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前編

爽やかな初夏の朝だというのに、エステリアは後部座席でむっつりと押し黙っていた。

防音性の高い車の中までは、外の喧騒は届いてこない。


「…エステリアお嬢様、そろそろ学校に到着します。せめてその不機嫌なお顔だけでも取り繕ってはいかがでしょう」


「…わかってるわよ。眼鏡、あんた毎朝毎朝同じ遣り取りして疲れない?」


膝の上に頬杖を突き、うんざりとした表情を隠そうともしないエステリアに、運転手の青年は後ろに撫でつけた黒髪を揺らした。


「眼鏡ではありません、クロードです。お嬢様こそ、何度も同じ遣り取りをなされてお疲れではありませんか?」


口調だけは柔らかに、しかし棘を含ませてクロードは言い放った。


「あんたがわたし付きの執事とかわけわかんないポジションから離れればこんな不毛なキャッチボールしまいにできるのよ!」


「わけがわからないとおっしゃられても、お嬢様。これは旦那様と学校の方針でございますれば」


「うるさいな!」


エステリアは苛々と吐き捨てた。苛立ちに任せて運転席を後ろから蹴ってやろうかとも思ったが、リスクが高すぎる。


本当に毎朝毎朝。せっかくの良い天気なのに、この眼鏡のせいで台無しだ。


淑女にあるまじき舌打ちに、クロードが低くたしなめる。


「…エステリアお嬢様」


「だから、もう!黙っててよ。あんたとしゃべってると本気でいらいらするの!」


クロードはなにか言いかけたようだったが、わざとらしく溜息をつくと口を噤んだ。


みぞおちあたりがどろどろとした熱をもって不快だ。エステリアはクロードと話していると自己嫌悪を覚えてしまうほど容易く脳が沸騰する。


次にクロードが口を開いたのは、学校に到着した旨を伝える為だった。


停車した車の扉くらいさっさと自分で開けたいが、淑女たるもの、男性のリードを待ってから行動するのが好ましいとかなんとか。


そんなんだから、時間も人手も必要になってくるのよ、と胸中で毒づきながらエステリアは車を降りた。


クロードが差し出した通学鞄をひったくるようにして受け取り、エステリアは白いスカートを颯爽と翻して歩き出した。


「いってらっしゃいませ、エステリアお嬢様」


振り返らなくてもわかる。あの眼鏡は所作だけは優雅に頭を垂れているのだろう。


「…いってきます」


同窓生からチクチクとした視線が刺さる。


本当に嫌になる。とにもかくにも目立つのだ、あの男は。


              *


「今朝も眼福モンだったわねぇ、エストのとこの眼鏡執事さん」


昼休み、屋上でエステリアは友人のアナスタシアと昼食を摂っていた。


良家の令嬢が集まる女学校で、アナスタシアは推薦枠で入学してきた「一般人」だ。選民・差別主義の横行した校風でも気後れすることなく飄々と学生生活を送る彼女は、エステリアが気を許せる数少ない存在でもある。


エステリアの屋敷のシェフと、アナスタシアの母親がつくった弁当を広げ、ふたりは手と口を忙しく動かし、胃袋を満たしていく。


「…欲しいんならのしつけて差し上げたいわ」


「いやいや、ウチには執事を雇う余裕なんてないから。まあねー、この学校に編入してから小説でしかお目にかかる事の出来ない執事なんて種族、飽きるほど見てきたけどさー、クロードさんはもう別格!ってカンジじゃん」


アナスタシアの知的な黒い目には、他の女学生のような嫉妬ややっかみは見られない。


同じ色でもクロードとは違う。怒りを剥き出しにした今朝の自分の有り様を恥じつつ、エステリアはアナスタシアの母親がつくった卵のサンドイッチにかじりついた。


この女学校では、一令嬢につき一執事というのが暗黙の了解だ。


あの冷厳な養父ちちがめずらしく冗談を言っている。どこの少女漫画の設定だと半笑いで本気にはしていなかったが。


…ガチだった。


令嬢たちの送り迎えから、境遇ゆえの身辺警護まで執事たちはさまざまな役割をこなす。親類縁者の異性しか学校内に入る事は出来ないが、校外できらきらしい執事たちが主を待っている様は、壮観というより気味が悪い。


爵位持ちから豪商まで。この学校は上層階級とカテゴライズされる令嬢たちの謂わば社交場でもある。

互いの腹の内を探り、将来に向けて派閥を組み、敵を追い落とす。その中で、執事たちは彼女たち最大の装飾品だ。


容姿、礼儀作法、仕事ぶりから主人に対する忠誠まで。


まるで血統書付きの犬の品評会だ、とエステリアは眉をしかめる。


その選び抜かれた「犬」のなかでも、エステリアの自称・執事であるクロードは容姿、能力共に抜きんでていた。


「あのさ、そもそも執事って屋敷とか土地、男性の使用人の管理とか、主人の食事の給仕が主な仕事なわけで。屋敷の娘のお世話は入ってないんだよね」


魔法瓶から紅茶をそそぎ、エステリアはアナスタシアに差し出した。


「ありがと。…つまり、どういう事?」


「この学校における執事の職務が根本から間違ってる。執事は屋敷で主人の世話をするのが本当なの。この一令嬢につき一執事システムは廃止してしかるべきだと思う。そして自分の事はできるだけ自分でやる自立心を育てるべきよ」


宙を睨み付けて宣言したエステリアをちらりと一瞥し、アナスタシアは「ふむ」とうなずいた。


「あんたの言い分は理解したわ。でも、この学校の執事なんてもんはお嬢様方の見栄の張り合いの道具なのよ。そんなお嬢様方の寄付で学校を運営してる限り、あんたがどんだけ理路整然と攻めてもこの風潮は覆らないでしょうねぇ」


「……お父さんにも同じ事言われた…」


抱えた両膝の上に額を押し付けるエステリアをアナスタシアは呆れた顔で見下ろした。


「そりゃ、クロードさんをあんた付きにって雇い入れたのはリーデルシュタイン社長だもんねぇ。わざわざ執事学校から引っ張ってきたって聞いたよ。あんたにべた甘じゃない」


「え?あ、…そうかな」


エステリアは下ろしたままの栗色の髪を指に絡めた。照れた時の彼女の癖だ。「ファザコン」とアナスタシアが呟くが、エステリアは聞いていない。


満腹中枢が満たされた事、大好きな養父の話題が出た事で落ち着いたエステリアの精神状態は、下校時間になってから再び急降下した。


          *

                   *



校門前で、どこのアトラクションのプリンセスですか、と突っ込みたくなる豪奢な金髪の令嬢とリーデルシュタイン家の眼鏡執事クロードが揉めていたのだ。


揉める、と表現したものの、果たしてそれが相応しいのかエステリアにはわからない。金髪令嬢ことヴィクトリア・エインズワースが一方的に捲し立てているだけなのだから。

彼女の後ろには白金の髪をした白皙の美青年が控えている。ヴィクトリア付きの執事だ。


「…うぅわ。恒例とはいえ、相変わらず激しいわねぇ…」


校門の塀の向こうから、エステリアと一緒に様子を窺っていたアナスタシアが口もとを引き攣らせる。


エインズワースは元を辿れば王室と縁続きの名門だ。ヴィクトリアはそのエインズワース家の一人娘で、この女学校の女王様的な存在でもある。


ちなみにリーデルシュタイン家はエインズワース家の末端の分家で、立場的には無関係とは言えない。


家の繋がりだけの話であればヴィクトリアはリーデルシュタイン家に見向きもしなかっただろう。しかし何の因果か、今まで望むものは全て手に入れられる立場にあった令嬢は、分家リーデルシュタインに仕える執事に目をつけた。


常識で考えれば俸給も待遇もエインズワース家の方が勝っている。だがどれだけ魅力的な条件を示されても、クロードはヴィクトリアの誘いに乗らない。


決して「是」と答えないクロードへの苛立ちは、彼が主人と仰ぐエステリアに向けられた。「女王様」に睨まれたおかげで、そこそこ平和だったエステリアの学園生活は苦痛に満ちたものへと劇的に変貌した。


正直こたえたが、アナスタシアという親友の存在とヴィクトリアへの反発心で耐え、それまで以上に素行には気を使い、隙を見せないように努めた。


そうなると不思議なもので、数は少ないものの、ヴィクトリアに反発する女生徒たちが陰でフォローしてくれるようになった。


リーデルシュタインは格で言えばそれほどではないが、経済界では無視できない存在だ。エステリアの味方をしてくれる女生徒たちもそれを念頭に置いて行動しているのかもしれない。それでも精神的に助けられた事は事実だ。


ここまで育ててくれた養父を落胆させたくない。なにがなんでも卒業にこぎつけてやる。


その苛烈な姿勢もヴィクトリアの癇に障るのだろうが、知った事ではない。


その傍若無人な女王様は今日も今日とてクロードに絡んではすげなくかわされている。自分の執事を背後に控えさせて他の執事に従属を強いるあたり、性格を疑ってしまう。エステリアはヴィクトリアの執事がひどく気の毒になった。


しかしそれとは別にして。


「…わたしとしてはあの眼鏡がよそで働いてくれるなら万々歳なんだけどねぇ…」


アナスタシアが暗褐色の巻き毛を揺らしてエステリアを見上げる。


「エスト、なんでそんなにクロードさん嫌いなの?」


「あー…。気に喰わない。癪に障る。生理的に無理」


「つまり明確な理由は無いと」


「これ以上明確な答えがあるの?…そうだなぁ、空気が読めないところ」


「―――はぁ?」


完全に野次馬と化し、ぼそぼそしゃべるつづける二人の―――というか、下校途中の女生徒たちの前でヴィクトリアはヒートアップしていく。あのヒステリックなソプラノはもう最終兵器ばりの攻撃力だ。おもに精神への。


「リーデルシュタインはエインズワース家の分家なのよ!その末端の分家の使用人が本家の令嬢をここまで侮辱してただで済むと思っているの!?」


「私はヴィクトリア嬢を侮辱しているつもりは毛頭ございません。私が生涯懸けお仕えしたいと思うのはリーデルシュタイン家、そしてエステリアお嬢様のみだと、そう申し上げているのです」


磨き抜かれた華やかな美貌を紅潮させ語調をどんどん強めていくヴィクトリアとは対照的に、クロードの声音は平静そのものだ。眼鏡の奥の切れ長の黒い双眸は冷ややかの一言に尽きる。


―――「ほら聞いたぁ!?なんでああいう火に油注ぐような事言うかな!」


あくまで小声でエステリアは吐き捨てた。頭を抱えるエステリアを、しゃがみこんだアナスタシアが上目遣いにじろりと一瞥する。


「…主人冥利に尽きるじゃない」


「わたしアンチ執事クロードなんだって!あーもう、明日から3割増しで嫌がらせしてくるよ、あの女王様は!!」


そこまで言うのなら「リーデルシュタイン家の執事」を続ければいい。だが彼の一言がどれだけエステリアの学校生活を掻き乱すかわかっていないのだろうか。わかっていれば厄介。わかっていなければ、さらに厄介だ。執事を自称するのならば最低限の空気を読むぐらいしてほしい。


「もう嫌だ」とエステリアは琥珀色の目に涙を滲ませた。


「…わたくしが、あんなに劣るというの…!?」


エステリアの心が折れそうなほど落ち込んでいる間にも、修羅場は激化していく。ヴィクトリアの表情は、もともとが美しいため最早凄まじいほどだ。


クロードはふと目を伏せたが、次の瞬間にはひた、とヴィクトリアを見据えた。


「優劣を申しているわけではありません。…ただ、エステリアお嬢様であれば家名を穢すまいと努力はされても、それを楯に取るようなことはなさいますまい」


クロードの眼差しも言葉も、氷の刃に等しい。


エステリアはもう聞いてはいないが、アナスタシアは顔をしかめた。


「…エストの敵には容赦無しよね、クロードさんは」


まるでその呟きが聞こえていたかのようなタイミングで、クロードはエステリアとアナスタシアを振り返った。


絶句し、立ち竦むヴィクトリアなどもう眼中には無い様子でクロードはしなやかに一礼する。エステリアは思いきり眉を寄せた。


「お待たせいたしました。エステリアお嬢様」


「…別に待ってないよ。今日はスターシャとジェラート食べに行くから。あんたひとりで帰って。そんなに遅くならないけど…」


「あたし他の日でもいいわよ」


「えぇ!?」


しれっと約束を覆した友人にエステリアは目をむく。


「そうですか。では帰りましょう、エステリアお嬢様」


「また明日ね、エスト」


折り合いの悪い執事に鞄と腕を取られ、学校の女王様には恨み骨髄の眼で睨まれ、親友にはあっさり裏切られた。


…わたしの味方って、どこ?


衆目の集まる中、エステリアは車に押し込められた。いつになく乱暴な扱いに呆然としていたエステリアの頭に血が昇る。


「ちょっと眼鏡…!」


―――「放課後にふらふらと遊び歩くなど感心致しません、お嬢様。私にも予定がございます。そういった際には早めに一報入れていただきたく存じます」


エステリアが座席から身を乗り出すのと同じタイミングで、クロードが後部座席に顔を覗かせる。


至近距離でレンズ越しの黒い瞳に射抜かれエステリアは硬直したが、すぐに眉を吊り上げた。


「なんで友達と遊びに行くのにあんたに報告しなきゃいけないのよ。そりゃ無駄足踏ませたのは悪かったけど、スターシャとふたりで行くんだからあんたがついてこなくても―――」


エステリアが言い終わらぬうちに、車の扉は閉められた。


……感じわる―――…!!


エステリアにはリーデルシュタインの血は一滴も入っていない。だからといって、この扱いは執事以前に人間としてどうかと思う。


…やっぱりこいつ大嫌いだ。


クロードが車に乗り込んだ直後、エステリアは運転席を後ろから思いきり蹴り上げた。


これもどうかと思う所作だが、やらずにはいられなかった。…ちっともすっきりしなかったけど。


クロードは、なにも言わなかった。






















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