47 この歳になると案外恥ずかしかったり
決して好意的とは言い難い闘技場の観客席、指定された位置に着きましたユーリです。
手際良く治療の準備を始めるフォルさんに倣って、救急箱を開ける。
自分に出来る治療を考えて、取り敢えず椅子を二つを陣地とすべく周辺ごと魔術で丸洗いしてから乾燥させてアルコール消毒。
自分の手も魔術で水洗いしてからアルコール消毒し、近い方の椅子に消毒薬、脱脂綿とティッシュ、トレー、ピンセットだけセットしてみました。椅子の下にはゴミ箱も設置。
場所が狭いから、他はもう一つの椅子に置いた救急箱に待機で。後はやってみてから配置を考えますかね。
最後に救急箱のフタのメモ挟みに基礎治療のページを開いてセットすれば私の準備は完了ですよっと。
気分はさながら運動会の保健委員です。
さぁ、来るなら来い!
「…予想以上に準備万端だな」
「ならそっちに回すぞ」
……なんて思った途端にフォルさんじゃない医療部隊の兄さんに状況確認されて、次々に外警部隊の騎士さん達がこっちに誘導されて来た。
パッと見、十代後半から二十ソコソコの兄さん達ばかりだ。アルフ少年位か少し上か。
気付けばあっという間に五人程の消毒待ち行列が出来上がる。
そんな私の側にいるフォルさんの元にも、何人かが治療に回されている。
メモの通りにすれば、だ、大丈夫だよね?
元々がフルメタルの鎧を身に付けている為、見える範囲での切り傷・擦り傷の消毒がメインなんだけど。
他で私に出来ない治療をされてから消毒に回されている人もいるので、結構人数多いぞ⁈
傷口の場所を確認してから小さな水球で洗って、医療部隊特製の消毒薬で消毒。酷く打ち付けていて目に見えて周囲が痣になりそうなら、傷口を避けて打身用軟膏も塗っておく。
場所によっては保護の絆創膏なんかを付けるけど、基本そのままでさようなら。
陣地の椅子の二つ隣に座って貰い、場所によってはサンダルを脱いで隣の椅子によじ登って消毒ですよ。案外重労働だわー。
その作業を繰り返しているけれど、消毒待ちの行列は常に途切れる事がない。
まぁ、おかげでコツを少しずつ掴んではいるけれども。
既に椅子を降りる事無く消毒に勤しんでおりまする。
リンクでは訓練が続き、彼方此方で金属音が止むことがない。指示や罵声、発破掛けなどの大声も飛び交う。他にも様々な音が耳に届く。
実戦さながらの訓練はそれだけ激しく、怪我と紙一重なのだろう。
けれど、そんな訓練をのんびり観戦している暇はない。
そんな中、消毒をしている少年に何故か違和感を覚えた。消毒をしつつも何がおかしいのかを観察してみる。
…この少年、明らかに左腕を庇って無いか?
「……おにいちゃま、バンザイしてくだしゃい」
「はぁ?」
「バンザイでしゅ」
唐突だとは思ったけど、念の為に声を掛けてみる。
すると、凄く嫌そうな顔をされた。従う気が一切ないな、少年。
「もういいだろう」
不機嫌な表情で立ち上がる少年に、咄嗟に左腕に掴まる。
その途端、押し殺した呻き声を上げた。
これは間違いなさそうだね。
「フォルしゃん、このおにいちゃま怪我人でしゅ!」
「おや」
「怪我なんかしてねぇ!」
フォルさんに告げると、少年が慌てて否定する。
これには治療中のフォルさんではなく、少し離れた所にいた白衣のお医者さんが来てくれた。
「コイツか?」
「左のお腕、かばってます」
「だから、怪我じゃねぇって…!」
怪しい場所を指摘すると、少年が目に見えて焦り出す。
そんな少年を無視してお医者さんが少年の左腕を手に取れば、歯を食い縛る。
その様子に、お医者さんが迷わず少年の左腕の籠手を外して袖を捲る。
肘と手首の間が、青紫になって腫れていた。
間違いなく怪我人だ。それも重傷。
「大した怪我じゃねぇの。コレを怪我と言わずに何を怪我って言うんだかね」
「グレイン医師、こちらへ」
怪我を確かめて呟くお医者さんに、ちょうど治療を終えたフォルさんが場所を譲る。
そちらで少年の治療が始まるが、心配して見てる場合じゃないや。
気付けば消毒待ちの行列が一気に長くなってる!(ガビン)
これには慌てて消毒作業を再開するしか無かった。
がむしゃらになって行列をさばく内に、訓練の終了とストレッチ、片付け作業へと階下が変化した事でどうにか終わりが見えて来た。
最後の一人の消毒を終えて一息吐くと、やっと周囲の状況が見える。
さっきの重傷者な少年が何故か笑顔のフォルさんの横で微妙に悶絶していた。
ひ、額に脂汗かいてる様に見えるんですけど?
「……フォルしゃん?」
「終わったんだね。お疲れ様、ユーリちゃん」
「おにいちゃまが…」
「あぁ、放置して悪化させたクセして訓練に戻るなんて寝言を言うから、特別製の薬で治療をね」
「ホントに薬でしゅか⁉︎」
思わずツッコミを入れると、フォルさんが笑みを深める。
「薬だよ。治りが早いんだけど、痛みを余り抑えない薬でね。暴れる脳k…隊員に処方する事があるんだ。訓練が終わったらちゃんと痛み止めも処方するから大丈夫だよ」
フォルさん、今、絶対に「脳筋」って言おうとした。静かに怒ってらっしゃる。怖い。
それにしても、これはちょっと可哀想だよね。
椅子からよじ下りるとサンダルを履いて少年の所へと階段を降り、再びサンダルを脱いで隣の椅子によじ登ってから額に滲む汗をポケットのハンカチで拭いてやる。
「チビ…」
「もうちょっとのガマンでしゅ」
スマン、少年。私は痛み止めを持ってないんだ。君の苦痛を和らげてあげられない。
私に出来るのは、精々子供騙しのおまじないだけだよ。
「〈痛いの痛いの、飛んで行けー!〉」
外見子供だ。やっても痛い目で見られる事は多分無い筈。
それでも一応はある羞恥心に、思わず目を瞑ってしまうけど。
堂々と大真面目に出来るのは純真な子供だけ、もしくはそのお母さんだけだと思われる。
「……え?」
不思議そうな声にそっと目を開けると、少年が目を瞬いていた。
このおまじない、魔大陸にはないのかしらん?
「痛いの軽くするおまじないよー」
「…凄いな、チビ。さっきより痛くない気がする」
何をしたのか簡単に説明すると、苦しげながらも少年が初めて微かに笑みを見せてくれた。
あら、笑うと八重歯が覗いて可愛いじゃないか。
「早く良くなって、またがんばってね」
「……そうだな。訓練はこれからも沢山あるよな」
にぱっと笑い返すと、少年が右手で頭を撫でてくれた。お返しにもう一度その額の汗を拭う。
「じゃあ、ボクもおかたづけしてくるの」
「おう。ありがとな」
少しだけ苦悶の表情が和らいだ少年にホッとしつつ、片付けをすべくえっちらおっちら椅子と格闘しながら救急箱の位置へと戻る。
………って、他の人達はもう片付け終わってる⁉︎
何だか妙な注目の視線を感じ、慌てて片付けに入った。
恥ずかしいから、もうやらないでいよう…。