永禄の変
永禄8年(1565)年5月19日
摂津から三好義継、三好三人衆、松永久秀らを主力とする軍勢が京に侵入、将軍足利義輝の室町御所を包囲した。世に言う永禄の変である。
この時義輝と共にいたのは、義輝の生母慶寿院、正室他婦女子と側近ら僅か数百程度のみであった。なぜか細川藤孝ら主だった家臣はほとんどが不在で、難を逃れている。
義輝らは、三好の大軍相手によく戦い、午後まで持ちこたえた。
特に義輝は、所有の名刀を畳に突き刺し、刃こぼれしたら取り替え、敵を切りまくったという。義輝は塚原卜伝や上泉信綱から直接教えを受けた当代有数の剣の使い手であった。まさに剣豪将軍の面目躍如である。
だが多勢に無勢。一人、一人と倒れていき、義輝を含め全員が戦死した。御所にいた生母と 側室は自害して、義輝と運命を共にした。身重であった正室は実家に戻されたが、生まれた子は殺されたという。
また、直後に相国寺鹿苑院院主であった実弟周暠も三好の襲撃を受け捕らえられ、殺された。
5月20日
信貴山城 筒井藤勝自室
ドタドタドタという音がして、島左近が駆け込んで来た。
「殿!一大事でござる!」
俺には、何が起こったか既に分かっている。努めて冷静に言う。
「一体どうしたんだ。びっくりするじゃないか。まあ、落ち着け」
「落ち着いてなどいられませぬ。将軍足利義輝公が三好に討たれ申した!」
「何ぃ!」
俺は、目を閉じて俯き、心の中で手を合わせる。
事件のことを知りながら何もすることもできなかった。申し訳ない気分でいっぱいだ。
「殿!」
左近が急かすように言う。おれの指示を待っているのだ。
「ひとまず、何が起きるかわからぬ故、守備を固めるように指示を出してくれ。それから筒井城の順政叔父上にも守備の固めて、城から一歩も出ぬようと、に使者を出してほしい。恐らく問題ないと思うけど」
「はっ!」
「それから、皆を至急集めてくれ」
「ははっ!」
***
半刻後、評定の間
信貴山城の主だったものが集まっている。
「都より急使があり、将軍足利義輝公が討たれたとの連絡があった。これについて皆の意見を聞きたい」
「ここはまず、哀悼の意を表明して動かぬのが寛容と存じます。三好の動向を探るべきでしょう」
「もしものために、筒井城へ援軍を送るべきでは?」
「興福寺には、義輝公の弟君、覚慶がいらっしゃる。周暠様と同じく襲撃される可能性がございます」
「殿、いかがいたしましょうか?」
松倉右近が尋ねる。
俺は、少し考えてから答える。
「やはり、ここは動かず、諸大名がどう動くか探る方がいいだろう。万一に備えてすぐ動けるように、軍勢の用意はしておいてくれ」
「はっ」
「興福寺を三好勢が襲撃する可能性がある。そのついでに大和に攻め込んでくる可能性もありえる。連絡を密にして、監視を怠らぬように。万一三好勢が侵入しても専守防衛だ。こちらから戦を仕掛けることはまかりならん」
「それですと、覚慶様の御命に危険が」
「いや、大丈夫だ。三好も強大な勢力をもつ興福寺を敵に回すことはしないだろうから」
「はあ。」
納得いかない表情をしているが、引き下がった。
本当は、覚慶は既に、興福寺にはいない。ただこれは一部の者しか知らない秘密である。
***
5月23日早朝
松永久秀が率いる三好勢が南下、興福寺を完全に取り囲んだ。
足利義輝の実弟、覚慶を捕えるためであった。義輝を討ち、弟の周暠を殺した今、義輝の後継者になりえる覚慶だけであったからである。
覚慶を殺せば、三好方が次期将軍につける予定の義栄の地位が盤石となる。
興福寺を囲んだ三好勢はやがて、異様な雰囲気に気付く。本来、これだけの大軍が侵入すれば、興福寺が誇る僧兵が大挙して出てくるはずであるが、その気配もなく静まり返っていたのだ。
足利義輝の実弟の覚慶がいる一乗院を任されたのは、松永久秀の重臣奥田忠高である。奥田忠高は大和山添の畑城主であるが、古くから松永久秀に臣従し行動を共にしていた。
様子を見に行った部下が戻ってきた。
「殿、一乗院は静まり返っております。こちらの問いかけにも返答がございませぬ。いかがいたしましょう。一気に攻めますか?」
「いや、一乗院は有初ある興福寺の門跡寺院。できればことを荒立てたくはない。我等は覚慶さえ押さえればよいのだ。わしが行こう」
忠高は一人で門に向かった。
おかしい。どうして、これだけの大軍に囲まれながら、何の反応も示さないのだ。
忠高は、内心首を傾げながら、門の前で叫んだ。
「開門!」
しばらくすると、小坊主が出てきた。
「何用でございますでしょうか?」
「松永久秀が家臣、奥田忠高である。お取次ぎ願いたい。」
「少々お待ちくだされ」
四半刻程待たされ、イライラしてくるところに、やっと年老いた僧が出てきた。
「お待たせいたした。いかなる御用であらされるかな」
忠高は、この老僧を切りたくなった。何でこうも相手は冷静でいられるのだ。やっとのことで、怒りを抑えて言い放った。
「こちらにおわす覚慶を引き渡し願いたい。断るのであれば実力行使に出るぞ」
「院主の覚慶様でございますか?」
「他に誰がいるんだ!」
「覚慶様はこちらには居られぬ」
「何?今、何と言った!?」
忠高は眼を剥いて叫ぶ。
「だから、覚慶様はこちらにはおわさぬと申したのじゃ」
「もう数ヶ月になるかの。何か思うところがあられるのか『諸国を巡礼したい』と仰られてな、僅かな供とともに旅立たれた」
「何だと!?そんなことがあるわけがあるか!!」
忠高は驚愕し、声を荒げた。
「疑うのであれば、ご自身でお調べになるが良かろう」
忠高はすぐに兵を百名ほど入れて入念に調べさせたが、覚慶の姿はどこにもなかった。
「覚慶はどこへ向かったのだ?」
「さてな、まずは初瀬へ向かうと仰っておられたが、その後はわからぬ」
忠高は絶望的な気分になった。久秀様にどう申し上げればいいのかわからない。
ひとまず一旦引くしかない。
「ああ、そうじゃ」
「何だ!」
「三好殿は、恐れ多くも帝が『第一の学舎』とし『何人も武装して入るべからず』と仰られた興福寺に大軍で押し入るとは何を考えておられるのじゃ?」
「何、だと?」
忠高は二度驚愕した。
「そそそんな、馬鹿な・・・」
「おや?ご存じなかったのか?」
「これは写しじゃがの」
忠高は、老僧が出した書を引っ手繰るように取り、開いて読んだ。
其処には、興福寺を「日の本第一の学舎とし『多聞院学舎』の設置を認める旨」と「いかなる武装勢力の立ち入ることを禁ずる旨」が書かれていた。
「あああ・・・」
忠高は衝撃の事実を知り、足元から崩れ落ちた。自分は帝のご意思を踏みにじったことになるのだ。
やっとのことで立ち上がり部下に退却を命じ、主人松永久秀の元に向かった。
この様に重大な事実は一刻も早く久秀様に伝えなければならない。だがその姿は魂が抜けたようであった。
忠高から報告を受けた松永久秀は同様に驚愕し、興福寺にしてやられたことに対し怒りに打ち震えたが、後の祭りであった。
知らぬとは言え、正親町帝のご意思に反した行動を取ったことは消えないのだ。
松永久秀はやむを得ず、興福寺の包囲を解き、京へ退却した。
義輝の弟、覚慶を取り逃がしたのは大きな痛手あったが、三好家は京を完全に掌握した。
予てより計画通り、義輝の従兄弟に当たる足利義栄を十四代将軍につけるべく奔走していくことになる。
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