逆襲
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「今の爆発は……!?」
「メルティナ! こっちを頼む!」
会議場の扉の前で警戒に当たっていたメルティナに呼びかけると、俺は全力で外へと向かった。
「どう考えても、物騒な話だろうな。……たはは、会議室で頭から煙噴いてるよりは、こっちのほうがマシってもんだ」
会議場を飛び出した俺に並走しているのは、風神殿のイルハス神殿長だった。全力疾走の俺に並びながら、息一つ乱していない様子を見て、この人が盗賊の固有職持ちだったことを思い出す。
そして外へと踏み出した俺は、予想通りの姿があることを確認した。アレクシス……いや、『名もなき神』だ。古代遺跡での戦いを再現するかのように、十数人の配下を引き連れていた。
「威嚇!」
そして、すでに戦いは始まっていた。押し寄せる十人ほどの戦士職を、クルネとキャロ、そして警護担当らしき騎士が押し留めている。彼女たちの後ろにはミルティとミュスカ、そして今俺が出てきたばかりの扉があった。
凄まじい数の不利だが、クルネの目にも止まらない立ち回りとミルティの効果的な牽制、そしてキャロの要所を押さえた攻撃が、敵を上手くコントロールしていた。
「カナメさん!」
「カナメ君……!」
俺に気付いたミルティとミュスカが同時に声を上げる。その直後、俺の身体が急激に軽くなったのは、ミュスカが俺を聖域の効果範囲に入れたためだろう。
「ちっ、こんなことなら会議に遠慮せず、短剣の一つも隠し持っておくんだったぜ」
前衛の少なさを懸念したのだろう、イルハス神殿長は無念そうに呟くと、ふと敵とは別の場所に視線を向けた。つられて見れば、護衛らしき数人が倒れ伏している。
一帯の盛大な血の匂いからすると、奴らにやられたのだろう。その割に死相がないのは、ミュスカが治癒魔法をかけたためと思われた。
イルハス神殿長は彼らに駆け寄ると、短剣を二本借り受ける。左右に一本ずつ持ったことから察するに、両手で扱うことができるようだった。エネロープ神官は風変わりな人が多いと聞いたことがあるが、その実例を目の当たりにしたな。
「助太刀するぜ!」
一声かけると、彼は躊躇いなくクルネたちと肩を並べる。……神殿長が両手に短剣を構えて人と対峙するとか、なかなかシュールな光景だな。
「キュッ!」
イルハス神殿長の参戦に気を取られた隙を突いて、キャロが剣士の顎を蹴り上げた。ミュスカの聖域に後押しされた強力な蹴りが炸裂し、剣士の意識を刈り取る。
「うおおっ!? お前、やるじゃないか!」
「キュゥッ!」
イルハス神殿長の賞賛を受けて、キャロは自慢げに一声鳴いた。だが、体力的にはそろそろ限界だったのだろう。神殿長と入れ替わるようにして、耳をぺたんとさせたキャロが後ろへ下がる。
しかし、身体の大きさで言えばキャロとは比べ物にならないイルハス神殿長の参戦は、後衛の防御に意識を割いていたクルネの負担を大きく軽減するものだった。
動ける範囲が広がったクルネは、俊敏な動きで目の前の剣士と破砕者を翻弄すると、剣気を纏わせた魔剣で鎧ごと相手を切り裂いた。
さらに、隙を突いて飛んできた火炎球を打ち返して、イルハス神殿長を狙っていた剣士に直撃させるという離れ技をやってのけ、彼らが唖然とした隙に光剣を叩き込む。その全長二十メートル近い光の剣に巻き込まれて、四人の固有職持ちが崩れ落ちる。
「爆裂」
大きく迂回してミルティたちに近づこうとしていた盗賊二人が、周囲の地面ごと爆発に呑まれた。
そして同時に、敵の中衛や、敵の後衛にいた魔術師や弓使いにも同じ魔法が炸裂する。『名もなき神』の周囲も爆発していることを考えると、多重詠唱の特技を使い、四つの爆裂を同時に使用したのだろう。
ミルティの魔法とクルネの光剣が瞬く間に敵を減らしたことにより、相手との人数はほぼ同数になっていた。なんと言っても、こちらには上級職が三人いるのだ。
多人数による飽和攻撃によって、防衛線を突破されることを警戒していただけで、戦闘能力で言えば圧倒的にこちらが上だった。
だが、戦況がこちらに優位になったことを受けても、『名もなき神』が動き出すことはなかった。密かに俺と転職合戦を繰り広げていたこともあるが、それ以上になんというか、やる気のようなものが感じられないことに、俺は違和感を覚えていた。
「……まさか、この会議に貴様が参加しているとはな」
『名もなき神』がそう呟いたのは、配下の固有職持ちがすべて倒れた時だった。なぜ今まで積極的に動かなかったのかは不明だが、どこかに潜んでいるはずのマクシミリアンを除いて、奴の手駒はすべていなくなったことになる。
それにもかかわらず、『名もなき神』の表情には余裕しか感じられなかった。
「それはこちらの台詞ですね。貴方が会議に招かれているとは思えませんが」
「……ふん、招待状を送りつけておいてよく言う。私が留守にしている間に、随分と荒らしてくれたようだな」
『名もなき神』は不快そうに表情を歪める。彼の言葉には思い当たりがあった。
「まあ、奴らには報いを受けさせてやったが……駄犬の躾がなっていないのは飼い主の責任だからな」
「……はて、なんのことだか見当もつきませんね」
そう言いながらも、やっぱりな、と内心で呟く。教団の本拠地を襲撃した統督教の混成部隊が戻ってこない理由は、『名もなき神』に全滅させられたためだと考えてよさそうだった。
おそらく、『名もなき神』が復活していない、もしくは別の場所へ出向いている間に本拠地を一度は攻め落としたのだろう。だが、その後『名もなき神』に見つかり、全滅させられたのだ。
「とぼけるならそれでもいいだろう。だが、私の信奉者を害した罪は贖ってもらおうか」
『名もなき神』の言葉に俺たちは構える。まさか、ここで奴と戦うことになるとは想定外だった。俺の目的が『名もなき神』の消滅である以上、いつかは一戦交えるとは思っていたが、今はなんの準備もできていない。
「やめておいた方が賢明ではありませんか? いくら神の一柱とは言え、人の器に縛られている身でしょう。それに対して、こちらは上級職が揃っていますからね」
まずは時間を稼ごう。そう考えた瞬間だった。
「終焉ノ地」
いつか見た黒色の靄が、『名もなき神』を中心として凄まじい勢いで広がる。この世のありとあらゆる苦しみを濃縮したような苦痛をもたらす呪術は、その禍々しさで場を覆いつくした。
「ミュスカちゃん、ありがとう」
そんな中で俺たちが正気を保っていられるのは、偏にミュスカの聖域のおかげだった。竜玉の首飾りの効果か、古代遺跡で同じ呪術を防いでいた時よりも、多少余裕があるように思える。……だが。
その直後、俺は自分の判断が甘かったことを知った。黒色の靄は、俺たちだけを取り囲んだわけではない。俺たちの後ろにある、会議場をもその範囲に捉えていたのだ。
「そんな!?」
事態をいち早く察したミルティが悲鳴を上げる。数秒も触れれば死に至る黒い靄は、もはや巨大なドームとなっていた。
「聖域……!」
すると、それに呼応してミュスカが聖域を展開し直した。その効果範囲は大きく広がり、光の壁が会議場を覆う。
「凄えな、こりゃ……」
その様子を見て、イルハス神殿長が目を丸くして呟いた。盗賊の彼に魔力は見えないが、黒色の靄と光壁の戦いは誰の目でも捉えることができる。
だが、その幻想的な光景を悠長に眺めている暇はなかった。竜玉の首飾りに付与された『魔力貯蔵』や『広域化』のフォローはあるだろうが、これだけ広大な範囲を強力な聖域で覆っているミュスカの消耗は凄まじいはずだ。
対して、『名もなき神』のほうは特に消耗している様子はない。いつまででも呪術を維持できそうな余裕を見せていた。
「あの時の再現か……」
溜息にならないよう、ゆっくりと息を吐き出す。今の状況は、かつて古代遺跡で『名もなき神』と戦った時とそっくりだった。だがあの時と違って、古代都市の神格迎撃システムは存在しない。
「雷霆渦!」
悩む俺の視界を、眩い閃光が埋め尽くした。まともに受ければ、守護戦士のラウルスさんですら大きなダメージを受けるミルティの得意魔法だ。
黒色の靄を引き裂いて荒れ狂う雷の渦巻きは、確実に『名もなき神』を捉えていた。
「……ふむ、さすがは賢者と言ったところか。かつてのこの身であれば、ダメージを受けていたかもしれんな」
だが、凶悪な雷撃に曝されていたはずの『名もなき神』は涼しげに呟いた。信じられないことに、その身には焦げ目一つついていない。周りの地面の惨状が、ミルティの魔法の凄まじさを証明しているのに、だ。
「どういうことだ……!?」
そもそも、『名もなき神』は古代クルシス神殿の攻撃を受けて、その存在を維持するのも一苦労だったはずだ。それがなぜ、こうも余裕を持てるのか。
ふと気になった俺は、『名もなき神』の固有職資質を視て……そして、驚愕した。
「固有職が……消えた……!?」
かつて、アムリアの資質と『名もなき神』の資質が同居していた身体には、一つの資質しか見当たらなかった。残っているのは、もちろん『名もなき神』の資質だ。ということは――。
「アムリアを完全に乗っ取ったのか!?」
「乗っ取ったとは人聞きが悪いな。彼女は肉体を明け渡し、私がそこに収まった。それだけの話だ」
『名もなき神』はあっさり事実を認めると、ニヤリと口元を歪めた。
「信じぬかもしれんが、彼女は実に協力的だったぞ」
「そんなっ……!」
「ミュスカ、相手にするな。聖域を展開しているミュスカに精神的な揺さぶりをかけているだけだ」
俺はミュスカの前に立つと、『名もなき神』からの視線を遮る。言葉の真実は分からないが、今はそれを追及するべき時ではなかった。
今考えるべきは、どうにかして『名もなき神』を退けることだ。だが、ミルティの雷霆渦が効かないということは、大抵の魔法攻撃は通用しないということだろう。
「神罰!」
と、後方から一陣の風が吹き抜けた。銀色の風はまっすぐ『名もなき神』の懐へ潜り込むと、光を凝縮したかのような煌く長剣を振り抜く。
クルネの斬れぬものなしにも似た存在感を持つ斬撃は、確実に『名もなき神』を捉えていた。
「メルティナ!?」
その人影を捉えて、俺は驚きの声を上げた。バルナーク大司教たちの守りにと残していた彼女だったが、向こうは大丈夫だろうか。そう思って周囲を見回すと、いつの間にかイルハス神殿長の姿がないことに気付いた。
「……あの会議場に対時空魔法の結界を張ったわ。あの神殿長さんには申し訳ないけど、そのことを伝えがてら『聖騎士』さんと交代するようお願いしたのよ」
キョロキョロしている俺を見て察したのか、ミルティがそう説明してくれる。一体いつの間に手筈を整えたのか知らないが、非常にありがたい話だった。これで、さらに上級職が増えたことになる。
「ふむ……貴様の周囲に上級職が集まり過ぎているな。やはりクルシスの力か?」
だが。信じられないことに、『名もなき神』はメルティナの強烈な一撃を受けても平然としていた。その異常性に気付き、いち早く跳び退いていたメルティナが唖然と呟く。
「確実に身体を両断したはずだ……何が起きた……!?」
「ふん、芸のない。しょせん人間ごときが辿り着ける次元ではない。身の程を――」
「斬れぬものなし!」
『名もなき神』の言葉を待たず、今度はクルネが剣を振るう。すべてを切り裂く絶対の刃は、正確な軌道で『名もなき神』の首を捉える。
「そんな……」
クルネの顔に焦燥の色が浮かぶ。彼女の剣撃は正確だった。地竜の魔剣は確実に『名もなき神』の首を薙ぎ、本来であればその首が宙を舞うはずだった。
にもかかわらず、『名もなき神』の首が繋がっている理由。それは、クルネの剣が『名もなき神』の身体を通り抜けたからだった。
「私の時と同じ……見間違いではなかったのか……!」
その光景を目の当たりにしてメルティナが呻く。そして、俺もその事実にショックを受けていた。
なんと言っても、クルネの斬れぬものなしはすべてを切り裂く理不尽なレベルの特技だし、さらに彼女の魔剣は魔法や幽霊すら斬ることができるスペックを誇っている。それらの攻撃が通じないということは、ほぼあり得ない話だった。
『名もなき神』を滅ぼし得る有力な手段だと考えていた組み合わせが、目の前で否定された衝撃は大きかった。
「はっ、私の忠告を――」
「分解消滅!」
またも『名もなき神』の言葉を遮り、ミルティが魔法を発動させた。『名もなき神』の周囲の空間が異常なレベルで歪み、彼が足場としていた地面がだんだんと薄れて消えていく。
しかも、消えるのは地面だけではない。歪んだ空間に存在するものすべてが朧げになっていくのだ。はっきりとは分からないが、空気ごと、下手をすれば空間ごと消滅させているようにも思えた。
「これなら……?」
存在を根本から消滅させる魔法。それは、ミルティが『名もなき神』用に研究開発していたものだ。長い精神集中が必要で使いにくいという話だったが、メルティナやクルネが時間を稼いでくれたおかげで無事発動できたようだった。
「行儀の悪い者たちだな……まあいい。これだけ広大な聖域だ。魔力が尽きるのを待つ程度の心の広さは持っている」
「っ……!」
またもや無傷で現れた姿に、ミルティが息を呑んだ。『名もなき神』の周囲は球状に抉れているが、それだけだ。
俺たちは遊ばれているのだろうか。本気を出せばあっさりこの場にいる全員を殺せるのに、ただ弄んでいるだけなのか。
奴が言う通り、ミュスカの魔力は無尽蔵ではない。首飾りに『魔力貯蔵』と『魔力回復』の付与効果があるが、それは永久に戦えることを意味しない。今の広さの聖域を維持するなど、そもそもが想定外なのだ。
「何か方法はないのか……」
向こうはこちらを攻撃できて、こっちは手も足も出ないなんて理不尽にも程がある。八つ当たり気味にそんなことを考えながら、俺は『名もなき神』を睨みつけた。
その視線に気付いた『名もなき神』は、小馬鹿にするように鼻を鳴らすと、ニヤニヤといやらしい顔で笑いながらこちらを見ていた。
「なかなか楽しいな。クルシスには千年前に煮え湯を飲まされて以来、ずっと復讐を考えていたのだよ。
だが、物質を司ることのないクルシスは、一度消滅すると物質神よりも再生に時間がかかる。一体どれほどの時を重ねればよいのかと考えていたが、まさか似た気配を持つ人間がいるとはな」
「それは八つ当たりと言うものです。そんなことでは神の威厳が地に落ちますよ?」
「ふむ、クルシスはそう言った皮肉は言わぬ堅物だったな。……まあ、奴らの成り立ちを考えれば、皮肉などと言う人間味はそうそう持ち得ぬだろうが」
そう呟くと『名もなき神』はゆっくり歩き出した。やがて自らを囲んでいたクレーターを抜け、俺達へと近づいてくる。
「……ミルティ」
「ええ、魔力は残しているわ」
『名もなき神』の圧力に押されながらも、俺はミルティと頷き合う。そして、俺は彼女を時空魔導師に転職させた。
どう考えても、現状で勝ち目はない。ここは一旦逃げるべきだろう。あっちにはマクシミリアンがいるが、追いかけて来るところを俺の転職能力で妨害すれば、以前のような自滅を狙える可能性もあった。
そのためにも、まずは逃げる――そう考えていた時だった。
「そんな……!」
ミルティは顔面を蒼白にしてよろめいた。そして、か細い声で告げる。
「空間転移が使えないわ……巧妙に空間が固定されていて、時空魔導師になるまで気付けなかった……」
「マクシミリアンか……!」
奴が姿を見せなかったのは、俺の転職能力に対する警戒のためだけではなく、こんな小細工をするためだったのか。
そして、その小細工はこれ以上ないくらいに効果的な形で、俺たちを追い詰めていた。
すると、そんな俺たちの様子に気付いた『名もなき神』は、実に楽しそうに笑い声を上げた。
「ハハ、ようやく気付いたようだな」
『名もなき神』と俺たちの距離は、もう数メートルのところまで来ていた。クルネとメルティナは剣を構えているが、それが意味を持たないことは分かっている。
そしてついに、『名もなき神』は俺たちのすぐ前に立った。聖域に阻まれているものの、その身体から放たれる呪術の波動に身体が震えそうになる。
「さて、このまま癒聖の魔力がなくなるまで待とうかとも思ったが……せっかくクルシスに似た人間を見つけたのだ。多少楽しんでも構うまい」
「偽物に憂さを晴らして満足とは、矜持のない神もあったものですね」
そう強がれただけでもよしとするべきだろう。『名もなき神』がこちらへ手を差し出してくるのを見ながら、俺はどこか他人事のようにそう考えた。
「カナメっ!」
次の瞬間。横殴りの衝撃とともに、俺は地面に転がされていた。てっきり『名もなき神』に殴り飛ばされたのかと思ったが、それにしては――。
そう考えながら周囲の状況を確認した俺は、心臓が止まるような衝撃に襲われた。
今まさに、クルネが『名もなき神』に腕を掴まれたところだったのだ。奴が触れた箇所を中心として、黒い靄がクルネの中に吸い込まれていく。
「きゃぁぁぁぁぁっ!」
クルネの苦しげな悲鳴を聞いて、『名もなき神』は感心したように頷く。
「ほう、この状況で神子を庇うとは見上げた精神力だな。……だが、接触性の呪術は今までの比ではないぞ」
「……」
クルネは答えない。悲鳴を抑え込んでいるのか、もう声を上げる余裕もないのか。それとも――。
「クルネ!」
目の前が真っ赤になった俺は、体当たりするように『名もなき神』にぶつかると、その手からクルネを奪い取った。だが、奴と接触したすべての箇所からのたうち回るような苦痛が押し寄せて、俺はクルネを抱き抱えたまま地面へ転倒する。
「……なるほど、なるほど。私の手をあっさり振りほどくとは、やはり貴様もこちらの次元に存在しているようだな。貴様がどれだけ否定しようと、その身はクルシスの分体に近い。……となれば、クルシスの代わりに責任を取るのも当然だな」
「勝手な理屈を……」
その声は声になっていなかった。地に倒れ伏したまま、苦痛との戦いで消耗しきった意識は朦朧としていく。
土の匂いがするな。そう考えたところで、俺の意識は途切れた。
◆◆◆
――世界が視える。幾重にも重なった世界と、その世界を律する法則。その中でもよく視えるのは、人が人に託した奇跡。固有職の領域と神の領域はとても近しいが、人の領域と固有職の領域は遠く、そこに道を作ることは非常に難しい。
まして、それが神の領域に届く固有職であれば尚のことだ。人にどれだけ資質があろうとも、それだけでは繋がり得ない世界。神が自らを力の経路とすることでのみ、両者を結び付けることができる。
不思議な世界で俺は目覚めた。まったく知らない世界と言うわけではない。重なり合った世界の一つでは、俺は相変わらず地に倒れている。それを不快だとは思わないが、問題はすぐ近くにいる神性の存在だ。本能がアレを排除するべきだと叫んでいた。
だが、どうする? 元々が物質世界の住人であり、あの世界の器と融合している神性存在と異なり、こちらはあの世界への干渉力が弱い。無茶を通せるのは、自身の権能を通じたものだけだ。
そこまで考えれば、後の結論は早かった。対象者の選定を進める。候補者は四名。それぞれに特性が異なるため、同一基準による選定は不可能。ただし、一名は物質世界基準で遠方のため除外する。
三名のうち誰を選ぶか、それが重要な問題だ。元に戻すことも考えると、現在の神気では一名が限界だ。だが、選定に時間をかけるわけにはいかない。それならば――。
「――俺が、最も信頼している相手を選ぶ」
◆◆◆
「どうした、起き上がらないのか? そのまま無様に果てたいというのであれば、それでも構わんぞ」
はっと意識が覚醒する。なんだか変な夢を見ていた気がするが、状況からすると俺がクルネを奪い返して転倒した直後のようだった。
全身を苛んだ苦痛が楽になっているのはミュスカのおかげだろうか。クルネはどうかと確認すると、彼女はいつの間にか起き上がっており、『名もなき神』に対して静かに剣の切っ先を向けていた。
「ふむ、まだ私に剣を向けるとはな。いくら上級職になっても、知性はそのままか……」
「余計なお世話よ」
そんな挑発に乗ることもなく、クルネはただ『名もなき神』を睨みつける。そして身体のバネをためると、消えたとしか思えない速度で『名もなき神』へ迫る。
「ぬ……?」
すると、『名もなき神』の表情に動揺が広がった。彼は袈裟懸けに斬られた自分の身体を見て、目を丸くしていた。
「私を斬っただと……? 貴様、何をした!?」
呆然と呟く『名もなき神』にもう一撃。今度は胴を薙がれ、『名もなき神』が初めて一歩下がった。
クルネは何も答えない。その代わりとでも言うように、嵐のような剣撃が放たれ、『名もなき神』に無数の傷を刻む。通常の人間なら数十回は死んでいる攻撃だ。
「ええい、鬱陶しい!」
『名もなき神』は苛立ったように叫ぶと、大きく後ろへ跳んでクルネの剣の間合いから外れる。
「まさか、剣神の固有職か!? ……ふん、どうやらお前たちを見くびっていたようだな。それは認めよう」
その言葉を聞いて、俺はおや、と思った。こいつの性格上、もっと逆上してくると思っていたのだが、意外と冷静なままだ。
そう言えば、ここ一年ほどの教団の動きにしても、クルシス神殿を嵌めようとする辺りの謀略は、気紛れな『名もなき神』っぽくない気がするな。
「だが……所詮は神に届き得る力に過ぎん。いくらその剣で斬られようが、せいぜいがかすり傷よ」
「それで充分よ。かすり傷だって、何千何万と重なれば致命傷になる」
そう言い切るクルネからは、その言葉を本当に実行しそうな気迫が立ち昇っていた。だが、『名もなき神』は不敵に笑う。
「ふん、本当に鬱陶しい奴らだが、クルシスの代わりとあればその程度はやってもらわねばな。……それに、一つ思いついたことがある」
そして、『名もなき神』はゾッとするような酷薄な笑みを浮かべた。
「お前をただ殺すのでは面白くない。千年待たされたのだ、もう少し楽しませてもらうぞ」
そう言い放つなり、『名もなき神』はくるりと後ろを向いて悠然と歩み去る。その突然の行動に、俺たちは呆気にとられた。
「……カナメ、どうする?」
その後ろ姿を見送りながら、クルネが硬い表情で尋ねてくる。俺は首を横に振ると、肩をすくめてみせた。
「やめておこう。今は奴の滅ぼし方が分かっていない。万が一倒せても、これで固有職として逃げ延びてしまっては意味がない」
それに、ミュスカの魔力がいつまでもつか分からないからな。ここで再び戦闘に入って、途中でミュスカの魔力が切れてしまえば全滅は必至だ。奴の終焉ノ地にはそれだけの危険性がある。
そんなことを考えていると、不意にクルネが俺の前に回り込んできた。
「分かったわ。……ところでカナメ、今の私の固有職なんだけど……」
「うん?」
クルネは懐からステータスプレートを取り出すと、それを俺に差し出す。
「なんだこりゃ。壊れたのか?」
俺は思わずステータスプレートに顔を近づけた。どう見ても表示がおかしくなっていたのだ。『%剣@#』という表示がなされており、辛うじて『剣』の文字が読み取れるだけだった。
「けど、奴は『剣神』って呼んでたな。たぶん、古代魔法文明時代にも発現したことのない固有職で、プレートに登録されてないんじゃないかな」
それなら表示がおかしいことにも納得が行く。そう説明すると、クルネも納得したようだった。
「それで、もう一つ話があるんだけど……」
クルネは頷いてから、とても申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんね。この固有職から、剣匠に戻してもらってもいい?」
「えっ?」
予想外の申し出に驚く。だが、クルネの頼みを断る理由はない。俺はクルネの資質を確認すると、乞われるまま剣匠へ転職させた。
「ありがとう、カナメ」
剣匠へ転職した途端、クルネの表情が目に見えて明るくなる。その様子を見て、俺は一つの可能性に気付いた。
「クルネ、ひょっとして剣神の固有職は負担がかかるのか?」
そう言えば、剣神に転職して以来、彼女の表情がずっと硬いままだった気がする。
俺の問いかけに、クルネは困惑顔で頷いた。
「……なんだか、別の人の意識みたいなものが流れ込んできたの。固有職としての能力は剣匠が一般職に見えちゃうレベルだけど、このままじゃ自分が自分じゃなくなりそうで……」
「そうだったのか……悪かった。まさかあの固有職にそんな副作用があるとは思わなかった」
「ううん、あそこでカナメが転職させてくれなかったら、私たちは今頃死んでたかもしれないもの」
そう答えてから、クルネは不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「ところで今更だけど、剣神の固有職ってなんなの? 私にそんな固有職資質があったの?」
「それが、俺にもよく分からないんだよなぁ。クルネを転職させたことは覚えてるんだが、細かいことが思い出せない」
「え? じゃあ、もう転職できないの?」
焦ったようにクルネが声を上げる。神と渡り合える固有職を喪失してしまったと考えているのだろう。
そんな彼女を安心させるように、俺は笑顔を浮かべた。
「それは大丈夫だ。きっかけは思い出せないが、また転職させることはできるさ」
今は転職能力の酷使で試すだけの力が残っていないが、そんな確信が俺にはあった。その言葉を聞いて、クルネは久しぶりに笑顔を見せる。
「よかった……あ、でも必要な時は遠慮しないでね?」
「ああ、その時はまた協力してもらえると嬉しい」
そう応じると、彼女は再び笑顔を浮かべた。




