露見
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「……なるほど。条件をまとめると、カナメ神殿長代理の転職能力の詳細をもらさないこと、『聖女』ミュスカをルノールの街の教会専属とすること、か」
ルノールの街の集会場で、俺はバルナーク大司教と話を詰めていた。他の人間の姿はない。クルネが外で見張りをしてくれているだけだ。
そして、ミュスカは今日到着予定のメルティナたちを建物の前で待っているはずだった。
「前者は問題ない。ミュスカの配属については、本人の意思や、王国教会が一丸となって対処せねばならぬ事態を考慮すると、確約までは難しいが……。その辺りの事情は、神殿長代理になったお前なら分かるだろう」
「もちろん、ミュスカ自身が嫌がるなら無理強いはしません。それに、他の街へ派遣しないでほしいというのが無理な話だとも分かります。ただ、本拠地はあくまでこのルノールの街に置くことにして、この辺境を支える重要人物の一人になってほしいのです」
「……なるほど。そうすれば、王国教会としても動かしにくくなるからな」
バルナーク大司教は俺の目的を正確に見抜いているようだった。だが、今更隠すつもりもない。
「悪い話ではないと思います。メルティナの解呪の話を別にしても、ミュスカが上級職を得ることになれば、王国教会は二人目となる上級職の『聖女』を擁することになります。
しかも彼女の資質は癒聖。人気を集めるにはうってつけでしょう」
やっぱりイメージは大切だからなぁ。王国教会には、すでに『聖騎士』というハマり役がいるけれど、『癒聖』だってそのイメージに負けてはいない。これが暗黒騎士とかだったら、さすがに扱いづらいものがあったはずだ。
「それに、辺境を支える重要人物として知られるということは、それだけで宣伝効果があります。辺境を癒しの力で支える『聖女』。いい響きだと思いますが」
そう説明していると、バルナーク大司教は笑いとも呆れともつかない表情を浮かべた。
「お前と話していると、まるで商人を相手にしている気分になる」
「ああ……よく言われます」
正直に答えると、今度こそバルナーク大司教は笑い声を上げた。
「お前は、相手に一方的に物事を頼むのが苦手そうだな。相手のメリットを提示しなければ、提案する価値はないと思っている」
「価値がないとは言いませんが、やりにくいことは間違いないですね」
「聖職者としては難儀な性格だな。時には明確な利益を示さず、勢いだけで相手を頷かせることも必要だ。お前は力を持っているために、相手の利益を提示しやすい。その分、無理を通すことには抵抗があるのだろう」
「そうかもしれませんねぇ……」
突然の分析に面食らいつつも、俺はしみじみと頷く。さすがと言うべきか、バルナーク大司教の言葉には納得できる部分が多かった。
それにしても、突然どうしたんだろうな。ひょっとして、聖職者の先達として何かを教えようとしてくれているのだろうか。
そんなことを考えていると、大司教はニヤリと笑った。
「……まあ、おかげで俺としては助かるがな。それで費用はどうなる? 調べたところでは、上級職への転職の金額は未設定のようだが」
「ああ、そっちは別の事情がありますからね。無料になる予定です」
「何?」
訝しむ大司教に、俺は簡単な説明を行う。
「いつぞやの戦争でミュスカに命を救われて以来、彼女を恩人として崇めている人間がいるのですが、彼は偶然にも転職無料チケットを持っていまして……」
だが、表現が俗っぽかったせいか、バルナーク大司教は胡乱な視線を俺に向けた。
「ふむ……厚意は嬉しいが、見も知らぬ相手に借りを作りたくはないな」
「あちらからすれば、今の状態こそが『借りを作っている』状態なんです。なんせ命の恩人ですからね」
それに、と付け加える。
「私自身も、ミュスカには借りがありますからね」
かつて、ベルゼットに斬られて瀕死になった時。俺を治療してくれたミュスカは、お金を一切取ろうとはしなかったからな。
ミュスカはあの時点で『聖女』だったから規則違反になるかもしれないし、正直にバルナーク大司教に言うつもりはないが。
「……その者の素性は秘密事項か?」
「ルノール評議会のリカルド評議員です。先程ご挨拶されていらっしゃったと思いますが」
バルナーク大司教に名前を伝えることは、リカルドも了承済みだ。ミュスカに伝えるかどうかは未だ思案中らしいが。
「……あの男か。ミュスカはよくよく変わった男と縁があるようだな」
大司教は面白そうに笑う。その中に俺が含まれている気がするが、とりあえず気にしないでおこう。
「リカルド評議員には、俺から改めて話をしておく。もし話が決裂するようなら、改めて料金については協議したい」
バルナーク大司教がそう告げた時だった。コンコン、と扉がノックされる。扉から顔を出すと、そこにはクルネが立っていた。
「カナメ、メルティナさんたちが来たよ」
そう教えてくれたクルネは、とても心配そうな表情を浮かべていた。メルティナの容体を目の当たりにしたのだろう。
「分かった、ここまで来れそうか?」
「うん、連れて来るわ」
そう言い残してクルネは踵を返す。メルティナたちが姿を現したのは、それからすぐのことだった。
◆◆◆
「『聖騎士』、よく来てくれた。何も話さなくていい」
メルティナが姿を見せた瞬間、バルナーク大司教はまずそう言い放った。彼の顔を見るなり、『聖騎士』が口を開こうとしたからだ。
ガライオス先生に運ばれているメルティナは、明らかに弱り切っていた。治癒師が付き添っていたおかげか、死にそうな顔色をしているわけではないが、生命力のようなものがまるで感じられなかった。
キッと唇を引き結んでいるのは、呪いによる苦痛と戦っているのだろう。メルティナ特有の凛とした雰囲気は今も残っているが、それも儚い者の矜持のように思えた。
「あ、久しぶりに見た。カナメ助祭だっけ?」
「メヌエット、あの方は神殿長代理のはずですよ」
「えっ? 大出世じゃん」
そんな会話を交わしているのは、メルティナに同行していた『聖女』、魔術師のメヌエットと治癒師のファメラであり、お互い知らぬ間柄ではない。
だが、彼女たちと悠長に挨拶を交わしている暇はなかった。
「ミュスカ」
「は、はい……」
声をかけると、俺は早々にミュスカを転職させた。再び身体感覚が乖離するが、耐えられないほどではない。
再び癒聖に転職したミュスカは、決意した表情でメルティナへ近付いた。そして、包み込むように彼女の手を取る。
そして、ミュスカが解呪のために魔法を構築し始めると、『聖女』三人が目を見張った。
「あれ? ミュスカの魔力が増えてる?」
「それに、この魔法の構成は……!」
そんな同僚の声に答えるように、ミュスカは魔法を発動する。
「……聖域」
その発声と同時に、俺の身体に力がみなぎる。ついでに効果範囲に入っていたメヌエットたちは、呆然とミュスカを見つめていた。自分の身体能力が大きく引き上げられていることに気付いたのだろう。
もちろん、今のミュスカなら、ただの解呪でもメルティナを蝕む呪いを解くことは可能だろう。だが、弱ったメルティナを一時的にでも楽にしたいというミュスカの思いと、大魔法を使用することで固有職資質を育てようとした俺の下心によって、今回は聖域を使用することにしたのだった。
「これは……呪いが解けたのか……!?」
やがて、メルティナが喜びとも驚きともつかない声を上げた。そして、ゆっくりと立ち上がろうとしたところを、慌てたミュスカに押し留められる。
「メルティナさん、身体能力の上昇は一時的なものですし、急に立ち上がっては……」
「……ああ、そうだったな。呪いが解けた解放感と、ミュスカの魔法の効果で勘違いするところだった。……ミュスカ、ありがとう。私の呪いを解いてくれたことに心から礼を言う」
メルティナは深々と頭を下げる。
「解呪が成功して、よかったです……」
ミュスカはほっとした様子で微笑んだ。わざわざメルティナに長旅を強いたこともあって、絶対に解呪を成功させなければ、と気負っていたのだろう。
「……感謝する」
みんながひとしきりメルティナの解呪を祝った後。バルナーク大司教はぼそっと呟いた。
「いえ、メルティナにはお世話になりましたし、解呪したのはミュスカですからね」
「そうか」
大司教は短く返事をすると、メルティナへ視線を向ける。その様子を見ていた俺は、彼に訊きたいことがあったことを思い出した。
「あ、そうだ。バルナーク大司教、お礼代わりと言うわけではありませんが、一つお伺いしてもよろしいでしょうか? ……『聖女』アムリアのことなのですが」
その言葉を聞いた途端、バルナーク大司教の表情が引き締まった。
「……場所を変える必要があるか」
「彼女たちとの情報共有の度合いによりますが、そのほうがいいでしょうね」
俺は頷くと、別の部屋を借りるためにその場を後にした。
◆◆◆
「それで、アムリアの話とはなんだ」
集会場の中にある小さな別室で、俺はバルナーク大司教と向かい合っていた。
俺たちが席を外す旨を伝えると『聖女』たちは不思議そうな顔をしていたが、メヌエットの「偉い人たちは密談が好きだからね」という一言で不問に終わったようだった。
「どこから話したものか迷いますし、できることなら『聖女』アムリアに関するすべての情報を頂きたいところです」
「……何があった」
俺の前置きで何かを察したのだろう。バルナーク大司教は軽く身を乗り出した。
「――『聖女』アムリアは、現在ルノール評議会が秘密裏に拘束しています。理由は評議会が管理している古代遺跡への不法侵入です」
「不法侵入だと?」
「正確に言えば、破壊行為を行っていた集団の一味であった可能性が非常に高いのです。ただ、彼女自身が破壊行為に参加していたわけではありませんから、現状では不法侵入としか言えませんね」
そして、遺跡であった事柄を簡単に説明する。その言葉を聞いても、バルナーク大司教が彼女の釈放を要求することはなかった。
むしろ、『破壊行為を行っていた集団』という単語にぴくりと眉を動かす。それを見て、俺は自分の推測を披露することにした。
「ただの想像ですが、彼女はただ教会に従っている『聖女』ではないように思います。こっそりと人を集めて集団を組織し、自らの目的に向かって暗躍する。
……彼女の転職能力があれば、人に恩を売ることは容易いはずですから、そう苦戦はしないことでしょう」
なんせ、俺がそうだからな。転職能力がなければ、クルネやラウルスさんと今のような形で縁ができることはなかっただろう。
そう告げると、バルナーク大司教は無表情のまま、じっと俺を見つめる。……いや、ちょっと怖いんですが。
「……『聖騎士』とミュスカの借りを返す意味でも、情報は開示しておいたほうがよさそうだな。アムリアを拘束しているなら尚のことだ」
そう前置くと、バルナーク大司教は声を落として言葉を続ける。
「アムリアは、十年ほど前に、お前もよく知るアステリオス元枢機卿が見つけてきた。そのため、出自や家庭環境は不明だ。
そして、お前の言う通り、アムリアの動きには不審な面があった。転職の儀式は滅多に行われないため、彼女は他の『聖女』よりも時間に余裕があったはずだ」
そう言えば、教会の転職の儀式は滅多に執り行われないんだったな。意外と暇そうだと、誰かが言っていた気がする。
「だが、その時間の使い方が妙でな。アムリアはアステリオスの切り札の一つだ。枢機卿一派の動きを掴むために、彼女には監視を付けていたのだが……」
おおう、いきなり物騒な話になったぞ。さすがは統督教最大の教会派。当たり前のように諜報合戦になるのか。
「監視を続けた結果、アムリアは市井の人間を転職させて恩を売り、少しずつだが自分の腹心を増やしていることが分かった。これはアステリオスも知らなかったようだがな。
……まあ、監視を付けられていることに勘付いたのか、俺に対する謎の襲撃が相次いだ時期もあったが、発覚を恐れてか腹心の固有職持ちに襲われることはなかったからな。撃退は簡単だった」
次いで、大司教は意外な事実を口にする。
「それに、アステリオスの失脚にも関与していた疑いがある」
「え? 彼女はアステリオス元枢機卿の派閥に属していたと記憶していますが」
「さりげない形で情報をリークしていた形跡があった。……それに、『深淵の黒水晶』を覚えているな?」
「もちろんです」
『深淵の黒水晶』は、アステリオス枢機卿が管理していた教会の至宝だ。辺境や王都でモンスターの異常発生させた原因の一つであったが……。
「……まさか、それもアムリアの仕業だと?」
「辺境でのちょっかいは知らぬが、少なくも王都で事件が起きた時、アステリオスは『深淵の黒水晶』がなくなっていることに心から焦っていた。となれば、奴に近しい何者かが盗み出したと考えられる」
それがアムリアの仕業だったとすると、目的は一体何だったのか。長年のパトロンであったアステリオス元枢機卿に見切りをつけたのだろうか。
「しかし……それが分かっていながら、なぜ放置していたのですか?」
問い詰めるつもりはないが、少し詰問口調になる。俺の問いかけに、大司教は肩をすくめた。
「証拠がない。それに、そのことに気付いたのは最近のことだ。ここ半年ほどは、アムリアの動きが活発になっていたからな」
「それは、帝国教会への移籍が内々に決まっていたから、ということですか?」
「その可能性を考えている。俺が怪しんでいることに気付いたのだろう。何も知らん帝国教会に逃げ出したのか、それとも帝国教会も一枚噛んでいるのかは分からんがな」
そこで俺は考え込んだ。半年前と言えば、帝国軍を辺境の義勇軍が撃退した頃だ。そして、それはあのマクシミリアンの固有職を剥奪した時でもある。
さすがに死んだと思っていたのだが、ああして姿を現したということは、あの時に助けられたのだろう。ひょっとすると軍にアムリアの手下がいたのかもしれない。
固有職を剥奪した時点で、マクシミリアンの脅威はなくなったと思って気にしていなかったが、それを機に奴をアムリアが取り込んだなら、ここ半年の快進撃にも納得が行く。
時空魔導師の協力を得られれば、組織の力は飛躍的に大きくなる。動きが活発になるのも当然だろう。
「となると、ますますアムリアを放置できなくなりますね……とは言え、帝国教会がアムリアの拘束を知るのも時間の問題でしょう。正式に解放を要求されると突っぱねにくいですね」
「時間の問題だと考えるべきだな」
バルナーク大司教は頷く。
『聖女』アムリアの処遇は、今や辺境最大の問題となっていた。
◆◆◆
「『聖女』アムリアが立ち入り禁止とされている遺跡に踏み込んだ件については、私としても申し訳なく思っています。ですが、十日以上も彼女を拘束する理由としては、いささか弱いのではありませんかな」
最近、何かと縁がある集会場の前で、俺はマルテウス大司教の言葉を聞いていた。
そして、俺たちに対峙しているのは、ルノールの評議員であるリカルドとクリストフだった。
「我々統督教は、彼女の釈放を強く求めます」
その言葉に、リカルドたちの視線がちらりと俺を向く。なんでお前はそっち側にいるんだと、そんな声が聞こえてきそうだった。
事の発端は今朝のことだった。クルシス神殿に現れたマルテウス大司教が、統督教の危機に一致団結して立ち向かいたいと申し入れてきたのだ。
適当な理由を作って逃げてもよかったのだが、その要件がアムリア絡みであることを直感していた俺は同行を承諾したのだった。さすがに大司教の依頼を断って評議会の側に立つのは気まずいしなぁ。
しかも、彼は他にも重要人物を伴っていた。辺境に建立予定のダール神殿。その神殿長に内定しているガイツ上級司祭を連れてきていたのだ。
いかにも厳格そうな雰囲気を醸し出している人物であり、光と秩序を司るダール神の神官のイメージを地で行く人物だった。
教会とクルシス神殿、そしてダール神殿。さすがにこの規模の宗派が三つ集まると、評議会としても無視するわけにはいかない。
王国教会の面子がいないのは、やはりマルテウス大司教とバルナーク大司教の反目とやらが原因なのだろうか。
「彼女は不法侵入だけでなく、遺跡に対する破壊活動を示唆した可能性があります」
「何を仰るのですかな。『聖女』アムリアが遺跡を破壊して、なんの得があるというのです」
「我々も、まさにそれを知りたいのですよ」
マルテウス大司教に対して、リカルドは一歩も引かなかった。それは、俺たちが彼女の危険性をさんざん説いたからだ。
だが、証拠として残るのは彼女が遺跡にいたという、その事実だけだ。リカルドが突っぱねるにも限界があった。
「ですが、なんの証拠もないのでしょう? 現状では不当な拘束としか考えられませんな。しかも、彼女は我が帝国教会の『聖女』。この扱いは帝国教会に対する弾圧と言えます」
「不法侵入は許されざること。……ですが、過度の罰則の適用もまた、許されざるものです」
さらに、ダール神殿のガイツ上級司祭が怜悧な目で理を説く。
「私としても、彼女が真実を明らかにしてくれるのであれば、釈放することにやぶさかではないのですが……」
それでもリカルドは反論するが、さすがに誤魔化すには相手が悪いようだった。そもそも、国であっても統督教の相手は荷が重いのだ。まして、できたての自治都市が張り合うには力の差がありすぎた。
しばらくの口論の末、優勢を悟ったマルテウス大司教は不意に笑顔を浮かべる。
「人に過ちはつきもの。時には行き過ぎた行動に出ることもありましょう。ですから、この件について、統督教をあげて糾弾するつもりはありません。……まあ、今後の先行きにもよりますが」
その意味するところは明らかだった。今回の件を不問にしてほしければ、帝国教会の進出に一役買えと言うのだろう。
ずっと辺境に対して飴ばかり撒いていたようだが、こういった機会は逃さないようだ。やがて、アムリアを連れて来るためにクリストフが動く。
どう助太刀したものだろうか。そう悩んでいた瞬間だった。
「――どうした」
後ろから重厚な声が響く。振り返れば、そこにはバルナーク大司教と、王国教会の『聖女』四人が立っていた。
「帝国教会の『聖女』アムリアが不当に拘束されていますのでね。釈放を要求しているのですよ」
マルテウス大司教はバルナーク大司教を見て一瞬顔を顰めたが、何事もなかったかのようにすらすらと説明する。
「なるほどな」
「バルナーク大司教からも、ぜひ抗議して頂きたいものですな。今は帝国教会所属の『聖女』ですが、かつては貴方の部下だったのですから」
「ふむ……拘束理由如何による、としか言えん」
その言葉に、マルテウス大司教は満足したように頷く。邪魔をされることはないと踏んだのだろう。
そうこうするうちに、クリストフがアムリアを連れて来る。彼女の右手首には縄が通してあり、その先を持っているのはクリストフの妹アニスだった。さらに、護衛の狼が彼らの後ろを付いてきていた。
「おお、『聖女』アムリア、無事だったか!」
その姿を見て、マルテウス大司教は大仰な仕草で声を上げる。演技過剰な感はあるが、もはや職業病なのだろうか。
「……ご心配をおかけして申し訳ありません」
アムリアはそう謝罪すると、それっきり黙り込んだ。
「ふむ、彼女はだいぶ消耗しているようですな。連れ帰らせてもらいますぞ」
そう宣言して、マルテウス大司教がアムリアへ近付く。縄の先を持っているアニスが、困ったようにクリストフを見た。
「まずは縄を外してもらいたいものですな。あまりにも外聞が悪い」
このまま行けば、アムリアは解放されてしまうだろう。そうなれば、また暗躍する余地を与えてしまう。彼女の目的は不明だが、それでも俺には……俺だけには分かることがあった。
「――マルテウス大司教、少しお待ちくださいませんか?」
「……カナメ神殿長代理、どうなされたのかな。私としては、一刻も早く彼女を解放したいのだが」
そう返す大司教に対して、俺は一歩踏み出した。そして、誰にも告げていなかった事実を証明するために能力を使う。
対象はアムリアだ。俺が視る限り、彼女の資質は二つある。一つは転職師のもので、もう一つは――。
俺は、すっかり小さくなった彼女の資質に能力を届かせる。以前のように弾かれる可能性も考えていたが、抵抗はなかった。
そして、俺はアムリアを転職させた。
「――なんだと!? ……な、何が起きた!?」
最初に狼狽した声を上げたのは、近くにいたマルテウス大司教だった。
それもそのはず、つい先程までアムリアがいた場所には、見覚えのある男――アレクシスが立っていたのだ。どこか存在感が薄いように思えるのは、気のせいではないだろう。
「しかも、貴様はあの時の……!?」
マルテウス大司教の顔が青ざめる。その様子からすると、アムリアの正体を知っていて帝国教会に引き抜いたわけではなかったのかもしれない。だとしたら、とんだ爆弾を引き取ったことになるわけで、さすがに同情するな。
「お前は……」
「バルナーク様! お下がりください!」
さらに、バルナーク大司教がどこからともなく金属製の棒を取り出し、メルティナが前に出る。解呪されたとは言え、体調は万全から程遠いはずの彼女だが、その動きに迷いはなかった。
さらに、クルネが剣を抜き、ミュスカが魔力を練り上げる。どこからともなく現れたのは、クリストフの相棒である狼だ。
ミュスカ以外の教会派が反応したということは、やはりアレクシスが教皇会議の襲撃者であり、メルティナに呪いをかけた人物なのだろう。
そのアレクシスは一瞬呆けた表情を浮かべた後、はっとした表情で俺を見た。そして、カッと見開いた瞳で俺を睨みつける。ただ、そこには怒り以外の感情も混ざっている気がするが……。
「貴様、やってくれたな……! あの神気、やはり貴様こそがクルシ――」
「いえ、それは買い被りすぎです」
詳しく説明する義理はないが、さりとて肯定するのも気持ち悪い。そんな思いから出た言葉だったが、それがアレクシス……いや、『名もなき神』に届くことはなかった。なぜなら、アレクシスの姿がぼやけたかと思うと、次の瞬間には再びアムリアに戻っていたからだ。
「カナメ、今のって……?」
「アムリアに変な固有職資質があったから、転職させてみた」
「……え?」
「カナメ神殿長代理、それはどういう意味だ」
俺の答えに対して、クルネだけでなくバルナーク大司教が食いついてきた。真剣な表情がとても怖い。
「実はですね。あの男……アレクシスと、アムリアの固有職資質がそっくりだったんです。怪しげな固有職資質が一つと、転職師の資質が一つずつ。
アムリアの時は転職師の固有職を宿していますが、アレクシスの時にはもう一つの固有職を宿しているのが違いと言えば違いですが」
「なんだと……!?」
バルナーク大司教は何か言いたげにこちらを見る。その目が「どうして先に言わなかった」と問いかけていた。
「説明しても、確認できるのは転職師だけですからね。まさか、当のアムリアに確認してもらうわけにもいきませんし」
あえて言うならルーシャもいるんだけど、彼女は存在自体がイレギュラーだし、わざわざ遺跡にみんなを連れて行くのも現実味がない。
「まあ、私自身もアレクシスが出てくるとは思っていませんでしたけどね。転職させた上で、彼女のステータスプレートを確認すれば謎が解けるかな、といった程度の認識だったのですが……」
「カナメ君……それって、またあの人と戦う可能性があったんじゃ……?」
その説明に対して、今度はミュスカが顔を青くして尋ねてくる。
「本当に、本人の出現は予想外だったからな……。それに、あの変な固有職資質はとても小さくなっていたし」
なんせ、本来なら転職できないレベルまで小さくなっていたからな。固有職資質が弱まるなんて初めて見る現象だが、あっちの固有職にアレクシスが関連しているなら分からない話ではない。
クルシス神の置き土産が直撃したのだから、完全消滅していてほしかったところではあるが……。
「まあ、俺がもう一度転職させるまでもなく、奴は消えていったからな。本当に力が残っていないんだろう」
と言うか、もし消えなかったら危ないところだった。あの時はクルネとラウルスさんがいなかったとは言え、奴の呪術は理不尽なレベルだからなぁ。二人がいても無事に済むとは思えない。
「なるほど、大体のところは分かったよ。……それで、彼女の処遇はどうしようか?」
「ええと……」
クリストフの言葉に頭を悩ませる。個人的にはどこかに幽閉してしまいたいくらいだけど、さすがに厳しいかもしれない。
そう悩んでいると、それまで静かだったマルテウス大司教が口を開いた。
「何を言っているのですかな? 彼女は教会の『聖女』。私たちは、彼女の身柄の釈放を求めてここへ来たのですぞ」
それは予想外の言葉だった。この期に及んで彼女を庇おうというのだろうか。たしかに、彼の立場からすればアムリアは金の生る木だ。しかも、王国教会から身柄を引き受けたばかりでもある。
今、彼女が有罪認定を受ければ、マルテウス大司教と帝国教会が大きなダメージを受けることは間違いないだろう。
「『聖女』アムリアは教皇会議の侵入者と同一人物だ。それは、マルテウス大司教も確認しただろう」
「あのような一瞬の幻、我々を陥れようとする者の仕業としか思えませんな。そもそも、人が別人と入れ替わるなど、常識的に考えてありえないことでしょう」
「あれだけの呪術の使い手だ。多少非常識なことぐらいはやってのけるだろう。憑依されている可能性もある」
「ならば、余計に我ら帝国教会で保護するべきでしょうな。まずは、教会で呪術や憑依の有無を調べるべきでしょう。それは彼女を擁する帝国教会の務めですからな」
マルテウス大司教は堂々と答えた。調査中ということにして、ほとぼりが冷めるのを待つつもりだろうか。ひょっとすると帝国教会として監禁するつもりかもしれないが、なんにせよ彼が帝国教会の面子を最優先にしたのは間違いなかった。
「教皇会議の襲撃犯は、教会派が血眼になって探している重罪人だ。その可能性がある人間を匿うと言うのか」
「可能性があるというだけで、人を裁くことは感心しませんな。オルファス神がそのような行いをお認めになるとは思えませんぞ」
大司教同士の睨み合いが続く。
その間に、俺はもう一度アムリアの資質を確認する。マルテウス大司教がそう言うのなら、もう一度アレクシスの姿を見せてやる。
「……あれ?」
だが、それは不可能だった。先程よりさらに小さくなっていたアムリアの資質は、手が出せないほどに小さくなっていたのだ。ひょっとして、現世に表出したことでさらに消耗したのだろうか。
それは、吉報であると同時に凶報でもあった。このままではアムリアを糾弾することは難しい。
と、俺が視ていたことに気付いたのか、ふとアムリアと視線が合う。無表情を貫いていた彼女だったが、一瞬だけ、その表情が変わった。
「……!」
俺は思わず身構えた。ごく僅かな時間だったが、アムリアから強力な憎悪を感じたのだ。
そして俺は悟る。……アムリアは憑依されているわけではない。少なくとも、自分の意思で組織を作り、アレクシスと手を組んでいるのだと。
「カナメ、どうしたの?」
だが、そのことに気付いたのは俺だけだったらしい。クルネが不思議そうに俺を見つめる。まあ、みんな大司教の論戦に気を取られていたのだから、無理もないことだった。
「後で詳しく話すよ」
そう答えると、俺は再び大司教たちの論戦に目を向ける。さすが犬猿の仲というべきか、彼らの主張はいつまで経っても平行線のままだった。
――そんな時だった。
「カナメ! 上!」
突然、クルネが緊迫した声を上げた。その警告に従って空を仰ぐと、そこにあったのは大質量の岩石……いや、隕石だった。
「マクシミリアンか!」
俺は周囲を見回した。もし奴の姿が見えたなら、即座に『村人』にしてやる。そう意気込んでいたのだが、奴も学習したのだろう。俺の視線が届く範囲に時空魔導師の姿はなかった。
「破壊するか? だが、破片だけでも甚大な被害を及ぼす可能性があるな……」
巨大な隕石を見上げて、メルティナが剣に手をかける。彼女の断罪やクルネの光剣を叩きつけたなら、たしかに多少の質量は削ることができるだろう。
ただし、メルティナが呟いた通り、隕石をただ砕いたところで大質量が街に降り注ぐ事実に変わりはない。
だが、この隕石への対処手段については、一つ心当たりがあった。
空を見上げる俺たちの目に、光の膜が映る。それは、ルノールの街を覆わんばかりの巨大な魔法陣だ。それが隕石の真下に二つ発生しており、隕石が一つ目の魔法陣に差し掛かると、目に見えて隕石の落下速度が遅くなる。
「何あれ……?」
そのとんでもない光景に誰かが声を上げる。そして、二つ目の魔法陣に接触した瞬間。
隕石は、魔法陣へ呑み込まれて消えていった。その異様な光景に、その場にいた誰もが息を呑む。そして、そのまま時間だけが流れた。
「ええええええ!? 今のなに!?」
やがて、賑やかな声を上げたのは、『聖女』メヌエットだ。魔術師だけあって、今起きた現象の無茶苦茶さがよく分かったのだろう。
それを皮切りに、他の『聖女』たちも声を上げる。
「あれは……隕石召喚でしたよね? 一体誰が……?」
「そして、あの巨大な隕石を消し去った魔法陣はなんだ……?」
そしてなぜか、彼女たちの視線は俺へ向けられていた。なんで俺なんだ、と思いつつも、俺がアレの正体を知っているのも事実だ。俺は魔法陣が消えた空を見上げながら口を開いた。
「なんというか……隕石召喚専用迎撃装置とでも言えばいいのかな。ちょっと事情があって準備していたんだ」
なんせ、マクシミリアンが暗躍していたことは分かっていたのだ。その恐ろしさを知っている俺たちが、対抗策を一つも用意しないはずはなかった。
まず、隕石召喚クラスの時空の歪みを確認すると、魔法陣が起動する。一つ目の魔法陣は落下速度減衰で、二つ目の魔法陣は空間転移を発動させるものだ。
そして、速度を殺した隕石はそのままシュルト大森林の特定の立入禁止ポイントへ転送される。非常にゆっくり落下する上に、転移先は地上すれすれの高度だ。衝撃で大破壊が起きる恐れはなかった。
とまあ、ざっくり言えばそんな仕組みで動いているシステムだったのだが、当然ながら作るのには多大な手間とお金がかかった。
そもそも、時空の歪みを察知する魔道具からしてミレニア司祭の特別製だし、魔法陣はミルティが作ってくれたものの、時空の歪みを察知して、それを自動で起動させる仕組みに至っては、古代遺跡の警備装置を改造したものだ。
魔法陣も尋常ではない規模のため、上級魔法職のミルティが数日がかりで魔力をこめて、ようやく一つが起動するレベルだった。
その過程で、俺もミルティを時空魔導師に転職させたり色々と手伝っていたため、その存在を知っていたのだが、対抗策を考えられては困るため、その存在を知っているのは一部の人間だけだった。
「一応、起動実験はしていたんだが、ちゃんと動いてよかったよ」
そんな俺の説明に、みんながぽかんと口を開けていた。
「よくそんな無茶なことをやってのけたわね……」
クルネの呟きは、その場の全員の気持ちを代弁しているようだった。
そして、みんなの間にほっとした空気が漂った頃。俺は慌てて周囲を見回した。
「アムリアはどこだ!?」
「え? ……あっ!」
俺の言葉にみんなが騒然とする。いつの間にか、アムリアが姿を消していたのだ。
「やられた……隕石召喚は陽動か……」
陽動と言うには凶悪すぎる破壊力を持っていたが、この街が残ろうが滅ぼうが、マクシミリアンにはどうでもいいのだろう。結果として、奴は隙をついてアムリアを転移させたわけだ。
「……マルテウス大司教。念のために訊くが、今回の件に帝国教会は関わっていないだろうな」
「当然のこと。『聖女』アムリアは我々帝国教会の同胞。必ずや助け出してみせましょうぞ」
バルナーク大司教にそう答えながらも、マルテウス大司教は少しほっとしている様子だった。
ダール神殿のガイツ上級司祭は納得がいっていない様子だったが、さすがに相手が大司教では相手が悪い。この場でとやかく言うつもりはなさそうだった。
「一体、何がしたかったんだろうな……」
俺を一瞬睨みつけたアムリア。その目を思い出しながら、俺は空を見上げていた。
◆◆◆
陰鬱な雰囲気。
この場の空気を一言で表すなら、そんな言葉が相応しいだろう。王国教会が誇る『聖女』四人が勢揃いしているにもかかわらず、そこに華やかな雰囲気は微塵もなかった。
「何がどうなってるのさ……」
「その答えは、アムリアに聞かぬ限り分かるまい。今までの態度が、すべて作り物だったとは考えたくないが……」
その原因は明白だ。移籍したとは言え、同僚だった『聖女』アムリアを巡る様々な展開は、彼女たちの心に大きなショックを与えていた。移籍だけでも衝撃的だろうに、教会派のトップが集まる教皇会議の襲撃犯である可能性が濃厚になったのだから。
なんと言っても、他宗派の俺を「詳しい話を聞きたい」と集会場に連れ込んだくらいだ。彼女たちの心情に配慮して、俺もその要望を受け入れたのだが……事情を説明すれば説明するほど、四人の表情は沈んでいった。
「今更、どうこう言っても意味がないとは分かっているけれど……どうすればよかったのかしら」
「……五人で一緒に笑っていた時も、本当はアムリアさんだけ……」
ファメラとミュスカの言葉を受けて、場の空気がさらに重くなる。その雰囲気に耐えられなくなった俺は、恐る恐る口を開いた。
「ええと……事情を詳しく知らない俺が言うのもなんだが、四人がアムリアに嫌がらせをしていたわけじゃないんだろう? それなら、後は彼女の問題なんじゃないか?」
「無論、私たちはそのようなことをしていない。共に戦場に立つことこそなかったが、私はアムリアを仲間だと思っていたし、向こうも同じ気持ちだと……そう思っていた」
即座に否定しながらも、メルティナの表情は晴れない。
「この中で、アムリアと一番付き合いが長いのは誰なんだ?」
「……ボクだよ。一応アステリオス枢機卿の派閥だったからね」
問いかけに答えたのはメヌエットだった。そう言えば、彼女とアムリアの二人は、アステリオス枢機卿の派閥だったっけ。
「アムリアも、教会に来るまでに色々苦労してたみたいだよ。少なくとも、もう家族や血縁はいないはず」
「そうなのか?」
なんだか意外だな。この世界で転職師なんて希少な固有職を得たのだから、もっと順風満帆な人生を送っていそうなものだが……。
「あの人は、そういう人間を見つけるのが上手いもん。……けど、アムリアも過去とケリをつけたんだろうって、そう思ってた」
そう語るメヌエットの表情には、年齢にそぐわない深みがあった。
「そんなことがあったのなら、相談してもらえれば……。私たちでは信用できなかったのかしら……」
そう語ったファメラの言葉を機に、再びみんなが沈黙する。
「けど……教皇会議を襲撃するような事情だろう? みんなは教会の『聖女』なんだから、信用をするしない以前の話じゃないか? 信頼とは別の次元で、それぞれの立場というものは存在するわけだし」
もし教会派と敵対するつもりであったなら、彼女は敵の真っ只中にいたことになる。仲間に引き入れる絶対的な自信がない限り、そんな危険は冒さないだろう。
「たしかに……何がアムリアを駆り立てたのかは分からぬが、私たちがなんとかできたはずだと、そう考えるのは思い上がりかもしれぬな」
メルティナはそう言いながらも、やはり感情の整理ができていないようだった。その表情は未だ沈鬱であり、それは他の『聖女』も同様だった。
「アムリアさん……どうして……」
彼女たちが元の調子を取り戻すには、まだ時間がかかりそうだった。
◆◆◆
遺跡都市の真っ只中にある宿泊専用施設。かつてクルシス神殿の来客用に設けられた建物は、エリザ博士を筆頭とする物好きのおかげで、少しばかり人気を取り戻しつつあった。
「カナメ司祭、来てくれたのですね」
そんな施設の一室で、ルーシャはにっこりと微笑んだ。その様子だけを見ていると、とても幽霊の類には見えない。
「はい、ルーシャさんに教えて頂きたいことがありまして」
「カナメ司祭も私を歴史辞典か何かだと思っているのですね……」
俺の答えを聞くと、彼女は小さく息を吐いた。そう言えば、エリザ博士が質問攻めにしたせいで、あんまり古代文明の研究者の前には姿を見せないと聞いたことがあるな。
「いえ、歴史の生き証人としてではありません。クルシス神官の、そして転職師の先輩であるルーシャさんに教えてもらえれば、と」
「まあ、そうでしたか……! それは先輩として期待に応えなければなりませんね」
少し言葉を変えただけとも言えるが、ルーシャの機嫌は直ったようだった。ここは真面目な後輩として振る舞っておいたほうがよさそうだな。
「それで、何を知りたいのですか?」
「……固有職とは何か。それをご教示願いたいのです」
そう伝えると、彼女は難しい表情を浮かべた。俺の質問が抽象的すぎたのだろう。そう反省した俺は、もう少し具体的な説明を追加する。
「ルーシャさんのご協力を得て撃退した『名もなき神』ですが――」
そうして、ルノールの街であったアムリアとアレクシスの一件を、包み隠さず説明する。すると、ルーシャの穏やかな表情が真剣なものへと切り替わった。
「あの神が……転職で出現したと言うのですか?」
「そうとしか見えませんでした。ですが、ルーシャさんはあの男を『名もなき神』だと仰いましたよね? 一体何がどうなっているのか……」
俺の言葉は、クルシスの巫女にとっても予想外のものだったらしい。彼女の表情から驚きの色が消えることはなかった。
そして、あまりの沈黙の長さに、俺が口を開こうとした時だった。
「――固有職とは何か。千年前でも、詳しいところは分かっていません。クルシス様も、答えそのものを教えてくださることはありませんでした」
ルーシャは思い出すように、ゆっくりと話し始める。
「ですが、クルシス神殿ではこう伝えられていました。……固有職とは、遥か昔、人と神の狭間が曖昧だった頃に生まれたものだと」
「人と神の狭間、ですか……?」
「その昔から、人種族は魔物と敵対関係にありました。それは正邪の争いではなく、当然の生存競争とでも言うべきもの。
ですが、今の現状が示すように、人は魔物に対してあまりにも無力です。文明が築かれた後は、魔物を従えるようなこともありましたが、基本的に生身の人間は魔物に勝てません。
優れた人種族であればそれも叶うでしょうが、優れた人と優れた魔物との戦いになれば、やはり勝つのは魔物です」
ルーシャの言葉には説得力があった。生身の人間が徒手空拳で野生動物に勝てるかと言えば、それは非常に難しいと言わざるを得ない。
実際に、固有職持ちが多い辺境はともかくとして、基本的に人種族の版図は縮小しているし、それは誰もが知っている話だった。
「それでも、人種族が絶滅することはありませんでした。その大きな理由の一つが、半神半人とでも言うべき規格外の存在です。彼らは通常の人々と同じように生まれ出ますが、まるで神のごとき力を持っていました。
……カナメ司祭、神の定義とはなんだと思いますか?」
「ええと……どの方向の話をしているかで異なりますが……」
俺は口ごもった。エディの「神とは方向性を持った力である」という理論が頭に浮かぶが、クルシスの巫女と呼ばれていた相手に対して言えるはずもない。
だが、ルーシャは真剣に答えを求めているわけではないようだった。俺の回答を待たず、彼女は続きを口にする。
「もちろん、様々な角度からのアプローチがあると思いますが、現実的な事象で言えば、『世界の法則を改変できるもの』という捉え方があります。魔法はその性質を強く受け継いでいますし、専門特化ながら特技もその一種と言っていいでしょう。
例えば、あなたの仲間が使っていた光剣ですが、普通の人間がいくら剣を振ったところで光が出るはずはありません。にも関わらず、光の剣を生み出すことができるのは、世界の法則が改変されているからです」
なるほど、少しずつ言いたいことが分かって来たぞ。
「と言うことは……魔法や特技は世界の法則を改変できるものが作り出したと?」
「そうなります」
ルーシャは事もなげに答える。だが、それは重大な事実を孕んでいた。
「それでは、固有職も……?」
その言葉にこくりと頷くと、彼女は詳しい解説をしてくれる。
「世界の法則を改変し、選ばれた人間にのみ特殊な法則を適用する。それが固有職だと、そう考えられています。
ただ、固有職を作り上げたのは、神そのものではないと言われています。……先程説明した半神半人の存在を覚えていますね? 彼らは、その力で世界の法則を捻じ曲げ、通常の人間ではあり得ない戦闘能力を有していました。
ですが、そんな彼らも半人である以上、いつかは生命の終焉を迎えます。その時に、世界の法則を改変して得た力を後の人種族に引き継ぎ、脆弱な人種族の一助となりたい。そう考えた彼らは、自らを高次元の存在……固有職へと変化させました。
固有職の多くが戦闘職である理由は、このためだと言われています」
「そうでしたか……」
膨大な情報量に押し潰されそうになった俺は、そう言うのが精一杯だった。あくまでクルシス神殿での言い伝えとのことだが、多くの転職師を抱えていたクルシス神殿の伝承だ。その信憑性は高い。
そうして、ルーシャの言葉をゆっくり頭に刻み込んでいった俺は、ある結論に辿り着いた。
「――ということは、『名もなき神』もその身を固有職に変えたということでしょうか?」
そう指摘すると、ルーシャは呆気に取られた表情を浮かべた。そして、直に理解した表情へと変わっていく。
「つまり……クルシス様との戦いで、自らを固有職と化すことで逃げのびた……?」
「まあ、固有職に人格が宿るなんて聞いたことがありませんけどね」
そう言いながら頷くと、ルーシャは首を横に振った。
「ごく稀に、固有職の啓示が聞こえるようになった人がいました。他の人には聞こえないため相手にされていませんでしたが、それと同じようなものかも……。特に上級職クラスの固有職で見られる現象だった記憶があります」
その言葉を聞いて、俺は気を引き締めた。ということは、本当に『名もなき神』は固有職と一体化している可能性がある。
しかもあの様子だと、転職した瞬間に相手を乗っ取る仕様だろう。性別レベルでの改変なんて、ただの固有職ではあり得ない。
「しかし……そうなると、『名もなき神』を滅ぼすことは難しそうですね。固有職になって逃げられてしまっては、手の出しようがありません」
さすがは神と言うべきか、無茶苦茶なエスケープ能力だ。そんな概念みたいなものになられては、いくら上級職を集めても手に負えないだろう。
「でも、『名もなき神』はあの戦いでほぼ消滅したのでしょう? 僅かに残っていた固有職としての力も、すぐに消滅したとカナメ司祭が言っていたように思いますが……」
「まあ、普通に考えればそうなんですが……。幾つか気掛かりなことがあります」
例えば、奴らが繰り返していた統督教施設への襲撃だ。なにやら古い宝具ばかりが奪われていたようだが、ひょっとして、千年前に神々を降臨させたという儀式道具を狙っていたのではないだろか。
もしそうなら、奴が再び舞い戻ってくる可能性は考えられた。なんせ、向こうにはマクシミリアンがいる。人格はアレだが、こと魔法研究に関しては第一人者だ。千年前の儀式を再現できる可能性は否定できない。
「それでも、『名もなき神』はしばらく活動どころではないと思いますし、今はカナメ司祭やクルシス神殿の力を蓄えることが大切だと思います。
『名もなき神』への備えは重要ですが、カナメ司祭だってそれだけにかまけているわけにはいかないでしょうから」
それはルーシャなりの気遣いだろうか。あれだけ『名もなき神』に復讐したがっていた彼女にそう言われては、なんとも返す言葉がなかった。
「……そうですね、警戒しつつ辺境を発展させる。とりあえずは、それを目標に据えて頑張ります」
「ええ、頑張ってくださいね。貴方の道行きにクルシス様のご加護がありますよう」
そう言って聖印を切ると、ルーシャはふっとその姿を消した。中心部に戻ったのだろう。
「あれ、カナメ? ルーシャさんとのお話は終わったの?」
誰もいなくなった部屋を退室すると、クルネが声をかけてくる。
「ああ、今日はこれ以上の情報を頭に入れたくない」
「ということは、色々な情報が手に入ったのね? よかった」
会話を交わしながら、俺はクルネと宿泊施設の中を歩く。今回は探索隊に付いてきた格好だが、俺たちは完全に人数外だ。たまにはのんびりこの施設を見学してもいいだろう。……まあ、エリザ博士に捕まると長いかもしれないが。
俺はそんなことを思いながら、窓から見える遺跡中心部を眺めていた。




