42 試合開始のゴングは静かに鳴り響く
着替えを終えて小部屋から出て行くと、何故か医療部隊の面々がヴィンセントさんを中心にして再び待ち構えていた。
プッキュプッキュとサンダルを鳴らしながらヴィンセントさんの前にカラフさんと歩いて行くと、周りの皆様から妙に生温い目で見られる。一部の人に至っては、肩を震わせて笑いを堪えてるし。酷い。
「どうかしら、ヴィンセント隊長」
「実に可愛い。いい仕事だ、カラフ」
「この看護師服は今のままだとユーリちゃん一人で着られなくって。また改良しなきゃ」
ヴィンセントさんが笑顔でカラフさんを褒めると、当のカラフさんは苦笑して首を横に振った。
僅かな妥協も許さないカラフさんの言葉に、やっぱり職人さんなんだなーと思ってしまった。
「何、短期間で無理に仕立てて貰ったのはこちらだ。全体の完成度で言えば十分だ」
「ありがとうございます」
「おねーちゃま、いつもありがと」
ヴィンセントさんの言う通りだよね。
それにカラフさんはお礼を言うけど、寧ろお礼を言うのはこの私です。
余計なお仕事増やしてゴメンなさい。
「どういたしまして。ユーリちゃんの可愛い作業着なら大歓迎よぅ」
だと言うのに、とっても素敵な笑顔にウインク付きでそんな事を言ってくれちゃうカラフさん。
本当に大好きだわ。この人。
「後は、救急箱ですけど。見た目コンパクトでも中に魔導部隊に特殊亜空間を展開して貰ったので、十二分な収納力がありますわ」
「これならユーリでも難なく持てる。鍛冶部隊も魔導部隊も流石の仕事だな」
「うふふ」
更に、服をしまっていた袋から子供の玩具サイズの救急箱が出現した。
カラフさんがその救急箱の収納力をヴィンセントさんに説明するのを聞き、どれだけ規格外な物を作り出したのかといつも通り思う。
魔族の扱う魔術って凄く日常的というか、便利過ぎて色々ズルい程だ。
まぁ、やたら攻撃的なモノばかりじゃ無くてどこかホッとしてはいるけど。
ただ普通の治療特化の医療部隊がある辺り、回復系の魔術とかってどうなってるんだろうって思う。
「これで渡す物は全てですから、アタシこの辺で失礼します」
「何度もカラフを呼び付けて悪かったな」
「いいえ。服飾担当部門はアタシ一人いない位では作業自体はビクともしませんわ。アタシの信頼する隊員達が揃ってますから」
私の医療部隊での装備が全て出尽くしたのか、カラフさんが服の入った袋もヴィンセントさんに渡して暇を申し出た。
「おねえちゃま」
「ん? なぁに??」
「あのね、本当にありがとーなの。他の隊員しゃん達にもありがとーって伝えてくだしゃい」
「まぁ。そんなお願いなら喜んで承るわー」
改めてお礼を言うと、カラフさんが笑顔で快く了承してくれた。
ヴィンセントさんを始めとした医療部隊の面々に一礼し、今度こそカラフさんが医務室を後にする。
「さて、ではユーリの仕事の説明に移るとしよう」
カラフさんの後姿を見送った所で、ヴィンセントさんが口を開いた。
いよいよお仕事開始ですね!
「フォル」
「はい」
ヴィンセントさんに呼ばれてその横にやって来たのは、健康診断で助手に入ってくれた紺色の看護師服のお兄さん。
金髪碧眼の、平均的な身長で細身なお兄さん。顔立ちはどこぞのアイドルグループに居そうだけど、雰囲気はちっともチャラくない。年齢はバクスさんやディルナンさんと同じ位と見た。
「ユーリの教育係に任命する。応急手当のノウハウを教えろ」
「かしこまりました」
「今日は消毒のみだ。実践前に道具の確認及び基礎講習なども頼む」
「はい」
ヴィンセントさんの指示を受け、お兄さんが私の隣へと移動して来る。
「ユーリ」
「あい」
「隣のフォルが教育係だ。分からない事や報告はフォルにする様に」
「あい」
「―――…医療部隊は時に命を預かる部隊だと良く肝に銘じておくんだ。見習いと言えど、生半可な行動は私が許さない」
「はい!」
続いて、ヴィンセントさんの視線が私に向けられる。
いつもの穏やかな眼差しではなく、医療部隊隊長としてのヴィンセントさんの瞳は鋭い。
その迫力に、思わず目を逸らしたくなる程に。
これには咄嗟に負けてなるものかとお臍辺りに力を込めて、決してヴィンセントさんの目から視線を逸らさずに踏ん張った。
恐らくこの『お手伝い』は、健診と言う格好の機会を生かしたヴィンセントさんの見極めと言って良いんじゃないの?
着替えが済んで、部外者が去った時点で私が正式にヴィンセントさんの仕事の領域に踏み込んだと認識されたから、見極めが始まったのだろうと思う。
看護師服を着せたいなんてディルナンさんに言った言葉は、絶対にただの建前だ。
ハッキリ言って、私は邪魔するしか出来ない見習いだもの。いる必要性なんか全く無い。
ディルナンさんの手前、本音を巧妙に隠しただけでしょ? ディルナンさんがコレを知ったら、反対するのが目に見えてるし。
ディルナンさん、クールに見えて過保護だから。
年の功も兼ね備えた、北の魔王城でも随一の曲者隊長。きっとこれこそが他の人達がよく知るヴィンセントさんなんだろう。
医療部隊のお手伝いとして居る間は、間違いなく厳しい目で見られる気がする。
でも、それで良いんだ。そんなヴィンセントさんが下した評価こそ信用に値すると私でも思う。
私を可愛がってくれるヴィンセントさんも嘘じゃないとは思うけど、それは私がヴィンセントさんの仕事に関係無い時のヴィンセントさんだろう。公私をハッキリクッキリ分け過ぎてて、まるで別人の様だけど。
まぁ、やるからにはトコトンやって見せましょう。こういう所は負けず嫌いなのだよ、私。
だから、視線は逸らさない。
「…仕事を開始する」
見つめ合う事、暫し。
ヴィンセントさんが仕事の開始を宣言すると、他の隊員さん達が一礼して動き出す。
残ったのは私の隣にいるフォルさんだけ。
そんな中でまだ見つめ合っていると、ヴィンセントさんの口元が軽く持ち上がる。
それが、何だか妙に挑戦的な笑みに見えた。