源氏長者
永禄10年10月 信貴山 朝護孫子寺
伊勢の多芸御所より帰ってきた藤勝は、その足で朝護孫子寺に向かった。
無論、道意こと松永久秀に会うためである。
幸い、道意は自室に居り、すぐに会うことができた。
「藤勝殿、いかがなされた。呼び出してくれれば、城にいくものの。
久しぶりに茶の湯と思っておったのに」
道意は、信貴山城の茶室が好きなのだが、一人で行くわけにもいかず、少々ご無沙汰らしい。
「事が急を擁すので、気が急きまして、来てしまいました。
久しぶりに来ましたが、ここからの眺めもいいですね」
時は10月初旬、もうすぐ紅葉の季節だ。信貴山には、楓が多い。
それこそ、全山が燃えるように赤く染まる。
「そうであろう。麓側の壁を取り去り、障子を入れたのだ」
なるほど、障子にしたことで、光が入り室内も明るい。
道意も時間があれば、自分の創意で、色々といじっているようだ。
「少し下に東屋を作ったのだが、そこからの眺めは格別だ。行ってみるか?」
「ええ。是非に」
「よし。案内して遣わそう」
道意が案内してくれた東屋は、素朴ながら見事なものだった。
少ないながらも茶道具も揃えてある。こちらも障子が入れられ明るい。
障子をあければ麓をよく見渡せる。
「素晴らしいですね」
藤勝は、素直な感想を述べた。
「ここで、喫む茶もまた格別なのだ。
よし。茶を点てて進ぜよう。湯を沸かすから暫し待たれよ」
「お気遣い、痛み入ります」
藤勝は、道意に頭を下げる。
「なあに。これが唯一の楽しみよ。お主もろくに休んでおるまい。ゆるりとされよ」
道意は、炭を用意して、火をお越し、湯を沸かし始める。
藤勝は、東屋の縁側に出てみた。本当に、麓がよく見渡せる。
これなら、敵が攻めてきたら丸分かりだろう。案外その辺りも狙っているのかもしれない。
中に戻ると、湯が沸き、茶の湯の準備が整っていた。
腰を下ろすと、道意が薄茶を点ててくれた。
早速、頂く。これがまたおいしいのだ。気持ちがやすらぐ。
「ふう」
「ふう、ではないわ。朝っぱらから駆け込んで来たくせに、のんびりしおって。
火急の用件ではなかったのか 」
道意は、藤勝がのんびりしているのを見て、苦笑していた。
「ことのほか、心地よく、あやうく用件を忘れるところでした」
藤勝も苦笑する。
「実は...」
「何じゃと!北畠具教を「源氏長者」と「右近衛大将」に推挙するだと!」
道意が驚くのも無理もない。
「源氏長者」とは、武家最高の称号であり、「近衛大将」は武官の最高職だ。
ちなみに征夷大将軍は、あくまで臨時職であり、官位も低いものだ。
「多芸御所を乗っ取る際に、北畠家存続を条件にしましてが、伊勢に置いていては、後々災いのもとになります。
それなら公家に戻してしまった方がいいかと思いまして」
「確かに名門のやつらのことだ。
諸手を挙げて喜ぶだろうが、全く大それたことを考えるのう。だが理にかなっておる」
ううむ、と唸りながらも、それらの意味と効果を即座に理解したようだ。
「やるなら、とことん利用しませんとね。
屋敷は、筒井が余っている物を買い取り修築して提供します。
金が必要なら筒井が月一千貫程、用立てすればいいでしょう」
藤勝は、黒い笑みを浮かべる。そう。金であり、土地ではない。
その意味は、明白である。
「お主もなかなか黒いの。
右近衛大将ともなれば、さすがに月二千貫は必要だろう」
道意も、不気味に笑う。
「源氏長者」は、武家最高の称号である。
征夷大将軍とセットのようなイメージがあるが、これは徳川幕府からで、室町時代までは、一部の例外を除き、公家の村上源氏の系統が継いできた。
元来、「源氏」と言えば、村上源氏のことであった。藤原道長の息子で関白頼通の養子、源師房を祖とする、由所ある家柄である。
平安時代において武家の清和源氏は、公卿の警護や地方の受領でしかなかった。
北畠家は、村上源氏の支流、中院家の分家に当たる。宗家の久我家に適当な人物がいない場合、中院流の中から選ぶことになっていた。
後醍醐天皇によって一度、北畠家の親房が「源氏長者」に補任されたことがある。
この時点で「源氏長者」と「右近衛大将」は久我通堅であるが、勅勘(帝のご勘気に触れること)を被り、解官が決まっていた。
中院家は領地を土豪に横領され破綻状態、堀川・土御門・六条の諸家は既に断絶している。
村上源氏で相応の力を保持しているのは、北畠のみと言えた。
朝廷というものは、いつも時代も、先例主義だ。
北畠親房という先例があるが大きい。その上、北畠具教自身も人望がある。
上泉信綱など武芸者を援助し支持も高い。自身も当代有数の豪の者であり名声もある。
朝廷にも度々献上しており、帝からも頼りにされていた。
具教をこれまでの貢献を応じて、大納言あたりに昇進させ、「源氏長者」と「右近衛大将」に押し込むことは、それほど難しいことではない。
不都合があれば、具教に久我家か中院家を継がせるのもありであろう。
「源氏長者」を北畠が保持する限り、徳川家康が征夷大将軍になることも不可能となり、徳川幕府を阻止することになる。
ちなみに徳川家が清和源氏であるという根拠は何もない。素性のわからない三河の土豪である。
家康は、豊臣政権までの頃まで、藤原姓をであった。実際に、藤原家康と署名した書簡ものこっている。
清和源氏に変更したのは、関ヶ原の戦いの後、征夷大将軍になるためであり、後から作られたものである。
そのためにも、源氏長者の格付けが必要だったのだ。
実力がある北畠具教が「右近衛大将」になることの意味は大変大きい。即ち、現足利幕府の否定である。
「右近衛大将」北畠具教を中心に正親町帝を盛り立て、足利幕府は13代義輝で終焉でよいとの意思表示になる。
現在、畿内で力を持っている三好の権威はがた落ちであるし、彼らの足利義栄を14代将軍にしようとする工作も全て無駄になる。
義昭の15代将軍もなくなろうが、彼的には、その方が幸せであろう。
また、これは大きく勢力を伸ばす織田信長に歯止めをかけるブレーキの効果も狙っている。
「面白い。長逸等に対して、最高の当てつけになろう。やってやろうぞ」
藤勝らは、義父の九条兼孝や興福寺などに協力を要請し、文字通り駆けずり回った。
幸い、公卿達も具教に好意的であり、とんとん拍子で話が決まり、年末までに全ての内諾を得ることができた。
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