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伊勢進出への下準備

大変お待たせいたしました m(_ _)m

永禄8年3月


本多正信が伊賀へ出発して2ヶ月程たったある日、その言葉通りに伊賀の藤林から使いが2通の書状を持って現れた。

1通は藤林長門からで、もう1通は正信からであった。


藤林長門からは、伊賀衆の切り崩しについてである。まだ下調べをしている状態であるようだが、百地丹波等強行派に不満を持つ穏健派は少なからずいるようである。時間をかけていけば強行派を孤立させることも可能であろうとのことだ。

伊賀に関しては、ひとまずは伊勢への街道沿いに戦略拠点が確保できれば良いので、その線で動いてもらうことにする。


正信からは、ここ数ヶ月の報告書であった。どうも正信は、今伊賀に留まって居るらしい。らしい、というのは、どこにいるとかが一切書かれていなかったからだ。いつ書いたのかも定かではない。


書かれていたのは、以下のようなことだ。

-榛原郷に拠点を作るべきこと。

-伊賀南部の名張辺りに拠点を構築できる場所があり、確保に向けて交渉中であること。

-伊賀国人衆の切り崩しはしばらくかかりそうなので、今後のことを藤林と協議した後、北伊勢に向かう予定であること。

などが書かれていた。

それから、最後にもう1つ

「例え城内でも、どのような者が聞いているか分かりませぬ。戦略のような機密は軽々しく口になされるように」と諭すようなことが書いてあった。正信の言うことは尤もであるが、何か頭に来るな。全く。



***


翌日

信貴山城 評定の間

本多正信からの書状について、協議するために主だった者に集まってもらった。

城代松倉右近を始め、島左近、佐武義昌、杉谷善住坊、増田長盛らである。


「今後、当家は伊勢の方に向かいたいことは、承知のとおりであるが」

皆が頷く。

出席している者は全て俺の腹心であり、その辺りは察している者ばかりだ。


「伊賀にいる本多正信から書状が参ってな。榛原に拠点を作るべきとの提案が来たので、皆の存念を聞きたい」


榛原は、桜井の東にある村で、初瀬街道に東に進めば伊賀南部を経て安濃津につながる。伊勢本街道を南東に行けば、北畠の本拠地霧山城のある奥津を経て松坂に出る。伊勢のどちらに出るにも通る重要地点になる。今後伊勢に侵入するならここが中継点になるはずで、不可欠な場所になるはずである。

拠点構築と共に各街道の拡幅をしておく必要があるだろう。街道の拡幅工事自体は、初瀬街道、伊勢本街道ともに少しづつ拡幅工事をしておいた方がよい。


「長盛。各街道の拡幅工事の状況はどう?」


「はっ。信貴山から筒井への道はほぼ終わりましてございます。現在は信貴山から桜井方面への街道を主に行っておりまする」


「榛原まで達することは可能かな?」


「桜井までの工事はまだ半ばですし、桜井より先は山深くになり申す。難工事になるでしょうから、かなり時間がかかりましょう。1年はかかると思われまする」


「うーん。ちょっと時間がかかりすぎるな。左近、常備兵の方はどうか?出せるか?」

左近や義昌には、先頃新に募集した国人衆や農家の二男三男坊を中心とした常備兵の訓練をして貰っている。まだ千名にも満たないが鍛えればかなりの戦力になるはずである。


「その件はわしから」

義昌が発言を求める。


「奴らはまだ訓練中でござる。まだ外に出せる状態ではございませぬ。統率もままならん状態なので」


「別に戦じゃなくて土木工事が中心だから、訓練途中でも大丈夫なんだけどね。いつぐらいになれば出せる?」


「あと3ヶ月お待ち頂ければなんとかなり申す」

3か月か。丁度、永禄の変が終わって、落ち着いているころかな。


「わかった。では7月くらいを目途に準備をしておいてくれ」


「ははっ」



「次に。正信によると、伊賀はまだ纏まらぬ状態で立ち入るのは難しいそうだ。今軍勢を率いて行けば、強硬派が暴発しかねぬ」


「それはまずうござる。そうなると伊賀を避けて南に行くしかございませぬな」

左近が唸るように言う。

「だが宇陀はまだしも、伊勢に入ると北畠の本城、霧山城がある奥津。そう簡単には抜けませぬぞ」


「善住坊。霧山城の戦力はどれくらいか?調べてくれたかな?」


善住坊が、頭を下げてから答える。相変わらず忍びらしい表情のない顔である。

「はい。霧山城には約五千程の軍勢が居りまする。麓の多気御所を合わせますと約八千程にあるかと」


「さすがは本城。かなり多いな。攻め口はあるかな?」


「はい。霧山城は、その名の通り、大変山深いところにあり申す。軍勢を収容する場所は多くはありませぬ。今でも少ない土地に偏って兵舎がある状態。それらを焼き払えば居場所がなくなり申す」


「火攻めか」


「はい。麓にある館から本丸あたりまでも、山林のような感じにござる。風の強い日を選べば、よく燃えましょうぞ。付け火は忍びの得意とするところ。その気になれば焼き尽くすことも可能です」

善住坊はニヤッと冷酷に笑う。


「そこまでやると、民草まで巻き込みかねないからまずい。近くの宿場町は利用価値があるからね」

「でも火攻めは面白い。よく調査していつ頃が良いか考えてくれ。別に急がなくてもいいよ。本格的に進出するのはまだ少し先だから」


「御意。手始めに多気御所の裏手にある詰城あたりに付け火をしてみますかな。くくく」


「おいおい。ほどほどにしておけよ」

善住坊ってこんな性格だったのか?初めて知った。



***


興福寺についての進捗状況の知らせが入って来た。

どうやったのか知らないが、朝廷(正親町帝)より「学舎設置の詔」を得たらしい。これを受けて永禄9年1月を目途に「多聞院学舎」開校に向けて設立準備を始めたらしい。まずは武家、商家の子弟向けに基本の学問を教える学舎から始め、徐々に高等教育や庶民教育の施設も設置していくそうだ。

また荘園を返上し、興福寺の宝物を守る僅かな武力以外を放棄することを引き換えに、「いかなる武装勢力も興福寺に入るべからず」とのお墨付きも得たらしい。

興福寺にいる僧兵のうち、一部の豪の者は宝蔵院に移し、それ以外は基本還俗させるしたらしい。還俗しなければ放逐するそうだ。


興福寺は摂関家の近衛家と繋がりがあるとはいえ、朝廷から勅許を得てしまうとは思わなかった。これによって興福寺の安泰は、永久に保障されたといってよい。上記のようなお墨付きまであっては、表立って武家が介入することが出来ないからである。


また、興福寺の荘園は筒井に管理を任せることが決まったらしいが、これにはいろいろ付いてきた。

なんと俺に、従五位下への昇進と新たに設置される興福寺守護職への就任要請、九条家養女との婚姻の内示が来たのである。

「いきなりのことで困るし、まだ若年なので」と誤魔化して、一旦延期してもらったが。

永禄の変直前のこの時期に、目立つのはまずいからね。




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