別視点26 指導担当の第一評価(フォル視点)
「おっと…」
昼食に訪れた食堂で、目の前の幼子―――ユーリちゃんが今にも目の前の大皿に突っ伏しそうになった。
既に自分は食べ終えて空いていた手で、その頭を支える。
ユーリちゃんがニコニコ笑顔で食べ始めた昼食。
美味しそうに味わっていたのは最初だけで、半分を食べた辺りで眠そうな目になり。どうにか三分の二まで終えた現在、遂に限界を迎えたらしい。
思えば、午前中は必要な基礎知識とは言え短期集中で詰め込ませた。
大人でも決して嬉しい状況では無い。
色々なモノが未成熟な幼子には相当辛かった筈だ。
その分、限界が早く来たのだろう。食事途中だと言うのにすっかり夢の中だ。
午前中だけの付き合いだが、ユーリちゃんは不思議な幼子だ。
健康診断では注射に怯える普通の幼子だった。
そうかと思えば、健康診断が終わるなり笑顔であのヴィンセント隊長の手を引いて食堂に向かう剛毅な面も持っている。その様子を見ていた医務室の面々が思わず二人の姿が完全に無くなってから爆笑したものだ。
あの子以外、緊急時でもない限りはそんな事が出来る存在などいないだろう。
食堂から戻って看護師服に着替えるなりいきなり、それまでとは一変したヴィンセント隊長の目と対応。
ヴィンセント隊長は公私をはっきり分ける。
これまでのユーリちゃんへの対応は完全に仕事とは切り離された私的な隊長としてだった。幼子を可愛がる、まるで父親の様な対応。
だが、隊長の領域に仕事として入ったとなればそれは全く変わってくる。
仕事面ではヴィンセント隊長に一切の妥協は無い。命を預かる事さえある部隊の隊長としての責任感は時として近習部隊のロイス隊長でさえも上回ると自分は思っている。
それには一切怯える様子を見せず―――それ所か真っ向から受けて立ち、ヴィンセント隊長が目の前から立ち去れば気合を入れ直そうとして噛んだ事に落ち込み。
そのまま自分が簡単な挨拶だけで問答無用で始めた説明状況と準備に、大した戸惑いを見せる事無く付いて来て。
説明を始めればこちらの意図を一切知らずとも与えられたメモ帳に名前を記入してから話をメモに取り、教えられた事で疑問に思った事に質問して食い付いてくる。
本当は何も言わないのを良い事にただのメモ帳としていたら、隙を見て一度取り上げて放り出してやろうと思っていたのに。因みにメモを使わなければ意地悪く反復テストを行うこともある。
これは医療部隊に入隊した隊員への歴代の通過儀礼だ。大切な物の取り扱いを、最初の内に手痛い失敗として叩き込む。不足箇所が見付かれば徐々に一つずつ、何の害も無い単なるミスで済む内に。
幼子だろうと関係なくやろうとしていたのに、最初に名前を書かれてしまった。メモも分かり易く、それでいて見やすい箇条書きでしっかりと取っている。
その間も色々試していた。
決して口にも表情にも出さない様にしてはいても、微妙に感じるモノはがあるらしい反応。けれど飴を与えれば誤魔化される辺り、単純。
意図を込めて笑いかければ本能的であっても察知し、素直に従う事も出来る。長い物に巻かれているだけかもしれないが。
これまでのユーリちゃんを見る限り、評価はまずまず。
この子ならば最低限の仕事は出来ると認められる。
ヴィンセント隊長にユーリちゃんの指導担当を打診されたのは三日前。
家系的に医者が多い一族と言う事もあり、最初から医療部隊を狙って就職した自分は順調にキャリアを積んできた。
なんだかんだで気付けば医療部隊の隊員としてそこそこ名の知れた一人になっている。
そんな自分をユーリちゃんの指導担当に指名した理由が、次の昇格試験に当たっての自分の育成能力の確認とユーリちゃんの安全確保の為と言われれば断れる筈も無く。
しかも年齢を気にせず遠慮も情け容赦も無く評価しろとくれば、こんな面白い事を逃す事も無いと思い。
自分が本当に言われた通りに指導するのを見越して指導担当に据える辺り、ヴィンセント隊長は本当に手心を一切加える事無くユーリちゃんの評価を付けるつもりなのだろう。
それがヴィンセント隊長なりの優しさなのか、厳しさなのかは自分ではとても計り知れないが。
どちらにせよ、ユーリちゃんにとって医療部隊は他部隊と全く異なる職場となるだろう。
戦闘訓練を行う他部隊が関わる実習が始まればどうなる事やら。
ユーリちゃんの頭を支えたまま立ち上がり、取り敢えず危なくない様に抱き上げる。小さな体は非常に軽く、頼りない。
補助椅子を隅に避けてそっと寝かせる。
勿論、足は窓側にして、だ。
流石は性別などあってない様な幼児と言うべきか。
鍛治部隊のカラフ副隊長が用意してきたスカートタイプの看護師服が余りにも似合い過ぎて、食堂中の注目の的だ。
危険予測の為に居所が分かり易い様にと用意された音の出るサンダルの間抜けな音がまた注目を助長している。
仮入隊の隊員にも関わらず既に親衛隊が発足しているのは伊達では無く、分かり易く表情を変化させてちょこちょこと動くユーリちゃんは確かに可愛らしい。
身長差で自然と上目遣いだし。
戦うコックさんと言う名の頭脳派荒くれ集団として認識していた調理部隊がユーリちゃんの一挙手一投足に溺愛を覗かせるのがまた愉快だ。
一番年が近いであろう、成人していくらも経たない少年はすっかり妹馬鹿の様相を呈している。
他部隊の隊員達でさえ微笑ましそうに、一部はその可愛らしさに悶えて(というか、挙動不審で)ユーリちゃんを見ている。
そんなユーリちゃんを中心にしたアレコレは、観察していて全く飽きない。見ているだけで妙に和むし、退屈しない。
ユーリちゃん本人は上手く鈍感力を発揮して周囲の反応を自分に害の無い様にしてるし、態々自分が助けに動く事も然程無い。
それに自分で考えて動ける様だし、目だけ離さなければ可能な限り自分でやらせれば良い。
その方が客観的にユーリちゃんを見ていられる。
但し、お昼寝という無防備な状況は別の話だ。目に付く変態に余計な隙を与えたりしない様に、振り返って周囲にニッコリ笑っておく。
それだけでいくらかの視線が一斉に逸れる辺り、狙いは外れていないだろう。
自分が付いていてユーリちゃんにちょっかいを出すのなら、処分対象に認定して構わない筈だ。
それから皿を纏めていると、厨房から一人出て来た。
「テーブルはそのままで結構ですよ。オレが片付けますから」
「…良いんですか?」
「えぇ。ただ、返却口の横に寄って貰えますか? 隊長がお待ちしてますので。それとこのお菓子だけは持って行ってあげて下さい」
「分かりました。ありがとう」
親切な申し出に甘え、お盆に残っていたお菓子をポケットに入れてからサンダルを回収しつつユーリちゃんを左腕に抱き上げると返却口に向かう。
言われた通り、そこには調理部隊のディルナン隊長が待っていた。
「こんにちは、ディルナン隊長。…ユーリちゃんの指導担当のフォルと申します」
「ヴィンセントの秘蔵隊員がユーリの指導担当に付くのか」
礼儀として挨拶すると、ディルナン隊長が表情を変えずに自分を見て告げた。
サラリと自分の情報を出してくる辺り、目ぼしい隊員とその食事に関するアレコレを記憶しているとの噂に違わぬ人の様だ。
「それで、ご用とは?」
「あぁ、コイツを渡そうと思ってな」
そんな事を思いつつ用件を伺えば、ディルナン隊長に差し出されたのは小振りな紙袋。空いていた右手で受け取ってみれば、微かに甘い匂いを放っているそれはほんのり温かい。
「これは?」
「ユーリのオヤツだ。ただでさえ栄養不足だってのに、飯を残しただろう」
「…もしかして、態々ご用意されたんですか」
「幼児に市販の菓子ばっか与えるのはよろしくないだろうが。栄養バランスも考えてある」
まさかの紙袋の中身に呟けば、ディルナン隊長が呆れた様に言うが。
貴方、独身でしょう。何で幼児のお菓子事情に詳しいんですか。
この忙しい時間でありながらもユーリちゃんの食事の様子もしっかり把握してる辺りが何ともまぁ。
しかも、お手製オヤツらしき雰囲気。どこの主婦ですか。
……クールで有能、武力も上位の調理部隊隊長なイメージが百八十度変わりそうだ。
「飲み物はバクスに午前中に牛乳を渡してあるから医務室にある筈だ。定時頃に医務室に挨拶に行くとヴィンセントに伝えておいてくれ」
「…かしこまりました」
「あぁ、それとユーリの指導担当だと言うのなら一つ忠告だ。
―――ヴィンセントの言う事だけ聞いてユーリを蔑ろにしてみろ。調理部隊が受けて立つぞ?」
手の中のオヤツだけでなく、飲み物までしっかり手配済み。ディルナン隊長のイメージが完全に崩壊した。
余りの事に、少し気が抜けていたらしい。
ディルナン隊長の忠告と同時に厨房の中からも、テーブルを片付けて戻って来た隊員からも鋭い視線を向けられて産毛が逆立つのを感じた。
今のディルナン隊長に、さっきまでの主婦な印象は皆無。噂通りのディルナン隊長が目の前にいた。
ディルナン隊長だけでなく、調理部隊の本来の姿までが現れている。
…ユーリちゃんがいるかいないかで、ここまでその姿を変えるとは。
「ヴィンセントの仕事に関してのプライドの高さは筋金入りだからな。お前を指導担当に据える辺り、ヴィンセントの底意地の悪さと見る目の確かさは間違い無いだろうが」
「それは、どうも」
「調理部隊の評価をどう下そうがお前の勝手だ。だが、見誤るなよ?」
「そのようですね。肝に銘じておきます」
ディルナン隊長が全てを口にしなくても、その意図する所を嫌と言う程に思い知らされる。ユーリちゃんへの対応を間違えた瞬間に、調理部隊が自分の敵に回ると。
かと言って調理部隊ばかり気に取られてヴィンセント隊長への対応を疎かにすれば、こちらが仕事の鬼と化す。
実にギリギリな線引きを求められている訳だ。
こうして釘を刺してくる辺り、ディルナン隊長もヴィンセント隊長に負けず劣らず様々な物を見越しているらしい。
若くとも一部隊を預かる隊長は伊達では名乗れないと言う訳だ。
この人もまた自分は何処まで正確に認識出来ているのか不明な部分が多い。さっきの今で、増々不明と言うべきか。
「用事はそれだけだ」
「では、失礼します」
言いたい事を言い終えたとばかりに追い払う様な仕草をするディルナン隊長を代表として厨房にも一礼し、医務室へ戻るべく入口に体を向けて歩き始める。
腕の中のユーリちゃんは微妙に殺伐とした自分と調理部隊の遣り取りを知る事なく、スピスピ寝息を立ててよく眠っている。
「……ユーリちゃんに関わっている間は退屈する暇は全くなさそうだね。色々面白くなりそうだ」
全く、とんだ昇格試験になりそうだ。
思い掛けずに訪れた刺激的な日々の予感に、自然と口元が笑みの形を取る。
この子が昼寝とオヤツを終えたらいよいよ実習だ。
それまでにやるべき事は幾らでもある。
ディルナン隊長の伝言もヴィンセント隊長に伝えなければ。
様々な意味で予測不能な午後になりそうな予感がする。
いつも以上に準備を整えておくとしよう。