北畠具教捕縛
永禄10年(1567年)8月20日
北畠の陣に思わぬ急報が入ってきたのは、軍議中のことであった。
伊賀衆が構築した砦群を攻めあぐね、対策を練っていたのだ。
そこへ、急使が飛び込んできた。
転げ落ちるように馬から降り、軍礼を取る。
「申し上げます!」
「何じゃ!今、軍議中ぞ!」
家老の剣幕にも、ひるまず使者は言う。
「誠に申し訳ございませぬが、火急の件にござりまする」
「わかった。申してみよ」
「はっ。去る17日に稲葉山城が織田方の攻撃により落城した次第」
「なんじゃと!馬鹿なことを申すな!
堅城の稲葉山がひと月もたたずに落ちるわけがあるか!ふざけたことを申すとたたっ斬るぞ!」
稲葉山城は、かの斉藤道三がつくりあげし、天下の堅城である。まさか1ヶ月で落ちるなど誰も信じることができないし、あってはならない。
北畠の伊賀攻めも織田の稲葉山城攻めが、二ヶ月以上掛かると想定して、動いている。
その前提条件が崩れるのだ。
そこにいたもの全員が、疑いの目で使者を睨みつける。
「誠にございまする!織田方は、西美濃三人衆を予め味方につけていたとのことでございまする。
織田方は、一部が既に尾張に戻り、北伊勢に向かっているとの情報もございます」
急使の者は、平伏して頭を地面に擦りつけて言う。
激高した者が更に使者を問い詰めようとしたが、それを具教は制した。
「やめよ。にわかに信じがたいが、この者が嘘を申しているとは思えぬ。
それに、西美濃三人衆が内応していたとなれば、稲葉山が落ちるのも道理よ。
まずは、確認が必要だ。すぐに北伊勢の神戸に使いを出せ」
意外に落ち着いている具教が指示を出す。
神戸とは神戸具盛のことで、北伊勢の雄であり北畠と関係が深かった。
「はっ」
***
しばらくして、更なる急使が入ってきた。
稲葉山城を落とした織田方は、一部の兵を残して即座に美濃より撤退した上、滝川一益を先鋒として北伊勢に侵攻。北伊勢の豪族の一部を内応させ、南下しているとの知らせだった。
「かくなる上は、急ぎ霧山へ撤退し、各将を居城へ帰還させねばならぬ。無念だ」
具教は苦々しく言う。
「伊賀忍を多く討ち申した。充分、具房様の敵は討てたでありましょう。今は速やかに撤退すべきです」
重臣達を同調する。
「とはいえ、ここは伊賀の最奥。追撃があることも考えると、ゆるりとしか帰れぬな」
具教は、疲れたように言う。
だが、その言葉は正しい。重臣たちもうなづく。動揺してばらばらになれば、各個撃破されるだけである。守りを固めれば襲撃も少なくなるはずである。
そこへ、使い番が飛び込んできた。
「申し上げます!」
「木造具政様と中伊勢の国人衆が、突如陣払いし、退却をし始めております」
「何!そのような指示はしておらぬ!何を勝手な!」
「軍目付の水野殿はどうした」
「はっ。水野様は具政様に斬られたようにございます」
「おのれ!具政め!北畠の家を潰す気か!?今、纏まりを失えば、奇襲を受けるのは必定。それがわからんのか!」
具教は、地団駄を踏み怒り狂うが、後の祭りである。
具教の本陣も木造勢の居た、東側がガラ空きになり苦境に陥る。
木造具政は北畠具教の実弟であるが、兄とは違い腑抜けたところがある。
昨年の評定で叱責を受ける屈辱を味わい、今回は軍目付をつけられ飾りにされた。そのほかにも日頃から北畠本家からの木造家の扱いの悪さなど不満があったことによる行動であった。
木造らは、伊賀衆と単独で和睦し追撃を受けない約束を取り付け、居城である中伊勢に向け退却を始めた。
もはや、木造らにとっては、北畠の家よりも中伊勢にある己の領地の方が大事であったのだ。
「ええい。もうよい。すぐさま陣払いじゃ。霧山に向け、一丸で撤退する。急げ!」
具教ら本隊は、急ぎ撤退準備を済ませ退却を始めたが、各所で妨害を受け、遅々として進むことができなかった。
特に南伊賀では、村落を焼き討ちにしたために憎悪されており、執拗な襲撃をうけることになった。
襲撃には、北伊賀の忍びや変装した筒井の若衆も混じっており、甚大な損害を受けることになった。
北畠具教らが霧山城に帰還できたのは、30日のことであった。
幸い具教は、手傷を負うことはなかったが自ら太刀を抜かねばならぬ場面もあったという。
具教が率いた南伊勢衆は、逃亡も含めて半数近くの兵を失っており、皆々居城に帰り立て直すことになった。このため、一時的に多芸御所は、守備兵が極端に少なくなっていた。
***
永禄10年9月初旬 北畠具教居室
その日は、大変月の出が遅く墨を流したような闇夜であった。
襲撃者はひそかに具教の居室に入り込み、愛用の太刀を奪った。
このとき具教は目を覚まし飛び起きたが、次の瞬間、強烈な当て身を受け気を失う。
襲撃者は具教を縛り上げ、応援を呼び居室より運び出す。
ほんの僅かの時間の出来事であった。
いつもの具教であれば、侵入された時点で気付くであろう。だが、この時は違った。先の戦で多くの武将を失ったため、具教自ら軍務の指揮を執ることになり、激務で疲れてしていたのだ。
しかし、かの具教を至極簡単に捕らえるとは、凄まじい手練である。
もちろん、その忍びは藤林長門であった。
***
次に具教が目を覚ましたときには、布団に寝かされていた。
どこかの寺であるらしい。太刀は奪われたままのようで、その部屋にはなかった。
当て身を受けたらしい身体が痛み顔をしかめる。また、少し痺れが残っており、どうにもうまく身体が動かない。
そこへ見知った男が入ってきた。
具教の義理の兄である北畠政成であった。
「御所様、お目覚めになられましたかな」
「政成。おぬしの仕業か。わしを捕らえて如何する」
具教は、政成の方も向いて声を張り上げた。
「お静かに」
正成は諭すように言う。
次の瞬間、背後に忍びが下りてきて、具教に七首を突き付けた。
「くっ。何をたくらんでおる」
「御所様には隠居の上、隠棲していただきます」
「なぜに」
「御所様は、皆々に苛烈な主命を与え、無益な戦を繰り返されました。今や伊勢の民は下々のものまで疲れ果てておりまする」
「ゆえに、御所様には隠居していただき、伊勢を筒井殿にお任せすることに致し申した」
「筒井だと!まさか、伊賀の件も筒井が仕組んだことだったというのか!おのれ!」
次の瞬間、具教は首に手刀をくらい、再び意識を失い倒れた。
「御所様。申し訳ございませぬ。これも北畠の家を保つためにございまする。其れがし、ことがなれば腹を召す覚悟にて。何卒お許しを。何卒」
政成は、意識のない具教に謝り続けた。
具教は、伊賀の寺に送られ、しばらく隠棲秘匿されることになる。
公式には、具教は病ということになり、三男の北畠親成が当主代行に就き、政成が陣代兼家老につき、北畠家を動かしていくことになった。
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