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教興寺の戦い -2

永禄5年(1562年)5月


飯盛山城攻めの陣に到着して、早2ヶ月が経とうとしている。

一度、飯盛山城への総攻撃があったが、落城には至らず。

筒井勢にも、叔父上、森好之らが国人衆を率いて参入し、相応の戦果をあげている。

俺や左近は後方支援に徹し、矢を打ち込むくらいしかしていないが。

今回は「見学」ということになっているので・・・


例の弩は松倉右近の隊にも預けて、実践訓練を兼ねて使ってもらっている。

初めは重視していなかったが、ことのほか扱いやすく鎧も簡単に打ち抜くので

重宝しているようだ。

元々、弩は殺傷能力は高くない。突進してくる部隊の迎撃にに使うなど、鉄砲と

同じような使い方をする。

ただ鉄砲は高価だし、大量に手に入れるのは難しい。どこの大名でも数百丁程度

この頃に大量に鉄砲を持っているのは、自ら生産にしている雑賀衆・根来衆だけ

である。



ところで、先日珍しい人物の訪問を受けた。

「筒井殿が見たこともない奇妙な弓矢をお使いと伺いましてな。

是非、拝見してみたく参ったのでござる」


話を聞いてみると、先日来の小競り合いで筒井隊が使っていたのを見たという。

森の爺様には「若殿がまた変なものを持ち込んでいる」と思われていたようで、

松倉右近から文句を言われていたのだが。見る人から見ればわかるのかな。


そう誰これと見せることができるものでないのだが。誰であろう。

身なりは質素でそれほどの大きな武家のないようだが、歴戦の武士の雰囲気が漂う。

しかも全身から発する硝煙の香りからして、鉄砲衆か?


「それは当家の秘密兵器で、そうそうお見せするわけには参らぬだが。

失礼ではあるが、何方でございますか?」


「拙者、根来の津田算正と申す。この度は、畠山高政殿に雇われ参戦している次第です」


津田算正は、根来寺の僧兵の長であり種子島から火縄銃を持ち帰り芝辻仙斎に製作させた

津田算長の長男である。算長はすでに高齢であるため参戦しておらず、代りに算正が

根来衆を率いていた。


「おぉっ。これは功名な津田算正殿とは失礼致した。先の久米田の戦いでのご活躍は聞いておりますぞ」


「算正殿であれば、お見せしよう。これは、明に伝わる弩という武器でござってな。

威力では弓矢には劣るが、力のないものでも鉄砲のように扱いやすい。鉄の矢を使えば、30間先の敵を撃ち抜くことも可能でござる。」


「もっとも、多くの鉄砲をお持ちの根来の方々には必要ないものかもしれませぬな。我が筒井ではまだ鉄砲は少のうございましてな。それを補うのもあって使こうております。ほとんどの部分が木なので、大和でも生産も容易なものありますが」


「ふーむ。引き金を引いて発射をするところは、確か鉄砲と同じですな」


「向こうでは、連射のきくものや火薬を詰めた入れ物を発射できるものもあるそうな。当家でも研究しており申す」


「ほう。火薬を詰めた器を飛ばすものもあるのですか。いや、面白きものを見せて頂いた。このお礼はいずれ」


短いひと時であったが、このことが後に大きな目を結ぶ。



***


しかし畠山高政殿は強気だ。先の久米田の戦いで三好方に勝ち、三好義賢を敗死させたことで、「三好組み安し」と考えている。また必ずや六角が三好義興や松永久秀ら破り、河内に

攻め込んでくると信じてようだ。肝心の六角は、京を手中にしたことに満足し1カ月以上

山城に留まったままだ。高政殿も使者を送り督戦したらしいが、動かないらしい。

松永久秀が淀川沿いの鳥飼に強固な陣城を構築していたため、これを抜くのに大きな損害が

伴うからというし、久秀の謀略に乗せられて、密かに和睦していたとも言われている。


そのようなことも露知らず高政殿は飯盛山城を攻め続け、時間だけが過ぎていった。

どうも守護であった河内を奪還できるのは、今しかないと考えて周りの状況が見えていなかったようだ。

三好方はというとこの間に、久米田の戦いで被害をうけた安宅冬康、三好康長ら四国勢が勢いを盛り返し再上陸、六角が攻めて来ないとみた三好義興や松永久秀らも南下しつつあった。



5月14日

三好義興や松永久秀、安宅冬康、三好康長ら三好方の主だった将、合わせて数万に上る軍勢が飯盛山城を救援に到着。

畠山高政はやっと三好方の動きを察知したが、既に退却する時期を逸していた。三好との決戦を決断し、飯盛山城の包囲を解き南下を始める。


5月16日

飯盛山城に籠城していた軍勢の一部が合流



5月17日

教興寺付近にて三好勢と畠山勢が対陣。にらみあいとなる。


畠山勢は迎撃態勢を整えるが三好勢は動かず。

時は梅雨。三好方は雑賀、根来の鉄砲を警戒して雨を待っていたのである。

事実、雑賀の鉄砲で三好長慶の弟、義賢が戦死していたのだから。



5月19日早朝

三好勢が待っていた雨がついに降り出し、三好勢が進撃を開始。

雨によって、雑賀、根来衆の鉄砲が使えない不利な状況のもと、

畿内最大の戦、教興寺の戦いの幕が上がる。



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