決戦・上
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
ルノール評議場前の広場で、『名もなき神』が一方的な宣言をしてからちょうど一月。俺はクルネやラウルスさんと一緒に、評議場の一室で広場の様子を窺っていた。
「今日、だよね……?」
「うむ……早朝の奇襲も警戒していたが、幸い取り越し苦労だったようだな」
何も動きがないことに焦れたクルネの呟きに、ラウルスさんは頷く。彼は朝一番から、愛騎の鷲獅子に乗ってルノールの街に来てくれていた。
ラウルスさんの家族が住む村は辺境北部にあり、そちらの守りが心配で仕方ないはずだが、一番の激戦区になるのはルノールの街だろうということで、こちらで戦うことになっていたのだ。
「そもそも、どこまで情報を掴んでいるかが分かりませんからね。情報操作が上手く行っていれば、人通りが多そうな昼頃に、したり顔でやってくる可能性も高いとは思います」
「カナメを引き渡せって、偉そうに言うのかな」
そう言いながらクルネは広場に視線を戻す。その横顔は気迫に満ちていた。
「奴の移動方法にもよるだろう。もし辺境の他の村々を見れば、我々が臨戦態勢であることはわかるはずだ」
「大陸中を異常な速度で移動して、随分なご活躍のようですからね。時空魔導師を足代わりにしているのでしょう」
そして、それなら他の村へ立ち寄る必要もない。
「そうだな……来たぞ!」
ラウルスさんの声と前後して、広場の中央に複数の人影が現れる。それは唐突としか言いようのない出現の仕方であり、空間転移で現れたことは間違いなかった。
そして、その中にはマクシミリアンの姿もある。相変わらず不機嫌そうな顔をしたまま、『名もなき神』の集団から少し距離を置いている。
今すぐ『村人』にしてやりたいところだが、どうせ『名もなき神』が元に戻すだけだと、俺は手を出したい気持ちを堪えた。
そして、俺たちは急いで、だが焦っている様子を見せないように広場へ急ぐ。
「――ふん。どうも様子がおかしいと思ったが、やはりな」
広場へ出た俺たちを見るなり、『名もなき神』は不快げに鼻を鳴らした。その言葉は、奴が辺境の実情を把握していなかったことを示していた。
だが、『名もなき神』は俺に視線を注ぐとニヤリと笑う。笑みを浮かべているにもかかわらず、どこか狂おしい妄念を感じる様子に俺は眉を顰めた。
「民衆を欺いて命を長らえようとしたか。往生際の悪いことだな」
「ご期待に沿えなかったようで申し訳ありません。皆さんも、さすがに貴方を胡散臭いと判断したのでしょうね」
そんな言葉を投げかけても、『名もなき神』が気にした様子はなかった。
「どうせ、私が生贄になっていたかどうかに関わらず、貴方はあのモンスターの群れに辺境を襲わせるつもりなのでしょう?」
「それは心外だな。私はお前以外に興味はない。生きようが死のうがどうでもいいことだ」
『名もなき神』は俺を睨みつける。だが、それは俺に対する悪意と言うよりも、クルシス神に対する執着であるように感じられた。
「それに、この地には固有職持ちが多い。わざわざ自らの手駒を減らす真似をしても意味はあるまい」
「私に対する嫌がらせになります」
その言葉に、『名もなき神』はただ肩をすくめる。だが、その心情は誰の目にも明らかだった。
「……ついでに一つお伺いしたいのですが、そもそも貴方は何がしたいのですか? 私への八つ当たりはともかく、まるで世界征服でもしようかという勢力の伸長ぶりですよね? 仮にも神の一柱ともあろうものが、随分と陳腐な野望を秘めているものだと驚きました」
『名もなき神』はしばらく黙り込んだ。それは気分を害したという反応ではなく、本当に何事かを考えているようだった。
「私は、クルシスが復活した時に、相応の報いを受けさせてやりたいだけだ。……そう、そのためにはより多くの神気を得る必要がある。奴を屈服させるだけの力がな」
その言い分は分からなくもない。だが、まるで自分に言い聞かせているように思えた。
そうして『名もなき神』を観察していると、やがて奴は不愉快さを隠そうともせずに口を開く。
「そんなどうでもいいことで、いちいち私を煩わせるな。……貴様がそうやって得意げにしゃしゃり出たことで、この辺境の運命は決まったのだ」
「貴方の言葉って、どうにも重みがありませんよね」
そんな俺の言葉に答えず、『名もなき神』は右手を上げた。すると、近くに控える数人の固有職持ちが一斉に動き出す。
そして、同時に、シュルト大森林の一角を埋め尽くしていた魔物が動き出したことに気付き、俺たちは頷き合った。
その直後、『名もなき神』が広範囲型の呪術を仕掛けて、周囲を黒く染め上げる。だが、その黒さは白い光輝に阻まれ、抑え込まれていた。いつの間にか姿を現していたミュスカだ。その隣には、時空魔導師の固有職を宿したミルティの姿もある。
「ふん、また聖域か。……まあいい」
『名もなき神』は不愉快そうに口元を歪めた後、勝ち誇ったように口を開く。
「どうやら、それなりに準備をしていたようだが……無駄だ。神子よ、貴様のせいで辺境の人間が惨劇に見舞われる様をじっくり見物するがいい」
そう言うなり、マクシミリアンが魔法を発動する兆しを見せる。空間転移だろう。俺たちの予想通りなら、奴はマクシミリアンの空間転移を駆使して呪術を振り撒き、戦線を崩壊させるつもりのはずだった。
「……っ!」
マクシミリアンが空間転移を発動させるタイミングに合わせて、俺は彼を『村人』に転職させようとした。
上手く行けば、空間転移が暴走し、『名もなき神』ごとダメージを受けるのではないかと思ったのだが……。
「ハッ」
『名もなき神』は小馬鹿にしたように笑う。
奴も俺の行動は予測していたらしく、マクシミリアンの固有職を守っていたのだ。『名もなき神』に阻まれて村人転職が失敗に終わっているうちに、空間転移の魔法が完成し、二人の姿が見えなくなる。
「追うわ!」
「分かった! キャロ、行くぞ!」
「キュッ!」
「分かったわ!」
「は、はい……!」
その言葉とともに、ミルティが空間転移の魔法を発動させ、俺とキャロ、クルネ、そしてミュスカを効果範囲に捉えた。
作戦はこうだ。空間転移を駆使して戦場を荒らして回るであろう『名もなき神』とマクシミリアンに対抗するため、時空魔導師のミルティが時空の歪みから行き先を感知し、俺たちと一緒に空間転移する。
行った先では、『名もなき神』お得意の呪術を使うだろうが、そこはミュスカの聖域でガードする。
そうして、神出鬼没の『名もなき神』たちを追いかけて、味方に被害が出ないように立ち回る。それが俺たちの仕事だった。……まあ、俺はあんまり役に立たないだろうが、キャロがいるし、俺自身どこかで『名もなき神』と一戦交える必要もあった。
俺はミルティの魔法によって転移する直前、広場に残った『名もなき神』の手下たちをまとめて『村人』に転職させた。ラウルスさんがいる以上、心配はないだろうが、奴らを制圧する時間も惜しい。
そうして、俺たちは『名もなき神』の追跡を開始した。
―――――――――――――――――
「き、来たか……!」
つい先日、転職の神子によって盗賊の固有職を宿したばかりの青年は、緊張とともに迫りくる魔物の群れを見つめていた。
固有職によって得られた力は想像以上のもので、ただの豆粒にしか思えなかったモンスターの群れが、今の彼にはよく見えた。
もちろん、身体能力も比較にならないほど向上しており、どんなモンスターにだって勝てるのではないか、そんな気さえしていた。
「だが、意外と侵攻が遅いな。軍隊のようにはいかないのか……?」
彼らの部隊は既にシュルト大森林に分け入っており、黒い塊のように見えるモンスターの群れに迫っていた。少し前には、辺境最高の狩人を中心とする一団が討伐を試みたらしいが、異様な強さを誇る竜たちに阻まれ、退却を余儀なくされたと言う。
だが、もはや手をこまねいている余裕はない。あちらも攻め寄せて来ているし、こちらだって蓄えていた戦力をすべてぶつけている。今考えるべきは、どうやって奴らを殲滅するかと言うことだった。
「遠くで見てると実感が湧かなかったが……これ、多すぎないか……?」
そう呟いたのは、近くにいた中年の男性だった。聞いた話では騎士の固有職を授かったらしく、存在感のある盾を担いでいる。
彼が言う通り、目の前のモンスターの数は尋常なレベルではない。しかも、シュルト大森林という特に凶悪な個体が多いエリアのモンスターともなれば、国を滅ぼしかねない脅威度だろう。
敵の全貌が明らかになるにつれ、部隊に動揺が広がっていった。全能感すら感じていた一団の士気は、少しずつ下がっていた。
そんな中、単独行動を取ってルノールの街へ向かおうという飛行モンスターが上空を通過する。なんと言っても、飛行モンスターの速度は驚異の一言だ。しかも、奴らを足止めできるのは、遠距離攻撃が可能な一握りの固有職だけ。
自分の攻撃がまったく届かないことを自覚しながらも、青年は咄嗟に投擲具を構える。むざむざとルノールの街へ行かせてしまっては、あまりにも不甲斐ない。
そう思った時だった。
「なんだ……!?」
彼らの真上を過ぎ去った怪鳥の胸部に何かが突き刺さる。けたたましい断末魔を上げたかと思うと、怪鳥はそのままのスピードで地面へと墜落した。
「あれが辺境最高の狩人か……」
少し遅れて、青年は怪鳥の腹に突き刺さっていたものが矢だと認識した。そして、高速で行き過ぎようとする怪鳥の急所を正確に狙い打てる存在など、いくら固有職持ちが多いとは言え、一人しか思い浮かばなかった。
「……ちっ、これ以上欲張ると相手がバラけるかもしれないね。他の部隊もそこそこの距離には来ているだろうし……」
そんなハスキーな女性の声が青年の耳に入る。彼らの部隊のリーダーであり、辺境最高の狩人として名高いエリンは、何事かを決めたようだった。
「雑魚を散らすよ! あたしの特技で先制攻撃をぶち込むから、遠距離攻撃が可能な人間は合わせな! それ以外のメンバーは、逆上して襲い掛かって来たモンスターへの対処!」
そう指示するなり、エリンは先に何かの塊を取り付けた矢を弓につがえ、そして天へ放った。やがて、上空に打ち上げられた矢は、大きな破裂音と共に赤い光を放つ。それは、他部隊も含めた総攻撃の合図だった。
そして、その先陣を切るはずのエリンは、先程までとは比べ物にならない気迫で矢を引き絞っていた。さらに、彼女が構えているその弓も、尋常ではない存在感を放っている。
もしかすると、神弓や魔弓の類だろうか。青年がそう考えた時だった。
「光雨」
彼女の弓から放たれたものは、もはや矢ではなかった。放射状に広がっていく光の束は無数に分裂し、やがて放物線を描いて魔物の群れ目がけて落ちていく。
なんと言っても、一つ一つが杭と見紛うほどに巨大な光矢だ。無数の破壊音が一斉に鳴り響き、着弾したエリアが焦土と化す。
「凄い……!」
青年は思わず呟いた。エリンは上級職である天穿の固有職持ちであり、この戦いの要の一人と言われているが、それも納得だった。
あの小柄な身体のどこにそんな力があるのか。青年は驚愕の眼差しで彼女を見つめた。
「やっぱり、破壊力が大きすぎるね。森まで死んじまうじゃないか……」
だが、エリンは自分の成果に不服であるようだった。彼女は軽く息を吐くと、再び矢をつがえる。
「けど、街を襲わせるわけにはいかないからね。……狩人としては不本意だけど、肉も残さず消えてもらうよ」
そして、彼女が第二射を放とうとした時、ルノールの街の方角から眩い光条が押し寄せて来た。
「うぉっ!?」
光の帯はそのまま魔物の群れに突き刺さり、大爆発を起こす。飛行モンスターがバラバラと地上に落ちていく様子からすると、かなりの破壊力だったのだろう。
エリンの光雨をなんとか凌いだ飛行モンスターも、立て続けに大規模火力に狙い撃たれては耐えられないようだった。
「ミルティ抜きで合唱魔法を成功させたか……いい弟子を持ってるじゃないか」
嬉しそうに呟いたのはエリンだ。『辺境の賢者』が提唱した、複数人で強大な魔法を紡ぐという画期的な技術。賢者である彼女自身がいなければ、さすがに使用は無理だろうと言われていたのだが、ここに来て成功させたらしい。
「光雨!」
立て続けに範囲攻撃を撃ち込まれたとなれば、じきに相手も散開する。それを警戒したのか、エリンは再び強烈な範囲攻撃を繰り出した。
あれだけの大技であれば消耗も激しいはずだが、敵がまとまっている今を叩くことを優先したのだろう。
そして、再び光の雨が降り注ぐと同時に、今度はルノールの街とは異なる方角から、轟音と共に青白い閃光が迸った。それは先程の光の帯に匹敵する雷撃であり、エリンの光雨と合わさって光の地獄絵図を作り出す。
「……と思ったら、師匠も負けてはいられないのかね。敵との追いかけっこで忙しいだろうに、やるじゃないか」
そう呟きながら、エリンは迫っていた下位飛竜の額に矢を撃ち込む。そして、さらに矢を三連射して三体のモンスターを仕留めると、部隊に指示を出す。
「地上のモンスターと接敵するよ! 戦士職は前へ! 後衛は自分のポジション取りに気をつけな!」
その言葉を聞いて、青年は身構える。騎士たちが前に出て陣形を作り上げる中、彼はその意識を研ぎ澄ませていた。
「そこだ!」
そして、支給されていた小瓶を茂みに投げつける。そこには、襲う機を窺っていた巨狼犬の群れが潜んでいた。
「ギャウン!」
割れた小瓶から発生した気体はモンスターの鼻の高さで広がり、みるみるうちに先頭の十体ほどを包み込む。すると、巨狼犬は猛烈な様子で苦しみ出した。
「今だ!」
その言葉とともに、群れに向けて矢や魔法、衝撃波などの遠距離攻撃が叩き込まれる。巨大な体躯に傲らず、チームプレーで獲物を確実に仕留める手強いB級モンスターの群れは、やがて突入した戦士職によって、為す術もなく全滅した。
「恐ろしい薬品だな……」
青年は、手元にまだ残っている小瓶を見つめた。嗅覚の鋭いモンスター用の薬品だとは聞いていたが、B級モンスターをあっさり無力化するような凶悪な薬品だとまでは思っていなかった。
錬金術師が作ったという噂もある薬品だが、効果を見ればそれも頷ける話だった。
「あんた、お手柄だったね。巨狼犬のリーダー格を最初に潰せたおかげで、後は烏合の衆だったよ」
いつの間にか近づいていたエリンに声をかけられ、青年は高揚する。だが、それに答える暇もなく、青年の知覚は新しい魔物の接近を捉えた。
「加重撃」
次の瞬間、近場の木の枝に跳び乗ったエリンは、姿を見せた要塞牛らしきモンスターに矢を浴びせる。異常な硬さを誇る要塞牛の皮膚に、エリンの矢は確実に突き立っていく。
戦いは始まったばかりだった。
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【重戦士 アルバート・マクスウェル】
「ったく、無茶苦茶な数だな」
「ほらほら、そんなこと言ってる間に敵が来るよ」
「言われなくても分かって――るぜっ!」
アルバートの巨大な戦棍が、襲い掛かって来た狂乱猪を横殴りに吹き飛ばす。敵と認識した者に対して、異常な執念深さを持つという厄介なモンスターだが、それも一撃で葬られてしまえば意味はなかった。
もはや神官らしさなどどこにもない、巨大で凶悪な戦棍を構えた全身鎧。それは、アルバートが得た新しい固有職である重戦士を、この上ないほどに表現していた。
「本当に、どこからどう見ても司祭サマじゃないよね。クルシス神殿って、どうして面白い人が多いの?」
楽しそうに話しながら、メヌエットは蛇型モンスターを氷漬けにした。その直後、アルバートの戦棍が氷塊ごとモンスターを粉々にする。
クルシス神殿の上級司祭と王国教会の『聖女』。この意外な組み合わせは、傍から見れば驚くほど連携が取れている。
それは、教団の暗躍を巡る一件で共闘した結果だが、今もこの組み合わせは有効に機能していた。
「メヌエット、失礼ですよ。あなたはアルバート司祭に対して、どうしてそんなに口が悪いのですか」
「えー……」
治癒師のファメラに諭され、メヌエットはわざとらしく口を尖らせた。
「きゃー、アルバート様格好いい! 是非とも私を守ってくださいまし!」
「どこのお姫様だよ……」
戦いの最中とは思えないメヌエットの物言いに、アルバートは苦笑を浮かべる。昔の冒険者仲間を思い出して嫌いではないが、この娘が『聖女』だと思うと、違和感が拭えないのは事実だ。
「失礼だね、ボクはちゃんとした貴族令嬢だったんだよ!」
「はいはい……」
そんな会話を交わしている横では、『聖騎士』メルティナが二体の銀毛狼を屠ったところだった。
「メヌエットは、アルバート司祭に対しては素直だな」
会話を聞いていたのか、メルティナは剣を拭いながら彼らに近づく。
「これでか?」
「これでも、だ」
そう答えて、メルティナは森の奥を見る。
「……大物がいそうな気配だな」
「ありがたいルートを割り振られたもんだぜ。あの元王子、なかなか容赦ない運用をしてくれるぜ」
アルバートは指揮を執っているであろう評議員の顔を思い浮かべる。彼らが休む暇なくモンスターと戦っているのは、事前にシュルト大森林に仕掛けておいた魔道具が理由だった。
かつて帝国軍が侵攻の際に使用していたものと同じく、魔物が嫌がる波動を放つ装置だったが、似たものを古代都市で複数発見していたため、エリザ博士やミレニア司祭が手を加えて使用可能にしていたのだ。
もちろん、そんな巨大な装置を運びながら戦うような余裕はないため、要所要所に設置することで、モンスターの通るルートを制限し、こちらの戦力とぶつけようという狙いだった。
「こう言ってはなんだが、私たちの戦闘力はかなり高いからな。危険な場所を割り当てられているのだろう」
メルティナの言葉は、自意識過剰でもなんでもない。上級職である聖騎士に加えて、魔術師、治癒師が揃っており、さらに特殊職の重戦士までいる。
人数は少ないが、『聖女』三人は生まれつきの固有職持ちとして自分の能力をよく把握しているし、アルバートは元冒険者であるがために、そこらの固有職持ちとは比べ物にならないほど経験を積んでいる。
彼らは、数ある部隊の中でも屈指の戦闘力を持つパーティーだった。
「このメンバーなら、下位竜程度はどうとでもなるだろうが……不意打ちに注意を払うべきだな」
「同感だ」
メルティナの声に頷くと、アルバートは戦棍を構え直した。
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【騎士 アルミード・ノル・ヴェルフェン】
辺境を襲う魔物は千差万別だ。そのため、その進軍速度には大きなバラツキがある。そしてその中でも、飛行モンスターは突出した速度でルノールの街へ辿り着こうとしていた。
「重力場!」
「よっしゃ、行ったれマイセン!」
「魔法は苦手なんですがね……酩酊の宴」
だが、下位飛竜や怪鳥をはじめとする魔物勢は、地術師サフィーネの広範囲魔法に叩き落とされ、さらに錬金術師であるマイセンの変性魔法によって前後不覚の状態に陥る。
「空を飛べない飛竜など、僕らの敵ではない!」
アルミードは声を上げると、地上に落ちて意識朦朧としているモンスターを屠り続けた。さらに、近くにいた別のパーティーも合流し、一帯には飛行モンスターの屍が累々と築かれる。
この場に必要なものは奇策ではない。サフィーネとマイセンは確実に連携し、波状に押し寄せる飛行モンスターを片っ端から地に落とし続けた。
「ひとまずは、これで終わりか……?」
「そうだね。……ただ、次はここまで密集してくれるか分からないよ」
飛来するモンスターをどれくらい葬っただろうか。グラムの言葉にカーナは頷いた。
「それに、サフィーネの重力魔法は消耗が激しいからな。いくら強力な魔道具を借り受けたとは言え、限界があるだろう」
そして、アルミードはそんな二人の会話に混ざる。すると、やがて他の三人も集まってきた。
「アルミード、どうかしたの?」
そんな中、話題の主だったサフィーネが声をかけてきた。その頬は紅潮し、目は久しぶりに危険な光を放っている。それは、かつての『飛行モンスター殲滅モード』が復活しつつあることを示していた。
「サフィーネの魔力を効果的に使う方法を考えている」
そう答えると、サフィーネは決まり悪そうな表情を浮かべた。
「……私、また暴走してるように見える?」
元は商会で働いており、察しのいいサフィーネのことだ。アルミードの言外の含みに気付かないはずはなかった。
「そうだな、暴走直前に見える。サフィーネ、もしあの黒飛竜が現れた時は好きなだけ魔法を叩き込んでくれて構わない。……だから、それまでは堪えてくれ」
最近大人しくなっていたサフィーネに火をつけたのは、もちろん黒飛竜の存在だ。仇敵がまだ生きていると知った時の彼女は、嬉しそうな悲しそうな、複雑な反応を示していた。
「気を付けるわ。みんな、ごめんなさい」
だが、一年以上にわたって穏やかな日々を送っていたサフィーネには、その言葉を受け入れるだけの余裕ができていた。
「構わないさ。カナメだって、サフィーネの重力魔法を飛行モンスターに対する強力な対抗手段だと考えているからこそ腕輪を貸与したのだろうし、地術師の力を遺憾なく発揮することにはなんの問題もない」
そう言って、アルミードは彼女の右手に嵌まった腕輪を見る。クルシス神殿に奉納されたと言う品だが、それは控えめに言っても破格の性能を誇っていた。
なぜなら、継続戦闘力を重視した『魔力貯蔵』『魔力回復』に加えて、『大地魔法強化』まで付与されているのだ。腕輪に使った素材との相性がよかったとカナメは説明していたが、その素材の正体は想像がつく。
と、その時だった。
「なんだ!?」
アルミードは、ふと悪寒を感じて空を見上げた。強い圧力を感じたのだ。それは他のメンバーも同じだったようで、視力に優れるノクトが声を上げる。
「手下がこっぴどくやられて、親分が登場か? ……サフィーネ、よかったな。お待ちかねの黒飛竜だぜ」
十数体の飛竜と共に、上位竜を思わせる巨大な黒い体躯が目に入る。その群れを効果範囲に収めるなり、サフィーネは準備していた魔法を全力で放った。
「圧壊領域!」
それは、サフィーネが扱える最高の重力魔法。離れていても分かるほどの圧倒的な重力が、飛竜たちを地面に叩き落とし、そしてそのまま圧し潰す。地中深くまでめり込んだのではないかと思わせる深い穴が、大地にいくつも穿たれた。
だが。
「生きてやがる……抵抗したのか?」
そんな中で、黒飛竜だけは地中に沈むことなくこちらを睨みつけていた。さすがに無傷とはいかなかったようで、片脚が変な方向へ折れ曲がり、翼もひしゃげている。だが、致命的なダメージは受けなかったらしい。
怒り狂った様子の黒飛竜は、サフィーネの魔法が切れるなり、空へと浮かび上がって距離を取った。そして、その身体が青白い燐光に覆われる。
「加重撃!」
その黒飛竜目がけて、特技を乗せたカーナの矢が飛ぶ。だが、矢があっさり鱗に弾かれる様子を見て、カーナは首をすくめた。
「噂には聞いてたけど……厄介だね」
クルネの話では、燐光を纏った黒飛竜には一般職の特技はまるで通じなかったと聞く。となれば、特殊職のサフィーネか、上級職のマイセンの攻撃を軸にするべきだろうが……サフィーネの圧壊領域は威力も凄まじいが、消耗も凄まじい。
そして、マイセンの錬金術師の本領は戦闘ではない。そういう意味では、黒飛竜に効果的なダメージを与える方法はなかった。
そうこうしているうちに、黒飛竜の口元に燐光が集まり、そして青白い光弾が放たれる。大地に着弾した光は、土を吹き飛ばして大爆発を起こした。
「聞きしに勝る破壊力だな……飛竜がブレスを吐くとは」
注意事項として聞いていたからよかったものの、不意打ちであればやられていたかもしれない。そんな寒気がアルミードの背筋を走り抜ける。
そして、それは杞憂ではない。アルミードたちと共に飛行モンスターを撃退していた固有職持ちの部隊が、半分がたやられていた。知識としては分かっていても、回避行動に活かせなかったのだろう。
「まったく、無茶苦茶な飛竜ですね……!」
カーナの射撃に合わせて、マイセンも幾つかの魔法を放つ。だが、そのいずれもが、黒飛竜にダメージを与えることはできなかった。
「ったく、クルネはどうやってこんなバケモノを倒したんだよ……」
「少なくとも、地上に縫い付ける必要があるな。セイヴェルンでは、カナメが翼を射貫いたらしいが……」
ノクトの愚痴に、アルミードは冷静に答える。その答えを聞いて、ノクトは弓使いのカーナに視線を送った。
「無茶を言うね……あんな黒飛竜の翼を射貫くなんて、上級職クラスの破壊力がなきゃできないよ」
そんな相談をしていた彼らは、突如として一斉に飛び退く。すると、その空間を黒飛竜の光弾が襲い、またもや土砂をまき上げた。
そして、今度はお返しとばかりにサフィーネの集束石弾が黒飛竜を襲う。その無数の弾幕に押されつつも、黒飛竜はその場に踏みとどまった。
「まったく、話もおちおちできやしない」
黒飛竜を睨みつけながら、カーナはマイセンに手を差し出した。差し出された手に、マイセンは一本の矢を乗せる。
「……いきなり爆発したりしないだろうね?」
「今は、私が抑えていますから大丈夫です」
それは、鍛冶師のフェイムが地竜の素材から作り上げた、凶悪な矢だ。細い矢に、これでもかとばかりに破壊力を上乗せしているため、普段はマイセンが暴発を抑え込んでいる状態だった。
その矢を弓につがえて、カーナは黒飛竜の動きに集中する。今求められているのは、矢を確実に黒飛竜に当てる技術だ。幸いにして、黒飛竜は彼女の弓による攻撃を意に介していないため、防御されるようなことはないだろう。
カーナは心を決めると、精密射撃の発動準備に移る。だが、相手は俊敏に飛び回る飛竜であるため、狙いを定めることは簡単ではなかった。
「カーナ! 僕が引き付ける!」
その様子ですべてを悟ったアルミードは、そう大声を上げるなり、黒飛竜に向かって威嚇を発動した。どんなに素早かろうと、動きが読めるなら問題はない。アルミードは彼女の技量を信じていた。
問題は、剛鉄の特技一つで、黒飛竜の突撃を耐えきることができるかどうかだ。噂が本当なら、防御力が高いとはいえ、一般職の騎士にすぎないアルミードがあっさり死ぬ可能性は非常に高かった。
マイセンが身体能力強化をかけてくれるが、それも気休めにしかならない。かと言って、もう水薬の類を取り出す暇はなかった。
アルミードは覚悟を決めると、盾を構えて腰を落とした。この盾はクルシス神殿――カナメから手渡されたものであり、強力な防御効果を付与されている。
それでもこの突撃には耐えられないだろうが、少しはアルミードの生存確率を上げてくれるはずだった。
もちろん、本来なら黒飛竜の突撃を馬鹿正直に受け止める必要はない。だが、その大質量は小手先の動きで回避できるようなものでもなかった。
そして何より、自分が動いてしまえば、黒飛竜の動きが読めなくなってしまう。それでは本末転倒だった。
「ギュアアアアアアアッ!」
青白い燐光を纏って、黒飛竜が迫る。
そして次の瞬間、アルミードは空高く吹き飛ばされていた。
「――っ!」
全身を貫く痛みと浮遊感。そして落下し地面に激突した衝撃。それが、アルミードに認識できたすべてだった。
転がり、強烈な勢いで木に激突したアルミードは、それでも意識を手放さなかった。
――生きて……いる?
そう声に出したつもりだったが、声が出ない。脳震盪でも起こしたのか、身体を動かすことはできなかった。
だが幸いなことに、その視界には黒飛竜が映っていた。胸部が無残に抉れたその姿は、カーナの射撃が成功したことを示している。
……しかし。
黒飛竜は、まだ生きていた。胸に空いた大穴は常人なら致死レベルだ。だが、よく考えてみれば、奴はクルネに頭部を断ち割られてなお生きていたのだ。その生命力を甘く見るべきではなかった。
そして、アルミードと黒飛竜の目が合う。まだ威嚇の効果が残っているのか、その視線は明らかにアルミードを狙っていた。
だが、それはチャンスでもあった。黒飛竜の抉れた胸部からは、その心臓が露出している。そこに一撃を与えることができれば、たとえ竜族といえど生きてはいられない。
「僕のことはいい! 心臓を狙え!」
声が出たのは奇跡だった。そして、視界の隅で動いたものに気付く。サフィーネだ。
ちょうどいい。彼女であれば、あの心臓を砕く魔法だって繰り出せるだろう。だいぶ魔法を行使しているが、あと一撃くらいは入れられるはずだった。
そして何より、この黒飛竜はサフィーネが長年憎み続けてきた村の仇だ。彼女自身の手で止めをさせるなら、それに越したことはなかった。
黒飛竜と相討ちなら、そう悪くはない部類に入るだろう。結局、クルネには追いつけなかったし、カナメに言いたいことも山のようにある。だが、それは墓の下へ持っていくことになりそうだった。
再び迫りくる黒飛竜の巨体を見つめながら、アルミードはそんなことを考えていた。
そして、衝突の時を待つ――。
「大地の壁!」
だが、その覚悟は空振りに終わった。突如として大地が隆起し、そしてアルミードの周囲の地面だけが沈下する。土壁によって目を眩まされた黒飛竜は、アルミードの不在に気付かないまま土壁を破壊した。
「サフィーネ!?」
アルミードは驚きの声を上げた。今の場面は、彼女が仇を取る絶好の機会であったはずだ。少し動くようになった身体を操って、彼はサフィーネに視線を向ける。
すると、彼女は泣き出しそうな表情のまま、ぽつりと呟く。
「仇は……絶対にとってよ」
その言葉でアルミードは思い出す。最初の黒飛竜との激突の直前にも、周囲の大地が隆起して防壁となったことを。カーナと合わせて攻撃魔法を叩き込む絶好のチャンスだったのに、彼女が仲間の防御を優先したことを。
そう言うなり、サフィーネの身体がぐらりと揺れる。魔力を使い果たしたようだった。ようやく動くようになった身体を駆使して、アルミードは彼女を受け止める。
「――ったく、当たり前だろ?」
「……マイセン、頼む」
すると、遠くから声が聞こえてきた。黒飛竜が突進していった方角だ。目をやれば、グラムとノクトが全力でこちらへ駆けてきているところだった。
よく見れば、黒飛竜は横倒しになって沼に嵌まっていた。
黒飛竜が突進した先に沼があった記憶はない。と言うことは、そういうことなのだろう。いくら重傷で黒飛竜の突進速度が落ちていたとは言え、よくそんな早業ができたものだ。アルミードがサフィーネの技量に驚嘆していると、マイセンから警告の声が聞こえる。
「アルミードたちも早くこちらへ! 万が一巻き込まれたら死にますよ!」
何がどうなって、自分の身に危険が及ぶことになるのかは分からない。だが、説明は不要だった。そう言っているのがマイセンである以上、それは疑いようのないことだ。
アルミードはグラムに、サフィーネはノクトに補助されて、急いでその場を離れる。そして、黒飛竜がなんとか狭い沼から脱出しようとした刹那。
「解放」
マイセンの言葉とともに、黒飛竜の周囲が暗緑色に染まった。やがて、その色に染まったすべてのものは形を失い、崩れ落ちる。
それは黒飛竜も例外ではなく、暗緑色の靄が消滅した後に残ったのは、黒飛竜を構成していた骨と鱗だけだった。
「うへえ……俺っち、あんな危険物を仕掛けに行ってたのかよ……」
その強烈な光景を見て、ノクトはさも嫌そうに顔を顰めた。そして糾弾するようにマイセンを見ると、彼は彼で不服そうな表情を浮かべている。
「……想定よりも、消滅するまでの時間が短いですね……。やはり課題は空気に対する耐性でしょうか……」
そう考え込むマイセンに、カーナが苦笑を浮かべながら近づく。
「マイセン……助かったからいいんだけどさ、あの黒飛竜、骨と鱗しか残ってないよ?」
「そうでしょうねぇ。さすがに竜の鱗を侵蝕するほどの効力はありませんからね。おかげでどうしようかと悩んでいたのですが、内部器官が剥き出しになってくれたおかげで助かりましたよ」
試験の結果に一応は満足しているのか、マイセンは嬉しそうに呟く。だが、次のカーナの言葉で、マイセンの顔から笑顔が消えた。
「うん。……だから、あの黒飛竜の素材は骨と鱗しか残ってないよ。意外だね、せっかくこんな大物を仕留めたんだから、あんたも血液や内臓を薬の材料として欲しがると思ってた」
「あああああ……! 私はなんてことを……!」
そんなやり取りを見て、みんなが笑い声を上げる。そして、その中にはサフィーネの姿もあった。
完全に吹っ切れた彼女を見ていると、アルミードの顔にも自然と笑顔が浮かぶのだった。




