別視点35 光満ちる(イオ視点)
オレは今、猛烈に緊張している。
折角大盛りにしてもらって食ったばっかの夕飯を吐きそうな気分だ。
一昨日、医務室で再診を受けて再び予約票を受け取ってしまった以上、明日医務室に行くのは決定事項。
その為にはバクス副隊長に提案された通りに調理部隊の幼子に“おまじない”をしてもらわなければならない。
昨日は休みだと聞いていた通りその姿が無かったが、今日は朝からちょこまかと動く姿を確認している。
前回の事を考えてお願いするのは夕飯の後って事だったんだが…。
その夕飯後のこんな時間に、何で食堂の半分以上のスペースを医療部隊と魔導部隊が占めてるんだよ!?
百歩譲って食事してるのならまだ分かる。ついさっきまで最終配膳の時間だったし。
だけどな、誰も食事してない!
てか食器さえ持っていないんだけどな!!
そんでもってめっちゃ厨房側のテーブルを占拠してるし!!!
更にはその最前列にいるのが両部隊の隊長・副隊長って!!!!
立ち見まで出てるってどんだけオレをモルモットとして見てんだ!!!!!?
そんな異様な状況の中、同期かつ同じ班の面々が出来るだけ厨房に近い席にちゃっかり座って最終配膳で得たらしい特盛の飯を片手にもりもり食いながらめっちゃオレを見てる。
…………もう部屋に帰りてぇ。
なんか緊張よりもこの状況に心底げんなりする気持ちの方が勝ってきた。
そんな事を考えてたら、今度は厨房内の調理部隊の面々がオレを見てきた。
これ、今がチャンスだわ。
もうこの状況から逃れたい一心で配膳口に一歩を踏み出すと、何故かディルナン隊長が出てきた。
「あの、ディルナン隊長、お疲れ様です。…自分、外警部隊のイオと言います」
「お疲れ。……ユーリだろ?」
「!」
取り敢えず名乗り、チビを呼んで欲しい旨を伝えようと思ったら先にディルナン隊長にズバリと要件を切り出されて驚く。
「話はヴィンセントから聞いている。シェリファスからも念押しが来ててな。ユーリ本人も承知してるから安心しろ」
「…スミマセン」
やれやれと言わんばかりのディルナン隊長の言葉にどうにか謝罪を口にするが、片言になったのは許して欲しい。
いやいやいや、幼子の”おまじない”、マジでどんだけだよ。
医療部隊と魔導部隊の隊長二人に根回しして貰ったというのに、素直に感謝できる訳がない。
なんかしょっぱいというか苦いというか、複雑な心境で胸が一杯になる。
オレのさっきまでの緊張は何だったんだ、本当に。
そんな中、ディルナン隊長が後ろを振り向いて声を掛ける。
「今そっちに行かせたから、少し待て」
「……何から何までお世話になります。あざっす」
「お前も大変だな」
ディルナン隊長の対応に礼を言うと、溜息交じりに労われた。
これだけ調理部隊に迷惑を掛けているというのに、怒るでもなく黙認してくれるらしい。
…この人のこういう所が他部隊の隊員に「アニキ」と言われる所以か。凄く納得した。
そんな事を考えていると、左側から小さな足音が近付いてきた。
足音の方を見ると、先日とは全く違うコック服姿の幼子の姿。
「おにいちゃま、こんばんはー」
「おう、お疲れ」
「おつかれさまでしゅ」
にぱっと効果音がつきそうな笑顔を浮かべる幼子に答えると、その身長に合わせるようにしゃがむ。
テーブルの方から「うわ、イオ、そのしゃがみ方ってモロにガラ悪いヤツじゃん」とか爆笑交じりの声が聞こえたが、無視だ無視。
幼子がちっこいんだから仕方ねぇだろ。片膝ついて跪けってか?
「おにいちゃま、お怪我だいじょぶ?」
「おー、チビのおかげで大分楽になったぞー」
ディルナン隊長が言った通り、オレが来た用件を把握してるらしい。
心配そうにオレの左腕を見る幼子に服を捲って見せてやる。
仕事が終わってすぐ部屋に戻り、さっさとシャワーを浴びてきたから装備はつけていない。
腫れは殆ど無くなり、痛みも無理やり動かさない限りは大分落ち着いた。
色だけはどうしてもグロいが、こればっかりはどうにもならないしな。
そんなオレの怪我に、幼子の眉が下がる。
「だいじょぶじゃないの。痛いのはめっ、よ」
「…おう」
幼子の方が痛そうな表情で可愛いダメ出ししてきたんだが…周囲がヤバい。
「んンっ」って野太い声がめっちゃハモった。
それだけでも相当なのに、北の魔王城ってこんなに変態多かったのか? っていうくらい食堂のあっちこっちで異様な反応に溢れてやがる。
っていうか、入口にいつの間にか書類部隊の隊服がチラリと覗いていて、そこが一番ヤバい。ヤバすぎる。ガンガン頭をぶつけている音が複数、止まない。
これ、幼子の方がダメだろうが。
そんな事をつらつらと考えていると、幼子がそっと怪我に触れるか触れないかくらいに手を出してきた。
「〈痛いの痛いの、飛んで行けー!〉」
目を瞑り、口元にムムムっと力を込めたと思うと、一昨日聞いた不思議な音が幼子の口から飛び出してきた。
その途端、一昨日の比ではない光が怪我に集まりだす。
「は…?!」
「痛いのはとんでくでしゅー!」
思わず間抜けにも大口を開けて見ていると、幼子が仕上げと言わんばかりに叫んだ。
それを合図に、光がキラキラと食堂一杯に散っていく。
驚きの光景に、食堂にいる全員が呆然としつつも思わずその光の行方を追いかける。
時間にしてほんの二、三秒。
光が消え終わった所で幼子が目を開く。
「終わりまちた!」
やり切ったと言わんばかりに額の汗を拭う動作をする幼子に、座席の最前列にいたヴィンセント隊長とシェリファス隊長が飛び出してきた。
一気に間合いを詰めるなり、オレを立たせて左袖を捲り上げる。
そこにあった筈の慢性的になっていた微かな痛みは、どす黒く変色した怪我は、気付けば消えていた。
「…な、い…………?」
あまりの事に呆然と呟く。
治るのが早まる可能性だけでも十二分だと思っていた。
もしかしたら、諦めた筈の昇格試験に参加できるかもしれない希望が持てるかもしれないと。
それでも幼子に期待しすぎちゃいけないと、そう思っていたのに。
幼子は、オレに奇跡を齎してくれた。
真っ白になっていた思考回路が少しずつ回りだすと同時に歓喜が湧き上がってくる。
「チビ、お前ってヤツは…!」
「ひょっ……!?」
思わずヴィンセント隊長とシェリファス隊長を振り切って、少し離れた所に追いやられていた幼子を高い高いをするように抱き上げる。
痛みを一切感じる事なく、小さな体は驚きの声を発しながら軽々と持ち上がった。
「…っありがとうな! 今度は兄ちゃんがお前が困った時に力になってやる!!」
「ふえ? にーたん??」
「おぅ!」
この幼子の兄貴分ってのも、悪くない。
そう思って告げると、素直に呼んでくる幼子の何て可愛い事か!
「ちょっと待った!」
「…あぁ?」
そう思っていたら、厨房内から待ったが掛かった。
これには思わず低い声が出た。
視線を厨房に向けると、いつの間にか配膳口にはオレと似たような年代のヤツがいた。
恐らくは同期だろう。全く知らんが。
「ユーリの、兄貴は、このオレだっ!」
「はぁ?? 何言ってんの、お前」
「ふざけんなよ! 今日までユーリを見下しておいていきなり兄貴面する方がおかしいだろうがっ!!」
「別に見下してねぇし。大して認識してなかっただけだし」
思いっきり噛みついてくるソイツは外警部隊の同期達に比べて甘ちゃんに見えた。
絶対に負ける気がしねぇ。
「テメェ、今、オレの事も見下しただろっ」
「あーん? テメェなんざどうでもいいっつーの」
「コノヤロー!」
売り言葉に買い言葉。
ヒートアップしていく言葉の応酬だったが、いきなりパンッ! と手を叩く音が響けばブツリと途切れる。
「…ユーリの兄の座を争うくせに、肝心のユーリが泣きそうなのには気付かないのか」
真横にいたヴィンセント隊長のこの言葉にハッとして幼子を見ると、完全に涙目だった。
そんな幼子をヴィンセント隊長がかっ攫っていく。
「全く。お前達が争わなくてもユーリには私の息子という兄がいるから別にいいんだが?」
「「はぁ!!?」」
その上、ヴィンセント隊長から爆弾発言が飛び出せば思わず調理部隊の気に食わないヤツと一緒に声が被った。チッ。面白くねぇ。
「ちょ、ヴィンセント隊長、それは聞き捨てならないッス!」
「兄の役割を果たせなければ、どんどん脱落していくだけだ。いくらでも兄候補はいるぞ」
「絶対にユーリの兄貴分は譲らないッス!」
幼子をあやしつつ挑発してくるヴィンセント隊長に迷いなく食らいつくコイツは、強いのかただのバカなのか。
少なくとも、オレは遠慮する。
そんな事を思っていたら、急に疲労感が襲ってきた。
立っているのがしんどくて、思わずしゃがみ込む。
「…間違いなく光の魔術の反動だな。体調はどうだ?」
「何か、急にダルい…」
「…………光の魔術は術の回復レベルに比例して体に反動が出る。今日は大人しく医務室で休んで、明日の朝一で診察しよう」
幼子を下したヴィンセント隊長がオレの顔を覗き込んで確認してくる。
それに素直に頷くと、後ろから医療部隊の面々が駆け寄ってきた。
「にーたん…」
「一昨日と同じだ。寝れば問題ねぇ。安心しろ、チビ」
幼子もすぐそばで心配そうにオレの服を握ってきた。
その頭を撫でてやると、幼子がヴィンセント隊長とバクス副隊長を見上げる。
「この子の言う通りだよ、ユーリちゃん。一晩休めば何の問題もない」
「私達がついているんだ。問題あると思うかな?」
その視線を受けて医療部隊の双頭が笑顔で頷けば、幼子がオレの服をそっと手放す。
「イオ」
「大丈夫かー?」
「明日の朝一、カイザー先輩に伝えとくから」
「無理すんなよ」
「ゆっくり休め」
いつの間に近くに来ていたのか。後ろで飯を食ってたはずの仲間達が声をかけてくる。
それに頷き、医療部隊の面々に支えられつつ食堂を後にする。
何故か医務室に向かう一団の中に魔導部隊のシェリファス隊長とアルガ副隊長の姿も一緒にあった。
医務室で案内された患者用ベッドに横になるなり、強烈な睡魔があっという間に意識を飲み込んでいく。
けれどその睡魔は暗闇ではなく、陽だまりのような優しい光で。
不思議と全く恐怖を覚えることなく、その睡魔に身を委ねた。