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大いなる密約

滝川一益の屋敷 茶室


茶室の空気は、ピンと張りつめていた。

道意の向かいの上座に信長が、その隣に一益、俺(藤勝)、宗二の順に座っている。

信長以外は、ここでどういうことが起こるかを知っている。

上手くいくかも、最悪の結果になるかも信長次第。誰もが緊張していた。

一益も幾分青ざめているように見える。


俺は、織田信長という人物を観察していた。

先程の広間で初めて見たがやはり違う。この時代に来て以来、多くの人間を見て来たが、このような雰囲気を持つ人間は初めてだ。


先程も、我々に気さくに声を掛けながら、鋭い目で一益殿や我々の動きを観察していた。動きを見て相手の心理や考えを察することができるのだろう。



「濃茶にございます」


道意は茶を点て、信長の前に置く。


「頂こう」


信長は、茶碗を取り、茶を一口含む。

茶を味わい、一益の前に置いた。


「頂き申す」


一益が茶碗を取り、同じく茶を一口飲む。

途端、顔に驚きの表情が広がる。それを見ていた信長が微笑んだ。

一益は思案顔になりながら、茶碗を隣にいる俺の前に置く。



俺は、茶碗を手に取り、作法に従い、茶を含む。

茶の渋みとほのかな甘みが、口いっぱいに広がる。旨い。

道意殿の茶は、このような場でもまった気負いがない。

いつもよりもおいしく感じるくらいだ。


俺は、努めて自然なようにゆっくりと宗二の前に置いた。

宗二が、茶碗を手に取り飲み干す。


コトっと、宗二が茶碗を置く音が響く。

普通なら気にならない音であろうが、今はことのほか大きく感じられた。



「ははははは」


突然、信長が笑いだした。

俺を含めて皆が、信長を見る。


「いやあ、驚いた。まさか茶がこれほど旨いとは

 将監の点てる茶とは段違いぞ」


それを聞いた一益は、幾分ほっとした顔を浮かべる。

すぐ横にいた一益が、おそらく一番驚いたはずだ。


「ううむ。しかし、同じ茶葉、同じ茶道具を使いながら、どうして違いが出るのか。

 それがしも飲んでみて驚き申した。これほど旨い茶は飲んだことがござらぬ。

 是非共、ご教示頂きたいもので」


納得いかないという顔を浮かべばがら、一益が言葉を繋ぐ。



「心の持ちようですかな」


道意は、呟くように言う。


「心とは?」

一益が尋ねる。


「茶人たる者、一席に己の全てを注ぎ込んでおりますゆえ」


「なるほど。茶人にとって茶席とは、武人の真剣勝負と同じなのですな。

 わしは、まだそこまでの境地には達しておりませなんだ」


一益は、素直に感心したようだ。


「さすがは当代を代表する茶人の言葉よ。含蓄があるのう」


信長も感心するように言ったが、その言葉に一益は凍りついた。

道意が何者かなのか、分かっているような節が感じられたからだ。


一益は、驚いた顔で信長を見る。それを見て、信長はそれを見て、にやりと笑った。

そして、自分の考えが正しいと確信した。


「そんな驚いた顔をするでないわ、将監」

「そろそろ、下手な芝居は止めぬか。このままでは、いつまで経っても本題に入れんぞ」


それを聞いた一益が青ざめ、言葉が出ない。

信長がすべてを察していることが分かったからだ。


「いつから、気づいていらっしゃったのですか?」

俺は、信長に声をかけた。


「さっき、一目見た時から何となくわかっていたわ。筒井の茶坊主よ」


「茶坊主、でございますか?」


また、ずいぶんな言われ方である。


「そこにおる納屋の手代を使い、茶の湯の好きな将監をまんまと取り込みおって。

 そんな賢い奴は、茶坊主と呼ぶがぴったりであろう」


「お主が筒井藤勝殿であることすれば、道意と名乗る茶人は、誰であるかすぐにわかる。

 死んだ、とされている、松永久秀であろう。武人のくせにこれほど、旨い茶を点てられる奴など、他に知らぬわ」


「はは。既にその名は捨て申した。

 今では、すっかり一介の茶人でござるよ」


道意があっさり認めて頭をかく。


「何を言われる。あれほど、見事に霧山を奪い取ったのは、汝のおかげであろう。

 茶坊主もかの松永久秀を軍師にするとは、うらやましい限りよ」


「はい。父の如く慕っております。それがしは、父を知りませぬゆえ」


これには、道意も驚いて俺の方を見る。

しかし、これは本当のことだ。悩みを話せば、的確な意見を出してくれる。

家臣は数いれど、今後の方針や具体的な方策を親身に相談できるのは道意ただ一人である。



「それで岐阜まで何をしに来た。今度は、わしをたらしこみに来たのか?」


「先日お渡しした伊勢分割の話の回答を聞きに参りました」


さあ、ここからが、信長との真剣勝負である。



***


茶室には、俺、信長、道意の三人が残った。

ここからは、織田家当主と筒井家当主の非公式な会談になるので、一益と宗二には遠慮してもらった。

一益は一瞬嫌そうな顔をしたが、信長から目線で促され渋々下がった。

道意は立会人である。



「伊勢のことは良い。その後どうする?」

一益の足跡が、遠ざかったの確認して、信長が切り出した。


「...? 良いとは?」


伊勢のこと一言で終わらされ、さすがに戸惑う。


「お主の考え通りで良い。

そうだな。わしがきめるのは、安濃津に三十郎をいれるくらいか。

後は、将監と話して、よろしくやってくれ」


「は、はあ」


あまりのことで、気の抜けた返事をしてしまう。


信長の頭のなかでは、伊勢の戦はすでに終わっているようだ。

「安濃津に三十郎をいれる」というのは、安濃津の長野氏を滅ぼし、信長の弟である、三十郎信包をいれるということだろう。

筒井が南伊勢を取ることは、ひとまず承認されたようだ。


「で、どうする?織田に喧嘩を売るのか?」


信長が試すように、笑みを浮かべて尋ねる。


道意が薄茶を点て、二人の前に茶碗を置いた。


信長には、嘘偽りは通じない。本心を話し、彼が理解するかどうかだ。

俺は、茶を一口飲む。


「織田と戦う気は、毛頭ありません。あるならわざわざ、岐阜まで来たりしません」


「わからんぞ。油断ならぬ、小僧だからな」

ここは、スルーしておく。


「まずは、残る志摩をを攻めます。その次に伊良湖岬付近。

海運の安全確保のために、必要ですから」


いずれも、伊勢湾の船を仕切る水軍の根拠地だ。志摩は、九鬼嘉隆が元々いた場所でもある。これらを抑えれば、伊勢付近の海運は安全になる。


「それで」

信長は、続きを促す。


「領地を広げるのは、それで終わりです」


「もういいのか?何とも欲のないものだ。その気になればもっと取れるだろう」


「いえ、充分です。広がり過ぎても治めるのが大変ですから」


小さいといっても、大和、伊賀、南伊勢を合わせれば、紀伊半島の半分近くに及ぶ。


「それからの、大湊の北西に当たる松坂に、新たに城を築くつもりです」


「ほう」


「いずれは、大湊の商人達を移転させて、岐阜や津島と並ぶ大きな街にしたい」



「わしは、近江から上方へ領地を広げ、いずれ上洛するつもりだ」


信長は、自らの野心を語る。


「そういえば、近々北畠具教が右近衛大将に補任されるそうです」


俺は、思い出したように、信長に告げる。

具教の右近衛大将補任を仕組んだのは、他ならぬ俺だが。


「何!」

信長が目を剥く。


「ご安心下され。ただのお飾りです。具教殿は京の治安維持に注力するでしょうし。

 正親町帝も、これ以上、足利氏の将軍をお認めになる気は、ないようです。

 力がなく煩いだけの足利将軍よりもずっといい。」



「上洛の大義名分はどうする!」


信長は動揺し、言葉が荒れてきている。

信長の考えの中に、足利の誰かを次の将軍として奉じ、上洛するというあったのがはずだ。

帝が、これ以上足利将軍を認められないとなると、その前提条件が崩れる。


「正親町帝をお助けする為、とされればよいでしょう。

 偽りの足利将軍に掲げ、畿内を荒らす三好ら賊を駆逐すればよいのです」


この当時、京の都は荒れに荒れていた。何をするにしろ、朝廷に金がない。

帝がおわす御所さえも満足な修繕ができないくらいである。この時代を知る上で大変貴重な資料である『言経卿記』を記した山科言経が、各地を練り歩いた理由は勧進である。都の何々を直すので寄進してくれ、と頼んで回っていたわけだ。

何を為すにも、大名からの献上が頼りだった。


「うむ」

信長は茶をのみ少し落ち着き、頭が回転し始めたようだ。


「信長殿は自らの思う道を進まれればよい。そして、天下をお取りなされ。

筒井は、そのお手伝いをいたす。必要とあらば、畿内の拠点に多聞山城と北大和を提供しても構いませぬ」



「しかる後、信長殿は関白と左近衛大将を兼ねるか、将軍になられればよい」


「知ったようなことを言いおって。で、お主はどうする?」


怪訝な表情を浮かべながら、信長は俺に尋ねる。



「俺は、海運で力を蓄え、巨大な船を作る。琉球やマカオへ行き、いつかは南蛮にも行ってみたい。

そして、海の王と呼ばれる男になって見せる」


俺は力をこめて宣言する。


「ふ。おかしなことを言う奴だ。

 面白い。乗ってやろう。わしは、日ノ本で天下を取る」


信長も力強く宣言した。


ここに奇妙な密約が結ばれることになった。

それは同時に、後の日本に大きな影響を与える大きな密約でもあった。



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