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レミュエルへの寓話  作者: 辻ヶ瀬
1.黒い羊と白い象
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02

死は確かなものモルス・ケルタ生は不確かなものヴィータ・インケルタ?」

 訝しげにそう繰り返した谷先輩は、腕を組んで首を捻った。うーん、と一頻り唸ると、覚えがなかったのか小首を傾げた。


 ラテン語の発音は基本、ローマ字読みが多い。その文章をすらすら読めたのは、加えて最近その本を読み返した、ということもあったからだった。

 なんて偶然だろう。 


 しかしながら、さっきまでの口振りだと犯罪の片棒を担がせるかのような徴もあったが、読み解いた今とて結局意味が不明だ。教授からの特別課題か何かだろうか。

 まさに走り書きと言ったそれは、余程英語に慣れ親しんだ者が書いたのであろうと予測できる。

 だから、てっきり与えられた課題なのだろうかと思ったのだが、谷先輩の反応は煮え切らないものだった。


「あ、うーん。まあそんな感じかな」

 心ここにあらずな様子で俯いて考え込み、全く意味がわからないな、などと呟いている。

 本当に意味が不明なのはわたしの方だ。


「ちなみにこれの元になったラテン語の格言っていうのは?」

Morsモルス certaケルタ, horaホーラ incertaインケルタ. 死は確かなもの、時は不確かなものという意味です」

「へぇ、なるほどね。“時”を“生”に置き変えたわけか。より直接的な言い回しになってるけど、浅学な俺にはさっぱりだな」

 谷先輩はコーヒーのおかわりを店員に要求しながら言った。そこで不思議に思ってわたしは疑問を口にした。


「谷先輩は確か、法学部でしたよね。第二外国語は何を選択したんですか」

「あぁ、俺はドイツ語をね。法学部の連中はドイツ語とる奴が多くてさ。衆寡敵せずって言うだろ? 人数多いと試験情報も集まるから」

「ドイツ語、ですか」

 ドイツ語には時折ラテン語の影が見え隠れするが、確かに畑違いかもしれない。


「そういえば雛川は何を? 君の学部って、すごく外国語学習が盛んなイメージがあるんだけど」

「第三外国語まで手を出す人が多いです。わたしはフランス語とラテン語を」

「確かに、フランス語はスペイン語と並んで就職に役立つって人気だものね。でも何でラテン語?」


 器用にシュガートングを操って砂糖を運びながら、谷先輩は実につまらないことを尋ねてきた。

 わたしのつまらない理由をひっそりと隠すために、「建前」として用意しておいた口上をなんてことない顔で述べる。

「古典文学ってラテン語の原文が多いじゃないですか。わたしの場合、他人の邦訳があわなくて。読み辛いというか、翻訳者が辞書からそのまま持ってきた言葉をただ羅列しているだけで、日本語が自分の中で繋がらないことも多々あって。それなら自分で訳したほうが便利だと思っただけです」

「その発想がまさに雛川って感じだよなぁ」


 しみじみとそう言われ、わたしは憮然となった。「まさに雛川って感じ」とはどういう意味だ。

 先輩の中の「雛川椿」の像に、この時はじめて興味が湧いた。

 訝しげなわたしに気づいたのか、谷先輩は「悪い意味じゃなくて」と言葉を続けた。


「俺の知人にも君と似た雰囲気というか、考え方の奴がいてさ。そいつと気が合いそうだなって思って。これがまたとっつき難いんだけど、性根は悪くない奴なんだ」

「言外にわたしのことを偏屈だって言ってますか?」

「いやだからそういう意味じゃなく……」

「冗談です、言ってみただけです」


 からかうつもりで言ってみれば、谷先輩は困ったように眉尻を下げて笑った。 

 なんとなくだが谷先輩という人がどういう性格なのか、判ってきた気がする。

 高い敷居も気にせず他人の懐へずかずかと入り込んで、その気もないのに知らず知らずのうちに相手に毒を吐く。けれど本人には全く悪意はなく、むしろ誰にでも好意的でフェミニスト、しかもそれなりに顔は広い。

 悪気もなく毒を吐く天然が一番手に負えないというが、それは事実だったらしい。


「……実を言うとそのメモ、その知人からの課題っていうか、俺への挑戦状みたいなものだったんだよね」

 何気なく呟かれたその言葉に、思わずわたしはえ? と言ってしまった。

「どういうことです?」

 谷先輩は一瞬躊躇いがちに視線をさまよわせたが、ふうっと肩で息を吐いてから頬を掻いた。

「ここまで君に世話になったからには、言わないわけにもいくまいと思うから、言ってしまうけど。俺が先にいったその知人は、性格には多少難があるが驚くほど頭が切れて、頭脳明晰、天才の名に相応しい奴でさ。今回も面白そうな事件が舞い込んでそれを解決したって言うんで、その概要を教えてもらおうとしたんだが、口が堅いのなんのって。守秘義務だから教えられません、の一点張りでね」


「ちょ、ちょっと待ってください」

 頭がキャパオーバーだ。突然なんの話をするかと思えば、「事件の概要」? 一体何のことだ。

 全く頭が追いつかず、目を白黒させる。

 健全な大学生がごく普通に暮らしていて、事件などとやらに関わろうはずもないのに。


「あれ、言ってなかった? 俺の父親、警察官なんだけど」

 あまりに機を逸した発言に、聞いてないよ! と叫びそうになってしまった。わたしの唖然とした顔が見えているだろうに、それでも平然と話を続ける谷先輩の図太さを尊敬しそうになる。


「まあそれでね、俺も親父の言いつけ通り一応キャリア組を目指してはいるけど、最近先行きの見えない将来を考えて不安になったりして。このままではいけないと、少しは実際の事件に触れてみたいなあと思い立ったりしてさ。でもマスコミの報道だけじゃ、浅い部分しか判らないでしょ? かと言って頭の固い親父は、守秘義務とやらで教えてくれるはずもないし。だから親父の話題によく上がる鵜久森うぐもりと仲良くなって、彼に聞いてみようと思ったんだけど」


 鵜久森。おそらく話の内容から推測するに、それが「性格には多少難があるが驚くほど頭が切れて、頭脳明晰、天才の名に相応しい」人物なのだろう。

 しかし何という安直な考えだろうか。あきれて言葉もない。


「しかしこれもまた融通の利かない頑固者でね、俺の顔を見るなり顰め面して、犬でも追い払うように素っ気なく帰れって言うんだよ。しかも仕舞いには澄ました顔で『僕には守秘義務がありますし、何よりあなたには情報を知るだけの器があるようには見えません』とか言い出すし」


 谷先輩には申し訳ないが、わたしはその鵜久森という人物の肩を持つ。

 谷先輩は興味本位で首を突っ込んでいるだけで、警察官の息子というだけで許容できる問題ではないような気がする。

「俺があまりにも食い下がるから向こうも煩わしくなったのか、それならこれの意味が判ったのなら考えてやるって、このメモを渡されたんだ。端から俺に解けないと思ってる風で頭にきて、売り言葉に買い言葉で受け取って来ちゃってさ。まあ結果、解けなかったわけなんだけど」

「それでわたしのところに」


「……うん。卑怯な手を使ったわけだし、正直に鵜久森に言うつもりだけど。もしかしてあいつはこのことも見越してたのかもなぁ」


 ふうっと息をついて、話し疲れたのかコーヒーを口に含む。つられてわたしもコーヒーに口をつけたが、温かかったはずのそれはもう大分温くなっていた。

 

「今日が謎解きの期限なんだ。これから彼に会いに行く。だけど俺はせっかく君に訳してもらったって言うのに、さっぱり意味が判らない。降参だよ」

 詰まるところ、わたしも鵜久森という人物がこの文章を通じて谷先輩に言いたかったことが掴みかねていた。


 この文が載っている小説は、人間と人造人間との差別化に苦しむ主人公の感情を辿るのが醍醐味の、SF小説の金字塔だ。その中に出てくる、死は確かなものモルス・ケルタ生は不確かなものヴィータ・インケルタの言葉。

 

 彼はなぜこの言葉を谷先輩に送ったのか。もしかしたら意味もなく、唐突に思いついた「解りそうで解らないだろう」外国語を書き連ねただけかもしれない。

 けれど――。


 そこまで考えて、わたしは自嘲せざる負えなかった。わたしだって、谷先輩ひとのことを興味本位で首を突っ込むなどと言えたものではない。

 好奇心は猫をも殺すとはよく言ったものだ。


「雛川、よかったら君もついてくる? 鵜久森っていう人物に興味が湧いたんじゃない」


 わたしの考えを見透かしたように、薄っすらと笑みを浮かべた谷先輩にどきりとした。

 この人はやっぱり解らない。つい先程まで彼を判った気になっていたことが嘘のような気がする。

 

 一見単純明快で飄々としているようで、その実計算高く抜け目が無いひと。

 彼に対するわたしの最終評価は、結局そこに落ち着いた。


「先輩、よく二重人格者って言われません?」


「うーん、言われたのは君が二番目かな」


 でもね、と先輩は目を細めて頬杖をついた。

「人間生きてる限りは、不変であることなんてあり得ないんだよ」

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