エピローグ
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「ここが……千年前のクルシス神殿……」
『名もなき神』との戦いを終えてから一月後。初めて立ち入った古代都市の中心部に、ジュネは圧倒されていた。
「ああ。規模も技術も圧倒的だよな」
「……どれだけ造りが立派であろうと、神官も来殿者もいない神殿に意味はありません」
俺たちの会話を聞いて、先導するルーシャはそう呟く。その表情には寂しさが浮かんでいた。
「それでも、かつては多くの神官や信徒が出入りし、人々の心の拠り所になっていたのでしょう? それだけでも、ここは素晴らしい場所だと思います」
「……ありがとう」
そんなルーシャを気遣ったのか、ジュネは笑顔と共に口を開いた。その言葉にルーシャも柔らかい笑顔を見せる。
「けど……本当によかったんですか? 神子様はともかく、私がこんな凄い所に来るなんて……」
「もちろんよ。貴女はれっきとしたクルシス様の神官で……そして、クルシスの巫女の血縁なのだもの。少しくらい融通を利かせたって構わないでしょう?」
そんな話をしている間に、俺たちはいつか入った古代クルシス神殿の心臓部へと到達する。怪しく明滅する魔法陣と巨大な機械群は、以前とまったく変わっていなかった。
「ここが……固有職の封印を解放できる場所……?」
物珍しそうに周囲を見回すジュネを、ルーシャが温かい視線で見つめる。
そう、俺たちがここを訪れたのは、固有職を解放するためだ。『名もなき神』が消滅した今となっては、固有職を封印しておく理由はない。そのことをルーシャに説明すると、彼女もそれに同意してくれたのだった。
「勝手で申し訳ありませんが、今後の神殿の管理者として、カナメ司祭とジュネ司祭を登録しておきました。固有職の解放が済めばこの神殿にはもう存在意義がありませんから……貴方たちの好きにしてください」
俺が操作台の前に腰かけると、ルーシャはしんみりした口調でそう告げた。その物言いに引っ掛かった俺は、傍らに立つルーシャを見上げる。
「あの、ルーシャ様? その仰り方だと、まるでルーシャ様がいなくなってしまうように聞こえるんですけど……」
ジュネも同じことを考えていたようで、その質問は俺の疑問でもあった。
すると、ルーシャは透明な微笑みを浮かべて……はっきりと頷いた。
「固有職を解放するためには、蓄えられている神気とは別に、導入となるエネルギーを注入する必要があります。……そして、それこそが私の存在意義」
「それは、まさか……」
唐突に明かされた事実。俺の想像が正しければ、彼女は――。
「……私の身体は、そのためのエネルギーで構成されています。『名もなき神』の手先がここを知っても、決して固有職を解放できないように」
「ルーシャさん自身が、解放の鍵だと……?」
「そんな……じゃあ、ルーシャ様はいなくなってしまうんですか!?」
思わずルーシャに縋りつこうとしたジュネが、彼女の身体をすり抜けた。そんなジュネの頭を撫でるように、ルーシャは手を伸ばした。
「それが、私が今まで在り続けた意義。兄さんの子孫である貴女に会えただけでも、私は嬉しいわ」
彼女はきっぱりとそう告げる。だが、彼女の表情は沈んでいた。それは、自分の消滅を恐れていると言うよりは、志半ばでいなくなることを惜しむような――。
そう考えた時、俺は一つの想像に辿り着いた。
「……ルーシャさん。もし、このまま固有職が解放されなければ、貴女はどうなるのですか?」
「それは……いつまでもここに在り続けると思いますが……」
「そうすれば、いつかは復活したクルシス神に会えますよね」
「……っ!」
その言葉に、ルーシャは過剰とも言える反応を示した。その様子を見て、俺は自分の予想が間違っていないことを確信する。
「その、間違っていたら申し訳ありませんが……ルーシャさんは、クルシス神を待ち続けるためにその身体になったのではありませんか?」
「えっ!?」
ルーシャより先に、ジュネが驚きの声を上げた。そして、当のルーシャは心情の読めない微笑みを浮かべる。
「もしそうだとしても……クルシス様がこの装置を残していかれたのは、まさにこの時……『名もなき神』の消滅を確認し、固有職の封印を解放できるようになった時のため。
カナメ司祭に歴史を説明した時、固有職の封印の話を避けてしまったのは事実です。けれど、それはクルシス様のご意思を踏みにじること。そんな手段で生き永らえても、クルシス様に合わせる顔がありません」
そう言いながら、彼女は俺の前のパネルに手をかざした。
「カナメ司祭、選択画面から『固有職解放』を選んでください」
「……分かりました」
俺は言われるままに画面を操作する。管理者権限を与えられたためだろう、今ではすべての表示が分かるようになっていた。
――認証モード鍵を示してください。
その表示がなされるなり、パネルの様子が変化する。その一部が開いたのだ。ルーシャはそこに手を滑らせるようにして――。
「……カナメ司祭?」
そして、俺の手に阻まれた。厳密に言えば俺の手をすり抜けることも可能だろうが、ルーシャは不思議そうに俺を見つめた。
「あの……違っていたら申し訳ないのですが、ルーシャさんの身体を構成しているエネルギーって、クルシス神の神気ですよね?」
「ええ、その通りですが……」
「ここに、神気を使っても存在が消滅しない人間がいるのですが……」
そう言うと、ルーシャは目を見開いた。
「神子様、それって……」
「ああ、俺の――」
ジュネに返事をしようとした瞬間。上級職を数人転職させたような疲労感が俺を襲った。
――認証完了誤差確認許容範囲内システム起動。
そして、古代文明の装置は何事もなかったかのように処理を始める。
「……え? まさか……」
ルーシャはポカンと口を開ける。そんな彼女に俺は頷いてみせた。
「どうやら、私でも大丈夫だったようですね。……せっかく管理者権限を頂いておきながら恐縮ですが、この神殿の管理は今まで通りルーシャさんにお願いしたいと思います」
そう言うと、ルーシャの瞳から涙が零れる。
「そして、いつか復活したクルシス神に伝えてもらえませんか? ……信心の薄い神子ですみませんでした、と」
「あ……」
ルーシャは口元を押さえたまま、静かに涙を流し続ける。
固有職が解放されたのは、その日のことだった。
◆◆◆
「よお、お二人さん! 婚約おめでとうな!」
固有職を解放してから半年ほど経った、とある朝。神殿長室にやって来たコルネリオの、開口一番の台詞はそれだった。
「ちょっと、コルネリオ君! 扉も閉めないうちに……!」
「なんや、クルネちゃん照れてるんか? 俺らからしたら『ようやくかい!』てなもんやけどな。……おーい、頼むわ!」
頬を染めて抗議するクルネをさらっと流すと、コルネリオは扉の向こうに顔を出した。すると、複数の人間が大量の品物を運び込んできたため、広い神殿長室が物で溢れかえった。
「これは……?」
「婚約祝いや。……ちゅうても俺からやないで。セイヴェルンは今、転職の神子と『剣姫』が婚約したって話で持ちきりやからな。色々と託されたんや」
「あー……」
その言葉に俺は納得する。クルネはセイヴェルンで大人気の『剣姫』だからな。お祝いをしようという人もいるのだろう。
そんなことを考えていると、コルネリオは意味ありげな表情で俺の肩を叩く。
「カナメ、安心してええで。ちゃんと剃刀の類は抜いといたからな」
「……それはネタか? それとも実話か?」
「もちろん実話や。……ほれ、四月くらい前にクルネちゃんがセイヴェルンに顔出したやろ? あれで『剣姫』人気が再燃したところやったから、そら物凄いで。今、カナメが一人でセイヴェルンに行ったら、間違いなく刺されるわ」
そう言ってコルネリオは楽しそうに笑った。
俺やクルネがセイヴェルンの街に顔を出したのは、コルネリオが言う通り四月前のことだ。セイヴェルンのクルシス神殿長であるカストル神殿長に事の顛末を説明したり、久しぶりにクルネがミダスさんに剣を教わったりしていたのだ。
その時、周囲の勧めを断りきれず、クルネは闘技大会に出場したのだが……彼女のために組まれた臨時大会だったにもかかわらず、五覇全員が出場するという凄まじい顔ぶれとなり、その観戦チケットを巡って壮絶な争いが巻き起こったと言う。
結局、その時の優勝者はクルネだったのだが、固有職が解放された今となっては、いつ新たな上級職が誕生するか分からない。五覇もうかうかしていられないな、とアズライトが気を引き締めていたのが印象的だった。
なお、俺の傍にいると、上級職の資質が生じやすくなるのではないかという噂も流れていたが、それが本当の話だと言うことを知っている人間はごく僅かだ。
「――ほれ、そこの首飾りはうちの親父からで、この宝飾はトレアスさんからやな。これは……フレーゼ評議員やな。茶器とはあの人らしいわ」
コルネリオは山のように積み上げられた品物を一つ一つ説明していく。名前を聞いて顔が浮かぶ人間はまだいいが、そうでない人間となると申し訳なさが先に立つ。そんなことを考えながら説明を聞いていると、コルネリオは思い出したように手をポンと叩いた。
「せや、あとクルシス神殿のカストル神殿長から伝言や。『生まれる子には、ぜひクロシア一族の許婚を』やって」
「意外と粘る人だな……」
「気が早いわよ……」
俺たちの呟きを聞いて、コルネリオはまた笑い声を上げた。
「後は、五覇のアズライトがマジで殴り込みをかけそうな勢いやったけどな。けど、カナメに殴り込みをかけてクルネちゃんに撃退されたらアホ過ぎるからな。一応止めといたわ」
「ありがとう……」
コルネリオのファインプレーに、俺は心から感謝した。そうして、改めて贈り物を眺めていた俺は、ふと困ったことに気付いた。
「これ……どこで保管しておけばいいんだ……?」
もしかしなくても、これは私的な贈答品の類だ。そもそも、こうやって神殿長室に持って来てもらってよかったんだろうか。
「ええと……私の家はさすがに……兄さんも帰って来たし……」
「俺の宿舎だって入らないぞ……」
「この神殿の地下室に入れとけばええやん。どうせ地竜の素材だらけなんやろ? カナメしか入られへん仕様なんやからバレへんって。
それに、これの半分は公人としてのカナメ宛てでもあるんやから、気にせんでええって」
「それしかないか……見つからないようにしないとな」
「あの地下室に入れてたら、なんだか魔力を持ちそうで怖いわね……」
そんな感想を話しながら、俺たちは顔を見合わせた。
◆◆◆
クルシス神殿の神官は、基本的に夕方までは業務に励んでいる。だが、神官以外の職員は話が別で、もう少し早い時間で業務を終えることが多い。
神殿の年少コンビ、フィロンとマリエラを見かけたのは、そんな時間だった。
「神殿長代理、お疲れ様です」
「しんでんちょー代理、おつかれさま!」
二人はそんな挨拶と共に背を向ける。それを見送っていた俺は、彼らを迎えに来たらしい二人の少女の姿を目に留める。
一人はエリンの弟子だ。弓使いの資質は順調に育っていて、あと一年もしないうちに転職できるだろう。その成長の早さは辺境でも屈指であり、エリンの指導のよさが窺えた。
そして、もう一人はミレニア司祭が引き合わせてくれた子だったか。たしか王都でもクルシス神殿によく来ていたとか言っていたような……。
「……あ」
そんな記憶と共に、ついでで彼女の固有職資質を視た俺は固まった。
「カナメ、どうしたの?」
不思議そうにクルネが尋ねてくるが、すぐには言葉が出てこなかった。
どうやって彼女を囲い込むか。幸い、フィロンとマリエラが友達のようだから、連絡手段はある。後は、その気にさせる方法だが……。
そうやって思考の海に沈んでいると、俺の目の前を何かがヒラヒラと動く。見れば、クルネが俺の前で手を振っていた。
「カナメ、なんだか悪い顔してる」
その言葉を聞いた俺は、咳ばらいをすると表情を作り変える。――とりあえず、ミレニア司祭に相談してみよう。
そう結論付けると、俺はミレニア司祭の工房を目指した。
◆◆◆
「転職師の資質持ちですって!?」
魔道具を取り扱うノクトフォール工房の工房主は、彼女らしくない大声を上げた。だが、それも無理はなかった。
「そうなんです。それで、どう彼女を囲い込んだものかと思いまして……」
「人聞きの悪い表現ね……でも、言いたいことは分かるわ。カナメ君は転職師をクルシス神殿で囲い込むつもりなのでしょう?」
「ええ、もともとクルシス神官に発現しやすい固有職だとは聞いていますが、そもそもクルシス神はその力を失っていますからね。
現時点では、クルシス神官のみを転職師に転職させることで、市場の独占を図ろうかと」
もちろん、いつまでも市場を独占するつもりはない。だが、先行者としてある程度の経営努力は認めてほしいところだった。
俺としては、『転職と言えばクルシス神殿』というイメージを植え付けることによって、ある程度のブランド化を図ることができるまでは、転職師への転職は慎重な姿勢を取るつもりでいた。
どうやら、一般的な転職師は、一日に何人も転職させるのは辛いらしいから、先天的な転職師が一人や二人現れたところで大した影響はないだろうし、そこまで目くじらを立てるつもりはないのだが……。
「けど、相手はファーニャちゃんでしょう? それなら簡単よ」
「え?」
そんなことを考えていたせいで、俺はミレニア司祭の言葉に付いていけず、首を傾げた。
「あの子は大のキャロちゃん好きだから、ずっと一緒にいられると言えば、たぶん承諾するんじゃないかしらね」
「え、それでいいんですか……」
「だってキャロちゃんだもの。……ただ、フィロン君とマリエラちゃんが神殿の職員だということを考えると、少し配慮が必要ね」
「そうですね……同い年の友達が、いきなり自分の職場に神官として現れるとなれば、色々ありますよねぇ……」
俺はミレニア司祭の気遣いに同意する。焦らず、じっくりと準備をしよう。そう方針を定めると、俺は彼女の勧誘計画を練るのだった。
◆◆◆
クルシス神殿の神殿長室で、俺は思わぬ来客を受けていた。
「まさか、バルナーク大司教が直々にお出でになるとは……」
「ガライオス司教をそろそろ王都に返してもらおうと思ってな……そして、お前の顔を見るのも理由の一つだ」
「私ですか?」
その言葉に、俺はきょとんとした。
「……今を時めく転職の神子が、どれほどニヤけた顔をしているのか、確認しておこうと思ってな」
それは、冗談とも本気とも取れる顔だった。
「けど、意外といつも通りの顔だね。噂じゃ『剣姫』とのロマンスがどうこうって言われてたし、期待してたのに」
「お二人は長い付き合いなのだから、その程度で顔に出ることはないのだろう」
「メルとバルナーク大司教みたいに?」
「メヌエット!」
大司教に同行した『聖女』たちの会話に、俺は肩をすくめる。まさか、わざわざその話をしに来たのだろうか。いや、別にいいけどさ。
「まあ、それはそれとしてだ。……一度礼を言っておこうと思ってな。あの教団は、お前が『名もなき神』を滅ぼしたおかげで虫の息だ。もともと奴一人の力に頼っていた組織だからな。奴亡き後の指揮を執っていた男の身柄を確保したとの報告も入っている。消滅は時間の問題だろう」
「ありがとうございます。でも、皆さんのお力添えを頂いたおかげですからね」
そして、俺は彼女たちの中で最も活躍していた『聖女』に視線を向ける。
「あれ? 今日のミュスカは大人しいね」
「メヌエット、ミュスカさんはいつも大人しいと思いますよ……」
そんな言葉を受けて、当のミュスカははっとしたようにこちらを見る。どうやら考え事をしていたらしい。
『ルノールの聖女』として相変わらず大人気のミュスカだが、彼女は最近、シュルト大森林の調査隊に名を連ねることにしたらしい。意外な展開に驚いたものだが、聞けば自分の意思だという。
おかげで、シュルト大森林の調査隊に参加したいとの希望者が殺到し、もはや開拓団ができそうな勢いだと聞いた記憶があった。
「あの、わたしは別に……」
ミュスカはちらりと俺を見ると卓に視線を落とし、そしてもう一度俺を見つめる。
「あの……カナメ君、おめでとうございます」
「えっと……ありがとう」
予想外のタイミングで驚いたが、俺は聖職者としてではなく、学友としての笑顔を浮かべる。その光景を見て、メヌエットは目をぱちくりさせた。
「ミュスカ、それだけ?」
「メヌエットさん! どうしてあなたはそうやって……」
「まったくだな……大体だな、メヌエットは――」
そんな言葉が行き交う中、俺はミュスカの様子を窺った。すると、こちらを見ていた彼女と視線が合う。
すると、ミュスカは慌てて視線を逸らすが……意外なことに、彼女は再び俺に目を合わせてきた。そして、不思議な色合いの微笑みを浮かべる。
「わたしは……大丈夫ですから」
そんな言葉が、聞こえた気がした。
「あら、ミュスカさん、何か仰いました?」
「い、いえ……」
「ミュスカ、どうしたの? 大丈夫?」
と、『聖女』たちがミュスカに注目し、彼女を賑やかな雰囲気に巻き込んだ。その空気は伝染し、いつしかミュスカの笑顔を引き出す。
その光景を、俺は静かに見守っていた。
◆◆◆
「まさか、このメンバーで再び集まる日が来るとはな」
「けれど、あの時のように地竜が襲ってくることはありませんわ」
「そうかい? あの時だって、地竜が出て来るなんて誰も思ってなかったろ」
「怖いことを言わないでよ……」
「キュッ!」
シュルト大森林の一角に、賑やかな声が響く。元々は、辺境北部に住むラウルスさんと、南部に住むアデリーナが同時にルノールの街に来たことが発端だったのだが、それをきっかけに地竜討伐メンバーで久しぶりに集まることになり、なぜかその流れで森へ狩りに出かけていた。
「……しかし、こうして使命抜きで森に入るのは久しぶりだな」
飛竜の急降下攻撃を盾で受け止めながら、ラウルスさんはぽつりとそう呟いた。
『辺境の守護者』にして評議員でもある彼は、相変わらず辺境を飛び回っている。どんどん評議員としての仕事が増えているらしく、上位竜との戦いとどちらがマシかと尋ねると、非常に難しい顔をしていた。
「ラウルスさんは働きすぎですのよ」
そう言いながら、アデリーナはラウルスさんを襲った飛竜を槍で仕留める。地竜の素材で作られた槍は、飛竜の鱗程度はあっさり突き通してしまうようだった。
南部の顔役であるアデリーナは、シアニス港を中心とした港町に居を移しており、海から現れる海竜を倒したばかりだった。
最近のシアニス港では、入港している船の多くにおいて、船首の女性像が槍を持っているらしいのだが、関連は不明だ。
「ま、ここにいるメンバーはみんな働きすぎだよ。少しはのんびりしな」
そして、戦いの後も天穿として在ることを選んだエリンが、矢継ぎ早に飛竜を撃ち落とす。
エリンはミュスカと同じく、シュルト大森林の調査隊に参加することが増えており、それでいながら狩人業もこなしているのだが、そのため街中で顔を合わせることは滅多になかった。
「そう言うエリン姉ちゃんだって、ほぼ毎日狩りに出てるじゃん。どう考えても働き過ぎだぜ」
「エリンちゃん、上級職になっても精神的な疲労は変わらないんだからね?」
そして、地面に落ちた飛竜に、ジークフリートとクルネが止めを刺して回る。
二人目の子供が生まれたジークフリートは、他のメンバーとは違う意味で大忙しのようだった。睡眠不足を治癒魔法でごまかしていると聞いた時には、子育ての大変さの片鱗を見た気がしたものだ。
「まったく、揃いも揃ってワーカーホリックだなぁ……」
「キュッ」
俺の声に答えるように鳴き声を上げると、キャロは空中へ跳び上がった。どうやってか、空中を蹴ってさらに高度を上げたキャロは、そのまま進路上の飛竜を蹴りつける。
「カナメも人のことは言えないだろうに。……けど、今日はそんな大物が出て来ることもないだろうからね。のんびり行こうよ」
「出てきたら、それはそれで面白いけどな」
そう答えると、アデリーナが意味ありげな笑みを見せた。
「その時は、お二人の婚約祝いに剥製をプレゼントして差し上げますわ。……本当にじれったいお二人でしたから、感慨もひとしおですわね」
「ええと……」
「い、いきなり何よ……!」
いきなり飛んで来たボールを受けられず、俺とクルネは言葉に詰まった。すると、横合いからジークフリートが口を出す。
「そう言うアディ姉ちゃんはどうなんだ?」
「……ジークフリートさん、少し手合わせでも致しませんこと?」
「えっと……ごめん」
アデリーナから本気を感じ取ったジークフリートは、素直に謝ることにしたようだった。言葉遣いこそ独特なものの、アデリーナは外見も性格もいいし、相手に困るようには見えないのだが、あまり浮いた噂を聞かないのも事実だ。アデリーナの男の好みってどんな人間なんだろうな。
「あれ……もう終わりか?」
と、そんな会話を交わしていた俺は、いつの間にか周囲が静かになっていることに気付いた。雑談交じりの戦闘は、いつの間にか襲い来た飛竜の群れを全滅させていたようだった。
「あんたたちと一緒だと、どうにも緊張感が薄れるね……」
「違いない」
そうして、俺たちは和気藹々とシュルト大森林の奥へと分け入る。その奥地で、俺たちは希少なS級モンスターに襲われることになるのだが……。
このパーティーの凄まじさを再確認しただけだったことを記しておく。
◆◆◆
「アルミードがギルド長か……」
つい最近完成したばかりの建物を見て、俺はしみじみと呟いた。
「まさか、本当に冒険者ギルド支部を作るなんて思わなかったわ」
クルネも同じく建物を見上げていたが、その感慨は俺よりも大きいものだろう。なんと言っても彼女自身が元冒険者であり、初代ギルド長はパーティー仲間となれば、俺とは比べ物にならないほど様々な思いがあるのだろう。
この世界では、冒険者という人種は少ない。固有職持ちでもない限り、モンスターを狩って生活費を稼ぐことは至難の技だし、希少な固有職持ちはわざわざ冒険者になどならなくても、国や貴族に優遇されていい暮らしを送ることができる。
何でも屋としての側面もあるが、わざわざ冒険者に依頼が来るような仕事は、結局強さが求められることも多い。固有職持ち以外が生業とするには、少し厳しいものがあったのだ。
だが、今後は違う。固有職が解放されたことにより、固有職持ちの数は格段に増えるだろう。そうなれば、冒険者という存在は人々の選択肢として充分存在し得るはずだった。
と、そんな物思いに耽っていると、その建物――冒険者ギルドの扉がガチャリと開いて、建物の主が顔を出した。
「なんだ、クルネもカナメも来ていたのか。遠慮せずに入ればいい」
「アルミード、ギルド長の就任おめでとう。……大変だと思うけど、頑張ってね」
「ああ、ありがとう!」
クルネの言葉を受けて、アルミードは満面の笑みを浮かべた。そして、今度は俺を見て背筋を伸ばす。
「クルシス神殿とは今後も何かとご縁があることでしょう。よろしくお願いします」
「え? ……ええ、こちらこそよろしくお願いします。クルシス神殿は冒険者ギルドを、そしてその構成員である方々を歓迎します」
突然の物言いに驚いたが、それはアルミードなりの冗談であるようだった。その秀麗な顔にうっすら笑いが広がっていた。
「お? なんだ、もう来てたのか」
ギルドの建物に足を踏み入れると、そこには馴染みのある冒険者たちが揃っていた。
「ノクトさん、お久しぶり……じゃありませんでしたね。この前、姿をお見掛けしたような……」
「な……まさか、俺っちの尾行に気付いたのか……?」
「堂々と言わないでくださいよ……」
そんなやり取りに笑い声が上がる。固有職持ちで構成され、数々の実績を持つパーティーとして名前が売れている彼らだが、実は解散が囁かれていた。
アルミードのギルド長就任をはじめ、ノクトはルノール評議会直属の諜報機関を束ねる立場に推されているそうだし、マイセンは錬金術師として実験に忙しい身だ。また、サフィーネは相変わらず特殊土木工事要員としてもカウントされている。
そして、グラムはいつか故郷に帰って部族宗派の祭司として親の跡を継ぐそうだが、しばらくはこの街に留まるつもりのようだった。カーナは、しばらくアルミードを手伝ってギルドにいるつもりだと言う。
有事の際にはパーティーを再結成するだろうが、日常的に彼らが揃っている光景はもう見られないのかと思うと、なんだか複雑な気分だった。
「そうそう、クルネに報告があるんだ」
「え、私に?」
「このギルドの名誉会員として、君を登録しておいた」
「ええっ!?」
「冒険者は血の気の多い人間が多いですからね。『剣姫』と深い繋がりがあるとなれば、多少は彼らを御しやすくなるでしょう」
「逆に試合を申し込んでくる人がいないことを祈るわ……」
できたての冒険者ギルドルノール支部は、こうして辺境にお目見えしたのだった。
◆◆◆
「それって、危険はないのか?」
「アンドリューさんが上手く手綱を握っているから、大丈夫だと思うよ。ただ、帝国の古代文明学会はエリザ博士と仲が悪いからね」
クルシス神殿の神殿長室で、俺はリカルドの話を聞いていた。
「なんせ、新進気鋭のエリザ博士を恐れて、立入禁止の遺跡に彼女を誘導、捕縛して帝国学会から追放した男が、今の学会の理事長だからね……ひょっとすると、調査に一枚噛ませる代わりに理事長を追放しろ、くらいは言うかもしれない」
「それが本当なら、エリザ博士には同情するな……」
リカルドが持ってきた話は、帝国学会が古代都市の調査に参加したい旨の打診をしてきた、と言うものだった。古代都市からは数々の生きた古代魔道具が発見されているため、同様の打診は近隣の学会のほぼすべてから受けていた。
「そして、ルーシャさんにも話を聞きたいこともあるそうでね。ただ、彼女はあまり姿を現さないから、君の口添えをもらえれば、と思ってね」
そうして、リカルドは今後の計画や現状の懸念を理路整然と説明する。その様子は、辺境を代表する評議員として名を売りつつあるリカルドに相応しいものだった。
ちなみに、そんなリカルドには縁談も数限りなく来ているらしいが……例の事情によって、本人にそのつもりはまったくないらしい。
「それじゃ、カナメ。また来るよ」
「ああ、またな」
そして、風のような素早さで身を翻して去っていく。もはや、彼を昼行燈の第十二王子などと揶揄する者はいない。
場合によってはリカルドを暗殺しようとしていた王国も、元王族という出自を強調して、辺境との重要なパイプだと認識することで意見が一致したらしい。そこにはアイゼン王子の意向が多分に含まれていたのだろうが、辺境にとっては悪い話ではなかった。
「――あら、もうお客様はお帰りなの?」
去っていったリカルドと入れ替わりで、今度はセレーネが現れる。その手には上質な紙で作られた契約書らしきものがあった。
「ああ、ついさっき帰ったよ」
「そう……残念ね、ついでに書類を渡してしまおうと思ったのに」
そう呟きながら、セレーネは窓の外を見る。そこには、ちょうど去っていくリカルドの後ろ姿があった。その姿を見送りながら、セレーネは小さな溜息をついた。
「有能だし、将来も有望だけど、なんだかしっくり来ないのよねぇ……でも、最有力候補はいなくなったものね」
意味ありげにこちらに流し目をよこすと、セレーネは窓から離れた。
「聞いた話だと、王国教会の『聖女』のうち、誰かが引退するらしいわよ」
「そうなのか?」
「たぶん、カナメ君たちと同じ事情でしょうね。教会の『聖女』が引退する時は、大抵そうらしいから」
相変わらずの事情通ぶりを見せて、セレーネは悪戯っぽく笑った。
「まあ、みんなそれなりの年齢に差し掛かってきたってことなんだろうなぁ」
「あら、カナメ君が言うと説得力があるわね」
「余計なお世話だ」
そんな他愛もない会話は、なかなか終わる気配を見せなかった。
◆◆◆
「やあ、カナメ君。久しぶりに巨大怪鳥便を使うんだって?」
「ああ、王都のクルシス神殿に呼ばれてるんだ」
マデール商会を訪れた俺は、商会主であるクリストフに頷きを返した。
モンスターを利用した産業を次々と提案していくクリストフは、目立たないながらも画期的な存在だった。コルネリオのように商才があるわけではないが、その発想力は非凡と言ってよく、俺もたまにその活用方法について議論を交わしていた。
しかも、新しい魔獣使いの従業員を雇ったため、その事業規模は急速な勢いで拡大しており、辺境を代表する大きな産業となっていた。
なお、新しい魔獣使いは若い女性であることから、クリストフとの仲を邪推する者も多いが、今のところアニスが全力でガードしているようで、何事も起きてはいないようだった。
「ちょうど新しい巨大怪鳥を躾けたところなんだ。その試運転を兼ねてくれるなら、半額でいいよ」
「カナメ君とクルネちゃんなら、巨大怪鳥が暴走しても大丈夫だもんね」
アニスが身も蓋もない本音を追加すると、クリストフは苦笑を浮かべた。
「アニス、いくら気心が知れたカナメ君たちとは言え、そこは黙っていてほしいな……」
俺はそのやり取りに笑い声を上げる。
「けど、魅力的な提案だな。喜んで試運転をさせてもらうよ」
そんなこんなで格安の巨大怪鳥便を確保すると、俺は王都へと向かうのだった。
「カナメ司祭、よく来てくれた。ルノール分神殿の様子はどうかね?」
「神官を増員してくださったおかげで、少し余裕が出ています。ありがとうございました」
久しぶりに訪れたクルシス本神殿の神殿長室で、俺はプロメト神殿長と向かい合っていた。
「さて……カナメ司祭に来てもらった理由だが……いくつかあってな」
そう前置きすると、神殿長はかすかに笑ったような気がした。
「……ルノール分神殿の格を引き上げ、他国の一般的なクルシス神殿と同じ扱いとする」
「え? いいのですか?」
「辺境は今や一大勢力だ。その中心となる自治都市にあるクルシス神殿ともなれば、低い格では釣り合わぬ」
「そうですか、分かりました」
なんだろう、気を抜くと笑みが浮かびそうになるな。辺境の発展が認められたことは、俺にとってだいぶ嬉しい話だったらしい。
そんな自己分析をしていると、神殿長はさらなる驚きを提供してくれた。
「そして、カナメ司祭をルノール分神殿の神殿長に命ずる」
「えぇっ!?」
「……司祭はあれだけの功績を上げているからな。以前のイメージ戦略もあって、非常に人気が出ている君をこのまま放置しておくつもりかと、他宗派にまで言われたよ」
プロメト神殿長は肩をすくめる。まさか、そんなことになっていようとは思わなかったな。
「……ああ、そしてもう一つ」
神殿長は真面目な顔で口を開く。
「婚姻の儀はどうするかね? もし必要なら、私もルノール分神殿へ顔を出すが」
相変わらず無表情に近いプロメト神殿長だが、その瞳には温かい光が湛えられていた。
◆◆◆
ミルティが支部長を務める魔法研究所ルノール支部は、賑やかな来客を迎えていた。
「この度は誠におめでとうございます! 神子様の系譜が続くことは、この世界の発展にとって必要不可欠! 魔法研究所の総力を挙げてお祝いの品をご用意させて頂く所存ですが――」
「神子様にお贈りする品ともなれば、選びに選び抜いた至高の逸品でなければ失礼というもの! 贈り物を吟味するためにも、今しばらくのご猶予を頂きたく……!」
「……お気遣いありがとうございます。そのお気持ちだけで充分ですよ」
「おお……! 神子様は変わらず寛大でいらっしゃる!」
「その懐の深さに、我ら一同感服いたしました!」
彼らは、かつてミルティが所属しており、俺も何度かお世話になった王立魔法研究所の所長と副所長だ。相変わらず息の合った様子で頭を下げる二人に、俺は懐かしさを覚えていた。
「本当に、所長も副所長も変わりませんね」
くすっと笑ったのはミルティだ。その表情が楽しそうであることを確認して、俺はなんとなくほっとする。
「その一方で、ミルティ導師は大活躍のようですな。この前の合唱魔法についての論文は、王国のみならず大陸中の魔法研究者の注目の的ですぞ」
「その通りです。もうじき魔法研究所として独立するとは言え、王都で共に魔法研究に勤しんだことを、私たちは決して忘れません」
「お二人とも、大袈裟です。資金面で都合がつくようになっただけですから……」
そう、この魔法研究所ルノール支部は、もうすぐ看板が掛け変わることになっていた。ルノール評議会がその有用性を認め、運営費用の一部を負担することになったのだ。
そのため、この研究所はルノール魔法研究所となり、ミルティはその初代所長に就任することになっていた。上級魔法職であり、また優秀な魔法研究者である彼女が所長に就任することについては、まったく反対の声は出なかったという。
「……そうそう、これが依頼されていた時空魔法と召喚魔法の文献です。ミルティ導師、今度はどんな研究をなさるのですか?」
「それは……大切な約束があるんです」
そう答えると、ミルティは視線をこちらへ向けた。
一時期、ややぎこちない関係が続いた俺とミルティだったが、それも最近では解消され、彼女は精力的に時空魔法の研究を続けてくれていた。
「なんと、神子様のお役に立つ話ですか! それならば、国の垣根を越えて全力でバックアップしなければなりませんな!」
「そうですとも! 必要とあらば、うちの研究所のあらゆる文献をお持ちしますぞ! なに、棚には絵本でも差しておけばよいのです! 王国の官僚たちは気付きますまい!」
二人のテンションが一気に急上昇する。もちろん、俺が異世界から来たことを明かすつもりはないが、研究の過程で様々な発見があるはずだから、文献を借り受ける代わりに、その辺りの情報提供をするつもりなのだろう。
ミルティには頭が上がらないな。そんなことを思いながら、俺は三人の話を聞いていた。
◆◆◆
「なあ、クルネ。キャロを見なかったか?」
「え? そう言えば……」
とある休日。日も高くなった頃、俺はどこにもキャロの姿がないことに気付いた。基本的に、キャロは俺の周囲か神殿の庭にいる。だが、どこを探してもその姿はなかった。
「まさか誘拐……はないか」
俺は呆然と呟いてから、あっさりと自分で否定する。キャロを意に反して連れ去ろうとすると、最低でも上級職の力が必要になるだろう。だが、そんなことをする上級職に心当たりはない。
俺の胸に不安が広がった。
「キャロちゃん、どこにいっちゃったのかな」
「新しく気に入った日向ぼっこの場所でも見つけたのか……?」
そんな会話をしていた時だった。俺を強烈な眠気が襲う。休日の自宅という気安さもあったのか、俺はその眠気に抗えず、意識を手放した。
「ここは……?」
木漏れ日が射す穏やかな深緑の空間。ふと目が覚めた俺は、周りの様子が一変していることに気付いた。
「カナメ!」
そうして周囲を観察していると、ふと声が聞こえてきた。駆けて来たクルネと合流すると、俺は当然の疑問を口にした。
「ここはどこだ?」
「さあ……」
だが、答えは手に入らない。一体何が起こったのかと顔を見合わせていた俺たちだったが、ふとクルネが声を上げた。
「あ! キャロちゃん!」
「え!?」
クルネの指し示した方向を見ると、確かにキャロの後姿が見える。そのことを認識した瞬間、俺は走り出していた。
その気配が伝わったのか、キャロはこちらをちらりと見る。その申し訳なさそうな、寂しそうな様子が気になって俺は全力で走った。
キャロの移動速度は意外と速く、その姿はなかなか近づかない。だが、正面に見える巨大な樹を目指していることはなんとなく分かった。
「やっと……着いた……」
そして、ようやくたどり着いた巨大樹の下。その空間を見た俺は目を丸くした。
「キャロちゃんが……いっぱい……!?」
その光景を見て、クルネは信じられないように呟く。
そう、そこにいたのは、数十匹の妖精兎だった。
「なんだ、ここ……」
どこを見ても、ふわふわモフモフ。そんな、人によっては発狂レベルで喜びそうな眺めに、俺の口から言葉がもれた。
もしあの中に飛び込めたら幸せだろうな。そんな思考が頭に浮かぶのを、俺は必死で振り払った。……俺は何をしに来たんだ。
「キャロ! どこだ!」
俺は妖精兎たちに向かって声をかけた。そっくりの妖精兎が数十匹。どれがキャロなのか、ぱっと見て判断するのは非常に難しい。ならば、向こうから出て来てくれるのを待つほうがいいだろう。
だが、その中からキャロが出て来る様子はなかった。ひょっとして、この中にはいないのだろうか。そう思った瞬間だった。
一体の妖精兎が、俺たちの前にぴょんぴょん跳んで来る。その妖精兎に特別なものを感じた俺は、神妙な顔を作った。
「キュキュッキュッ」
そして、不思議な鳴き声を上げた。その声を聞いた俺とクルネは顔を見合わせた。
「キャロは……使命を終えた……?」
「お別れって……そんな」
俺たちに伝わって来たのは、言葉ではなく感覚だった。だが、だからこそ間違いようがない。キャロは日向ぼっこでいなくなったのではなく、この棲み処のような場所へ戻ったのだ。
「嘘だろ……そんな、唐突に……」
俺は呆然と呟く。キャロと出会ってからの記憶が、バラバラな順番で再生されていく。喪失感に堪え切れず、俺は声を上げた。
「キャロ、帰ってきてくれ! もっと色々な草を食べたり、居心地のいい寝場所で昼寝をしたりしよう。……な?」
何を言っているのか、自分でもよく分からなかった。我儘だと言わればそれまでだし、俺はキャロに助けられてばかりで、どれくらいキャロの役に立っているかも分からない。
そういう意味では、こんなことを言う資格はないのかもしれない。だが、気持ちを伝えずにはいられなかった。
すると、妖精兎たちに動きがあった。
「キュ」
「キュゥ」
「キュッキュッ」
集まっていた妖精兎が、横一列に並び始める。
やがて、並び終えた妖精兎たちを見ていると、求められていることはなんとなく分かった。
「これって……キャロちゃんはどれか当ててみろ、ってこと?」
「そんな気がするな……妖精らしいと言えば妖精らしいのかもしれないが」
「でも、本当にそっくりよね……」
「――キュッ」
クルネと会話をしていると、先程の一体が再び現れる。ひょっとして長老格なのだろうか。キャロにそっくりすぎて、正直なところ威厳は感じられないが。
「選べ、ってことよね。これ、もし間違えたら……?」
「キャロには二度と会えないだろうな」
俺の答えを聞いて、クルネは息を呑んだ。
「それじゃ、慎重にいかなきゃ……!」
そう言って、クルネは必死で妖精兎たちを見比べる。
だが、俺は迷わなかった。列から一匹の妖精兎を見つけ出すと、しゃがんで話しかける。
「キャロ、帰ろう」
すると――。
「キュゥ!」
俺が選んだ妖精兎は、慣れた様子で肩に跳び乗った。その重みはとても身体に馴染んだものであり、俺の選択が正解であることを実感させた。
上手くいってよかった。そんなことを考えていた俺は、再び強い眠気に襲われた。
「夢……か……?」
「ん……」
ふと気が付けば、そこは見慣れた俺の部屋だった。俺とクルネは、リビングの椅子に座ったまま、机に突っ伏して寝ていたようだ。
先程の夢はなんだったのか。そう思った俺は、部屋の片隅を見て息を呑んだ。
「キャロ……!」
……そう。そこには、専用のベッドで寝ているキャロの姿があったのだ。その姿を見て、俺とクルネは顔を見合わせる。
「ねえ、カナメ? 一つ訊きたいんだけど、さっき変な夢を見なかった?」
「ん? 見たぞ」
そして、俺たちは夢の内容が同一であることを確認する。すると、クルネは感心したように俺を見た。
「――それにしても、カナメは凄いわね。あのそっくりさんの中から、一瞬でキャロちゃんを見つけちゃうんだもの」
俺はその賞賛の視線から目を逸らすと、正直なところを口にした。
「うーん……たしかに姿かたちで見当をつけた部分はあるんだが……他にも裏技があってだな」
「裏技?」
その言葉に俺は頷いた。
「ああ。だって、格闘家の固有職資質を持った妖精兎はキャロしかいなかったからな」
―――――――――――――――
自治都市ルノール。成長著しい辺境の中心として栄えているこの街には、いくつかの特別な施設がある。
まず、魔法の武具を販売している鍛冶師の工房。噂では『剣姫』の魔剣を打ったのもこの鍛冶師であるらしく、彼が打った剣は人気が高すぎてほぼ手に入らない。
そして、数々の魔道具を販売している細工師の工房。その多彩で有用な機能はもちろんのこと、デザイン性も高いことから、その人気は非常に高い。
また、噂では、ルノールの街の近くにある古代遺跡から出土した品が、ごく稀に並ぶということで、彼女の工房はいつも人で溢れかえっていた
次に、魔法衣を作成している縫製師の工房。大勢の人間がここで働いており、魔法衣以外に、一般的な服飾品も多く製造・販売を手掛けている。
魔法衣をできるだけ安価にして普及させたいとの工房主の願いから、その価格は魔法付与がなされているものとしては非常に安価になっており、人気が出る一因となっていた。
そして最後は、知る人ぞ知る錬金術師の工房。名高い冒険者パーティーの一人が工房主ではないかと言われている。
彼の水薬を求める者は後を絶たないが、彼はギルドを通じてしか水薬を販売していないため、設立されて数年とは思えないほど、冒険者ギルドには人が集まっていた。
「――ふう」
ルノールの街にある喫茶店。そのオープンスペースで、辺境へやってきた青年は息を吐いた。色々と噂になっている店や工房を覗いてみたものの、彼が辺境へ来た目的はそれらではない。
彼は、転職するためにここまで来たのだ。
「――おい、聞いたか? 今日は神子がいないらしいぞ」
「げ、それじゃ今日は固有職資質も確認できないってことか?」
そんな話題が聞こえてきて、青年は思わず耳を傾ける。
「いや、それが転職の儀式もやってるらしいぞ。どうも、神子以外にも転職師がいるらしい」
「そうなのか? まあ、転職させてもらえるんなら、どっちでもいいけどな」
そして、彼らは別の話題へと移る。それを機に視線を戻した男は、ふと通りを歩く親子連れに目を引かれた。
それは美しい容姿を持つ母親のせいだったのかもしれないし、あまり見ない黒目黒髪の連れ合いのほうが目を引いたのかもしれない。
抱かれている子供は母親と同じ髪色をしており、幸せそうに眠っていた。
「ねえ、なんて挨拶したらいいのかな」
「うーん……適当でいいんじゃないか? なんせ言葉が通じないんだからな」
「もう、そういう問題じゃないわよ……。あ、服装は失礼になってない?」
「ああ、大丈夫だよ。……けど、ミルティも言ってた通り、向こうの世界に転移するわけじゃないからなぁ。窓越しに話すようなものだし、そんなに気にしなくてもいいさ」
そんなやり取りを交わしながら、彼らは通りの向こうへ去っていく。なんとなく気になるものを感じながらも、彼は椅子から立ち上がった。
――よし、行こう。
わざわざ長旅をして、この街までやって来たのだ。なんとしても転職してみせる。そんな意気込みと共に、彼は歩き始めた。
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転職を望む者が必ず訪れる場所。
常に複数の転職師を抱え、多くの人々を転職させてきた神殿は、かつてその地が辺境と呼ばれていた頃から『転職の神殿』と呼ばれ、親しまれてきた。
その初代神殿長については様々な伝承や詩歌が残されているが……もはや、真実は定かではない。
これにて、本編は完結となります。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました……!