蟹江城にて
大変遅くなりました。
史実にないことを作り出していくのは、難しい。
少し時間が遡り、永禄8年秋
山上宗二は、筒井藤勝に対面してしばらく後、伊勢に入り調査をしていた。
主人である今井宗久の指示もあり、伊勢に支店を出すべき場所を探していたのである。
筒井藤勝からの依頼で、伊勢の諸侯や織田方の滝川一益などと関わりを持つことも同時行っている。
伸び盛りの織田家との商売することは莫大な利益に繋がるし、堺~伊勢の経路を開拓すれば、こちらも大きな利益に得ることができる。
筒井からの話は、納屋にとっても渡りに船である。
この大仕事を任された宗二は、大いに張り切っていた。
さて、伊勢という国は、南北長い大きな国である。
最大勢力は、北畠顕能以来国司を勤める南伊勢の北畠であるが、北伊勢は、神戸、長野、関など中小の勢力が入り乱れていた。
また、木津川と揖斐川、長良川の河口には、一向宗徒の一大拠点である長島がある。
尾張の大名織田信長の指示を受けた滝川一益が、蟹江城を築き北伊勢の諸侯へ調略、切り崩しを行っていた。
商いで栄えている町も、長島の対岸にある桑名十楽の津、長野氏の安濃津、伊勢神宮の外港である大湊などがある。
中でも大湊が最大の町である。伊勢神宮の影響もあり、堺に似た自治の町でもある。
独自の港を持ち、廻船問屋もある。なんと船を建造する造船所まであった。
初めに伊勢で支店を構えるのであれば、やはり大湊になるであろうか。
伊勢国内はもちろん、尾張や三河等への中継点になる。
但し、五十鈴川の河口にあり、今以上に大きく発展する余地がない。
納屋が支店を開くのみなら十分であろうが、大名が商業地として開発することは難しいと思われた。
その後も宗二は、北上しながら、伊勢各地の町の調査を続けた。
永禄9年(1566年)1月
山上宗二は、蟹江城に滝川一益を訪ねていた。
宗二が蟹江城を訪れるのは、初めてではない。既に何度となく滝川一益やその家臣と会っている。
今回は、新年の挨拶をかねて、ご機嫌伺いにで訪問である。
‘たまたま’尾張に来ていた筒井家の本多正信殿も同行して来ている。
ちなみに本多正信も主君である筒井藤勝様の指示を受け、伊賀、伊勢各地を歩き、諸侯の動向や城の調査をしていた。
2人は、度々会い情報の交換をしていた。宗二が調査した内容を正信に伝えれば、藤勝様に伝わる。
納屋にとって筒井家は上客であり、筒井家が伊勢に進出すれば、納屋の利益につながる。
情報を提供することによって、後々活きてくるはずである。
蟹江城の守備兵とものともすでに顔見知りである。すぐに取り次いでくれた。
しばらくして、面会の間
滝川一益様が入ってこられた。平伏してお迎えする。
「おおっ。宗二殿、待っておりましたぞ。おや、これは本多正信殿。久しぶりですな」
「滝川様。新年あけましておめでとうございます。本日はご挨拶に参りました。
正月のご多忙の折に参りまして、恐縮にございまする」
再度平伏してあいさつする。
正信も頭を下げる。
「なに、構わぬよ。正月の多々の儀式やらで、ちょうど辟易としていたところだ。いい息抜きになる。
ところで正信殿、いつの間にやら、商人になられたのか?妙に似合っておりますぞ」
はは、からかいつつ、一益がいう。
正信の格好は、武士らしくない軽装である。
「そうですな。商人の方が、気が楽かもしれませぬな」
にやりと笑う。
滝川一益は、甲賀の生まれというのが有力であるが子細は不明。
主君の織田信長が若いころから仕える織田家屈指の有力武将の一人である。
どこの馬の骨とも分からぬ男であるが、鉄砲の名手であり外交等の才もある文武両道の武将だ。木下藤吉郎と並ぶ出世頭である。
また一益は織田家には珍しい文化人でもあった。
武田滅亡の際に領地ではなく「珠光小茄子」を所望したという逸話がある。
そこに付け込んで、宗二は度々茶葉や茶器を納めていた。もっともそれほど高級品ではない。
筒井の領地で取れた大和茶や赤膚焼の茶碗などである。
「今日はご所望の茶葉の他に、新作の茶椀をお持ちいたしました」
木箱から取り出して、小姓を通じてお渡しする。
形は楽茶碗をなぞったものである。
「滝川様の好みに、赤黒く焼いてみました」
「ほう。なかなかいいではないか。渋みがある。茶の蒼さが映えそうだ」
しばらく、世間話に花を咲かせた。
***
話が一息したところで、今回訪問の要件を切りだす。
「ところで、滝川様」
「ん?」
訝しげに顔を上げる。
まだ茶碗のことで頭がいっぱいのようだ。
「我が納屋は、伊勢と尾張にに商売を広げようと思っております」
一益は、何かわかったようである。さすがに頭がいい。
「ははん。今日来たのは、それか。で、わしに何をさせようと思っておるんだ?」
「堺から尾張や伊勢へは陸路しかなく、遠いのでほとんど行き来がございません。
ですが、海路でつなげば時間も短縮し、物も大量に運べます」
「海路だと?今ある安宅や千早では、堺までは行けんぞ」
当時の船は、安宅船や関船、千早と呼ばれる手漕ぎ船(ガレー船)が主流である。これらの船は、帆がなく遠洋航海には向かない。
「おっしゃる通りです。ですのでこれを使います」
図柄を描いた紙を出し示す。
そこには、帆船の一種であるジャンク船が描かれていた。
「何だ。唐船ではないか」
「左様でございます。ですが、我々が作ろうとしているのは、3千石積、5千石積の船にございます」
「何、そんなに大きいのか」
「はい。ですが、それだけの船を複数建造する金子は納屋だけでは足りませんし、
運用する水夫もおりません。その確保にお力をお貸しいただきたいのです」
「ううむ」
一益は、腕を考えている。
「船を運用するとすれば、主な行先は織田様の尾張になります。
筒井家もご協力頂けることになっていますし、根来の津田様とも
お話しています」
「何!?根来とな。つまり、鉄砲も扱うつもりなのか?」
「左様です。織田様に鉄砲や火薬を融通するのも、可能になると思います。
尾張、三河からは木綿を運ぶつもりです。
大きな船ですから、改良すれば軍船にもなりましょう」
「だが、筒井が何の関係があるんだ?海のない大和の人間ではないか」
「筒井家は、根来の津田家と親しい関係があります。この海運の案自体が筒井家の藤勝様の発案なのです」
「筒井藤勝殿か。いろいろ噂は聞いておる。どんな方のなのだ?」
「はい。いろいろなことを考える、なかなか面白い方ですよ」
宗二は、にっこりと笑いながら答える。
「よし、近々殿に会う予定があるから、話してみよう」
「一益殿。わしも同行させてくれぬか」
ずっと黙って聞いていた、本多正信が言った。
いきなり言われたので、一益、宗二とも正信の顔を見る。
「是非とも、信長殿にお会いしたい。殿からこの書状を預かっているのだ」
懐から書状取り出して、一益の前に出した。
「拝見してよろしいか?」
一益は、正信の顔を伺いながら言う。
「ご随意に」
「では・・・」
一益は、包紙を開き、書を読んだ。
「!?」
一益は驚いた顔で、正信を見た。
正信が頷く。
そこには、「筒井と織田で、伊勢を分割しよう」
と書かれていたのだ。




