解呪
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
魔法研究所ルノール支部。かつて、ミルティの実家に間借りしていた手狭な研究所は、少し前に新しい建物へ移転していた。建物の設計段階から魔法のあれこれを組み込んでいるらしいが、詳細は知らない。
「ミルティ支部長はお客様と面会中ですので、しばらくお待ちくださいますか?」
そして、その建物内で俺に応対している男性は、新しく雇われた魔法研究所ルノール支部の研究員の一人だ。
「ええ、もちろんです。唐突にお伺いして申し訳ありません」
「そう仰って頂けると助かります。……それでは、失礼します」
そう言うと、彼は応接室から去っていく。扉が閉まったことを確認すると、俺は軽くのびをした。
「ミルティのお客さんって、新しく魔法職に転職した人かな?」
同じく身体を伸ばしながら、クルネが興味深そうに尋ねてくる。
「ここ数日、魔法職に転職させた人の記憶はないが……ミルティは有名人だからな。本来の仕事や研究以外の用件が増えてるのかもしれない」
なんせ、俺自身がそうだからなぁ。最近は遺跡や港の案件で忙しいけど、よく考えれば本業とはほとんど関係ないもんな。……そう考えると、俺は自分で思っていたよりもお節介なのかもしれない。それとも、これが変化というやつなんだろうか。
「カナメ、どうしたの? なんだか変な顔をしてるわよ」
そんな思いが顔に出ていたのか、クルネが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「いや、自分の新しい一面を発見したというか、年を取ったと実感したというか……」
「いきなり何を言ってるのよ……」
そんな調子でクルネとのんびり会話を交わしていると、やがて応接室の扉が開いた。
「カナメさん、クーちゃん、お待たせ」
そして姿を見せたのは、魔法研究所ルノール支部長のミルティだ。珍しいことに、魔法研究所の意匠が刺繍された儀礼用のローブを羽織っている。
ちなみに、元々は『王立』魔法研究所ルノール支部だったのだが、辺境の自治都市化に伴って微妙な立ち位置になってしまったため、『王立』の文字を取ってルノール支部のほうはそのままという、変な名称が定着している。
王都の魔法研究所との協力関係はそのままだし、ミルティが王都から持ってきた書物や魔道具を返せと言うわけでもないので、本当に名前が変わっただけの話らしいが。
「あれ? ミルティ、珍しいローブを着てるのね。重くて苦手だって言ってなかった?」
彼女の服装に疑問を持ったのはクルネも同じらしい。その問いかけに、ミルティは扉の向こうを見やりながら答える。
「そうも言っていられない人が来ていたのよ。……まさか、この研究所にまで来るなんて、噂通り本気みたいね」
「ひょっとして帝国教会か?」
彼女の言葉に思い当たるフシがあった俺は、思いつくままに声を上げる。他人の客の素性を尋ねるのは褒められた話ではないが、彼女から話を切り出したということは、大丈夫ということだろう。
「ええ、その通りよ」
案の定、ミルティは苦笑を浮かべながら肯定した。そして、少し疲れたように言葉を続ける。
「それもマルテウス大司教が自ら、ね」
「それは災難だったな」
巨大な権力者との面会なんて、普通の人間には災害でしかない。ミルティは俺よりもしっかりしているが、それでも疲れることに変わりはない。
「それで、なんて言ってきたんだ? ……あ、もちろん話を聞いていいなら、だが」
「カナメさんが想像している通りよ。メルハイム帝国は魔法研究が盛んだから、帝国教会も魔法研究の重要性を認識している。なんなら帝国の魔法研究所と橋渡しをしてもいいし、研究のための資金援助も惜しまない。……そんなところかしら」
俺の問いかけに、ミルティはすらすらと答えを並べる。
「その代わり、辺境には帝国教会を設置するべきだと?」
「ええ。この研究所の影響力なんて大したことないのに、わざわざ帝国教会のトップが来るなんて思ってもみなかったわ」
「そうか……。ちなみに、ミルティは帝国教会の誘いをどう思った? 話に乗ろうという気になったか?」
「そうね……私は王都で暮らしていた時期が長いし、ミュスカちゃんたちのこともあるから、わざわざ王国教会を排斥して帝国教会に来てもらう気はないわ。けれど、そういった事情のない人たちが誘いに乗る可能性は充分あるかしらね。やっぱり、お金や人脈は大切だもの」
なるほど、そうなると王国教会は不利かもしれないな。プロメト神殿長の話でも、帝国教会と王国教会の資金力にはだいぶ差があるという話だし、あのバルナーク大司教が同じようにお金をばら撒くとも考えにくい。
ミュスカは頑張っていると思うが、目の前に現金をぶら下げるような相手では厳しいものがあるだろうなぁ。
と、ミュスカの顔を思い浮かべた俺は、この研究所を訪ねて来た理由を思い出した。
「……と、そうだ。本題を忘れるところだった。今日はミルティに頼みごとがあって来たんだ」
「あら、どうかしたの?」
小首を傾げるミルティに、俺は本題を切り出す。
「この間まで辺境にいた『聖騎士』のことなんだが、かなり強力な呪いを受けて重体らしいんだ。誰も解呪できないそうだが、ミルティならいい方法を知らないかと思ってさ」
「あの『聖騎士』さんが? 彼女ほどの魔法耐性があって重体なんて……」
ミルティは一瞬驚いた様子を見せると、すぐに難しい顔に移行した。幾つもの可能性を考えているのだろう。
「そうね……『解呪』がベストだと思うし、この魔法を使える人はそれなりの数がいるはずよ。
ただ、問題は術者の力量ね。『聖騎士』さんを重体に追い込むような強力な呪いなんでしょう? もし呪いに特化した上級職だったら、私でも厳しいかもしれないわ」
ミルティの固有職である賢者は、時空魔導師のような特化型ではなく、苦手な魔法相性を持たないことが強みの万能型魔法職だ。
複数の魔法を組み合わせたり、新しい魔法を創作することには長けているが、その分専門特化型との純粋な力勝負は不利な面があった。
「賢者のミルティでも難しいとなると、どうしたものかな。薬師のマイセンも似たようなものだろうし」
彼の水薬はよく効くが、上級職クラスの呪いに対して、ミルティの魔法よりも効果を発揮するとはさすがに考えにくい。
「カナメさん、ミュスカちゃんに上級職の兆しはないの? 解呪は治癒師の得意分野だもの。例え相手が特化型上級職だとしても、同じく治癒特化型の上級職なら治せるんじゃないかしら」
「ああ、それなんだよな……」
彼女が言う通り、ミュスカが上級職に転職できるなら、それで片が付く可能性は高い。
とは言え、ミュスカの資質はまだ芽生えたばかりだ。彼女を無理やり転職させた場合、俺が支払う代償は脳内のざわめきだけで済むのか疑問だった。
ついでに言えば、ミュスカはあくまで教会派の『聖女』だ。いくら学友で親しい付き合いをしているとは言っても、神殿派の俺が彼女を転職させることには政治的な面で問題があった。……まあ、こっちのほうはさっと上級職から治癒師に戻せばすむ話だろうけど、そうすんなりいくかどうかは怪しい。
そんなわけで、俺としてはミルティがメルティナの呪いを解いてくれることに期待したいのだが……。
「まあ、覚悟はしてるよ。ミルティなら解呪できるかも、という情報をミュスカ経由で提供して、メルティナを辺境に呼び込む。そして、こっそりミュスカと治療にあたるような感じかな」
「メルティナさんって重体なんでしょ? 動かせるの?」
「怪我や病気とは異なるから、どうかしらね……。治癒師が付いているなら、連れて来ることくらいはできると思うわ」
クルネの質問に、ミルティは少し悩みながら答える。それならいっそ、俺がミュスカと一緒に『聖騎士』のところへ乗り込んでもいいかもしれないな。
ただ、今は辺境を離れたくないし、教会の総本山であり、国民全員が教会派の信徒だというミスティム公国が俺の入国を許可してくれるかどうかも微妙だけど。
そんな方向で考えをまとめていると、クルネがあっ、と声を上げた。
「カナメが転職して治しちゃえばいいんじゃない?」
彼女の提案を受けて、俺はしばらく考え込む。それも考えたんだけどなぁ……。
「できるかもしれないが……可能なら、しばらく自己転職は避けたいんだ」
「え……カナメ、調子悪いの?」
「そうじゃないんだが、ちょっと気になることがあってさ。一時的にであれ、転職能力を失った状態にはなりたくないんだ」
その答えに二人が揃って首を傾げる。あまり大っぴらに広めるつもりはないが、この二人には話しておいたほうがいいだろう。そう思って口を開いた瞬間だった。
コンコン、という音と共に扉が開かれた。
「失礼します、ミルティ支部長にお客様なのですが……」
「あら、今日の来客予定はもうなかったはずだけれど……?」
ミルティが尋ねると、さっきも俺たちを案内してくれた職員が彼女に耳打ちする。それを聞いて、ミルティは俺たちに視線を向けた。
「ちょうどよかったわ。ミュスカちゃんが来たみたい」
◆◆◆
「あの、お邪魔してごめんなさい……」
ミルティと共に応接室に現れたミュスカは、俺たちを見るなり謝罪を口にした。
「気にしないでくれ。それに、ミュスカも同じ用件で来ているんだと思うし」
ミュスカがこのタイミングでミルティの下を訪れるとなれば、メルティナの解呪のことだろう。さもなければ、わざわざ俺たちのいる応接室に案内されることはないはずだ。
「じゃあ、カナメ君も解呪のことで……? あの、ありがとうございます……」
「メルティナには助けられたし、お互い様だって」
そう答えながら、彼女に話す内容を頭の中で整理する。まずは、メルティナを辺境に連れて来ることができるかどうか。それが可能なら、あとは一瞬彼女を転職させるだけだ。
ただ、ミュスカは『資質を超えた転職』能力のことを知らないから、その辺りの話を前もってする必要があるんだけど、嘘をついたり、秘密を抱えこむことが苦手なミュスカに何をどこまで話したものかは、判断に悩むところだった。
「私たちも、どうすれば『聖騎士』さんを助けられるか、色々話し合っていたのよ。まず、一つ教えてほしいのだけれど、彼女はこの辺境まで連れて来ることができる状態かしら?」
俺が悩んでいることを察したのか、ミルティが大まかな状況を説明した上で、一番気になることを問いかける。
「分かりません……手紙には、治癒師のファメラさんが付きっきりだって書いてあるだけで……」
そうか、ミュスカが知っているのは手紙に書いてあった断片的な事象だけなんだよな。となると、見通しを立てるのが難しくなってくるが……。
少し迂遠になるが、ミュスカから手紙を出してもらって、詳しい情報を入手するところから始める必要がありそうだった。メルティナの状態によってはそんな悠長なことをしていられない気もするが、その状態からして情報不足なのだから困ったものだ。
となれば、どこから手を付けるべきか。そんなことを考えていた時だった。再び、応接室の扉がノックされる。
「……またお客さんかしら? 重なるものね」
そう言いながらミルティは立ち上がった。そして、扉から顔を出した職員に何事かを耳打ちされると、大きく驚きの表情を浮かべる。
そして、じきに現れた来客は、予想だにしていなかった大物だった。
「――まさか、こうして会話する機会があろうとはな……久しいな、カナメ神殿長代理」
ミルティが連れて来た来訪者。それは、クローディア王国教会大司教、バルナーク・レムルガントその人だった。
「ご無沙汰しております。覚えていてくださったとは光栄です」
「……よく言う。クルシス神殿の転職師がお前だと知った時には、一杯くわされたと思ったものだ。
それどころか、神々の遊戯で『聖騎士』を負かし、果てはアステリオス枢機卿の告発にまで噛んでいたのだからな。忘れるほうが難しい」
俺の社交辞令に対して、バルナーク大司教は容赦ないツッコミを入れてきた。なんて手厳しい聖職者だ。
「まあ、そのおかげで王国教会をまとめることは容易だったがな。そういう意味では、礼を言わねばならんな」
それは冗談のつもりだったのだろう。バルナーク大司教はニヤリと笑うが、相変わらず聖職者の笑みではなく、どこか獣めいた笑みだった。
岩蜥蜴討伐パレードの時なんかは大司教らしい表情を浮かべていたのに、なんで俺に対してはこうなんだろうな……。
「そしてミュスカ。辺境での活動ご苦労だったな。マルテウス大司教が直々に乗り込んできているようだが、その割に成果が上がっていないのはお前のおかげだ。感謝する」
「ふぇっ!?」
そんなにストレートに感謝されるとは思っていなかったのか、ミュスカが変な声を上げた。そんな彼女の反応にも慣れているのか、バルナーク大司教は眉一つ動かさない。
そして最後に、大司教はクルネへ視線を向ける。さすがにクルネとは面識がないはずだが……。
「クルネ嬢、岩蜥蜴討伐遠征では世話になったのである!」
そう思っていたところ、もう一人の来客が口を開いた。王国教会の『戦闘司教』であり、神学校の教員でもあるガライオス先生だ。その大音声に、応接室中の大気がビリビリと震える。
「ガライオス司教、お久しぶりです。まさか、こんなところで会うなんて……」
「バルナークを一人で行かせるわけにはいかぬからな! 『聖騎士』が深手を受けている以上、拙僧が護衛に付くのは当然のことである!」
ガライオス先生はそう告げると、まるで柱のように太い首を縦に振った。たしかに、こんな規格外の筋肉を見せつけられては、並の悪党は近寄る気にもなれないだろうなぁ。固有職持ちですら関わり合いになりたくないはずだ。
「……ところでバルナーク大司教、わざわざ辺境までお越しになるなんて、どうなさったのですか?」
場が落ち着いた頃合いを見計らって、俺はストレートに質問をぶつける。どういう風の吹き回しか、大司教は素直に質問に答えてくれるつもりのようだった。
「用件はいくつかあるが……一つ目は、マルテウス大司教への牽制だ。奴のことだ、金銭や便宜供与をちらつかせて辺境の支持者を増やすつもりだろうからな。こちらも放っておくわけにはいかん」
まあ、それはそうだろうなぁ。……というか、他宗派の俺にその話をしていいんだろうか。
「そして二つ目は、『聖騎士』のことだ。……ここにいる面子を考えれば、おおかたの事情は知っていると考えてよいな?」
「あ、あの……すみません……」
機密漏洩を咎められると思ったのだろう、ミュスカが小さな声で謝る。だが、バルナーク大司教はそれを押しとどめた。
「彼らを信頼できると判断した結果なら、とやかく言うつもりはない」
その言葉に、ミュスカがほっとした様子を見せた。次いで、バルナーク大司教はミルティのほうへ向き直る。
「ここへ来た理由の二つ目は、貴公に『聖騎士』の解呪を依頼するためだ。高名な魔法研究者であり、上級魔法職である賢者の固有職を持つ貴公ならば……」
バルナーク大司教は、ミルティの存在をすでに考慮に入れていたようだった。その言葉を受けて、ミルティは大司教と視線を合わせる。
「『聖騎士』さんの事情はおおよそ把握しています。その上で確認したいのですけれど、彼女をこの辺境まで連れて来ることは可能ですか?」
「……それは、『聖騎士』の呪いを解呪できるということか?」
「分かりません。呪いをかけた相手との戦いになりますから、実際に目にしてみないことには……」
答えを聞いて、バルナーク大司教は考え込む素振りを見せた。
「……動かせないことはない。ただ、今も治癒師が体力を回復し続けている状態であり、決して楽観視できる状況ではない。
魔術師のメヌエットが付いている以上、移動中の危険はないだろうが、そう頻繁に移動させることは難しい」
俺とミルティは、その言葉を聞いて目配せを交わす。
「それを踏まえた上で、『聖騎士』さんを辺境へ連れて来ることをお勧めします。ここには薬師の固有職持ちもいますし、シュルト大森林特有の特殊な素材や触媒もあります。少なくとも、対症療法の幅は広がると思いますから」
「ふむ……」
「そうそう、『体力回復』の魔法効果を付与した魔法衣をメルティナに贈ってはどうですか? そうすれば、多少は旅で損なわれる体力も回復できるでしょうし、治癒師の負担も減ると思います」
ミルティに続いて、俺もちょっとした提案を口にする。代金はちゃんと払ってもらうとして、口利きだけはしてもいいだろう。セフィラさんもメルティナとは面識があるはずだし、嫌な顔はしないはずだ。それどころか、優先して魔法衣を作ってくれる可能性も高かった。
すると、なぜかバルナーク大司教は驚いた表情を浮かべた。俺が善意の提案をしたことに驚いたんだろうか。
「まさか、そこまで協力してくれるとはな……」
あ、やっぱりそう思ってたんだ。隣でクルネが小さく笑っているのが見えた。
「メルティナには色々と助けてもらいましたからね」
「……感謝する」
そう言ってバルナーク大司教は頭を下げた。予想外の行動に虚を突かれたが、もちろん悪い気はしない。
頭を下げられたことが嬉しいのではなく、メルティナを大切にしていることが分かったからだ。どうやら、俺は意外とメルティナに仲間意識を持っていたらしい。
「……ところで、辺境にいらっしゃった用件は幾つかあると仰っていましたが、差し支えなければ残りの用件をお伺いしても?」
応接室に流れる変な空気を振り払うように、俺は率先して話題を変えた。
「それについては、俺もミュスカに尋ねようと思っていたところだ」
「は、はい……!?」
突然名前を出されて、ミュスカが緊張した声を上げる。
「……アムリアが訪ねて来なかったか?」
「え? アムリアさんが来ているんですか……?」
問いかけに対して、ミュスカはきょとんとした表情を浮かべる。その様子で、バルナーク大司教の目的は果たされたようだった。
「なるほど、接触は図っていないようだな。それならそれで構わぬか……」
そう呟いたバルナーク大司教は、次いで俺に視線を向けた。言いたいところを察した俺は、先に口を開く。
「……残念ながら、『聖女』アムリアにお会いしたことはありませんし、彼女が辺境に来ているという噂も聞いたことがありません」
そもそも、どんな容姿かも知らないんだけどね。けど、彼女が『聖女』として辺境を訪れたのなら、俺の耳に入らないはずはない。その程度の情報網は持っているつもりだ。
「そうか……辺境へ入ったのは間違いないはずだが……」
「あの……アムリアさんが何か……?」
ミュスカが恐る恐る尋ねると、バルナーク大司教は肩をすくめた。その様子からすると、あまり詳しいことを話すつもりはないのだろう。だが、話題の主については俺も興味があった。
「そう言えば、マルテウス大司教が神殿を訪れた時に、『転職の聖女』を辺境に派遣する可能性があると言われましたよ」
もちろん、それはただの交渉カードであり、本気で考えているわけではないだろう。バルナーク大司教は驚いた様子もなく頷いた。
「……帝国教会の肩を持たなければ、アムリアを辺境で活動させてクルシス神殿の邪魔をしてやると、遠回しにそう脅されたか」
「脅しかどうかは知りませんが、そんな趣旨でしたね。……先程も申し上げた通り、『聖女』アムリアとは面識がありませんからね。彼女の人となりが分かりませんから、マルテウス大司教の言葉をどこまで鵜呑みにしていいかの判断もつきません」
俺の答えを聞いてしばらく考え込んだ様子のバルナーク大司教は、やがてミュスカのほうを向いた。
「ミュスカ、アムリアのことを説明してやってくれ。俺が話すよりも、同じ『聖女』の目線のほうがイメージが湧くだろう」
その言葉は、俺の遠回しな要求に応えるものだった。立場上、今のバルナーク大司教はお願いする側だから断りにくいという面もあるのだろう。そう考えるとちょっと申し訳ない気もする。
「は、はい……!」
突然指名されたミュスカは、慌てた様子で返事をすると口を開く。
「あの、アムリアさんは『聖女』で、転職師で……なんと言うか、神秘的な方です……」
「神秘的……?」
思わずオウム返しに呟く。神秘的と言われてもなぁ……。俺の周りで神秘的な雰囲気のある人物と言うと、吟遊詩人のティアシェか、古代遺跡の幽霊にして巫女であるルーシャくらいのものだろうか。
「わたしたち『聖女』の中でも、一番落ち着いていて、とても大人っぽいんです……。わたしたちを見守るお姉さんみたいで……」
「そう聞くと、帝国教会に簡単に移籍するような人物に思えないな……」
「アムリアは、どこか人と距離を置いているフシがあったからな。それが神秘的に見えていた部分はあるだろう。アステリオス枢機卿の派閥だからだと考えていたが……」
バルナーク大司教が口を挟むと、ミュスカはショックを受けたようだった。距離を置かれていたとは思わなかったのだろう。それを機に、場に気まずい沈黙が漂う。
その沈黙を破ったのは、しばらく静かだったガライオス先生だった。
「ところで、拙僧もバルナークの護衛とは別に用事があったのである!」
「そ、そうですか」
それは頑張ってくださいね。そう繋げようとした俺だったが、ガライオス先生の視線が俺に向けられていることに気付いた。……あれ?
「貴公に神官の資質はないと言われたため、拙僧は肉体の弱点克服に挑んだのである!」
「ええと、はい……」
どこからツッコミを入れればいいのか分からないが、とりあえず「神の恩寵は鍛えられた筋肉に宿る」という考え方は健在であるようだった。
「ひいては、拙僧の固有職資質をまた判定してほしいのである!」
やっぱりか。本当にこの人はブレないなぁ。
「それは構いませんが、今の世界で神官の資質を求めるのはあまり……」
あまりに熱心なガライオス先生を目にしたせいか、そんな言葉が口をついて出る。神々が力を失った今の世界で、神官の資質が発現する可能性はほぼゼロなのだから。
だが。その言葉を聞いたバルナーク大司教の表情は、非常に険しいものだった。次の瞬間には無表情に戻っていたが、決して見間違いではないだろう。
いまの台詞に反応する場所があるとすれば、それはつまり――。
そのことを今ここで問いただすべきだろうか。そう悩んだ時だった。
すでに何度もノックの音を響かせた扉が、今度は予告なしにバタンと開かれた。
「アニス?」
ノックもなしに飛び込んできたのは、槍使いのアニスだった。彼女は俺たちを見るなり口を開く。
「大変よ、遺跡にいるエリザ博士から救援要請があったわ! 遺跡が何者かに襲われてるって……!」




