36 初特訓(魔術編)
買い物を終え、レツの背に乗って無事に北の魔王城に戻って参りました。
淋しそうな顔をするレツを宥めすかしてディルナンさんと一緒に獣舎に送り、別れた所で次にやって来たのは厨房の裏口。
裏口と畑の間にある、ちょっとした広場的スペースに来ております。
「今から昼飯までの間、魔術の特訓をするぞ」
「あいっ」
「まずは魔術についてだが…基本だけなら詳しくはこの本に載っている」
言いつつディルナンさんが亜空間から取り出したのは絵本。
『はじめてのまじゅつ』と題名からして文章もとっても子供向けの様だ。逆に読みにくいぞ。
でもこれが出て来たって事は、この後が簡単に想像出来ちゃうんだよな。
「取り敢えず、読め」
ですよねー。
「たいちょ、いっしょによむー」
「…あ?」
「…め?」
一人で読むと、面倒臭くて流し読みにしかねないんだよねぇ。
ここはディルナンさんを巻き込んでちゃんと読みましょう。基礎は大事。基礎が無きゃ応用出来ないしね。
…一緒に読んでくれと頼んだはいいが、この状況は一体何だろうか(汗)
只今、リュックを降ろされて、後ろから抱っこの状況で胡坐をかいたディルナンさんの膝の上に載せられております。目の前には絵本。
そしてカラフルな絵本に書かれた文字を、ディルナンさんが読み上げてくれてます。
ここまでは頼んでないー!
「魔術の属性には火・風・土・水・雷・闇・光があります。属性とは自然にある力の種類の事です。どんなものがあるでしょうか」
そんな私の心境を余所に、ディルナンさんが文章を読みつつ絵本のページをめくってくれる。
絵本ならではのカラフルで綺麗なイラストが広がり、属性が示す具体的な自然を教えてくれていた。
気付けばイラストの世界に引き込まれ、ディルナンさんの声を聞きつつアレコレ質問したりしてお勉強中。
魔術を使う時のコツや注意点、基本が確かに事細かに分かり易く載ってるわ。
でもこの絵本、ちょっと気になる事があるんだよね。
「たいちょ、光はー?」
「光属性は、魔大陸では基本持つ者は殆どいない。精々白い色を持つドラゴンぐらいだ」
「どして?」
「魔大陸に存在する魔素…自然の魔力は闇属性が強いからだ。それを受けて生きている魔族や魔獣は闇属性の力を強く持つ。闇と光は真逆の力だ。どちらかが強すぎる状況下で相反する属性を同時に持つには、様々な要因が絡み合う必要がある。
簡単に言えばこの魔大陸で光属性を持つのはそれこそ砂の中から金砂を見付ける位難しいから、光属性については描かれない」
ふむ。闇属性が強いって流石は魔族って感じだけど、環境的要因だったら仕方の無い事だね。
良くファンタジーで描かれる理由とは随分違うんだ。
「魔族とは逆に、光属性の力を強く持つのが天使だ。天界の魔素は光属性が強いから、逆に闇属性の力を持つのが難しい」
「…てんかい? 天使さまいるの??」
「いるな」
「なかよしー?」
良く物語にある聖魔戦争とか起きたりしないのかしらん?
「仲は良くも悪くも無い。
魔族は強いヤツと戦うのが好きなヤツが多いが、馬鹿で無い限りは天界に行く手間と後始末の面倒さを考えれば身内で戦える相手を選ぶ。天界も属性が違う位で目くじらを立てる阿呆はそうそう居ない。そもそも住む場所が全く別だから関わり自体が少ないのもある。
属性の違い云々で騒いでいるのはオレ達魔族や天使に全く関係の無い人間位だ。人間には篤い聖魔信仰があるから属性が大きくモノを言うらしい。そういう意味では人間が厄介だ」
あれ、当人達は至ってドライな関係なのね。
そうか、聖魔云々で騒いでるのは人間だけなんだ。…現実的にはどちらが正解でも間違いでも無いけど、信仰は土地によってそれぞれだから難しいね。
「話がずれたな。続きいくぞ」
そんなこんなでどうにか絵本を読み終わると、ディルナンさんに絵本を差し出された。
「分からなくなったら読み返しておけ」
「ボクが持ってていいの?」
「それはお前のだ」
…もしかして、態々用意しておいてくれたのかな。
「礼ならエリエスに言っておけよ。他のモンの発注と一緒に取り寄せてたらしいからな」
「あい。たいちょもありがとーごじゃいます」
この絵本はエリエスさんからでしたか。…流石は書類部隊隊長。
でもディルナンさんのお蔭でしっかり読めたから、ディルナンさんにもありがとうを言っておく。…色々想定外だったけど。
「後は残り時間で亜空間の魔術を覚えろ。そうすれば自分の物を自分で持てるだろう」
「あいっ」
そうだ。いつまでもディルナンさんにおんぶに抱っこはしてられない。
自立への第一歩、頑張らせて頂きます!
「亜空間は基礎とは違って特殊系統の魔術に分類される。使い手は案外少ないが…北の魔王城では重宝する。魔力消費量も大した量ではないし、覚えて置いて損は無い」
「難しいでしゅか?」
「他の魔術以上に想像力を要求される。何も無い所に自分専用の棚なりタンスなりを作る様なモンだからな」
何もない所に自分専用の棚…いっそ倉庫にして種類ごとに整理した方が便利っぽい?
いや、そもそも私に出来るのかが最大の問題だ。高望みはしちゃダメだね。
「まずは自分の目の前に見えないカゴを想像してみろ。取り敢えずちょっと収納出来る大きさでいい」
カゴ…スーパーの買い物カゴで良いかしらん?
そうするとこんな位だよなー。
「その大きさが入る穴を、腹辺りにある何かを手に移動させてからナイフで切る様にしてみろ」
お腹の辺りにある、何か? …何だかポカポカしてる、暖かいコレの事か?? ……動くの???
取り敢えず、魔術は想像力がモノを言うんだったね。
コレを右手の方へ動かす…のは難しそうだから、そっと伸ばしてみよう。
そんで、イメージしたカゴの大きさが入る穴を切り取る、っと。
「そこにコレを入れてみろ」
ディルナンさんに渡されたのは、ただの石。明らかにその辺に落ちていたであろう石だ。
言われた通りに穴に入れてみると、石は地面に落ちる事無くその姿を消す。
「ふおおおぉぉぉっ」
「無事に出来たな。そうしたら、一度その穴に蓋をしてみろ。穴を作った時と同じ要領だ」
「あい」
今度は蓋をする、っと。スライドさせる感じで良いのかな?
「同じ場所にコレを置いてみたらどうなる?」
ディルナンさんが更に別の石をもう一個渡してくれた。
それを置く素振りをしてみると、石はそのままポトンと地面に落ちた。
「…きちんと空間が閉じた証拠だ。
だが、作った空間が開けなけりゃ意味が無い。今度はさっき作ったカゴをイメージして、開けてみろ」
仰る通りです。
さっきの石の入ったカゴを思い出しつつ、手に温かい物―――冷静に考えればこれが恐らく魔力―――を伸ばしつつ手を逆にスライドさせてみる。
「中に入れた石があるか?」
ディルナンさんの問い掛けに恐る恐る手を入れてみると、手に石の感触が当たった。
それを掴んで出して見せると、ディルナンさんが頷く。
「もう一度入れて閉じておけ。後でもう一回確認する」
「あい」
指示に従ってもう一度閉じると、細く伸ばしていた魔力がプツリと切れた。
…加減も必要なんだね。これは実はコントロールがとても難しいのかもしれない。
魔力の使い方の理論は分かっても、実技は地道に練習するしかないみたいだ。
ぎゅるりー。
そんな事を考えていると、お腹から聞きなれた音が響き渡った。
それと同時に後ろの厨房の少し先、食堂のホールからざわめきが聞こえてきた。
どうやら昼食の提供開始時間になったみたい。さっきから良い匂いがしてたもんね。
「…お前の腹の中には生きた虫でもいるのか?」
ディルナンさんがどこか呆れた表情で呟けば、お腹が「ぐぅ…」と情けない音で答える。
…お腹の虫が実は寄生虫説、浮上? そんなのは嫌だー!
「何、情けない表情してやがる。…さて、手洗いとうがいしてから昼飯にするか」
「あーい!」
ぎゅーん!
元気良くお昼の号令に返事したら、お腹の虫までシンクロしてきた。
本当に怖いヤツだね、お前。生きてたらどうしよう。出せるのかしらん。
右手でお腹を擦っていると、ディルナンさんがリュックを手に一足先に歩き始める。
その後を絵本を抱えたまま小走りで追って厨房へと足を踏み入れた。
「はい、お待たせしました」
厨房の奥のいつもの食事スペースに手洗い・うがいをしてから座ると、オルディマさんが二人分の食事を持って来てくれた。
貰った絵本とお菓子の入ったリュックは発注スペースの机の上にディルナンさんが置いてくれた。お財布も今は首から外してリュックの中に収められている。
今日の昼食は、美しく澄んだ褐色のオニオンスープ…とフランスパンの様なハード系のパン、大ぶりな白身魚の野菜たっぷりムニエル。
あぁ、超良い匂い。お鼻がヒクヒクしちゃいますん。
食事の前にディルナンさんにまずはお茶で水分補給する様に言われました。ちょっとお預け。
それにしても…どうせオニオンスープなら、私の好物にしても良いですか?
「たいちょ、チーズが少し欲しいでしゅ」
「チーズ? …少し待ってろ」
おねだりしてみると、ディルナンさんが食材庫から使い掛けのチーズとお皿を出してくる。
それを少しお皿にすりおろして貰った。
ディルナンさんが何をするのかと見ている前で、オニオンスープにパンをどぼん! と投入。
その上にすりおろして貰ったチーズを掛けて、小さな火の魔法を熾してチーズにそっと近付けると?
何という事でしょう。あっという間にオニオングラタンスープに大変身!
チーズはとろりと溶けて上に少し焦げ目が付き、コンソメの良い匂いに更なる相乗効果を齎す。
オーブンもバーナーも無くても簡単に出来ちゃった。魔術バンザイ!
「いっただっきまーしゅ!」
出来たばかりのスープが熱々の内にスプーンを持って、まずはスープを一口。
コクのあるコンソメとオル葱の優しい甘さが織りなす単体でも十二分に美味しいスープが舌を刺激し、喉を滑らかに通り過ぎて行く。ウマー!
今度はメイン。スープとパンとチーズを一緒にスプーンで掬い取る。
口に含めば美味しいスープがパンの甘みも連れてやって来る。スープを含んでしっとりとしたパンとの食感と焼き目のついたチーズの香りが熱々感と共に後に続き、最後にパンの旨味とチーズのコクもスープに融合して行けば…言葉なんかいりません。
絶品キター!! 人生ナンバーワンのオニオングラタンスープっ!!!
余りの美味しさにウットリしていたら、ディルナンさんがオニオングラタンスープを真似していた。
一口食べて、オッジさんを呼び寄せる声が遠くで聞こえる。
終いにはシュナスさんもオッジさんと入れ替わりで来ていたが、その頃には野菜のシャキシャキ感と絶妙なコラボをしていたふんわり食感のムニエルに夢中でお話は聞いていなかった。
今日も実に素敵な昼食でございます。
昼食が終わるとおねむタイムだけど、ディルナンさんに取り敢えずうがいする様に言われてうがい。
そのままいつものお昼寝場所に行くと、レツぐるみと一緒に寝かされる。
これも一種のもふもふパラダイス…。
「起きたら今度は運動だからな」
「あい…」
ディルナンさんの言葉にどうにか返事をすると、よしよしと髪を撫でられる。
その心地良さを感じつつ、大人しく睡魔に身を任せた。