鍛冶師
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「カナメ司祭……いや、カナメ神殿長代理とお呼びするべきかな? そなたと相見えるのは実に久しぶりだ」
クローディア王国で第三位の王位継承権を持つアイゼン王子は、思っていたよりも友好的な態度で俺たちを出迎えてくれた。
久しぶりに王都に来たのだから、顔を出しておくようにとプロメト神殿長に釘を刺され、渋々王子の館を訪れたわけだが、険悪な態度でないことに心からほっとする。
「……ふむ? どうした、何を意外そうな顔をしている?」
そして、相変わらず鋭い観察眼を持っているようだった。そこで、俺は素直に本音を口にする。
「これは失礼致しました。……正直に申し上げますと、王国から独立した辺境に対して、殿下はあまりよい感情をお持ちではないだろうと、そう思っていたものですから」
そう答えると、王子にも得心がいったようだった。彼は楽しそうに口を開く。
「なるほどな、その心配をしていたか。……たしかに、急速に拡大しつつある辺境を失ったことは残念だ。だが、元はと言えば、王国の廃領宣言に端を発したものだからな。とやかく言うのは筋違いであろう」
「そう仰って頂けると助かります」
「辺境が帝国領となるのは論外だが、あの戦争で王国軍が勝利した場合、それはそれで緊張状態が続いてしまうからな。それは次の戦争を引き起こしかねん。
圧倒的な戦力差で帝国軍を退けたなら話は別だが、それができないことは分かりきっている。そういう意味では、辺境が自治都市として独立したことは、そう悪い話でもない」
「それならいいのですが……」
なんだかんだ言って、辺境にとって最大の人的脅威はクローディア王国だ。国境を接しているのだから当然だが、彼らの動向には注視せざるを得ない。
「そう心配するな。王国からの干渉はリカルドに任せておけばよい。王位継承権放棄の手続きをしに来た折に話をしたが、今までにないくらい生き生きとしていたぞ。
王位継承権を放棄した人間は何人も見てきたが、あやつほど楽しそうに継承権を捨てた男もおるまい」
そう言って笑うアイゼン王子の顔には、僅かながら羨望の感情が浮かんでいるように見えた。
「殿下のお力添えを頂ければ、リカルドも安心することでしょう」
「辺境は原石だ。どんな宝石に化けるか分からぬからな。嫌でも関係を築いていくことになろう。……そして、辺境の価値が高まれば――」
「殿下の権勢も強まることでしょうね」
彼はリカルドやクルシス神殿といった、辺境で影響力を持つ人間との間に太いパイプを持っている。辺境が発展することは、彼にとっても好ましいものであるはずだった。
「――そう言えば、セイヴェルンの黒飛竜騒動では、護衛の女剣士共々大活躍だったそうだな。あの商業都市に貸しを作るとは大したものだ」
「やはりご存知でしたか」
「ご存知も何も、現在最も人気のある英雄譚だからな。その張本人がこの王都にいると分かれば、一体どれほど盛り上がることか。本人たちから、戦いの詳細を聞きたがるだろうな」
そう答えた後、彼は意味ありげに笑う。
「……まあ、私としては、なぜ黒飛竜がセイヴェルンを襲ったのか、その理由のほうが気になるがね」
「まったくです。功労者である私たちに、それくらいの情報提供はあって然るべきだと思うのですが……」
アイゼン王子の探りを、俺はにこやかに受け流す。やっぱり、分かる人間には分かるんだな。王国も黒飛竜についてはそこそこマークしていたんだろうか。
「文献を紐解けば、たまにああいった黒飛竜の記述が見られるからな。同じ個体なのか、世代交代をしているのかは知らぬが、王国や帝国の村が襲われたという記録には事欠かん」
「なるほど、そうでしたか」
「……まあ、王国としても、黒飛竜を倒してくれたことはありがたい。その殊勲者をこんなところで問い詰める無粋な真似はしたくないからな、これくらいにしておこう」
もはや自治都市の一員なのだな。そう言わんばかりの物言いに、俺は肩をすくめた。
「自治都市連合入りが認められ、多くの人間が辺境に注目している。これからの数年は、辺境の今後を決定する重要な時期になるだろう」
その言葉に黙って頷く。俺にとっても彼にとっても、辺境の発展は重要なものだ。そういう意味では、アイゼン王子もまた運命共同体と言えなくもない。
「……カナメ司祭、期待しているぞ」
「私も同じ気持ちです、アイゼン殿下」
俺とアイゼン王子は、真っ向から視線をぶつけたまま、にこやかに笑い合った。
◆◆◆
神学校時代に俺が愛用していた飲食店『金の鍋亭』は、まだ昼前にもかかわらず相変わらずの繁盛ぶりを見せていた。
「やっぱり、王都の料理は美味いな……」
その繁盛の理由を自分の舌で再確認しながら、俺はしみじみと呟いた。
「美味しいわよね……。カナメが王都に行くって言った時、最初に考えたことが『美味しいご飯が食べられる』だったもん」
俺の言葉に反応して、クルネが食いしん坊ぶりを披露する。移住民の流入や俺たちの周知活動によって、以前よりは食文化が豊かになった辺境だが、それでも一国の首都に比肩できるほどではない。
そのため、王都にいる間に美味しい料理を食いだめしておきたい。それは、俺とクルネの暗黙の了解であり、手元の路銀をすべて食費につぎ込む勢いだった。
フェイムが剣を打っている間の日々は、俺とクルネの食い倒れツアーが開催されていたと言っても過言ではない。
「それにしても、アルミードたちがいないのは残念だったな」
俺が口を開いたのは、メインディッシュの香草焼きを平らげた時だった。
「せっかくの機会だし、会いたかったけど……」
「まさかセイヴェルンに旅立ったとはなぁ……」
俺はクルネの言葉を引き継ぐ。クルネは仲間との再会を楽しみにしていたし、俺も彼らに用事があったのだが、タイミングが合わなかったようだ。
「とりあえず、手紙を置いておくか」
「うん。もしまた王都に帰ってくるなら、いつもの宿屋に戻ってくるはずよ」
「よし、じゃあ今からフェイムの剣を見せてもらって、その後で宿屋に寄ろうか」
そう、昨日の晩のことだが、俺たちは『剣が完成した』というフェイムからの伝言を受け取ったのだ。そのため、ここで食事をとった後は、彼の家を訪れる予定にしていた。
「フェイム君、どれくらい剣を打てるんだろうね」
「そうだな。……なあ、クルネ」
「なあに?」
こちらを覗き込んでくるクルネと視線が合い、俺は喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。
「……いや、楽しみだと思ってな」
本当は「辺境のために演技してくれないか」と提案するつもりだったのだが、それは彼女の剣士としての誇りを傷つけるだろう。
――フェイム、期待してるぞ。
俺は胸中で呟くと、運ばれてきたデザートに意識を向けるのだった。
◆◆◆
「……待っていた」
ロンメルさんの家に入るなり、俺たちに声が飛んでくる。当然のことながら声の主はフェイムだ。
彼は緊張した面持ちだったが、どこか悟りを開いたような、清々しい雰囲気が伝わってきた。それが最高の一振りを完成させた自信ゆえのものであれば、非常に喜ばしいことだ。
彼は俺たち……というかクルネの姿を認めると、リビングの机に置かれていた一振りの剣を手に取る。まだいい鞘が見つかっていないのか、その刀身には革が巻き付けてあった。
「これが……俺の剣だ」
それだけを口にすると、フェイムは剣を差し出してくる。
「……拝見します」
その剣を真剣な表情で受け取ったクルネは、刀身に巻き付けられた革をゆっくり丁寧に外していく。やがて、俺たちの前に鈍く光る刀身が姿を現した。
「剣を振りたいので、一度外へ出ますね」
クルネはそう告げると、剣を持って家の外へと出て行く。俺が追いかけて外に出ると、彼女は剣を何度も持ち替えているところだった。握りを確認しているのだろうか。
そして、その重心を確かめるようにゆっくりと剣を構えると、軽く剣を振る。ヒュッという音と共に、その切っ先は地面に向けられていた。
クルネは何度も剣を振るう。振り上げ、振り下ろし、横に薙ぎ、刺突する。そんな基本動作を幾度となく行った後、彼女は一度動きを止めた。
そして、次の瞬間。
「……っ!」
クルネの姿がかすむ。目の前にいるというのに、動きが速すぎて捕捉できないのだ。ただ、彼女が高速で剣を振るい続けているのだという予測はできたため、俺は慌てずに彼女を見守る。
その動きを黙って見ていると、後ろからフェイムたちが姿を見せた。彼らはクルネの高速演舞に唖然としていたが、その目は彼女に釘づけだった。
やがて、彼女は動きを止めると、剣を手に持ったままフェイムと向かい合う。
「……いい剣だと思います。初めての割に手に馴染むし、重心もしっかり考えてある。扱いやすさについては申し分ないでしょう」
その評価に、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「後は切れ味や耐久性ね……こればかりは、実際に斬ってみないと分からないけど……」
クルネがそう呟くと、ロンメルさんが何やら重そうなものを持ってきた。ズシン、という振動と共に地面に置かれたそれは、どう見ても金属の塊だった。
「鉄塊だ。『剣姫』と呼ばれる嬢ちゃんが耐久性を確認するんなら、これくらいのもんが必要だろう」
「ありがとうございます」
ロンメルさんに感謝を伝えると、クルネは鉄塊へと向き直った。そして、手元の剣を閃かせる。
「うわ……普通に鉄を斬った……」
今さらだが、あっさり金属塊を切断するなど並大抵のことではない。剣匠の力があるとは言え、なかなかに非常識な光景だった。
そして、その非常識な光景を生み出したクルネはと言えば、彼女は刀身をじっと眺めていた。鉄を斬ってどの程度傷んだかを確認しているのだろう。
「通常の斬撃なら、問題はなさそうね………」
そう呟くと、クルネは悩む素振りを見せた。その言い方から、彼女が何を考えているかの察しは付く。
「あんたが何を考えているかは分かるよ。……特技を使うような激しい運用に耐えられるかどうか。それが問題なんだろう?」
フェイムの指摘通りだった。クルネの愛剣は、斬れぬものなしの発動後に折れている。それは、特技で剣に強い負荷がかかっていることを示していた。
「なら、あんたの最高の特技を使ってほしい」
その言葉に、クルネは少し戸惑いながらも頷く。できれば、彼の渾身の力作を破壊したくはない。だが、それは剣士としてあまりにも失礼な話だ。そんなところだろう。
そして、クルネは剣を両手で掲げた。
「斬れぬものなし」
技名の発声と同時に、剣を中心として凄まじい存在感が発生する。俺の生物的な本能が、クルネに近づくなと告げていた。
彼女は気負う様子もなく、ただツン、と鉄塊をつついた。ただそれだけで、鉄塊にスッと刀身が吸い込まれる。
力も速さもないただの接触。鉄塊が剣の重さのみで切断される様を、俺たちは言葉もなく見守っていた。
「この特技が……?」
フェイムの言葉にクルネは頷く。
「『斬れぬものなし』。今の私が使える最高の特技です」
「なんつーか……凄まじいとしか言いようがねえな。剣姫と呼ばれるのも当然だぜ」
未だに信じられない様子で、ロンメルさんが感想を口にする。その言葉に、フェイムとリドラさんが黙って頷く。技名通りの絶対的な特技は、彼らに大きな衝撃を与えたようだった。
そして、クルネが鉄塊に埋まっている剣を引き抜いた時だった。彼女の表情が少し曇る。特技を解除したクルネは、刀身に手をそえると、その半ばの箇所に視線を注いだ。
「まさか……」
そこへ駆け寄ったのは、剣の制作者であるフェイムだ。クルネから剣を受け取った彼は、真剣な表情で刀身を確認した後、呆然としたように呻く。
「ヒビが……!?」
まさか、一瞬で剣にヒビが入るとは思わなかったのだろう。彼の表情を驚愕が彩る。
「あの……」
申し訳なさそうにクルネが声をかけるが、フェイムは首を振ってそれを押し止めた。
「あんたが謝ることは何もない。……むしろ、俺みたいな名もない鍛冶職人のために、最高の特技を使ってくれたことに感謝してる」
そう言うと、フェイムは天を仰いだ。どこまでも続く青空に、彼は何を思っているのだろうか。その場の誰一人として、フェイムに声をかける人間はいなかった。
そして、フェイムは長い沈黙の後、ぼそっと呟く。
「……悔しいな」
その声は小さかったが、俺の耳にもはっきりと聞こえていた。
今回の剣が、彼にとって会心の出来であったことは間違いないだろう。だが、それでもクルネの特技には耐えられなかったのだ。それが……あれ?
「なあ、クルネ。『斬れぬものなし』に耐えられるかどうかはともかく、一般的な剣としてはどうだったんだ?」
「え? 問題なかったわよ? 最初に鉄塊を斬った時は傷んだ様子もなかったもの」
「……え?」
クルネの回答に、フェイムが目をぱちくりさせる。
「正直に言えば、名剣と呼べるほどではありません。けど、ちゃんとした職人が作った立派な剣だと思います」
クルネがそう説明すると、ロンメルさんが嬉しそうに頷いた。
「まあ、最後のは剣に凄まじい負荷がかかってるだろうからな。アレに耐えられる剣なんざ、もはや神剣や魔剣の類いだぜ」
「そう……なのか?」
フェイムが驚いたように顔を上げる。
「なんせ、彼女が長らく相棒にしてきた剣も、あの特技で折れてしまいましたからね」
その言葉にクルネの表情が沈む。後で謝らなきゃな。頭の隅でそう考えながら、俺は言葉を続ける。
「ここへ来た理由のひとつは、鍛冶師に転職したフェイムさんなら、クルネの特技に耐えられる剣を打ってくれるんじゃないかと、そう期待したからです。
ロンメルさんが仰った通り、あの特技に耐えられるのは神剣や魔剣レベルの剣だけでしょう。ですが、入手は非常に困難ですからね」
そう告げると、フェイムは驚いたように俺たちを見る。
「あんたの剣を、俺が?」
「……ずっと使っていた剣が折れた時は、本当にショックだったから。我儘かも知れないけど、次の剣には折れてほしくないの」
「……」
クルネがそう答えると、フェイムは無言で手元の剣に視線を落とした。
「フェイムさん。私は鍛冶については無知ですが、技術を極めることが困難であり、果てない道であることは想像がつきます。ですが、貴方の剣のことを、彼女はちゃんとした職人が作った立派な剣だと、そう言っていました」
俺は悩んでいる様子のフェイムに向かって話を続ける。
「果てない道。それは、鍛冶師の固有職を得てからも同じことでしょう。むしろ先達がいない分、さらに困難かもしれません。転職したからといって、決して楽な道を選んだということにはなりません」
もちろん、生活に困ったり軽く見られたりすることはないだろうが、だからと言って悩みと無縁でいられるわけがない。まして、フェイムやロンメルさんのような職人肌の人物であればなおさらだ。
「……分かった」
それからどれほどの時間が経過しただろうか。やがて、フェイムがゆっくりと顔を上げる。
「俺は鍛冶師になる……いや、違う」
一人呟くと、彼はもう一度、はっきりと言い直した。
「――俺は、鍛冶師になりたい」
◆◆◆
巨大怪鳥便の定員は、原則として八名だ。そのため、俺とクルネ、そしてキャロの二人と一匹ではスペースが大量に余る。
しかし王都からの帰途についている今、そのガラガラだったスペースは賑やかな一家に占拠されていた。
「――いやいや、この巨大怪鳥ってやつは大したもんだな! こんな絶景を見ながら飲む酒は格別だろ――」
「あなた? お昼からお酒はやめてくださいね? 子供たちに示しがつきません」
「わーい、キャロちゃんつかまえた! フェイムおにいちゃん! いっしょにキャロちゃんとあそぼ?」
「キュッ!」
ようやく捕まえたキャロを抱きかかえて、小さな女の子が満面の笑みを浮かべている。彼女の名前はキャロル。ロンメルさんの娘だ。
そう、この巨大怪鳥便には、俺たち以外にロンメルさん一家が乗っているのだった。
なんせ、王都から辺境までは遠い。しかも、王国南部からゼニエル山脈を越えて辺境へ入る辺りは、モンスター襲撃も多く、決して安全なルートとは言えなかった。
そんなわけで、彼らが望む場合には巨大怪鳥便で一緒に辺境へ移動する予定だったのだ。
彼らはモンスターに襲われて避難してきたという事情から、住居も家財道具も王国から貸し出されていた。そのため、意外と荷物も少なく、大抵のものは巨大怪鳥便に詰め込むことができたのだ。
移住すると決めて数日で辺境へ旅立つ行動の早さには驚いたが、フェイム以外は働いていないこともあり、意外とあっさり支度を済ませていたロンメルさん一家だった。
「……騒がしくてすまない」
賑やかな家族を見て、フェイムが恥ずかしそうに謝罪する。寡黙な性質の彼からすれば、父や妹が羽目を外しているように思えるのかもしれない。
「いえいえ、賑やかなのもいいものですよ」
俺は笑顔で応じると、窓から外を眺めた。あと二、三日もすれば巨大怪鳥便は辺境へ到着するだろう。
また、ミレニア司祭も陸路で辺境へ向かっているはずだ。細工関係の荷物が膨大な量になっていたため、巨大怪鳥便での移動はしないと言っていたが、あの顔色だと空旅が苦手なだけかもしれない。
けどまあ、ミレニア司祭にはお手製の魔道具があるし、ちゃんと固有職持ちを護衛に雇っているはずだから、そう心配はいらないだろう。
なんにせよ、これで辺境に生産職が三人集まることになる。細工師、鍛冶師、縫製師。いずれも大陸に一人か二人しかいないと言われており、しかも国家レベルで匿われていることが多いため、その作品はほとんど表に出てこない。
そんな固有職持ちが揃うのだ。マジックアイテムの収集家にとっては聖地になりかねない。
彼らにはこっそり警備を付けておいたほうがいいな。そんなことを考えながら、俺は巨大怪鳥便の客席に揺られるのだった。
―――――――――――――――――
【鍛冶師 フェイム・ワイト】
「これが……鍛冶師の固有職……」
クルシス神殿の儀式の間。今、まさに転職を終えたばかりのフェイムは、きょろきょろと周囲を見回していた。
聞いた話では、転職した人間はまじまじと自分の身体を見つめることが多いという。だが、生産職の固有職を得た人間だけは、自分よりも周囲の物を見つめるそうで、どうやら自分もその例に漏れなかったらしい。
そんな情報を教えてくれた転職の神子は、フェイムの眼前でにっこりと笑顔を見せた。
「お疲れさま。もういいぞ」
神子として名高い青年は、砕けた口調で儀式の終了を告げる。転職後は敬語はやめてほしいと、そう頼んだことを覚えてくれていたようで、フェイムは密かにほっとした。
なんせ、彼は辺境でも有数の影響力を持っている人間だ。彼が敬語で自分はぶっきらぼうな喋り方では、色々とまずいということは想像がつく。職人だからと言って、人間関係を疎かにできるわけではない。王都の経験で、それは身に染みて分かっていた。
やがて、彼が儀式の間の扉を開けてくれる。だが、フェイムはすぐにその場を動く気になれなかった。なぜなら、この儀式場には明らかにマジックアイテムだと分かる品が幾つも並んでいたからだ。
転職前には一切気が付かなかったが、今のフェイムにはその魔力の流れがよく分かる。宝珠の類に魔力が籠もっていることは予想していたが、まさか敷物までが魔力を帯びているとは思わなかった。
魔法職の人間は魔力感覚と言う新しい感覚を得るらしいが、おそらくそれと同じものなのだろう。今のフェイムからすると、このクルシス神殿は至るところに魔道具が配置されている、ある意味では異常な神殿とすら言えた。
「ああ、ミレニア司祭が細工師だからな。色々作ってくれたんだよ」
フェイムが疑問を口にすると、答えはたちどころに返ってくる。もうすぐ辺境へやって来るという細工師は、すでに多彩な作品を作っているようだった。
そうして魔道具の影響と思われる魔力の流れを追っていたフェイムは、ふと自らの足下を見つめた。その行動に気付いたのか、神子は苦笑を浮かべる。
「鋭いな……ミルティに封印してもらって以来、あんまり気付く人間はいなかったんだが」
「……地下から変な圧力を感じる」
転職した時からずっと感じていたために気付くのが遅れたが、この圧力は確実に下から伝わってきていた。巨大な魔道具でも置かれているのだろうか、とフェイムは訝しむ。
「地下には、地竜の素材が山のように積まれているからな」
あっさり語られた圧力の正体に、フェイムは唖然とした。神子が『辺境の守護者』たちと協力して地竜を倒したという話は、英雄譚としては知っていた。
だが、その素材が神殿の地下に置かれているなど、誰が考えるだろうか。
「あんた、本当に竜殺しだったんだな……」
物理的なレベルでそれを実感し、フェイムは思わず呟く。
「結果的にそうなっただけだ。……さて、話のついでにその地下室も案内しよう」
そう言って歩き出した彼に、フェイムは慌てて付いていった。この圧力の発生源に近づきたくないという本能と、この異質な魔力はなんだろうという興味が彼の中で葛藤する。
そうして辿り着いたのは、驚くほど巨大な地下室だった。神子が扉の前で魔力を操作していることに気付いて、フェイムは首を傾げる。
「……あんたは魔法を使えるのか?」
「いや、魔力を吸収する特技があるだけだ。その特技を使わなければ開かないように、ミル――知り合いの魔術師に細工してもらったんだ」
その言葉にフェイムは納得する。上位竜の素材など、どう考えても超高級品だ。そんなものがただ放置されているはずはない。
「じゃあ、入ろう」
神子に促されて、フェイムは恐る恐る地下室へ踏み込む。
……そして、目の前の光景に圧倒された。
信じられないほど巨大な牙や爪。一抱えもありそうな頑強な鱗。変わった布に包まれている物体は、内部器官をなんらかの形で保存したものだろうか。
そんな圧倒的な存在感を誇る素材が、申し訳程度に分類されただけで、ごろごろと転がされているのだ。
ふと悪寒を覚えて、フェイムは身を震わせた。鍛冶師に転職したてのフェイムですら、この場に安置されている素材群が異常なことは分かる。
この地下室は、もはや神話や英雄譚でしか語られることのない空間だ。伝説クラスの素材がこれでもかと言うくらいに無造作に置かれているなど、もはや悪夢の域かもしれない。
怯む心を職人の矜持で押さえつけると、フェイムは爪と思われる巨大な質量に手を触れた。立ち昇る魔力の雄大さに、思わず背筋を伸ばす。
いくら転職したとは言え、こんな凄まじい素材を扱えるのだろうか。そんな弱気な心が鎌首をもたげる。
「……とまあ、こんな感じだ。クルネの剣に使うなら、どれでも持って行ってくれ」
「どれでも……」
眼前の素材の価値を把握しているとは思えないあっさりとした発言に、フェイムは言葉を失った。これだけたくさんあるのだから、と言われてしまえばそれまでだが、それでも限度がある。
「……ひょっとして、あんたと『剣姫』は恋仲なのか?」
そんな言葉が、自分の口をついて出てきたことに驚く。あまりそう言ったことは得意ではないし、そっち方面の勘が鋭いわけでもない。
だが、いくら自らを守る護衛の武器とは言え、そうとでも考えなければ説明がつかなかった。
「……まあ、クルネにはこの世界で一番世話になってるからな。金銭を積んでこの素材を手に入れるのは難しいが、せっかく手元にあるんだから使うべきだろう?」
どこか慌てた様子の神子に、フェイムは初めて人間味を感じた。王都の家へ勧誘に来た時は油断できない商人のように思えたし、辺境へ着いてからは、周囲の扱いのせいか『神子』と言う畏れ多い存在だと捉えていたからだ。
その事実にほっとしながら、素材をあれこれ見て回ったフェイムは、やがてとある一角に目を止める。
「……ん? 地竜じゃない……?」
そこにあったのは、これまた巨大な尻尾と爪だった。だが、魔力の質も違うし、鱗の色も黒色だ。
「ああ、よく気付いたな。ほら、例の黒飛竜の身体の一部だよ。正確に言えばクルネのものなんだが、置く場所がないから一緒に放り込んでる」
「これが……」
再び英雄譚の実物を見せつけられ、フェイムは目をむいた。そして同時に、この地下室のことは誰にも口外するまいと固く誓う。
「……あ、もしこっちの素材のほうがいい剣を作れるんだったら、それでもいいぞ。クルネも了解済みだ」
そう言われて、フェイムはその黒い鱗に手を触れた。たしかに、この鱗からも尋常ではない魔力を感じるが――。
「素材としては、地竜のほうが遥かに上だと思う」
「そうなのか?」
驚いた様子の神子に、フェイムは黙って頷く。
黒飛竜の素材も、地下室の隅にある他のモンスター素材に比べれば、最高品質と言って差し支えないレベルだ。だが、それでも上位竜には遠く及ばない。
その説明を聞いて、神子は不思議そうに首を傾げた。
「あの強さなら、上位竜にそう劣らないと思ったんだがな……」
「魔物の強さと、素材としての優秀さは別なのかもしれない」
自分でもあまり説得力を感じないが、フェイムは別の可能性を提案する。それに、素材として優秀すぎるのも問題だ。自分の技量を大きく超えた素材が相手では、出来上がった武具に魔法効果を付与することができない可能性もある。
鍛冶師になったばかりのフェイムだが、その辺りのことは感覚的に理解できていた。
もちろん、地竜の素材を剣の形に仕上げることができたなら、それだけで世界最高峰の剣が出来上がることは間違いない。
だが、鍛冶師として期待されているからには、やはり『魔法効果の付与』をしないわけにはいかない。
あくまでルノール評議会と契約を交わした身だが、眼前の神子と、転職を後押ししてくれた『剣姫』には心から感謝している。職人の端くれとして、そして一人の人間として、その恩義には報いたかった。
「……まず、通常の素材で慣らしてから、魔物の素材、竜の素材というように順を追って作成していきたいと思う」
「ああ、その辺りはフェイムの自由だ。工房もできたばかりだし、最初のうちはロンメルさんの鍛冶仕事も手伝うだろう?」
「……ああ」
フェイムはこくりと頷く。鍛冶師として招かれたのはフェイムだが、父親のロンメルが鍛冶職人として期待されていることも事実であったようで、すでに鍛冶仕事を幾つか依頼されているのだ。
人使いが荒いぜとぼやきながらも、父親の顔に純然たる笑顔が浮かんでいたことは、素直に嬉しいことだった。その父親は、今日は燃料の仕入れを交渉しに出かけているはずだ。
「それでも、空いた俺の時間は、全部あんたたちの依頼に使う」
「ありがとう。……ただ、無理はしないでくれよ?」
「分かった」
固有職を得たことで、自らの鍛冶技能が引き上げられている。フェイムにはそんな自覚があった。
肉体能力はさほど補正を受けないと聞いたが、今のフェイムには、狙った箇所を寸分の狂いもなく鎚で叩ける自信があったし、素材の状態を見極めることもできるだろう。
今は身の丈を超えた力かもしれないが、必ず使いこなしてみせる。フェイムはそう決意すると、クルシス神殿を後にしたのだった。