表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/39

最悪の客人と有望な若者

ついに、この時が来てしまいました。

運命の人、登場

永禄8年10月下旬

信貴山城 藤勝居室


いつも通り、俺は決済の山を処理をしていた。

そこへ松倉右近がやってきた。


「殿、お会いしたいという方がお越しです」


「うん。誰かな?」

気軽な気持ちで聞いた。仕官だと思った。


「細川藤孝殿とお供の方数人でござる」


俺の身体に激震が走る。


「・・・。今何と言った?」

震える声で、もう一度聞く。


右近は答える。

「はあ、細川藤孝とそのお供と」


「細川藤孝」と「お供」

お供ってやっぱあの方?会いたくねー。


「今忙しいので、後日改めて貰ってくれ」


「は?既に、書院にお通ししておりますが。

当然お会いになると思いましたので」


細川藤孝は亡き足利義輝の重臣であり、義輝に面会したことがある藤勝は藤孝と面識がある。

当代きっての文化人でもあり、古典や書などに造詣が深い大変有名な人物だ。


ただし、俺が乗り移ってからは、会っていない。意図的に避けていたのだ。

会うしかないのか?大物が向こうから来たのに、会わないのは不自然だよな。

どちらかにしてもいつかは会わないといけないし。

でも、やだな―。


「わかった。後ほど参る」



***


信貴山城 書院


書院には、2人の壮年武将が待っていた。

一人は、藤孝であろう。


俺は、ゆっくりと座る。

「藤孝殿、ご無沙汰いたしております。お元気でしたか」


当たり障りのない話をして、帰ってもらおう。


「藤勝殿、息災でござったか」

うやうやしく答える。


「おかげ様で」


「しかし、近頃の藤勝殿のご活躍はすばらいいですな。興福寺の件しかり」

来た、興福寺の話。話をそらさないと。


「いやいや、あれは上人がなされたこと。私は何もしておりませんせんよ。

それよりもこの前、松永久秀に攻められ、冷や汗をかき申した」


「あれも鮮やかであったそうで」


「いや、久秀めを取り逃がしまして、誠に残念です」


「久秀は、帝の禁を破った不届き者ですからな。」


「はい。摂津に逃げたらしいですから、三好殿が必ずや討ってくれるでありましょう」


「そうですな」



「ところで、そちらの御仁は、どなたでございます?」


「ああ、藤勝殿は、初めてでしたかな。少し前に召し抱えた者で、明智十兵衛と申す」


出たーーーー!俺の死亡フラグ!

やはりそうだったのね。できれば、会いたくなかったです。


筒井順慶は、光秀の傘下になったことから、運命が暗転するんだよね。

絶対関わらんぞ。絶対に。


「筒井藤勝でござる。よしなに」


「十兵衛は、鉄砲の名人でしてな。その上教養人でもある。少ない家臣のなかで、重宝しておる。

多くの家臣をお持ちの藤勝殿が羨ましい」


「はは、血の気多い奴らばかりで、大変でござるよ」


さて、そろそろお帰りいただこうかな~。


「時に、藤勝殿。覚慶様の行方をご存じござらぬか?」

藤孝が思い出したかのように、切り出してきた。

もちろん、これが訪問の目的である。


「覚慶様?」

やっぱ聞いてくるのね。ま、あたりまえか。

ここは、とぼけておこう。


「亡き足利義輝公の弟君、一乗院門跡覚慶様ですよ。ご存じでござろう」


「ああ、その覚慶殿ですか、もちろん存知あげております」


「行方をご存知ではないか?」


「たしか、久秀が襲撃された際に、既に一乗院におられず、難を逃れたとか」


「藤勝殿が関わっておられるのではないのか?」

覗き込むようにみられる。やばい。


「私も興福寺の方にお聞きしましたが、行方はわからぬとしか」


「お主の領内のことであろう。本当にご存じないのか?」

藤孝がいらついてきている。


「いや、申しわけござらねど、行先についてはわかりませぬ」



「うむ。そうか・・・。申し訳なかった」

藤孝が折れた。

光秀は一言も言葉を発さず、俺の心を読むようかのように、俺を見つめていた。


「覚慶殿を如何されるおつもりなのですか?」


「知れたこと。覚慶様は、義輝公の弟君。正統な将軍候補ですぞ。是が非でも将軍職について頂き、義輝公の無念を果たして頂かなくてはならぬ」


「細川殿は、三好と対峙するおつもりなのですか?」


「もちろん、三好が押す義栄は認められぬ」


「ならば、強力な支援者が必要ですな」


「うむ。そうなのだが・・・」



***


細川藤孝一行は、夜も更けたので泊っていくことになってしまった。

本当は、とっとと帰ってほしかったのだが。


その夜、厠に立った時

藤孝らが泊っている座敷の縁側に、一人の青年が座っているのが見えた。

青年というよりまだ少年に近い。何か気になり、声をかけた。


「少年よ。このような夜更けに、何をしておる。早く寝られよ」


なんと少年は、涙を流していた。


「如何なされた。男は泣くものではないぞ」


「これから、また流浪の旅が続くのかと思い、悔しくて」


「それも主命であろう。仕方有るまい」


「この頭の中には、多くの知識が埋まっているのに。それを使えないのが悔しい。

生まれたからには、天下一の男になりたいのです。

流浪の身のまま、終わりたくはない」

自らの頭を差して、叫ぶように言う。


「そなた、名はなんと申す?」


「若狭の生まれにて、沼田祐光と申します。藤孝様の小姓を務めております」


「そうか」

「もし、藤孝殿に仕えるのが辛いのであれば、暇をもらうかして、俺の元に参るが良い。

もっとも、俺がそなたが求める主に値するかどうかは、わからんがね」



翌日、藤孝らが出発する際、小姓の沼田祐光の姿が見あたらず小さな騒ぎになった。

藤孝も将来有望な祐光に少なからず期待をかけていたのだ。

当たりを探してみたが見つからず、仕方なく出発することになった。


姿を消した祐光は、筒井の領内を歩いてみて、藤勝がなしていること、評判などを調べてみた。


しばらくして、仕官するため信貴山城を再度訪れる。

藤勝が自分が求める主なのかは、まだわからない。だが少なくとも、藤孝の元にいるよりは、

ずっといいはずだと思う。その顔は、希望に溢れていた。



*明智光秀について

その前半生は謎につつまれている。

信憑性の高い史書に明智十兵衛の名が出てくるのは、足利義昭が将軍になった後

の本國寺の変が最初である。朝倉家の家臣だったとの説も通説であるが、

最近の研究では幕臣の細川藤孝の家人であったとの説の方が有力。

この説だと、朝倉義景の元に身を寄せていた足利義昭が、頭角を現した織田信長に使者を出し、

その使者が光秀だった。

義昭と信長の間を往復している間に、信長が光秀を気に入り引き抜いた、という方が自然になる。


*沼田祐光について

史実では、津軽為信の軍師になる人物。前半生は、生誕日を含め不詳。

諸説あるが、若狭武田氏の傘下であった沼田氏の生まれというのが有力。

若い時、細川藤孝に仕えていたとの説があり、その説が正しいのであれば、

藤孝が義昭に従い朝倉に身を寄せていた頃までに、藤孝の元を離れたと思われる。

恐らく長い流浪生活に絶望し、東国へ旅立ったのだろう。

義昭が信長を頼り美濃に移った頃まで仕えていたら、離れることはなかったのではないか。

信長や織田の諸将に会っていれば、刺激を受け成長していたはずだから。

もしそうならば、もっと歴史に名を残していただろう。

作者はそう思う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ