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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
外伝・後日譚
139/176

ルノール魔法研究所・上

エピローグの二年くらい後の話です。

【ルノール魔法研究所研究員 フォルス・レイエン】



 

 魔法研究所。国や有力な自治都市には必ずと言っていいほど存在している機関であり、その歴史は古い。

 かつては、ほとんどの魔法研究所が『村人』のみで構成されていたものだが、今では当然のように魔法職の固有職ジョブ持ちが在籍しており、研究所によっては、固有職ジョブ持ちの研究者が複数存在することも珍しくない。


 中でも、所長自らが上級魔法職賢者(セイジ)固有職ジョブ持ちであり、また高名な魔法研究者でもあるルノール魔法研究所はその傾向が顕著であり、固有職ジョブ持ちの研究員だけでも四名が在籍している。


 そんな研究所の一室では、栗色の髪の青年が慎重な手つきで盃を手に取り、意を決したように毒々しい色合いの液体を飲み干したところだった。


「よし、特に異常はないな……これで危険度Bまでの毒性は無効化できた。となると、後は他人を対象にした時の効果か」


 彼は飲み干した七つの盃に目をやる。それぞれ種類は違うものの、かなり危険な毒薬だ。しかし、彼が編み出そうとしている毒抵抗の魔法は、期待通りの成果を発揮しているようだった。


 機材を軽く片付けると、彼は上機嫌な様子で研究室の扉を開ける。廊下のひんやりとした空気が心地よい。


「――あら? フォルスさん、実験をしていたの?」


「え?」


 声をかけてきた女性の姿を見て、青年――フォルスは固まった。


「あ、ミルティ所長……」


 彼女はフォルスの上司であり、彼が尊敬する研究者でもある。顔を合わせて困るようなことはない。……そう、今でなければ。


「たしか、フォルスさんは毒抵抗の実験をする予定だったわね? けれど、治癒師ヒーラーさんの都合がつかなくなったと聞いたような……」


 柔らかそうな青髪を揺らして、彼女は研究室を覗き込む。そして、小さく溜息をついた。


治癒師ヒーラー抜きで実験をしたのね……」


「その、今度の調査隊の出発までに完成させたかったし、今回は大丈夫だと確信していたものですから……」


「駄目よ。もし毒が効果を発揮したらどうするつもりだったの?」


「万が一に備えて、解毒剤は用意していました」


「解毒剤があっても、フォルスさんが服用できない状態に陥っていては意味がないでしょう? それに、数種の毒をまとめて摂取した場合は、混ざり合って新しい毒性を発揮することもあるわ」


 ミルティは真剣な表情で詰め寄ってくる。彼女の言うことは正論だし、本心から心配してくれていることも分かっている。となれば、フォルスにできることは真摯に反省することだけだった。


「すみません……気を付けます」


「どうしてもと言うのなら、せめて私に相談してね。解毒魔法なら私でも使えるから」


「そんな、ミルティ所長の手を煩わせるわけには……」


「大切な研究員が人知れず研究室で倒れているかもしれないなんて、そんな想像をしてしまうほうが辛いもの」


「う……」


 そこまで言われては何も言い返せない。ここで意地を張っても余計な心配をかけるだけだろう。それはフォルスの望むところではなかった。


「ありがとうございます、次はご相談させてください」


 フォルスの答えを聞いて、彼女はふわりと柔らかな笑顔を見せた。その表情に高鳴る心臓を捩じ伏せて、彼は真面目な表情を作る。


「それでは、失礼します」


「ええ、無理をしない程度に頑張ってね」


 最後にそう告げると、ミルティは所長室のほうへ歩き去る。手に持っていた資料からすると、彼女も何かの実験を行っていたのだろう。

 いつか、自分が実験の役に立てる日は来るだろうか。そんなことを考えながら、フォルスは彼女の姿を見送っていた。




 ◆◆◆




「相変わらず、フォルス君は一途ですねぇ」


「アルジオ先輩、からかわないでくださいよ……」


 十日ぶりに顔を合わせた先輩研究員に対して、フォルスは恨めしそうな視線を向けた。

 ルノール魔法研究所の研究員同士の仲は悪くない。だが、研究となれば我を忘れる人間が多いため、同じ職場にいながらまったく顔を見かけない、と言ったことも珍しい話ではなかった。


 そんな中、帰りが一緒になった独り身同士ということで、二人は夕食を食べに近くの酒場に足を踏み入れていた。


「いやいや、平民の身で所長に本気で挑もうとしている英雄ですからね。私から見れば眩しくて仕方ありませんよ。それに、フォルス君は所長より二、三歳年下でしたよね?」


 そう言いながら、アルジオは大盛りにされたサラダを頬張った。彼はミルティに次ぐ古参研究員だが、人の心理にも興味があるとのことで、意外と恋愛関係の話を好む。そのため、こういった展開になることは珍しい話ではなかった。


「たしかに三つ下ですけど、そう珍しいことでもないでしょう?」


「まあ、そうですね。他の要素に比べれば、そこは些末な事柄ですか」


 アルジオはあっさり頷く。彼らの上司は辺境が誇る才媛として有名であり、大きな人気を誇っている。上級職の固有職ジョブ持ちである上に、群を抜いて容姿端麗ときているのだから無理もない。


 そのため、彼女を思慕する男は多いが、やんわりと断られるのが常であり、いつしか求婚者は家柄や財力、容姿等に優れた人間ばかりとなっていた。


「……別にいいじゃないですか。聡明で、優しくて、一流の魔法研究者で、上級魔法職持ちで、料理上手で、しかもあんなに綺麗なんですよ? 世界中を探しても、ミルティ所長ほど素敵な女性は他にいません」


 頬の熱を感じながらも、フォルスは一息に言い切る。気が付けば、手元のジョッキは空になっていた。


 彼が初めてミルティと出会ったのは、当然ながらルノール魔法研究所だ。彼女は固有職ジョブを得て研究所の門を叩いたフォルスを迎え入れ、魔法の初歩や研究所の説明をしてくれたのだ。

 魔法理論や魔力感覚を分かりやすく説明できる才覚と、初心者を相手にしても驕らない真摯な態度。そして独特の柔らかい雰囲気。その時点で、フォルスは彼女に惹かれていた。


 だが、その時のフォルスは彼女が所長だと気付いていなかった。なんと言っても『辺境の賢者』『辺境の魔女』といった二つ名を持つ上級職持ちだ。

 怪しげな笑い声とともに大釜をかき混ぜる老女のイメージが邪魔をした上に、所長自ら対応するはずがないという思い込みが、彼女の正体を掴みにくくしていたのだ。


 初めから彼女の素性を知っていれば、畏れ多さが先に立って恋心を抱くことはなかったかもしれない。だが、それはもはや意味のない仮定だった。


「では、それを所長に伝えてみますか?」


「それは勘弁してください……」


 アルジオのからかいにフォルスは肩をすくめた。彼女への好意は本物だが、魔法研究者としての情熱もまた本物だ。

 そして、今は研究者として大成することが一番だと、フォルスはそう言い聞かせていた。


「そうそう、毒抵抗の魔法は完成したんですか?」


 いつしか、二人の話題は仕事の話へと移っていた。


「そうですね、後は他の魔術師マジシャン治癒師ヒーラーが同じように魔法を構築できるかどうかです」


「早いですねぇ。自己強化魔法はお手の物とは言え、二、三カ月で仕上げてくるとは驚きましたよ。君を推薦した所長の目は間違ってなかったわけですね」


「……元々研究していた分野の一つでしたし、俺も調査隊の役に立ちたかっただけですよ」


 照れ隠しに肉を頬張ると、フォルスは大げさに咀嚼してみせた。その様子を見てアルジオは穏やかに笑う。


 毒抵抗の魔法開発。それは、フォルスが自ら掲げた研究課題ではない。


 辺境の大半を占め、魔の森と呼ばれるシュルト大森林の未知を解き明かすことで、危険を排除して人種族の版図を広げる。そんな理念の下に結成された調査隊は、先日、四度目の遠征から戻って来ていた。


 だが、四度目の遠征は成功とは到底言えない状況だった。新たに分け入ったエリアで、広範囲に及ぶ毒霧が発生したのだ。

 二十名近い固有職ジョブ持ちで構成された調査隊ではあったが、その毒性はかなりのもので、毒に冒されなかったのは『ルノールの聖女』と薬師ケミストの二名のみだった。


 毒霧については、『ルノールの聖女』が広域化させた解毒魔法を数秒ごとに使い続けるという離れ業で対処し、その間になんとか効果範囲から撤退したものの、彼女の膨大な魔力量がなければ、大きな被害が出ていただろう。


 毒霧の研究が進めば薬師ケミストが予防薬を作ることもできるだろうが、対応策もなしに発生条件不明の毒霧の研究に赴くのは自殺行為だ。

 そこで、事態を重く見たルノール評議会は、毒霧の中でも活動できるような抵抗魔法の開発を魔法研究所に依頼し、所長のミルティはフォルスにその役目を与えたのだった。


「普通の毒霧はせいぜい危険度Dまでの毒性しかありませんからね。上級職の天穿ピアースにまで毒が効いたとなると、やはり危険度B相当と判断するべきだと思って」


「とは言え、彼女は毒霧の中から襲ってきたモンスターを片っ端から返り討ちにしたそうですからね。重症ではなかったのでしょうし、やはりC相当……いえ、単にあの女傑の精神力が並外れているだけの可能性もありますか」


「危険度が低いのなら、新しい抵抗魔法を開発する必要もなかったでしょうしね」


 依頼された毒抵抗の魔法だが、低レベルなものは既に存在している。だが、それが有効に機能するのは危険度Dの毒性と、危険度Cの一部までだ。

 しかし、今回フォルスが開発した抵抗魔法であれば、危険度B程度まで耐えられるのは実証済みだ。もちろん危険度Aの毒性に耐えられるのがベストではあるが、そのレベルの毒は希少であり、毒に特化したA級モンスターに噛みつかれでもしない限り役に立つことはないだろう。


「なんにせよ、有用な新魔法の開発に成功したわけですからね。画期的な魔法ではないにしても、学会に胸を張って報告できるんじゃありませんか?」


「ええ、ありがとうございます」


 素直に礼を言うフォルスをどう思ったのか、アルジオはからかうような表情を浮かべる。


「これで、所長の隣に並ぶための実績が増えましたね」


「げほっ! ……い、いきなり何を言うんですか!」


 口にしていた飲み物が気管に入り、フォルスは盛大に咳き込んだ。その間にも、アルジオは楽しそうに話し続ける。


「いやいや、なんと言っても恋敵は人間離れした実績を上げていますからね。神子様と張り合うには地道な積み重ねしかないでしょう」


「でも、あの人は結婚してるじゃないですか……」


 フォルスは渋い表情を浮かべた。転職ジョブチェンジの神子。辺境発展の立役者であり、この街で彼を知らない者はいないだろう。それどころか、大陸中に名の知れた存在だ。

 そして、その神子が自分たちの上司と親密な間柄であることは周知の事実だった。


「そこは人の心ですよ。まだ固有職ジョブ持ちの研究者は所長と私しかいなかった頃の話ですが、一時、所長がやたら落ち込んでいた時がありましてね」


「あのミルティ所長が、ですか?」


 初めて聞く話に、フォルスは身を乗り出した。いつも笑みを絶やさない上司の姿からは、なかなか想像しにくい話だ。


「魔法実験でも所長らしくないミスが頻発していましたし、何かあったのは顔を見れば明らかでした。……神子様とクルネさんが婚約したのはそれから半年くらい後のことでしたが、今になって思えば、あの時に何かがあったんでしょうねぇ」


「そんなことが……」


 フォルスの胸中で複雑な思いが渦巻く。彼自身も、クルシス神殿で神子に転職ジョブチェンジさせてもらった身だ。彼に対して悪い印象を持っているわけではないが、想い人との関係性を考慮すると、どうしても引っ掛かりを覚えてしまう。


 ミルティが今も独身なのは神子のおかげとも言えるが、そのことに素直に感謝できるほどフォルスは老成していない。研究所を訪れる神子を目にすると、なんとも言えない気分になるのは避けられなかった。


「そんなこともあって、所長には身を固めてもらったほうが安心なのですよ。今の状態が悪いとは言いませんが、たまに変な虫も湧きますしねぇ」


「そうですね……」


 二人の顔に苦笑が浮かぶ。つい最近まで、帝国の大貴族が執拗に魔法研究所を訪れていたのだ。ミルティを側室として迎え入れ、併せて帝国の魔法研究所に引き抜こうとしていたらしい。


 もっとも、街の上層部がなんらかの手を打ったらしく、今はさっぱり音沙汰がないが、今後も同様のことがないという保証はない。


「フォルス君は女性に人気があるようですし、物件としては悪くないと思うのですがねぇ」


「人気、ですか?」


 その言葉にフォルスは首を傾げる。


「安心してください、嘘じゃありませんよ。知り合いにその手の情報収集が得意な人がいましてね。彼女の話によると、『爽やか』『顔が好み』『礼儀正しい』『食いっぱぐれることがなさそう』『なでくりまわしたい』など、好意的な声が続々と……」


「なんだか最後のほうは違う気が……」


「大切なことですよ。なんであれ、フォルス君にはもう少し自信を持ってもらいたいものです。……たしか、四日後に神子様が来所する予定だったと思いますが、堂々としていてくださいね」


「……気をつけます」


 どうやら、複雑な心中で神子を見ていたことはバレていたらしい。視界に入ることを意図的に避けていたため、当人たちは気付いていないだろうが、目の前の先輩研究員の目はごまかせなかったようだ。

 フォルスはアルジオから視線を逸らすと、酒のお代わりを注文するのだった。




 ◆◆◆




 転職ジョブチェンジの神子が研究所を訪れたのは昼前のことだった。彼とフォルスの間に接点はほとんどないが、神子は黒目黒髪という分かりやすい特徴を持っているため、容易に見分けることができた。


 エントランスに居合わせたフォルスの耳に、二人の会話が聞こえてくる。


「カナメさん、いらっしゃい。今日はクーちゃんはいないのね」


「なんだか調子が悪いみたいだ。クルネが体調を崩すなんて珍しいから、ちゃんと休んでもらおうと思ってさ」


「それは心配ね……ねえ、カナメさん? それってもしかして……」


「え?」


「……ごめんなさい、なんでもないわ。じゃあ、それでキャロちゃんが一緒なのね。キャロちゃん、いらっしゃい」


「キュゥ!」


 聞き慣れない鳴き声に目をやれば、白いモコモコした小動物が神子の肩に跳び乗るところだった。その兎のような小動物に、神子が視線を向ける。


「キャロ、研究所の中は安全だから外にいても大丈夫だぞ」


「そうそう、変わった霊草の栽培に成功したのだけれど、キャロちゃんは食べるかしら?」


「キュッ! キュッ!」


 兎が嬉しそうに飛び跳ねる様子を、神子とミルティは温かい眼差しで見つめていた。その光景が二人の親密さの証であるように思えて、フォルスはつい視線を固定してしまう。


「……ん?」


 フォルスの視線を感じたのか、神子の目がこちらを向いた。フォルスは一瞬怯みそうになるが、数日前のアルジオの話を思い出して、視線を真っ向から受け止める。


「あら、カナメさんはフォルスさんと知り合いだった?」


「いや、そういう訳じゃないんだが……」


 神子の視線を追いかけて、ミルティの視線までもがフォルスに注がれる。そして彼女が小声で何かを囁くと、神子はフォルスの下へと向かってきた。

 彼らを注視していたことを咎められるのかと身構えたフォルスに対して、神子は穏やかな笑顔を浮かべる。


「フォルスさんがあの毒霧に対抗する手段を編み出してくださったと聞きました。これで調査隊の方々の生存率が上がることでしょう。……本当にありがとうございます」


「……いえ、依頼をこなしただけですから」


 予想外の展開にフォルスは目を瞬かせた。咎められなかったこともそうだが、神子はクルシス神殿の神殿長ではあっても調査隊と直接の関わりはない。それがなぜ礼を言うのか。


「組織としては無関係ですが、この地で暮らす人間としては大切なことですからね。彼らの成果はこの街の発展に大きく寄与しますから」


 フォルスの心を読んだように、神子は言葉を付け加えた。そんなに顔に出ていただろうか、と思わず自分の顔に手を当てる。


「カナメさん、先にキャロちゃんのおやつを持ってきていい?」


 ミルティがカナメに声をかけると、彼は後ろを振り返って頷いた。


「ああ、もちろん。いつもすまないな」


「キュゥ!」


 そんな会話と共に、彼らは裏庭にある薬草園へ向かう。フォルスはその様子を黙って見送っていた。



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