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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
転職の神殿を開きました
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同期生

【ノルヴィス神学校生 カナメ・モリモト】




「ここがあなたの部屋です」


 ようやくたどり着いた神学校で手続きをすませると、俺は今後住むことになる寮へと案内された。


 神学校の敷地内ということはなく、通学には徒歩で三十分程度かかる立地だが、建物や設備は意外に新しかった。しかも広い。おそらく数百人規模の学生が居住可能だろう。


「構造は見ての通り玄関エントランスの奥に管理室と共有の食堂、左の棟が男子棟で右が女子棟です。

 言うまでもありませんが、女子棟には立ち入り禁止です。また、あなた達特待生は一人一人に個室が与えられていますが、だからといっておかしな使い方をしないように」


「分かりました」


 寮の管理人の一人だという四、五十歳くらいの女性の言葉に、俺は素直に頷いた。おかしな使い方の具体例を聞いてみたかったが、ここは大人しくしておいた方がよさそうだな。


「神学校の入学式は三日後です。九つの鐘に遅れないように神学校へ行くこと。いいですね?」


 俺が返事をすると、管理人の女性は満足そうに頷いて去って行った。その足音を聞きながら、俺は大荷物の荷ほどきに取りかかる。


 元々大した所持品はなかったため、持ってきたものは大抵が着替えなどの生活必需品だ。とはいえ、本当に最低限度しか持ってきていなかったので、色々とこの王都で買い足す必要があった。


「キュゥゥ?」


 俺の荷ほどきを手伝う気なのか邪魔する気なのか、キャロがリュックの上に乗ってきた。


 そう、意外なことにこの寮はペットOKだったのだ。もちろん限度はあるが、兎のような小動物なら大丈夫らしい。宗派的な理由で動物を持ち込む者もいるため、そういった宗派への配慮だそうだ。


 俺の場合は宗派も何もあったものじゃないんだけど、キャロが妖精兎という神秘的な種族であることが幸いして、それ以上は追及されなかった。

 さすがに神学校内と食堂は連れ込み禁止だが、神学校内には専用の預り所まであるらしい。というか、動物が必須の宗派ってどんな教義なんだろう……。


 と、そんな事を考えていた俺の耳にノックの音が聞こえてくる。さっきの管理人が何か伝え忘れたのかと思って、俺は扉を開けた。


「よお、初めまして! 自分、今年からの特待生やんな? 俺はコルネリオ・ミルトン、同じく今年から神学校に通うことになった特待生や。よろしゅうな!」


 目の前に立っていたのは、茶色い髪をツンツンに立てた陽気な青年だった。たぶん十七、八歳くらいだろう。背も体格もそこそこあるが、人懐っこそうな瞳のせいか圧迫感は感じなかった。


 ……というか、この世界にもこういう喋り方あるんだな。俺がこの世界の言葉を理解できてるのは、意思疎通魔法のおかげらしいんだけど、こんな地域性まで反映させるって何気に凄い魔法だな。


 まあ、無理やり召喚した挙句、すぐに俺を追い出したあの爺さんに感謝する気は全くないけれども。


「……カナメ・モリモトと申します。ご賢察の通り、今年から特待生として神学校に通うことになりました。よろしくお願いします」


 突然の襲来と予想外の関西弁のせいで、ちょっと返事に詰まってしまった。慌てて接客モードに切り替えた俺は、丁寧に頭を下げた。


「固っ! そないに大仰な挨拶せんでもええのに。同期の特待生同士なんやし、もっとフランクにいこうや」


 俺の挨拶に一瞬目を瞬かせた後、コルネリオと名乗った青年は俺の肩をばしばしと叩いてきた。


 ……まあ、なんとなくそう言われる気はしてたよね。接客モードの方が喋るのが楽だなんて、あんまり理解してもらえないよなぁ。ある程度予期はしていたので、俺は素直に諦めた。


「……どうしてここが同期の特待生の部屋だって分かったんだ?」


 うう、喋りにくい。同期や同級生って、先輩や後輩よりも距離感をつかむのが苦手なんだよなぁ。先輩ならヨイショしとけばいいし、後輩は向こうが合わせてくれるけど、同期はそうもいかない。そもそも、この年齢になってまた学生やるなんて思ってもみなかったしな。


「個室がもらえるんは特待生だけやし、さっきカナメが大荷物ひっさげて歩いてるんを見たからな。今年からの人間以外はそんな大荷物ないやろうし」


 コルネリオの答えは実に合理的だった。だが、その次に出てくる言葉は俺には理解できないものだった。


「というわけでカナメ、俺らの出会いを祝してメシでも食いにいこうや」


 検問ですり減った精神力を回復するのは、まだ先の事になりそうだった。




 ◆◆◆




「てっきり食堂に行くのかと思ってたよ」


「何言うてんねん、食堂なんてこれから嫌でも使わなあかんし、今日くらい外食してもバチは当たらんて」


 コルネリオの「メシでも食いに行こうや」は、手近な寮食堂ではなく、王都の料理屋を目的としていたらしい。王都の料理に期待しつつも、一人で知らない店に入るのは嫌だと躊躇していた俺にとっては、それはありがたいことだった。


「俺も数日前にこっちに来たばかりやけど、ここはなかなか美味いもん食わせよるで」


 そう言いながら、コルネリオは一軒の店の前で立ち止まった。『金の鍋亭』と書かれた看板からは、何系の料理が出てくるのか想像がつかなかったが、それでもいい匂いが漂っているのは間違いなかった。


 そんな事を考えている間にも、コルネリオが店に入っていく。俺も慌ててそれに続くと、すぐに店員が「いらっしゃいませ!」と挨拶をしてくれた。

 店内はそれなりに年季が入った作りだが、よく手入れがされているせいか清潔感が感じられた。なんだか感じのいい店だ。


「二人なんやけど、個室の方を使うてもええかな?」


「え?」


 コルネリオの言葉に聞き返したのは、店員ではなく俺の方だった。まだ夜には早いこともあって、店内には空きテーブルがいくつもある。わざわざ個室を選ぶ理由が分からなかった。


 ひょっとして、コルネリオにも宗教……じゃなかった、宗派的な戒律があって、大勢の人と食事はできないとかあるのだろうか。一応、神学校の特待生だもんな。


「かしこまりました、こちらへどうぞ」


 店員は特に表情を変えることもなく、俺たちを個室に通してくれた。椅子が六脚置いてある個室を二人で占領することに罪悪感を覚えてしまうのは、俺が小心者だからだろうか。


「カナメどれにする? ここは美味かったら何でもメニューに載せる、ってスタンスやから色んな料理があるで」


 そう言われてメニューに視線を落とした俺は、ちょっと困ったことになった。


 メニューが読めないのだ。もちろん文字が読めなくなったという訳ではない。ただ、料理名のような固有名詞は意思疎通魔法でもお手上げのようだ。~の炒め物、などという表記なら想像もつくが、例えばこの『フォレナガッチャ』という単語が、どういう料理を指すのかが全く分からなかった。


「……俺は『日替わり定食』で」


 初の王都料理だというのに、なんて無難なチョイスなんだ。ちょっと悲しくなってきた。神学校に行ったら、まず料理本を図書館で借りることにしよう。


 見ればコルネリオも決まったようで、店員を呼んで注文を告げる。そうすると、しばらく俺たちの間に沈黙が下りた。


「なあカナメ、ちょっと聞きたいことがあるんやけどええか?」


 それは突然だった。表情はそのままだったが、コルネリオの声に少し真剣味が混ざっていた。


「なんだ?」


「カナメの背後には誰がおるんや?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は反射的に警戒モードに入った。そうか、寮の食堂でも店の一般席でもなく、個室を選んだのはそういう理由があったのか。


 少し納得しながら、俺は言葉を探す。


「それは特待生枠をどうやって確保したのか、ということでしょうか?」


 俺は本能的に接客モードを発動させた。素の自分では対応しきれない気がしたのだ。俺の言葉に、コルネリオは頷いた。


「当然や。ちなみに俺の場合、実家が自治都市セイヴェルンで代々評議員をやっててな。本職は商会やけど、まあ、それなりに色んなところに顔が利くんや」


 彼の言葉に、俺は必死で記憶を探った。自治都市。それはどこの国にも属さない街のことであり、その都市のほとんどは非常に大きな経済力を持っているという。

 近隣諸国からすれば是非とも自国の領土にしたいところだろうが、それを拒み続け、時には撃退し続けた街だけが自治都市と呼ばれている。


 また、自治都市は組織力という点で国に劣っているため、自治都市連合という連合体を立ち上げており、有事の際には様々な自治都市から応援がくることも、自治都市の独立を支え続けてきた理由だったはずだ。


 そして、その自治都市を治めているのが評議員と呼ばれる者たちだ。つまり、コルネリオの社会的地位は貴族の子弟に近い。


 出発前にルノール村で勉強しておいてよかった、と俺は胸をなで下ろした。さすがに「自治都市? なにそれ?」では格好悪すぎる。


「さて、俺は自分の背後をバラしたで。次はカナメの番と違うか?」


「おや、貴方がご自分の背後関係を勝手に話しただけでしょう? そもそも、貴方の場合はご自分の実家が後ろ盾なわけですし、それは隠されていた情報の開示とは言い難いと思われますね」


 俺はいつも通りに、曖昧な笑顔を顔に貼り付けて応戦した。俺の背後関係については、リカルド王子にも「あまり大っぴらにしない方がいい」と釘を刺されているし、余計な情報を与えるわけにはいかない。


 リカルド王子には申し訳ないが、下手にバラして「あいつにはこの程度のバックしかいないぞ」と判断されてしまっては、俺の安眠の妨げになるというものだ。


「ま、それもそうやな。じゃあ、友人としての世間話やけど、カナメはどこの出身なん? 自分みたいな黒目黒髪はけっこう珍しいから気になっててん」


 コルネリオはあっさり俺の反論を認めると、今度は『友人』としての質問に内容を変えてきた。会って数十分で友人とか、お前はどこのリア充だ!とツッコミを入れたくなるな。


 とはいえ、この質問については神学校経由でちゃんと調べればどうせバレるはずだ。隠す必要はないだろう。


「私は辺境の出身ですよ。ご存知の通り、辺境には色々な人間がいますからね」


 俺の返事を聞いて、コルネリオの表情が一瞬引きつった。おそらく俺の出身地の話から背後について探りを入れようとしたのだろうが、残念なことに辺境は情報的な観点でいえば孤島に近い。

 辺境を自領としている王国ですら実態がよく分かっていないのだから、まして他国や自治都市が辺境に詳しいはずがなかった。


「そうか、さすがに辺境はよう知らんわ。今度教えたってや。……ほな、カナメ自身のことを聞かしてくれるか?」


 だが、諦めの悪さはさすが商人の息子だ。次から次へと話を切り替えてくる。


「神学校の特待生なんて、大抵が訳ありや。年くってから何かの功績あげて教会に見出されたやつとか、縁切りの代わりに神学校に放り込まれた貴族の放蕩息子とかな」


「つまり、貴方も訳ありなのですね」


 そう言うと、コルネリオはニヤリと笑った。


「俺は自分で希望したんや。俺はミルトン商会の息子いうても五番目の子供やから、跡目には期待できへん。それでふと思ったんや、統督教の教会なり神殿なりを経営してみようってな」


 それはコルネリオの本心だったのだろう。そう思わせるほどに、彼の表情は活き活きとしていた。


「職業宗教家というやつですか」


「カナメはそういうの嫌いなほうか?」


「いいえ、それは人それぞれでしょう」


 曖昧に答えを濁しながら、俺は内心で苦笑した。信仰心のかけらもないのに神学校に潜り込んでいる点では、俺も全く一緒だからな。そういう意味では、むしろコルネリオに親近感を覚えるくらいだ。


「で? 結局のところカナメも訳ありなんやろ?」


「もし『私は突然篤い信仰心に目覚めたのです』と言えば貴方は信じますか?」


 そこで、俺たちの間に再び沈黙が下りる。そのまま数分は経過したかもしれない。突如その沈黙を破ったのは、コルネリオの笑い声だった。


「くはははははは! 自分おもろいな!」


 突然笑い出した彼の意図が分からず、俺は少し困惑していた。


「ごめんごめん、降参や。商人の習性で情報を集めたかっただけで、別にカナメに対して悪意なんかあらへんで。

 ただ、他の特待生の情報はすぐ集まったのに、自分の情報だけが全然出てけーへんかったから、ちょっと気になってただけや」


 そう言うと、コルネリオは「ごめん、この通りや!」と机の上に手をついて頭を下げてくる。その様子は演技ではないように思えた。


「ちょっと聞き出すつもりが、悪ノリしてしもうたんは反省しとる。今後の学校生活でずっと気まずい関係が続くのもしんどいし、ここらで手打ちにしてくれへんか?」


 考えてみれば、自治都市の大商人の息子が俺に害意を持つ可能性は低い。教会の息のかかった人間とかならともかく、俺も警戒し過ぎたのかもしれない。まあ、どの途リカルド王子のことは話さないけど。


「分かった、この話はこれで終わりだ」


 そう言うと、俺はふっと肩の力を抜いて大きくのびをした。あー、やっぱり真剣な話は肩が凝ってつらいなぁ。


 ふと気が付くと、コルネリオがなんだか変な顔をしていた。


「……なあカナメ、ひょっとしてさっきのは自分の戦闘モードなんか? なんや二重人格かと思うくらい雰囲気が違うてたで」


 コルネリオの指摘はなかなかいいところを突いていた。さすがは大商人一族の観察眼というべきだろうか。


「俺は基本的に人見知りで根暗だからな。素の自分じゃ対応しきれない時は、接客モードで喋ることにしてる」


 隠し立てしても仕方ないと、俺は素直に話すことにした。ひょっとしたら神学校でフォローしてくるかもしれないしね。


「それにしては堂に入ったもんやったけどな。……まあええか。それじゃ、ここは手打ちってことで俺がメシ代奢らせてもらうわ」


 コルネリオがそう言った時、丁度いいタイミングで注文した料理が運ばれてきた。

 よかった、さっきの殺伐とした雰囲気のままじゃ折角の料理が台無しになるところだったもんな。俺はコルネリオに笑顔を向けると、運ばれてきた料理に向き直った。


 今日の日替わり定食はクリームシチューだったようだ。固めのパンとサラダがついているあたりは、日本のノリとあまり変わらないな。


 俺はそんなことを考えながら、肉や野菜といった具材を口にする前に、まずスープそのものを口に入れる。


 ……美味い。乳製品のコクと、それを支えるブイヨンが絶妙なバランスで口内に広がった。期待以上の味に、思わず顔がゆるむ。


 次いで、鶏肉のように見える肉を頬張ると、それは口の中で柔らかくほどけていく。それでいて、しっかり旨味の残っている肉を、俺はゆっくり噛みしめた。


「なんや自分、今日見た中で一番ええ顔してるで」


 シチューを堪能していた俺を見て、コルネリオが半ば呆れたように口を開いた。……む、そんなにいい顔をしてたんだろうか。たしかに、こっちの世界に飛ばされてきてから一、二を争う美味しさだったかもしれない。


 辺境にもシチューはあったけど、肉野菜の煮込みにミルクを入れただけだったからなぁ。


「食に勝る喜びなんてそうそうないだろ」


 俺は素っ気なく返答すると、今度はよく煮込まれた野菜へ匙を伸ばした。ほくほくした芋類や、もう少しで溶けてしまいそうなくらいにトロトロになった甘い野菜。

 全体的に柔らかい料理の中に、しゃきしゃきとした歯ごたえでアクセントを与えている葉物は、給仕する前に入れたものだろうか。なんにせよ、至福のひと時だった。


「いやいや、もっとあるやろ?」


 そんなわけで、目の前の美味を味わうのに集中していた俺は、コルネリオが何の話をしているのか分からなかった。


「……ほら、あそこにもおるで」


 コルネリオはそう言って個室の入口を指差した。入口は扉のない作りのため、通路が直接視界に入ってくる。見れば、ちょうど女性店員たちが給仕長らしき男から指示を受けているところだった。


 ……ああ、そういうことか。青春だなぁ。俺はつい温かい眼差しを彼に向けてしまう。


「あの給仕長みたいな男が好みか」


「そうそう、あのダンディズムがたまらんわ……って、そんなわけあるかい! なんでおっさんの方をチョイスしてしもうたんや!?」


 期待通りのツッコミに、俺はつい笑い声を上げた。それにつられたのかコルネリオも大声で笑い始める。


「くくく、まさかカナメがボケてくるとは思わんかったわ」


「……いや、なんかごめん。とりあえずスベらなくてよかった」


 それは本心だった。つい思いついたまま言っちゃったけど、これで外したら死にたくなるレベルだ。


「けどカナメ、答えは分かってるんやろ?」


「……女か?」


 そう答えると、コルネリオは我が意を得たり、とばかりに大きく頷いた。


「その通りや! 女のいない人生なんて面白みの欠片もあらへん! 俺は恋に生きるで!」


 ……神学校生としてそれはどうなんだ。『英雄、色を好む』ならよく聞くけど、『聖職者、色を好む』はどう考えてもアウトだろ。


 そんな疑問をコルネリオにぶつけると、彼は意外そうな顔をした。


「なんやカナメ、ひょっとして教会派なんか? あんまりそうは見えへんかったけど」


 あれ? なんだか話が予想外の方向へ行ったぞ。なんで俺が教会派なんだ? 出発前に調べた情報で、教会派は統督教の中でも最大の派閥で、けっこう厳格な組織だということくらいは把握してるが……。あ、そうか。


「ひょっとして、宗派によっては妻帯が可能なところもあるのか?」


「そらそうやろ。神殿系の宗派は大概が妻帯できるで。それどころか、豊穣の女神のとこなんかは家族を持つ事を推奨しとるからな」


 やっぱりか。聖職者イコール異性関係は厳禁みたいなイメージがあったけど、よく考えると日本でも寺の住職や神社の神主は結婚して子供がいるの普通だもんな。


「教会派にだって妻子持ちはようさんおるし気にする必要はないやろ。……それよりカナメ」


 そこでいったん言葉を切ると、コルネリオはずいっとテーブルから身を乗り出してきた。


「自分、恋人とかはおるんか?」


 え、なんだこの展開。会って数時間でコイバナだと……異文化こわい。


「おらんのやったら丁度ええわ。カナメ、ちょっくらナンパに繰り出そうや」


 俺がカルチャーショックで沈黙していたのを否定と捉えたのだろう、コルネリオはいきなり恐ろしいことを言い出した。いやいやいやいやいや、ナンパって。どれだけ修行を積んだとしても、俺には一生できない自信がある。


「一人よりは二人の方が成功率高いんやって。で、向こうも二人組なのを狙う。これでばっちりや。カナメの黒目黒髪は珍しいからな、エキゾチックな感じでウケるかもしれへん」


 なにがばっちりなのか一ミリも分からない。俺は即座に接客モードを召喚すると、全身全霊をもってコルネリオの提案を退けた。


「そこまで嫌がらんでも……」


 却下をくらったコルネリオが少しいじけていた。だが、俺が中心街の外へ買い物に行くつもりだと言ったところで、また目を輝かせる。


「俺も一緒に行くで! 周辺部の女の子をチェックしとかんとな!」


「……ナンパするなら一人でやれよ」


 どうやら、今日の買い出しは賑やかになりそうだった。




―――――――――――――――




【ノルヴィス神学校生 コルネリオ・ミルトン】




妖精兎フェアリーラビットやと……!?」


 コルネリオは呆然と呟いた。


 カナメが部屋で留守番しているペットを連れていきたいと主張したため、二人は一度寮まで戻ってきたのだが、そこでカナメに紹介された兎はただの兎ではなかった。


 ぱっと見はその辺にいる兎のように見えるが、カナメがいう通り妖精兎フェアリーラビットなのだとしたら、この小動物にはかなりの値段がつくことは間違いなかった。


「カナメ! 頼みがある!」


「キャロは売らないぞ」


「そこを何とか!」


 金の卵を目にして黙っていられない程度には、コルネリオは商人の血を受け継いでいた。だが、そんな彼の脳裏にとある人物の言葉が甦った。


「……と思ったけど、ここは諦めるわ」


 コルネリオがいきなり引いたことに驚いたのか、カナメが拍子抜けした表情を浮かべていた。熱でも出たのか、と言わんばかりの表情だ。


「昔、じーさんに聞いた妖精兎フェアリーラビットの話を思い出したわ。一度懐いた人間に、どこまでも付いていく種族やって」


 しかも、その話は失敗事例に分類されるものだ。祖父が顎髭を触りながら、苦々しい表情で語ってくれたことを思い出す。


「じーさん、妖精兎フェアリーラビットを上手いこと捕まえようとしてえらい目におうたらしいからな」


 あまり詳しい話は教えてもらえなかったが、妙な不運が続いたり妖精兎フェアリーラビットの飼い主だった高名な冒険者が怒鳴り込んできたりで、一時は評議員の地位を返上しかねない状態だったという。そんな話を思い出しては、あまり粘る気にもなれなかった。


「まあそんなわけで、キャロちゃんを譲り受けるのはやめとくわ」


「いや、やめとくわも何も、元から譲るつもりはないけどな……」


 そもそも俺のペットじゃないし、とよく分からないことを言いながら、カナメは妖精兎フェアリーラビットを肩に乗せた。収まりのよさからすると、そこが定位置なのかもしれない。


 これから向かう所王都周辺部はやや治安が悪い。そんなところへ、この愛らしさ優先の小動物を積極的に連れて行こうとする理由がコルネリオにはよく分からなかった。意外とカナメには危機管理意識が欠けているのかもしれない。


 そんなことを考えながら、コルネリオは王都の周辺部へ向かって歩き始める。




 コルネリオがその理由を知ったのは、それから二時間後のことだった。




 ◆◆◆




「おい兄ちゃんよ、どういう事か説明してもらおうじゃねえか? ん?」


 人気のない路地裏。気付けば日はもうすっかり沈んでいた。そんな中で、巨漢に襟元を掴みあげられているコルネリオは、自分の間抜けさを呪っていた。


 目をやれば、さっきまでコルネリオを誘惑していた少女の姿はどこにもない。そして、目の前の男達からは暴力を生業とする人間の雰囲気が漂ってきていた。


「まさか美人局やったとはな……。話がうますぎると気付くべきやったわ……」


 そう、コルネリオは街で声をかけた少女と意気投合し、いつの間にか薄暗い路地に入り込んでしまっていたのだ。

 安全な通りから離れていくことは自覚していたが、薄暗い路地で少女と二人、というシチュエーションに舞い上がっていた彼は、冷静な判断ができていなかった。


「ああ!? 美人局とは言ってくれるじゃねえか、これは俺に対する侮辱だよなぁ!? なあみんな!」


 大声で恫喝してくる男は体格もよく、コルネリオが多少抵抗したところで大したダメージを与えられない事は明確だった。まして、眼前の男には劣るものの、これまた暴力で飯を食っていそうな男がさらに二人いるのだ。


 コルネリオは、身ぐるみ剥がされることを覚悟した。大人しくしていれば、この類の人間は命までは取らないはずだ。


 見栄を張って、財布に大金を入れてたのは失敗やったな。彼がそう後悔した瞬間だった。


「キュゥゥゥ!」


「あ!? なん――」


 それはこの場面に似つかわしくない、かわいい鳴き声だった。だが、その正体を確認することもできず、コルネリオを吊り上げていた男は数メートル吹っ飛び、路地裏の奥へ転がっていく。


 コルネリオもその衝撃で背中から地面に落ち、肺中の空気が一気に抜ける。


「かはっ!」


 いったい何が起こっているのか、コルネリオにはまったく分からなかった。しかし、美人局の男たちはそうは思わなかったらしい。

 さっきまで側でニヤニヤしていた男二人は、コルネリオが何らかの手段で眼前の男を吹き飛ばしたと考えたようで、殺気を放ちながら彼目がけて殺到してきたのだ。


「キュゥゥゥゥゥ!!」


 その瞬間、コルネリオはあり得ないものを見た。兎だ。兎が変な光を放ったのだ。

 直径五十センチはありそうな光弾が、彼に殺到する男たちを弾き飛ばし、そのまま壁に叩きつける。それは、噂に聞く波動撃の特技スキルのようだった。


「コルネリオ、逃げるぞ!」


 理解を越えた事態に呆然としていると、突然後ろから声をかけられた。振り返るまでもない、これはカナメの声だ。


 美人局の女の子といい感じになったところで彼とは別れたのだが、心配して来てくれたのだろう。ひょっとしたら、路地裏から出てくるあの少女を見つけて全てを悟ったのかもしれない。


 コルネリオはふらつく身体を必死で立て直すと、カナメと共に路地裏から走り去った。……もう二度と路地裏には近づかない事を心に誓いながら。




 ◆◆◆




 王都の中心街へ至る外壁に辿り着いた時、コルネリオはようやく走るのをやめた。身体中が酸素不足を訴えてくる。その要求に応えるべく、彼は膝に手をついてあらい息を繰り返した。


「大丈夫、か?」


 声をかけてきたカナメも息が切れている。それでもコルネリオより余裕がありそうなあたり、身体を鍛えているのかもしれなかった。


「ほんまに助かったわ! カナメ、ありがとうな!」


 コルネリオはそう言うと、カナメの肩をばしばし叩いた。照れ隠しが入っていることは自覚していたが、あらたまって礼をするのはどうにも苦手だった。


「なんにせよ、無事でよかった」


 カナメも少し照れている様子だったが、ほっとした顔でコルネリオの肩を叩き返す。すると、いつの間に追いついてきたのか、あの妖精兎フェアリーラビットが姿を現した。


「キュッ!」


 そう鳴き声を上げると、妖精兎フェアリーラビットはカナメの肩に飛び乗った。その跳躍力は、やはり普通の兎にはあり得ないものだった。コルネリオは、先程乱入してきた兎がキャロだったことを確信した。


「キャロちゃん、ほんまに助かったわ! ありがとうな!」


 コルネリオはそう言うと、妖精兎フェアリーラビットの頭をわしわし撫でる。そして撫でながら、カナメに視線を向けた。


「なあ、カナメ。ひょっとして自分、魔獣使い(ビーストマスター)なんか?」


 キャロの理不尽な強さを目の当たりにすれば、そう聞きたくなるのは仕方ないことだろう。魔獣使い(ビーストマスター)といえば、一般の家畜や愛玩動物に戦闘力を持たせ、さらには凶悪なモンスターをも使役する珍しい固有職ジョブだ。


 コルネリオの記憶が正しければ、この国でその固有職ジョブを持っているのはたった一人しかいない。それほどに希少なのだ。

 だが、そう疑わざるを得ないほどに、キャロの戦闘力は凄まじかったのだ。


 そんな疑問の声に対して、カナメは肩をすくめながら首を振る。


「まさか。キャロが特別なだけだ」


「……まあ、魔獣使い(ビーストマスター)固有職ジョブ持ちがわざわざ神学校に入学するわけないわな」


 コルネリオは素直に引き下がった。もちろん、すべてカナメの言葉通りだとは思っていない。彼の一風変わった性格や不透明な背後関係、そしてペットのあり得ない戦闘力を知って、なおも彼が一般人だと判断するほどコルネリオは愚鈍ではない。


 だが、窮地を救ってくれた相手に対して、さらに素性を追及するほど恩知らずでもなかった。


「カナメ、感謝の気持ちや」


 コルネリオはそう言うと、とある包みをカナメの手に握らせた。これは自分で持っているべきものではない。それが、彼の結論だった。

 カナメは頷くと、やや慎重に包みを開封していく。


「……なんだこれ!?」


 カナメが手にしていたのは怪しげな仮面だった。怪しげな仮面舞踏会でも開催されない限り、まず出番がくることはないだろう。驚くカナメを見て、コルネリオはニヤリと笑った。


「あの美人局の女の子に買わされた仮面や。俺が持っててもへこむだけやからな。カナメにやるわ」


「いるかーー!!」


 カナメの叫びが夜の街に響く。貧乏性なのか、それでも仮面を捨てようとはしないカナメを見て、意外といい友人になれるかもしれないと思うコルネリオだった。


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