別視点28 始まりの朝(ヴィンセント視点)
本編39~42の主人公視点と内容がほぼ重複しています。嫌な方は飛ばして下さい。
今日からユーリはディルナンと少しずつ離れて行く。
勿論、周囲が手助けをしてだ。今日は私が預かり、そのまま明日の休みも一緒に過ごすべく我が家へ連れて帰る予定になっている。
そして次の休みはエリエスがユーリに付く事が既に決まっている。
こうなる事は北の魔王城に仮入隊した時からの決定事項だった。
いくら保護者と言えど、ディルナンは北の魔王城の調理部隊を預かる隊長だ。常に一緒にいる訳にはいかない。
幼子と言う事を考慮しつつも少しずつ、けれど確実にユーリを独り立ちさせなければならない。
目まぐるしく変化する環境に何の文句も泣き言も言わず、懸命に順応しようとする幼子に、周囲も比較的好意的だ。
だが、それもユーリに関わった部隊の一部のみ。
やはり反発は見えない所で大きく育っている。
何が正解なのか、どうするのが一番いいのか。
それは誰にも分からない。
「ヴィンちぇントたいちょ! おはようございましゅ‼︎」
登城して直ぐにディルナンの部屋にユーリを迎えに行くと、声を掛けた途端ユーリが飛び出して来た。
余りの勢いに驚いたが、私をずっと待っていた故の反応かと思うと微笑ましくもある。
挨拶を返して先に健康診断をする旨を伝えれば、しょんぼりしつつ腹の虫を鳴かせる。
それでも大人しく了承するユーリを連れて医務室に向かえば、始業時間まで一刻程あると言うのに今日出勤予定の隊員の殆どが既に揃っていた。
ユーリの指導担当に据えるフォルはまだ分かる。初めての指導担当着任だ。指導するに当たって色々準備する物もあるだろう。
そしてフォルの指導担当であるグレインは元々早く出勤するタイプだ。そのついでにフォルの準備を手伝いつつアドバイスをしているのは知っていた。
他にも常に早く出勤して、グレインに学びながら技術や知識の精査に励む勤勉な者も何人かは知っている。
だが、他の大多数は明らかにユーリ目当てだろう。
腹の虫が暴走する様に笑ったり、健康診断で注射器に涙目になるユーリのフォローに入る振りして関わろうとする辺り、バクスと同類と言って良い。
逆に距離を取って見ている者は医療部隊に幼子が関わる事に苦々しく思っている者。本当の意味で様子見の者達だ。
尤もそんな隊員達とて私の気質を知っている以上、ただユーリ可愛さに医療部隊預かりをしたとは思っていまい。その理由を探るかのように私とユーリを見ている。
そんな中で健康診断を終えれば、ユーリの思考が朝食のみに支配されていく。
お陰で周囲に後を任せた途端にユーリに手を引かれて食堂に向かうという状況になった。
こんな風に手を引かれて歩くのは本当に久々だ。まだ息子が幼かった頃に外に遊びに行く為に急かされた位だろう。
まさか北の魔王城でこの私が誰かに手を引かれて歩く日が来るとは思ってもみなかった。人生何があるか分からない。
事実、ユーリに手を引かれてやって来た食堂に居た他部隊の隊員達の反応がいかに有り得ない事かを証明している。
小首を傾げているユーリだけが状況が分かっていない。
そんな姿に笑って食事を促すと直ぐに意識が朝食に戻る辺り、実に素直な気質だ。単純すぎて騙されやすそうでもある。少しばかり心配ではあるが、下手に矯正して性格が捻くれるのは好ましくない。さて、どうしたものか。
その一方で食事の提供口に立つまだ年若い隊員の方がユーリのフォローに頭を下げて来た。
周囲が自然にそんな行動を取る辺り、ユーリは調理部隊に本当に可愛がられているのだろう。
そして状況に思う所があったらしく再び考え込むユーリに兄貴分である少年を褒めると、それは可愛らしく少年を慕う姿を見せる。
思わずそっと柔らかな髪だけを叩き、食事を共にテーブルへと運ぶ。
そこにディルナンがユーリの補助椅子片手に出現し、私に一言詫びつつユーリに釘を刺した。
更に私情交じりの激励をしたもののユーリの腹の虫に追い払われたが、その前に見せた甲斐甲斐しく世話を焼く姿はまるで「オカン」と言うに相応しく。
ディルナンの剣幕に必死に否定していたが、ユーリも間違いなくそう思っていたのだろう。
この子は本当に普通のイメージを様々な意味で壊していく。
美味しそうに朝食を食べるユーリにそんな自覚は一切ないだろうが、この短時間で私は勿論ディルナンさえも他部隊の話題のネタにしている。
そんなユーリと一緒に久々に食べる調理部隊の朝食は、何故か妙に美味かった。
そんなこんなで朝食を終えて医務室に戻ると、既にカラフがユーリの看護師服を手に待機していた。
カラフに連れられて別室に看護師服に着替えに行くユーリを見送ると、ユーリの指導担当のフォルを呼んで今日の一連の流れの最終確認をした。
そうこうしている間に、揃っていた医療部隊の今日の出勤者達が自然と周りに集まってくる。
「隊長、おはようございます」
「バクス。おはよう」
「いよいよですね。因みに今日のユーリちゃんの看護師服はスカートタイプらしいですよ」
そこへ副隊長のバクスも笑顔で近付いて来た。
「何でも最初が肝心だからだそうで。カラフ、凄い張り切ってましたよ。それは可愛らしい看護師服が出来たって」
「まぁ、最初は肝心だな。失敗したらそれで医療部隊の評価は終いだ。後は適当に消毒作業だけに勤しんで貰う事になるだろう」
バクスの言葉に、微妙に顔を顰める者達がいた。
しかし続いた私の本音を聞くなり、その表情が驚きに変わる。
「北の魔王城の隊員としているのであればそれ相応の技能を求めるのは所属部隊の隊長としては当然だろう。年など関係ない。ましてや私の預かる医療部隊でそんな甘えが通用するとでも?」
「それはあり得ません。ましてや指導担当にボクやグレイン医師ではなくフォルを据えている時点で隊長は本気でユーリちゃんを試すつもりなのでしょう? ま、ボクも評価に関しては一切妥協する気はありませんけど」
「着替えを終えた時点で、他部隊の幼子ではなく医療部隊に関係のある者となる。一切の容赦無く全員の目で評価しろ。少しでも気になる事があれば私かバクスかフォルへ報告するんだ。
―――……北の魔王城は保育所ではないのだから」
周囲の抱いていたであろう疑念をこの場でバッサリ切り捨てると、隊員達の表情が改まる。
同時に、隊員達のバクスを見る目が引き締まった。
間違いなく、現時点で医療部隊の中でユーリを見る目が一番厳しい者だと認識されたのだろう。
バクスは冗談の中に本音を交えるせいか、真意が見えにくい。それ故に気付いた時にはバクスの判断は終わって結論が出ている事が多い。
そしてそこからのバクスの行動は早く、躊躇いも容赦も一切無い。
私が副隊長として…次代の隊長として育てているその実力を改めて周囲にしっかりと認めさせていた。
「まぁ、これまでのユーリちゃんを見るに、正直最初で転ぶ様な子ではないですよね。寧ろどこまで食らい付いて来るか楽しみですよ」
「…バクスはユーリに一切の心配なしか」
「あのエリエス隊長に仕事に問題無しと認めさせた子に何の心配をする必要性があるのか疑問ですね。何よりもフォルが付くというのにあの子が基礎を学習出来ない訳が無いでしょう?」
バクスがフォルを見つつ笑えば、フォルがそっと微笑む。穏やかに見えて、外警部隊が震え上がる微笑みだとユーリが知るのはいつだろうか。
そこへ、ユーリが着替えを終えてカラフと共に出て来た。
……自分でユーリの存在がすぐに分かる様な物をとカラフに依頼しておいて何だが。
ぽてぽて歩く度にプキュプキュとどこか間抜けな音を歩く度に鳴らすユーリは非常に可愛らしい。
何よりもスカートタイプの看護師服が非常に良く似合う。
その可愛らしさに、バクスを筆頭に可愛い物好きな者が悶えるのを必死に堪えていた。
思わずカラフを褒めると、カラフ本人は出来に満足出来ていないのか苦く笑う。
外見は特異だが、カラフもやはり鍛治部隊という一流の職人の集まりの上位に立つだけの事がある職人だ。
更にユーリに必要な救急箱を我々にも見せてから持たせるカラフ。
最後に見習いを示す腕章をユーリの左の二の腕に取り付ける。
必要な仕事を終えると私にユーリの先程まで着ていた服を渡し、ユーリと挨拶を交わすと我々に一礼して己の職務に戻って行く。
ここからが、私の本番だな。
「さて、ではユーリの仕事の説明に移るとしよう」
まずはユーリに指導担当であるフォルの紹介。そして、フォルへの命令という形でユーリにもフォルが付く意味を伝える。
そして、何よりも肝心要の用件を切り出す。
「―――…医療部隊は時に命を預かる部隊だと良く肝に銘じておくんだ。見習いといえど、生半可な行動は私が許さない」
この言葉を、ユーリがどう解釈するか。
ユーリを可愛がる、私的な立場の私では無い。医療部隊隊長として公の立場にある私をどう受け取るか。
それを見る為に、他の隊員に対するのと全く同じ様にユーリを正面から見つめる。
対するユーリは。
しっかりと返事をした上で、私の目を真っ直ぐに見返して来た。
その目に宿るのは、「理解」と「覚悟」。
いつもの可愛らしいだけの幼子では無い。自分が医療部隊に置かれた意味を間違いなく悟っている。
何よりも、負けてなるものかという負けん気の強さも初めて覗かせている。
そんなユーリの目に、私のすぐ側にいたバクスとフォルも気付いたらしい。
二人が微かに笑みに似た吐息を漏らすのが聞こえた。
「…仕事を開始する」
ユーリの対応を見た上で周囲に告げると、フォルを除く隊員達が一斉に動き出す。
そうなってもユーリの瞳は私から全く逸らされない。
幼子としてでは無く、一隊員として働く者の瞳だ。
そんなユーリに愉快になり、自然と口角が上がった。