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永禄8年の状況

リアルが忙しく、更新が遅くなってしまいました。

1565年1月 筒井城


俺は久し振りに筒井城に来ている。

興福寺から信貴山城に帰る途中に立ち寄ったのだ。筒井の近くまで来ているのに無視して帰るわけにはいかない。

先程、順政叔父上や森好之に挨拶してきた。幸いにして、順政叔父上はまだ元気だ。本来なら去年の4月に亡くなっているんだけどね。

史実と違い、教興寺の戦いに勝利し松永久秀の勢力が弱まり、久秀の執拗な筒井城侵攻、焼き討ちがなくなったことによって、心労が少なくなったからであろうか。まだ40歳と若いんだからもっと生きて頂かないと。

ひとまず、京の三好方や松永久秀の動きには十分注意して、引き続き大和北部の守備に専念して頂くようお願いしておいた。今のところ、敵が侵入してくるとすれば、北部からが一番可能性が高い。

前に奪った多聞山城は主だった建物は解体したが、前線の支城としての機能は残してある。ここと宝来氏の宝来城、筒井城が連携して守備を固めれば、そう簡単に侵入を許すことはないはずである。


順政叔父上らの前を辞し、自室に戻ってきた。

考えると早いもので、俺がこの時代に来てからもうすぐ5年になる。

この5年は、三好松永との戦いと大和平定、国内の産業奨励が主だった。

松永久秀の勢力が史実より、三好も長慶の死後、衰退に向かいつつある。三好との大きな戦はなさそうにおもえる。将軍足利義輝については、残念ながらお救いする手段がなさそうである。個人感情としては、義輝をお助けしたいのはやまやまなのであるが。何より現在の名前の藤勝の「藤」は義輝の旧名義藤からいただいたものある。

繰り返しになるが、筒井には三好と全面戦争する力はない。


産業奨励により収入は増えており、得た資金で少しづつ兵力の増強をおこなっている。農家の次男三男や孤児などで、常備兵の創設も目指しているが、こちらはまだ時間がかかりそうだ。 2年くらいすれば、筒井だけで約1万の兵力を持つことができるだろうか。



さて、これからどのように進めていけばいいだろうか。経済のことを考えると港を持ちたい。やはり伊勢志摩をめざすべきか。

考えてみると織田は本当に恵まれているよな。濃尾平野の肥沃な土地と津島の港、栄える条件がそろっている。


一人で考えていても、なかなか考えがまとまらない。誰かと話してみれば、纏まりやすいかな。

襖をあけて、控えていた小者に本多正信を呼んでもらうよう頼んだ。


しばらくして、襖が開いた。本多正信が平伏している。


「殿、お呼びでしょうか?」


「ああ、相談してしたいことがあってね。入ってくれ」


正信が入ってきて、俺の正面に正座して平伏する。


「別にかしこまらなくてもいいよ。2人だけなんだから、楽してくれ」


「いえ」


「・・・」

固苦しいな。こっちまで、緊張して来るよ。まったく。


「で、えーと。その。なんだっけ」


正信が訝しげに見る。うーん、やりにくい。


「ああ、そうだった。今度の戦略とかを相談しようと思ってね」

「興福寺の件も片付いて大和も安定の方向に向かってると思う」


「はっ」

おーい。なんかいってくれ・・・


「商品作物の販売も順調だし、その収入で軍事力強化も順調だ。そろそろ大和の外に目を向けてもいいかなと思うだよね」


「はい」

だからさあ・・・

なんか言うことないのかね。これじゃ、ひとりで考えてると変わんないよ。


「この前、頼んだ伊賀の件はどうなってるかな。藤林殿と連絡取れたかな?」


「その件なら順調でござる」


ど、どう順調なのでしょうか?全然分かんないんだけど・・・

「あ、そう」


「そのうち、向こうから連絡が来ますので、少々お待ちください」


「ああ、わかった。伊勢の方は、どうかな」


「その件も、あちらから連絡が来ますので、少々お待ちを」

「殿がおっしゃる通り、大和も落ち着いてきましたので、私は伊賀と伊勢に行って参りたいのですがよろしいでしょうか」


「あ、うん。わかった。任せるよ」


「では、拙者はこれにて」

正信はそう言うと、頭を下げ早々に出て行ってしまった。


「えっ、ちょっ」

ちょっと、まだ何も話ができてないんですけど。正信さーん。


まあ、いいか。

杉谷善住坊に、これから敵になるであろう北畠の霧山城や多気御所ほか伊勢の各城について調べるよう、指示しておこう。

これから絡むことになるであろう織田信長は、東美濃の諸城の調略を行っているところのはずだ。

伊勢方面は滝川一益が北伊勢の国人衆の調略を始めているくらいで、たいして進展していないし、まだ時間はある。本多正信が何らかの成果を持ってくるだろう。多分。

北伊勢については、長島一向一揆がどうしても邪魔になるな。史実でも信長がかなり手こずってるし。こちらも調べておいた方がいいかな。

俺は指示書を書いて、善住坊に届けるように伝えておいた。



***


1月の下旬になって、俺は信貴山城に帰ってきた。


根来の津田算正を呼び出して興福寺改革のことと覚慶(義昭)について話をした。興福寺については、驚いていた。それはそうだ。

根来寺と根来衆は、興福寺と大和国人衆の関係に似ているが、はるかに密だ。

算正の実弟は、杉ノ坊照算であり根来寺の僧兵を統括する立場にある。根来寺と僧兵を分離するのは大変難しい。

だが分離しなければ、雑賀根来征伐を招き崩壊することになる。

時間をかけて、学問の根来寺と守護の津田家を中心とした根来衆に分離するしかないだろう。武器を捨てることができない僧兵は還俗させて津田家の配下に入れるしかない。

紀州北部には、粉河寺など同じような寺と武装勢力が乱立している。これらを切り崩して津田家の勢力下に纏めて大名の津田家として独立させた方が良いのではないだろうか。

難しいが、時間をかけて説得し、やるしかない。それが根来衆が生きる道である。

まずは、算正殿に動いてもらうことになるが、一度実際に根来に出向いて直接話をする必要があるだろうな。


史実の石山本願寺の主力は、雑賀・根来の傭兵だった。

一向宗である雑賀の鈴木家などは無理だろうが、一向宗ではない根来らが協力しなければ、大幅に戦力が低下することになるだろう。



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