いざ、岐阜へ
永禄11年(1568年)正月
筒井藤勝は、山上宗二ら納屋の者達と伊勢のある場所で合流し、美濃へ向かっていた。
宗二らは桑名にて、滝川一益に年賀の挨拶に伺った際、織田信長との面会の場を整えてもらうようお願いし了承された。
ただ、一介の商人が岐阜城に入るのは難しいので、岐阜城下にある滝川一益の屋敷にて会うことになっている。
これでも大変特異なことなので、一益が信長を茶の湯に招く形になっている。
もちろん、納屋はそれ相応の礼をしている。
具体的には、織田と納屋との取引や関係する海運関係を全て滝川一益を取次とすることだ。
一益がこれらから手に入れる権益は、非常に大きい。
織田家には、畿内へ進出する戦略があるため、納屋との取引は、今後なお一層増大するのは確実だ。
いずれ伊勢から東海方面を担当する織田家中の随一の実力者となるであろう。筒井家や九鬼との関係で、水軍関係も担当するのも確実になる。
力が入るのも当然である。
***
「上総介様。本日は拙宅にお渡りいただきまして、誠に恐悦至極でございます」
一益は、信長に対し深々と頭を下げる。
「良い。正月の煩わしい行事やらなんやらで、丁度一息つきたいと思っていたところよ。
将監のところに来れば、旨い飯と茶が味わえるしな」
ニヤ、と、信長は笑う。
将監とは、左近衛将監の略で、一益の役名である。
尾張にいるところから、信長はふらりと、家臣の屋敷に現れることがよくあった。
いきなり来られた家臣の困った顔を見るが楽しみなのもあるが、家臣の監視と慰問の目的もある。
一益は慣れたもので、いつ来られても良いように準備していた。
外交や商業が得意で伊勢方面を担当する一益のもとには、目聡い商人や水産関係者がよく訪れる。大概は、些細な争い事の相談や便宜の取りなしである。
そのお礼でもらったりして、一益のもとには珍しいものがよく集まる。
一益もそれらを信長に献上したり、信長が食べに来たりしていた。
「では、さっそくご用意いたしましょう。納屋の者から、いろいろ珍味をいただきましたので。
暫しお待ちを」
「うむ」
しばらくして、膳と酒が運ばれてきた。
「おお。旨そうではないか。うん?見たことがないものがあるな。
かまぼこはわかるが、この黄みがかった白身魚と赤黒いはなんだ?」
「はい。それらは、納屋が持ってきたものにて。まずは、お召し上がりを」
信長は、白身魚らしいのは、一目で旨いと分かるので、後に置いておいて、赤黒い物に手をつけた。何やら味噌を付けて焼いたものらしく芳ばしい香りがする。
「おっ。歯応えがよいな。噛むほど味が出てきおる。今まで、味わおうたことがない味だ。焼けた味噌の香りもいい。飯が進むな」
「それは、鯨を味噌を一ヶ月ほど漬けたものを炙ったものです」
「くじら?」
信長は、肉を味わいながら尋ねる。初めて聞く名前だ。
「はっ。それがしもよく知り申さぬが、紀州や土佐でとれる巨大な魚の一種だそうで。
普通の魚より滋養があるそうで。この味噌焼きは土佐でよく食べているらしいのですが。
納屋が持ち帰り紹介したところ、今、堺あたりで人気だとか。漬けた状態なら、数ヵ月持つそうです」
「ほう。それは、戦に持っていくの好都合だな」
「さようです。ただの焼き味噌より、よほど滋養があり、兵たちも喜ぶでしょう」
「うむ。焼いたのをむすびに入れれば、移動中でも食えるな」
信長の言う通り、鯨の味噌漬けは、戦場食にはぴったりである。
それから、信長は、とっておいた白身の魚に手をつけた。黄みがかった照りがあり、いかにも美味しそうだった。
「これは旨い。気に入った。身がしっかりしとる。味噌の甘みもいい。酒に合いそうだ」
「殿、ご一献」
一益は、すかさず、酒を注ぐ。
「お、すまんな」
「それは、明石の鯛に味噌をまぶし、2日程置いたものを焼いたものです。
これも漬けてておけば十日ほど持つそうで。また、鯛はなかなかに採れぬ貴重品とか」
「鯛か。道理で旨いわけだ。もっと食いたいものだな」
「そうですな。伊勢で鯛がとれれば、いいですな。
鯛がなければ、鰆、鱈、はた、くえなど白身魚であれば、なんでもよろしいかと」
「うむ。なるほど。いろいろ調べてみよ」
保存技術が発達していない当時、魚は貴重品である。
あるのは、塩漬けや乾物ばかりで、味噌漬けは余りなかったのである。
「ん? お主、しゃべってばかりで、全然食っとらんではないか。主も食え。旨いぞ」
「は。頂き申す」
一益は、そういって、食事を食べ始めた。
実は、膳は一益の分も用意されていたのだが、全く手をつけてなかったのだ。
***
「いや、馳走になった。旨かったぞ」
信長は、酒も少し入り、上機嫌だった。
ここで、一益は今日の本題を持ち出すことにする。
「実は、殿」
「ん? 申せ」
信長は、不審げに一益を見る。
「はっ。しからば。実は、今日の肴を用意した納屋の者が、お目通りを願っているのですが、会ってやって、いただけますでしょうか」
「うむ。よかろう」
信長は、上機嫌に答えた。
「ありがたき、お言葉。では、早速」
一益は、そばに控えていた家人に声をかけた
「納屋の者達をこれへ」
「はっ」
家人は、短く答え、駆けていった。
しばらくして、三人の男が、入ってきた。
もちろん、その内一人は藤勝である。入ってきて平伏する。
「殿、紹介いたし申す。
納屋の手代で、山上宗二殿、同じく城介殿、後ろに控えるは、納屋が懇意にしている茶人の道意殿でござる」
「で。あるか。納屋の宗二とやら。
旨かったぞ。また、旨いものを持ってこい」
「はっ。ありがとうございます」
宗二は、織田家当主からに声をかけられ恐悦し、固まっていた。
「鯨の味噌漬けは、尾張、美濃でも流行るであろう。沢山作って持って参れ。
織田家でも百ほど買うてやる」
こちらは、一益である。信長ばかりに話させるわけにはいかない。
「はっ。今あるものを、すぐにでもお持ちいたします」
宗二は、再度平伏した。
「そう言えば、納屋は唐船を持っているんだったな」
「昨年、殿より頂いた資金を持って、二千石積み一隻、一千石積み二隻を運用しております」
「二千石積みもあるのか? 見たいものよ」
信長は、夢見るように言う。
二千石積みなど、尾張、伊勢では聞いたことがない。
想像出来ない大きさだ。
「津島によく来てるようですので、その内、見かけることもありましょう。尾張、三河からは、主に木綿を運んでいるようです」
「ご注文の品を積み込み、持ってこさせます。その際に是非ご観覧下さりませ」
宗二が答える。
「おおっ。頼むぞ」
「殿。後ろに控える道意なる者。堺の者達も一目置く茶の湯名人とか。
彼の者に本日の茶席を任せたく存じますが、よろしゅうございますでしょうか?
それがしも、先に頂きましたが、旨うござりました」
「主が、言うなら確かだろう。任せる」
「はっ。では、用意させますゆえ、暫しお待ちを」
場は、茶室へと移ることとなる。
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