【100話記念SS】妖精兎の観察日記
キャロちゃんの朝は早い。
早朝に目を覚ますと、キャロちゃんは自分の寝床から出て、ふんふんと鼻を鳴らしながら部屋の中をチェックして回る。
そして、彼が寝ているベッドに跳び乗ると、起きていないかどうかを確認するのだ。けれど、大抵の場合、彼はまだ夢の中。
その場合にどうするかは日によって違うみたいだけど、今日は彼のベッドに潜り込むことにしたらしい。……彼に潰されたりしないかな。
「――おはよう、キャロ。そろそろ朝食だぞ?」
「……キュゥ」
キャロちゃんが二度寝をしている間に、彼が目を覚ましていた。いつの間にか自分の朝食を準備していた彼は、キャロちゃんの飲み水を用意すると、隣の部屋から草の束を取ってきた。
隣の部屋には複数の布袋が置いてあり、キャロちゃん用の草が何種類も保管されている。
「凍れる青草は食べ切ったからな……今日はこのパチパチ弾ける草にしておくか」
「キュッ!」
嬉しそうに鳴き声を上げると、キャロちゃんは彼が持ってきた草を齧りはじめる。彼は朝食を食べながら、穏やかな表情でキャロちゃんを眺めていた。
◆◆◆
クルシス神殿の敷地内に宿舎があるため、彼とキャロちゃんに通勤時間は存在しない。本殿に入っていく彼を見送ると、キャロちゃんはいつも通り日向ぼっこを始めた。
「聖獣様、おはようございます!」
「おはようございます、聖獣様。今日もいいお天気ですね」
神殿が開く時刻になると、神殿そのものではなく、キャロちゃんに会いに来る人たちが次々に現れる。
一声挨拶して仕事に行く人もいれば、そのまま一緒に日向ぼっこを始める人もいる。そうして集まった人たちと一緒に、ただただのんびりする。
他のクルシス神殿ではあり得ない、けれどもこの神殿では日常になった光景だ。
「――畜生! そんな馬鹿なことがあるかよ! 俺に固有職の資質がないだと!?」
「ったく、本当にあいつが転職の神子なのか? 俺たちに固有職資質がないわけないだろう!」
「なんにせよ、わざわざ辺境まで来たのは無駄足ってことかよ。くそっ……ん?」
そんな中、傭兵風の格好をした三人組が悪態をつきながら現れた。見るからに機嫌の悪そうな顔をした彼らは、キャロちゃんや周囲の人たちを見て怪訝な表情を浮かべる。
「なんだありゃ?」
「見れば分かんだろ。兎だ」
「んなこたぁ分かってる。なんで人間があの兎を取り囲んでるんだ?」
「さてな……」
「ああ、そう言えば、転職の神子は兎の姿をした聖獣を連れているらしいぞ。それじゃねえか?」
その答えを聞いて、リーダー格らしき男の表情が剣呑なものに変わった。
「……飼い主の責任はペットの責任。だよな?」
そんな物騒な言葉を呟きながら、男はキャロちゃんへと近づいていく。その暴力的な雰囲気を感じ取ったのか、キャロちゃんの周りの人たちは腰を浮かせながら、警戒心の籠もった視線を彼らに投げかける。
けれど、彼らの精神力は大したものだった。多数の視線に動じることなく、三人はキャロちゃんの下へ辿り着く。そして、リーダー格の男が一歩踏み出した。
「キュッ?」
近付く彼らに気付いたのだろう。熱心に草を齧っていたキャロちゃんは、不思議そうに首を傾げて一声鳴いた。
「……っ!」
「ぐ……」
すると、後ろの男二人が変な呻き声を上げて動きを止めた。そんな二人の様子に気付いたリーダー格の男は、不機嫌そうに怒鳴り散らす。
「おめえら何やってやがる! やる気あんのか!」
「いや、だってよ……」
「……なあ、やめにしねえか? この兎を見てたら、なんだかどうでもいい気がしてきた」
まさかそんな回答が返ってくるとは思わなかったのだろう。男はぷるぷると身を震わせる。
「腑抜けが……!」
そして、キャロちゃんを捕まえようと手を伸ばして――。
……そのまま、動かなくなった。
「おい……? 大丈夫か?」
仲間が声をかけたものの、男がそれに反応する様子はなかった。ただ、彼の顔色だけが、明らかに悪くなっていた。
「まさか、聖獣に手を上げようとしたから神罰が……?」
「おい! おいってば!」
焦った様子の仲間が少し乱暴に男の肩を掴む。すると、ようやく男は我に返ったようだった。血の気が引いた様子の彼は、よろめくように数歩後ずさる。
「なんだこいつは……! ま、魔物じゃないのか……!?」
「は? 何言ってるんだ? こんなにかわいい兎だぞ?」
「まったくだ。なにビビッてんだよ。……兎さんよ、すまねえな。うちのリーダーが訳の分かんねえことを言ってるけど、気にしないでくれな。根は悪い奴じゃないんだよ」
「キュゥ!」
視線を合わせるようにしゃがみこんだ男に向けて、キャロちゃんは元気に一声鳴いた。
「ん? 今、返事をしてくれたのか……?」
「いやいや、いくら聖獣とは言え、そんなことは……」
「だが、このかわいさだぞ?」
「……確かに」
まったく険のない様子で、残された二人の男が頷き合った。強面に似合わないデレデレした表情に、周囲の人々から生暖かい視線が注がれている。
「……付き合いきれん。俺は先に戻る」
「おいおい、何をむくれてるんだよ」
「分かった分かった、一緒に戻ろうぜ」
リーダーと呼ばれた男をなだめながら、彼らは連れ立って去っていく。あのリーダーにはもっと痛い目を見せてもいいと思うけれど、あの様子だと充分かもしれないわね。キャロちゃんに感謝することね。
彼らが立ち去るのを見届けると、キャロちゃんはごろりと寝そべった。そう言えば、そろそろお昼寝の時間かしら。
穏やかな時間の中を、爽やかな風が通り過ぎていった。
◆◆◆
「キャロ、そろそろ帰るぞ?」
「キュ!」
斜陽に照らされて、クルシス神殿とその庭は茜色の光に染まってい■■た。仕事を終えた彼が声をかけると、キャロちゃんはぴょん、とその肩に跳び乗る。キャロちゃんの周囲にまだ残っていた人たちに一礼すると、彼は宿舎へ向かった。
「キャロ、いいニュースだぞ。コルネリオが変な草を仕入れてきたらしい。明日持って来てくれるらしいから、味を試してみてくれ」
「キュ? キュゥッ!」
「うお!? キャロ、落ちるぞ?」
彼の肩の上で、キャロちゃんが小さくぴょこぴょこと跳び跳ねる。とても喜んでいることが分かって、こっちまで嬉しくなってしまう。
彼らを見送る人たちの表情は、とても温かいものだった。
◆◆◆
「ふう……そろそろ寝るか」
「キュゥ」
夜。目をとろんとさせていたキャロちゃんは、彼の声に反応して顔を上げた。さっきまで撫でられていたせいか、すでに半分眠っているように見える。
おぼつかない足取りで寝床へ向かうキャロちゃんが心配になったのか、彼はキャロちゃんを抱きかかえると、寝床の上へのせた。
野生の兎は目を開けたまま眠ることも多いけれど、キャロちゃんは普通に目を閉じて眠る。一説では、兎が目を閉じて眠るのは安心している証拠らしい。けれど、妖精兎にもその例が当てはまるのかは、誰も知らない。
ただ、ぐっすり眠っている様子のキャロちゃんを見ていると、あながち間違ってはいないのじゃないかしら。そう思った。
おやすみなさい、キャロちゃん。
カナメ「この観察日記、一体誰が書いたんだ……?」