襲撃者
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
魔獣使いにして、自治都市ルノールの評議員でもあるクリストフ・マデール。彼が本拠地とするマデール商会の敷地に集合していたのは、見覚えのある顔ぶればかりだった。
「最初にクルシス神殿へ寄ったぶん、遅くなっちゃったわね」
先導するアニスの声を聞きながら、俺は集まっているメンバーを確認する。アルミードたちがいるのは予想通りとして、ラウルスさんがいるのは嬉しい誤算だった。たまたまルノールの街にいたのだろう。
集団の中心にいたクリストフはちらりとこちらを確認すると、彼にしては大きな声を上げた。どうやら、俺たちが最後だったらしい。
「みんな、突然の呼び出しに応じてくれてありがとう。時間がないから手短に言うよ。……現在、何者かによって遺跡が攻撃を受けている。連絡をくれたエリザ博士の話では、人らしき姿を複数見かけたらしい。
今回の目的は、遺跡を破壊しようとしている襲撃者の排除。詳しい話は巨大怪鳥で移動しながらさせてほしい」
クリストフはそう告げると、敷地の端で休んでいた巨大怪鳥を呼び寄せる。そして、巨大怪鳥が着地するなり、率先してその籠へと乗り込んだ。
あまりに慌ただしい展開だが、事態が事態なだけに仕方ないだろう。普通なら、現場へ連れて行く前に報酬の話くらいはするべきだろうが、誰も異を唱えるつもりはないようだった。
もともと立場が評議会寄りな俺はともかくとして、報酬が収入源であるアルミードたちにとっては重要な話だが、それだけ信頼関係が築かれているということだろう。
俺はクルネたちと顔を見合わせると、急いで巨大怪鳥の籠に乗り込む。
「みんな、来てくれてありがとう」
腰を落ち着ける場所を決めたところで、クリストフが声をかけてきた。そして同時に、離陸に伴う重力が俺たちを襲う。どうやら早々と飛び立ったらしい。
「大変だったな、クリストフ。……ところで、エリザ博士は無事なのか?」
「今のところはね。まさか、アレがさっそく役に立つとは思わなかったよ。どうせなら、もっといい知らせを伝えるのに使ってほしかったけどね」
クリストフが言う「アレ」とは、ミレニア司祭が作ってくれた念話機の第二号だ。遺跡に人を常駐させるのはもう少し先にするつもりだったのだが、彼女がどうしても遺跡の宿泊施設に泊まり込みたいと言うため、緊急連絡用に慌てて作ってもらったのだった。
核には地竜の内部器官を使ったそうだが、念話機一号に使った竜の瞳ほどの出力は出ないらしい。だが、もともと遺跡とルノールの街はそう遠くないため、連絡手段としては充分役に立っていた。
「しかし……エリザ博士が無事だと言うことは、クルシス神殿の宿泊施設のことを知らないということだよな? 敵がどうやって遺跡へ辿り着いたのか知らないが、あの施設のことを知っていれば、まず安全地帯として確保するはずだ」
なんせ、今の遺跡はモンスターも珍しくない状態だ。魔工巨人とモンスターと言う二つの脅威を相手にして、根城が欲しくないはずはない。
「そうだね、複数の人影を窓から見かけたらしいけど、宿泊施設には見向きもしなかったらしいよ」
「となれば、外部の人間の仕業である可能性が高いな。……まあ、そっちのほうが気が楽だけど」
「僕としても、そっちのほうが嬉しいな。なんせ責任問題になりかねないからね」
クリストフは冗談めかして軽く笑う。
「襲撃者の意図は分からないけど、あの遺跡に常駐している人間がいて、しかもルノールの街との即時連絡手段を持っているなんて思いもしないだろうね」
「そうだな。もしどちらかが欠けていたら、一体どうなっていただろうな……」
「何も知らずに、瓦礫の山と化した遺跡都市を目の当たりにしていたかもしれないね。……まあ、あの都市みたいに綺麗な遺跡のほうがおかしいんだろうけど」
とは言え、あの遺跡の中心部には、認識阻害結界もあれば防御結界もあるからな。並大抵のことではビクともしないだろうし、迂闊に手を出せば魔工巨人の餌食だ。重要部分は無事だろう。
ただ、俺たちが商売にしようとしている遺跡周辺部が破壊されてしまっては、辺境として大ダメージだし、速やかに排除する必要があった。そのためにも――。
「ミルティ、巨大怪鳥に強化魔法をかけてくれないか? そうすれば、もっと早く遺跡に到着するだろうし」
「ええ、任せて。……クリストフさん、それで構わないかしら?」
「うん、もちろんだよ」
そんな会話の後、巨大怪鳥の速度がさらに上がる。そして、巨大怪鳥便は記録的な速さで遺跡都市へ辿り着いたのだった。
◆◆◆
遺跡に辿り着いた俺たちを出迎えたのは、多種多様な破壊音だった。
「これは何をしているんだ……?」
「少なくとも、好ましい事態ではなさそうだな」
姿は見えないが、けたたましい爆発音が立て続けに響く。俺はラウルスさんと顔を見合わせると、音源へと視線を向けた。建築物に阻まれてその向こうは見通せないが、その方角に襲撃者がいることは間違いなかった。
「奴らも気になるが、モンスターにも気をつけてくれよな。下手をすれば、モンスターが警備システムに引っ掛かって、魔工巨人にまで襲われる羽目になる。そんなのはごめんだからな」
ノクトの言葉にみんなが頷く。遺跡探索に慣れたアルミードたちのパーティーに加えて、上級職持ちであるクルネ、ミルティ、ラウルスさんがいて、さらにアニスとクリストフ、そしてキャロがいる。常識的に考えて、この戦力で制圧できない敵がいるとは思えなかった。
そうして、俺たちは音源へ向かって慎重に進む。やがて俺たちが目にしたのは、遺跡を破壊する二十人ほどの集団だった。
「奴らは何をしているんだ……?」
俺たちは一度建物の陰に引っ込むと、みんなで首を捻った。どう見ても奴らの行動はおかしかったのだ。
魔法や投擲武器、遠距離攻撃特技など攻撃手段は様々だが、それは別にいい。問題は、彼らがてんでバラバラな方向に攻撃を仕掛けていることだった。
「錯乱してるようにゃ見えねえが……」
ノクトの言葉にみんなが頷く。距離があるためよく見えないが、彼らには何か目的があって、こんな変な破壊活動をしている。そんな確信はあった。
「どっちにしても一緒じゃない? どうせ戦いになるわよね?」
アニスがそう発言すると、クリストフが大きく頷く。
「そうだね、一気に制圧してしまいたいな」
「となると、まず先制で……」
いかに奇襲をかけるか。建物の陰でこそこそと策を練っていた俺たちだったが、それは徒労に終わったようだった。なぜなら……。
「――そちらの建物に潜んでいる皆さん、そろそろ出てきてはいかがですか?」
聞き覚えのある声が、俺たちに向かって投げかけられたのだ。
「……気付かれていたか」
「まあ、これだけの人数だしね……」
俺たちは顔を見合わせる。大人しく出て行くか、無理やり不意打ちに持っていくか。いや、もう不意を打てることはないだろうが。
「どうせなら、向こうの出方を窺ってみようか?」
「そうだな、万が一とは思うが、彼らはこの遺跡に迷い込んだ人たちで、魔工巨人に襲われているという可能性もあるか……?」
いや、ないな。自分の呟きを胸中で打ち消しながら、クリストフに頷きを返す。そして、俺たちは建物の陰から姿を現した。数人が陰に潜んでいるのはご愛敬だ。
「おやおや、どちら様でしょうか? 評議員子飼いの探索メンバーによく似ていますが……」
そして、その声の主は予想通りの人物だった。
「アレクシス……」
そう呟くと、彼は俺の存在に気付いたようだった。そして、大仰な仕草で礼をする。
「おや、まさか神子様がいらっしゃるとは。そのように真剣な表情でどうなされたのですか?」
「そちらこそ、真面目な顔をして破壊活動に勤しんでいらっしゃるようですが、ぜひともその理由をお伺いしたいものです」
そう言い返すと、アレクシスはやれやれとばかりに肩をすくめた。
「これでも、皆さんに対して遠慮していたのですがねぇ。ちゃんと遺跡探索の日程に被らないよう配慮していましたし」
「評議会に見つからないよう、秘密裏に事を進めてきたとしか聞こえませんね」
「捉え方の違いでしょう」
アレクシスは、相変わらず余裕の笑みを浮かべたままだった。だが、俺たちの登場が予想外だったのは事実なのだろう。アレクシスの周りで破壊活動に従事していたメンバーは、焦ったようにこちらを見ていた。
「うわぁ……なにこの慇懃無礼対決」
「アニス、ほっとけ。こういうのは同類で戦わせるに限る」
……外野でひどい会話が飛び交っているが、とりあえず無視しておこう。俺は気を取り直して言葉を続ける。
「ところで、以前にも申し上げましたが、この遺跡は一般開放をしていません。盗掘や破壊活動の類はご遠慮頂きたいのですが」
「以前にも言いましたが、私はこの遺跡をルノール評議会が占有していることに納得していません。余計なお世話です」
アレクシスはわざとらしく口調を真似ると、続けて図々しい質問を投げかけた。
「とは言え、遺跡探索メンバーが揃っていることはありがたいところです。一つお伺いしたいのですが、この遺跡の中心部はどこにあるのでしょうか?」
「……!」
その問いかけに俺は気を引き締めた。どうやら、彼の情報収集能力を甘く見ていたらしい。遺跡の中心部には認識阻害結界が張られているため、その存在を知る者は少ない。
だが、彼らの先程の動き。あのでたらめな射撃は、結界が方向認識を妨げると知っていたからこそ、認識に頼らず攻撃を仕掛けていたのではないか。
……こいつらは一体何者だ。以前にも抱いた疑念がいっそう深まる。そうして彼らの正体について考え込んでいると、アレクシスはからかうような視線を向けた。
「それにしても、上級職を連れてお山の大将ごっことは……。クルシスの名が泣きますよ?」
「生憎ですが、クルシス神のなんたるかを貴方に説いてもらうつもりはありません。……それに、二十名に及ぶ固有職持ちを連れてきているアレクシスさんに言われる筋合いはありませんね」
その言葉を聞いて、俺の近くにいた幾人が息を飲んだ。それはそうだろう。二十名もの固有職持ちを揃えた集団など、国同士で戦争を行わない限り、まず編成されない。
その時点で、彼らを指揮しているアレクシスの異常さは明らかだった。
「なんだあの男、アレクシス様に向かって偉そうに」
「妨害してくるということは、どうせ奴らだろう。欺瞞で成り立ったクズが」
そして、そんなアレクシスを周囲の人間たちが擁護する。なんだろう、彼には意外と求心力があるのだろうか。
そして、そんな彼らの声の幾つかを俺の耳が捉えた。
「きっと神罰がくだるわよ」
「神の御使いになんと無礼な……」
神罰。神の御使い。これらの言葉が連想させるものは一つしかない。そう考えれば、これだけの固有職持ちを揃えられることにも多少は説明がついた。
「……なるほど、アレクシスさんはどこかの神官でしたか」
確証は一切ないが、俺はきっぱりした口調で断定した。その真偽がどちらであれ、アレクシスからどんな反応が返ってくるかには興味があった。
「だとしたら、何か問題でもありますか?」
「統督教は宗派同士の争いを禁じています。この問題は統督教の会議等で決着をつけることになるでしょう」
彼がどの宗派かは知らないが、大原則であるこの教義だけは守らないわけにはいかないだろう。
そして、この遺跡はもともとルノール評議会の管轄だ。こちらにクリストフやラウルスさんがいる以上、こちらに理があると判定される可能性は非常に高い。
この問題はこれで片付いたかな。となれば、後は平和裏に彼らを撤収させるだけだ。相手の戦力が大きいことには驚いたが、戦わなければどうと言うことはない。
……そのはずだった。
「――統督教、統督教、統督教……どいつもこいつも、口を開けばそればかりだ。反吐が出る」
不意にアレクシスの様子が変わった。口調だけでなく、彼からにじみ出る雰囲気そのものが変化していく。彼の癇に障る言葉を発してしまったようだった。
だが、それなら好都合だ。化けの皮を剥がす手がかりを得られたのだから、これを使わない手はない
「そうは言っても、貴方も私も統督教の枠組みの中にある存在ですからね。無視するわけにもいかないでしょう」
「アレは弱者の群れにすぎん。愚物が自らのために作り上げた制度だ」
それは吐き捨てるような口調だった。その剣幕を受け流すように、俺は曖昧な笑みを浮かべる。
「はぁ……宗教戦争で徒に死人を増やすことに比べれば、よくできた制度だと思いますがね」
「……お前がそれを肯定するのか。失望させてくれる」
言葉こそ静かだったが、その内心に怒りが渦巻いていることは明らかだった。……しかし、その理由が分からない。
「勝手に希望を押しつけた挙句、失望されても困りますが……。とりあえず、ここはお互いに引き上げませんか? こんな所で喧嘩沙汰を起こしていると、貴方も私も統督教に処分されてしまいますからね」
それは一般的な提案だったはずだ。
……だが。その何かが、彼の感情を爆発させた。
「ふざけるな! あの興醒めなクズ共が俺を処分するだと!? できるものならやってみるがいい!」
アレクシスは怒鳴り声を上げると、口々に統督教に対する呪詛や罵声を浴びせていく。その様子は、まるで妄執に憑りつかれたかのようだった。
そして、ありとあらゆる言葉で罵倒の言葉を吐いたアレクシスは、ふっと真顔に戻ると、まるで虫を見るような目で俺たちを見る。
「……お前はもういい。死ね」
アレクシスがそう告げるなり、彼の傍に控えていた二十人に及ぶ固有職持ちが前へ出る。その統制のとれた動きは、彼らが臨時的に雇われた傭兵等ではないことを示していた。
そしてさらに、彼は虚空を見上げて怒鳴る。
「マクシミリアン! 貴様も参戦しろ!」
「む……」
その名前を耳にして、俺は思わず呻いた。多少の予想はしていたが、やはりそういうことだったのか。
やがて、アレクシスの後ろの景色が歪んだかと思うと、ふっと見覚えのある姿が現れた。
「……ふん、儂に顎で指図するとは図々しい」
相変わらず尊大な態度を崩さない老魔導師は、アレクシスを見るなり鼻を鳴らす。
「そんなことを言っていいのか? 誰のおかげで今こうしていられると思っている」
「……ふん」
だが、アレクシスの高圧的な物言いに対して、マクシミリアンはそれ以上口答えしない。どうやら、なんらかの事情があるようだった。
しかし、相手に上級魔法職がいるという事実は、奴らに大きな自信を与えたようだった。
しかも、それだけではない。俺の見立てでは、アレクシスは上級職の固有職持ちだ。知らない固有職ではあるが、今まで無数の人々の資質を視てきた経験から、その強大さと方向性くらいは分かる。
それによると、彼の資質もまた上級魔法職の類であるはずだった。そして、奴の取り巻きの発言。それらを総合すると、アレクシスの固有職は……。
「アレクシスの固有職は大神官である可能性があります。何を仕掛けて来るかはまったくの未知数。気を付けてください」
「なんと!?」
「上級職か!」
周囲で驚きの声が上がる。もちろん、正確なところは分からない。ただ、未知の上級魔法職として認識してもらえるだけで充分だ。
そもそも、この世界の神々のことを念頭に置けばあり得ない選択肢なのだが、そのことを知っているのは恐らく俺だけだった。
そして、俺の言葉をどう受け取ったかとアレクシスを見れば、彼は嘲りの表情を浮かべただけだった。
その余裕の表情目がけて、俺は先制攻撃を叩き込んだ。奴の固有職を引きはがして、『村人』にしてやる。
「っ……!」
だが、転職能力を行使した俺は、初めての感覚に戸惑った。転職能力が弾かれたのだ。
俺とアレクシスの視線がぶつかる。
「貴様……やはり……」
アレクシスが何事かを呟くが、悠長に会話を行うつもりはなかった。俺はすぐさま、隣のマクシミリアンに標的を変更する。
「ぬっ……!?」
今度はちゃんと成功したようだった。『村人』になり、魔力感覚を失ったマクシミリアンが目を見開く。そして、憎々しげに俺を睨みつけた。
「やはり、貴様じゃったか……!」
「はて、なんのことでしょう?」
そう答えながらも、俺の意識はアレクシスに向いたままだった。今までの事柄を考え直せば、奴は必ず動くはずだったからだ。
そして予想通り、アレクシスがマクシミリアンに干渉して……。
――再び、マクシミリアンは時空魔導師に転職した。
それを感知した瞬間、俺は大声で警告を発した。
「気を付けろ! アレクシスは転職能力を持っている!」
「はぁ!?」
「なんだって……?」
数人から戸惑いの声が上がる。ただ、俺の警告の意味が分からなかった人間は多いだろう。その意味するところに気付けるのは、村人転職のことを知っている人間だけだからだ。
「まさか、本当に……」
あらかじめその可能性を説明していたクルネとミルティに緊張が走る。また、物陰に隠れているはずのクリストフもその危険性に気付いているはずだった。
「……けど、カナメ? もしあの人が転職師と似た能力を持っているんだったら、戦闘力は低いんじゃない?」
剣を抜いたクルネがそっと耳打ちしてくる。だが、俺は首を横に振った。
「たぶん転職能力だけじゃない。俺の予想が当たっていれば、奴は――」
「呪怨之海」
「ぐっ!?」
アレクシスの言葉に一拍遅れて、苦痛が俺の全身を苛んだ。片膝をついたまま辺りを見回すと、隣にいたクルネを初めとして、全員が同じ状態に陥っているようだった。
魔法抵抗力が高いミルティとラウルスさんはまだマシなようだが、他のメンバーは軒並み動ける状態ではない。
「ふん……捕えろ。神子以外は殺しても構わん」
その言葉に応えて、勝利を確信した様子の固有職持ちたちが俺達へと殺到する。
「……守護領域」
だが、その程度であっさり敗れるはずがない。たとえ呪いの影響を受けていたとしても、守護戦士の障壁が敵を通すことはなかった。
「ちっ、しぶとい……」
アレクシスは不快げに眉根を寄せると、ラウルスさんに視線を向けた。その動作がなんらかの攻撃であることは明らかだった。
「魔法抵抗……全解除」
だが、それよりもミルティの魔法が先だった。彼女の魔力がラウルスさんを覆った直後、アレクシスから迸った黒い霧が殺到する。ラウルスさんは顔を顰めながらも、鋭い眼光でアレクシスを睨みつけた。
「全解除は効かなかったようね……」
悔しそうにミルティが呟く。もし彼女が解呪できるなら一気に形勢逆転できたのだが……。
「それにしても、異様に魔法の構築が速いわね。このレベルの魔法をあの速さで紡ぐなんて……カナメさん、大丈夫!?」
ぐらりと倒れかけた俺を、ミルティが咄嗟に支えてくれる。今いるメンバーの中で、もっとも魔法抵抗力が低い俺には、すでに限界が近づいているようだった。
そこで、俺は肚を決めた。何度も解呪を使って、なんとかみんなの呪いを解こうとしているミュスカに声をかける。
「ミュスカ! 後は頼む!」
「……え?」
突然の指名に戸惑うミュスカをよそに、俺はミュスカを転職させた。まだ打ち合わせも何もしていない彼女だったが、今となっては信じるしかない。
そして、同時に俺の視界が薄暗くなる。思ったほど脳内のざわめきは聞こえないが……なんだろう、身体が上手く動かない。
自分の意識と身体の間に、何かが挟まっているような感覚。身体の反応が鈍いし、視界や音、触覚といったものがどこか不明瞭であるように感じられた。
だが、現状で他に手段はない。もともと呪いに全身を蝕まれていた身だ。感覚が鈍くなるのも、ある意味では悪い話ではなかった。
「これは……」
唐突に上級職の力を得たミュスカは戸惑っているようだった。生まれつきの治癒師であるミュスカにとっては、初めての転職だ。急に魔法感覚が鋭敏になり、魔力量が増大する。魔法の相性も変わるだろうし、身体能力にだって変化はある。戸惑うのは当然だった。
だが、やがてミュスカは俺を見つめると、納得したように微笑みを浮かべる。苦しさも手伝って言葉足らずだったが、それでも彼女は俺が転職させたことに気付いたようだった。
そこからのミュスカの行動は早かった。もともと治癒師であり、魔法抵抗力が高かったことも幸いしたのだろう。彼女は呪術に妨害されることもなく、着実に魔法を構築すると、その力を解き放った。
「――聖域!」
ミュスカのものとは思えない、凛とした声が響く。そして同時に、俺たちを蝕んでいた呪いが消滅した。……いや、それだけではない。むしろ、能力が底上げされているようだった。
現在の彼女が宿している固有職、癒聖は治癒師の上級職だ。こと回復については他の追随を許さないエキスパートであり、これだけの効果をもたらすことも納得できる。
「ミュスカちゃん、いきなり凄まじい魔法を使ったわね……カナメさん、調子はどう? 聖域は呪いの解除だけじゃなくて、あらゆる状態異常の解除と治癒、それに魔法抵抗力をはじめとした各種能力を大幅に引き上げるものだけど……」
そう解説してくれたミルティは、俺の様子で大方のところを察したようだった。
「……聖域でも、ざわめきは治らないのね?」
「ざわめきと言うか……意識と身体が少し乖離している気分だな。だけど、この程度ならまだ大丈夫だ。ありがとう、ミルティ」
そう伝えると、俺はミルティを送り出した。賢者である彼女を、俺の傍に留めておく余裕などない。
「さて……」
俺は戦況を確認した。最初こそ、呪いによる先制攻撃で苦境に陥った俺たちだったが、ミュスカの聖域が発動した後は、優勢に戦いを進めているようだった。
アレクシスはミュスカの聖域に手をこまねいているのか、それ以上の目立つ動きはない。
そして、マクシミリアンはと言えば、大規模な魔法を使ってこないせいか、さほど目立った活躍はなかった。ひょっとすると、かつてのように大魔法を転職で暴走させられることを恐れているのかもしれないが、それならそれで好都合だった。
同じ理由で、こちらもミルティが大魔法を使えない状態に陥っているが、相手の戦士職はほとんどが一般職だ。数ではあちらが勝っているが、ラウルスさんとクルネは上級職だし、アルミードたちも戦闘力では指折りの冒険者だ。負ける要素はほぼなかった。
このままなら、相手の前衛職が全滅するのも時間の問題だろう。そんな計算とともに、俺はアレクシスを見つめる。この男だけは油断できない。
奴は俺の視線に気付くと、ニヤリと笑った。そして、傍らのマクシミリアンに何事かを命じる。
以前にも耳にした警報が鳴り響いたのは、その直後だった。




