特別顧問・上
エピローグから七、八年後の話です。
【クルシス神殿特別顧問 ミレニア・ノクトフォール】
「――それでは、よいお返事をお待ちしております」
初老の男性は優雅な仕草で一礼すると、表通りで待っている馬車へと乗り込んだ。
やがて馬車が角を曲がり、姿を消したことを確認すると、彼女――ミレニア・ノクトフォールは自分の工房へ戻った。
ノクトフォール工房。その工房主であるミレニアが細工師の固有職持ちであることを知っている者は多い。
だが、彼女が高位のクルシス神官であり、『転職の神殿』とも呼ばれつつあるクルシス神殿の特別顧問であることを知る者は意外と少なかった。
ミレニアは展示・販売用のフロアを通り抜けると、工房に繋がる扉に手をかける。すると、背中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ミレニア司祭、お邪魔しています」
「あら、セレーネさん。工房で待っていても構わなかったのに」
振り返ると、ミレニアは後輩に笑顔を向けた。彼女はクルシス神殿の助祭であり、ルノールの街にクルシス神殿が建立された時からいる神官だ。
当初はミレニアとセレーネしか女性神官がいなかったこともあり、二人の仲は良好だった。
「ミレニアさん、こんにちは」
続いて、ミレニアの死角から声がかけられる。そこには、セレーネと同じクルシス神殿の法服を身に着けた女性神官が立っていた。
「あら、ファーニャちゃんもいたのね。いらっしゃい」
ミレニアは笑顔を浮かべた。知り合った頃は十歳前後だった彼女も、もう二十歳になる。童顔のせいか、法服がどこか背伸びしている印象を与えるが、クルシス神殿で彼女を侮る人間はいない。
なぜなら、彼女こそ『転職の神子』に次ぐ二人目の転職師だからだ。
当初は固有職資質を視ることさえ苦労していた彼女だが、今では立派に転職の儀式を執り行うことができる。
近年のカナメが神殿を空けることができるのは、彼女の存在によるところが多かった。
ミレニアは工房への扉を開くと、二人を中に招き入れた。彼女たちも慣れたもので、迷いなく手前にあるソファーへ向かう。
「ミレニアさん、神殿長がひどいんです……!」
三人の中で、最初に口を開いたのはファーニャだった。
「ここ最近、神殿長がずっとイセル君に付きっきりで、私の修業に全然付き合ってくれないんです」
「そうなのね……イセル君はこの街に来たばかりだから、色々と世話を焼いているんじゃないかしら?」
「それはそうなんですけど……せっかく、開花前の資質を視る練習を始めたのに」
ファーニャは口を尖らせる。イセルとは、数日前にルノールの街へやって来た新しい転職師の少年のことだ。
大陸北部にあるクルシス神殿の侍祭だったらしいが、大陸中のクルシス神殿を巡って、神官の固有職資質チェックをしていたカナメが資質を見つけ、連れて帰ってきたのだ。
「初日から大変だったのでしょう? 転職能力を使おうとして、突然倒れたって……」
「資質を視るのが面白かったみたいで、やりすぎて限界を超えちゃったんです。……私も同じことをやったから、何も言えませんけど」
ファーニャは少し恥ずかしそうに答えた。
「ファーニャちゃんは悪くないわ。あの時はカナメ君も気付いていなかったのだから」
固有職資質を視る。転職師にとって基礎とも言える行為だが、それには相応の消耗が伴う。
だが、カナメは消耗を感じないらしく、ファーニャが面白がって人々を視るのを止めなかった結果、彼女は激しい疲労感に襲われ、動けなくなってしまったのだ。
「神殿長も、今回は止めようとしていたんです。けど、イセル君が興味を抑えきれなかったみたいで……」
ファーニャはしょんぼりしているが、カナメは意図的に強く制止しなかったのだろう。能力を使い過ぎればどうなるか、身をもって体験させたのだと、ミレニアは予想していた。
「まあ、しばらくは仕方ないかしらね……ファーニャちゃんだって、最初はカナメ君に付きっきりで色々教わったでしょう? むしろ、今のファーニャちゃんは教える側なのよ」
「わ、私がですか!?」
考えたことがなかったのか、ファーニャは目を丸くして驚いていた。だが、現在確認されている転職師はカナメと彼女の二人だけだ。
「イセル君にとって、貴女は世界に二人しかいない転職師の先輩なのよ。今までは教える相手がいなかったけれど、これからクルシス神殿にやって来る転職師は、みんなファーニャちゃんの後輩だもの」
「私が、先輩……?」
驚きに染まっていたファーニャの表情は、照れくさそうな笑顔へ変わっていく。いつしか、彼女はぐっと拳を握りしめていた。
「ミレニアさん、私がんばります!」
「ファーニャちゃんにしかできないことだもの。応援しているわよ」
「は、はい……!」
そうして、決意の炎を目に宿しているファーニャに対して、今度はセレーネが問いかける。
「――ところで、ファーニャちゃん。そろそろカナメ君が神殿を空ける時刻だけれど、時間は大丈夫かしら?」
「あ! ……すみません、すぐ戻ります!」
ファーニャは弾かれたように立ち上がった。販売フロアへ繋がる扉へ駆け寄ると、ミレニアのほうを向いてぺこりと頭を下げる。
「ミレニアさん、ありがとうございました」
「また、いつでも来てちょうだいね。……あ、護衛の手配は大丈夫かしら?」
「はい、販売フロアで待ってくれているはずです」
言いながら扉を押し開ける。彼女の言葉に違わず、扉が開くとほぼ同時に、青年が扉の前に姿を現した。ミレニアの記憶が正しければ、妖盗の固有職持ちのはずだ。
「それじゃ、キャロちゃんによろしくね」
「もちろんです!」
元気な声を残して、ファーニャは扉を閉める。後に残されたミレニアとセレーネは、顔を見合わせて小さく笑った。
「転職師でもないのに、出しゃばり過ぎたかしら?」
「そんなことはありませんわ。カナメ君とオーギュスト副神殿長以外は、どうしても彼女に遠慮してしまいますもの。けれど、それじゃあの子のためになりませんから」
「そして、セレーネさんもでしょう? ファーニャちゃんは、貴女に怒られたってたまに落ち込んでいるわよ」
「転職関係以外については、私が指導教官ですもの」
二人は再び笑った。そして、そのにこやかな表情のまま、セレーネはさらりと重要事項を口にした。
「それにしても……さすがはアールグ王国の伯爵様、とても上等な馬車でしたわ」
「そこまで分かるのね……」
半刻前に見送った人物の素性を言い当てられて、ミレニアは素直に感心した。
「アールグ王国は大きい国ではありませんけれど、あの伯爵家は国の中枢を支える名家ですもの。家紋くらいは存じていますわ」
セレーネがクローディア王国の元伯爵令嬢であることを知っているのは、ごく限られた人間だけだ。
だが、それで彼女の見識が狭まるわけではない。今回のように、貴族社会に関係する事柄では、セレーネはクルシス神殿の誰よりも教養が豊かだった。
「私をアールグ王国の宮廷細工師に迎えたいそうよ」
そんな彼女が相手だからこそ、ミレニアはあっさりと訪問の理由を明かした。その言葉にセレーネは首を傾げる。
「宮廷細工師? あの国にそんな役職があったかしら……?」
「私のために、特別に作ってくれるらしいわ」
魔道具を作製できる細工師は、『村人』でしかない兵士たちの戦闘力を引き上げることができるし、生活の質の向上にも大いに役立つ。そこを評価しての招聘なのだろう。
セレーネは唇に指を当てて少し考え込んだ。
「ミレニア司祭はこの工房と引き換えに、辺境に留まる契約をしていた記憶があるのですけれど……」
「ええ。ただし、あくまで十年契約よ。あと数年で形の上では自由になるわ」
そう口にした後、ミレニアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……なんてね。お誘いは嬉しいけれど、受けるつもりはないわ。お抱えになると、作りたいものだけ作っていればいいわけじゃないもの。
それに、ルノールの街を離れると、シュルト大森林で得られる希少な素材が手に入れ辛くなってしまうものね」
「それを伺ってほっとしました。もし本気でこの街を離れるつもりだったら、カナメ君に言いつけるところでしたわ」
「あら、カナメ君は私を引き留めてくれるかしら?」
「たぶん、キャロちゃんをけしかけると思います」
「……空間転移の魔道具を完成させるまで、この街から離れないわ」
二人で軽く笑った後、セレーネは本題を切り出した。
「ところで、今日こちらへ伺った理由ですけど、実は神官の人事運用のことで疑問が……」
その言葉にミレニアは気を引き締めた。ここ最近、クルシス本神殿の動きが妙だ。そう言っていたカナメの言葉を思い出す。
セレーネは政治的な視野を持つ数少ない神官だ。彼が相談したのだろう、とミレニアはあたりを付けた。
「本神殿の動きが気になるのよね? あくまで私がいた頃の話になるけれど、本神殿の基本的な考え方は――」
クルシス本神殿で筆頭司祭を勤めていたミレニアの知識は広汎にわたる。彼女たちの話が終わるまでには、二刻ほど時間が必要だった。
◆◆◆
「ありがとうございました。ミレニア司祭のおかげで、方向性が掴めそうです」
セレーネがそう口にしたことで、ミレニアは今回の説明を終えた。少し詰め込みすぎたかと心配したが、セレーネが無理をしている様子はない。
「それならよかったわ。……ところで、セレーネさん。この後時間は空いているかしら?」
「ええ、特に予定はありませんけれど……?」
不思議そうな表情のセレーネの前に、ミレニアは一つの小箱を置いた。
「ぜひ、貴女に試着してほしい品物があるのよ」
「そういうことでしたら、喜んで。……てっきり、追加でお勉強かと思いましたわ」
セレーネは笑顔で応じると、慣れた様子で小箱を開けた。それもそのはず、ミレニアが彼女に試着を依頼したことは一度や二度ではない。
セレーネは気品と妖艶さが同居している類稀な人物であり、人口が爆発的に増えた今でも彼女のようなタイプは珍しい。
そのため、ミレニアが作る細工物の方向性によっては、彼女こそが試着に最も相応しい人物となることは珍しくなかった。
「あら? 眼鏡は初めてね……」
セレーネは興味津々といった様子で、洒落たデザインの眼鏡を顔にかけた。セレーネはミレニアのように目が悪いわけではないため、その用途は装飾品と同様だ。
新作の眼鏡はセレーネの持つ空気とよく合っており、ミレニアの期待通りの雰囲気を醸し出していた。自信作の出来栄えを見て、ミレニアの口角が上がる。
「ところで、この眼鏡も魔道具ですか?」
達成感に浸っていたミレニアは、セレーネの言葉ではっと我に返った。
「その眼鏡には『魅了』の効果を付与しているのよ。普段は着用者の魅力を増す効果のみだけれど、その気になれば軽い洗脳も可能かしらね」
「魅了……ですか?」
セレーネは目を瞬かせた。デザイン重視とはいえ、実用性にも配慮しているミレニアが、魅了というややこしい効果を付与したことに驚いたのだろう。
「そのレンズ、わずかに色がついているでしょう? シュルト大森林の奥地で採れた結晶を使ってみたの。当初は別の付与効果を考えていたけれど、素材の特性に引っ張られて上手く行かなかったのよね」
どうしてもこの色を使いたかったから、というミレニアの言葉にセレーネは納得した様子だった。そして、ふと気付いたように口を開く。
「その結晶って、砕いて粉末にすると……?」
「薬師が扱えば、媚薬になる可能性は高いわ。……揉める気しかしないから、このことは秘密よ?」
「ええ、もちろんですわ」
セレーネは即座に頷く。不老不死の薬と同じく、強力な媚薬を求める人間は多い。ろくなことが起きないのは明らかだった。
「せっかく素敵なデザインなのに、付与効果のことを考えると落ち着きませんわ」
「だからこそ、助祭に似合うデザインにしてみたのよ。信頼もしているし、そもそも貴女は魅了効果に興味はないでしょう?」
「ええ、魔法効果で相手を虜にしても空しいだけですもの」
あっさり肯定するセレーネの態度は、人によってはやっかみを受けるものだ。だが、ミレニアは小さく笑い声を漏らした。
「逆に、セレーネさんを『魅了』したい男性は多いかもしれないわね。……数日前も大変だったと聞いたわよ?」
ミレニアが聞いた話では、彼女は執務中に、男性から公衆の面前で想いを伝えられていた。だが、セレーネは一切動じることなく、謎めいた笑みで受け流したと言う。
そして、この話の恐ろしいところは、同様の事案が数月に一度は発生していることだ。
「仕事中は遠慮してほしいところですわ。……もちろん、意中の男性なら別ですけれど」
「あら、意中の男性がいるの?」
ミレニアはからかうように口を開いた。ミレニア自身は細工物に情熱を注いでいる身だが、その手の話に興味がないわけではない。人並みには好奇心を持っていた。
「さあ、どうでしょう? ミレニア司祭もご存知の通り、私は面倒な出自ですもの。もし私に夫や子ができたとしたら、ややこしい問題に巻き込まれてしまいます」
「フォンベルト伯爵家は領地持ちの貴族だものね……」
ミレニアは思わず呟く。縁を切られたとは言え、セレーネの実家はクローディア王国の中堅貴族であり、領地も広い部類に入るだろう。
だからこそ、フォンベルト伯爵家の直系の血筋であるセレーネの子供は、継承問題の火種になる可能性が高かった。
「この街にいる限りは、それなりに安全だとは思うけれど……」
自治都市ルノールにおいて、クルシス神殿の地位は非常に高い。統治機構であるルノール評議会と正面衝突することができる組織は、それこそクルシス神殿くらいだろう。
それくらいの影響力は持っているし、その評議会との仲も非常に良好だ。王国の中堅貴族が手を出すには荷が重いはずだ。
「貴族にとって、血縁はとても重要ですもの。特に、父や兄に代わって爵位を継ぎたい人間にとっては、なんとしてでも利用、もしくは亡き者にしたいところでしょうね」
そう語るセレーネに、憤りや不安と言った感情は見られなかった。ただ、淡々と事実を説明している様子が、逆にミレニアの不安を煽る。
「そう言われると、貴女が攫われないか心配になってきたわ」
ミレニアの心配をよそに、セレーネは首を横に振った。
「私自身はクルシス神官ですもの。クルシス神殿に手を出す危険性については、プロメト神殿長やカナメ君が宣伝してくれましたから」
「ああ……王国‐帝国間戦争の時ね。あの時の報復行動は大規模だったもの」
ミレニアは筆頭司祭を務めていた頃を思い出す。「やるなら徹底的に」というプロメト神殿長の指揮の下、少なくない貴族たちが失脚や代替わりをしたものだ。
「ただ、私自身はともかく、もし子供が攫われたような場合は、統督教もクルシス神殿も動きにくいでしょう?」
「たしかに、統督教全体として動くことはないでしょうね。特にセレーネさんの場合は、貴族の継承問題ということで、政治的な部分にも繋がってくるから……」
本神殿で経験を積んできたミレニアは、セレーネの言葉が正しいことを認めた。少なくとも、統督教やクルシス本神殿では動きにくいだろう。
「けれど、カナメ君なら放っておかないと思うわよ?」
統督教では『何を考えているのか読めない要注意人物』として有名なカナメだが、それは営業用の笑顔の防御力が高いだけだ。長年近くにいれば、意外と情に厚いことが分かる。
学友であり、同期であり、そして、神殿建立時から苦楽を共にしてきた部下でもあるセレーネのトラブルに手を貸さないとは思えなかった。
「実を言えば、そこに期待している部分はありますわ。カナメ君が動くと、辺境の上級職が軒並み敵対する可能性もありますし、抑止力としてはこれ以上ないくらいです」
だから、とセレーネは言葉を続ける。
「うちの神殿長様には、いなくなられると困るんです」
「ああ、それで……」
無論それだけではないだろうが、彼女が本神殿の人事運用を熱心に学んでいた理由はそこにもあったのだろう。そこで、ミレニアは非公式の情報を口にした。
「……実は、近々クルシス神殿へ行くことになっているのよ。セレーネさんも気にしている件で、ね」




