陥穽
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「あたしを上級職に?」
「ああ、天穿という固有職だ。弓使いの上級職だから、狩人としての感覚が鈍ることはないはずだ」
彼女と初めて会った時も、似たような話をした気がするな。そんな昔の記憶を引っ張り出しながら、俺は辺境最高の狩人と名高いエリンと話をしていた。
その目的は至って単純で、せっかく上級職の資質を開花させたエリンがいるのだから、転職させて辺境の戦力向上を図りたいというものだった。
もちろん、そこには『名もなき神』との戦いを見据えた部分もある。エリンの価値観は狩人のそれだから、俺と一緒に『名もなき神』と戦ってくれるかどうかは分からない。
だが、彼女が強力な力を持ったとしても、それを悪用することはないだろう。そんな信頼はあった。
「天穿……か」
そう呟いたエリンは難しい表情を浮かべる。二つ返事で了承するとは思っていなかったものの、それは俺にとって意外な反応だった。
「ちなみに、費用については特――」
「ああ、そのことを気にしているわけじゃないさ。……あたしが強くなること自体は嬉しい話だけど、森にとっては過剰な力なんじゃないかと思ってね」
俺の言葉を遮って、彼女はそう教えてくれる。だが、そう言われてもピンとこないのが本音だった。
「森にとって……?」
そう呟いたのは、隣にいたクルネだ。エリンはその言葉に頷くと、クルネに視線を移す。
「クルネ、あんたの剣匠の固有職の凄まじさは、一緒に狩りに行った時によく分かってる。同じ上級職だって言うんだから、天穿も理不尽なレベルで強力な固有職なんだろうさ」
けどね、とエリンは続ける。
「狩人ってのは、ただ森の生き物を殺して奪い取ればいい訳じゃない。森と共存できるように、気を使う必要もあるのさ」
「そういうものか……」
なるほど、天穿までいってしまうと、森を焦土にしてしまう恐れがあると、そういうことだろうか。
「けど、普通の森ならいざ知らず、相手はシュルト大森林だぞ」
「ま、そうなんだけどね。シュルト大森林を侮り過ぎていると、そう言われれば返す言葉もないさ。……けど、最近は森の魔物もなかなか姿を見せないし、あたしたちはやり過ぎたんじゃないかって、たまにそう思うんだよ」
「そうは言っても、森の奥にはA級やS級のモンスターがうじゃうじゃいるんだろ? そいつらに対抗するには、上級職のほうがいいと思うが……」
俺は少しムキになる。それは『名もなき神』への対抗戦力が減る心配というよりは、転職能力を持つ俺の存在意義に関わっているからかもしれない。
そう自覚した俺は、強弁するまいと口を閉じる。すると、エリンは小さく笑った。
「カナメにしちゃ強引なセールストークだね。そんなにお金に困ってるわけでもないだろうに」
「まあ、お金の問題じゃないからなぁ……」
金銭はいくらあっても困らないが、とりあえず俺には地竜の素材がある。死者に鞭打つようで申し訳ないが、あれを売れば大抵のお金の問題には片が付く。
問題は、売り捌けるようなアテが自治都市セイヴェルンの有力商人にしかないことだが、今のところ騙されたり足下を見られたりした記憶はなかった。
「……まあ、弓使いの固有職じゃ太刀打ちできない魔物に出くわした時は、また頼らせてもらうさ。考え過ぎかもしれないけど、最近の森の静けさはちょっと気味が悪い」
「まさか、また地竜が潜んでいるなんてオチじゃないだろうな」
そう尋ねると、エリンは苦笑を浮かべた。
「その時は、あんたに任せて全力で逃げるよ」
「どうしてそうなる……」
そんな会話を交わした後、勧誘に失敗した俺は彼女と別れる。すると、様子を見ていたクルネがフォローするように口を開いた。
「エリンちゃんも、何かあった時は上級職として手伝ってくれるわよ」
「そうだな、その時までは保留にしておくか」
そこまで焦る必要はない。着実に歩を進めていこう。自分にそう言い聞かせると、俺はクルネと頷き合った。
◆◆◆
ルノール村の集会場として、そして自治都市になった後は評議場として使用されていた集会場は、石造りの大きな建造物へとその姿を変えていた。
予算や人員になんとか目途がついたのだろう。今も建設ラッシュが続くこのルノールの街にあっても、新しい評議場は一際存在感を放っていた。
「――やっぱりカナメ兄ちゃんもそう思ってたのか?」
「エリンの意見だがな。だが、俺もそう思う」
そして、所用でルノール評議会を訪れた俺は、久しぶりにジークフリートと再会していた。
同じ街で暮らしているはずなのだが、俺は『名もなき神』に関係する諸事情で、ジークフリートは警備隊長としての仕事や二人目の子供ができたことによるバタバタで忙しく、さっぱり会う機会がなかったのだ。
そして、そのジークフリートからもたらされた情報。それは、エリンと同じく、シュルト大森林の様子がおかしいと言うものだった。
「なのに、最近来た奴は『みんなで魔物を退治し続けた結果だ』って言うんだ。おかげで、調査隊を出そうにも優先順位をどんどん後回しにされてさ」
「この辺境では用心に用心を重ねるべきだと思うがな……」
本来なら歓迎するべき事態だが、徐々に大人しくなっていったのではなく、ある日を境に一気に静かになったとなれば、そう楽観視ばかりもしていられない。
「人のほうの動きに不審なところはないのか?」
「あの時みたいな? ……さすがにこれだけ人が増えると、誰が森に入ったかなんて分からないぜ。街は俺たちが守るけど、森までは手が回らないよ」
「まあ、そうなるよなぁ……」
そんな話をしていた時だった。評議場の入口が騒然とし始める。俺とジークフリートは顔を見合わせると、同時に喧騒の源へと向かった。
「どうしたんだ!?」
ジークフリートが声をかけると、評議場に駆け込んできたらしい青年がはっと顔を上げた。
「隊長、大変です! シュルト大森林に……!」
その言葉に俺たちは顔を見合わせる。先程していた話と合わせて考えると、まずいい予感はしなかった。そして予想通り、彼の報せは最悪に近いものだった。
「外へ……! いえ、この建物の屋上へ上ってください!」
彼に言われるまま、俺たちは評議場の屋上へと出る。そして、シュルト大森林の方角へ目をやった俺たちは息を呑んだ。
「なんだあれ、霧か?」
そう呟いたのは、たまたま現場に居合わせた評議場の職員だ。だが、固有職補正で視力が強化されているクルネやジークフリートには、その実態が分かっているはずだった。
「まさか、あれが全部モンスターなの!?」
「嘘だろ……!」
「――遠見の魔道具で確認したところ、あの黒い塊は飛行モンスターの群れのようです。そして、地上にも同じく脅威的な数の群れを確認しています」
顔面を蒼白にして青年は報告する。その数は、少なく見積もっても千体を超えるという。
基本的に人は魔物よりも弱い。千人の軍隊であれば、クルネやラウルスさんで蹴散らすことも可能だろう。だが、魔物の危険度は人間の二倍や三倍ではすまない。そんな存在が千体以上うごめいているのだ。構成にもよるが、万単位の軍勢に匹敵する可能性すらあった。
いくらこちらに上級職がいるとは言え、同時に複数の場所に存在することはできない。あの数で飽和攻撃を仕掛けられた場合、守り切れないことは間違いなかった。
「あれは何かしらの自然現象で、こっちに害はない……なんて可能性はないか?」
「あればいいけど……カナメ兄ちゃん、本当にそう思ってるか?」
「すまん、まったく思ってない」
俺たちがそんな軽口を叩いている間にも、騒ぎは大きくなっていた。見る見るうちに、驚愕や悲鳴といった声が上がり始める。
「まずいな……」
ここで恐ろしいのは、恐慌状態が伝染することだ。それを避けるためにも、俺やジークフリートは平然と振る舞う必要がある。そして、できるだけ早く彼らに顔を見せることだ。
俺たちは頷き合うと、急いで階段を駆け下りた。
◆◆◆
「神子様! あれは一体なんなのですか!?」
「どうか私たちをお助けください!」
評議場から出た俺たちは、すぐさま人垣に囲まれることになった。俺たちだって詳しいことは分からないんだが、どうしたものかな。
「大丈夫です、辺境では不思議なことがよく起きますからね。『辺境の守護者』を始めとした調査隊が向かっていますから、間もなく詳細は分かるでしょうし、皆さんはできるだけ普段通り過ごしてください。不安な方はクルシス神殿へおいでになっても構いません」
そう伝えると、何割かの人間はほっとしてその場を離れたようだった。ラウルスさんの調査云々は適当にでっち上げた話だが、彼の性格からすれば時間の問題だろう。
できれば、こちらでも偵察を出したいところだが……魔獣使いのクリストフが適任かな。
「そうそう、なんたって地竜を倒したカナメ兄ちゃんがいるんだからな!」
「一緒に戦ったジークフリートもな」
そう付け加えると、ジークフリートは照れくさそうに頬を掻いた。
「それに、あの時のメンバーは、みんな比べ物にならないくらい強くなってるもんな。上級職に特殊職に……」
ジークフリートはどこかわざとらしい大声で会話を続ける。周囲の人々に聞かせるつもりなのだろう。昔の彼なら思いつかなかった方法だろうが、彼も街の防衛を担う者として成長しているようだった。
「アデリーナはいないが、『辺境の賢者』と『ルノールの聖女』だっているからな」
「『剣姫』もいるぜ」
俺がミルティとミュスカの二つ名を口に出せば、ジークフリートもニヤリと笑ってクルネの異名を口にする。ちなみに、ジークフリートにも二つ名がないわけではないが、これと言った有力なものがないため、定着には至っていない。
と、俺たちのそんな話につられたのか、はたまた詰め寄るのに飽きたのか、またポツポツと人が減り始める。それを見て、俺はジークフリートに声をかける。
「ジークフリートも家に顔を出したらどうだ? メリルやアレックスが怖がっているだろう」
「うーん……メリルは俺なんかよりもしっかりしてるからなぁ」
「もう、そういう問題じゃないわよ」
呆れたような、困ったような顔でクルネはジークフリートに抗議する。とは言え、ジークフリートは警備隊長だからなぁ。この非常時こそ最も忙しいわけで。
「なんなら俺たちが様子を見てこようか? ジークフリートに頼まれたって言えば、少しはメリルも安心するだろう」
「いや、いいよ。剣以外の装備を家に取りに帰ることにするから」
そう言ってジークフリートは吊るしていた剣に手をやる。方向性は違うものの、クルネの剣と同じくハイスペックな魔剣だ。下手な鎧よりも防御効果の高い造りになっているはずだが、他人にそんなことは分かるまい。
そうしてジークフリートと別れ、俺たちは神殿へと戻る。評議場に留まったほうが情報は集まりやすいかもしれないが、非常時に神殿が果たす役割を考えると、俺がクルシス神殿にいないわけにはいかなかった。
「カナメ神殿長代理、ご無事でしたか」
裏口から神殿へ戻ると、まずオーギュスト副神殿長の姿が目に入った。来殿者がいないのを幸いと、俺は状況の確認をする。
「モンスターの大軍が発生していることはご存知ですよね? それによる神殿への影響はどんなものですか?」
「モンスターによる直接的な被害はありませんな。ただし、それに恐怖を抱いた来殿者で非常に混雑しています」
「帝国との戦争時と同じく、空きスペースを解放しましょう。その代わり、執務室等の重要スペースには必ず鍵をかけること。留守であろうがなかろうが、です。
それから、神殿の通常業務は一時停止して、人々の混乱を鎮めることを優先してください。神官以外の職員については、希望があれば帰ってもらっても構いません」
そう指示すると、副神殿長は素早く頷いた。
「さっそく準備しましょう。それで、アレの詳細は掴めたのですかな?」
「さっぱりです。おそらく『辺境の守護者』や魔獣使いが偵察しているでしょうから、それを待つつもりです。
それから、拠点防衛用の魔道具をいつでも起動できる状態にするよう、シュレッド侍祭に伝えてもらえますか?」
「分かりました。神殿長代理はどうなさるおつもりですかな」
その言葉に俺は少し考え込む。
「神像の間で来殿者に顔を出します。その後は未定ですが、どこかのタイミングで情報収集に動きたいところです」
「分かりました、それでは神官や職員に伝達しましょう」
そう言うと、副神殿長はいつも通りの足取りで歩み去っていく。さすがはオーギュスト副神殿長、言うまでもなく平常心を心掛けているようだった。
その後ろ姿を見送りながら、クルネに声をかける。
「クルネ、気配隠しはなしで護衛を頼む。悪いけど『剣姫』の評判を使わせてくれ」
「分かったわ。こんな時だもんね」
クルネは真剣な顔で頷いた。彼女の姿を見るだけでも、安心する人間はいるだろう。ここで彼女の知名度を使わない手はなかった。
――それにしても、なぜこんなことが起きたのか。そして解決策はあるのか。
底知れない不安を無理やりねじ伏せて、俺は来殿者の下へと向かった。
◆◆◆
「カナメよう、ちょいと……いや、かなりヤバイことになってきたぞ」
「これ以上のまずい事態なんて、あのモンスターたちが一斉に襲い掛かってくるくらいしかないと思いますが」
混乱するクルシス神殿を訪れたのは、盗賊のノクトだった。彼の話では、盗賊系の固有職持ちのほとんどは情報伝達役として雇われたらしい。
「……ま、それに比べりゃマシかもしれねえが、奴らの狙いが分かったぞ」
そう言うと、ノクトは神妙な表情を浮かべる。
「お前さんだよ」
「……はい?」
狙いが俺だと言うことは、つまり――。
「下手人が自分から出てきやがった。今は評議場前の広場にいるはずだぜ」
「それは是非とも、ご尊顔を拝みたいところですね」
ほぼ確実に、相手は例の教団だろう。どんな奴が派遣されてきたのか知らないが、好き勝手させるわけにはいかなかった。
「神殿のほうはいいのか?」
「そうですね……確かに混乱の最中ではありますが……」
そう悩んでいると、後ろから馴染みのある声がかけられた。
「カナメ君、こっちはいいから行ってらっしゃい」
クルシス神殿が誇る才媛、ミレニア司祭だ。この騒ぎが起きた直後、彼女はクルシス神殿の混乱を予見して手伝いに来てくれていたのだ。
久しぶりにクルシス神殿の法服を着ているあたり、本気で手伝ってくれるつもりのようだった。
「話は大体聞いたわ。これでも元筆頭司祭だし、今だって特別顧問なのよ? 少しは頼ってちょうだい」
そう言って、彼女は温かみのある笑顔を浮かべた。さすがは元筆頭司祭と言うべきか、見る者を落ち着かせる微笑みだった。
「……ありがとうございます」
俺は素直に提案を受け入れると、一礼して評議場へと駆け出した。
◆◆◆
つい数刻前に後にした、評議場前の広場。評議場の新築に合わせて整備された大きな広場には、非常に多くの人々と、そして不思議なくらいぽっかりと空いた空間があった。
なぜ空白地帯が生まれているのかと言えば、それは一人の男のためだった。
「――まあ、巻き込まれた諸君については、運がなかったと思ってくれたまえ。転職の神子が私を害しようとしさえしなければ、このようなことにはならなかったのだがね」
「……まさかの本人降臨か」
広場で弁舌を振るっている人影は、どう見ても『名もなき神』だった。これまで、教団は辺境に対して大きな動きを見せたことはなかったが……。
そして、『名もなき神』は俺たちの姿に気が付いたようだった。奴は俺に視線を向けると、大仰に手でこちらを指し示す。
「見たまえ。あの男こそ、今回の事件を引き起こした張本人だ」
「……自分で魔物を集めておいて、よくも白々しく言えたものですね」
あまりに無茶苦茶な物言いに、俺はつい反論した。すると、周囲の視線が一斉に集まる。
「否定はせぬさ。……だが、現実問題として、お前がいる限り辺境は滅びるぞ」
『名もなき神』は楽しそうに笑う。これで彼らに恐怖や怨嗟が向かったところで、それも自分の力になるという計算もあるのだろう。
そう考えていると、クルネが鋭い視線を『名もなき神』に叩きつける。
「どうして!? なぜ貴方はカナメを執拗に狙うの!?」
「どうして、と言われてもな。転職能力を得て、のうのうと楽しい人生を送るような存在には虫唾が走るのだよ」
「……ん?」
その言葉に俺は違和感を覚えた。『名もなき神』が気にするポイントとしては、どうにもちぐはぐな感じがする。
だが、『名もなき神』の表情に変わりはないし、資質も一つしか視られない。今回の件は嫌がらせとして最低最悪の部類に入るが、この短絡的な企みも、『名もなき神』の性格を考えれれば納得がいく話だった。
「そんな勝手な……!」
憤るクルネを相手にせず、『名もなき神』は広場の群衆に向き直った。
「諸君。繰り返し言うが、私は諸君らに興味はない。そこにいる転職の神子と呼ばれている存在が許せないだけだ。あの男さえいなければ、辺境をわざわざ滅ぼす理由などない」
その言葉を受けて、人々の視線が再び俺に突き刺さった。圧力を感じたのか、クルネは俺との距離を詰める。
そして、奴が恐らく口にするであろう台詞は――。
「だが、私は極悪非道なわけではない。……そこでだ。もし諸君らが転職の神子を私に引き渡すのであれば、あの魔物の群れは引き上げさせよう」
「そんなっ!」
青ざめた表情でクルネが叫び声を上げた。一方、俺も平然とした表情を維持するのに全精神力を投入する。
それは『名もなき神』の言葉に動揺したからではない。俺を見つめる人々の視線が、明らかに危険な色合いを帯びていたからだ。
「……とは言え、貴方があの魔物を操っているという証拠はありませんよね? あれはただの自然現象……ではないにしても、ただあそこに集合させるのが精一杯という可能性もあります」
とにかく、この場を乗り切らなければ。『名もなき神』の言葉を揺さぶろうと、俺は奴の言葉に疑問を呈する。
「ふむ、そう言うと思っていた。……ならば、その証明をしてやろう」
そう言うなり、『名もなき神』は右手を挙げた。そして、そのまましばらく時が過ぎて……気が付けば、飛翔体が凄まじい速さでこちらへ向かってきていた。
「うわあああああ! あそこからモンスターが飛んできたぞおおおお!」
「きゃぁぁぁぁ!」
「た、助けてくれ!」
一瞬にして、広場に恐慌が巻き起こった。悲鳴を上げてその場にうずくまる者。我先に逃げようとして他の人間にぶつかる者。そして、すべてを拒否したかのように空虚な瞳で立ち尽くす者。
怒号や悲鳴が飛び交う混乱の中、俺は迫りくる飛翔体を睨みつけていた。
「クルネ、頼む」
「うん、カナメも気を付けてね」
短いやり取りだが、言いたいことは伝わっていた。クルネは俺の下から離れると、飛行モンスターに向かって駆け出し、そして真空波を放った。
それは牽制の攻撃だったはずだが、大気の刃は相手の片翼を切り裂いた。バランスを崩し、もはや慣性のみでモンスターが突っ込んでくるところを、クルネはさらに迎え討つ。ようやく姿形を認識できるようになった俺は、その正体が下位飛竜であることに気付いた。
「衝撃波!」
クルネは衝撃波を発生させて下位飛竜の勢いを弱めると、そのまま首を刎ね飛ばす。首を失った胴体は地面に激突し、凄まじい振動を辺りに振り撒いた。
「うぉっ!?」
「ひいいいっ!」
モンスターが墜落してきたことで、近くにいた人々から悲鳴が上がる。いくら首を飛ばされて絶命しているとは言え、その大質量が消失するわけではない。
しかも、見れば第二、第三のモンスターが飛んで来ているようだった。遠くて種類は分からないが、下位飛竜以外の個体も含まれているように見える。
「あんなのが次々飛んで来たら……いくら『剣姫』が強くても、俺たちはいつかモンスターの死体に押し潰されるんじゃないのか……!?」
「うわぁっ、また飛んで来た!」
そんな悲鳴が次々に上がる。クルネは飛来するモンスターを片っ端から倒しているが、その大質量を消滅させられるわけではない。なんとか衝撃波等で軌道を逸らしているようだが、そもそもこの周辺は建物が多い。広場の人々への被害は防げても、周りの建物まで守ることは難しいようだった。
「ああ……ようやく手に入れたお店が……」
「やめてくれ! 家には家族がいるんだ!」
そんな悲痛な叫びを聞いて、俺は唇を噛み締めた。だが、現時点で『名もなき神』への対抗手段は完成していない。致命傷を与えるのは不可能だった。
「神子よ、お前はとんだ疫病神だな。辺境の民をこれほど苦しめるとは、よくそれで聖人面をしていられるものだ」
「聖人面をした覚えはありませんし、どんな詭弁を用いようとこの街の人々に被害を与えているのは貴方でしょう」
『名もなき神』の勝手な言い草に、俺は心底から腹が立っていた。だが、そんな俺を『名もなき神』はせせら笑う。
「ああ、もちろんだとも。この街に被害を与えているのは私だ。……だが、それがどうした? 現実問題として、お前の存在がこの惨劇を引き起こしているのだ。それを他人事のように言うのは感心せぬな」
「何を……」
『名もなき神』に反論しようとした時だった。ボソッと、誰かの声が耳に入る。
「――神子様がいなけりゃ、こんなことには……」
その声は大きなものではなかった。考えすぎかもしれないが、『名もなき神』の仕込んだサクラである可能性も高い。
だが。その一言が、確実に流れを変えた。
「そうよ……神子様のせいじゃない」
「俺たちはとばっちりじゃねえか……」
クルネの戦いに目が向いていた人々の視線が、再び俺に集中した。その視線に剣呑なものを感じた俺の背中を、つう、と冷や汗が流れていく。
少し遠巻きにこちらを見ていた人々が、ゆっくりと俺へ近付き始めた。
「神子様なんだから、俺たちを助けてくれるよな?」
「神の御使いが……まさか私たちを見捨てたりしないわよね」
まるで何かに憑りつかれたような彼らは、じりじりと俺との距離を詰める。俺を捕らえて『名もなき神』に引き渡すつもりなのだろう。
俺には自己転職という切り札がある以上、彼らの物理的脅威はないに等しい。にもかかわらず、俺は無形の圧力によって追い詰められていた。
ちらりとクルネを見ると、彼女もまた心配そうにこちらを見ていた。俺を助けに戻るか悩んでいるのだろう。だが、俺を助けようとして防衛が疎かになった場合、広場の人々に死者が出るのは明らかだ。そうなれば、クルネの心に深い傷を残すだろう。
俺が首を横に振ると、彼女は一瞬動きを止めて……そして頷いた。
「さあ、どうする? 保身に走って辺境の民を犠牲にするか、それとも神子として彼らの礎となり死ぬか。好きなほうを選ぶがいい」
愉快で仕方がないと言うように、『名もなき神』は癇に障る笑い声を上げた。一拍遅れて、数体目の飛行モンスターの死体が大地を揺らす。
その振動と轟音に身を震わせ続けた人々の目は、いつしか血走っていた。
「こんな目に遭うのは神子さ……こいつのせいだ!」
「そうだ! 若造が神殿長代理なんて偉そうな顔しやがってよ! 前から気にくわなかったんだよ!」
「とっ捕まえろ!」
ついに、堰が破れた。熱に浮かされた顔で手を伸ばしてくる人々を見て、俺は心を決める。もう悩んでいる余裕はなかった。
俺は伸ばされた手をかわすと、体当たりで道をこじ開けようとする。
「こいつ……! 俺たちに暴力を振るってきたぞ! 何が神子だ!」
「やっぱり命が惜しいんじゃないか!」
当たり前だ。そう言い返したい気持ちを堪えて、俺は包囲の隙間を探す。だが、人の壁は思いのほか厚く、無理やり突破することは困難だった。こうなれば、それなりの怪我を負わせるかもしれないが、やはり自己転職しかない。
そう判断した時だった。
「キュゥゥゥッ!!」
俺の行く手を塞いでいた人々が、青白い光に吹き飛ばされた。原因は考えるまでもない。俺は小さな相棒を肩に乗せると、全力で広場から逃げ出した。キャロに怯んだのか、身体を張って俺たちを止めようとする人間はいなかった。
「クハハハハ! 神子は民を捨てて逃げるか、これは傑作だな! ……辺境の民よ、お前たちにチャンスをやろう!」
背中越しに、『名もなき神』の勝ち誇った声が聞こえる。
「一月だ! 私は一月後にまた現れる! その時に神子を引き渡すがいい。さすれば、あの魔物どもは引き上げてやろう!」
俺は広場を走り去り、やがてクルシス神殿へと辿り着く。だが、『名もなき神』の哄笑はいつまでも頭に響き続けた。




