも共有できない悩みだったのだろう。
今思えば、あの神殿長会議の終わりに、風神殿の神殿長が語っていたのはこのことだったのだと分かる。
「クルシス神の御使いにしては、あまりにも現実的な性格ですわね」
ミレニアの言葉に、プロメト神殿長は小さく笑った。
「だからこそ、当時の辺境で神殿を運営していくことができたのだろう。結果としてみれば、それも運命だったのかもしれぬ。
……ともあれ、カナメ司祭が私たちの前に現れ、今は共にクルシス神殿を支えている。それだけで充分かもしれんな」
「そうですわね。ああ見えて、カナメ君は義理堅いですから。クルシス神殿を裏切るようなことはありませんわ」
意味ありげなミレニアの発言に、プロメトは苦笑を浮かべた。
「私を相手に前哨戦をしても、体力の浪費だろう」
「ええ、存じていますわ。今回の件で言えば、プロメト神殿長は味方だと思っていますもの。神殿長が今まで引退を踏みとどまっていた理由は、このことがあったからでしょう?」
そして、それはプロメト神殿長だけではない。上級司祭のアルバートが、ずっと本神殿に残っている理由の何割かもそこにあるはずだった。
「――カナメ君を辺境から引き離す。クルシス神殿の特別顧問として、その提案には賛成できませんわ」
◆◆◆
クルシス本神殿の神殿長室は、緊迫した空気に包まれていた。ゲオルグ副神殿長が神殿長室を訪れ、口火を切ったのは先程のことだった。
「――なるほど、ミレニア司祭は反対ですか」
「ご期待に沿えず申し訳ありませんわ」
柔和な表情を崩さないゲオルグ副神殿長に対して、ミレニアも涼しい顔で応じる。
「辺境のクルシス神殿の特殊性は、ゲオルグ副神殿長もよくご存じのはずです。あの街からカナメ司祭を引き離してしまうと、せっかく発展している辺境に水を差すことになりかねませんもの」
「そのこと自体が問題ではありませんか? 統督教の神官が、辺境の発展を左右しかねない権力を持っている。いささか政治に関与し過ぎているように思えますが」
クルシス本神殿の幹部に登用されるだけあって、ゲオルグ副神殿長の弁舌は穏やかながらも鋭い。だが、それはミレニアも同じことだ。
「それは、彼がルノール評議会と提携して、様々な事業を行っていることかしら? 辺境の人々のためになる事業であれば、協賛という形で力を合わせることは間違っていないと思いますわ」
「たしかに、ミレニア司祭が仰るような側面もあるでしょう。また、最終的には他の七大神殿も取りまとめ、神殿派全体で参加しているケースも少なくありませんからね。
それらの事案については、他の神殿派も認めている以上、過度の政治的干渉ではないと突っぱねることも容易でしょうね」
「ええ、その通りです」
それは、ミレニアが追加で口にしようとしていた事柄だった。彼女が素直に頷くと、ゲオルグ副神殿長は苦笑を浮かべた。
「カナメ司祭とお会いした時に、そう言われたのですよ。……まるで、そう追及されることが分かっていたかのようにね」
「過度の政治的干渉をしないよう、カナメ司祭は気を使っていましたもの」
そう答えると、ゲオルグは静かに首を横に振った。
「政治的干渉をしないように、ではなく、政治的干渉をしても文句がつけられないように気を使っていたのでしょう? ええ、彼が有能なことは認めましょう。……それも、危険なくらいに」
「同胞が有能であることに、何か問題がありますの?」
それは、ミレニアの心からの疑問だった。カナメと出世争いをするような人間であれば、自らの出世の障害と考えることもできるだろう。
だが、いくら功績があるとは言え、カナメのクルシス神官としての経験は十年程度しかない。ゲオルグ副神殿長の立場を脅かすものではないし、クルシス神殿全体としてみれば、彼の存在はどう見積もってもプラスだ。
「方向性によるでしょう。ミレニア司祭は、ベルゼット元副神殿長のことを覚えておいでかと思いますが」
「それは……」
ミレニアは一瞬言葉に詰まった。反論できなかったからではなく、ゲオルグ副神殿長の懸念が分かったためだ。
「ゲオルグ副神殿長が懸念していらっしゃるのは、辺境における政治的過干渉ではなく、カナメ司祭自身の危険性ということでしょうか?」
「身も蓋もないことを言えば、そういうことです。そして、この懸念は私だけではなく、カナメ司祭を知らない多くのクルシス神官に共通の認識だと理解して頂きたいのです」
意外なほどあっさりと、ゲオルグは指摘に頷いた。
「カナメ司祭は辺境において強固な地盤を築いていますし、その影響力は下手な評議員を凌駕しているとも聞きます」
「それは認めますわ」
ミレニアは大人しく頷く。発展の表裏とでも言うべきか、ルノールの街や辺境では、様々な事件が発生していた。
そして、評議会の対応が間に合わないところで、人々の救済を名目にして、カナメが介入した事案は珍しくない。
「このままでは、セイヴェルンのクルシス神殿のように、辺境のクルシス神殿が独立性を持つ可能性があります。まして、カナメ司祭はセイヴェルンのクロシア一族と親交が深い。この二者が手を組んで、クルシス神殿を分裂させる可能性は否定できません。
それならば、繋がりの薄いクルシス神殿へ異動させて、彼の影響力が増大することを阻止するべきでしょう」
それに、とゲオルグは言葉を続ける。
「先程例に挙げたベルゼット元副神殿長ですが、今は辺境にいるようですね。ルノールの街ではなく、古代遺跡を根城としているようですが、これは彼のコネによるものではありませんか?」
「古代遺跡はルノール評議会にとって重要な施設ですもの。そして、その核となるのは古代クルシス神殿。
元クルシス神官であり、魔法剣士としてのキャリアも長いベルゼット元副神殿長が警備担当として雇用されるのは理に適っています。さすがのカナメ司祭も、政治的干渉になるからと評議会の決定に口を出せなかったようですわね」
「む……」
本当はベルゼットの雇用に反対だったが、政治的干渉になるため断念した。そう言われてしまえば、政治的過干渉を盾にしていたゲオルグは黙るしかなかった。
ゲオルグの推測通り、ベルゼットが遺跡都市の警備に当たっているのは、カナメが暗躍した部分が大きい。
殺されかけた相手によくもまあ、とミレニアは呆れたものだが、当の被害者であるカナメが気にしないと言うのであれば、彼女が文句をつけることもない。
久しぶりに再会したベルゼットは少し痩せていたが、その表情は随分とさっぱりしたものになっていて驚いたものだ。
「どうやら、ミレニア司祭はカナメ司祭にだいぶ肩入れなさっているようですね。アルバート司祭も彼と仲がいいようですし」
「彼は優秀なクルシス神官ですもの。肩入れしたくなるのは当然ではありませんこと?」
「問題はそこではありません。カナメ司祭の人間性でしょう」
ゲオルグ副神殿長は一歩も引かなかった。クルシス神殿の今後を見据えて、純粋に憂いているのだろう。それが分かるだけに、ミレニアが憤りを覚えることはなかった。
「それこそ、いらぬ心配だと思いますわ。たしかに彼には底知れない部分がありますけれど、それは権力欲とはまったく関係ない部分ですもの。それに……」
だが、ちくりと一刺しするくらいはいいだろう。ミレニアは僅かに口角を上げた。
「それに?」
「転職の神子として名前が売れているだけでなく、未開の地とさえ呼ばれていた辺境で神殿を運営していた実績や、『名もなき神』の教団との戦いで果たした役割。そして、教会派を含む他宗派とのコネクション。
すでに、彼はクルシス本神殿の神殿長になるだけの功績を上げています。俗っぽい表現で恐縮ですけれど、放っておいてもクルシス本神殿長の座が転がり込んでくる人間が、わざわざクルシス神殿を分裂させたがるとお思いですの?」
「……」
沈黙したゲオルグ副神殿長に対して、ミレニアはもう一言付け加える。
「彼はクルシス神殿がなくても生きていける類の人物です。下手に締め付けようとすると、あっさり立場を捨てるかもしれませんわ」
それはちょっとした脅しだが、カナメならやりかねないと言う思いもある。プロメト神殿長やアルバート司祭に対する思い入れはあるだろうが、彼はクルシス神殿という組織そのものに忠誠心があるわけではない。
まして、辺境には彼と苦楽を共にした仲間が大勢いる。彼らを捨ててクルシス神殿に従う姿が、ミレニアにはどうしても想像できなかった。
「む……」
ゲオルグ副神殿長も同じ結論に達したのか、小さく呻き声を発した。プロメト神殿長が後任にと見込んでいるほどの人物だ。クルシス神殿にとって、それがどれほどの痛手であるかは容易に想像がつくのだろう。
彼の穏やかな容貌に苦笑が浮かんだ。
「……プロメト神殿長はもちろんのことですが、ミレニア司祭もアルバート司祭も、クルシス神殿の幹部の名に恥じぬ見識をお持ちです。であるからには、彼も相応の人物なのでしょう。
個人的には、それほどに皆さんの信頼を得ている人物はかえって胡散臭いと思ってしまいますが……」
その言葉を耳にしたミレニアは、ぽつりと呟く。
「ゲオルグ副神殿長の今の言葉……カナメ司祭も口にしそうですわね」
「たしかにな。そして、私がゲオルグ副神殿長の立場であっても、同じように疑いから入ったことだろう」
ミレニアの言葉に続けて、今まで沈黙していたプロメトが口を開いた。
「ゲオルグ副神殿長。カナメ司祭の特殊な立ち位置については、私も多々考えたものだ。
だが、組織として、彼を便利使いしてしまったとの負い目もある。未来を見据えぬのであれば、ルノールの神殿を独立させることを視野に入れてもいいくらいだ」
「独立、ですか。それはつまり、セイヴェルンと同じ扱いにしようと?」
その言葉に、ゲオルグは目を細めた。
「あの神殿は他のクルシス神殿と一線を画している。人事運用についても、例外を設ける必要はあるだろう。
転職師の能力は、他の固有職と同じく、先達の指導を受けて修練しなければ上手く扱えないそうだからな。あの神殿に集める必要がある」
現在、ルノールのクルシス神殿にはファーニャ、イセルという二人の転職師がいるが、カナメのように軽々と転職能力を扱えるほうが特殊であり、通常は数人を転職させるだけで疲労困憊するということが判明していた。
二人が開花前の固有職資質を判定したり、上級職へ転職させる域に達するのはまだ先の話だろう。
まして、開花前の資質を無理やり固有職として発現させる『聖戦』などは、千年前に最も優れた転職師であったクルシスの巫女ですら不可能だったことが判明している。
そのため、一ヵ所で集中的に転職師を養成する必要性が生じていた。
「無論、ただの転職師を育てるつもりはない。当初は他のクルシス神官と分け隔てなく扱い、本人が希望するのであれば、ルノールのクルシス神殿へ転属させ、そこで転職師に転職させる」
発表された構想に驚きながらも、ミレニアは口を開く。
「完全に独立させるわけではなく、転職師を希望する神官が、最終的に行き着く形になりますの?」
「転職師でなくとも、ルノールのクルシス神殿で務めに励みたければ、異動を希望すればよい。ただし、最終的な人事はルノールの神殿長に任せる」
二人の会話を聞いていたゲオルグは、しばらく考え込んだ。
「そのお考えは理解できますが……そうですね、十年先、二十年先はそれでも大丈夫だとしましょう。
ですが、五十年後はどうですか? カナメ司祭とて定齢の身。いつかは神殿長位を退くでしょう。その時、彼の子たちが神殿を我が物にする懸念があります」
ゲオルグの言葉には説得力があった。だが、プロメト神殿長は静かに首を横に振る。
「それは、カナメ司祭が神殿長位を世襲にした場合の話だ。だが、彼は世襲というシステムに懐疑的だ。積極的に子を指名するとは思っておらぬ」
「……そうですか」
ゲオルグ副神殿長は微かに苦笑を浮かべた。彼の実家フォルティス家は、クルシス神殿長を多数輩出してきた名家だ。それだけに無反応ではいられなかったのだろう。
「とは言え、ゲオルグ副神殿長の言い分はもっともだ。今後の憂いを招くような特別扱いをするわけにはいかぬ。
そこで、カナメ司祭のみをルノールの神殿長として固定し、次代の神殿長については、我々クルシス本神殿と協議を行い決定する、という形を考えている。
……もっとも、カナメ司祭が本神殿や他の神殿で務めに励みたいと言うのであれば、それを妨げるものではないがな」
「ふふっ、あまり想像できませんわね」
プロメトの言葉に、ミレニアは正直な感想を述べた。彼はずっと辺境の発展に注力しているし、そもそも、神殿長位を「面倒くさい」と一蹴したがる人物だ。本神殿長位にこだわることはないだろう。
「カナメ司祭は、クルシス神殿のみならず、統督教全体において重要で特異な存在だ。危険人物であれば対処もするが、彼の行動はクルシス神殿としても益になっている。
であれば、鞭よりは飴を以て対応するほうが、お互いに有益ではないかな」
そう言葉を結ぶと、プロメトは無言でゲオルグに視線を向ける。神殿長会議でたまに見せる威圧感のある視線でもなければ、迫力を伴ったものでもない。ただ、純粋に相手を説得しようという意思だけが見て取れた。
長時間にわたる沈黙の後、ゲオルグは小さく頷く。それは、覚悟を決めた人間の顔だった。
「……分かりました。私が本神殿長になったとしても、彼を無理に辺境から引き離すことはしないとお約束しましょう」
それは、ゲオルグの心だけの問題ではない。カナメを危険視し、排斥しようという勢力は、統督教内は言うに及ばず、クルシス神殿の中にも存在する。その勢力との対決姿勢についても、彼は引き継ぐ覚悟を固めたのだ。
「ゲオルグ副神殿長、感謝する」
珍しいことに、プロメト神殿長は明らかにほっとした表情を浮かべていた。それほどまでに、今回の議題を重要視していたのだろう。
「何をおっしゃいます。クルシス本神殿の副神殿長として、最善の判断を行っただけです」
二人の言葉をきっかけに、神殿長室の空気が弛緩する。そんな中で、ゲオルグ副神殿長はぽつりと呟く。
「願わくば、もう一度カナメ司祭と話をしたいものですね。今度は、もう少し胸襟を開いて話をしてくれると嬉しいのですが」
その言葉を聞いて、ミレニアは反射的に口を開いた。
「それなら、今度はゲオルグ副神殿長が辺境へいらっしゃいませんこと? 神殿のみならず、辺境の街や人々に触れることで、彼の人となりが分かるかもしれませんわ」
それに、わざわざ王都から副神殿長が訪ねてきたとなれば、カナメも無碍にはしないだろう。王都に呼びつけられるよりは、心を開く可能性があった。
「そうですね、是非ともお願いしたいところです。問題は移動時間ですね……」
「巨大怪鳥便なら数日で着きますわ。幸い、マデール商会とは懇意にしていますから、なんとか手配できると思います」
「マデール商会というと、カナメ司祭と親交が深い評議員が代表を務めて――」
そう言いかけてから、ゲオルグ司祭はふっと頭を横に振った。そして、わずかに強張った顔を揉みほぐす。
「……いけませんね、私のほうから壁を作ってしまうところでした。ミレニア司祭、後程予定を調整しますので、巨大怪鳥便の手配をお願いできますか?」
「ええ、もちろんですわ」
ゲオルグの言葉に、ミレニアは微笑みとともに頷いた。
◆◆◆
二月後。クルシス神殿の公式発表により、クルシス本神殿長の代替わりとともに、転職の神子がルノールのクルシス神殿における永世神殿長となることが明かされた。
将来、転職の神子がクルシス神殿の本神殿長になることを予想していた統督教関係者は多く、この発表は彼らを大いに驚かせたが、当の神子はその報を受けて上機嫌だったという。
その後、『転職の神殿』の影響力は上昇の一途を辿り、神殿長は七大神殿の神殿長会議や統督教会議にも出席するようになるのだが……それはまだ、先の話。




