後継
エピローグの約15年後のお話です。
なお、今後の外伝や後日譚については、投稿順と時系列がバラバラになります。ややこしくて申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
――シュルト大森林。複数の国に跨って存在し、ゆうに国一つ分以上の規模を誇る魔の森は、長らく未知の領域と同義だった。
だが、自治都市ルノールを拠点とする調査隊の活躍により、未知は少しずつ既知へと置き換えられていき、また、辺境の森の外周部に限って言えば、脅威度の高いモンスターの姿はほとんど見られないようになっていた。
そのため、一昔前ならあり得なかったこと――例えば、向こう見ずな少年が、思春期らしい思いと共に森へ分け入るような事態もたびたび発生していた。
「ジィィィッ!」
体長五十センチほどの虫型モンスターが、断末魔と共に真っ二つに断たれる。級外モンスターに分類される甲虫だが、ただの昆虫の危険度とは比べるまでもない。
「倒した……!?」
慎重に、だが興奮した様子でモンスターの様子を窺っているのは、赤みの強い金髪が特徴的な少年だった。年齢は十二、三歳だろうか。その手に持っているのは、使い込まれた様子の長剣だ。
やがてモンスターが動かなくなったことを確認すると、彼は長剣に付着したモンスターの体液を布で拭う。と――。
「お兄ちゃん、上!」
「――ッ!」
少年は弾かれるようにその場を飛び退くと、攻撃が空振りし、体勢を崩した鼬のようなモンスターの前脚を斬り飛ばす。
――一撃で倒せないなら、まず機動力を奪いなさい。
師であり、母でもある人物の教え通りに初撃を成功させると、少年は気合の声と共に愛剣を構えた。
◆◆◆
【ツカサ・モリモト】
「……クラリス。どうして付いてきたんだ。危険だろ」
倒したモンスターが動かないことを確認し、さらに周囲を見回した少年――ツカサは、横手の茂みに向かって声をかけた。
「お兄ちゃんが不審な動きをしてるからじゃない。……それに、危険なのはお兄ちゃんも一緒でしょ?」
そんな答えとともに、茂みをガサガサと揺らして少女が現れた。長い黒髪についた木の葉を払いのけながら、クラリスと呼ばれた少女は倒されたモンスターを眺める。
「けど、級外モンスターの一体や二体なら大丈夫みたいね。……よかった」
「心配しなくても、このあたりのモンスターくらいはちゃんと倒せるよ。父さんや母さんが心配性なだけさ」
ツカサは手に持った剣を見つめる。剣匠の固有職を持ち、『剣姫』の二つ名を持つ母親の影響か、彼は幼いころから剣の修練を積んでいた。
その甲斐あって、街の同世代の中では一、二を争う腕前であり、彼自身もそのことに誇りを持っている。
そして、だからこそ彼には納得のいかないことがあった。
「それで、入っちゃ駄目って言われてる森に一人で来たの? もう転職しても大丈夫だって、そう証明するために」
「……」
ツカサは沈黙する。二歳年下ながら妹は非常に察しがよく、今回もその発言は正鵠を射ていた。
剣士への転職。それは彼の幼い頃からの願いだ。そして、ゆくゆくは剣匠になって、シュルト大森林に潜むS級モンスターや上位竜を倒し、噂に聞くセイヴェルンの闘技大会にも出てみたい。それは、彼くらいの年齢の少年が一度は抱くであろう夢だった。
そして、つい先日。自分の固有職資質が転職可能な域に達していることを、彼は転職師である父親から告げられていた。だが……。
「どうしてまだ転職しちゃ駄目なんだよ……」
独りでに声がもれる。「資質はあるが、まだ転職には早い」と両親に言われた時には、思わず家を飛び出したものだ。
理由は聞いているし、それが正論であることは彼自身も認めているが、感情と理性は別物だ。
いっそ教えてくれなければよかったのに、とも思ったが、どうせ黙っていても別ルートで発覚すると考えたのだろう。そして、それは正しい。
そんなことを考えていると、クラリスが顔を覗き込んできた。彼女の紅い瞳がツカサを捉える。
「ねえ、帰りましょ? まさか、私をこんな危険な森に一人放り出さないわよね?」
「そんな森について来るなよ……」
「だって、お兄ちゃんがいれば大丈夫だと思ったから」
「う……」
ツカサは言葉に詰まる。些細なことで喧嘩をすることもあるが、基本的に兄妹仲は良好だ。今回だって、一人で森へ入るツカサを見かけて、心配でついて来たのだろう。そんな妹を一人で帰すつもりはなかった。
彼は妹を先導するように、ルノールの街を目指して歩き始める。
「それにしても、怪我したらどうするつもりだったの?」
「怪我するつもりはなかったし、もしもの時はアレックスさんに頼むつもりだったんだ」
街へと続く道を歩きながら、ツカサは妹の問いかけに答える。
「ミルティさんやジークおじさんだと、お父さんにすぐバレちゃうものね」
納得したようにクラリスは頷く。アレックスとは、街の警備隊長であるジークフリートの子だ。彼ら一家とは家族ぐるみの付き合いがあるが、彼は父親にはあまり似ておらず、穏やかで思慮深い治癒師だった。
そして、兄妹にとっては少し年上のお兄さんであり、多少の秘密は共有してくれる仲だ。
他の心当りで言うと、『ルノールの聖女』であるミュスカは顔馴染だし、頼めば黙っていてくれる気もするが、彼女は結婚を機に『聖女』を引退しているため、教会へ行けば必ず会えるわけでもなかった。
それに、ツカサも自分の立場は分かっている。クルシス神殿長、それも『神子』と言う二つ名を持つ人物の子供が、教会の扉を叩くとややこしいことになるだろう。
そんなことを考えながら、見通しの悪い森の中を進んでいた時だった。彼は突然立ち止まると、手で妹の歩みを遮った。
「……血の臭いがする」
その一言に、妹の身体が強張る。級外モンスターを相手にそれなりの実践を積んできた兄と違い、クラリスは最低限の護身術しか覚えていない。
立場上必要だからと、魔法障壁を展開する装飾品を持たされてはいるが、気を抜けないことに変わりはなかった。
「ねえ、どうしよう……?」
問いかけにしばらく悩んだ後、ツカサは口を開く。
「……慎重に近づこう。もし怪我人がいるなら助けないと。負傷したモンスターとかなら、早々に立ち去ればいいし」
そう決断すると、ツカサは血臭の源へと近づいていく。その手には抜身の剣が握られていた。
そして、乱立する木々の隙間から見えたもの。それは――。
「クラリス、急いで引き返すぞ」
緊迫した様子から、ただならぬものを感じたのだろう。クラリスは眉を顰めた。
「……分かったわ。それで、正体はなんだったの?」
「巨大鼠だ」
「……え? それって、たくさん群れていたってこと?」
「いや、一匹だけだった」
兄の答えを聞いて、クラリスは拍子抜けした様子だった。巨大鼠と言えば、級外でこそないものの、最下級のモンスターだ。群れればそれなりの脅威になるが、一匹であれば、それこそツカサでも充分倒せる。そう考えているのだろう。
その妹に向かって、ツカサは言葉を付け加えた。
「ただし、ひと噛みで身体の大半が消失していた。」
「えっ――」
「あの抉れ方からすると、間違いない」
その名が示す通り、巨大鼠の大きさは通常の鼠とは比べ物にならない。最低でも全長二メートルはあるだろう。
そのサイズのモンスターを一噛みで仕留めるとなれば……。
「大口……!?」
それは、鰐のような巨大な頭部と、それに不釣り合いな小さな身体を持つモンスターだ。その名の通りの巨大な顎が最大の武器で、木の上から降ってきたり、地面の下に潜んでいることもあると言う。
ランクはC級モンスターだが、その奇襲には注意が必要だと聞いた記憶があった。
「あれはもっと東……帝国のあたりの森に棲息していたはずなんだけどな」
いつか冒険に出る日のために、と学んだ知識を必死で思い出す。帝国で大口が大発生した時は、少なくない死傷者が出たはずだった。
「急いでジークおじさんに知らせないと……!」
こういったことは、街の警備隊長であるジークフリートの管轄だ。結果的に、母がモンスター討伐に駆り出されることもあるが、モンスターの捜索や広汎な警備は警備隊の仕事だった。
そして、元の道に戻ろうとした時だった。妹の手を引こうと振り返ったツカサの視界に恐れていたものが映る。
それは、樹上からクラリス目がけて落下してくる大口の、ばっくりと開いた顎だった。
「クラリス!」
ツカサは妹を突き飛ばすと、崩れた体勢のまま、襲い来る大口に剣を叩きつけた。
その直後、ガキンッという硬質な衝突音とともに、大質量がツカサを襲う。
「お兄ちゃん!?」
「……大丈夫だ、まだ生きてる」
大口の様子を窺いながら、ツカサは俊敏に立ち上がった。叩きつけた剣と、咄嗟に展開した魔法障壁のおかげで、丸呑みにされる事態は避けられたようだった。
だが、今の衝撃に耐えきれなかったのだろう、魔法障壁を展開したペンダントにはヒビが入っており、もう起動する気配はなかった。
「問題は、どうやって倒すか、もしくは逃げるかだな……」
大口の敏捷性はそう高くない。ツカサ一人であれば、攻撃をかわしながら逃げることもできるだろう。だが、クラリスもセットとなると非常に難しいものがあった。
かと言って、大口と戦おうにも、相手の鱗は非常に硬く、剣を得物とするツカサでは相性が悪い。先程剣を叩きつけた時の感触からすると、まともに刃は通らないだろう。
つまり、状況は極めて悪かった。もちろん、妹を見捨てて一人だけ逃げる選択肢はあり得ない。凶悪な顎を開閉させて威嚇する大口を前にして、ツカサの額に汗が浮かぶ。
「――お兄ちゃん、いくよ」
だから、妹の言葉にためらいはなかった。彼が頷くなり、クラリスは生来の能力を行使する。
そして、次の瞬間。全身の細胞一つ一つが作り変えられるような感覚とともに……。
――彼は、剣士へ転職した。
「はああぁぁっ!」
突如として湧き出した力に後押しされて、ツカサは大口に向かって踏み込む。それは、威嚇のため顎を開閉していた大口が、まさにその顎を閉じた瞬間だった。
ズバンッという、先程とは違う手応え。ツカサの剣撃は大口の鱗を貫通し、口蓋の中ほどまでを切り裂いていた。
「ギュァァァァッ!」
苦悶の叫びを上げる大口に向かって、もう一撃。青白い輝きに包まれた剣身が、再び大口の頑丈な鱗を断ち割る。
そして、頼みの綱である頑丈な鱗が切り裂かれ、混乱している大口の脇をすり抜けると、一息に隙だらけの胴体を叩き切った。
「グアァァァァッッ!」
一度目とは比べ物にならない甲高い悲鳴とともに、大口が倒れ伏す。
ピクピクと痙攣していた大口が完全に息絶えたのは、そのすぐ後だった。
◆◆◆
大口を撃破したツカサとクラリスは、森を抜けるルートを足早に歩いていた。
一時的とはいえ、剣士となったツカサの足取りは軽い。それは固有職補正による身体的なものでもあったし、精神的なものでもあっただろう。
予定外の展開ではあるが、彼は念願の剣士になったのだ。そしてC級モンスターから妹を守り、撃破した。その事実は彼に大きな自信を与えた。
そして同時に、ツカサは妹の能力が本物であることを実感する。
クラリスは父親の血を色濃く受け継いだのか、生まれついての転職師だったのだ。
だが、そのことが公になるのを避けたいとの理由で、彼女は転職能力を使うことを禁止されていた。
「それにしても……僕の初期特技は『剣気』だったのか」
ツカサはしみじみと呟く。その言葉を聞いて、クラリスは興味津々な様子で問いかけた。
「ねえねえ、それって当たりなの?」
「悪くないと思う。あの斬れぬものなしは、剣気の最終進化形だと思うんだ」
それは『剣姫』の名とともに広く知られている特技であり、その絶対的な切断力は一つの憧れでもあった。
かつて見た、巨大な鉄塊を剣の重みだけでスッと切り裂いていた光景を思い出す。
「よかったわね。……ねえ、お兄ちゃん。固有職はどこで元に戻せばいいと思う?」
そんな妹の言葉に、ツカサははっと我に返った。
「そうだな……大口みたいなC級モンスターがいたんだし、街へ着くまではこのままでいたほうがいいと思う。それまでに、運悪く父さんやファーニャさんたちに出会わないことを祈ろう」
他の転職師に出会えば、ツカサが剣士に転職していることは一目瞭然だ。転職能力の使用を禁じられているクラリスからすると、早いところツカサの固有職を元に戻したいのだろう。
今回の一件は完全に自分が悪いと分かっている以上、剣士のまま家へ帰るわけにはいかないが、C級モンスターが森の外れに出現する現状は異常事態だ。例え怒られる可能性があろうと、今の時点で固有職を元に戻すわけにはいかない。
もし怒られるなら、妹の分まで怒られよう。ツカサはそう決心する。
「お父さんのことだから、命がかかっていたって分かれば、怒りはしないと思うけど……」
「そうかな……」
呟くと、小さく息を吐く。実を言えば、ツカサには父親との付き合い方がよく分からなかった。
気が付けば、彼は父親との間に壁を感じるようになっており、その感覚は今も根強い。その理由が自分にあるのか、それとも父親にあるのかもよく分からないが、日常のやり取りをしながらも、どこかギクシャクするものを感じていた。
それに、一角の剣士になることを夢見て、剣の修練に情熱を燃やす彼からすれば、どうにも父は頼りなく見えた。英雄譚では父がS級モンスターや上位竜を倒したと歌われているが、それは何かの間違いではないか。
最近、引退宣言を出した『辺境の守護者』や、大陸屈指の剣士である母といった実力者が、実際にはモンスターを討伐していたのではないかとすら思える。
「まあ、お兄ちゃんはそう思っても仕方ないと思うけど……」
そんな心情の吐露に、クラリスはなんとも言えない表情を浮かべた。
「お父さんの固有職資質、本当に無茶苦茶だからね? 二番目に多いミルティさんだって十個ちょっとしかないのに、数えきれないくらいあるんだもん。
転職して転職師になった人は、まずお父さんを見てぎょっとするらしいわよ」
「僕には、クラリスほど資質が視えないからな……」
少し拗ねたように答える。神子と呼ばれる転職師の子であるツカサは、物心ついた時から無形のプレッシャーを感じていた。
両親からそう言われたことはないが、周囲の人々は『転職の神子』の後継であることを自分に期待していたはずだ。少なくとも、彼はそう受け取っていた。
名前だってそうだ。ツカサという一風変わった名前は、別大陸の出身だと言う父親の流儀に沿った名であり、両親も実は後継を望んでいたのではないかと邪推してしまう。
別大陸で『ツカサ』を表す文字を教えてもらった時も、嬉しさ半分プレッシャー半分だったことを思い出す。
「それは、お母さんが譲らなかったんでしょ? お父さんは『この子はこっちの大陸で生きていくんだから、こっち風の名前でいい』って言ったのに、その時だけはお母さんが認めなかったって聞いたよ?」
私だって異国風の名前がよかったのに、とクラリスは頬を膨らませる。転職師として生まれたから、というわけではないだろうが、彼女は父親と相性がよかった。
父は大きな神殿の神殿長であり、街の重鎮でもある。時には神殿の枠を超えて活動し、街や辺境に大きな成果をもたらすこともあった。
街の人たちに敬意を払われているのは感じるし、ツカサなりに尊敬もしている。母が未だにベタ惚れなのにも理由はあるのだろうと納得はできる。
ただ、転職師としての能力をほとんど備えておらず、資質の光がかすかに視えるだけの自分は期待外れなのだろうとの思いから、どうにも素直になれなかった。
「そろそろ着くか……」
そんな自己分析を頭から追い払って、ツカサは周囲を見回す。ルノールの街はすぐそこだ。再び大口が樹上から降って来ないかと心配していたが、どうやら杞憂のようだった。だが……。
「ん?」
ツカサは眉を顰める。不思議なものが視界に映ったのだ。大きな馬車らしき荷車が、それとなく偽装されて止められている。
シュルト大森林の調査隊だろうか。だが、それにしては静かすぎる。ツカサの様子を見て、クラリスが小声で囁く。
「どうしたの?」
「あの馬車……なんで偽装してるんだろう。あの程度の偽装じゃ、どのみちモンスターに気付かれるだけだ」
「森に詳しくない人なのかな?」
二人は首を傾げながら、少しずつ馬車に近づく。だが、その動きは唐突に止まった。幌に覆われた荷台から男が姿を現したのだ。
そして、それだけではない。彼は二メートルほどの巨大な檻を肩に担いでいたのだが……。
「大口……!?」
その中にいる生物を見て、ツカサは思わず呻いた。そして、腰の剣に手をかける。
本来、この辺りには棲息していないはずの大口との遭遇。モンスター対策にしては中途半端な、だが人が相手なら効果的であろう馬車の偽装工作。
そして、男が担いでいる檻の中の大口。ここまで揃っていては、目の前の人間が善性であるとは思えなかった。
「……急いで街へ戻って、みんなに知らせよう。緊急事態かもしれない」
この二十年ほどで急速に発展した辺境だが、それを快く思わない団体も存在する。そして、彼らが辺境に害をなそうと暗躍することは決して珍しいことではないと、ツカサは父親から聞かされていた。
今回もその類かもしれない。ツカサはそう判断すると、こっそりその場を離れようとして、くるりと身を翻す。
そして、その表情を強張らせた。
「おや……これはどうしたことだ……?」
別の男が後ろに立っていたのだ。目の前の光景に気を取られて気付かなかったのだろう。そして、その剣呑とした雰囲気から、馬車の男の仲間である可能性は高かった。
どうする。ツカサは必死で頭を回転させた。今の自分は剣士だ。ただの成人男性であれば、クラリスを守りながらでも充分相手取ることができるだろう。
だが、ツカサの手を掴むクラリスの表情が、彼の明るい見通しを否定していた。ツカサが剣士に転職したことを知っているにもかかわらず、なお緊迫した表情を浮かべているのだ。
つまり、目の前の男も固有職持ちである可能性が高かった。せめてなんの固有職持ちなのかを訊きたいところだが、この状況ではそうもいかない。
「お前たち……知ったな?」
兄妹の警戒心から察したのだろう。男の視線が馬車へと向かい、二人に戻ってくる。そして、馬車の傍にいる仲間に向かって呼びかけた。
「モーゼル! 子供二人に見られているぞ!」
そう言うなり、兄妹を捕まえようと手を伸ばす。だが、大人しく待っている二人ではなかった。
「魔術師っ!」
クラリスの小さな、だが鋭い一言を聞くと同時に、ツカサは男に向かって踏み込んだ。相手が戦士職であればともかく、魔法職であれば速攻で押すに限る。
だが、魔術師もそれなりの経験を積んでいたらしく、とっさに展開した魔法障壁がツカサの剣撃を阻んでいた。
「くそっ……」
ツカサは唇を噛み締める。早く片付けなければ、馬車の傍にいた男が来て挟み撃ちにされてしまう。
「お前……何者だ?」
そう訝しむ魔術師の手先では光が荒れ狂っていた。恐らく雷撃系の魔法だろう。動きをよく見れば、決して避けられないものではない。
だが、問題は後ろにクラリスがいるということだ。幸いなことに、ツカサの愛剣には軽い『魔力付与』が込められている。一か八か、魔法を斬り払うしかない。
そう決心した時だった。
「ぐおっ!?」
眩い光が迸ったかと思うと、魔術師の悲鳴が上がる。ふと気が付けば、倒れ伏してピクピクと痙攣している男の姿があった。
その、まるで魔法が暴発したようにしか思えない現象に、ツカサは心当たりがあった。少し青ざめた表情で、だがキッと唇を引き結んでいる妹の顔を見て、そのことを確信する。
――他人の固有職資質を揺らがせることができる。それは、妹の転職能力の一つだ。本来、転職には転職師と転職希望者双方の合意が必要だが、クラリスは一方的に働きかけることができるらしい。
ただ、勝手に相手を転職させてしまえるわけではなく、あくまで一瞬揺らぐだけだ。そのため、戦士職の固有職持ちにはあまり有効とは言えないが、構築中の魔法を消したり暴発させたりと、魔法職に対しては一定の効果があるようだった。
魔術師が動けないと見るや、ツカサは頭を切り替えた。少し離れていたとは言え、今のやり取りの間に馬車の傍にいた男が近くまで来ていたのだ。
彼は剣を構えると、相手の動きを注意深く観察する。
「――破砕者」
妹の声に頷くと、ツカサもまた相手に向かって走り出す。そして、剣の間合いに入るや否や、全力を込めて剣を振り下ろした。固有職の力を得て大口を真っ向から叩き切った記憶が、ツカサに力を与える。
だが、その渾身の一撃は、相手の戦槌によって弾かれていた。
「ちっ! お前、固有職持ちか!?」
驚きを顔に浮かべながらも、破砕者の動きは止まらなかった。大振りの一撃を弾かれて体勢の崩れたツカサに向かって、凶悪なラッシュを叩き込もうとする。
「わっ……!」
必死で攻撃をかわすものの、なかなか反撃する機会がない。そう焦れていると、男がニヤリと笑った。
「爆砕打!」
声と共に放たれた一撃は、ツカサではなく地面を叩く。だが、それは空振りではなかった。凄まじい破壊力を撃ち込まれた地面は爆発し、ツカサを足元の地面ごと吹き飛ばす。
そして、吹き飛ばされたツカサを追って、破砕者が迫ってくる気配が感じられた。
剣士の膂力を使い、崩れた体勢から無理やり剣を振るうが、その一撃は相手にかすりもしない。それどころか、ツカサにいっそうの隙を作っただけだった。
「――ぐっ!」
破砕者の横薙ぎの一撃をなんとか剣で受けたものの、ツカサの身体はさらに後方へと吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がった。
「お兄ちゃん!」
クラリスの悲鳴が聞こえる。木に叩きつけられなかったのは幸運だったな、と内心で呟きながら、ツカサは急いで身を起こした。
「……僕が甘かった」
ツカサは歯噛みした。身体は動く。だが、それは剣士の固有職を得ていたからだ。もし『村人』のままであれば、自分は確実に戦闘不能に追い込まれていた。
そうなれば、自分はもちろんのこと、クラリスの生命も危ない。あの剣呑な雰囲気からすると、よくて人買いに売り飛ばされ、悪ければこの場で殺されるだろう。そんな思考がツカサの背筋を凍らせる。
そもそも、最初の一撃が駄目だったのだ。なんの工夫もない、固有職の腕力に任せた剣撃。運よく大口には通用したが、そんな甘い攻撃を繰り出すべきではなかった。
――今のツカサを転職させると、力押ししかできない剣士になってしまうかもしれない。
両親の言葉が頭を巡る。自分に限ってそんなことはないと、当時は反発して家を飛び出したが、まさにこういった事態を懸念していたのだ。それが、今のツカサには分かった。
「――よし」
覚悟を決めると、彼は剣気を発動した。その気迫が伝わったのか、大口を倒した時よりも眩い青白光が剣を覆う。
「ほお……?」
破砕者は少しだけ表情を引き締める。他の戦士職に比べて速度に劣る破砕者は、相手の攻撃をかわすことには長けていない。その防御力で凌ぎきるのが基本スタンスだ。
そのため、相手が破壊力を増す特技を使用した場合には、強く警戒する傾向にある。そう教えてくれたのは、街の冒険者ギルド長だったか。
「はぁっ!」
気合の声とともに距離を詰める。相手の得物は戦槌だ。密着すればその真価を発揮することは難しい。それは剣も同じことだが、戦槌に比べればまだマシだ。
突っ込むツカサに対して、破砕者は戦槌を構えると、再び地面を叩いた。先程と同じく地面が爆砕する。
しかし、その動作は学習済みだ。ツカサは咄嗟に進路を変えると、特技の効果範囲から逃れた。そして、土煙の中を再び突き進む。
「衝撃波!」
「なに!?」
ツカサの発声に男が怯む。だが、その剣から衝撃波が発生することはなかった。ツカサは衝撃波を覚えていないのだから当然だ。
しかし、破砕者の動きが一瞬固まったのは事実だった。ブラフに気付いた男は慌てて戦槌を構えると、ツカサの青白く輝く長剣を注視する。そして――。
ツカサは剣を振りかぶると、長剣の柄を敵の頭部に叩きつけた。
「がっ!?」
予想外の攻撃を受けて、破砕者が苦悶の叫びを上げる。剣の柄がこめかみにめりこんだのだ。まだ少年とは言え、固有職持ちの力で撃ち込まれた突きは、男に小さくないダメージを与えたようだった。
そして男の側面に回り込みながら、その太腿を切り裂く。
次はどうする。そう考えたツカサは、男の様子がおかしいことに気付いた。カクン、と膝が折れたと思うと、そのまま地面に倒れたのだ。どうやら、こめかみへの一撃が脳震盪を引き起こしたようだった。
ならば今のうちにと、ツカサは荷車へと乗り込む。そして、その内部を目にしたツカサは思わず声を上げた。
「なんだよ、これ……」
そこには数体の大口と幼生体らしき小さな大口、そして数十個にわたる卵が安置されていたのだ。大口のものとみて間違いないだろう。
その様子に気を取られていた彼は、やがてこの場所に来た目的を思い出す。
「ええと……あ、あった」
そこには彼の狙い通り、頑丈そうな縄が備え付けられていた。その縄を持ち出すと、動けない様子の固有職持ち二人を縛り上げる。特に魔術師はどんな手で脱出するか分からなかったため、念入りにぐるぐる巻きにする。
冒険者ギルドで教えてもらった結び方だが、こんな形で実践するとは思わなかったな、とツカサは苦笑いを浮かべた。
「お兄ちゃん、変な顔してる」
いつの間にか近くに来ていたクラリスが、面白そうにくすっと笑う。表情にはまだ緊張の色が濃いが、少しずつ調子を取り戻してきているようだった。
そうして二人を入念に縛り上げて馬車に放り込むと、ツカサたちは急いで街へ戻った。
◆◆◆
「おや? ツカサ君とクラリスちゃんじゃないか」
街へ戻った兄妹に声をかけたのは、ダール神殿の神官たちだった。気を張っていた二人はびくりと身を震わせたが、そのうちの一人が顔見知りだと気付いてほっとした表情を浮かべる。
「フレディおじさん!」
彼は街のダール神殿の副神殿長であり、父の友人でもある人物だ。しばらくの間、王国にあるダール本神殿で勤務していたらしいが、二年ほど前にルノールの街へ戻って来ていた。
「二人ともどうしたんだい?」
兄妹の様子がおかしいことに気付いたのだろう。フレディは穏やかさと気遣わしさの同居した表情を向けた。その雰囲気に押されて、ツカサは口を開く。
「あの……! 大変なんです! 森に、モンスターと怪しい二人組がいて……!」
焦る心が邪魔をして、上手く言葉が出てこない。落ち着こうと深呼吸をしていると、その間にクラリスが前に進み出た。
「おじさま、お久しぶりです。実は私たち、森の浅い所でモンスターに襲われたんです。大口というモンスターなのですけれど、ご存知ですか?」
「大口だって!? ……ニアキス侍祭、悪いけど警備隊の詰所へ走ってくれるかな」
フレディは驚きの声を上げた後、即座に指示を出す。指示を受けて走り去っていく神官を見送りながら、彼はクラリスに問いかけた。
「詳しく聞かせてもらえるかい? 大口が森の浅い所に棲息しはじめたとなれば大事だ」
「あの、棲息し始めたわけではないと思います。大口やその幼生体、そして卵を森へ運んで来た方々がいらっしゃいましたから」
「なんだって!?」
フレディの顔つきがより真剣なものへと変わる。にわかには信じられないような話にもかかわらず、彼はクラリスの言葉を疑ってはいない。それもそのはずだ、とツカサは心中で呟く。
なぜなら、クラリスの猫かぶりは見事なものだからだ。街の大人たちの中では、彼女は聡明でお淑やかな少女として評判だ。その整った外見も手伝って、街でもけっこうな人気を誇っている。
中身は意外とやんちゃだったり、変わった面を持っていたりもするのだが、そのことを知っている大人は数少ないのが実情だ。
「私たちが確認したのは二名だけですけれど、他にも仲間がいるかもしれません」
「そうか……それは大変だったね。よく大口から逃げおおせたものだ」
「兄様がいましたもの」
クラリスは澄ました様子で答える。この『兄を信頼している』態度がまたウケるのだ。そのせいで、ツカサが謎の嫉妬を受けたことは一度や二度ではない。
「そうか……さすがツカサ君だね」
「いえ……」
ツカサは小声で答えた。素直に賞賛されると、どこか落ち着かなくなる。そんな彼の肩に手を置くと、フレディは朗らかな笑い声を上げた。
「もっと自分を誇っていいと思うよ。C級モンスターを相手にして、自分も妹も無事だったなんて、並の人間にできることじゃないからね。
まあ、どうして君たちがシュルト大森林にいたのかは気になるけど……そこは僕の領分じゃないかな」
そう告げると、彼は少し表情を引き締める。
「それで、その人たちがいた正確な場所は分かるかい? 下手をすると大事件になりそうだし、急いで現場へ向かったほうがいいだろう。君たちのお母さんにも手伝ってもらうかもしれない」
フレディの言葉に答えたのは、クラリスのほうだった。
「あの、私、その場所にブローチを落としたんです。特別なブローチでしたから、両親なら場所が分かるかもしれません」
「え?」
その言葉を聞いたフレディはしばらく首を傾げた後、納得したように頷いた。
ツカサとクラリスの両親は超がつくほどの有名人だ。そのため、誘拐などの危険性は人一倍であり、それに対して何も講じない両親ではなかった。
ツカサが大口との戦いで破損させてしまった魔法障壁の魔道具もそうだが、二人の所在地が分かるようにと、現在位置を発信する魔道具を装飾品の形で身に着けさせていたのだ。
そして、クラリスはそれをわざとあの現場に落とすことで、確実な道標を作ったのだろう。
「なるほど、それはありがたいね。道案内のためとは言え、君たちをもう一度森に連れて行くのは酷だからね」
そうして、フレディは別の神官をクルシス神殿へ走らせた。ツカサの実家でもいいが、母親は二歳になる下の妹の世話に追われている。ツカサがこっそり森へ入ったのだって、そのバタバタしている隙をついた面があるのだ。父のほうがいいだろう。
「……お兄ちゃん、大丈夫?」
「なにが?」
物思いに沈んでいたツカサに、クラリスが声をかけてくる。聞くべきことは聞いたと判断したのか、フレディたちは少し離れた場所で待機していた。兄妹に気を使ったのかもしれない。
「縛られた固有職持ちを見たら、お父さん気付いちゃうかも」
「どうせ、あいつらが口を割ったらすぐにバレるさ。……大丈夫だ、ちゃんと事情を説明して、僕が怒られるよ。クラリスは悪くない」
彼らを倒したのが十歳前後の兄妹だと分かれば、後は簡単だ。第一発見者が誰かを思い出すだけでいい。父がそんな簡単な帰結を見逃すはずがない。そう思うと少し気が重くなる。
そんなことを考えていたツカサは、クラリスが真剣な眼差しでこちらを見ていることに気付いた。目で問いかけると、彼女は言いにくそうに口を開く。
「……お兄ちゃん、やっぱりお父さんが苦手なの?」
「えっと……」
ストレートな問いをぶつけられて、ツカサは言葉に詰まる。
転職の神子の後継。父を起因とするレッテルは、彼の心を縛り続けていた。
だが。自分の中の呪縛が弱まったことを、ツカサは自覚していた。
クラリスが転職師であることを知った時、ツカサは大きな劣等感に苛まれた。妹と比較され、周りの人々に「できそこない」と言われるような気がしたのだ。
彼が必死で剣の修練に励んだ一因は、妹の資質が公にされる前に剣士の固有職を得ることで、「長男は母親の血を引いたのだ」と周囲に認識させるためでもあったのだ。
しかし、今回、転職師であるクラリスを守り抜いたことによって、ツカサの意識は少し変わった。転職師は全知全能ではなく、自分と対等の、お互いに補い合う存在なのだ。その才能がないからと言って、自分を卑下する必要はない。多少ではあるが、そう考えることができるようになった。
ツカサの沈黙をどう捉えたのか、クラリスは神妙な顔を作った。
「あのね……お父さんには、何か大きな隠し事があると思う」
「……え?」
唐突な言葉に、ツカサは目を瞬かせる。
「ほら、お父さんって別の大陸から来たでしょ? だから、ちょっと変わったところがあるのは当たり前だと思うんだけど……」
言葉を探すように、クラリスの視線が宙をさまよう。
「この前、向こうのおじいちゃんやおばあちゃんと会ったときを覚えてる?」
「もちろん、覚えているけど……」
同じルノールの街に住む母方の祖父母と違い、父方の祖父母と会う機会は滅多にない。別の大陸に住んでいるのだから当然だ。
だが稀に、両親の友人である魔法研究所長が時空魔法で空間を歪めて、会話を可能にしてくれるのだ。そのため、最後に会ったのは一年ほど前だろうか。下の妹の一歳の誕生日付近だった記憶があった。
と言っても、空間に窓くらいの大きさの穴を開けるだけで、触れることはできないし、もちろん言葉も分からない。そのため、ちゃんとコミュニケーションを取れるのは父だけだった。
「あの時、変だと思わなかった? おじいちゃんたちの後ろに映っていた部屋、魔道具らしきものがたくさんあったわ。それに、あの部屋の窓――」
クラリスは目を細めて、ルノールの街を見渡した。
「窓の外には、信じられないくらい高い建物がたくさん映っていたの。この街のどれよりも高い……それこそ、シュルト大森林の木くらいの高さの建物が」
「まるで遺跡都市みたいだな……」
ルノールの街の近くには、『遺跡都市』の名で知られる巨大な遺跡がある。連れて行ってもらったことはないが、魔道具が当たり前のように転がっており、クラリスが言ったような信じられない建造物が並んでいると聞く。
「けど、そんなはずないもん。ティアシェさんに聞いたけど、他の大陸には都市レベルの遺跡なんてないんだって。第一、遺跡に住んでるわけないし。お母さんは知ってると思うんだけど……訊いたらはぐらかされちゃった」
「そんなことが……?」
はぐらかしたということは、何かがあるはずだ。だが、父が別大陸から来たという出自自体が奇想天外なものであり、今更何を隠そうとしているのかが分からない。
だがその一方で、父に隠し事があるという妹の指摘には、いくつか心当たりがあった。
「私は最近まで気が付かなかったけど……お兄ちゃんはそれを感じ取っていたから、お父さんと変な感じなんじゃないかな、って」
「そうか……」
妹の思わぬ言葉は、意外と納得できるものだった。壁を作っていたのは自分だけではなく、父も同様だったのだとしたら。
もちろんそれが全てではないだろうが、一因である可能性は充分あった。
「ね、今度二人で聞いてみない? 意外と話したくてウズウズしてるかも」
「え? ……そうだな、そうしてみようか」
そんなにあっさり話が進むことはないだろうが、クラリスと二人なら気も楽だ。ツカサ自身、今の関係性を好ましいと思っているわけではない。
頷いたツカサを見て、クラリスは嬉しそうに微笑んだ。そして、楽しげに話題を変える。
「ねえねえ、ところで聞いた? お兄ちゃんか私のどっちかに、許婚ができるかもしれないんだって」
「ええっ!? 初めて聞いた……なんで僕らに……?」
「さあ……なんでも、十年前までお父さんの神殿で働いてた人が、子供を連れて来るんだって。お兄ちゃん、どうする? ひょっとしたら相手はすごくかわいい子かもしれないわよ」
「いや、会ってもいないのにそんなこと……」
「あ、今期待したでしょ。ちょっと顔がにやけた」
「そ、そんなことない!」
兄妹の賑やかな会話は、なかなか終わる気配を見せない。そんな二人を、フレディたちが温かい目で見守っていた。
……なお、大口の一件については、その背後関係を巡ってちょっとした事件が起きるのだが……それはまた別の話。




