決戦・下
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「ほう……『守護神』までいるとはな。やはり、貴様は楽しませてくれる」
クルネが魔獣使いの黒竜を倒すために去った後。『名もなき神』に対抗するべく、俺はラウルスさんを神級職に転職させていた。
その結果、ラウルスさんは黒竜二体を相手取りながら、『名もなき神』をも警戒するという非常に難しい状況に置かれていたが、その分、こちらもキャロやミルティがラウルスさんの援護に当たっていた。
「貴方の娯楽になるなんてごめんですね」
相変わらず、この一帯では『名もなき神』の呪術とミュスカの聖域が戦いを繰り広げていた。ミュスカの魔力残量が気になるが、それをこの場で聞くわけにもいかない。
そして、魔力残量が気になるのはミュスカやミルティだけではない。
俺はマクシミリアンの姿を視界に捉えた。正直に言えば、俺たちが狙っていたのは『名もなき神』の移動手段である奴の魔力切れだ。『名もなき神』の呪術も厄介だが、マクシミリアンの時空魔法もそれと同等……下手をすればそれ以上に厄介だった。
ミルティは強力な魔道具の補助を受けているが、奴にはそれがない。どれだけ偉大な魔導師であろうと、先に限界が訪れるはずだった。
「ん? あれは……!?」
しかし、俺が注視している先で、マクシミリアンは恐れていた行動に出た。魔晶石を取り出したのだ。しかも、あの大きさであればかなりの魔力の回復が可能だろう。
「やっぱり持っていたか……」
こうなると、奴がどれだけ魔晶石を所持しているかにもよるが、延々と追跡が続いてしまう。それなりに望みをかけていたのだが、そう甘くはないようだった。
ならば、仕方がない。俺は覚悟を決めると、マクシミリアンに向き直った。
「貴様……なんのつもりだ」
無視された格好の『名もなき神』が不快そうに眉を顰めるが、奴の自尊心に配慮してやるつもりはない。
マクシミリアンも俺の目的が自分にあると気付いたようで、不快げな顔をいっそう歪ませた。
「マクシミリアン導師、お久しぶりですね」
「……ふん」
取り付く島もない様子で、奴は鼻を鳴らす。古代都市でのやり取りからすると、帝国との戦争時に固有職を剥奪したのが俺だと言うことは知っているのだろう。
その態度には、いつもの傲慢さに加えて、怒りの感情が見え隠れしていた。
だが、それも知ったことではない。俺は俺の目的を果たすだけだ。
「……いやぁ、実は導師をお探ししていたのですよ。」
俺は平常を装って、丁寧な口調で話しかける。すると、マクシミリアンはさも嫌そうに口を開いた。
「儂を陥れた人間が、気安く話しかけるでないわ」
「陥れた、と言いますと?」
「とぼけても無駄よ。あの戦争の折、貴様が儂の固有職を奪ったことは分かっておる。あの屈辱をどうして忘れようか……!」
そう語るマクシミリアンの視線には怒りが籠もっていた。それは事実だし、弁解したところで怒りが収まるとは思っていない。
「まあ、私のほうも命がけでしたからねぇ……導師をなんとかしない限り、私が死ぬのは明らかでした」
「ならば、貴様が死ねばよいだけの話じゃ。この儂が固有職を失うということは、人類にとって損失でしかない。それすらも分からぬ屑が……」
それは予想通りの返答であり、俺の心に波風を立てることはなかった。そして、俺はいつもの笑顔を浮かべる。
「おお、もちろん心得ております。導師は魔法界の……いえ、人類の至宝とでも言うべきお方。私とて自分の命がかかっていなければ、導師の固有職を奪おうなどとは決して思わなかったことでしょう」
「ふん、白々しい。儂の尊厳を奪おうとした輩の言葉など、聞く耳を持たぬ」
……ここだ。その言葉に対して、俺は強い口調で問いかける。
「それでは、今の導師は尊厳を持って生きているというのですか?」
「……何?」
マクシミリアンは片眉だけを上げて俺を睨みつけた。初めて感じた手応えを分析しながら、俺は言葉を続ける。
「失礼ながら、ここ一、二年の導師は教団の使い走りにしか見えません。常に『名もなき神』の馬車馬となり、ただ大陸中を飛び回る日々。
導師ともあろうお方が、ただの馬か何かのように扱われている現状から、導師の尊厳を見出すことはできません」
「ぐぬっ……!」
不思議な唸り声とともに、マクシミリアンの顔色が変わる。やはり、俺の予想は合っていたようだ。マクシミリアンと同じく、『名もなき神』も他人を尊重するという発想に乏しい。
となれば、マクシミリアンに対してどのような扱いをしているかの想像は容易につく。そして、それにも関わらず、なぜ彼が『名もなき神』の下を離れないのか。……いや、離れられないのか。
「マクシミリアン導師もご存知の通り、私には転職能力があります。……そして、私は自分の生命に危険が及ばない限り、貴方から固有職を剥奪しないことをお約束しましょう」
「……!」
マクシミリアンは何も答えない。だが、見開かれたその目が、何よりも雄弁に彼の状況を語っていた。
「導師は、あの男に逆らえば時空魔導師の固有職を再び失うことになると、そう懸念していらっしゃるのではありませんか?」
『名もなき神』には、本人の意向を無視して転職させるほどの能力はない。そのためピンと来なかったが、『名もなき神』がそう脅して、マクシミリアンを従わせていたとすればどうだろう。実際に一度固有職を剥奪された経験のあるマクシミリアンは、信じざるを得なかったのではないだろうか。
もしくは、本人の深層心理に刻み込むため、『名もなき神』がその気になれば固有職はいつでも剥奪できるものなのだと、そう思い込ませて本人の意思を無条件信任の状態へ持っていたのかもしれない。
いくらマクシミリアンが優秀でも、転職については専門外だ。そして、そのことを詳しく知っているのは、俺とアムリア=『名もなき神』だけだ。欺瞞に気付くことは難しい。
「……それがどうした。貴様の言葉を信じられる要素などない。儂の固有職を奪い、人類の損失を招くつもりじゃろう」
その返答を聞いて、俺は内心でニヤリと笑った。つまり、前提条件は間違っておらず、後は俺と『名もなき神』との信頼勝負と言うわけだ。
「いえ、ありますよ」
「なんじゃと?」
訝しむマクシミリアンに、俺は真剣な表情で告げる。
「――私を異世界に帰すことができるのは、貴方だけなのですから」
それは予想外の回答だったのだろう。珍しいことに、マクシミリアンは目を白黒させていた。俺は、そんな彼に畳みかける。
「いい加減、この世界にはうんざりなんです。生活レベルは低いし、危険も多い。平均寿命が五十歳だなんて、もはや悪い冗談です」
その言葉に、後ろで誰かが息を呑んだ。
「導師からすれば、魔法がないつまらない世界なのでしょうが、私にとってはあの世界こそが私の世界であり、帰るべき場所なのです」
そう言いながら、俺は心底うんざりしている、という表情を意識的に作り上げる。内心では、ここにクルネがいないことにほっとしているが、それを表に出すわけにはいかない。ミルティたちへのフォローは必須だろうが、今は演技を貫き通すしかなかった。
「ですから、私は導師に研究を続けてもらわなければ困るのですよ。導師は、私の世界とのゲートを繋ぐことができる唯一の存在なのですから」
「貴様……」
マクシミリアンの表情が揺れた。なんと言ってもプライドの高い彼のことだ。『名もなき神』にこき使われる日々は、彼に耐えがたい屈辱を刻み込んだことだろう。しかも、それは現在進行形だ。
「――そこまでだ。神子よ、私の前で配下を勧誘とは、随分とふざけた真似をしてくれる」
と、さすがに旗色が悪くなったとみたのか、『名もなき神』が割って入ってくる。最初は面白そうに見ていた『名もなき神』だったが、ここへ来て高みの見物とはいかなくなったのだろう。
「必要な人材ですからね」
それだけ答えると、俺は再びマクシミリアンに向き直る。
「導師、これだけは申し上げておきます。奴は、相手の同意なしに固有職を剥奪することはできません。そして、全世界を見通す目も、空間転移する能力もありません」
そう言うなり、俺はマクシミリアンの固有職を『村人』に戻し……そして、再び時空魔導師へ転職させた。
「今、導師の固有職を『村人』にしてから、もう一度時空魔導師に戻したことがお分かりだと思います。もう奴の影響はありません。……つまり、導師は自由です」
「いい加減にしろ!」
劣勢を悟ったのか、『名もなき神』が怒りの形相でこちらへ迫る。
「守護領域!」
それを察知したラウルスさんが、俺の周りに防壁を張った。守護神の固有職とは言え、その防御力は未知数だ。俺は『名もなき神』の動きをよく見て、回避行動を――。
「空間崩壊」
その瞬間、『名もなき神』を囲む数メートルの空間がぐにゃりと歪み、俺もそれに巻き込まれた。やがて歪みは元へ戻るが、気が付けば俺が立っている地面は球状に抉れており、砂のような微細な粒だけが、俺の足下に溜まっていた。
「あいつ……やってくれるな」
俺は苦笑と共に、奴がいた方向に視線をやった。もはやその姿はないが、今の攻撃がマクシミリアンの置き土産であったことは疑いようがない。
標的が『名もなき神』であったことは間違いないが、俺を巻き込むことには頓着しなかったのだろう。ラウルスさんが守ってくれなければ、俺も足元の砂の一部になっていたかもしれない。
そして、標的となった『名もなき神』もその影響を受けていた。いくら存在の大元が神の次元にあるとは言え、この次元に存在していることに変わりはない。狂った空間で動こうとしたせいか、奴は足元の砂の中に倒れ伏していた。
その様子を見て、俺はミルティを振り返った。心得たように彼女は頷くと、もはや展開しなれた時空魔法を構築する。
「空間転移!」
そして、『名もなき神』が起き上がろうとする間に、ミルティは『名もなき神』を含む俺たちを転移させた。
◆◆◆
俺たちが転移した先は、周りを森に囲まれた荒地だった。おそらくシュルト大森林のどこかなのだろうが、場所の見当はつかない。
「みんな、いるか……?」
周囲を見回すと、そこにはミルティ、ミュスカ、ラウルスさんの姿があった。
「キュッ!」
そして、背後から元気な鳴き声が聞こえる。ついさっきまで、空を跳び跳ねて黒竜と非常識なアニマル対決を繰り広げていたはずだが、空間転移に際して付いてきてくれたようだった。
俺たちが転移した理由はいくつかある。まずは、ミュスカの聖域の範囲を最小限に抑えること。もしあのまま戦っていれば、『名もなき神』はルノールの街全体を呪術の対象にする可能性があった。そうなれば、ミュスカの負担は非常に大きくなってしまう。
そして、大きな戦いが予想される以上、ルノールの街を物理的に破壊してしまう可能性もある。そうなっては本末転倒だ。
「黒竜は大丈夫かな……」
俺は内心で呟いた。みんなと一緒に転移したのは予定通りだが、黒竜二体を街のすぐ傍に置いてきた格好だ。
「あの、大丈夫だと思います……襲ってくるモンスターの数が明らかに減ってましたから……」
つまり、クルネが魔獣使いの竜を倒してくれたのだろうか。もしそうなら、モンスターは混乱しているはずだ。餌を求めてルノールの街を襲う可能性は高いが、魔物同士の争いもあるだろうし、魔物が嫌がる結界装置もある。街を襲う強い意志さえなくなれば、後は烏合の衆となるはずだった。
「そうだな、ジークフリート君からその旨の連絡があった。それに、アルミード君たちのパーティーが戻って来ていたはずだ。アルミード君は重傷だが、他のメンバーは充分戦えるそうだ」
ラウルスさんの言葉が俺の懸念を払拭する。盾役のアルミードが負傷しているのは心配だが、街には上級職のジークフリートもいるし、クリストフやアニスもいる。合流すれば負けることはないだろう。
そう判断すると、俺は『名もなき神』を睨みつける。だが、『名もなき神』はその視線を意に介さず笑い声を上げた。
「貴様、どんどんクルシスの気配が強くなっているな。面白くなってきたぞ」
そう言うなり、『名もなき神』は終焉ノ地を展開する。もはや慣れた呪術だったが、今回はその次があった。
「そのことに敬意を表して、ちゃんと相手をしてやろう」
終焉ノ地の黒い靄とは別の、禍々しさを含んだ赤黒い光が『名もなき神』の手に集まる。
「抹消ノ理」
そして、赤黒い光球が俺たちへと放たれ――。
「守護領域!」
「対魔法障壁!」
「キュッ!」
聖域を維持しているミュスカを除く三人が、同時に障壁を展開する。そして、三種の障壁と次々にぶつかった光球は、最後のキャロの障壁と同時に消滅した。
「ぐはっ!」
だが、相殺したはずのエネルギーは、完全消滅には至らなかった。その僅かに残った力が炸裂し、俺たちは吹き飛ばされる。恐らくは呪力の塊なのだろうが、そこに込められた魔力の強大さが、物理的な爆発を引き起こしていた。
「不完全とは言え相殺したか……楽しませてくれる」
続けて第二射が放たれる。その様子から、奴が遊んでいることは明白だった。だが、『名もなき神』にとっては遊びでも、俺たちにとっては生き死にがかかっている。
俺たちは、その光球を必死で避けた。光球は地面に着弾すると、周辺を黒い塵へと変えながら爆発を起こす。その様は、正に悪夢とでも言うべきものだった。
「ぬおおおおっ!」
「キュウウウ!」
そして僅かな隙をついて、ラウルスさんの真空波とキャロの波動撃が『名もなき神』を襲う。
だが、『名もなき神』は避けることすらせず笑うだけだった。
「なるほど、やはり守護神の力は守りに特化しているようだな。あの時の剣神のほうが、多少は攻撃らしかったぞ」
「聞いていた通りか……!」
「キュゥ……」
悔しそうに呻く一人と一匹を見つめながら、俺は機を窺っていた。俺たちと奴の距離は二十メートルといったところだろうか。なんとかして、奴に接近したいところだった。
「さて、私からもお返しをせねばならんな」
「っ!」
その言葉に俺たちは身構える。直後、『名もなき神』の周囲に現れたのは、数十個の抹消ノ理だった。
「守護方陣!」
それを見た瞬間、ラウルスさんが剣を地面に突き立てた。すると、剣を中心に方形の障壁が出現し、俺たちを包み込む。
そう認識した瞬間、『名もなき神』の抹消ノ理が俺達へと殺到する。それは、背筋が凍るような光景だった。
だが、ラウルスさんの守りはその程度で破られるものではなかった。光球は障壁に衝突して次々と爆発を起こしたが、守護方陣が揺らぐ様子はなかった。
「なに……?」
それは想定外の結果だったのか、『名もなき神』は、驚愕の表情を浮かべた。人間ごときが防げるはずはないと、そう思っていたのだろう。
しばらく沈黙していた『名もなき神』は、やがて気を取り直したように口を開く。
「……さすがは守護神と言ったところか。ならば、次は数を増やしてやろう」
『名もなき神』は宣言通り、無数の抹消ノ理を生み出した。その数は、少なく見積もっても二百以上はある。さすがに消耗したのか、『名もなき神』の顔に疲れが見えた。
だが、宙に浮かぶ数百の赤黒い光球には、それだけの存在感があった。
「――行け」
「守護方陣!」
抹消ノ理の飛来に合わせて、ラウルスさんは再び特技を展開した。
「ぬう……!」
さすがに数が多すぎたのだろう。初めは攻撃をものともしなかった守護方陣だったが、次第にその輝きは薄れていった。
赤黒い光球が直撃するたび、俺たちを守る光の要塞は不規則な明滅を繰り返す。それでも、守護方陣は俺たちを守り抜き、振動一つ感じることはなかった。
だが。
「あれ……おかしいな……」
ふと気付けば、俺は膝をついていた。頭がクラクラして満足に立っていられない。他の仲間も、俺ほどではないにせよ、身体の不調を感じているようだった。
「ほう……あの規模の抹消ノ理に持ちこたえるとは、呆れた男だな」
その声には、わずかに感心した響きがあった。だが、それも奴の余裕からくるものだ。
「……とは言え、呪力はじわじわと貴様たちを浸蝕しているようだな。神気を介した呪いだ、この次元に根差す貴様には、完全に防ぐことなどできまい。……『終末ノ巨人』」
『名もなき神』はカッと目を見開く。その全身から立ち昇った禍々しい光は、やがて全長二十メートルほどの光の巨人へと変貌した。
「あれは……」
それは異様な光景だった。人の形をしていながら、何よりも非人間的な存在。直視するだけでも精神を蝕まれそうな狂気を孕んだ、ただの絶望がそこにあった。
――アレの攻撃を受ければ、確実に死ぬ。
それは確信だった。守護方陣を展開したラウルスさんでなくとも、それを悟ることは容易だ。悪夢のような光景に、俺たちの血の気が引いた。
そして、誰もが無言で立ち尽くす中。俺は、懐から小さな瓶を取り出した。
それは、マイセンから渡された水薬だ。俺は蓋を開けると、その中身を一気に呷った。ドクン、という衝撃と共に身体に力がみなぎり、知覚レベルが一気に引き上げられる。
身体能力と知覚能力を爆発的に向上させる劇薬だ。明日の副作用は怖いが、どうせこのままなら明日は迎えられない。
俺は『名もなき神』へ向かって駆け出す。後ろから悲鳴のような呼びかけが聞こえるが、答えている余裕はなかった。
「……自暴自棄になったか」
つまらなさそうに呟くと、『名もなき神』はいくつかの抹消ノ理を俺へ飛ばす。
だが、水薬によって、固有職持ちに匹敵する速度を得た俺に避けられない速度ではない。
そして、攻撃を回避した俺を光の巨人が踏みつぶそうとする。
「聖障壁」
その瞬間、ミュスカが俺の上方に障壁を展開した。巨人の足に触れた障壁は、ごくわずかな時間抵抗したかと思うと、あっさりと砕け散った。
しかし、それだけの時間があれば充分だ。障壁が持ちこたえている一瞬の隙をついて、俺は『名もなき神』までの距離を詰める。
そして、懐の魔法球を掲げた。
「なに!?」
『名もなき神』が目を見開くが、もう遅い。
俺と『名もなき神』は、シュルト大森林のどこかに空間転移した。
◆◆◆
転移した先は、少し開けた場所だった。ちゃんと『名もなき神』が転移していることを確認して、俺は安堵した。
光の巨人も一緒に転移していたが、その姿はじきに崩れ、光の粒子は『名もなき神』へと吸収されていく。長時間の維持は難しいのか、それとも俺程度に使うのはもったいないと判断したのか。意図は不明だが、ありがたい話ではあった。
「最後の最後で自己犠牲か? ……ふん、クルシスらしいと言えばそれまでだが、気に入らんな」
対峙した『名もなき神』は、そう言うと鼻を鳴らした。
「いちいち勝手なことを言いますね……そもそも、私はクルシス神ではないと、何度も申し上げましたが」
溜息交じりにそう答える。だが、その返事は『名もなき神』の不興を買ったようだった。
「興醒めだな。あのクルシスが、そのような妄言を吐いてこの場を逃れようとは」
「おや、先日は私のことを『転職能力を得てのうのうと生きているのが許せない』と仰っていましたが、今日はクルシス神扱いですか。
人としての私が必要だったり、クルシス神としての私が必要だったり、なんとも主張がブレてますねえ」
「なんだと……!」
その言葉に対する『名もなき神』の反応は、やはりおかしなものだった。怒りながらも、どこか混乱している。
「私はクルシスを……知らぬ、奴などどうでも……なぜ……憎いのは神子……いや、固有職が、この世界が……」
奴はまるでうわごとのように、何かを呟いていた。だが、やがて自問自答していた『名もなき神』は、憎々しげな顔でこちらを睨みつけた。
「貴様は……その最たるもの。決して許せるものではない……!」
そう声を上げると、『名もなき神』は全身から赤黒い光を立ち昇らせた。それは抹消ノ理と同じ性質を持つ光であり、近くにいるだけで呪力が押し寄せて来る。ミュスカの聖域もない今となっては、毒煙が立ち込めている空間と同義だった。
同時に、俺が身に着けている魔道具や魔法衣が不思議な鳴動を始める。それは、耐呪の付与効果が限界を迎えているためであるように感じられた。
――悩んでいる暇はない。
俺は覚悟を決めた。予定が狂った以上、ここからの流れは迅速に進める必要がある。そう判断した俺は、自らクルシス神と同化し、神の領域の権能を発動した。
「――固有職崩壊」
「なんだと!?」
『名もなき神』の焦った声をよそに、俺は固有職の次元へ意識をシフトさせた。神の次元とは異なり、この次元に動きはない。物質世界にいる資格者との経路を開く時が、唯一の変化だろうか。
だが、その次元で蠢いている者がいる。それが『名もなき神』の固有職であることは、考えるまでもなかった。
俺はその固有職に狙いを定め……そして、破壊するべく攻撃を開始した。
「があああああ!? き、貴様何をした!」
「分かっているだろう。お前の固有職を破壊する」
『名もなき神』から苦悶の呻きが上がる。固有職の次元における自分の存在が、急速な勢いで削られているのだ。苦しくないはずがない。
こちらが破壊のためのエネルギーを増せば、『名もなき神』もそれを押し返そうと力を注ぐ。だが、その力量差は歴然だった。
固有職の次元はクルシス神が管理していると言っても過言ではない。その管理者に対して、本体をすでに神の次元に移している『名もなき神』ができることなど、たかが知れていた。
「おおおおおっ!」
俺は歯を食いしばる。そして、固有職の次元にいる『名もなき神』に圧力を加え続け……。
そして、『名もなき神』は砕け散った。
「貴様ああああああ!」
悪鬼のような形相で、『名もなき神』は絶叫した。だが、それに構わず、俺は懐に手を入れる。何をすればいいかは分かっている。たとえ俺にとって致命傷の恐れがあろうと、この神を放置するわけにはいかない。
「固有職を潰した程度でいい気になるな! 所詮アレは緊急避難先にすぎん! 神の次元での存在密度が低いお前など取るに足りぬわ!」
俺は『名もなき神』が動き出すよりも早く、用意した竜玉に自身の魔力を……いや、神気を通した。
それは、導火線に種火をつけるようなものだ。あらかじめ調整されていた竜玉は、その力に反応して――。
そして、世界の終わりを思わせる大爆発を起こした。
◆◆◆
――いいかい、カナメ君。君と『名もなき神』では、その構成要素に大きな違いがある。君を構成する万有素子は、この物質世界に根差したものであり、『名もなき神』を構成する万有素子は、あくまで神の次元に根差しているものだ。
――うーん……それで?
――神の次元のみを攻撃した場合、君が致命傷を受けることはないはずだ。……まあ、致命傷ではない、という程度だがね。
「う……」
俺が意識を取り戻したのは、竜玉を暴走させた場所からだいぶ離れた地点だった。全身に痛みが走り、身体を起こすだけの動作で激痛を感じる。だが、生きているだけで儲けものだった。
うっすら覚えている記憶からすると、生き残るなんてあり得ない、世界が終わるかのような爆発だったはずだが、調整の甲斐あってか、物質世界には大した影響を及ぼさずに済んだらしい。
それでも身体に疲労感や喪失感が色濃いのは、神の次元にあった神気があらかた吹き飛ばされたからなのだろう。
……そう。俺は魔神ミルティや錬金術師マイセンの協力を受けて、地竜の竜玉を神の次元を攻撃するための爆弾に作り変えていたのだった。
さすが上位竜は神に近い力を持つと讃えられるだけあって、竜玉に蓄えられているエネルギーは、使いようによっては神の次元に届き得た。
そこで、竜玉のエネルギーが『名もなき神』の本体を攻撃できるよう、俺の神気をベースに、竜玉に調整を行っていたのだった。
まあ、最初にこの提案を話した時には、ミレニア司祭とマイセンが口を揃えて「勿体ない!」と叫んだものだが。
本来の計画では、竜玉に点火した瞬間に空間転移を封じ込めた魔法球を使用して、俺は高みの見物をする予定だった。
だが、『名もなき神』の攻撃を封じるために魔法球を使ってしまったため、半ば自爆特攻のような形になったのだった。
「『名もなき神』は……どこだ」
俺は注意深く辺りを見回す。あれだけの大爆発だ。弱っている『名もなき神』が耐えられるとは思わなかったが、どうにも嫌な予感が収まらなかった。
そして、その予感は当たっていた。意外なことに、俺のすぐ傍に、『名もなき神』の身体は存在していた。同じく爆発にやられたようだが、俺のように傷だらけということはない。だが、その身体は半ば透けていた。
やがて、『名もなき神』は目を開けると、憎悪の籠もった眼差しで俺を睨みつける。それを見て、俺は無理やり笑った。
「生きて……いましたか……」
「よくも……やってくれたものだ。まさか、あのような隠し玉を持っていたとはな」
『名もなき神』はゆらりと立ち上がる。まだろくに身体が動かない俺とは大違いだ。身体が透けているということは、恐らく神の次元で瀕死なのだろうが、神の世界で瀕死であろうと、この世界で絶対的強者であることに変わりはない。
「クルシスよ……なかなか面白い戦いだった。お前が真に復活するまでの時は長いだろうが、それまでは今日のことを思い出すとしよう……さらばだ」
『名もなき神』の腕を闇色の靄が覆う。もはや終焉ノ地や抹消ノ理のような大技は使えないのだろうが、ろくに動けもしない俺を殺すには、充分すぎる呪力だった。
「……やめておいたほうがいいと思いますよ?」
だが生命の危機を前にして、俺は努めて平然とした表情を浮かべた。その様子を訝しんだ『名もなき神』が足を止める。
「どうした、今さら命乞いか?」
「まさか。ただ、私を殺してしまった場合、貴方の力は封印されたままですが」
「……何が言いたい」
これはただの時間稼ぎだ。だが、それを『名もなき神』に悟られてはならない。俺は表情の綱渡りを続けた。
「私は、クルシス神が封印した固有職を解放することができます」
「……嘘ではないだろうな」
そのわずかな間が、『名もなき神』の心の動揺を伝えてくる。ルーシャの話では、『名もなき神』は固有職の次元を利用して世界改変の力を振るうことができるはずだし、だからこそ、クルシス神は固有職を封印したのだ。封印の解放は魅力的な提案であるはずだった。
「もちろんです。……そこらの一般人には不可能でしょうが、クルシス神に近い性質を持つ私なら可能です」
「固有職が……解放されると言うのか」
『名もなき神』は不敵に笑った。そして、この様子なら今すぐ殺されることはないだろうと、胸を撫で下ろしたその時。
『名もなき神』に異変が起きた。
「固有職など――これでクルシスの奴を……滅べばいい――嘲笑ってくれる……この世界もろとも……そのために……」
まるで多重音声のように、『名もなき神』から声が流れてくる。一つは『名もなき神』のものだが、もう一つは……。
「やっぱりアムリアか」
ここまで来ればさすがに分かる。転職の神子への敵意と、クルシス神への敵意。どちらも俺を対象としたものだが、その目的は同一ではない。
これまでの言葉から考えると、『名もなき神』は固有職の解放を望んでいるが、アムリアは転職や固有職といったものを憎んでいるのだろう。
その理由は分からないが、『名もなき神』と相容れない存在であることは間違いなかった。
「アムリア……だと……!?」
俺の言葉に反応して、『名もなき神』はその顔を歪める。その驚いた表情からすると、気付いていなかったのだろうか。
俺がクルシス神に侵食されていたように、『名もなき神』もまたアムリアに侵食されているのだ。
彼女が何を考えているのかは分からない。だが、通常の方法ではなし得ない望みがあるのだろう。そうでなければ、神を乗っ取るなどという発想が出て来るはずはない。
問題は、その望みがどう考えても人にとって危険なものであるということだ。
「この私が……人間に……!?」
それから、どれほどの時間が経っただろうか。微動だにしなかったその身体がピクリと動いた。
そして、俯いていた『名もなき神』が顔を上げたとき、俺は思わず呻いた。どういう原理か、見覚えのある女性の顔が『名もなき神』と重なるように存在していたのだ。
「『聖女』アムリア……」
「――こうして、直接話すのは初めてね。転職の神子さん」
彼女は薄い笑みを浮かべたが、そこには一切の温かみが感じられなかった。
「……そうですね。神を相手どって、肉体の主導権争いに勝利するような大物とお近づきになれて光栄です」
それは精一杯の強がりだった。だが、その言葉に彼女は顔を顰める。
「その余裕は、自分に自信があるせいかしら? 転職能力を使って、お山の大将気分を味わうのは楽しかったようね」
「否定はしません。まあ、同じ転職師である貴女に言われるのは心外ですが」
「同じ転職師……ね」
彼女の言葉は次第にねっとりとした圧力を孕んでいく。その流れに不穏なものを感じるが、今の俺にできることは少ない。俺は必死でアムリアの様子を探った。
「あなたの噂は色々と聞いていたわ。絵に描いたような英雄譚の主人公。今や、酒場で転職の神子の詩歌が歌われない日はないくらい。さぞかし楽しい人生だったのでしょうね」
「つまり、労せず人生を謳歌していることがお気に召さないと?」
答えながら、俺は以前に聞いた話を思い出す。アムリアの過去は愉快なものではないと、そう言っていたのは誰だったか。それなら、俺の存在が気に入らないことも理解はできるが……。
「ぐはっ!」
刹那、アムリアの手から赤黒い光線が迸った。呪力の塊に左肩を撃ち抜かれ、俺は苦悶の呻きを上げた。
「嫌な言い方をするわね。……私は、この世界の在り方に納得していないだけ。そして、あなたはこの世界の本質を最も体現している人間でしょう?」
世界の本質。彼女の抽象的な言葉の意味を正確に把握することは難しいが、俺を代表に据えるということは、固有職関連の何かだろうか。
「私は世界を代表しているつもりはありません。その言い振りでは、まるで八つ当たりされている気分ですね」
なんとか呼吸を整えると、俺は努めて冷静に反論する。
「……そうね、その側面があることは事実よ。私はこの世界を認めない。この世界を作った神も、固有職も、それに群がる人の性も、そのすべてを。
そして、あなたはクルシス神の恩寵を一身に受ける神子。この世界や神々、人々の代表として罪を贖うのは当然じゃないかしら?」
「呼び名は所詮呼び名ですよ。第一、貴女だって『聖女』と呼ばれていた身でしょう?」
「……生きるために、やむを得ず『聖女』の名を背負った人間だっているのよ」
言葉と同時に、彼女の周囲から荒々しい気配が漏れ出した。それを受けて、俺は必死で頭を働かせる。
奴の身体の主導権が『名もなき神』からアムリアに移ったところで、圧倒的な力の差に変わりはない。向こうがその気になれば、俺はあっさりと殺されるだろう。
まだだ。もう少し時間を稼ぐ必要がある。俺は彼女を正面から見据えると、いつもの笑顔を浮かべた。
「それは奇遇ですね。実は、私も転職屋を営んで生計を立てていたのですが、統督教が横槍を入れてきましてね。
おかげで、統督教の枠組みなどという面倒なものに入り込まなければ、おちおち仕事もできない状況になってしまったんですよ」
「……え?」
予想外の言葉だったのか、アムリアは虚を突かれたように声を上げた。それは、初めて聞いた彼女の肉声であるように思えた。
「たかだか転職能力があるだけで神の子扱いですからね……今は多少なりとも慣れましたが、神子と呼びかけられた時には噴き出しそうになりましたよ」
「何を……」
こちらを睨みつけながらも、その瞳には僅かに困惑の色があった。そこへつけこむように、俺は言葉を続ける。
「そもそも、私はこの世界の人間じゃありませんからね。あのマクシミリアンに別の世界から召喚された挙句、無一文で放り出される始末です。転職能力が備わっていなければ、とうの昔にのたれ死んでいたことでしょう」
どうやら、アムリアは俺のことをクルシス神の敬虔な神官であり、順風満帆な人生を送ってきた人間だと認識しているようだった。ならば、その認識を崩してみる価値はある。
「別の世界……? 一体なんの……いえ、そう言えばマクシミリアンと……」
アムリアは訝しげに眉根を寄せるが、俺は気にせず畳みかけた。
「ですから、神がどうこう言われてもピンと来ないんですよ。元々、私の世界では、神は概念レベルでしか存在していませんからね。今だって、仕事として神官を名乗ってはいますが、私自身は無神論者です。
そんな中で、神子だから世界の代表として罪を贖えと言われても、なんのことやら……。むしろ、よくもこんな世界に呼び出してくれたなと、そんな思いが先に立ちますね」
アムリアの目が見開かれる。実際のところ、俺の立ち位置はアムリアに近いものがある。たまたま、最初に出会った人間がクルネであり、彼女をはじめとする辺境の気のいい人たちに囲まれていたおかげで無事にすんだが、右も左も分からないうちに陥れられて、転職させるモノとして非道な扱いを受ける可能性だって充分あったのだ。
そんな俺の言葉は、思ったよりも大きな衝撃を与えたようだった。
「適当な……ことを……!」
『名もなき神』と重なるようにして存在していたアムリアの姿が、時折ブレるようにぼやける。随分と転職の神子に執着していた様子の彼女だが、俺自身のことはよく知らなかったのだろう。そのせいで、今の彼女を支える執念の一つが不完全燃焼になったのかもしれない。
「異世界に召喚された拍子に、固有職の封印による歪みを私が吸収してしまったようで、気が付けばこんな身体になってしまったんです。元々、私はなんの能力もない一般人でしたからね」
「それじゃ……いえ、それでも、私はこの世界を許さな……」
言葉とは裏腹に、アムリアの姿は薄くなっていく。『名もなき神』も甘くはない。彼女がいくら神を抑え込む精神力を持っていようと、その精神力を支える柱が少しでも弱ってしまえば、再び『名もなき神』が復権することは充分想像できた。
そして、重なるように存在していたアムリアの姿が完全に消え去った後。幾分疲れた様子で、彼らの肉体が口を開く。
「……手こずらせてくれたものだ」
やはり、主導権争いに勝利したのは『名もなき神』のようだった。アムリアなら俺を即座に殺しただろうことを考えると、その結果は悪いものではない。
そう思ったのも束の間だった。
「……神子よ。お前はこの場で殺す」
「え……?」
突然の宣告に冷や汗が流れた。『名もなき神』にしては尊大さが薄くなっているし、先程の言い知れない憎悪も伝わってくる。
雰囲気は『名もなき神』のそれに近いが、アムリアの気配がゼロになったとも言えなかった。
「それが、奴との折り合いだ。固有職や世界を破壊するなどと言う益のない目的は知らぬが、そのために身を差し出し、私を乗っ取ろうとしたのだからな。執着がやや弱まったとは言え、貴様の殺害という目的が叶えば、奴の抵抗力は一気に弱まるだろう」
やはり、『名もなき神』はアムリアを完全に制圧したわけではないようだった。それどころか、両者が融合しているようにすら思えるフシすらある。危険な状況だった。
「身中の虫に脅えて、大局を見ないおつもりですか?」
「なんとでも言えばいい。……話は終わりだ」
言葉と同時に、『名もなき神』から殺気が噴き出る。残念だが、もう交渉の余地はないと理解せざるを得なかった。
「く……」
俺は忍ばせていた短剣を構える。痛みを堪え、必死に起き上がろうとする俺を見て、『名もなき神』は愉快そうに笑った。
「……いいだろう。最後は戦いの中で果てたいと言うのなら、立ち上がる時間だけはくれてやろう」
それは、勝利を確信している者の目だった。その目を睨み返しながら、俺が魔力の籠もった短剣を掲げると、『名もなき神』の視線がそちらへ吸い寄せられる。
そして、次の瞬間。
――『名もなき神』の身体は、無数の斬撃によって切り裂かれた。
「かはっ……!? な、何が起きた……その短剣は一体なんだ!」
『名もなき神』は錯乱したように叫ぶ。それに答えたのは、さらなる斬撃。だが、俺の手に握られた短剣はびくともしていない。
ここに来てようやく、『名もなき神』は背後から斬られていることを理解した。
「八百万の斬撃……以前に言ったはずよ。かすり傷でも、何千、何万と重なれば致命傷になるって」
「貴様……なぜ……!」
現れた剣神――クルネに対して、『名もなき神』は怒りと絶望がないまぜになった表情を見せた。
「あんな、神気を含んだ大爆発だもの。気付くに決まってるわよ」
『名もなき神』に素っ気なく答えると、クルネは俺を見て安堵した表情を浮かべた。
「カナメ……間に合って本当によかった……。あの爆発のおかげで、なんとか我に返ったの」
「そうか……近くにいる割に迷走しているから、そんな気はしてたよ。辛い思いをさせてすまなかった」
その言葉を聞いた『名もなき神』の表情が変わる。
「貴様……剣神が接近していることに気付いていたのか……!?」
「神級職の固有職は私を経由して繋がっているんですから、分かって当然です。……まあ、どこまで時間を稼げるかは怪しいところでしたからね。貴方がたが同士討ちで時間を潰してくれたのは僥倖でした」
そう答える間にも、『名もなき神』の輪郭は薄くなっていく。竜玉で死にかけていたところに、クルネの八百万の斬撃を受けたのだ。いくら微小なダメージの積み重ねとはいえ、神の次元でも存在が消滅したことは察知できた。
「クルシス……貴様、神同士の最後の戦いで人間に頼るとは……神の風上にも置け……ぬ……」
それは『名もなき神』の矜持だったのだろうか。神々の争いに人間を巻きこんではならないという殊勝な考えではなく、傲慢さの裏返しなのだろうが、その考え方は分からなくもない。神は神の次元に在るべきなのだ。
……だが、それを言うなら俺にだって矜持はある。
「人間に頼るのは当然でしょう?」
ほぼ消えてしまった『名もなき神』に向かって、俺は笑顔で答えた。
「――私は、ただの転職屋ですから」
◆◆◆
――白い空間。上下も左右もない真っ白な場所に、俺は漂うように浮いていた。
なんとなく記憶はある。俺は『名もなき神』を消滅させた後、本当に奴が消滅したかどうかを確認するために、固有職の次元と神の次元に存在をシフトさせていたのだ。
だが、記憶はそこで途切れている。『名もなき神』の痕跡がどこにもないことは確認したのだが、ほっとした拍子に自我が封じ込められたようだった。
だが、不思議と焦燥はない。それは、『名もなき神』を倒した充実感ゆえだろうか。固有職はまだ解放されていないが、『名もなき神』を倒すという難題さえクリアしてしまえば、後は他の人間でも可能なはずだ。
そう考えると、だんだん意識が溶けていく。そうだ、それでいいのかもしれない。俺がこの世界に召喚された意味はここにあったのだ。後はみんなに任せておけばいい。
――ん?
そう考えた時。白く拡散していく意識に、何かが引っ掛かった。
後はみんなに任せておけばいい……? みんなとは、一体誰のことだ?
急激な勢いで何かが失われていく。だが、何を喪失したかも分からない。その得体の知れない感覚に、俺は叫び声を上げた。
ぐるぐると白い世界が回る。すべてを頭から追い出そうとする遠心力に抗って、俺は必死で何かを思い出そうとする。俺の名前はなんだったか。どんな姿をしていたのか。だが、その答えはどこにもない。
ただ拡散する意識の中で、俺がようやく見つけたのは……。
◆◆◆
白くない。それが、目を開けた俺の最初の感想だった。多様な色彩は目を刺すようで、俺は何度か目を瞬かせた。
そんな中、最初に目に入ったのは赤みの強い金色だ。その鮮やかな色彩は、俺がこの世界に来てもっとも馴染み深いものかもしれない。そして、その先にあるのは、やはり最も見慣れた顔だった。
視線が合った瞬間、その目から涙が溢れる。
「カナメ……よかった、気が付いたのね……!」
「クルネ、俺はどうしてたんだ?」
いつの間にか、俺は大きな樹にもたれかかっていた。そんな記憶はないから、彼女が運んでくれたのだろうが……。
「『名もなき神』が本当に消滅したか確認してくるって言って、その後すぐに倒れたの」
どうやら、クルシス神が表出したわけではなかったらしい。それは朗報だった。……まあ、クルシス神は竜玉爆弾の影響をまともに受けているだろうからなぁ。俺よりも深刻なダメージを受けている可能性がある。
「なんだかカナメの輪郭が薄くなった気もして、このまま消えちゃうんじゃないかって……でも、よかった……」
「そんな状態だったのか……」
クルネの言葉を聞いて、俺はゾッとする。もしあの白い空間で意識を失っていたら、どうなっていたのだろうか。
そんな恐ろしい考えを頭から振り払うと、俺はクルネに声をかける。
「ところで、剣神の固有職は大丈夫か? 侵食はされてないか? ……神気をだいぶ消耗してるから、クルネとラウルスさんの、どっちかしかすぐには解放できないんだが……」
その言葉に、クルネは首を横に振る。
「私は大丈夫。……黒竜を倒した後、剣神に身体を乗っ取られそうになったけど、もう平気だから。先にラウルスさんを解放してあげて」
その言葉に嘘はなさそうだった。もしクルネの調子が悪そうなら、ラウルスさんには悪いが、先にクルネを転職させようと思っていたのだが……。
そこまで考えたところで、俺は辺境の様子を聞いていないことに気が付いた。強大な戦力であるクルネを、ここに留めてしまっていいのだろうか。
そう尋ねると、クルネは笑顔を浮かべた。
「クリストフさんの鳥が教えてくれたわ。少なくとも、私たちを引っ張り出す必要ないって」
ということは、戦況は有利なのだろう。そのことにほっとすると、俺は急いでラウルスさんを解放しようとする。その理由は彼のためだけではない。神級職を維持していると、俺自身の負担が非常に大きいのだ。
下手をすれば、再びクルシス神の神格が出て来て、俺もまた白い空間に放り込まれる恐れすらある。さっさと解除するに越したことはなかった。
神級職に特有の、俺と繋がっている感覚を辿って、ラウルスさんを見つけ出す。そして、その感覚を頼りにラウルスさんを守護戦士に戻した。
『名もなき神』がいない今、ラウルスさんは守護戦士でも充分すぎる活躍ができるはずだった。
「クルネ、神気が回復したらすぐに戻すからな。それまで辛抱してくれ」
「うん、大丈夫。……ただ、その……そのためにと言うか、カナメにお願いがあって……」
どこか恥ずかしそうに告げると、クルネは膝立ちでぐっと身を乗り出してくる。俺は樹を背にして座っているため、覆いかぶさるような体勢だった。
そうして彼女が近くに来た瞬間、俺は彼女の身体に手を回して、そのまま引き寄せる。
「きゃっ、カ、カナメ!?」
もともと朱に染まっていたクルネの顔が、いっそう赤みを増した。
「その……嫌じゃなければ、しばらくこのままでいてくれないか」
「そ、それはその、私もそのつも……じゃなくて、どうしたの!?」
そんなクルネの言葉に促され、俺は少し前のことを思い出す。
「さっき倒れている間なんだが……危うく、自我を持って行かれるところだった。ただ……その、なんだ。何も思い出せない中で、ふと思い出せたことがあってさ」
「思い出せたこと?」
続きを促すようなクルネの瞳に、俺は思わず視線を逸らした。だが、クルネにはそれで伝わったらしい。彼女は嬉しそうに微笑むと、強張っていた身体の力を抜いた。
「……私も同じだから。こうやってカナメと触れている間は、侵食が弱くなる気がするの」
彼女の身体がしなだれかかってくる。それを抱きとめると、俺たちはお互いを見つめ合い……。
そして、どちらからともなく唇を重ねた。




